ココロ社

主著は『モテる小説』『忍耐力養成ドリル』『マイナス思考法講座』です。連絡先はkokoroshaアットマークkitty.jp

巨大廃墟、旧志免鉱業所竪坑櫓は意外に近くて癒やされた

旧志免鉱業所竪坑櫓について知ったのは2005年、ワンダーJAPANの創刊号の表紙から。

ワンダーJAPAN vol.01

冊子は出てすぐ購入したのだが、威圧感たっぷりの表紙だけで十分元をとった気になって、あまり読まずに本棚にしまいつつ、志免炭鉱跡にいつか行きたいとの思いを持ちつづけていた。炭鉱跡が福岡にあるところまでは確認していた。社会や道徳で筑豊炭田について習っていたので、やはり炭鉱というのものは九州北部にあるものなのだという認識を持ったのだが、表紙の写真の印象から、てっきり福岡と熊本の県境の山奥にあるのかなと思っていた。「空が赤くなっているようなところだから遠いところに違いない」という単純なイメージを持っていたのである。山奥の獣道を数時間歩いて、忽然と目の前に現れた平原と、崩壊寸前の櫓。見に行くとしたらそれなりの規模の旅になると思っており、その準備は今はまだできない……と思いながら18年が過ぎたのだが、先日、博多に用事で行く機会があって、用事が終わって博多から福岡空港にそのまま戻るのももったいないかなという気持ちになり、空港近辺の名所を探してみたら、志免炭鉱跡があるではないか。空港の近くにあると認識していた太宰府よりもよほど近い。志免炭鉱跡から福岡空港までは徒歩で1時間程度。平日でも数時間散歩するわたしにとっては、むしろ近すぎるくらいである。

 

「最寄り駅」という概念をかりそめに適用するならば、JR須恵駅がいちばん近く、徒歩20分である。

「須恵」という名前からここが須恵器のはじまりの地かと思ったりしたが、そうでもないようで、焼き物は作っていたらしいけれど江戸時代かららしい。

 

ガード下の絵が写実的である。1000年後まで残ったら当時の習俗の参考になるのかもしれない。

 

ほどなくして高いとはいえないが低いともいえない山が見えてきた。

低木が生えていて、高いとも低いともいえない山にしか見えないが、崩れた跡に見える山肌が思いのほか人工的である。

 

近づいてみると、工事現場のような土と、教科書で見た石炭っぽい塊。

 

そしてbrand-newな立ち入り禁止の看板。禁止している団体名もウンニャラ警察署などではない。それもそのはず、これは炭鉱を掘った残土を盛っていたのである……そんな出自だったら崩れやすくて中を歩き回ったりはさせてくれるはずもない。

 

残土に拘泥しているうちにご本尊が見えてきた。

駅を出て10分程度しか歩いていないので拍子抜けしたが、意外に気軽に来られるところも含めて楽しみたいところである。

 

旧志免鉱業所竪坑櫓はまるごと、「シーメイト」という志免町の総合福祉施設の敷地内にあって、多目的広場や、「なかよしパーク」という公園もある。

もっと管理されておらず、柵がところどころ破れていて好事家が忍びこめるような感じをイメージしていたが、想像していたより明るいイメージである。

 

炭坑の入口。

こういうものを見たときに北斗の拳のジャギに喩えていたのだが、北斗の拳やドラゴンボールやガンダムに喩えていたら若年層からの支持が得られないことはわかっている。そして新しめの漫画やアニメは知らないので、「立ち入りが徹底的に禁じられている」としか言えないのだった

 

網で囲っているのだから、入口そのものは開いていてもよいのではないかと思うのだけれど、先日、コスプレで廃坑に入って酸欠で亡くなられた事件があったことを想起して、これくらいがよいのかもと思った。

これが掘り出された鉱石。rawな鉱石をインテリアとして飾りたいという欲求が多少あったけど、これは難度が高いな……。

 

たまたま天気がよいときに行ったのだけど、事前に抱いていた、廃墟の王様のようなイメージとは違って「軍事目的に使われていた施設が今は平和の象徴になっている」という印象を受けた。

ベビーカーを押している人が写ってまさに平和の象徴。

 

以下、悔いの残らないように、望遠で撮ったり広角で撮ったりした写真たちです。ご笑納くださいませ。

 

2019年~2021年で保存のための修理をしたこともあって、1980年代に流行したコンクリート打ちっぱなしの建物の親玉みたいに見える。昔の写真を見ると、鉄骨がむき出しになっているところがあって、そこは塞いだようである。修理後の写真を検索して見ていても、曇天だと廃な感じがしたが、わたしが行ったときは天気がよかったこともあって、廃な感じはしなかった。とはいえ、巨大で不思議な形をしたコンクリートの物体の存在感は圧倒的だった。

 

鉱山跡からしばらく歩くと、志免駅跡がある。閉山後も1985年まで使われていたようなのだが、いまは公園になっている。

鉱山に近づけなかった鬱憤をここで晴らすべく、線路の上を歩きまわったり、線路から駅に登ったり降りたりしたあと、空港まで1時間ほど歩いた。

 

この謎の建物はベスト電器スタジアム。スタジアムについての記憶が日生球場や大阪球場なので、宇宙船みたいでびっくりした。

 

 

廃墟を見るたび、「そういえば廃墟の象徴的存在である志免炭鉱に行ったことないけど行きたい」とずっと思ってきたので、非常にすっきりしたし、自分の中にあった志免鉱山の神秘的なイメージに決着をつけることができてよかったと思っている。

死の病に冒されて、最後に志免炭鉱跡を見てから死にたいなどと思いつめて見に行ったりしたら、「志免炭鉱跡が補修されたというのに自分の体は……」などとややこしい気持ちになったかもしれないので、健康なうちに拝めてよかった。

 

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銚子駅から犬吠埼まで歩いたが、海以外も見どころ満載だった

銚子を旅するとき、JR銚子駅から銚子電鉄に乗って犬吠埼まで行く人が多いと思うし、実際に行ってみるまではわたしも同じイメージを持っていた。しかし調べてみると、徒歩なら直線距離で1時間程度。海沿いに激しく寄り道しながら歩いても3時間程度で着きそうだ。帰りは銚子電鉄を満喫するとしても、せっかくだし銚子から海沿いに歩いていこう……と思って年末に実行した。楽しかったので、また近いうち行こうと思っている。
 
特急「しおさい」で銚子が身近になる
まず銚子に行くところの話から。
わたしの住む多摩ニュータウンから銚子に行くにはいろいろ乗り継がねばならないと思っていたのだが、調べてみたら東京から「しおさい」という特急に乗れば乗り換えなしであることが判明。

東京からだと2時間以上かかり、新幹線で京都に行くのと変わらないが、特急料金がすごい安さなので、コスト的な意味あいで「そうだ 京都、行こう」とならない方でも「そうだ 銚子、行こう」は可能である。
 
醤油工場が思いのほかメカニカルで工場好きの人にもオススメ
ろくに下調べせずに、とりあえず関東の端っこに行ったら楽しかろうと思って銚子を選んだのだが、駅を降りてメインストリートを北上しているとき、ふと右を見ると無骨な工場……。

 
地図を見てみるとヤマサ醤油の工場だった。

年末なので操業はしていなかったのかもしれないが、駅を降りてから香ばしい匂いがしていた。醤油が正体だったとは。

 
多摩市民、利根川>>多摩川であると知る
この日はそれで心がいっぱいになって寝て、翌朝、利根川の河口付近から歩きはじめた。
わたしは大河経験が浅いため、インドでガンジス川を見て人生が変わった的な人と対峙すると気後れしてしまうかわいらしい一面を持っているのだが、多摩川や荒川の橋はよく渡っているので、国内の河川についてはある程度把握しているつもりだった。しかし甘かった。

利根川は多摩川と比べものにならないくらい大きいことは見た瞬間にわかった。そもそも、ここからはるか遠くの地である多摩市に住んでいるわたしですら利根川の恵みにあずかっているのだから、これくらい大きくないとまずいのかもしれない。
 
営業時間外だったけれどいい感じの店を発見。

仕込みのためにマスターが出てきたのだけれど、このシーマンのような似顔絵はかなり似ていることが判明した。
 

あぶらぼうずをロゴ化している。
自分が宇宙人に囚われて地球名物「にんげん」としてロゴ化されて調理された自分の肉の写真がレイアウトされていたら……と想像して興奮した。次回銚子に行ったときは絶対に行きたい。
 
見たいタイミングで登場する古刹、圓福寺(飯沼観音)
海とは反対側に塔が見えた。そろそろお寺か何かが見たいと思っていたことに気づく。歩いていくと圓福寺というお寺だった。

奈良時代に創建という古刹で、銚子電鉄の観音駅はここの観音のようなのだが、観音像は秘仏。その代わりに五重塔もあれば大仏もある。

大仏にはスペシャルサンクス的な記述があるが、吉兵衛だけは読めた。吉兵衛さん、見てますか……わたしも死ぬまでにどこかにいくらか奉納してスペシャルサンクスに名を連ねたい。
 
帰宅してから、大仏の膝に太平洋戦争のときの機銃掃射の跡があると知った。写真におさめることができなかったけど、これこそ「膝に矢を受けてしまってな……」の日本近現代史版である。
 

海を見にきたのにこんな立派な五重塔を見ることができてありがたい限りだが、建立は平成21年。千葉県唯一の五重塔であるという背景を知るとありがたさが倍増する。
 

意外な場所で水準原標石を発見。日本水準原点って永田町になかったっけ……と思ったのが、元祖と本家の違いのような感じなのかもしれないし、そうでないのかもしれない。
 

突然の焼きそば専門店。
まだ営業時間ではなかったのだが、Google Mapで検索したらすばらしい写真が出てきた。次は営業時間内に行けますように……。
 
朝から豪華な定食がいただける場所を発見
漁港の近くなので朝早くから営業している店はあって、近辺では「お食事処 こころ」がよさそうだったので寄ってみた。

まず、お店の名前が最高よね……。
そして、どこでもいいと言われたので、一人客でありますが、小上がりに着席した。

小上がりというか小宇宙でした。漁港に来ているのだという実感が改めて湧いてきた。
 
感動しているうちに、おまかせ定食が登場。

充実度をご確認くださいませ。お盆におさまってないね!
 
まだ利根川にいるのに海感がすごい
この行程、3割ほどが利根川河口で、まだ海に出ていないのだが、利根川が広すぎてすっかり海気分で、たくさんの漁船が留められていた。

船に詳しくないので、この船首の形状を見ると「戦艦大和だ!」と思ってしまう。
 
千人塚で銚子の自然の厳しさを知る
朝からお盆にのせきれないほどのおかず群に心身ともに満たされたのだが、わたしの旅はまだ始まったばかりであった。
 

モニュメントの集合地帯があると思って説明を読んだら「銚子の川口てんでんしのぎ」の文字列を発見。「てんでん」といえば「津波てんでんこ」を想起し、のどかな文字列とは裏腹に緊張してしまう。わたしが歩いてきた利根川の河口と銚子港だが、50年ほど前に運河方式の新しい航路ができるまでは難所だったとのこと。

来た道を思い返してみると、川幅が広いはずの利根川が、河口付近では対岸が近くに見えた。そのまま航行するとかなり流れが速いのだろう。水揚げ日本一を誇る銚子も、先人たちの尊い犠牲の上にあることを実感した。
 
銚子ポートタワーのチート感
そのまま海沿いを歩くとタワーが見えてきた。

この銚子ポートタワーの高さは58メートルで、今回の目的地としている犬吠埼の高さは31メートル。灯台は見晴らしのよさがすべてでないにせよ、テクノロジーの進化を感じてしまう。

 

さきほど学習した河口方面も見えて感慨深いが、その先の鹿島灘も大変魅力的(なので別途行ってきて、後日記事にする予定)である。
 
テトラポット工場やキャベツ畑など、何もないところにあるものがある
タワーを降りて、さらに海沿いに歩くと、わりと何もない感じの海沿いで、まさに何もない感じの海沿いも求めていたので感動したのだった。

テトラポット置き場。
写真だけだと伝わらないと思うのだが、かなり大きい。加湿器が「部屋の広さ:12畳まで」などがあるように、テトラポッドも「波の高さ:3メートルまで」みたいなのがあるのかもしれない。
 

キャベツ畑。
三浦半島でもたくさん見かけたけれど、千葉県で見るキャベツ畑はまた格別である。小学校でキャベツ=千葉県八街市と習ったからなのだけれど、キャベツの生産量は群馬県と愛知県がトップの座をかけてしのぎを削っており、千葉県は3位である。
 

ここはなにかの廃墟だろうか。海沿いの水族館でこのような感じの廃墟を見たことがあるけど詳細は不明。まさか露天風呂ってことはないよね???だったら現在との落差が大きすぎて泣いてしまうわ……。
 

エビちゃん。
 
犬吠埼は灯台以外も楽しい
何もないな、そしてそれがまさに自分の求めているところなのだ……なおわたしの住んでいる多摩ニュータウンも、わりと「何もないところ」と呼ばれがちなので、何もないところの住人が何もないところを求めてやってきたという構図だな……などと感激しながら歩いているうちに犬吠崎が見えてきた。

この日は大晦日だったので初日の出を見たい人がすでに駐車中。銚子は日本でもっとも早く初日の出が見えるところらしいのだ。
初日の出を見るために昼間から車を停めて待つ気持ちは理解しかねるが、フェスみたいな感じだろうか。まあわたしはフェスに参加する人の気持ちもじゅうぶんに理解しているという自信はないので同じことだが……。
 

犬吠埼の灯台にも登れるようなのだが、さきほどポートタワーで見晴らし欲は満たされたので、灯台のまわりを一周して歩くにとどめた。次回行ったときは登ることにする。
 
犬吠埼といえば、初日の出とともに有名なのが、映画の冒頭のザッパーンと出てくるところ。個人的には映画館に行くことが数年に一度しかなくて、さらにザッパーンと出てくるのは邦画で、わたしが最近見たジョーカーやミッドサマーなどの外国の映画は本編でザッパーンに代替する表現をしていると思う。ザッパーンを久しく見ていないため、近い角度で撮れているのか自信はなかったが、ほかの人の撮り方を参考にして撮ってみた。

上から見下ろしている感じでザッパーンに寄り添っている感じがだいぶ足りないのだが、誰もが知るところに来ているというのはそれだけでうれしい。
 
これだけでも犬吠埼に来てよかったと思ったのだが、さらに南下していくと、天然記念物の「白亜紀浅海堆積物」がある。

白亜紀と浅海と堆積物のそれぞれの語義は知っているが、ぜんぶ合わせるとよくわからない……白亜紀の地層が露出しているから詳しい人が見たらまるわかりということなおのかもしれないが、詳しくないわたしが見ても月旅行をしている気分になった。
 
 
犬吠駅は駅というよりアトラクションだった
帰りは銚子電鉄の犬吠駅から帰ることにした。

駅のメルヘンチックな佇まいがたまらない。
 

窓から電車がチラ見えする構図が好きなのだが撮り鉄の人には論外なのかもしれない。
 
そして期間限定だったのかもしれないが、ホームからよく見えるところに廃の墟があって驚いた。

壁の切り取り方が美しすぎて解剖図を見ているようである。
 

こういうときにブラウン管のテレビがあると落ち着く。
 
廃墟に見とれているうちに電車が到着……したのだが、京王れーるランドで見たやつ!

こういう感じで撮っている人の後ろで撮っている人の感激するさまも構図におさめたいと思ってしまうのだが、わたしも他の誰かにそんな感じで撮られたりしたい。
 
形も色もsuki...と思って銚子駅に着いてからもじっくり撮った。

京王線ではとっくの昔に引退したのだが、まさか現役稼働中の車両に乗れるとは思っておらず、次回京王れーるランドに行ったときに銚子電鉄に乗ったときの感動が蘇るに違いない。
 
銚子でいちばんメジャーなルート、冬でも最高に楽しかったので、春や秋に行くともっと楽しいだろうと思う。有休をとって3連休を手作りしてまた行ってみたいが、我慢できなくて早々に日帰りで行ってしまうかもしれない。
 

買い物をしたときにレジで何とあいさつするのがよいか

買い物をしたときにレジで何とあいさつすればよいのかについて、少なくともわたしの中で明確な結論が出ましたのでご笑納いただきたい。飲食店での「ごちそうさまでした」に相当するフレーズを編み出すのに苦労したが、結論を出すのにここまで時間をかける必要はまったくなかったと後悔している。ただ「ありがとうございます」と言えばよかったのだ……。

 

はじめてのお遣いの記憶は残っていない

わたしが初めてレジで金品を取引したのはおそらくこの店。

記憶にはないが、母から命ぜられてお遣いに行った可能性が高い。今も昔も人と話すことは好きではないので、わたしが自らの意思で「おつかいにいきたい!」などと言うはずもないのである。お遣いを命ぜられるとき、「品物とおつりをもらったら、ありがとうと言うんだよ」と言い添えられたに違いなく、わたしは「ありがとう」と言ったか、あるいは言えなかったかの二つの可能性がある。

 

思春期からは無言

決して無礼を働きたいと思っていたわけではないが、知らない大人と口をきくのが恥ずかしいという気持ちが勝ってしまってずっと無言だった。ガンダムのブラモデルを買うときもファミコンのディスクシステムの書き換えをお願いするときも学習参考書を買うときも裏本を買うときも無言を貫いた。買う物の種類が変化しても無言であることには変わりなかったが、とくに敵意があるわけではなかったので軽い会釈くらいはしていたはずだ。

 

長すぎる思春期が終わって「どうも」と言いはじめた

思春期の定義を「レジにおいて無言であること」とするのであれば、わたしの思春期は二十代の終わりまで続いた。好きな人といっしょに買い物をしたとき、「どうも」と言っていて、なるほど、それくらいは言うべきだし、なぜ今まで無言だったのだろうと反省し、さすが好きな人だけあって行動がスマートだなとそのとき思ったのだった。

 

「どうも」の長期政権の終焉は前触れもなくやってきた

そして「どうも」時代が30年くらい続いた。安倍晋三内閣・桂太郎内閣・佐藤栄作内閣の期間を足したよりも長い超長期政権だったのだが、ある日とつぜん思ったのである。「どうも」ってそんなに感じよい言葉ではないし、そもそも意味がわからない。「どうも」に変わる一言が必要なのではないかと。わたしに「どうも」のよさを教えてくれた人も、思いかえしてみると、飲食店の店員さんに対してはわりとぞんざいな応対だった。

単にレジの人がお会計だけなら「どうも」で通したのかもしれないが、宅急便の送付をお願いすることもあるし、荷物の引き渡しをお願いすることもあるというのに「どうも」の三文字だと感謝の気持ちとして割に合わないと思うようになってきたのである。
「どうも」のもともとの意味は「どうにも言えないほど」なのだが、どうにも言えないにしても、せめて何に対してどうにも言えないのかくらいははっきりさせた方がよいはずで、「こんにちは」→「ちわ」→「チーッス」と同じくらい、ぞんざいな言い方のように思えてきた。

「どうも」の代案として最初に思いついたのは、そのあとに省略されている「ありがとうございます」で、「どうも=言葉にできな~い」と毎度言うよりも「ありがとうございます」の方がよいように思った。
そこに思い至ったのは半年ほど前なのだが、「ありがとうございます」だとtoo muchで気持ち悪いと思われるかもという気持ちがあった。さらに「ありがとうございます」だったら取引先の人みたいじゃん……でも「ありがとう」だと、「どうも」並みにぞんざいな気もするし、ドゥルッティコラムじゃあるまいし……などと空中にのの字を書いていたりしたのだが、でもtoo muchかどうかなんて気にしていないのでは、日本語非ネイティブの店員も増えてきているので、わかりやすさを重視した方がいいに決まっている、と思いなして、「ありがとうございます」と言うようにしたのだった。

「ありがとうございます」だと店員さんへの感謝の気持ちが伝わる(ような気がする)のだが、その一方で、店員さんのレスポンスが悪いと、どちらが客かわからない感じになってしまう危険性もある。そのときは同じ「ありがとうございます」でもトーンを変えて「ありあとうおざーます」くらいに子音を落として発話することでバランスを取ることにしている。もっとも助かるのは、わたしが「ありがとうございます」と言ったあと、お店の人が「ありがとうございました~!」と返してくれるときで、わたしの発言はたちまち過去のものとなり、ありがとうございます劇場の幕が下りるのであった。

 

かくして「ありがとうございます」政権が樹立されたのだが、この政権はおそらく長期政権と思われるし、わたしが好々爺になったら(どちらかというとそれを望んでもいるのだが)、森羅万象に対してありがとうございますをいう気持ち悪い翁が誕生してしまう。よく行くコンビニエンスストアでは「感謝マン」と呼ばれている可能性がある。しかし、若い皆様におかれましては、森羅万象に文句を言う老人よりは多少はましだとポジティブにとらえていただければ幸甚でございます。

 

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珍にして絶景、銚子の長九郎稲荷神社

年末年始に銚子に行ってきて大変感動したので何回かに分けて紹介させていただきたい。

謎のオブジェのチラリズム

銚子電鉄の終点は外川だが、手前の犬吠で降りる人が多い。観光客にとって銚子≒犬吠埼なので、ノーマルな観光客は犬吠止まりなのかもしれない。アブノーマルな観光客であるわたしは犬吠だけでなく、時間もたっぷりあるのでさらに南下してみたら楽しいかもしれないと思って、ろくに調べもせず銚子の南の端を歩いていた。すると、丘から妙なオブジェが見えるではないか。

 

釣具店の看板かしら、もしそうなら販売中のゴカイやアカムシが密集している看板にするのが合理的である。しかし、合理性をとことん追求するならエステティックサロンの中吊り広告は謎の丸っこい機械の写真になるはずだが、実際は成果を示すつるつるの美女である。同じくこの釣具店は釣果を看板としているのかもしれない……などと思いつつ検索してみたら、どうやら長九郎神社という神社らしい。もちろんすぐに行きたいが、GoogleMapはしばしば山道はないものととして扱うので、神社へのアプローチ方法が不明だった。坂道を適当に歩いていたらたどり着けるのではと思ってうろうろしていたら、探している神社とはちょっと違うが、いい感じの風景と用途不明の建物を発見。

西宮神社という神社のようである。


念のため建物の中を視察するが詳細は不明。

B29の襲来をキャッチする建物かなと思ったけど、そこまで古くない感じがする。

 

ナイスな売物件も発見。

近辺の中古一戸建ての相場を検索して物件の価格を推定し、住みたいと思ったけれど仕事どうするのよと一瞬で正気に戻った。

 

キャベツ畑とアンテナの向こうに魅惑の鳥居

丘を登りきったところでキャベツ畑と携帯電話のアンテナの向こうに鳥居を発見。

たとえ農作物でも、緑がモサモサしているところに鳥居があるとここに神ありと思う。信じるかどうかは別として。

 

そして鳥居の朽ち方がすごい。

お賽銭を多めに献げる必要がある。

 

ほどなくして絶景が視界に飛びこんでくる


鳥居をくぐるとすぐに、先ほどのオブジェの真相が明らかになると同時に絶景が見えはじめる。

 


後者のインパクトが強すぎてオブジェの件がかすんでしまいそうである。

低木が茂っていて海は見えないだろうと思っていたが一面が海。

 

さきほど見えた鯛のオブジェは鳥居の一部だった。そしてサンマと鰯もあしらわれている。サンマだけカタカナ表記なのは「秋刀魚」という当て字が嫌いだからなのだが、それはよいとしてこんなにわかりやすい神社はない。


長九郎稲荷神社、もともとはその名前のとおり長久郎という漁師が建てたのだが、次第に老朽化し、2002年に社殿を新築した。2011年の東日本大震災で全壊してしまうのだが、再建を果たした……ということのようである。再建してくれてありがたい。

 

 

創建300年なのに創建30年感がすごい。

社殿に向けてボールを投げられるようになっているのも斬新である。神様もたまにボールを当てられる程度の刺激があった方がよいのかもしれない。

 

心の貧乏出て行け!
―個人的な経験から、物理的な貧乏が出ていってからでないと心の貧乏は出ていかないという認識を持ってはいるが、下部構造の問題が解決しないで上部構造が解決するならそれに越したことはない。

 

いろいろ集めてあります。

 

完全に未知の生き物になっているし、直した人もそのつもりだろう。

 

お賽銭は指を持っていかれないように注意して投入してくださいませ。

 

海側から上り下りするルートもあって、外川駅から長崎鼻への最短ルートにもなっている。

さきほどの絶景をいったん忘れて降りてふたたび登って「ワー絶景だ!」と思うのも一興。

 

自分にとって、銚子の代表的な風景になった


いままで旅をしてきた個性的な神社仏閣は特に絶景でもないところにあることが多かったので、絶景と神社のたたずまいとのギャップに引き裂かれそうになったが、貴重な経験ができてよかった。わたしにとってここは銚子を代表する風景になった。

 

もし銚子に旅行することがあったら、ぜひ外川まで行ってみて引き裂かれてくださいませ。

 

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エアコンのフィルター掃除の重要性を理解するのに30年かかった話

実家を出て30年以上経つが、きょうまでエアコンのフィルターの掃除をしたことがなかった。エアコンのフィルターを掃除すると効果が段違いであるという話はインターネットの黎明期から何度も目にしてきたのだが、今でいう「秒で消える唐揚げ」などと同様だと考えていたのである。この「秒で」の長さは、定義では60秒を超えることはないはずだ。60「秒で消える」唐揚げがあったとしたら「分で消える唐揚げ」と呼ばれるだろう。では20秒はどうだろう。1分以下ではあるものの、「秒で」と言ったときに想起するイメージからは遠い。それなら、「数十秒で消える唐揚げ」と呼ぶ方がふさわしいと感じるからだろう。「秒で消える唐揚げ」における「秒」とは、最長でも9秒ではないかと思う。そして、「秒で消える唐揚げ」が実際に9秒以内に消えるかというと、そこも非常に怪しい。まず「秒で消える唐揚げ」は、揚がって盛りつけられた直後からカウントアップが始まるが、2秒程度でそのうちひとつを皿から箸で取って口に入れたとして、熱々の唐揚げを5秒で完全に飲みこまない限り2個目の唐揚げを口に運びきることは不可能で、つまり、供されて各々が「消」せる個数はせいぜい1個。「秒で消える唐揚げ」が仮に実在したとしても、味がよいということではなく、単に作った個数が少ないか大家族であることを意味するにすぎず、そうでないなら「秒で消える唐揚げ」は誇張だろう……けれども、ここで唐揚げの話がしたいのではなかった。

 

エアコンのフィルターを掃除するとエアをコンする効率が飛躍的にあがるという話は、せいぜい設定室温に達する時間が数分程度早くなる程度のことだと思っていて、鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギスと思って同じエアコンを掃除もせず10年以上使ってきた。掃除するには及ばないと高を括っていたのだった。エアコンのフィルター掃除の話はnot for meであると聞き捨て続けるうちに、エアコンは徐々にアンコントローラブルな領域に達していた。しかし、わたしはその原因にフィルターの関与度は低いと認識していた。ネンネじゃあるまいし、たかだかホコリが詰まっている程度のことで空気の流れが悪くなることはないと思っていたのである。きのうまでの状態を説明すると、室温を20度にするために、設定室温を26度にして風量も強にしていた。徐々にエアコンの性能が落ちていたので、そういうものかもしれないと諦めていたのである。たとえばデモの参加者について、主催者側の発表と警察の発表には数倍の開きがあることは常で、もし同様だと、設定室温を26度にしても室温は10度を切ることになるが、そこまでの開きではないため、経年劣化における機能の低下であり、受忍限度内だと自分に言い聞かせていたのである。

 

土曜の朝。きょうは休みだし、そろそろブログに何か書かないとアイデンティティの危機だと思いつつ、ブログを書くという行為以外に逃避したいとも思いながらベッドに横になっていた。高温の強風をオーダーしているにもかかわらずあまり暖かくないそよ風に包まれていたら、もしかして、エアコンのフィルター掃除が必要なのかもという気がしてきた。パネルを開けて見て気持ち悪かったらそっと閉じればいいだけだよねと思ってエアコンの電源を切ってパネルを開けた。想像していたよりも内部構造は簡単で、フィルターの脱着も簡単にできそうだった。するりとフィルターを取り出して眺めてみたが、たしかに10年貯めただけあってすごいホコリの量だった。とはいえ、わたしがふだん装着しているマスクと同程度の通気性はあるようにも見えた。そのまま付け直すのももったいないと思ったので掃除しようと思い、よき方法を検索してみると、エクストリームな状況のときは重曹がいいというような意味のことが書いてあって、これがエクストリームでなければ何がエクストリームなのかと思ったが、以前買って部屋のどこかにある重曹を探すのが面倒なのでぬるま湯で洗って、タオルで拭いてセットし直して電源を入れた。
すると、たちまち熱風が吹き出して、わたしの部屋に春がやってきてそのあとすぐに夏もやってきた。いつもの設定だとエアコンが効きすぎて夏になってしまうのだ。温度設定を下げて風量を自動にした。つまり、暖かくならないというだけでなく、莫大な電気代がかかっていたのである。そもそも、きのうまでのわたしはこのあとやってくる大寒波に対してわたしはどう対処するつもりだったのだろうか……。

 

暖かくて静かな部屋の中で、この30年で失ってきたものに思いを馳せたが、失ったものが多すぎて、数えているうちに週末が終わってしまいそうだ。

エアコンのフィルターを掃除することと同じくらい効果があるのに今まで見過ごしてきた案件がまだあるのかもしれない。そしてその宝のような案件たちを、インターネットの情報だから大げさに言っているのだろうと思って無視しているに違いないのである。大げさと思っても、悪くないと思ったら試してみるようにしよう。「秒でなくなる唐揚げ」も実在するのかもしれないし。

 

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年末年始に観光地ではないところに暫定的に住んだ話

「そうだ、西葛西に住もう」

2023年になってしまうと書きづらいので、2021~2022年の年末年始の話を書いておきたい。

遠くに旅行に行くような気分でもなかったが家でゴロゴロすることも望まなかったので、どこかに住む感じにしたいと思った。東京湾沿いに暮らしてみたいという願望が以前からあり、夢の島近辺のホテルを探したら西葛西駅前のホテルが空いていたので、12/31~1/4に泊まってきた。

同じ都内だが、多摩ニュータウンの自宅からは1時間半くらいである。

旅行するときは何百枚も写真を撮ることが多いのだが、このときは住んでいたのであまり撮っていないため、説明が多くなって申し訳ない。

12/31の昼まで仕事をしており、仕事をおさめて高田馬場で高田馬場らしいごはんを食べてゲームセンターミカドで遊んだあと、西葛西に到着して、ホテルで本を読んで、お腹がすいてきたらセブンイレブンで適当なお弁当を買ってきて食べて寝た。

 

「どこか行かなきゃ」という強迫観念に囚われなくてよいから楽


旅行していて大晦日にコンビニでお弁当を買って食べて早めに寝るなんてありえないが、いまは西葛西に「住んで」いるのだから当然のことである。
起きて1/1になって、葛西臨海公園の方に散歩した。

 

暫定的でありながら住人なので、公園の謎の遊具を観察する心の余裕がある。

やはり23区は資金が潤沢にあるのでお子様のむき出しの欲望に応える遊具が備えつけることが可能なのだろう。

 

このへんの遊歩道の雰囲気は多摩ニュータウンと共通の雰囲気。

 

昔このあたりは海で、あさりやはまぐりが採れたらしい。葛西臨海公園にも生息はしているらしいけれど、採集は禁止されている。

 

激しく寄り道を重ねて1時間ほどで葛西臨海公園に到着した。

元日の朝なので特に人がいないと思われる。

 

広場も人がいなくて富士山もよく見える。


そうはいっても昼になると人が増えてきたので、昼にはホテルに戻った。
自宅にいるときもお茶は沸かして飲むことが多いので、ティーバッグを持っていって紅茶を淹れて飲んだ。

湯呑みで紅茶を飲むのは楽しい。

セブンイレブンで買ってきたレーズンサンドを食べながら文學界の新年号を読んだ。


1/2は前日と同様、午前中は散歩。

荒川を渡って南砂町に行って戻ってきて午後は昼寝したり読書をした。これが旅行なら「ほかに名所があるのに行かないのはもったいない」などと思うところだが、暫定的でありながら住人なので、ほかに名所を見つけたらまた別の日に行けばいいじゃないと思うのだった。

 


1/3に至っては、湯呑みでコーラを飲むようになってしまった。コーラは色が濃すぎてピントが合わせにくい。

 

遅めに暫定的住居を出て、旧江戸川を伝って浦安まで行って夕方に戻ってきた。
このときはさらに住んでいる感じにしたいと思ったのでカメラは持たなかった。写真はスマートフォンで撮った。

 

「名物を食べなきゃ」という気持ちにもならなくてよい


この暫定的居住生活で食べたものでもっとも特別だったのがタンメンで、あとはローソンとセブンイレブンを交互に使った。

暫定的住居であるホテルでよくも悪くもない窓の外の景色を眺めながらお弁当を食べたりセルフうどんで釜玉うどんをいただいたりしたのである。
西葛西はインド料理店が充実しているのだが、年末年始は閉まっているし、そもそも特別なごはんを食べたいという意気ごみもさほどなかったので、それでよかった。

 

 

1/4の午前中に西葛西を出て帰宅した。


実質3日半の西葛西での暮らしだったが、やはり海沿い川沿いに暮らすと散歩が充実すると実感した。住むつもりだったが旅行気分も副次的に発生してしまったことは否定できない。多摩ニュータウンも遊歩道の長さが日本一なので散歩に向いているのだが、緑道を通って橋をわたり、葛西臨海公園まで行って帰ってくるコースが楽しすぎて、また住みたいと思ったのだった。

 

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「海の京都」宮津の化粧地蔵にカルチャーショックを受けた

たとえば東京都民が本州を離れて沖縄の離島を旅すれば、建築がまったく本州のそれと異なり、同じ日本語圏なのに本州の文化とはぜんぜん違う異国に来たときのような感動を覚えるはずだが、本州を旅するときはどうだろう。沖縄でのような異文化との出会いは想定しないはずだ。細部は異なれど、東京と同じ文化圏だと思って行動しているはずだけれど、先日、京都北部の宮津で異文化に接して感動したので記念に書いておきたい。

 

参考情報として、わたしがふだん散歩で眺めている多摩市の貝取神社のお地蔵さん。

多摩ニュータウン開発のときに近辺の神社から合祀されたらしいのだが、お地蔵さんもそうなのかは知らない。近くに17世紀のお地蔵さんがあって、それは鎌倉街道沿いにあったものを動かしたらしく、もしかしたら彼らの出自もそうなのかもしれない。

マスクにも年季が感じられるようになったが、疫病が終息したら外したりするのだろうか。それとも意図的に外すことはなく、千切れたり飛ばされたりしたものからマスクなしになるのだろうか……。

 

雨よけのあるものもございます。

 


真ん中の赤いところがよくわからないと思うので寄ってみます。

つまり、頭の先しかないお地蔵さんに帽子を編んだ優しい人が近所にいるということ……多摩ニュータウン最高!

 

 

最高だったので話がそれてしまった。

京都から西舞鶴(ここの話も後日書きます)を経由して宮津に行ったのだが、道傍の祠に目を遣ると、中がなんだかカラフルである。

「ええい、ガンダムを映せ!」と思いながら(注:つまんないと思ったかもしれないですが、この台詞が大好きなので我慢してください)近づいてみると……

 

お地蔵さんに彩色している様子だがよく見えない。

そして、背後に字が書いてあり、昔からあるお地蔵さんの上に彩色しているようだ。

 

これも、「ええい、ガンダムを映せ!」案件であるが、彩色がよりガンダム寄りであり、ガンダムを見せてあげようという配慮が感じられなくもない。

 

 

最初に見かけたときは、地方でときどき見かけるインディーズのお寺で、敷地内にあったお地蔵さんを超解釈で塗ったりしたのかしらと思って写した。スペインのキリストの絵みたいな感じでエキサイティングだと感激したのだが、さらに町を歩いていると……。

ぜんぶ塗ってあるじゃん!(大阪出身だけれど、こういうときは「じゃん」を使いたくなる)

 

鈍感なわたしも、さすがにこれはこの地方特有の文化なのかもしれないと気づいて、「宮津 地蔵 色付け」で検索したらすぐ出てきた。「化粧地蔵」といって、どれもピカピカなのは、毎年地蔵盆のころに、地域のお子様たちがお色直しをしているからだった。なんて楽しい行事なのでしょう。

 

これはビルができる前からあってビルを建てるときに配慮した風で感動的。

 

これだけ多く卍があったら1つくらいは誰かが間違えて外国人がびっくりする感じの記号になりそうなものだが、描く前に「卍を描くときは全集中の呼吸やで!」などと教えこんだのかもしれない。

 

そして、自由に塗っていいはずなのに、顔は白が多くて、バイアスがかかっている。これもあと50年くらいしたら茶色が増えてきたりするのかしら……。

 

こちらは色遣いにおいて最も独創性があったのだが、首から下について、やはりガンダムを映せと思ってしまった。

 


事前に把握できていればたくさん見ることができたはずだけど、「宮津 名所」でこの愉快なお地蔵さんが出てくるはずもなく……ただ、異文化との出会いが突然だったおかげでいっそう感動したので、よい体験ができたと思う。これからも旅行中はキョロキョロしながら歩いていこうと思ったのだった。

 

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