ココロ社

主著は『モテる小説』『忍耐力養成ドリル』『マイナス思考法講座』です。連絡先はkokoroshaアットマークkitty.jp

エアコンのフィルター掃除の重要性を理解するのに30年かかった話

実家を出て30年以上経つが、きょうまでエアコンのフィルターの掃除をしたことがなかった。エアコンのフィルターを掃除すると効果が段違いであるという話はインターネットの黎明期から何度も目にしてきたのだが、今でいう「秒で消える唐揚げ」などと同様だと考えていたのである。この「秒で」の長さは、定義では60秒を超えることはないはずだ。60「秒で消える」唐揚げがあったとしたら「分で消える唐揚げ」と呼ばれるだろう。では20秒はどうだろう。1分以下ではあるものの、「秒で」と言ったときに想起するイメージからは遠い。それなら、「数十秒で消える唐揚げ」と呼ぶ方がふさわしいと感じるからだろう。「秒で消える唐揚げ」における「秒」とは、最長でも9秒ではないかと思う。そして、「秒で消える唐揚げ」が実際に9秒以内に消えるかというと、そこも非常に怪しい。まず「秒で消える唐揚げ」は、揚がって盛りつけられた直後からカウントアップが始まるが、2秒程度でそのうちひとつを皿から箸で取って口に入れたとして、熱々の唐揚げを5秒で完全に飲みこまない限り2個目の唐揚げを口に運びきることは不可能で、つまり、供されて各々が「消」せる個数はせいぜい1個。「秒で消える唐揚げ」が仮に実在したとしても、味がよいということではなく、単に作った個数が少ないか大家族であることを意味するにすぎず、そうでないなら「秒で消える唐揚げ」は誇張だろう……けれども、ここで唐揚げの話がしたいのではなかった。

 

エアコンのフィルターを掃除するとエアをコンする効率が飛躍的にあがるという話は、せいぜい設定室温に達する時間が数分程度早くなる程度のことだと思っていて、鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギスと思って同じエアコンを掃除もせず10年以上使ってきた。掃除するには及ばないと高を括っていたのだった。エアコンのフィルター掃除の話はnot for meであると聞き捨て続けるうちに、エアコンは徐々にアンコントローラブルな領域に達していた。しかし、わたしはその原因にフィルターの関与度は低いと認識していた。ネンネじゃあるまいし、たかだかホコリが詰まっている程度のことで空気の流れが悪くなることはないと思っていたのである。きのうまでの状態を説明すると、室温を20度にするために、設定室温を26度にして風量も強にしていた。徐々にエアコンの性能が落ちていたので、そういうものかもしれないと諦めていたのである。たとえばデモの参加者について、主催者側の発表と警察の発表には数倍の開きがあることは常で、もし同様だと、設定室温を26度にしても室温は10度を切ることになるが、そこまでの開きではないため、経年劣化における機能の低下であり、受忍限度内だと自分に言い聞かせていたのである。

 

土曜の朝。きょうは休みだし、そろそろブログに何か書かないとアイデンティティの危機だと思いつつ、ブログを書くという行為以外に逃避したいとも思いながらベッドに横になっていた。高温の強風をオーダーしているにもかかわらずあまり暖かくないそよ風に包まれていたら、もしかして、エアコンのフィルター掃除が必要なのかもという気がしてきた。パネルを開けて見て気持ち悪かったらそっと閉じればいいだけだよねと思ってエアコンの電源を切ってパネルを開けた。想像していたよりも内部構造は簡単で、フィルターの脱着も簡単にできそうだった。するりとフィルターを取り出して眺めてみたが、たしかに10年貯めただけあってすごいホコリの量だった。とはいえ、わたしがふだん装着しているマスクと同程度の通気性はあるようにも見えた。そのまま付け直すのももったいないと思ったので掃除しようと思い、よき方法を検索してみると、エクストリームな状況のときは重曹がいいというような意味のことが書いてあって、これがエクストリームでなければ何がエクストリームなのかと思ったが、以前買って部屋のどこかにある重曹を探すのが面倒なのでぬるま湯で洗って、タオルで拭いてセットし直して電源を入れた。
すると、たちまち熱風が吹き出して、わたしの部屋に春がやってきてそのあとすぐに夏もやってきた。いつもの設定だとエアコンが効きすぎて夏になってしまうのだ。温度設定を下げて風量を自動にした。つまり、暖かくならないというだけでなく、莫大な電気代がかかっていたのである。そもそも、きのうまでのわたしはこのあとやってくる大寒波に対してわたしはどう対処するつもりだったのだろうか……。

 

暖かくて静かな部屋の中で、この30年で失ってきたものに思いを馳せたが、失ったものが多すぎて、数えているうちに週末が終わってしまいそうだ。

エアコンのフィルターを掃除することと同じくらい効果があるのに今まで見過ごしてきた案件がまだあるのかもしれない。そしてその宝のような案件たちを、インターネットの情報だから大げさに言っているのだろうと思って無視しているに違いないのである。大げさと思っても、悪くないと思ったら試してみるようにしよう。「秒でなくなる唐揚げ」も実在するのかもしれないし。

 

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年末年始に観光地ではないところに暫定的に住んだ話

「そうだ、西葛西に住もう」

2023年になってしまうと書きづらいので、2021~2022年の年末年始の話を書いておきたい。

遠くに旅行に行くような気分でもなかったが家でゴロゴロすることも望まなかったので、どこかに住む感じにしたいと思った。東京湾沿いに暮らしてみたいという願望が以前からあり、夢の島近辺のホテルを探したら西葛西駅前のホテルが空いていたので、12/31~1/4に泊まってきた。

同じ都内だが、多摩ニュータウンの自宅からは1時間半くらいである。

旅行するときは何百枚も写真を撮ることが多いのだが、このときは住んでいたのであまり撮っていないため、説明が多くなって申し訳ない。

12/31の昼まで仕事をしており、仕事をおさめて高田馬場で高田馬場らしいごはんを食べてゲームセンターミカドで遊んだあと、西葛西に到着して、ホテルで本を読んで、お腹がすいてきたらセブンイレブンで適当なお弁当を買ってきて食べて寝た。

 

「どこか行かなきゃ」という強迫観念に囚われなくてよいから楽


旅行していて大晦日にコンビニでお弁当を買って食べて早めに寝るなんてありえないが、いまは西葛西に「住んで」いるのだから当然のことである。
起きて1/1になって、葛西臨海公園の方に散歩した。

 

暫定的でありながら住人なので、公園の謎の遊具を観察する心の余裕がある。

やはり23区は資金が潤沢にあるのでお子様のむき出しの欲望に応える遊具が備えつけることが可能なのだろう。

 

このへんの遊歩道の雰囲気は多摩ニュータウンと共通の雰囲気。

 

昔このあたりは海で、あさりやはまぐりが採れたらしい。葛西臨海公園にも生息はしているらしいけれど、採集は禁止されている。

 

激しく寄り道を重ねて1時間ほどで葛西臨海公園に到着した。

元日の朝なので特に人がいないと思われる。

 

広場も人がいなくて富士山もよく見える。


そうはいっても昼になると人が増えてきたので、昼にはホテルに戻った。
自宅にいるときもお茶は沸かして飲むことが多いので、ティーバッグを持っていって紅茶を淹れて飲んだ。

湯呑みで紅茶を飲むのは楽しい。

セブンイレブンで買ってきたレーズンサンドを食べながら文學界の新年号を読んだ。


1/2は前日と同様、午前中は散歩。

荒川を渡って南砂町に行って戻ってきて午後は昼寝したり読書をした。これが旅行なら「ほかに名所があるのに行かないのはもったいない」などと思うところだが、暫定的でありながら住人なので、ほかに名所を見つけたらまた別の日に行けばいいじゃないと思うのだった。

 


1/3に至っては、湯呑みでコーラを飲むようになってしまった。コーラは色が濃すぎてピントが合わせにくい。

 

遅めに暫定的住居を出て、旧江戸川を伝って浦安まで行って夕方に戻ってきた。
このときはさらに住んでいる感じにしたいと思ったのでカメラは持たなかった。写真はスマートフォンで撮った。

 

「名物を食べなきゃ」という気持ちにもならなくてよい


この暫定的居住生活で食べたものでもっとも特別だったのがタンメンで、あとはローソンとセブンイレブンを交互に使った。

暫定的住居であるホテルでよくも悪くもない窓の外の景色を眺めながらお弁当を食べたりセルフうどんで釜玉うどんをいただいたりしたのである。
西葛西はインド料理店が充実しているのだが、年末年始は閉まっているし、そもそも特別なごはんを食べたいという意気ごみもさほどなかったので、それでよかった。

 

 

1/4の午前中に西葛西を出て帰宅した。


実質3日半の西葛西での暮らしだったが、やはり海沿い川沿いに暮らすと散歩が充実すると実感した。住むつもりだったが旅行気分も副次的に発生してしまったことは否定できない。多摩ニュータウンも遊歩道の長さが日本一なので散歩に向いているのだが、緑道を通って橋をわたり、葛西臨海公園まで行って帰ってくるコースが楽しすぎて、また住みたいと思ったのだった。

 

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「海の京都」宮津の化粧地蔵にカルチャーショックを受けた

たとえば東京都民が本州を離れて沖縄の離島を旅すれば、建築がまったく本州のそれと異なり、同じ日本語圏なのに本州の文化とはぜんぜん違う異国に来たときのような感動を覚えるはずだが、本州を旅するときはどうだろう。沖縄でのような異文化との出会いは想定しないはずだ。細部は異なれど、東京と同じ文化圏だと思って行動しているはずだけれど、先日、京都北部の宮津で異文化に接して感動したので記念に書いておきたい。

 

参考情報として、わたしがふだん散歩で眺めている多摩市の貝取神社のお地蔵さん。

多摩ニュータウン開発のときに近辺の神社から合祀されたらしいのだが、お地蔵さんもそうなのかは知らない。近くに17世紀のお地蔵さんがあって、それは鎌倉街道沿いにあったものを動かしたらしく、もしかしたら彼らの出自もそうなのかもしれない。

マスクにも年季が感じられるようになったが、疫病が終息したら外したりするのだろうか。それとも意図的に外すことはなく、千切れたり飛ばされたりしたものからマスクなしになるのだろうか……。

 

雨よけのあるものもございます。

 


真ん中の赤いところがよくわからないと思うので寄ってみます。

つまり、頭の先しかないお地蔵さんに帽子を編んだ優しい人が近所にいるということ……多摩ニュータウン最高!

 

 

最高だったので話がそれてしまった。

京都から西舞鶴(ここの話も後日書きます)を経由して宮津に行ったのだが、道傍の祠に目を遣ると、中がなんだかカラフルである。

「ええい、ガンダムを映せ!」と思いながら(注:つまんないと思ったかもしれないですが、この台詞が大好きなので我慢してください)近づいてみると……

 

お地蔵さんに彩色している様子だがよく見えない。

そして、背後に字が書いてあり、昔からあるお地蔵さんの上に彩色しているようだ。

 

これも、「ええい、ガンダムを映せ!」案件であるが、彩色がよりガンダム寄りであり、ガンダムを見せてあげようという配慮が感じられなくもない。

 

 

最初に見かけたときは、地方でときどき見かけるインディーズのお寺で、敷地内にあったお地蔵さんを超解釈で塗ったりしたのかしらと思って写した。スペインのキリストの絵みたいな感じでエキサイティングだと感激したのだが、さらに町を歩いていると……。

ぜんぶ塗ってあるじゃん!(大阪出身だけれど、こういうときは「じゃん」を使いたくなる)

 

鈍感なわたしも、さすがにこれはこの地方特有の文化なのかもしれないと気づいて、「宮津 地蔵 色付け」で検索したらすぐ出てきた。「化粧地蔵」といって、どれもピカピカなのは、毎年地蔵盆のころに、地域のお子様たちがお色直しをしているからだった。なんて楽しい行事なのでしょう。

 

これはビルができる前からあってビルを建てるときに配慮した風で感動的。

 

これだけ多く卍があったら1つくらいは誰かが間違えて外国人がびっくりする感じの記号になりそうなものだが、描く前に「卍を描くときは全集中の呼吸やで!」などと教えこんだのかもしれない。

 

そして、自由に塗っていいはずなのに、顔は白が多くて、バイアスがかかっている。これもあと50年くらいしたら茶色が増えてきたりするのかしら……。

 

こちらは色遣いにおいて最も独創性があったのだが、首から下について、やはりガンダムを映せと思ってしまった。

 


事前に把握できていればたくさん見ることができたはずだけど、「宮津 名所」でこの愉快なお地蔵さんが出てくるはずもなく……ただ、異文化との出会いが突然だったおかげでいっそう感動したので、よい体験ができたと思う。これからも旅行中はキョロキョロしながら歩いていこうと思ったのだった。

 

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「公園の中に謎の現代アート」みたいなのが(質を問わず)好き

風景の中にアートが潜んでいるみたいなのが好きなのだが、アートにあまり詳しくないのでどこに潜んでいるかよく知らない。知っていたら知っていたで、驚きがなくて興ざめしてしまうかもしれないので、このままでもいいのかなと思っている。

 

以前、太宰府天満宮に行ったとき、浮殿の中に運よく金属の塊があって、一瞬戸惑ったものの、出会えてよかったと思った。

神道にピュアなイメージを抱いている人にとっては好きな風景ではないのかもしれないけれど、神社の建物の中に金属のひとつやふたつあってもいっそうマジカルな気分になってよいのではないかと思う。

 

近所でも、ここまで凝っていなくてもよいので、こういうの感じのものを見たいと思っていたのだが、昨年、近所―といっても徒歩30分程度だが―の原峰公園に愉快なオブジェが置いてあるのを発見して楽しかったことを思い出し、今年も見たいと思って先日行ってきた。詳細はここにあるが、2022年は10/4から11/23までやっている。

 

多摩市内の公園は、里山を少し整備しているものが多く、平地があまりないのが特徴で、あまりにも平地がなさすぎる場合は「緑地」という名前で呼ばれている。原峰公園は、限りなく緑地寄りの公園で、永山駅から歩いていくと公園の入口とは思えないような入口がある。古くからある門ではないが、歴史を感じさせるたたずまいで大変思わせぶりで最高。

 

狭い道を歩いているとシャイニングみたいだなと思うが、モサモサしすぎていると追い詰められている感じはしない。とはいえ日常から非日常へ抜けるトンネルを歩いている気分になる。

 

トンネルを抜けると、いつもは朽ちた空間があって、立入禁止の札やテープがあるはずなのだが、立入禁止にしては表示が多すぎる……と思って近づいたら、これが立入禁止のメッセージはないと理解した。

 

近くにはギリギリのベンチがある。

純粋に悲しいお知らせである……。なんなら、この張り紙に美を見出したっていいんだぜ……と自分に言い聞かせる。

 

多摩市と川崎市の境界あたりでも以前同じような展示をしていて、そのときにも木に布をぶらさげているのを見た。屋外の自然のなかのアートだと定番のようなものかもしれない。

 

昆虫と人間の共生について考えさせてくれる作品……と思ったらマジなやつだった。

最近「スズメバチがいるから立入禁止」みたいなのをよく見かけるようになったのだが、スズメバチが増えているのか、増えてはいないが、怪しい中年男性みたいな存在の絶対数が減って、相対的にスズメバチに意識がフォーカスするようになってきたのかはわからない。

 

そして木を縛ったりするのも見かけたことがあるが、こういうのがないと寂しいと思うので、来年以降も二番煎じでもなんでもいいので木を縛って「いつもの木がこんなになって……」という予定調和的な困惑を与えてほしい。

 

これもアイデアは非常にシンプルだが、存在感があってすてきなので、来年も同じ展示をお願いしたい。

 

そしてこれは遠くから見たら生えているように見える。

……が、近づくと切り株のまわりを囲むように葉が植えられていて感動した。切り株の寂しい感じが一掃されていた。

 

また、祈りを捧げたくなるようなオブジェもあって、通年でここにあったらいいと思った。

 

木にグロテスクな加工がされていてアール・ブリュットみたいやな……と思ったら椎茸の原木だった。生えてきたらより素晴らしい造形になるに違いない。

 

公園の中に、おそらく昔からある神社が囲われて入れなくなっているのだが、鳥居が色鮮でアートと見分けがつかない。

 

これは完全にどこまでがアートなのかわからなかった。三角コーンは接近を禁止するためのものに見える。

しかし、近づくとケーヨーデイツーのシールが思わせぶりに貼ってあって、木のオブジェと対照させるためのオブジェなのかもしれない。

 

ここを斜面ではなく公園にしているのは橋と池であるが、池も容赦なく謎のオブジェに占拠されていて胸のすく思いである。

 

橋は、少なくとも今はそのまま進んでもスズメバチ出現ゾーンで通行禁止になっているので引き返すほかない。

この橋自体、経年劣化でそろそろ再築が望ましいが、いまや行って戻るだけの機能しかもたない橋の補修に多摩市は公費を使ってくれるだろうか……こういうときのために、わたしはふるさと納税を我慢していて、多摩中央公園近辺のリニューアルが順調なことを喜んでもいる。

 

また、ここにはむかし武家屋敷があったらしい。このことをもって心霊スポットとみなされてもいるのだが、人がそんなに多くないのがこのせいだとしたらありがたい。


遊べる展示もあった。

押しこむと泡が出てくるのだが、「押しこむ」と「泡が出る」の因果関係について、頭では理解していても視覚化されるとちょっとした魔法のように思えた。

 

いちばんびっくりしたのはこれで、遠くから見ると宙に浮いているように見えた。

 

これは作品ではなくてバリケード……のはず。

なぜ長方形のところだけ錆びていないのだろうと思って触ってみたら、透明なテープが貼ってあって、保護されていたから酸化を免れたと理解した。

 

どこまでが日常の風景でどこまでがアートなのかがわからなくなってくるが、美しいと思うものは何なのか、アートとアートでないものたちから問いかけられているような気分になった。われわれが鑑賞者なのか生活者なのかもわからない。強いて言うなら生活の中に鑑賞が含まれていて、鑑賞という行為も必ずしも一方的に見つめるだけではなく、相互的なものだと思う。

 

よく見ると安全上問題があるものもあって、「子供が怪我をしたらどうするんだ」などと野暮なことを言いはじめたらたちまち終了してしまうかもしれないが、長く続けてほしいし他でも見たいと思っている。

 

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「立川=飛行機の町」と思いたい一心で、一式双発高等練習機を見てきた

東京にきて30年以上経ったが、立川によく行くようになったのは7~8年ほど前、多摩ニュータウンに引っ越してからのこと。東中野に住んでいたころは、買い物といえば新宿や渋谷だったので、立川に行くきっかけがなかった。立川という町のことをよく知らず、「駅の近くに大きな公園がある」程度のイメージしかなくて、その公園の由来もよく知らなかった。高度成長期に多摩丘陵を切り拓いて作ったのだろうと思っていて、立川飛行場の跡地だったと気づいたのも最近のことだった。


立川駅から北には、空き地がちらほらあって、それらも昭和記念公園と同じく飛行場や軍需工場の跡地だった。終戦後も米軍に接収されていて、返還されたのが昭和52年のこと。『宇宙戦艦ヤマト』の映画が公開されてブームになったころで、返還後も最近まで空き地になっていたところもある。

 

立川駅の近くは、飛行場のあった町でありながら、その歴史を明示することはなく、駅前に飛行機の小さなオブジェがある程度。

 

立川駅のオブジェといえば、わたしの中ではちょっといい感じのブロンズ像やら木人である。

北口デッキのアーチ、昔は空色だったと聞く。部材の保護のために塗替えたようだけれど、市民に意見を募集してこの色になったらしく、市民の中でも「立川=飛行場のあった町」というイメージは希薄なのかもしれない。

 

いっぽうで駅から北に少し歩くと歴史の痕跡が感じられる。


立川飛行機を前身とする立飛ホールディングスが2020年に開業したグリーンスプリングスのカスケードは滑走路をイメージして作られたらしく、飛行機を思わせるオブジェがさりげなく配置されている。

人気の少ない夕方などに行くとくつろげてよいのだが、ぜいたくを言わせてもらえるなら、もっとダイレクトに昭和史を感じたい……より具体的には飛行機工場の雰囲気を色濃く残す立飛ホールディングスの敷地内に入ってみたい……とかねてから思っていた。

 

 

この写真は5年ほど前に「入りたいよぉ……」と思いながら外から撮った写真。

イカした給水塔もあって、いつか入りたいと思っている。

 

チャンスは突然到来した。かつて立川飛行機が作っていた一式双発高等練習機が、わずか数日だが公開されるとのニュースがChoromeのトップページのおすすめに出てきた。すばらしいおすすめの精度である……しかも最後の一般公開とのこと。
悔いのないよう、隅々まで撮影してきたのでご覧いただければ幸甚である。

 

入口で簡単なチェックを済ませれば、あこがれの立飛ホールディングスの敷地内。

いつも外から眺めていた工場が間近にあって、それだけでも感激である。

 

中は広々としている。ここなら飛行機が作りやすかろう。

 

この表示などは米軍接収時代に書かれて、返還後、せっかくだからと思って消していないのだと推測してロマンを感じ取ったのだが、実際のところはどうなのかは知らない。


一式双発高等練習機は1941年に採用された多目的練習機で、1,342機生産されたが、国内に現存するのはこの機体のみ。エンジントラブルで十和田湖に不時着して水没していたものが2012年に引き揚げられたのだった。

入口を入ったところに模型があった。

模型のおかげでこのあとの断片たちの理解が捗った。

 

本体の前に部品コーナーがあり、飛行機の構造がまったくわからなかったので、つまみがMoogみたいだな……などと大雑把な感想を抱いた。

 

 

これが見ての通り機首部分。

ガラスはほぼそのままの姿。

 

プロペラはぐにゃりと曲がっていて衝撃の強さを物語っている。もともと曲がりやすい構造なのかもしれないが……。

 

側面。70年間水没していたといっても、沈んでいたのが淡水湖だったからか、肝心なところの塗がかなり残っている。日光にさらされた看板などで、「犬の糞禁止!」などのメッセージの大事な部分が赤字だったために、「犬の糞!」と読めてしまって犬の糞を賛美しているように見えてしまう現象とは正反対である。

 


会場の年齢層は高めで、特に高齢の男性は機体にべったり張り付くようにしてご覧になっている方が多かった。戦争のころの思い出を重ねているのかな……と思ったが、よく考えてみれば、物心がついたときが戦争中だったのは、どんなに若くても80歳で、70代ならむしろ『戦争を知らない子供たち』を反戦コンサートで歌っていた世代のはずである。わたしも歳を重ねる中で、「老人=戦争体験者」のイメージをアップデートできないでいる、『戦争を知らない子供たち』を知らない子供たち、あるいは、『戦争を知らない子供たち』を聞かずして若者を非難する歌であると早とちりして憤慨する子供たちなのである……。

 

機体の中も覗き放題だった。

 

ボロボロなので戦争の悲惨さetc.などと連想しがちだが、この件に限っていえば練習機が不時着して水没したので、悲惨さを感じたいのであれば腐食することについて感じるのが正しい。

 

多目的練習機なので、射撃や写真撮影などの訓練もできるよう、運転席まわりのスペースも戦闘機と比べるとゆったりしている。もし相性最悪の教官ー―叩きあげで、何をしても「帝大を出ているのにこんな簡単なこともできないのか!」などと言ってくる教官を想像し、それとこれとは別だというのを理解していただきたいと思った―についたりしてもなんとかやり過ごせそうな気がした。

 

尾部のランプに突然生々しさを感じてしまった。そのまま点灯しそうに見える。

 

また、一式双発機だけでなく、戦後に立川飛行機が製造した機体もグリーンスプリングスに展示してあった。

R-53型軽飛行機。

高所恐怖症なのでこんなスースーしたのは乗れない。戦後の飛行機だが戦争の恐ろしさを重ねて恐怖してしまった。

 

立飛のロゴが最高。

 

これはR-HM型で、操縦席に乗ることができたので、親子連れに混じって並んで乗れた。小型だけれどシートの座り心地はなかなかよろしく、戦後を感じた。

 


今回の体験で、「立川=飛行機の町」という記憶が強化されて、IKEAに行くだけでもワクワクするに違いない。まあIKEAはふつうに行ってもワクワクするけど……。

以前から入ってみたかった立飛ホールディングスの敷地内に入れたことだけでもお釣りがくる大変有意義な体験だった。飛行機の公開は大変なのはわかるので、たとえば「特に何もないけど出入り自由」みたいなイベントがあったらいいのに……とも思った。

 

 

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下戸で漫画音痴が調布のジャクソンホールに行って10年のモヤモヤを一掃した話

セルフうどん店でカレーうどんを食べながら、「いつも同じ店でごはんを食べる人は老化で前頭葉機能が低下している」という主旨の記事を見て、あまりにも当てはまりすぎて認めるのがつらかったので、反射的にサバサバしている女の漫画を読んでしまった。サバサバしている女の漫画は広告でもよく見かけるが、「サバサバ」で検索しても上位に出てくる。擬態語がひとつの漫画に占拠されるさまはなんともエキサイティングである。その漫画は、「女の敵は女だ」から始まるので、こちらはこちらでつらかったのだが、それはともかく、たしかに、新しい店に行くのがおっくうという気持ちはわたしの中にある。そしてその気持ちがわたしの暮らしを貧しいものにしているという強い自覚もあった。なので、しばらくカレーうどんは控えて、なるべく行ったことのない店に行こうと誓ったのだった。

 

わたしにとって「行ったことのない店」の筆頭は調布にある有名なバー、ジャクソンホールである。このお店ほどわたしにとって近くて遠い店はなかった。わたしはかつて調布市に暮らしていて、調布の天神通りを抜けたところに有名なバーがあること、その店は『NANA』という有名な漫画に登場し、特にハンバーガーが名物であるという情報をキャッチしていた。お店のすぐそばに通っていた美容室があり、引っ越してからも月1回はこの店の前を通っていた。行ってみたいという気持ちと、行くのは今ではないという強い気持ちがあって、行きそこねたまま引っ越してしまい、お店の存在を知ってから10年以上、行かずじまいだった。行かなかった理由はふたつあった。

 

【懸案事項①】お店のたてつけとしてはバーなのに下戸がハンバーガー目当てで入ってもよいのだろうか
バーといえば、ふつうはビールやら何やら(下戸なのでアルコール類の知識が乏しく「ビールやら何やら」という漠然とした言い方しかできないことをお許しください)を楽しむのが主で、おつまみのようなもの(これも漠然としていて申し訳ない)を伴い、ハンバーガーが名物になっているバーであれば、〆としてハンバーガーをいただく(またしても下戸なのでアルコール愛好者の気持ちを想像できず、よく言われる「飲んだあとの〆のラーメンは最高」みたいな感じで「飲んだあとの〆のハンバーガーは最高」と認識されているのではないかと推測してみました)……という流れだと推測しているのだが、もしそれが正しければ、お店に入るなりハンバーガーを頼むような客は歓迎されないのかもしれない。そもそも利益率の高いビールやら何やらを頼まないというのもいかがなものか……と思っていたのである。


【懸案事項②】『NANA』にある程度詳しくなってから行った方がよいのではないか
そして、この店は『NANA』という作品とともに語られることが多いが、残念なことにわたしは『NANA』を読んだことがない。作中に「へえ、あんたもナナって言うんだ」というセリフがあると聞いたことがあるが、実際はそんなセリフはないという説も聞いたことがある。真偽はどちらでもよいのだが、わたしの名前はいちいち同じ名前かどうかを気にしてはいられないくらい多い名前なので、『NANA』のように、同じ名前であることがきっかけで物語が動きはじめたりはしない。読んだことがないので『NANA』も実は物語が動きはじめていないという可能性もあるが……もしかしたらふたりのNANAがたこ焼きパーティーをして、タコ以外の具を入れてもおいしいことを発見してfin……という物語なのかもしれないが、それはともかく、『NANA』を読んでから、「これが、NANAの中肉中背の方がこよなく愛していたというジャクソンホールのハンバーガーか……」などと感慨にふけりながらハンバーガーを食べた方が楽しいはずで、つまり『NANA』を読破しないことにはジャクソンホールには行けないということになる。しかし、『NANA』は21巻もあり、週末がなくなってしまうほどのボリュームで、全巻買うとジャクソンホールに何回か行けるほどの出費になる。漫画喫茶に籠もって読む手もなくはないが、ジャクソンホールのハンバーガーに想いを馳せつつ山盛りポテトを食べてしまったら認知的不協和が起きること間違いなしだ……。


これらの懸案に対して決定的な解決策が出せないまま、ジャクソンホールのことを考えすぎて、ジャクソンホールに行った記憶が捏造されつつあった。ちょうど人工知能が描く絵のように、遠目に見るとそれっぽいが近づいて見ると細部のあちこちに違和感を覚える部分がある絵……こうなってしまっては実際に行ってみて記憶に補正をかけないと、人工知能が描くバーの領土が拡張され、布多天神社や、はては深大寺や三鷹駅に至るまで記憶が変形していき、ついには世界そのものの認知が歪みきってしまう懸念すらある……これはまずいと思って調布に急行したのだった。

 

布多天神社側から見たジャクソンホール。情報量が多い。

そして、ランチタイムに開いているということは、アルコールを飲まない人も想定しているのだろうと思うことにし、開店直後に入った。

カウンターに案内されて安心した。

 

4人テーブルに案内されてしばらくするとお客さんがたくさん来て、場所を専有してしまって申し訳ありませんという気持ちにならなくてすむから安心感がある。
西部劇の視聴経験が浅いため、このテーブルがそれっぽいテーブルなのか、このお店独自のテーブルなのかわからなかったが、来てよかったと思った。布多天神社のすぐそばに異世界があったのだ。

メニューはいろいろハンバーガーがあったが、迷わず「プレミアムジャクソンバーガー」とポテトとドリンクのセットを選んだ。そして、初めてジャクソンホールに来たこの佳き日にこれだけで帰るのはもったいないので、久しく食べていないフィッシュ・アンド・チップスもお願いしたが、お店の人にポテトポテトになるがよいかという主旨のご確認をいただいた。むしろ望むところだったが、確認してくださるとはありがたい。西部劇に出てくる店で「フィッシュ・アンド・チップスにもポテトがつくことになりますがよろしかったでしょうか」などと聞かれることはないだろうし、そもそもフィッシュ・アンド・チップスはイギリスだし……などと考えている間にハンバーガーができあがった。

 

すばらしいビジュアル。わたしが漫画家だったら、やはりいい感じでジャクソンホールを漫画の中で登場さたいと思ったことだろう。
バンズが見てわかるとおり香ばしくて甘い。肉はハンバーグというよりもハンブルグステーキと呼びたくなる粗挽き感で贅沢な気分である。『NANA』の登場人物は読んだことがないなりに10代後半から20代前半と推測してみたが、同じ年齢のわたしは、こんなすてきなお店に行ったことはほとんどなく、わたしが『NANA』の登場人物なら、1巻まるごとジャクソンホールの巻になっていたと思う。

 

続いてフィッシュ・アンド・チップス登場。

思ったより平べったくて意外に思ったが、一口食べてみて魚のおいしさに感動した。フィッシュ・アンド・チップスのフィッシュには鱈が使われるものだが、おそらく甘鯛だと思う。フィッシュ・アンド・チップスはもともと大好きだがそのフィッシュが甘鯛になったらもう……サイドメニューでこんなに感動してもいいのかしら……。

 

あっという間に食べつくしてしまったが、素敵な空間とおいしい料理……やはり気になる店には入っておくべきと強く思ったし、わたしの前頭葉の機能が大して損なわれていないということも証明されて安堵したのであった。

 

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日本陸軍の火薬工場とU.S.A.を少し確認できる「稲城フェスティバル」

稲城に日本陸軍の火薬工場(造兵廠火工廠板橋製造所多摩分工場)の遺跡があると知ったのは多摩ニュータウンに引っ越してきてからのことで、はるばる猿島まで行かなくても旧日本軍の遺跡が見られてよいと思ったが、いまは米軍のレクリエーション施設になっていて入れないと知り、がっかりしたのだった。


話は横道にそれるが、「レクリエーション」という言葉は小中学生のときによく聞いた。遠足や宿泊研修の時間割に「レクリエーション」と書いてあって、その語の指し示すところについての説明は一切なかったものの、しりとりなどの退屈なゲームをさせられることが多く、真剣に遊ばないと先生に怒られることもあり、「レクリエーション=退屈な遊びを無理やりさせられること」と理解していた。re-creationのことだと知るのはずっとあとのことであるが、語義通りre-creationするのであれば、より強烈な刺激が必要になってくるので、野球拳やランバダなどが適切ではなかろうか……それはともかく、米軍のレクリエーション施設が年に1回だけ公開されるという話を聞きつけて稲城に急行(注:稲城駅には急行電車は止まらない)したのである。

 

ノーマルな感覚の持ち主であれば南武線の南多摩駅から歩くところだが、わたしは稲城駅からの徒歩30分のコースを選んだ。わたしが住んでいるのは多摩ニュータウンのなかでも初期に開発されたところなので、稲城のニュー(といっても30年前くらいにはなるが)なタウンにはまた違った魅力を感じている。

 

少し遠回りして城山公園に入ると見晴らしがよい。

遠くに多摩川にかかる是政橋があるが、今回は多摩川の西側(わたしは「こっち側」と呼んでいる)なので渡ることはない。


例年は真夏のころに行われていた祭りであるが、今年は3年ぶりの開催で、10月2日に開催された。

3年ぶりということもあり、入場の行列は200メートル以上あった。

 

30分ほど並んだが、Twitterを見ていたらあっという間で、そのことにうっすらと自己嫌悪を感じて発熱した気がしたが、それでも体温検査はセーフで、荷物検査も難なくクリアした。

 

入ってみると、意外なことに米軍施設であることを感じさせる要素は多くなかった。わずかな米軍要素にはカメラを持った人が群がって、ひとつも撮り逃がすまいとしていた。わたしは注意力が散漫なのでいくつか取り逃したと思う。

 

貴重なのはこの地図。

驚きのあまりぶれてしまったが、気を取りなおして脇をしめて撮影。

 

稲城フェスティバルで開放されるのは、この施設のなかで黄色い枠のところだけである。

 

右側はゴルフ場になっているが、左側は火薬工場だったときの施設をそのまま生かしていると推測される。「Shogun Cabin」「Samurai Cabin」の名を見て、敗戦国であることを実感するが、問題があるとも思わない。

 

しかし、この地図を見て感慨に耽っている場合ではなかったのである。敗戦国であることを実感することは思想信条の自由であるから問題ないのだが、フードコーナーの行列がみるみる長くなっていたのだった。わたしが慌てて並んだころには、行列はフードコーナーの隣のソフトボールのグラウンドを半周ほどに達していた。

そして入場するときの行列よりも目的がはっきりしている(食料の調達)ので、待ち遠しさがひとしおである。

 

並んでいる間、道路を挟んで向こう側のリサイクルセンターを眺めていた。真ん中のがれきがマジカルな仕掛けによって右側の砂山になるようだ。

 

テントの近くまで来ると「本物をサンプルにしているからラップの中が曇ってよく見えないやつ」があった。本物をサンプルにしているからラップの中が曇ってよく見えないやつ大好き!

右下が、全員が狙っているステーキなのだが、わたしの5組くらい前で終了……3年ぶりの開催で来場者数が読めなかったようだ。検索しても、以前はここまで行列が長くはなかったようなので、来年以降また行こうと思った。

 

わたしが得たのはハンバーガーwithポテトチップス、ホットドッグwithドリトス、そして水。

 

水が飲みたかったわけではなく、早々に他の飲み物が売り切れてしまったからであるがジャングルの中で泥水を飲みながら進軍するのに比べればミネラルウォーターをいただけるというだけで御の字である。

 

すごいアジア感のある名前と思ってラベルを見たら韓国産だった。同盟国じゃん!最近韓国を同盟国と実感することが少なかったので同盟を確認するような気持ちで飲んだ。

 

ハンバーガーとホットドッグは驚くほどシンプルな姿で、そういうものだ、ピクルスやケチャップなんて甘えにすぎない……と思って食べた。ランチにスナック菓子を食べる雑な感じもわたしのU.S.A.のイメージと合致する。最高じゃんと思ってあっという間に食べつくしたが、ほどなくして、ピクルスやケチャップのコーナーがあって、そこでオプションを調達すべきだったことを知った。いい仕組みで、次回伺うときは必ずや大量のピクルスを……と思ったのだが、もし日本にこのあと食料が配給制になるような悲劇が起きたとして、わたしは満足に食事にありつけるのだろうか……と不安になった。

 

満腹中枢を無理やり黙らせることに成功し、正気にかえったので、ふたたび施設内を歩くことにした。

policeを和訳するとこうなるんや……。

 

稲城フェスティバルは、ピクニックエリアにある野外ステージでの主に和洋折衷的な演奏で、必要なエリア以外は立入禁止になっている。

 

この祭りの中で見える旧日本軍施設は、地図上で「202」「207」と書かれている建物。

これが202。物置のような外観である。

 

テニスコートの向こうにちらりと見えるのは207。

これも倉庫のように見えるが、今はここでアメリカンジョークを言いながら着替えたりしているのかもしれない。

いつか「Shogun Cabin」「Samurai Cabin」でクラブイベントが行われることを願っている。

 

入口には子供用のゴルフ場があり、おそらく稲城フェスティバルの中で最もU.S.A.らしさを感じられるゾーンである。

 

 

そういえば志村けん先生はコロナで亡くなったね……。

 

ミッキーとジェリーがフュージョンした感じ。

 

昔のプレイステーションの海外のゲームの3Dモデルってこんな感じのが多かったよね……こんな細かいところに共感してくれる人がいるか知らんけど……。

 

「日本軍の火薬工場がわりとそのままの姿で米軍のレクリエーション施設になっている」という状況はそんなにないので、行けてスッキリした。並んでいる時間と中にいる時間がだいたい同じくらいだったが、来年はそのへんもバランスが取れるだろうし、また行きたいと思った。

 

ただひとつ、心残りだったステーキへの執着が数日後にターリー屋に行ったときに暴発した。サーロインステーキお肉ダブルキーマライス定食を頼んでスッキリした。

 

多摩ニュータウンにきてくれないだろうか。若葉台なんかピッタリだと思うのだけれど……。

 

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