あなたが、みなとみらいに行ったときにいつも目にして、「へぇ、中に入れるんだ。次行ったときは入ってみよう」と思いつつ通り過ぎ、次に行ったときもまた「へぇ、中に入れるんだ。次行ったときは入ってみよう」と思いつつ通り過ぎ、入る機会がないものといえば日本丸である。
業を煮やしたわたしはあなたに、「今日は、お出かけの主従関係を逆転させて、日本丸を見学するついでにみなとみらいに行こう」と提案したのだった。
航海練習船だからかもしれないが、日本丸の中は学校の教室の匂いが充満していた。柔軟剤ファミリーが通り過ぎたときは柔軟剤の匂いに支配されてしまうが、今の学校の教室も一定の柔軟剤チルドレンがいるはずなので、それも含めて「教室の匂い」なのかもしれない。
匂い以外についていうと、帆は張っていない状態ではあるがマストなど大変優雅で、「太平洋の白鳥」と呼ばれる理由がわかったが、実際の白鳥の頭をよく見るとだいぶ黄ばんでいるなどして大して優雅でないのと同様、この船にも優雅とはいえないところがあると思ったのは練習生用の部屋を見たときだった。
練習生用の部屋は個室などではなく、4人部屋で、2段ベッド×2である。もしわたしが練習生で、あなたの後輩にあたるのであれば、おそらくわたしが上の段のはずで、あなたは下の段になるはずだ。上の段からは首を伸ばせば海が見えて、高い方が上座かなと思ったのだが、「2段ベッド 上座」で検索して、いろいろなサイトが見つかり、マナー講師のような人もそうでない人も異口同音に「上座は下段」と言っていた。たしかに、寝るたびにはしごを登る人とそのままベッドに飛びこむ人のどちらの社会的立場が上かといえば答えは明らかだろう。あなたは、わたしがベッドの上段でつまらない冗談を言ったりしたらベッドを蹴りあげて反応したりもできる。
しかし、最初に部屋割が決まって部屋に入ったとき、中央の感じのよい椅子についてあなたは着目すると思う。ここをただの共有の椅子にするとあまりいいことにはならないと予感する。半年も同じ部屋で過ごしていれば、となりあって椅子に座っているうちに必要以上の親しみを感じることになることが容易に想像がつく。そこであなたは、先手を打って、この椅子を時間制で交代で使うことを提案するのである。他の部屋は考えなしに無秩序に利用した結果、妙な空気が流れてしまう。親しすぎるというだけならよいのだが、誤解に伴う嫉妬が渦巻いて、穏やかな海を航海してるときも精神的には大シケである。いっぽう、あなたの提案によって、われわれの部屋はちょうどよい距離感が保たれることとなった。そこで最もあたりさわりのない話題として重宝されるのは食事のメニューの話なのである。
船の上とはいえ、メニューはすばらしく、ふつうにひとり暮らしをしているときよりもはるかに豪華な食事にありつける。しかし、栄養のバランスを考えると、どうしてもほうれん草のおひたしが登場してしまうことがある。他に適切な話題もないので、おひたしをいかに悪く言うかの競争みたいになってしまって、最初のうちは、苦くて無駄にジューシーだから、せめて乾かしてほしい……などのコメントにおさまっていたのだが、航海がはじまって3ヶ月後には完全に煮詰まってしまって、わたしはほうれん草の役になって芝居を打って、人間に命を奪われることは仕方ないとして、せめてバター炒めにしてほしかった、命を奪われるだけでなく、おひたしにされてまずいまずいと言われながら飲みこまれて胃液に溶かされていくのは恥辱の極み……などとあなたに向けて言っているうちに、なんだか悲しくなってしまってわたしは涙が出てくるし、あなたも罪悪感のようなものが芽生えてきて謝ってしまう。そして食べなかったほうれん草のおひたしをポケットに入れて押し花のように部屋の天井に貼って供養するのであった。航海が終わるころには天井のほうれん草は龍になって、われわれが無事に帰港するための守り神のようになったのであった。
さまざまなドラマがあったようななかったような日本丸を降りて30分ほど歩くと、まるで船を一隻匿っているかのような建物が見えてくるが、それは北朝鮮の工作船を展示している海上保安資料館横浜annexである。
日本丸で航海については習得できたものの、北朝鮮の船が弾を撃ってきたときにどう対処するか、われわれは机上でしか学んでいない。正当防衛であることをじゅうぶんに示すためにふたりでカメラに状況をおさめようとするが、船が揺れてどんどん気持ち悪くなってきて、わたしは日本の領海が侵犯されることよりも胸にわきあがってくるものの対処のことしか考えられない。そんなわたしを尻目にあなたは勇敢にも北朝鮮の船に対して適切な射撃をするが、最終的に北朝鮮の船は自爆して沈んでいくのだった。
あなたは、殺意に満ちた者たちであるとはいえ、自分の手で彼らの命を奪うことにならなかったことに安堵しながら、生還することが絶対になくなってしまった工作員たちの暮らしに思いを馳せる。
日本で入手した缶詰、日本では非常食のようなものかもしれないが、工作員にとってはごちそうだったに違いない。
小さな液晶のポケットコンピューターはゲームもできるので、小さな白黒画面でシューティングゲームを楽しんでいたかもしれない。実際にシューティングで命のやりとりをすることになることを意識しながら遊ぶゲームはどんな感じだっただろう。
日本丸と北朝鮮の工作船、片方だけ見ると心のバランスがおかしくなって仕事に差し障ったりするかもしれないので、いちどに両方見ることができてよかった。
~~~~
▼YouTubeも再開したのでチャンネル登録をお願いいたします!
▼Xも細々とやっているのでフォローをご検討ください。