特急「しおさい」で銚子が身近になる
醤油工場が思いのほかメカニカルで工場好きの人にもオススメ
年末なので操業はしていなかったのかもしれないが、駅を降りてから香ばしい匂いがしていた。醤油が正体だったとは。
多摩市民、利根川>>多摩川であると知る
見たいタイミングで登場する古刹、圓福寺(飯沼観音)
朝から豪華な定食がいただける場所を発見
まだ利根川にいるのに海感がすごい
千人塚で銚子の自然の厳しさを知る
銚子ポートタワーのチート感
年末なので操業はしていなかったのかもしれないが、駅を降りてから香ばしい匂いがしていた。醤油が正体だったとは。
買い物をしたときにレジで何とあいさつすればよいのかについて、少なくともわたしの中で明確な結論が出ましたのでご笑納いただきたい。飲食店での「ごちそうさまでした」に相当するフレーズを編み出すのに苦労したが、結論を出すのにここまで時間をかける必要はまったくなかったと後悔している。ただ「ありがとうございます」と言えばよかったのだ……。
わたしが初めてレジで金品を取引したのはおそらくこの店。
記憶にはないが、母から命ぜられてお遣いに行った可能性が高い。今も昔も人と話すことは好きではないので、わたしが自らの意思で「おつかいにいきたい!」などと言うはずもないのである。お遣いを命ぜられるとき、「品物とおつりをもらったら、ありがとうと言うんだよ」と言い添えられたに違いなく、わたしは「ありがとう」と言ったか、あるいは言えなかったかの二つの可能性がある。
決して無礼を働きたいと思っていたわけではないが、知らない大人と口をきくのが恥ずかしいという気持ちが勝ってしまってずっと無言だった。ガンダムのブラモデルを買うときもファミコンのディスクシステムの書き換えをお願いするときも学習参考書を買うときも裏本を買うときも無言を貫いた。買う物の種類が変化しても無言であることには変わりなかったが、とくに敵意があるわけではなかったので軽い会釈くらいはしていたはずだ。
思春期の定義を「レジにおいて無言であること」とするのであれば、わたしの思春期は二十代の終わりまで続いた。好きな人といっしょに買い物をしたとき、「どうも」と言っていて、なるほど、それくらいは言うべきだし、なぜ今まで無言だったのだろうと反省し、さすが好きな人だけあって行動がスマートだなとそのとき思ったのだった。
そして「どうも」時代が30年くらい続いた。安倍晋三内閣・桂太郎内閣・佐藤栄作内閣の期間を足したよりも長い超長期政権だったのだが、ある日とつぜん思ったのである。「どうも」ってそんなに感じよい言葉ではないし、そもそも意味がわからない。「どうも」に変わる一言が必要なのではないかと。わたしに「どうも」のよさを教えてくれた人も、思いかえしてみると、飲食店の店員さんに対してはわりとぞんざいな応対だった。
単にレジの人がお会計だけなら「どうも」で通したのかもしれないが、宅急便の送付をお願いすることもあるし、荷物の引き渡しをお願いすることもあるというのに「どうも」の三文字だと感謝の気持ちとして割に合わないと思うようになってきたのである。
「どうも」のもともとの意味は「どうにも言えないほど」なのだが、どうにも言えないにしても、せめて何に対してどうにも言えないのかくらいははっきりさせた方がよいはずで、「こんにちは」→「ちわ」→「チーッス」と同じくらい、ぞんざいな言い方のように思えてきた。
「どうも」の代案として最初に思いついたのは、そのあとに省略されている「ありがとうございます」で、「どうも=言葉にできな~い」と毎度言うよりも「ありがとうございます」の方がよいように思った。
そこに思い至ったのは半年ほど前なのだが、「ありがとうございます」だとtoo muchで気持ち悪いと思われるかもという気持ちがあった。さらに「ありがとうございます」だったら取引先の人みたいじゃん……でも「ありがとう」だと、「どうも」並みにぞんざいな気もするし、ドゥルッティコラムじゃあるまいし……などと空中にのの字を書いていたりしたのだが、でもtoo muchかどうかなんて気にしていないのでは、日本語非ネイティブの店員も増えてきているので、わかりやすさを重視した方がいいに決まっている、と思いなして、「ありがとうございます」と言うようにしたのだった。
「ありがとうございます」だと店員さんへの感謝の気持ちが伝わる(ような気がする)のだが、その一方で、店員さんのレスポンスが悪いと、どちらが客かわからない感じになってしまう危険性もある。そのときは同じ「ありがとうございます」でもトーンを変えて「ありあとうおざーます」くらいに子音を落として発話することでバランスを取ることにしている。もっとも助かるのは、わたしが「ありがとうございます」と言ったあと、お店の人が「ありがとうございました~!」と返してくれるときで、わたしの発言はたちまち過去のものとなり、ありがとうございます劇場の幕が下りるのであった。
かくして「ありがとうございます」政権が樹立されたのだが、この政権はおそらく長期政権と思われるし、わたしが好々爺になったら(どちらかというとそれを望んでもいるのだが)、森羅万象に対してありがとうございますをいう気持ち悪い翁が誕生してしまう。よく行くコンビニエンスストアでは「感謝マン」と呼ばれている可能性がある。しかし、若い皆様におかれましては、森羅万象に文句を言う老人よりは多少はましだとポジティブにとらえていただければ幸甚でございます。
年末年始に銚子に行ってきて大変感動したので何回かに分けて紹介させていただきたい。
銚子電鉄の終点は外川だが、手前の犬吠で降りる人が多い。観光客にとって銚子≒犬吠埼なので、ノーマルな観光客は犬吠止まりなのかもしれない。アブノーマルな観光客であるわたしは犬吠だけでなく、時間もたっぷりあるのでさらに南下してみたら楽しいかもしれないと思って、ろくに調べもせず銚子の南の端を歩いていた。すると、丘から妙なオブジェが見えるではないか。
釣具店の看板かしら、もしそうなら販売中のゴカイやアカムシが密集している看板にするのが合理的である。しかし、合理性をとことん追求するならエステティックサロンの中吊り広告は謎の丸っこい機械の写真になるはずだが、実際は成果を示すつるつるの美女である。同じくこの釣具店は釣果を看板としているのかもしれない……などと思いつつ検索してみたら、どうやら長九郎神社という神社らしい。もちろんすぐに行きたいが、GoogleMapはしばしば山道はないものととして扱うので、神社へのアプローチ方法が不明だった。坂道を適当に歩いていたらたどり着けるのではと思ってうろうろしていたら、探している神社とはちょっと違うが、いい感じの風景と用途不明の建物を発見。
西宮神社という神社のようである。
念のため建物の中を視察するが詳細は不明。
B29の襲来をキャッチする建物かなと思ったけど、そこまで古くない感じがする。
ナイスな売物件も発見。
近辺の中古一戸建ての相場を検索して物件の価格を推定し、住みたいと思ったけれど仕事どうするのよと一瞬で正気に戻った。
丘を登りきったところでキャベツ畑と携帯電話のアンテナの向こうに鳥居を発見。
たとえ農作物でも、緑がモサモサしているところに鳥居があるとここに神ありと思う。信じるかどうかは別として。
そして鳥居の朽ち方がすごい。
お賽銭を多めに献げる必要がある。
鳥居をくぐるとすぐに、先ほどのオブジェの真相が明らかになると同時に絶景が見えはじめる。
後者のインパクトが強すぎてオブジェの件がかすんでしまいそうである。
低木が茂っていて海は見えないだろうと思っていたが一面が海。
さきほど見えた鯛のオブジェは鳥居の一部だった。そしてサンマと鰯もあしらわれている。サンマだけカタカナ表記なのは「秋刀魚」という当て字が嫌いだからなのだが、それはよいとしてこんなにわかりやすい神社はない。
長九郎稲荷神社、もともとはその名前のとおり長久郎という漁師が建てたのだが、次第に老朽化し、2002年に社殿を新築した。2011年の東日本大震災で全壊してしまうのだが、再建を果たした……ということのようである。再建してくれてありがたい。
創建300年なのに創建30年感がすごい。
社殿に向けてボールを投げられるようになっているのも斬新である。神様もたまにボールを当てられる程度の刺激があった方がよいのかもしれない。
心の貧乏出て行け!
―個人的な経験から、物理的な貧乏が出ていってからでないと心の貧乏は出ていかないという認識を持ってはいるが、下部構造の問題が解決しないで上部構造が解決するならそれに越したことはない。
いろいろ集めてあります。
完全に未知の生き物になっているし、直した人もそのつもりだろう。
お賽銭は指を持っていかれないように注意して投入してくださいませ。
海側から上り下りするルートもあって、外川駅から長崎鼻への最短ルートにもなっている。
さきほどの絶景をいったん忘れて降りてふたたび登って「ワー絶景だ!」と思うのも一興。
いままで旅をしてきた個性的な神社仏閣は特に絶景でもないところにあることが多かったので、絶景と神社のたたずまいとのギャップに引き裂かれそうになったが、貴重な経験ができてよかった。わたしにとってここは銚子を代表する風景になった。
もし銚子に旅行することがあったら、ぜひ外川まで行ってみて引き裂かれてくださいませ。
実家を出て30年以上経つが、きょうまでエアコンのフィルターの掃除をしたことがなかった。エアコンのフィルターを掃除すると効果が段違いであるという話はインターネットの黎明期から何度も目にしてきたのだが、今でいう「秒で消える唐揚げ」などと同様だと考えていたのである。この「秒で」の長さは、定義では60秒を超えることはないはずだ。60「秒で消える」唐揚げがあったとしたら「分で消える唐揚げ」と呼ばれるだろう。では20秒はどうだろう。1分以下ではあるものの、「秒で」と言ったときに想起するイメージからは遠い。それなら、「数十秒で消える唐揚げ」と呼ぶ方がふさわしいと感じるからだろう。「秒で消える唐揚げ」における「秒」とは、最長でも9秒ではないかと思う。そして、「秒で消える唐揚げ」が実際に9秒以内に消えるかというと、そこも非常に怪しい。まず「秒で消える唐揚げ」は、揚がって盛りつけられた直後からカウントアップが始まるが、2秒程度でそのうちひとつを皿から箸で取って口に入れたとして、熱々の唐揚げを5秒で完全に飲みこまない限り2個目の唐揚げを口に運びきることは不可能で、つまり、供されて各々が「消」せる個数はせいぜい1個。「秒で消える唐揚げ」が仮に実在したとしても、味がよいということではなく、単に作った個数が少ないか大家族であることを意味するにすぎず、そうでないなら「秒で消える唐揚げ」は誇張だろう……けれども、ここで唐揚げの話がしたいのではなかった。
エアコンのフィルターを掃除するとエアをコンする効率が飛躍的にあがるという話は、せいぜい設定室温に達する時間が数分程度早くなる程度のことだと思っていて、鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギスと思って同じエアコンを掃除もせず10年以上使ってきた。掃除するには及ばないと高を括っていたのだった。エアコンのフィルター掃除の話はnot for meであると聞き捨て続けるうちに、エアコンは徐々にアンコントローラブルな領域に達していた。しかし、わたしはその原因にフィルターの関与度は低いと認識していた。ネンネじゃあるまいし、たかだかホコリが詰まっている程度のことで空気の流れが悪くなることはないと思っていたのである。きのうまでの状態を説明すると、室温を20度にするために、設定室温を26度にして風量も強にしていた。徐々にエアコンの性能が落ちていたので、そういうものかもしれないと諦めていたのである。たとえばデモの参加者について、主催者側の発表と警察の発表には数倍の開きがあることは常で、もし同様だと、設定室温を26度にしても室温は10度を切ることになるが、そこまでの開きではないため、経年劣化における機能の低下であり、受忍限度内だと自分に言い聞かせていたのである。
土曜の朝。きょうは休みだし、そろそろブログに何か書かないとアイデンティティの危機だと思いつつ、ブログを書くという行為以外に逃避したいとも思いながらベッドに横になっていた。高温の強風をオーダーしているにもかかわらずあまり暖かくないそよ風に包まれていたら、もしかして、エアコンのフィルター掃除が必要なのかもという気がしてきた。パネルを開けて見て気持ち悪かったらそっと閉じればいいだけだよねと思ってエアコンの電源を切ってパネルを開けた。想像していたよりも内部構造は簡単で、フィルターの脱着も簡単にできそうだった。するりとフィルターを取り出して眺めてみたが、たしかに10年貯めただけあってすごいホコリの量だった。とはいえ、わたしがふだん装着しているマスクと同程度の通気性はあるようにも見えた。そのまま付け直すのももったいないと思ったので掃除しようと思い、よき方法を検索してみると、エクストリームな状況のときは重曹がいいというような意味のことが書いてあって、これがエクストリームでなければ何がエクストリームなのかと思ったが、以前買って部屋のどこかにある重曹を探すのが面倒なのでぬるま湯で洗って、タオルで拭いてセットし直して電源を入れた。
すると、たちまち熱風が吹き出して、わたしの部屋に春がやってきてそのあとすぐに夏もやってきた。いつもの設定だとエアコンが効きすぎて夏になってしまうのだ。温度設定を下げて風量を自動にした。つまり、暖かくならないというだけでなく、莫大な電気代がかかっていたのである。そもそも、きのうまでのわたしはこのあとやってくる大寒波に対してわたしはどう対処するつもりだったのだろうか……。
暖かくて静かな部屋の中で、この30年で失ってきたものに思いを馳せたが、失ったものが多すぎて、数えているうちに週末が終わってしまいそうだ。
エアコンのフィルターを掃除することと同じくらい効果があるのに今まで見過ごしてきた案件がまだあるのかもしれない。そしてその宝のような案件たちを、インターネットの情報だから大げさに言っているのだろうと思って無視しているに違いないのである。大げさと思っても、悪くないと思ったら試してみるようにしよう。「秒でなくなる唐揚げ」も実在するのかもしれないし。
2023年になってしまうと書きづらいので、2021~2022年の年末年始の話を書いておきたい。
遠くに旅行に行くような気分でもなかったが家でゴロゴロすることも望まなかったので、どこかに住む感じにしたいと思った。東京湾沿いに暮らしてみたいという願望が以前からあり、夢の島近辺のホテルを探したら西葛西駅前のホテルが空いていたので、12/31~1/4に泊まってきた。
同じ都内だが、多摩ニュータウンの自宅からは1時間半くらいである。
旅行するときは何百枚も写真を撮ることが多いのだが、このときは住んでいたのであまり撮っていないため、説明が多くなって申し訳ない。
12/31の昼まで仕事をしており、仕事をおさめて高田馬場で高田馬場らしいごはんを食べてゲームセンターミカドで遊んだあと、西葛西に到着して、ホテルで本を読んで、お腹がすいてきたらセブンイレブンで適当なお弁当を買ってきて食べて寝た。
旅行していて大晦日にコンビニでお弁当を買って食べて早めに寝るなんてありえないが、いまは西葛西に「住んで」いるのだから当然のことである。
起きて1/1になって、葛西臨海公園の方に散歩した。
暫定的でありながら住人なので、公園の謎の遊具を観察する心の余裕がある。
やはり23区は資金が潤沢にあるのでお子様のむき出しの欲望に応える遊具が備えつけることが可能なのだろう。
このへんの遊歩道の雰囲気は多摩ニュータウンと共通の雰囲気。
昔このあたりは海で、あさりやはまぐりが採れたらしい。葛西臨海公園にも生息はしているらしいけれど、採集は禁止されている。
激しく寄り道を重ねて1時間ほどで葛西臨海公園に到着した。
元日の朝なので特に人がいないと思われる。
広場も人がいなくて富士山もよく見える。
そうはいっても昼になると人が増えてきたので、昼にはホテルに戻った。
自宅にいるときもお茶は沸かして飲むことが多いので、ティーバッグを持っていって紅茶を淹れて飲んだ。
湯呑みで紅茶を飲むのは楽しい。
セブンイレブンで買ってきたレーズンサンドを食べながら文學界の新年号を読んだ。
1/2は前日と同様、午前中は散歩。
荒川を渡って南砂町に行って戻ってきて午後は昼寝したり読書をした。これが旅行なら「ほかに名所があるのに行かないのはもったいない」などと思うところだが、暫定的でありながら住人なので、ほかに名所を見つけたらまた別の日に行けばいいじゃないと思うのだった。
1/3に至っては、湯呑みでコーラを飲むようになってしまった。コーラは色が濃すぎてピントが合わせにくい。
遅めに暫定的住居を出て、旧江戸川を伝って浦安まで行って夕方に戻ってきた。
このときはさらに住んでいる感じにしたいと思ったのでカメラは持たなかった。写真はスマートフォンで撮った。
この暫定的居住生活で食べたものでもっとも特別だったのがタンメンで、あとはローソンとセブンイレブンを交互に使った。
暫定的住居であるホテルでよくも悪くもない窓の外の景色を眺めながらお弁当を食べたりセルフうどんで釜玉うどんをいただいたりしたのである。
西葛西はインド料理店が充実しているのだが、年末年始は閉まっているし、そもそも特別なごはんを食べたいという意気ごみもさほどなかったので、それでよかった。
1/4の午前中に西葛西を出て帰宅した。
実質3日半の西葛西での暮らしだったが、やはり海沿い川沿いに暮らすと散歩が充実すると実感した。住むつもりだったが旅行気分も副次的に発生してしまったことは否定できない。多摩ニュータウンも遊歩道の長さが日本一なので散歩に向いているのだが、緑道を通って橋をわたり、葛西臨海公園まで行って帰ってくるコースが楽しすぎて、また住みたいと思ったのだった。
たとえば東京都民が本州を離れて沖縄の離島を旅すれば、建築がまったく本州のそれと異なり、同じ日本語圏なのに本州の文化とはぜんぜん違う異国に来たときのような感動を覚えるはずだが、本州を旅するときはどうだろう。沖縄でのような異文化との出会いは想定しないはずだ。細部は異なれど、東京と同じ文化圏だと思って行動しているはずだけれど、先日、京都北部の宮津で異文化に接して感動したので記念に書いておきたい。
参考情報として、わたしがふだん散歩で眺めている多摩市の貝取神社のお地蔵さん。
多摩ニュータウン開発のときに近辺の神社から合祀されたらしいのだが、お地蔵さんもそうなのかは知らない。近くに17世紀のお地蔵さんがあって、それは鎌倉街道沿いにあったものを動かしたらしく、もしかしたら彼らの出自もそうなのかもしれない。
マスクにも年季が感じられるようになったが、疫病が終息したら外したりするのだろうか。それとも意図的に外すことはなく、千切れたり飛ばされたりしたものからマスクなしになるのだろうか……。
雨よけのあるものもございます。
真ん中の赤いところがよくわからないと思うので寄ってみます。
つまり、頭の先しかないお地蔵さんに帽子を編んだ優しい人が近所にいるということ……多摩ニュータウン最高!
最高だったので話がそれてしまった。
京都から西舞鶴(ここの話も後日書きます)を経由して宮津に行ったのだが、道傍の祠に目を遣ると、中がなんだかカラフルである。
「ええい、ガンダムを映せ!」と思いながら(注:つまんないと思ったかもしれないですが、この台詞が大好きなので我慢してください)近づいてみると……
お地蔵さんに彩色している様子だがよく見えない。
そして、背後に字が書いてあり、昔からあるお地蔵さんの上に彩色しているようだ。
これも、「ええい、ガンダムを映せ!」案件であるが、彩色がよりガンダム寄りであり、ガンダムを見せてあげようという配慮が感じられなくもない。
最初に見かけたときは、地方でときどき見かけるインディーズのお寺で、敷地内にあったお地蔵さんを超解釈で塗ったりしたのかしらと思って写した。スペインのキリストの絵みたいな感じでエキサイティングだと感激したのだが、さらに町を歩いていると……。
ぜんぶ塗ってあるじゃん!(大阪出身だけれど、こういうときは「じゃん」を使いたくなる)
鈍感なわたしも、さすがにこれはこの地方特有の文化なのかもしれないと気づいて、「宮津 地蔵 色付け」で検索したらすぐ出てきた。「化粧地蔵」といって、どれもピカピカなのは、毎年地蔵盆のころに、地域のお子様たちがお色直しをしているからだった。なんて楽しい行事なのでしょう。
これはビルができる前からあってビルを建てるときに配慮した風で感動的。
これだけ多く卍があったら1つくらいは誰かが間違えて外国人がびっくりする感じの記号になりそうなものだが、描く前に「卍を描くときは全集中の呼吸やで!」などと教えこんだのかもしれない。
そして、自由に塗っていいはずなのに、顔は白が多くて、バイアスがかかっている。これもあと50年くらいしたら茶色が増えてきたりするのかしら……。
こちらは色遣いにおいて最も独創性があったのだが、首から下について、やはりガンダムを映せと思ってしまった。
事前に把握できていればたくさん見ることができたはずだけど、「宮津 名所」でこの愉快なお地蔵さんが出てくるはずもなく……ただ、異文化との出会いが突然だったおかげでいっそう感動したので、よい体験ができたと思う。これからも旅行中はキョロキョロしながら歩いていこうと思ったのだった。
風景の中にアートが潜んでいるみたいなのが好きなのだが、アートにあまり詳しくないのでどこに潜んでいるかよく知らない。知っていたら知っていたで、驚きがなくて興ざめしてしまうかもしれないので、このままでもいいのかなと思っている。
以前、太宰府天満宮に行ったとき、浮殿の中に運よく金属の塊があって、一瞬戸惑ったものの、出会えてよかったと思った。
神道にピュアなイメージを抱いている人にとっては好きな風景ではないのかもしれないけれど、神社の建物の中に金属のひとつやふたつあってもいっそうマジカルな気分になってよいのではないかと思う。
近所でも、ここまで凝っていなくてもよいので、こういうの感じのものを見たいと思っていたのだが、昨年、近所―といっても徒歩30分程度だが―の原峰公園に愉快なオブジェが置いてあるのを発見して楽しかったことを思い出し、今年も見たいと思って先日行ってきた。詳細はここにあるが、2022年は10/4から11/23までやっている。
多摩市内の公園は、里山を少し整備しているものが多く、平地があまりないのが特徴で、あまりにも平地がなさすぎる場合は「緑地」という名前で呼ばれている。原峰公園は、限りなく緑地寄りの公園で、永山駅から歩いていくと公園の入口とは思えないような入口がある。古くからある門ではないが、歴史を感じさせるたたずまいで大変思わせぶりで最高。
狭い道を歩いているとシャイニングみたいだなと思うが、モサモサしすぎていると追い詰められている感じはしない。とはいえ日常から非日常へ抜けるトンネルを歩いている気分になる。
トンネルを抜けると、いつもは朽ちた空間があって、立入禁止の札やテープがあるはずなのだが、立入禁止にしては表示が多すぎる……と思って近づいたら、これが立入禁止のメッセージはないと理解した。
近くにはギリギリのベンチがある。
純粋に悲しいお知らせである……。なんなら、この張り紙に美を見出したっていいんだぜ……と自分に言い聞かせる。
多摩市と川崎市の境界あたりでも以前同じような展示をしていて、そのときにも木に布をぶらさげているのを見た。屋外の自然のなかのアートだと定番のようなものかもしれない。
昆虫と人間の共生について考えさせてくれる作品……と思ったらマジなやつだった。
最近「スズメバチがいるから立入禁止」みたいなのをよく見かけるようになったのだが、スズメバチが増えているのか、増えてはいないが、怪しい中年男性みたいな存在の絶対数が減って、相対的にスズメバチに意識がフォーカスするようになってきたのかはわからない。
そして木を縛ったりするのも見かけたことがあるが、こういうのがないと寂しいと思うので、来年以降も二番煎じでもなんでもいいので木を縛って「いつもの木がこんなになって……」という予定調和的な困惑を与えてほしい。
これもアイデアは非常にシンプルだが、存在感があってすてきなので、来年も同じ展示をお願いしたい。
そしてこれは遠くから見たら生えているように見える。
……が、近づくと切り株のまわりを囲むように葉が植えられていて感動した。切り株の寂しい感じが一掃されていた。
また、祈りを捧げたくなるようなオブジェもあって、通年でここにあったらいいと思った。
木にグロテスクな加工がされていてアール・ブリュットみたいやな……と思ったら椎茸の原木だった。生えてきたらより素晴らしい造形になるに違いない。
公園の中に、おそらく昔からある神社が囲われて入れなくなっているのだが、鳥居が色鮮でアートと見分けがつかない。
これは完全にどこまでがアートなのかわからなかった。三角コーンは接近を禁止するためのものに見える。
しかし、近づくとケーヨーデイツーのシールが思わせぶりに貼ってあって、木のオブジェと対照させるためのオブジェなのかもしれない。
ここを斜面ではなく公園にしているのは橋と池であるが、池も容赦なく謎のオブジェに占拠されていて胸のすく思いである。
橋は、少なくとも今はそのまま進んでもスズメバチ出現ゾーンで通行禁止になっているので引き返すほかない。
この橋自体、経年劣化でそろそろ再築が望ましいが、いまや行って戻るだけの機能しかもたない橋の補修に多摩市は公費を使ってくれるだろうか……こういうときのために、わたしはふるさと納税を我慢していて、多摩中央公園近辺のリニューアルが順調なことを喜んでもいる。
また、ここにはむかし武家屋敷があったらしい。このことをもって心霊スポットとみなされてもいるのだが、人がそんなに多くないのがこのせいだとしたらありがたい。
遊べる展示もあった。
押しこむと泡が出てくるのだが、「押しこむ」と「泡が出る」の因果関係について、頭では理解していても視覚化されるとちょっとした魔法のように思えた。
いちばんびっくりしたのはこれで、遠くから見ると宙に浮いているように見えた。
これは作品ではなくてバリケード……のはず。
なぜ長方形のところだけ錆びていないのだろうと思って触ってみたら、透明なテープが貼ってあって、保護されていたから酸化を免れたと理解した。
どこまでが日常の風景でどこまでがアートなのかがわからなくなってくるが、美しいと思うものは何なのか、アートとアートでないものたちから問いかけられているような気分になった。われわれが鑑賞者なのか生活者なのかもわからない。強いて言うなら生活の中に鑑賞が含まれていて、鑑賞という行為も必ずしも一方的に見つめるだけではなく、相互的なものだと思う。
よく見ると安全上問題があるものもあって、「子供が怪我をしたらどうするんだ」などと野暮なことを言いはじめたらたちまち終了してしまうかもしれないが、長く続けてほしいし他でも見たいと思っている。