ココロ社

主著は『モテる小説』『忍耐力養成ドリル』『マイナス思考法講座』です。連絡先はkokoroshaアットマークnifty.comです。

非名古屋民が「味噌カツ」の尋常ならざるおいしさを発見した話

今回は、みそかつについて「別に……」と思っていたわたしが「最高」となるまでの話。特にみそかつに関心がないあなたにぜひ読んでいただきたいです。
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大阪育ちでいまは東京住まいのわたしは、名古屋というか愛知県の味噌を味付けに使う文化について関心がなかった。もし、「チョコレートかつ」や「ずんだかつ」のように、味の想像がつかないものが名物だったなら一度は食べてみようと思ったはずだが、とんかつに味噌を塗ったらどんな味になるかはだいたい想像がつく。最高でも最低でもない食べ物に違いないと想像していたので、長いあいだ、味噌カツをほとんど食べたことがなかった。正確には、何かの弁当に入っていたとんかつの小さな破片が味噌味だったことはある。しかし、それがどんな味だったかはまったく記憶に残っていない。やはり最高でも最低でもなかったのだろう。少なくとも、「また食べたい」と思うほどの体験ではなかった。

そんなわたしが「味噌カツは積極的に選択して食べるべきごちそうである」と感じるに至った道のりを、ただひたすら説明したい。お役立ち情報は特にないのでご注意くださいませ。

 

味噌カツを食べてこなかった理由

味噌カツを積極的に食べてこなかった理由はたくさんあるが、上位三つをあげてみよう。

第一に、そもそも選択肢として存在しなかった。とんかつといえばソースであり、ソース以外があるとしても、おろしポン酢くらいである。味噌だれが用意されている店は、わたしの生活圏、東京でも大阪でもあまり見かけなかった。

第二に、「味噌カツは名古屋人専用の食べ物」というイメージがあった。たとえばスガキヤのラーメンのおいしさは、放課後に友達とスーパーのフードコートで食べながら、だらだら過ごした記憶がないと理解しづらいと思う。味噌カツについては、テストで100点をとったり部活の大会で優勝したときのご褒美として食卓に登場するような習慣があり、愛知県出身で東京在住の人が味噌カツを口にしたとき、若いころの成功体験が走馬灯のように脳裏に浮かんでくるので、単体の味としてはそこまでではないにせよ、定期的に食べたい食事である……などと想像していた。

第三に、とんかつは安全パイを選びたくなる食べ物である。家で作るには大変だし、外食するにしても少しよいお値段である。さらにカロリーも高い。だからこそ「せっかくとんかつにありつける機会を得たのから、微妙な味のとんかつを食べるわけにはいかない」という圧力があり、今日はちょっと味噌だれで食べてみよう、などという冒険心は浮かんでこない。

 

長々と、わたしが味噌カツを食べない理由を述べてきたが、先日、わたしと味噌カツの関係が変化した。
あるとき、「矢場とん」が東京にもあると知った。味噌カツで有名な名古屋の店である。わたしは勝手に、こういう店は門外不出なのだと思っていたので調べることすらしていなかった。

 

本場の有名店の味噌カツを食べて、おいしいと思わなかったら、味噌カツは今後永久にとんかつの選択肢から外してよい。逆においしかったら、わたしと味噌カツの新しい歴史が始まる。そのくらいの気持ちで決着をつけに行くことにした。

 

矢場とんに進路をとる

ただし、矢場とんを探すのには少し苦労した。「グランスタ」にあると聞いていたのだが、東京駅には「グランスタ東京」「グランスタ八重洲」「グランスタ八重北」「グランスタ丸の内」「グランアージュ」があった。わたしは「グランスタ」の後ろまで見ていなかったため、しばらくグランスタをさまよい歩いた。グランスタ砂漠である。

正解は「グランスタ八重洲」だった。

 

日曜の午後4時ごろに到着すると、「20分待ち」と表示されていた。

未知の味を体験するために20分待つのはひとつの賭けである。しかし入口まで行くと、すんなり入店できた。どうやら「この場所に並んでいる場合は20分くらいで入れそうです」という意味だったようだ。

 

事前にがっちり予習していたので、迷わずリブロースとんかつ定食を頼んだ。矢場とんといえば「わらじとんかつ」が有名だが、わたしはあえてリブロース。味噌に合うとんかつがあるとすれば、それはヒレかつのような脂身の少ない肉ではないはずだ、と考えたからである。味噌だれの濃さや甘みを受け止め、なおかつ一体化できるのは、脂身を多く含む肉ではないかと推測した。

ほどなくして定食が到着した。

そして、店員さんが目の前で味噌だれをたっぷりかけてくれた。ほんの一瞬の時間だったが、永遠に味噌だれが降ってくるように見えた。むかし札幌で、ストップと言うまでいくらをかけてくれるいくら丼を頼んだことがあった。本音では永遠にストップなんてしてほしくなかったが、むこうもビジネスでやっているのだし、適当なところで空気を読んでストップと言わないといけないんだろうなと思ったが、この味噌だれも空気を読んでストップと言った方がよいのだろうか……などと思っているうちに、とんかつは焦茶色になり、規定の量をかけ終えた店員さんは次のとんかつを焦茶色にすべく、颯爽と去っていった。

 

これはソースとんかつにはないフローである。
少しだけ味噌だれをかけて試す、といった食べ方は店として推奨していないのだろう。これが味噌かつを最もおいしく味わうための正解なので、ただ食べていれば幸せになれる、という明確なメッセージを受け取った。

 

一口食べてみて、わたしは期待の何倍も豊かな味に驚いた。

味噌だれには砂糖やみりんが味噌と同じくらい入っているので、甘いだろうとは予想していた。しかし、単に甘いだけではなかった。発酵食品特有の、奥行きのある豊かさがあった。甘み、塩味、うまみ、香りが一枚のとんかつの上でまとまり、ただ濃いだけではない味になっていて感動した。

そして、わたしの読みどおり、脂身の部分がいちばん味噌だれとのハーモニーに優れていた。肉の脂の甘さと、味噌だれの複雑な甘辛さがぶつからず、むしろ互いに引きたてあっていた。

なので、味噌だれを「ソースの代わり」と思って食べると、違いすぎて少し戸惑うかもしれない。ソースとんかつの変奏ではなく、別の料理として受け止めるためのマインドセットが必要である。

 

たとえば、イケアのスウェーデン風ミートボールにはコケモモのジャムが添えられている。

肉に甘いジャムを合わせると聞くと、肉のおいしさが台なしになりそうに思える。しかし食べてみると、さっぱりして意外においしい。味噌カツにもそれに近い驚きがあった。ソースとはまったく別の魅力を持つ食べ物なのだ。

 

近所に味噌カツの店があったことを思い出す

あまりにもおいしかったため、翌日からわたしは味噌カツを食べたい気持ちに苦しむこととなった。そこで近所の「かつさと」を思い出した。

 

かつさとは愛知県田原市で創業し、東海地方を中心にフランチャイズを展開しているとんかつ店である。東京にも支店があり、八王子市や多摩市にもある。東京の中で名古屋に地理的に近いところがよいという判断なのだろうか。多摩センター店はわたしの近所で、以前からときどき行っていた。

 

しかしわたしは、メニューに味噌カツを見つけても「あるねぇ~」と思うだけで、いつもロースかつ定食を頼んでいた。愛知県発祥で、味噌カツを得意としているはずの店で、今までずっとソースかつばかり食べていたのである。申し訳ない気持ちになりつつ、今回は味噌カツ丼のジャンボを頼んでみた。

味噌カツを食べたことがない人が見ても、フーンと思うだけかもしれない。しかし、味噌カツがおいしいと知ったあとで見る、たっぷり味噌だれのかかったかつ丼はたいへん魅力的である。味噌だれが輝いて見える。

 

もしかしたら、おいしいのは矢場とんの味噌カツだけなのではないか、という不安もあった。しかし、かつさとの味噌カツ丼もたいへんおいしかった。

これにより、わたしの中でかつさとの位置づけは変わった。「ロースかつ定食を食べに行く店」ではなく、「味噌カツを食べたくなったら行く店」になったのである。

 

そして今では、とんかつ屋で味噌カツを選べる場合は味噌カツを頼むべきだと思っている。たとえば、かつやのグランドメニューには味噌カツはない。東京で味噌カツを選べるということは、その店が強い意志と自信を持って味噌カツを出しているということだろう。ならば、こちらも受けて立つしかないと思った次第である。

 

 

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ピカピカの「上円下方墳」が東京都府中市にある

珍しい「上円下方墳」が東京都府中市にあって、人も少なくて穴場ですという趣旨の記事ですが、例によってYouTubeも作っております。オッサンの一人称はしんどいという方にはこちらをおすすめいたします。


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「上円下方墳」を覚えていますか

あなたの好きな古墳の形は何だろうか。全人類が古墳好きであるという前提で話を進めることは乱暴かもしれない。しかし全人類は、「古」ではないにせよ、いつかは「墳」というか墓に入る運命なのだから、いやいや墓に入るよりも積極的に墓のことを考えた方がよいのではないかと思う。

 

まず思い浮かぶのは前方後円墳だろう。大仙陵古墳は世界最大の古墳として知られている。

(ここで、さっと過去に大仙陵古墳に行ってきたときの写真をフォルダから取り出せることを褒めてほしい……)

 

面積で比べれば、クフ王のピラミッドよりも大きい。ただし、高さでいうとクフ王のピラミッドは約146メートル、大仙陵古墳は約35メートルで、面積だけで最大というのは気が引ける。

大仙陵古墳の近くの堺市博物館には比較模型もあって、クフ王のピラミッドが透明になっている。クフ王のピラミッドの近くに博物館がある場合は大仙陵古墳が透明になっていたりするのだろうか……。

もし、エジプトの人に大仙陵古墳を案内する機会があったら、「いちおう世界一ということにはなっているが、高さはピラミッドより低くて……」などと、モゴモゴしてしまいそうである。

 

そして円墳も挙がるのではないかと思う。

以前、埼玉県行田市の丸墓山古墳に行ったことがあるが、思ったよりも大きくて驚いた。

全古墳に公平を期したいと思うがゆえに前置きが無駄に長くなってしまったが、わたしが推したいのは上円下方墳である。なぜかというと、わたしが大阪出身だからである。

 

大阪人は「ミックス」が好きな生き物である。

お好み焼きでも、豚玉、イカ玉、ミックスがあったら、ついミックスを選びたくなる。

イカ玉については東京の人でも選ぶ人は少ないかもしれない。あれは、ミックスを選ばせるための当て馬のような存在なのかもしれない。

 

上円下方墳に話を戻すと、つまり円墳と方墳のミックス。上が円、下が方。前方後円墳もミックスではあるが、関西に多いのはそれが理由だったら最高に嬉しいが、絶対そうではないだろう。

 

上円下方墳は、中学受験のときに習った記憶がある。しかし、前方後円墳における大仙陵古墳のような代表例を覚えたわけではなく、図を見て「こういう形がある」と覚えただけだった。大学入学に至るまで、入試や模試で「上円下方墳」と書いた記憶もない。
このまま概念としての上円下方墳が頭の中にあって、実例を見ないままで散っていくのかと思っていたら、わたしの近所である東京都府中市に上円下方墳があることを知った。武蔵府中熊野神社古墳である。


前座として駅の南口の円墳を鑑賞

武蔵府中熊野神社古墳の最寄り駅は、南武線の西府駅である。

目的地は駅の北口側にある。しかし、わたしはあえて南口から出た。なぜなら、南口側にも古墳があるからである。いきなり本命を見るのはなく、景気づけに別の古墳を見てから向かうことにした。

 

南口側にあるのは御嶽塚5号墳という円墳で、6世紀前半に作られたらしい。

当時は墓だったが、江戸時代には御嶽信仰の対象になって御嶽塚となった。

社のようなものに目を凝らすと、「安政五午年」とある。1858年である。日米修好通商条約締結の年だ。そう考えると、江戸時代といっても最近のような気がしてくる。

 

この御嶽塚、一見すると駅前の小さな公園のように見える。それでも、立派な古墳であり、後年には信仰の対象にもなった。こんなに駅のそばに古墳があるのは素敵である。西府駅としては武蔵府中熊野神社古墳を推しているようだが、この御嶽塚もついでに見ておきたい。


いよいよ武蔵府中熊野神社古墳へ

南口側の御嶽塚で大満足しつつ、そろそろ本体に向かうことにした。駅に戻り、北口へ降りなおす。

俯いて歩いている人にも上円下方墳の存在が知れるようになっとります。

 

5分ほど歩くと、武蔵府中熊野神社と古墳展示館が見えてくる。

展示館まであって府中市の財力に目眩がした。わたしが住む多摩市にも古墳があるが展示館はない……。

 

まずは神社と古墳を見て、それから展示館に向かうことにした。

 

鳥居を見ると、ふつうの神社に見える。

 


拝殿のところまで来ると、背後に何かが控えているのがわかる。

 

まず神社について見ていく。

扉の木目がかなりダイナミックで、ロールシャッハテストのように見える。まあ古墳を見に来ているのだから、どんな模様も古墳に見えてしまう。

 

神社の創建は江戸初期で、現在の社殿は天保9年に改築されたものだという。もともとは駅を越えた南口側にあったが、安永6年に現在地へ移築されたらしい。多摩川沿いは水害も多かっただろうし、少し高くなっている場所へ移そうという話になったのかもしれない。

 

令和とは思えない忘れ物があったが、40年くらい同じ場所にあったりしたらいいのにと思った。

 

できたばかりのような石積みに感動する

いよいよ古墳である。

神社の右奥に回ると、解説があり、石室への入口がわかるようになっている。

古墳が作られたころの石積みが再現されていて、これがかなりよい。

 

東京の古墳は、芝丸山古墳のように、発見されたときのままに近い状態で残っているものも多い。

丘にしか見えなくて古墳なのと思ったりする。もちろん、それはそれでよい。

しかし個人的には、五色塚古墳のように、当時の姿をある程度想像できる復元があるほうが好きかもしれない。

これは20年近く前に行ったときの写真だが、いまもこの感じを保っているようである。

 

武蔵府中熊野神社古墳は、当時に近い姿の石積みがあることで、亡くなった方への祈りの気持ちが伝わってくる。

 

しかも、この見た目を保つには、かなりこまめに手入れがされているはずである。

雑草は猫じゃらしが少し生えている程度だった。古墳は放っておくとすぐに草に飲み込まれそうなので、維持管理のありがたさを感じるとともに、府中市の財力に感動いたしました。

 

裏側に回ると熊野神社の鳥居があり、「神社の敷地に古墳がある」という体裁になっている。

さらに回ると公園のような場所があり、そこから古墳全体の様子がよくわかる。

 

そして、脇にステージもある。

ときどき古墳祭りが行われているらしい。

古墳を背景にしたステージ。死者の復活を祈るライブなどをしてほしいところである。府中市の意気込みを感じる。

イベントがない日でも、ステージに立ってみると、普段うだつのあがらないサラリーマンでも多少スターの気分を味わえる。

そして、多少古墳がよく見える。

 

上円下方墳という形のユニークさを満喫する

 

建造物として見ても迫力がある。前方後円墳のように横に長いのではなく、円と方が上下に重なる。


なぜこの形になったのかについては諸説あるようだ。

ひとつは、中国の「天円地方」という考え方に由来するという説である。天は円形で、地面は四角であるという世界観を、古墳の形で表現しているというのだ。壮大な話である。えらい人が亡くなったら、この世界そのものをかたどった墓を作りたいということなのかもしれない。

もうひとつ、「上円下方墳は前方後円墳の縮小版」という説もあるらしい。広い土地に前方後円墳を作るのは難しいので、せめて2階建てのような形にしておこう、ということだったら、かなりわかりみが深い。家でも「広い平屋は無理だから2階建てにする」ということはある。古墳にも住宅事情のようなものがあったのだろうか。たぶん違うが、そう考えると急に親近感が出る。

何周かぐるぐる回って、すっかり満たされた。次は古墳展示館である。

 

古墳展示館で中身を見、すべてを理解した気分になる

古墳展示館には、古墳の盛土を剥がした断面のような展示がある。

古墳の中身を見たいという気持ちが満たされる。

 

ただし、この古墳は明治時代までカジュアルに出入りできたらしく、副葬品はほとんど残っていないという。残っているものは、刀の先につけられていた金具などである。

展示館にはその複製が展示されている。

丸がたくさんついている文様は七曜文で、中国から伝来したものらしい。レプリカではない本物の副葬品は、府中市郷土の森博物館にある。

府中市郷土の森博物館では、人の歯も展示されていた。

かなりすり減っているように見えた。大丈夫かと心配になるが、大丈夫ではないからお墓に入ったのだろう。

そして全体の構造がまるわかりの模型も用意しております。

 

 

展示館に話を戻す。

葺石などの実物も見ることができ、古墳の構造とあわせて理解が深まる。模型があるのもありがたい。古墳は現地で見ると大きさに圧倒されるが、模型を見ると構造が頭に入りやすい。

 

古墳を復元したときの説明もあった。

神社全体を前のほうに曳家で移動したらしい。建物ごと動かしたというのがワイルドである。現代の工法と違って、昔の建物は石の上にのっているような構造だから可能なのだろう。地面にがっちり刺さっているというより、置かれているに近いのかもしれない。

さらに、石室を再現した場所もある。

係の人にお願いすると、中に入れるようになっている。

旧甲州街道に面した場所にあるのだが、中に入ると完全に別世界である。東京でこんなところがあるのか、と感動する。こういう場所で、やんごとなき人か、あるいはそれほどやんごとなき感じでもない人が眠っていたのだ。

 

武蔵府中熊野神社古墳は、新宿からでも1時間かからず行ける。駅からも近い。しかも、南口には御嶽塚、北口には武蔵府中熊野神社古墳と古墳展示館がある。古墳のはしごができる駅である。
東京の住宅地の中に、古代の巨大構造物がぬっと残っている感じが面白い。

上円下方墳をまだ履修していない人がほとんどだと思うので、西府へ行ってみることをおすすめします。

 

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首都圏の異界にして穴場、逗子の「まんだら堂やぐら群」

「首都圏に住んでいて忙しいけど異界みたいな感じのところに行きたい」という悩みは「食べたいけど痩せたい」という悩みに似ている。後者については如何ともしがたいが、前者について、逗子にある、中世の葬送施設「まんだら堂やぐら群」に行ってきたときの報告をさせていただきたい。

 

YouTube動画も作ったのでご高覧いただけますと幸いです。
内容はこのブログとだいたい同じだけれど、女の人が話す体裁にしているので、「中年男性の書いたブログはチョット……」と思っている方におすすめです。


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ここは春と秋だけ公開されている場所で、2026年度は下記の土日祝日&月曜。

4月18日(土曜日)~5月31日(日曜日)
10月24日(土曜日)~12月14日(月曜日)

弊ブログに2027年以降にアクセスしてくださった未来人の方々におかれましては、「まんだら堂 公開日」で検索すればOKでございます。

期間限定だが予約などは不要。ちょうどいい異界である。

以下は2025年の秋に行ってきたときの様子です。

 

行き方はいくつかあるのだが、わたしとしては逗子駅から歩いて法性寺を経由するルートが楽しいと思う。いきなり目的地に行くのではなく、まんだら堂に向かって気持ちを徐々に高めていける。

 

逗子駅から線路沿いに20分ほど歩くと踏切と轢死者供養塔がある。

本意ならともかく不本意な轢死は避けたく、気を引きしめて渡ろう……などと思ってしまうが、渡らずに右を見ると法性寺の山門が見えてくる。

ただ、わたしは供養塔を眺めすぎたため、思わず踏切を渡って小坪隧道のほうへ行ってしまった。

小坪隧道は心霊スポットとして知られているらしい。霊感ゼロのわたしが行ったときは、特に気持ち悪い感じはなかった。むしろ土木遺産になっていたので、寄り道としてはよいと思う。

 

気を取り直して元の道に戻って山門を見ると眠り猫を縦にしたようなキャラクターが扁額の両脇でわたしを歓迎していた。

縦だから起き猫かと思って近づいてみると猿だった。

この猿は、日蓮の家が焼かれたとき、白い猿に導かれて難を逃れたという伝承に由来しているらしい。猿に対して、犬猫に比べて人間に近すぎて愛玩する気持ちになれないという気持ちだったが反省した。

 

階段を登っていくと鳥居があり、さらに登ると山王権現の祠と塔がある。

そしてここから、「お猿畠の大切岸」の全貌が見える。

「お猿畠」は先述の通りだが、「大切岸」とは何だろう。

 

まんだら堂も見たいが、大切岸も見たいので、少し寄り道した。まんだら堂とは逆方向なのだが、ここまで来て見ないわけにはいかない。

大切岸を間近に見ると、バウムクーヘンを巨大にしたような壁が続いていて、おいしそうである。要するに石切場なのだろうかと思ったが、そのとおりらしい。というか、半世紀以上生きているので、いいかげん地層をバウムクーヘン以外のものに喩えられるようになりたい。


大切岸側から法性寺を見るとthe霊場という景色。

そこから、まんだら堂のある名越の切通へ向かう。

途中には石廟がある。

墳墓堂である。中にはお供えがされていた。

これを供えられて死者が喜ぶのかしらと思ったが、わたしの感性よりも、このお供えをする感性の方がノーマルに近いと認識はしている。

 

名越の切通。

たしかに「切り通されている」という感じがする。岩を削って、人が通るための道を無理やり作った感じがある。1233年の『吾妻鏡』には、すでにこの道についての記述がある。

 

鎌倉は、攻略が困難であると同時に、交通の便がよくない土地である。それは表裏一体なのだが、切通を作って通路を確保する必要があった。名越の切通は、三浦半島と鎌倉をつなぐ重要なルートだった。

 

その切通をしばらく歩くと、まんだら堂やぐら群に到着する。

特に拝観料の設定はなかったが寄付をした。管理されていないと早晩エモいを通り越しそうだからで、実際、公開期間外は草に覆われていることが多いらしい。


写真だけ見ると人がまったくいないように見えるが、10人程度はいた。その人の少なさも含めて異世界のようだった。

 

五輪塔のサンプルというか本物があった。

ときどき飲食店で食品サンプルではなくて本物をサンプルにしているのを見かけるが、だいたいラップが汗をかいている。五輪塔は下から「地・水・火・風・空」を表している。

「風」の立ち位置が微妙だと思った。空の高度がちょっと低いのが風だから別にたてなくてもよかったのではと思わなくもない。塔のデザインも「空」と一体化している。

やぐらの中で五輪塔がひしめきあっている。それなりに揺れを吸収する構造なのだと思うが、大きな地震が起きてもとに戻そうとしたときは、空featuring風のところは他の人の空featuring風と入れ替わったりしそうな気がする。

 

誰が供養されているのかはわからない。ただ、同じ穴に入った人たちは、あの世で仲よくできているといいなと思う。わたしは集団生活が苦手なので、自分なら超オンボロの崩れかけの穴でいいから、ひとり用の穴をキボンヌである。

このへんとか空いてるし……。

 

カラスは頭がよすぎなので、「人間の墓に俺たちはピッタリ」みたいに思っていたりするのかもしれない。

 

上にあがって全体を見下ろせる場所もある。

上から見ると、あらためて規模の大きさがわかる。そして同時に、崩れているところも多いと気づく。

このやぐら群は、やわらかくて掘りやすい地質だからこそ作られたのだろう。だが、掘りやすいということは、崩れやすいということでもある。作りやすさと壊れやすさは表裏一体。

 

さらに先へ進むと、切通の終わりがあってクライマックス感がある。

切通を抜けると住宅街で感動した。

「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」は「雪国の先の長いトンネルを抜けると普通の農村であった」でも感動できる自信がある。

 

そのまま駅に戻るという手もあったが、せっかくなので逗子海岸に寄ってから帰った。

小坪海浜公園には、無理やりヤシの木を植えたような場所があり、冬に行くとビジュアルと気温の差に感動する。

 

このあと逗子駅に戻るまで道に迷ってだいぶ遠回りしたので、ノーマルな方はまんだら堂からそのまま引き返してもよいかもしれない。

期間限定とはいえ、春と秋という、ちょうど「異界に行きたい」と思うタイミング(少なくともわたしはそうである)で公開されているので、首都圏にお住まいの方は行ってみていただきたい。

 

 

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お寿司をぜんぶ「ミニしゃり」で食べて背徳感と満足感に痺れた

お寿司屋さんでネタだけ食べてシャリを残す人が定期的に非難されている。感じの悪い仮想敵を作って怒っているだけだと思っていたが、「お寿司 シャリ抜き」で検索すると本気の人たちと出会うことができる。

その件についてはお刺身を頼めばいいやんと思うのだが、ことのよしあしを論じる以前に、「そもそもそれはおいしいのか」という点が気になってきた。

とはいえ、わたしには、「今日はシャリ抜きでお願いします」と言えるような関係性のお寿司屋さんはいない。そんなことができれば、20年以上もブログを書き続けたりもしなかっただろう。

 

いろいろ考えた末、なるべく近い方法で実践してみることにした。

スシローの「ミニしゃり」である。

 

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「ミニしゃり」とは、文字通り、通常よりかなり小さいシャリで寿司を出してくれる仕組みである。

かわいらしいアイコンによりその存在は知っていたが、これをいったい誰が選ぶのだろうと思っていたが、わたしだった。

 

さっそく注文していく。まずは鯛。スシローで、並ばず着席できて「めでたい」という意味もこめての一皿でもある。

実際に見ると、たしかに通常のシャリより小さい。

 

次にイカを頼んだ。

シャリがイカに巻かれているように見える。長いものには巻かれろ、ということなのかもしれないし、実際巻かれ中である。
食べてみると、イカの旨味が感じられてよかった。

 

その次はハマチ。

ネタの形が少しリーゼントのようで、見た目に妙なかっこよさがある。しかしハマチは脂が多く、食べていて、これはもう少しシャリの援軍がほしいと思った。

 

さらにイワシを頼むと、特定地域の成人式を思わせるビジュアルで登場した。

食べている途中で、本当にシャリはあったのだろうかと思う瞬間すらあった。お酒を飲みながらゆっくりつまむのではなく、脂のある刺身を高速で連続摂取している感じになり、ジャンクフードを食べたときとはまた違う、謎の高揚感が生まれてきた。

 

続いてアイスランド貝を頼んだ。

形が正方形に近く、視覚的にミニしゃりとよく合っている。味もほかの貝に比べると淡白で、ミニしゃり向きのネタとしてはかなり優秀なのではないかと思った。もっとも、アイスランド貝には500年生きた個体もあるらしい、といった話を思い出すと、この人は何歳なのだろうと考えこんでしまう。

アイスランド貝には申し訳なさが先に立ち、ふだんもあまり頼まないのだが、せめてもの晴れ舞台として今回はミニしゃりで頼んだのだった。

 

そして、「ホタテ貝はどうだろう」と気持ちになってしまったので頼んだ。

さすがに厚みがあるので、ミニしゃりだとバランスが崩れてしまう。

こうして見ると、ホタテ貝はじつに整った形をしていて、人間に食べられるために生まれてきたようにすら見える。


アイスランド貝→ホタテ貝の順番で食べたことで、アイスランド貝がホタテ貝のおいしさを引き立てるための前座になってしまったようでもあり、少し申し訳ない気持ちにもなった。

 

次に、ふだんならまず頼まないたまごを注文してみた。

ここまでくると、シャリは寿司の主役というより、ネタの底上げをするための手段のように見えてくる。

たまごに関しては、ネタとシャリのバランスがなかなか良好だった。

 

さらに生エビも頼んだ。

曲がった姿が生前の姿を彷彿とさせる。食べると旨味がしっかり感じられ、量としてもちょうどよい。

同じくタコもおいしかった。タコと炭水化物の比率で考えると、これはたこ焼きよりはるかに贅沢な食べ物である。

 

そうこうするうちに、ミニしゃりが選べる寿司の種類には限りがあることがわかってきた。そこで二周目に突入した。

二周目の鯛は、ネタがミニしゃりに映えるような形になっていて、しかも厚い。見た目にも満足感が強い。

 

とはいえ、自分でも少し不安になってきた。食べても食べても、満腹になる兆しがまったく見えないのである。

なるべくカロリーの高いもので終盤を固めようと思い、ハマチ、えんがわ、焼きとろサーモン、まぐろ赤身などを頼んだら、無事おなかがいっぱいになってきた。

結局、28皿をいただいた。会計は5080円だった。ひとりでスシローで5000円以上食べることはないと思っていた。回転しないお寿司屋さんなら安い方であるが、妙に贅沢をした気分になった。印象としては、高速で刺身食べ放題をしたような感覚。背徳感と爽快感が入り混じってややこしい気分になった。

 

店を出たときには、しばらくお寿司はもういいかなと思った。しかし困ったことに、その後、何か嫌なことがあったときも、逆に楽しいことがあったときも、「ミニしゃりだけのスシロー大会」が選択肢に登場した。絶対に破滅することはないが危険な考え方ではある。


とはいえ、満足感と達成感は得られた。人生が虚しくなった人には、試してみる価値があるかもしれない。

 

 

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東京・野川の始まりと終わりを見て「野川はワシが育てた」という優越感を得る

よく考えたら「野川」ってすごい名前やね

大阪出身のわたしが野川を最初に見たとき、「なんちゅう名前の川や」と思った。
「野川」という名前の一級河川は東京のほかに富山や滋賀にもある。名前だけで考えると、まったく「野」を通過しない「川」の方が珍しいので、地名と絡めるなどして名付けるべきだったのかもしれない。山形県の置賜野川などは、「野川」とだけ名乗ると混乱を生むので、「置賜」という地名をつける配慮を見せてくださっているというのに。
ちょうど武蔵野という地名もあるのだから「武蔵野川」などとするのがよいように思う。東京都民が一般名詞を固有名詞のように使うのは無自覚とはいえ選民意識があるのではと疑ってしまうが、「東京23区でもっともプライドが高そうな区」といわれる世田谷区に流れつく川なのだから、本来なら、ただ「川」と呼びたいところを我慢して「野」をつける配慮をしてくださったと考えるべきなのかもしれない。
とはいえ、世界トップクラスのメガシティTokyoにおいて、「野」を思わせる「川」があるというのだから、うれしくて「野川」と呼びたい気持ちになってしまうことを東京都民以外の方々にはご理解いただければ幸甚です。


今回のテーマは野川でYouTube動画も作成したのだが、以上のような妄言を動画の冒頭でしてしまうと無慈悲にスワイプされてしまうということを最近ようやく学んだ。YouTubeで、最初にまとめを入れた健気さを評価して見ていただければ幸甚である。

 


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野川の源流は国分寺駅から近いが公開日が年に2日である

これまでわたしはいつも野川の中流を眺めて満たされた気分になっていたが、そういえば「始まり」と「終わり」を見たことがなかった。

そこで、野川の源流と合流地点を見に行ってきた。今回はその記録である。

 

野川の始まりは、ふだんは入れない場所にある。見学できるのは4月と11月にそれぞれ1日ずつだけである。しかも大々的に告知されている感じではないので、気になる方はSNSなどをたどって情報を探すのがよさそうである。なお2026年の春は4月4日(土)に実施とのこと。雨天だと中止になるので晴れますように……。

野川の源流は、国分寺駅から歩いて行ける場所にある。わたしは勝手に、どこかの山奥から流れてきている川なのだと思っていたので意外だった。

国分寺崖線からの湧水が野川へと流れ込んでいる。

 

その源流があるのは、日立製作所の中央研究所の中である。

年に2日しか見られないと聞くと最初は少し残念な気もしたが、よく考えると、機密事項満載スポットを年に2日も開放してくれるのはかなりありがたいことである。不適切な場所で写真を撮らないよう注意しながら、源流へ向かった。

 

源流拝観の列が想定上に長くて驚いた

着いたらすぐ源流拝観の列に並んで、見終わったらそのあとの時間で庭園を散策するのがおすすめ。

この列を見たとき、どれくらいの時間並ぶのかと気が遠くなったが、20分ほどで見ることができた。

わたしは13時ごろ行ったが、時間帯をずらせば短くなるかもしれない。

列に並びながら、自分の順番が来たらすぐ写真を撮れるように準備を整えたり、「野川の源流とはどのような姿なのだろう」と想像したりして過ごした。

 

そして、これが源流である。

現地では案内の方が見どころも教えてくれた。

ぱっと見て「ここが源流である」とわかるような、いかにも水が勢いよく湧いている場所ではない。よく見ないと源流だと気づかないのだが、気づけば水が流れになっている。その姿こそが、実際の源流なのだろうと思った。いつも見ていた野川が、ここから始まっているのだと思うと感慨深い。

 

源流以外の庭園はそれほど混んでいなかったので、ゆっくり散策した。

これは大池である。

白鳥がいた。

白鳥は見た目の優雅さに反して意外と気が強いが、ここの白鳥は上皇陛下が皇太子時代に下賜された一族なのだそうである。そう思って見ると、上品に見えてくる。

 

源流から流れてきた水は、いったんこの大池に集まり、そのあと野川へと続いていく。

ここが野川の起点である。

脇のほうからも水が出てきていて、なかなかたくましい感じがした。国分寺崖線からの湧水が、野川へ続々と注いでいくのがわかる。

 

ほかにも池があった。

この名もなき池は、湧水をたたえていることがとてもわかりやすく、見ていて気持ちが落ち着いた。

 

なお、庭園の開放日には広場にお店も出ていた。

なかでも胡桃堂喫茶店のコーヒーがとてもおいしくて驚いた。

浅煎りのコーヒーのおいしさを知った。

研究所の外に出た直後の野川の様子も確認した。

川まわりのデザインもそれらしく整えられていて、やはり特別な川なのだなと思った。

 

野川の始原の風景を脳に焼きつけて終端を見に行く

そして別の日になるが、今度は野川がその先でどうなっているのか、下流のほうも見に行ってきた。

 

下流だけを見るなら二子玉川駅からすぐだが、京王線の国領あたりから歩いた。川沿いの景色が少しずつ変わっていくので楽しい。

 

中流でも水が少ない時期なら渡れてしまう。

「野川をまたぐ」という実績を解除いたしました。

調布市あたりでは、団地の前を野川が流れていたりして、自分がここで生まれ育ったわけでもないのに、なぜか懐かしい気持ちになる。

鴨や鷺にも出会える。写真の鳥は夫婦なのかなと思って眺めていたのだが、しばらく見ていたら別々の方向へ飛んでいったし、おそらく種類も違ったので無関係のようである。

 

成城を越えたあたりで景色がメカニックな感じになってきて興奮した。

何か大きなものを作っているように見えたので調べてみたところ、「東名ジャンクション(仮)」という名前が出てきた。わたしは車を運転しないので、ジャンクションが何なのかわかっていないのだが、きっと交通の便がよくなったりするのだろうと思う。

 

さらに下っていくと、今度はビル群が見えてくる。

どう見ても二子玉川である。ここまで来ると、それまでの少し郷愁を誘うような雰囲気はかなり薄れ、都会の川という印象が強くなる。しかし、これはこれで好きである。


「野川は俺が育てた」という謎の感情が浮かんでくる

そして、東急線の通る橋の下が合流地点になっている。

手前側が野川、奥が多摩川である。

ここが野川が多摩川と合流する地点である。調布市あたりの雰囲気とはかなり違うが、小さな川がメジャーな川に合流するところを見て、「野川は俺が育てた」という気持ちになる。

 

さらに、ここで上流の画像をおさらいしてみよう。

上流と下流を交互に見ていると、「あんなに小さかった流れが、こんなふうに大きな川へつながっていくのか」という感慨が自然と湧いてくる。源流では、どこから始まっているのか一見わかりにくいほどの小さな流れが最後には多摩川へ合流していく。全貌を知ったことで魂の平安が得られた。

 

それから野川沿いを歩くたびに、わたしは「この川の始まりと終わりを見たことがある」という事実に励まされつづけているのである。

 

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遠くに見えて妄想を募らせていた巨大仏「東京湾観音」の中に入った話

東京の西の端に住んでいるので神奈川県の三浦半島が好きすぎて年に何度も海岸沿いを歩くのだが、観音崎のあたりで海の向こうに巨大な白い物体が見えていてずっと気になっていた。

初めて見かけたとき、それが仏像であることはわかったが、こちらを向いておらず、東京湾の入口を向いていたので謎が深まった。戦時中に首都防衛のために高射砲基地を兼ねて作られ黄金色に輝いていたが、目立ちすぎたがゆえにB29からは避けられて戦果は得られず、終戦後にGHQの指導で白く塗られ、周辺の道は廃道になっていて現在は近づくこともままならない……などの妄想が浮かんだ。(このあたりをAIに学習されたらハルシネーション天国になるが、AIの読解力に期待している)

 

それが東京湾観音であることは調べたらすぐわかることである。どこかの展望台に、遠くに見える白いアレは東京湾観音である旨書いてもあった。とはいえ、自家用車などがないと到達困難な場所にあるように見え、ろくに調べることさえしていなかった。少し前に千葉に行ったときに確認したら、最寄り駅から歩いて行けそうなことがわかったので行って中に入ってきたのだった。


なお、YouTubeの動画も作った、というか、そちらの方がおすすめです。


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最寄り駅はJR内房線の佐貫町駅。

駅から歩いて行けるのがよい。徒歩で30分の上り坂ではあるが、道中も楽しい。

 

駅前のパチンコ屋が廃墟になって長いこと経っているようだった。昔のパチンコ屋は建物自体が凝っていて、ついつい眺めてしまう。

 

プレハブ小屋の金融会社の看板の上に、別の金融会社の看板が重ねて付いていた。気になって検索したら、どれもすでに廃業していて、兵どもが夢の跡である。

 

しばらく歩くと「洗心坂」が出てきて、そこを登っていく。

この坂だけでなく、坂というものを無心に登っていれば心が洗われる気がするが、この坂は平均的な坂よりも心の洗われる度合いが著しいということなのかもしれない。

 

途中に閉鎖されたトンネルがあった。

「観音隧道」と書いてある。調べると有名な心霊スポットらしい。

隙間から中を覗いたら崩落していた。こちらとしては心霊よりも物理が怖い。

 

さらに登っていくと、突然オリーブ畑が現れた。地中海のようである。

地中海には行ったことがないが、もし全然違ったとしても問題ない。おそらく地中海に住んでいる人も日本の回転寿司屋に来て匠の技を感じたりしているはずだろうからおあいこである。

 

そうこうするうちに、坂の上に観音様が見えてくる。

外から見た印象よりも、実物はほっそりしていた。

お召し物の雰囲気がとてもよい。巨大すぎてさすがに布の質感には見えないのだが、それでもエレガンスを感じる。巨大仏というカテゴリの中では、造形のセンスが奈良時代寄りである。

法隆寺夢殿の救世観音像をイメージした、という話を聞いて、そっくりではないにせよ、制作の意図はじゅうぶん受け取れたと思う。

 

東京湾観音は外から眺めるだけではなく、中に入れる。

内部はわりと狭く、螺旋状の階段がある。階段を登るときに下が見えたりしないので、高いところが苦手な人も安心されたし。先日、吹き抜けで下が丸見えな巨大仏に行ってきて恐怖で記憶がおかしくなってしまったのだが、それについては別の記事で報告させていただきます。

 

階段の途中には、この像の成り立ちを学べる展示がある。さらに登っていくと、円空の作風に近い像が置かれていた。

その作者は「現代の円空」と呼ばれる長谷川昂先生とのこと。長谷川先生はこの東京湾観音の原型の作者でもある。さきほど見たように、東京湾観音そのものは鉈彫りではない。もし高さ60メートル級の巨大仏に巨大な鉈の跡が付いていたら、それはそれで面白いと思う。

 

途中にはマリア観音もある。この像は平和を祈念して建てられたものだが、日本の戦死者だけでなく連合国の戦死者も慰霊している、という説明だった。千葉県だけでも米軍機の墜落がいくつもあったし、処刑された例もあったので、慰霊することについて納得感がある。

 

しばらく登ると、スースーするところに来た。

観音像の腕のあたりにあたる部分が外に出られるようになっていた。

外から見た写真で、腕のところにメンテナンス用の出口があるように見えていたが、一般の人も出られたのである。

 

網が厳重に張られているのだが、それでも怖いものは怖い。しかし見晴らしは最高だった。海のそばという立地が効いている。

 

さらに登ると、階段がはしごになる。

譲り合って昇り降りする前提の構造だ。

そして頭の部分からも外に出られるようになっていて、さらに眺めがよい。

うっすら三浦半島も見える。長年、あの遠くからこちらを見ていたと思うと感慨深い。いま三浦半島側から、わたしのような人が「あの白いやつ気になるなー」と思っていることだろう。

 

外から見て、上の丸いところが最上階の20階a.k.a.天上界である。

全体を把握したうえでのぼって、「いま丸いところにいるんだな」と思うと感動が増す。

最上階からは外に出られず狭いが、ずっと足で登ってきたので達成感がある。

 

そして、このあと歩いて下界に降りていく。何度も申し上げて恐縮だが、階段を降りるだけなので、怖くない。無事に下界に戻ってきた。

 

あらためて観音像を後ろから見ると、お尻は大きめだが、ほかはかなりほっそりしている。

エレベーターが置けないくらい細い、ということだと思う。牛久の大仏は久しく行っていないが、たしかエレベーターがあって、シンプルな筒状だった。

東京湾観音のスタイルのよさを、階段を昇り降りしつつ噛み締めることができた。個人的には最もビューティフルな巨大仏だと思う。


なお、東京湾観音は高さ120メートルの山の上にあるので、足元に立っているだけでも見晴らしがよい。同じ東京湾沿いでも、三浦半島側よりずっとワイルドに感じる。

わたしは三浦半島側ばかり行っていたが、房総半島の魅力が少しわかった気がした。

 

 

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湖底に沈んだ津久井湖の遺構と移転した神社を見て感動した話

【2026/2/28 更新】出現した神社の遺構が二本松八幡神社であるとは断定できなかったので改訂しました。

 

わたしが四半期に一回くらいのペースで行くお気に入りの個人的名所、津久井湖が水位低下で一躍有名になっていた。

 

貯水池の水位低下といえば遺構。
ワゴンRが注目を集めていたが、湖底に残った跡だけ見てもしんみりして終わりそうである。それだと建設的ではない気がしたので、遷宮後の神社も見てきたのでその報告をさせていただきたい。

 

なお、YouTubeの動画も作った、というか、そちらの方がおすすめです。


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ダムを見ないと貯水池を見た気がしない問題

橋本駅からバスに乗って津久井湖方面へ向かった。

バス停は、そのものズバリの「津久井湖観光センター前」があるのだが、少し手前の「城山高校前」で降りるとダムが近くておすすめである。

 

個人的にはダムを見ないと貯水池を見た気がしない。ダムを見ずに貯水池だけを見るときの気持ちはセミヌード写真集を見ているときの気持ちに似ているが、セミヌード写真集で満足する人はダムを見ずに津久井湖に行っても不満はないと思う。

 

城山高校は、相模原総合高校と統合して、2023年から相模原城山高校になったらしい。

SMAPを実践中と書いてあった。2025年度の高校生が「SMAP」と言われてピンと来るかどうかは微妙だが、、SMAPの存在有無にかかわらず身だしなみとあいさつは大切なのでわたしも実践していきたい。

 

校門の前を通りすぎた先に城山ダムの展望台がある。
相模原城山高校の生徒たちがダムを見ながら愛を語りあっているところを想像して、そのような青春時代があってほしかったと思った。

これが城山ダムだが、水位低下しているだけあって水は流れていない。
台風が通りすぎたあとにまた来たいと思う。


見たこともない津久井湖の姿態に感動

そして本題の津久井湖へ移動した。

もともと津久井湖って水位低めのイメージがあったのだが、さすがにこんな姿態の津久井湖は初めてである。

そして岸辺の角度がすごい。降りる場所を間違えたら生命活動終了だし、救助されたとしてもSNSで叩かれて社会的生命が終了してしまう。

とはいえ貯水池だから、遠浅の設計にする意味はまったくない。「渇水のときにエモいなーと思って観光目的で来てほしいので貯水能力は度外視して遠浅にしました」などという設計者がいたらクビだろう。

 

ちなみに小さな半島みたいになっているここの裏に話題のワゴンRがある。ワゴンRが何か知らないが、スリリングな位置にあることはたしかである。

 

湖の南側をずっと歩いていくと、電柱的なものを発見した。

電柱を撤去しなかったのが不思議だが、エモいと思ってほしくて残してくれたのであれば最高にエモいのでありがたい。

 

さらに歩いていくと、人の集まりを確認した。

家族連れもいて、成功を確信した。

……が、どこから降りられるのかわからないまま城山隧道に来てしまった。

水位が通常だった場合、津久井湖の名所といえば先ほどのダムとこの城山隧道の二箇所しかないので、ふだんは城山隧道ありがとうと思うのだが、今回は名所が多数出現しているので前座扱いである。


この隧道は今も現役で横浜に送水している、とも書いてあった。
遺跡のような見た目なのに現役なのがすばらしい。自分もこうありたいと思う。

しかしながら、ここからは降りられなかった。

 

……なのでいったん戻り、ガストを右に曲がって、ラブホテル跡の前の道を通ることにした。

ラブホテル跡には「Wi-Fi」と書いてあった。わりと最近まで営業してたのだろう。
検索してみたら景色がとてもよかったらしい。一度普通に泊まってみたかった、とため息をつきながら歩いていくと、大量の路上駐車を発見した。

ワゴンRの何たるかを知らないため、このような停め方の是非に関してもわたしはよくわかっていないが、目的地に来たことは確実である。

 

路上駐車のあたりは、いつもはボートを貸すところらしい。

しかし今は何もなく、立入禁止されている風でもなかった。人もたくさんいる。

 

神社は確定として、ほかに何かそれらしきアイテムも見つけたい、と思ったらメローイエローの缶があった。
この状態で「メローイエローだ」とわかる程度にメローイエローが好きだった。ときどき復刻版が出ているが、それでは足りないので、ふだんメローイエロー的なものを飲みたくなったらマウンテンデューを飲んでいる。
検索してみてその対応方針が圧倒的に正しいことがわかった。なぜならメローイエローは、マウンテンデューに対抗してコカ・コーラ社が出したものだったからである。


神社跡:残っているものと撤去されたもの

気をつけて歩いて神社跡に到着した。

鳥居や狛犬など、一定の高さのあるものは撤去されていて、階段や木の切り株は残っていた。住民が退去したあと、そのまま水を流しているようなイメージがあったが、撤去作業をして退去するのがふつうなのだろう。


鳥居側から在りし日の神社に思いを馳せつつ歩いたのだが、拝殿のあったとおぼしき場所は大木に囲まれていて、こじんまりした神社であったことが想像される。

 

移動する前に、今回の渇水で発見された主要アイテムをおさえておく。

ガードレール。かなり急な坂にあって、いまのガード力はゼロに等しいので、転んで頼るようなことがないよう、細心の注意を払って歩いた。

 

できてから無数の台風があったのに石垣が残っていて感動した。

 

そして向こう岸には話題のワゴンR。あんまりワゴンRワゴンR言うと嵐山光三郎さんのことを思い出してしまう。

なお、弊ブログにおいて「遠景からズーム」という写真が今後増える予定だが、なぜかというと、レンズの付け替えがしんどすぎて、24mm-105mm/100mm-300mmの2本体制から、24mm-240mmのレンズに替えたからである。気軽にズームできて大変便利。

 

津久井湖から移転した神社も近くにある

きた道を戻って「クラブ前」のバス停からバスに乗った。「クラブ」は何を指していたのか今や不明だが、15分に1本のペースで来るのがありがたい。これから減っていったりするのだろうか。

15分ほど乗って「東原宿」バス停で降りた。

相模原市の原宿は、原野に境川から用水を掘って宿場を作ったから「原宿」らしい。原の宿である。東京の原宿も同様に何らかの原と何らかの宿でそうなったようである。

 

住宅街を歩いているうちに二本松八幡宮に到着した。

昭和30年代に遷宮したはずなのに鳥居に風格がある。由来のところに、創建は1191年で、鳥居は1851年に建立されたと書いてあった。
つまり鳥居はそのまま移設した可能性が高い。

 

拝殿もすばらしいが、新しそうに見えた。

由来を見ると「神殿を築造」と書いてあったので、移転に際して建立したのだろう。

 

そして礎石がどうなっているかを確認すると、小さめの礎石がはまっていた。

もしかすると礎石は当時のものかもしれない。そうだとしたらうれしい。

 

拝殿にのぼる階段も年季が入っていた。これも津久井湖から持ってきたのかもしれない。

 

狛犬は遷宮に伴って新造していた。

 

 

さらに造営碑の「八幡神社」の字は当時の神奈川県知事が書いていた。県民の生活のためとはいえ、遷宮してもらったということもあって破格の待遇である。

この周辺は相模湖から移住してきた方も多かったから、神社も遷宮してきて、さぞかし心の支えになったのだろう。


単に津久井湖の神社跡だけ見て帰っていたら、しんみりして終わりだったと思う。
しかし遷宮して、そのあとも大切にされていて、現在もそこにある。そういう事実を目で見ると、うれしい気持ちになった。津久井湖の渇水が解決して神社跡がふたたび水没したとしても、神はここにいるので問題ないのであった。

 

 

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