ココロ社

主著は『モテる小説』『忍耐力養成ドリル』『マイナス思考法講座』です。連絡先はkokoroshaアットマークkitty.jp

70年代の若者を気取ってそばの超大盛りを食べて気持ちよかったという話

70年代でもっとも有名なテレビドラマ『俺たちの旅』の再放送を見ていて、ひとつ気になるシーンがあった。なんと、主人公たちがごちそうを食べそこねて、文句を言いながら街のそば屋で大盛りの盛りそばを食べていたのであった!しかも上の口では文句を言いつつも、同じく上の口でおいしそうに食べており、ぼくは激しい嫉妬に身を焦がした。
 
―などと書くと、この筆者の頭は大丈夫なのかと思われてしまうかもしれないので、なぜ嫉妬に身を焦がしたのかについて、くわしく説明させていただきたい。
いま、「若者が大盛りを食べる」といえば、牛丼・ラーメン・カレーあたりだろう。そばは、江戸時代から戦前までは大盛りの主役だったかもしれないが、いまでは少し高級な、少ししか出てこないイメージ。立ち食いそばというジャンルはあるけれども、立ち食いそばと立ち食わないそばの間には大きな隔たりがあり、後者には高級な、通にしかわからない食べ物というイメージがあり、とくにわたしのような関西出身者には遠く感じられる。
 
定年後のオッサンがそば打ちに没頭するのは、そもそも在職中のワークライフバランスが適切だったのかという疑問は残るにせよ、それ自体はおかしなことではないが、彼らはめったにラーメンやうどんを打ったりすることはない。70年代では、吉野家が73年にフランチャイズ展開を始め、74年に家系ラーメンが創業し、庶民のカジュアルな食べ物としては普及してきていたが、近世から東国の庶民の手軽な食事として君臨してきたそば屋もまだその一角を担っていたはずで、きっといまの若者がラーメン二郎に行くように、街のそば屋で大盛りを頼んだに違いないのである。いまの感覚でいうと、下の写真と同じポジションに、そばの大盛りがいたはずなのである。
 

f:id:kokorosha:20181117102720j:plain

f:id:kokorosha:20181117102718j:plain



……前置きが長くなったが、わたしは、残念なことに、「昔の若者のそば大食い」をしないまま中年になってしまったのであった。
しかし、今からでも遅くはないと勇気をふりしぼり、店を探した。
調べはじめてすぐに出てきたのが、調布市の「若松屋」。わたしにとっては意外だった。というのも、わたしが昔住んでいた家から徒歩1分もしないところにあったからで、店の前は毎週のように通っていたにもかかわらず、住んでいた10年以上の間、一度も寄ったことがなかった。

f:id:kokorosha:20181117102606j:plain

若松屋は昭和初期から営業している老舗だったが、外から見るとそこまでスペシャルな存在には見えない。だから寄ったことがなかったのだけれど、中に入ってみると非常によい雰囲気で、ここで「昔の若者の大食い」ができるなんて幸せ……と思う。

f:id:kokorosha:20181117102715j:plain

雑多なデコレーションを見ると、「ここって都内?」という気持ちになる。(注:非都民の方のために解説しておくと、東京都民にとって、都内を感じさない都内は旅行をした気持ちになれて、泣いてしまうのである)

f:id:kokorosha:20181117102411j:plain

f:id:kokorosha:20181117102408j:plain

 事前に、この店の盛りそばは、並以外に、「メガ盛り」と「ちょいメガ!盛り」があることを把握しており、メガ盛りは8人前と聞いていたので、さすがに無理だなと思ってパスしたのだが、ちょいメガ盛りなら5人前で麺は900グラムとのことで、つけ麺600グラムなどの経験が過去に豊富にあったため、プラス300グラム程度なら食べきれるだろうと高をくくっていたのであった。

 
ほどなくして、ちょいメガ盛りが出てきたのだが、「ちょい」="a little"の解釈が間違っていたかもしれないと思った。

f:id:kokorosha:20181117102403j:plain

「メガ」の小さいものという意味ではなく、ワッショイのような、「メガ盛り」につける、それ自体は自立した意味を持たない愉快なかけ声にすぎず、実質的に「ちょいメガ!盛り」≒「ワッショイメガ!盛り」なのかもしれないと思ってしまうほどである。
なお、実際のメガ盛りは、この写真のさらに倍ほどになるようだった。

f:id:kokorosha:20181117102711j:plain

―とはいえ、やはり老舗のそばはいい味で、この味なら、スムーズに最後まで食べきれるかもしれない……などと思いながら最初の半分くらいは普通に食べていたのだが、たちまち食べるスピードが遅くなってきた。
 

f:id:kokorosha:20181117102359j:plain

この写真、いま見るとそば100%に見えるし実際にそば100%である。
 
……が、そのときははやく食べきってしまいたいという気持ちから、折り重なったそばの奥から、せいろの幻覚が見えていた。
ちょうど砂漠なかで街を見つけたと思ったら蜃気楼であるように、せいろだと思ったらそばだったのである。
 
ちょいメガ!盛りについては、とくに完食する義務はないのだが、わたしはどうしても完食したいと思っていた。なぜなら、若者のそば大食いにチャレンジして敗北してしまうと、自分はもう若くないという事実を、みずから積極的に証明するために休日のランチタイムを費やしたことになってしまう。本物の愚か者である。
若くないことは自覚してはいるのだが、せめて、そばをモリモリ食べるくらいの元気はあると自分で思いたい。

f:id:kokorosha:20181117102614j:plain

そして、休み休み食べた末、ようやくあとふた口のところまでこぎつけた。

f:id:kokorosha:20181117102611j:plain

さらに5分ほどして、ようやく完食……したかに見えた。
 
しかし、これには小規模なからくりがある。

f:id:kokorosha:20181117102609j:plain

不自然になみなみとつがれたそばつゆだが、この奥に一口分のそばを隠している。
 
このテクニックは、奇しくも、わたしが11年も前、亀田大毅先生の試合中に話しかけてくる亀田興毅先生という設定で披露したテクニックであり、芸は身を助けるというが、まさか自分のネタを参考にすることになろうとは……と驚いた。

f:id:kokorosha:20181121201604j:plain

 
これでしめて1000円。夕飯は食べ(られ)なかったから、リーズナブルで、まさに若者の大食いを地で行く1日だった。
 

f:id:kokorosha:20181117102603j:plain

店を出て、歩くのが苦しかったので、近くの国領神社のベンチでしばらく休憩した。この神社、いつもわたしが苦しいときに休む場所になっていて、神道はとくに信じていないけれども、わたしの守り神なのかなと勝手に思っている。
 
このとき撮ったそばの写真をときどき見返しているのだが、自分はこんな大盛りを(ほぼ)食べつくしたのだ……という謎の自信がみなぎってきて、気分が高揚する。
 
みなさんも、カレーでもラーメンでもなく、そばの大食いを体験してみてほしい。かつての若者の大食いがどんなものだったか、身をもって体験できるはずである。