ココロ社

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巨大廃墟、旧志免鉱業所竪坑櫓は意外に近くて癒やされた

旧志免鉱業所竪坑櫓について知ったのは2005年、ワンダーJAPANの創刊号の表紙から。

ワンダーJAPAN vol.01

冊子は出てすぐ購入したのだが、威圧感たっぷりの表紙だけで十分元をとった気になって、あまり読まずに本棚にしまいつつ、志免炭鉱跡にいつか行きたいとの思いを持ちつづけていた。炭鉱跡が福岡にあるところまでは確認していた。社会や道徳で筑豊炭田について習っていたので、やはり炭鉱というのものは九州北部にあるものなのだという認識を持ったのだが、表紙の写真の印象から、てっきり福岡と熊本の県境の山奥にあるのかなと思っていた。「空が赤くなっているようなところだから遠いところに違いない」という単純なイメージを持っていたのである。山奥の獣道を数時間歩いて、忽然と目の前に現れた平原と、崩壊寸前の櫓。見に行くとしたらそれなりの規模の旅になると思っており、その準備は今はまだできない……と思いながら18年が過ぎたのだが、先日、博多に用事で行く機会があって、用事が終わって博多から福岡空港にそのまま戻るのももったいないかなという気持ちになり、空港近辺の名所を探してみたら、志免炭鉱跡があるではないか。空港の近くにあると認識していた太宰府よりもよほど近い。志免炭鉱跡から福岡空港までは徒歩で1時間程度。平日でも数時間散歩するわたしにとっては、むしろ近すぎるくらいである。

 

「最寄り駅」という概念をかりそめに適用するならば、JR須恵駅がいちばん近く、徒歩20分である。

「須恵」という名前からここが須恵器のはじまりの地かと思ったりしたが、そうでもないようで、焼き物は作っていたらしいけれど江戸時代かららしい。

 

ガード下の絵が写実的である。1000年後まで残ったら当時の習俗の参考になるのかもしれない。

 

ほどなくして高いとはいえないが低いともいえない山が見えてきた。

低木が生えていて、高いとも低いともいえない山にしか見えないが、崩れた跡に見える山肌が思いのほか人工的である。

 

近づいてみると、工事現場のような土と、教科書で見た石炭っぽい塊。

 

そしてbrand-newな立ち入り禁止の看板。禁止している団体名もウンニャラ警察署などではない。それもそのはず、これは炭鉱を掘った残土を盛っていたのである……そんな出自だったら崩れやすくて中を歩き回ったりはさせてくれるはずもない。

 

残土に拘泥しているうちにご本尊が見えてきた。

駅を出て10分程度しか歩いていないので拍子抜けしたが、意外に気軽に来られるところも含めて楽しみたいところである。

 

旧志免鉱業所竪坑櫓はまるごと、「シーメイト」という志免町の総合福祉施設の敷地内にあって、多目的広場や、「なかよしパーク」という公園もある。

もっと管理されておらず、柵がところどころ破れていて好事家が忍びこめるような感じをイメージしていたが、想像していたより明るいイメージである。

 

炭坑の入口。

こういうものを見たときに北斗の拳のジャギに喩えていたのだが、北斗の拳やドラゴンボールやガンダムに喩えていたら若年層からの支持が得られないことはわかっている。そして新しめの漫画やアニメは知らないので、「立ち入りが徹底的に禁じられている」としか言えないのだった

 

網で囲っているのだから、入口そのものは開いていてもよいのではないかと思うのだけれど、先日、コスプレで廃坑に入って酸欠で亡くなられた事件があったことを想起して、これくらいがよいのかもと思った。

これが掘り出された鉱石。rawな鉱石をインテリアとして飾りたいという欲求が多少あったけど、これは難度が高いな……。

 

たまたま天気がよいときに行ったのだけど、事前に抱いていた、廃墟の王様のようなイメージとは違って「軍事目的に使われていた施設が今は平和の象徴になっている」という印象を受けた。

ベビーカーを押している人が写ってまさに平和の象徴。

 

以下、悔いの残らないように、望遠で撮ったり広角で撮ったりした写真たちです。ご笑納くださいませ。

 

2019年~2021年で保存のための修理をしたこともあって、1980年代に流行したコンクリート打ちっぱなしの建物の親玉みたいに見える。昔の写真を見ると、鉄骨がむき出しになっているところがあって、そこは塞いだようである。修理後の写真を検索して見ていても、曇天だと廃な感じがしたが、わたしが行ったときは天気がよかったこともあって、廃な感じはしなかった。とはいえ、巨大で不思議な形をしたコンクリートの物体の存在感は圧倒的だった。

 

鉱山跡からしばらく歩くと、志免駅跡がある。閉山後も1985年まで使われていたようなのだが、いまは公園になっている。

鉱山に近づけなかった鬱憤をここで晴らすべく、線路の上を歩きまわったり、線路から駅に登ったり降りたりしたあと、空港まで1時間ほど歩いた。

 

この謎の建物はベスト電器スタジアム。スタジアムについての記憶が日生球場や大阪球場なので、宇宙船みたいでびっくりした。

 

 

廃墟を見るたび、「そういえば廃墟の象徴的存在である志免炭鉱に行ったことないけど行きたい」とずっと思ってきたので、非常にすっきりしたし、自分の中にあった志免鉱山の神秘的なイメージに決着をつけることができてよかったと思っている。

死の病に冒されて、最後に志免炭鉱跡を見てから死にたいなどと思いつめて見に行ったりしたら、「志免炭鉱跡が補修されたというのに自分の体は……」などとややこしい気持ちになったかもしれないので、健康なうちに拝めてよかった。

 

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