珍しい「上円下方墳」が東京都府中市にあって、人も少なくて穴場ですという趣旨の記事ですが、例によってYouTubeも作っております。オッサンの一人称はしんどいという方にはこちらをおすすめいたします。
「上円下方墳」を覚えていますか

あなたの好きな古墳の形は何だろうか。全人類が古墳好きであるという前提で話を進めることは乱暴かもしれない。しかし全人類は、「古」ではないにせよ、いつかは「墳」というか墓に入る運命なのだから、いやいや墓に入るよりも積極的に墓のことを考えた方がよいのではないかと思う。
まず思い浮かぶのは前方後円墳だろう。大仙陵古墳は世界最大の古墳として知られている。

(ここで、さっと過去に大仙陵古墳に行ってきたときの写真をフォルダから取り出せることを褒めてほしい……)
面積で比べれば、クフ王のピラミッドよりも大きい。ただし、高さでいうとクフ王のピラミッドは約146メートル、大仙陵古墳は約35メートルで、面積だけで最大というのは気が引ける。

大仙陵古墳の近くの堺市博物館には比較模型もあって、クフ王のピラミッドが透明になっている。クフ王のピラミッドの近くに博物館がある場合は大仙陵古墳が透明になっていたりするのだろうか……。
もし、エジプトの人に大仙陵古墳を案内する機会があったら、「いちおう世界一ということにはなっているが、高さはピラミッドより低くて……」などと、モゴモゴしてしまいそうである。
そして円墳も挙がるのではないかと思う。

以前、埼玉県行田市の丸墓山古墳に行ったことがあるが、思ったよりも大きくて驚いた。
全古墳に公平を期したいと思うがゆえに前置きが無駄に長くなってしまったが、わたしが推したいのは上円下方墳である。なぜかというと、わたしが大阪出身だからである。
大阪人は「ミックス」が好きな生き物である。

お好み焼きでも、豚玉、イカ玉、ミックスがあったら、ついミックスを選びたくなる。
イカ玉については東京の人でも選ぶ人は少ないかもしれない。あれは、ミックスを選ばせるための当て馬のような存在なのかもしれない。
上円下方墳に話を戻すと、つまり円墳と方墳のミックス。上が円、下が方。前方後円墳もミックスではあるが、関西に多いのはそれが理由だったら最高に嬉しいが、絶対そうではないだろう。
上円下方墳は、中学受験のときに習った記憶がある。しかし、前方後円墳における大仙陵古墳のような代表例を覚えたわけではなく、図を見て「こういう形がある」と覚えただけだった。大学入学に至るまで、入試や模試で「上円下方墳」と書いた記憶もない。
このまま概念としての上円下方墳が頭の中にあって、実例を見ないままで散っていくのかと思っていたら、わたしの近所である東京都府中市に上円下方墳があることを知った。武蔵府中熊野神社古墳である。
前座として駅の南口の円墳を鑑賞
武蔵府中熊野神社古墳の最寄り駅は、南武線の西府駅である。

目的地は駅の北口側にある。しかし、わたしはあえて南口から出た。なぜなら、南口側にも古墳があるからである。いきなり本命を見るのはなく、景気づけに別の古墳を見てから向かうことにした。
南口側にあるのは御嶽塚5号墳という円墳で、6世紀前半に作られたらしい。

当時は墓だったが、江戸時代には御嶽信仰の対象になって御嶽塚となった。


社のようなものに目を凝らすと、「安政五午年」とある。1858年である。日米修好通商条約締結の年だ。そう考えると、江戸時代といっても最近のような気がしてくる。

この御嶽塚、一見すると駅前の小さな公園のように見える。それでも、立派な古墳であり、後年には信仰の対象にもなった。こんなに駅のそばに古墳があるのは素敵である。西府駅としては武蔵府中熊野神社古墳を推しているようだが、この御嶽塚もついでに見ておきたい。
いよいよ武蔵府中熊野神社古墳へ
南口側の御嶽塚で大満足しつつ、そろそろ本体に向かうことにした。駅に戻り、北口へ降りなおす。


俯いて歩いている人にも上円下方墳の存在が知れるようになっとります。
5分ほど歩くと、武蔵府中熊野神社と古墳展示館が見えてくる。

展示館まであって府中市の財力に目眩がした。わたしが住む多摩市にも古墳があるが展示館はない……。
まずは神社と古墳を見て、それから展示館に向かうことにした。

鳥居を見ると、ふつうの神社に見える。

拝殿のところまで来ると、背後に何かが控えているのがわかる。
まず神社について見ていく。

扉の木目がかなりダイナミックで、ロールシャッハテストのように見える。まあ古墳を見に来ているのだから、どんな模様も古墳に見えてしまう。



神社の創建は江戸初期で、現在の社殿は天保9年に改築されたものだという。もともとは駅を越えた南口側にあったが、安永6年に現在地へ移築されたらしい。多摩川沿いは水害も多かっただろうし、少し高くなっている場所へ移そうという話になったのかもしれない。

令和とは思えない忘れ物があったが、40年くらい同じ場所にあったりしたらいいのにと思った。
できたばかりのような石積みに感動する
いよいよ古墳である。

神社の右奥に回ると、解説があり、石室への入口がわかるようになっている。

古墳が作られたころの石積みが再現されていて、これがかなりよい。
東京の古墳は、芝丸山古墳のように、発見されたときのままに近い状態で残っているものも多い。

丘にしか見えなくて古墳なのと思ったりする。もちろん、それはそれでよい。
しかし個人的には、五色塚古墳のように、当時の姿をある程度想像できる復元があるほうが好きかもしれない。

これは20年近く前に行ったときの写真だが、いまもこの感じを保っているようである。
武蔵府中熊野神社古墳は、当時に近い姿の石積みがあることで、亡くなった方への祈りの気持ちが伝わってくる。
しかも、この見た目を保つには、かなりこまめに手入れがされているはずである。

雑草は猫じゃらしが少し生えている程度だった。古墳は放っておくとすぐに草に飲み込まれそうなので、維持管理のありがたさを感じるとともに、府中市の財力に感動いたしました。
裏側に回ると熊野神社の鳥居があり、「神社の敷地に古墳がある」という体裁になっている。

さらに回ると公園のような場所があり、そこから古墳全体の様子がよくわかる。
そして、脇にステージもある。
ときどき古墳祭りが行われているらしい。

古墳を背景にしたステージ。死者の復活を祈るライブなどをしてほしいところである。府中市の意気込みを感じる。
イベントがない日でも、ステージに立ってみると、普段うだつのあがらないサラリーマンでも多少スターの気分を味わえる。

そして、多少古墳がよく見える。
上円下方墳という形のユニークさを満喫する
建造物として見ても迫力がある。前方後円墳のように横に長いのではなく、円と方が上下に重なる。

なぜこの形になったのかについては諸説あるようだ。
ひとつは、中国の「天円地方」という考え方に由来するという説である。天は円形で、地面は四角であるという世界観を、古墳の形で表現しているというのだ。壮大な話である。えらい人が亡くなったら、この世界そのものをかたどった墓を作りたいということなのかもしれない。
もうひとつ、「上円下方墳は前方後円墳の縮小版」という説もあるらしい。広い土地に前方後円墳を作るのは難しいので、せめて2階建てのような形にしておこう、ということだったら、かなりわかりみが深い。家でも「広い平屋は無理だから2階建てにする」ということはある。古墳にも住宅事情のようなものがあったのだろうか。たぶん違うが、そう考えると急に親近感が出る。
何周かぐるぐる回って、すっかり満たされた。次は古墳展示館である。
古墳展示館で中身を見、すべてを理解した気分になる
古墳展示館には、古墳の盛土を剥がした断面のような展示がある。

古墳の中身を見たいという気持ちが満たされる。
ただし、この古墳は明治時代までカジュアルに出入りできたらしく、副葬品はほとんど残っていないという。残っているものは、刀の先につけられていた金具などである。
展示館にはその複製が展示されている。

丸がたくさんついている文様は七曜文で、中国から伝来したものらしい。レプリカではない本物の副葬品は、府中市郷土の森博物館にある。

府中市郷土の森博物館では、人の歯も展示されていた。

かなりすり減っているように見えた。大丈夫かと心配になるが、大丈夫ではないからお墓に入ったのだろう。
そして全体の構造がまるわかりの模型も用意しております。

展示館に話を戻す。


葺石などの実物も見ることができ、古墳の構造とあわせて理解が深まる。模型があるのもありがたい。古墳は現地で見ると大きさに圧倒されるが、模型を見ると構造が頭に入りやすい。
古墳を復元したときの説明もあった。

神社全体を前のほうに曳家で移動したらしい。建物ごと動かしたというのがワイルドである。現代の工法と違って、昔の建物は石の上にのっているような構造だから可能なのだろう。地面にがっちり刺さっているというより、置かれているに近いのかもしれない。
さらに、石室を再現した場所もある。

係の人にお願いすると、中に入れるようになっている。

旧甲州街道に面した場所にあるのだが、中に入ると完全に別世界である。東京でこんなところがあるのか、と感動する。こういう場所で、やんごとなき人か、あるいはそれほどやんごとなき感じでもない人が眠っていたのだ。
武蔵府中熊野神社古墳は、新宿からでも1時間かからず行ける。駅からも近い。しかも、南口には御嶽塚、北口には武蔵府中熊野神社古墳と古墳展示館がある。古墳のはしごができる駅である。
東京の住宅地の中に、古代の巨大構造物がぬっと残っている感じが面白い。
上円下方墳をまだ履修していない人がほとんどだと思うので、西府へ行ってみることをおすすめします。
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中流でも水が少ない時期なら渡れてしまう。

































エレベーターが置けないくらい細い、ということだと思う。牛久の大仏は久しく行っていないが、たしかエレベーターがあって、シンプルな筒状だった。











































