
かつては率先して2冊目の本を買っていた
本を買うとき、上から1冊目ではなく2冊目を手に取るようになったのはいつからかは覚えていないが、少なくとも小学生のときはすでにそうしていた。本屋に積んである本のいちばん上は立ち読みの対象になるので実質的に古本である。だから、きれいな本を買いたければ2冊目を取ればよい。わたしはそのことを独自に発見したつもりでいたのだが、他の人が同じようにしているのを見かけ、自分だけがそうしているのではないと知った。むしろ、素直にいちばん上の本を買う人の方が少数かもしれない。当時、わたしは自分が神童であると思っており、その根拠のひとつが「本屋で上から2冊目の本を取る」だったので絶望したのだが、いま思うに、あまりにも脆弱な根拠であった。
わたしの神童幻想の舞台となったのが大阪府四條畷市にある「くるみ書店」である。昔から忍ヶ丘駅前で営業していて、2025年現在も営業している。わたしは駅から少し遠くに「ブックランドすばる」という大型書店ができてからはそちらの方に通っていたりもしたが、そちらは2014年に閉店している。くるみ書店の粘り勝ちになるとは思ってもみなかった。個人経営の本屋を駅前で続けるのもかなり大変だと思うが、ありがたい話である。
それはともかく、わたしは神童ではないことが発覚したあとも、心折れることなく2冊目の本を買う暮らしを続けていたのだが、半世紀生きてきて考えが変わり、今はいちばん上にある本を買うことにしている。そしていま、自分が天才であることの根拠のひとつが「本屋でいちばん上にある本を買う」となった。それもまた脆弱な根拠ではあるのだが、少なくとも、自己肯定感が得られ読書生活が豊かになったことは実感できている。
「神経質な自分」と向き合うのに疲れてしまった
2冊目を買うという行動は、単体で考えると労力のかかる作業である。あらかじめ購入意思がある本の場合、本の山を見つけ、1冊目を脇に置き、2冊目を手に取って1冊目を元の位置に戻す。これは純然たる作業であって、その行為自体にはなんの喜びもない。そして、その作業が単純であるがゆえに「わたしは神経質な人間であり、他人が読んだ本を購入することすら許容できないのでございます」という自省が浮かぶ。買う気のある本ならまだその程度で済むのだが、立ち読みしているうちに買いたくなった場合はさらに厳しい自問が待っている。どういうことかというと、立ち読みして気に入ったなら、そのままレジに持っていけばよいはずなのに、それをわざわざ脇に置いて、2冊目を手に取り、読んでいた本を元の位置に戻す……という極めて不自然な行動にコミットするのである。単に、きれいな本がほしいというのではなく、1冊目を汚す行為に積極的に加担していて、自意の問題を超えて、うっすらとした迷惑行為に辿り着いてしまっているのである。
そして、これらのリスクをとって2冊目を取ったとしても、それが本当に2冊目である保証はどこにもない。「上から3冊目を買う」という過激派がその書店に潜伏していた場合、過激派は1冊目と2冊目を脇に置いて3冊目を購入することになるが、そんな過激な存在が、1冊目の下に必ず2冊目を置いて原状復帰をしてくれる保証がどこにあるだろうか。そして、過激派への自衛策として、「2冊目が本当に2冊目なのか」を、目を皿のようにして確認し、2冊目が真の意味で新品の本であるといえる状態であると確認できたとして、1冊目を元の位置に戻そうとしたときに、1冊目もまた真の意味で新品の本であるといえる状態であるように見えた場合、そもそも自分がしてきた2冊目を選ぶという行為の無意味さが身にしみてくるはずである。
こうなってくると、本を買うという行為が、愉快な読書のための準備というより、自分の心の闇を覗く行為になってしまって、このようにして買った本を楽しく読むことができるかというと非常に疑わしい。
きれいな本だと気軽に手に取れない→そのまま積読コーナーへ
もし、明鏡止水の境地で2冊目の本を購入したとしても、その本はどうなるかというと、なるべく美しい状態を保ちたいという意識が強くなるばかりで、そのまま帰宅して、本棚に入れてしまうだろう。汚してはいけないという気持ちがあれば、ポテトチップスを食べながら気軽に読んだりはできず、本を手に取るハードルが上がってしまう。そうなってくると、読書体験を買うのではなく、本を運搬して家に積む権利を買っただけになってしまう。
そもそも、「早く読みたい。多少汚れていようが構わない」と思うのが読書家としての自然な姿ではないだろうか。昔、『いちげんさん』という映画があって、鈴木保奈美さんが何らかの役で出ていたのだが、帰宅するや否や服を脱ぐのももどかしく行為を始めるというシーンがあり、わたしはスカパー!で録画したBlu-rayを後生大事にし、そのシーンだけを繰り返し見ている。全体としてどのような映画なのかは知らないままなのだが、これを見るたび、読書も同じことで、何冊目の本を選ぶかももどかしく本を購入して読みはじめたいと思うのであった。
以上の心境の変化により、わたしは1冊目の本を買う人間へと生まれ変わった。
レジに持っていったとき、「カバーはおつけになりますか」と聞かれたとしても、もちろん「大丈夫です」と微笑む。カバーをつけるという行為は1冊目を買う人がすることではないからである。
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1(牛丼)+1(チーズ)+1(タバスコ)=5くらいになっている。


































