ココロ社

主著は『モテる小説』『忍耐力養成ドリル』『マイナス思考法講座』です。連絡先はkokoroshaアットマークnifty.comです。

お寿司をぜんぶ「ミニしゃり」で食べて背徳感と満足感に痺れた

お寿司屋さんでネタだけ食べてシャリを残す人が定期的に非難されている。感じの悪い仮想敵を作って怒っているだけだと思っていたが、「お寿司 シャリ抜き」で検索すると本気の人たちと出会うことができる。

その件についてはお刺身を頼めばいいやんと思うのだが、ことのよしあしを論じる以前に、「そもそもそれはおいしいのか」という点が気になってきた。

とはいえ、わたしには、「今日はシャリ抜きでお願いします」と言えるような関係性のお寿司屋さんはいない。そんなことができれば、20年以上もブログを書き続けたりもしなかっただろう。

 

いろいろ考えた末、なるべく近い方法で実践してみることにした。

スシローの「ミニしゃり」である。

 

YouTube動画も作ったのでご高覧いただけますと幸いです。


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「ミニしゃり」とは、文字通り、通常よりかなり小さいシャリで寿司を出してくれる仕組みである。

かわいらしいアイコンによりその存在は知っていたが、これをいったい誰が選ぶのだろうと思っていたが、わたしだった。

 

さっそく注文していく。まずは鯛。スシローで、並ばず着席できて「めでたい」という意味もこめての一皿でもある。

実際に見ると、たしかに通常のシャリより小さい。

 

次にイカを頼んだ。

シャリがイカに巻かれているように見える。長いものには巻かれろ、ということなのかもしれないし、実際巻かれ中である。
食べてみると、イカの旨味が感じられてよかった。

 

その次はハマチ。

ネタの形が少しリーゼントのようで、見た目に妙なかっこよさがある。しかしハマチは脂が多く、食べていて、これはもう少しシャリの援軍がほしいと思った。

 

さらにイワシを頼むと、特定地域の成人式を思わせるビジュアルで登場した。

食べている途中で、本当にシャリはあったのだろうかと思う瞬間すらあった。お酒を飲みながらゆっくりつまむのではなく、脂のある刺身を高速で連続摂取している感じになり、ジャンクフードを食べたときとはまた違う、謎の高揚感が生まれてきた。

 

続いてアイスランド貝を頼んだ。

形が正方形に近く、視覚的にミニしゃりとよく合っている。味もほかの貝に比べると淡白で、ミニしゃり向きのネタとしてはかなり優秀なのではないかと思った。もっとも、アイスランド貝には500年生きた個体もあるらしい、といった話を思い出すと、この人は何歳なのだろうと考えこんでしまう。

アイスランド貝には申し訳なさが先に立ち、ふだんもあまり頼まないのだが、せめてもの晴れ舞台として今回はミニしゃりで頼んだのだった。

 

そして、「ホタテ貝はどうだろう」と気持ちになってしまったので頼んだ。

さすがに厚みがあるので、ミニしゃりだとバランスが崩れてしまう。

こうして見ると、ホタテ貝はじつに整った形をしていて、人間に食べられるために生まれてきたようにすら見える。


アイスランド貝→ホタテ貝の順番で食べたことで、アイスランド貝がホタテ貝のおいしさを引き立てるための前座になってしまったようでもあり、少し申し訳ない気持ちにもなった。

 

次に、ふだんならまず頼まないたまごを注文してみた。

ここまでくると、シャリは寿司の主役というより、ネタの底上げをするための手段のように見えてくる。

たまごに関しては、ネタとシャリのバランスがなかなか良好だった。

 

さらに生エビも頼んだ。

曲がった姿が生前の姿を彷彿とさせる。食べると旨味がしっかり感じられ、量としてもちょうどよい。

同じくタコもおいしかった。タコと炭水化物の比率で考えると、これはたこ焼きよりはるかに贅沢な食べ物である。

 

そうこうするうちに、ミニしゃりが選べる寿司の種類には限りがあることがわかってきた。そこで二周目に突入した。

二周目の鯛は、ネタがミニしゃりに映えるような形になっていて、しかも厚い。見た目にも満足感が強い。

 

とはいえ、自分でも少し不安になってきた。食べても食べても、満腹になる兆しがまったく見えないのである。

なるべくカロリーの高いもので終盤を固めようと思い、ハマチ、えんがわ、焼きとろサーモン、まぐろ赤身などを頼んだら、無事おなかがいっぱいになってきた。

結局、28皿をいただいた。会計は5080円だった。ひとりでスシローで5000円以上食べることはないと思っていた。回転しないお寿司屋さんなら安い方であるが、妙に贅沢をした気分になった。印象としては、高速で刺身食べ放題をしたような感覚。背徳感と爽快感が入り混じってややこしい気分になった。

 

店を出たときには、しばらくお寿司はもういいかなと思った。しかし困ったことに、その後、何か嫌なことがあったときも、逆に楽しいことがあったときも、「ミニしゃりだけのスシロー大会」が選択肢に登場した。絶対に破滅することはないが危険な考え方ではある。


とはいえ、満足感と達成感は得られた。人生が虚しくなった人には、試してみる価値があるかもしれない。

 

 

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東京・野川の始まりと終わりを見て「野川はワシが育てた」という優越感を得る

よく考えたら「野川」ってすごい名前やね

大阪出身のわたしが野川を最初に見たとき、「なんちゅう名前の川や」と思った。
「野川」という名前の一級河川は東京のほかに富山や滋賀にもある。名前だけで考えると、まったく「野」を通過しない「川」の方が珍しいので、地名と絡めるなどして名付けるべきだったのかもしれない。山形県の置賜野川などは、「野川」とだけ名乗ると混乱を生むので、「置賜」という地名をつける配慮を見せてくださっているというのに。
ちょうど武蔵野という地名もあるのだから「武蔵野川」などとするのがよいように思う。東京都民が一般名詞を固有名詞のように使うのは無自覚とはいえ選民意識があるのではと疑ってしまうが、「東京23区でもっともプライドが高そうな区」といわれる世田谷区に流れつく川なのだから、本来なら、ただ「川」と呼びたいところを我慢して「野」をつける配慮をしてくださったと考えるべきなのかもしれない。
とはいえ、世界トップクラスのメガシティTokyoにおいて、「野」を思わせる「川」があるというのだから、うれしくて「野川」と呼びたい気持ちになってしまうことを東京都民以外の方々にはご理解いただければ幸甚です。


今回のテーマは野川でYouTube動画も作成したのだが、以上のような妄言を動画の冒頭でしてしまうと無慈悲にスワイプされてしまうということを最近ようやく学んだ。YouTubeで、最初にまとめを入れた健気さを評価して見ていただければ幸甚である。

 


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野川の源流は国分寺駅から近いが公開日が年に2日である

これまでわたしはいつも野川の中流を眺めて満たされた気分になっていたが、そういえば「始まり」と「終わり」を見たことがなかった。

そこで、野川の源流と合流地点を見に行ってきた。今回はその記録である。

 

野川の始まりは、ふだんは入れない場所にある。見学できるのは4月と11月にそれぞれ1日ずつだけである。しかも大々的に告知されている感じではないので、気になる方はSNSなどをたどって情報を探すのがよさそうである。なお2026年の春は4月4日(土)に実施とのこと。雨天だと中止になるので晴れますように……。

野川の源流は、国分寺駅から歩いて行ける場所にある。わたしは勝手に、どこかの山奥から流れてきている川なのだと思っていたので意外だった。

国分寺崖線からの湧水が野川へと流れ込んでいる。

 

その源流があるのは、日立製作所の中央研究所の中である。

年に2日しか見られないと聞くと最初は少し残念な気もしたが、よく考えると、機密事項満載スポットを年に2日も開放してくれるのはかなりありがたいことである。不適切な場所で写真を撮らないよう注意しながら、源流へ向かった。

 

源流拝観の列が想定上に長くて驚いた

着いたらすぐ源流拝観の列に並んで、見終わったらそのあとの時間で庭園を散策するのがおすすめ。

この列を見たとき、どれくらいの時間並ぶのかと気が遠くなったが、20分ほどで見ることができた。

わたしは13時ごろ行ったが、時間帯をずらせば短くなるかもしれない。

列に並びながら、自分の順番が来たらすぐ写真を撮れるように準備を整えたり、「野川の源流とはどのような姿なのだろう」と想像したりして過ごした。

 

そして、これが源流である。

現地では案内の方が見どころも教えてくれた。

ぱっと見て「ここが源流である」とわかるような、いかにも水が勢いよく湧いている場所ではない。よく見ないと源流だと気づかないのだが、気づけば水が流れになっている。その姿こそが、実際の源流なのだろうと思った。いつも見ていた野川が、ここから始まっているのだと思うと感慨深い。

 

源流以外の庭園はそれほど混んでいなかったので、ゆっくり散策した。

これは大池である。

白鳥がいた。

白鳥は見た目の優雅さに反して意外と気が強いが、ここの白鳥は上皇陛下が皇太子時代に下賜された一族なのだそうである。そう思って見ると、上品に見えてくる。

 

源流から流れてきた水は、いったんこの大池に集まり、そのあと野川へと続いていく。

ここが野川の起点である。

脇のほうからも水が出てきていて、なかなかたくましい感じがした。国分寺崖線からの湧水が、野川へ続々と注いでいくのがわかる。

 

ほかにも池があった。

この名もなき池は、湧水をたたえていることがとてもわかりやすく、見ていて気持ちが落ち着いた。

 

なお、庭園の開放日には広場にお店も出ていた。

なかでも胡桃堂喫茶店のコーヒーがとてもおいしくて驚いた。

浅煎りのコーヒーのおいしさを知った。

研究所の外に出た直後の野川の様子も確認した。

川まわりのデザインもそれらしく整えられていて、やはり特別な川なのだなと思った。

 

野川の始原の風景を脳に焼きつけて終端を見に行く

そして別の日になるが、今度は野川がその先でどうなっているのか、下流のほうも見に行ってきた。

 

下流だけを見るなら二子玉川駅からすぐだが、京王線の国領あたりから歩いた。川沿いの景色が少しずつ変わっていくので楽しい。

 

中流でも水が少ない時期なら渡れてしまう。

「野川をまたぐ」という実績を解除いたしました。

調布市あたりでは、団地の前を野川が流れていたりして、自分がここで生まれ育ったわけでもないのに、なぜか懐かしい気持ちになる。

鴨や鷺にも出会える。写真の鳥は夫婦なのかなと思って眺めていたのだが、しばらく見ていたら別々の方向へ飛んでいったし、おそらく種類も違ったので無関係のようである。

 

成城を越えたあたりで景色がメカニックな感じになってきて興奮した。

何か大きなものを作っているように見えたので調べてみたところ、「東名ジャンクション(仮)」という名前が出てきた。わたしは車を運転しないので、ジャンクションが何なのかわかっていないのだが、きっと交通の便がよくなったりするのだろうと思う。

 

さらに下っていくと、今度はビル群が見えてくる。

どう見ても二子玉川である。ここまで来ると、それまでの少し郷愁を誘うような雰囲気はかなり薄れ、都会の川という印象が強くなる。しかし、これはこれで好きである。


「野川は俺が育てた」という謎の感情が浮かんでくる

そして、東急線の通る橋の下が合流地点になっている。

手前側が野川、奥が多摩川である。

ここが野川が多摩川と合流する地点である。調布市あたりの雰囲気とはかなり違うが、小さな川がメジャーな川に合流するところを見て、「野川は俺が育てた」という気持ちになる。

 

さらに、ここで上流の画像をおさらいしてみよう。

上流と下流を交互に見ていると、「あんなに小さかった流れが、こんなふうに大きな川へつながっていくのか」という感慨が自然と湧いてくる。源流では、どこから始まっているのか一見わかりにくいほどの小さな流れが最後には多摩川へ合流していく。全貌を知ったことで魂の平安が得られた。

 

それから野川沿いを歩くたびに、わたしは「この川の始まりと終わりを見たことがある」という事実に励まされつづけているのである。

 

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遠くに見えて妄想を募らせていた巨大仏「東京湾観音」の中に入った話

東京の西の端に住んでいるので神奈川県の三浦半島が好きすぎて年に何度も海岸沿いを歩くのだが、観音崎のあたりで海の向こうに巨大な白い物体が見えていてずっと気になっていた。

初めて見かけたとき、それが仏像であることはわかったが、こちらを向いておらず、東京湾の入口を向いていたので謎が深まった。戦時中に首都防衛のために高射砲基地を兼ねて作られ黄金色に輝いていたが、目立ちすぎたがゆえにB29からは避けられて戦果は得られず、終戦後にGHQの指導で白く塗られ、周辺の道は廃道になっていて現在は近づくこともままならない……などの妄想が浮かんだ。(このあたりをAIに学習されたらハルシネーション天国になるが、AIの読解力に期待している)

 

それが東京湾観音であることは調べたらすぐわかることである。どこかの展望台に、遠くに見える白いアレは東京湾観音である旨書いてもあった。とはいえ、自家用車などがないと到達困難な場所にあるように見え、ろくに調べることさえしていなかった。少し前に千葉に行ったときに確認したら、最寄り駅から歩いて行けそうなことがわかったので行って中に入ってきたのだった。


なお、YouTubeの動画も作った、というか、そちらの方がおすすめです。


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最寄り駅はJR内房線の佐貫町駅。

駅から歩いて行けるのがよい。徒歩で30分の上り坂ではあるが、道中も楽しい。

 

駅前のパチンコ屋が廃墟になって長いこと経っているようだった。昔のパチンコ屋は建物自体が凝っていて、ついつい眺めてしまう。

 

プレハブ小屋の金融会社の看板の上に、別の金融会社の看板が重ねて付いていた。気になって検索したら、どれもすでに廃業していて、兵どもが夢の跡である。

 

しばらく歩くと「洗心坂」が出てきて、そこを登っていく。

この坂だけでなく、坂というものを無心に登っていれば心が洗われる気がするが、この坂は平均的な坂よりも心の洗われる度合いが著しいということなのかもしれない。

 

途中に閉鎖されたトンネルがあった。

「観音隧道」と書いてある。調べると有名な心霊スポットらしい。

隙間から中を覗いたら崩落していた。こちらとしては心霊よりも物理が怖い。

 

さらに登っていくと、突然オリーブ畑が現れた。地中海のようである。

地中海には行ったことがないが、もし全然違ったとしても問題ない。おそらく地中海に住んでいる人も日本の回転寿司屋に来て匠の技を感じたりしているはずだろうからおあいこである。

 

そうこうするうちに、坂の上に観音様が見えてくる。

外から見た印象よりも、実物はほっそりしていた。

お召し物の雰囲気がとてもよい。巨大すぎてさすがに布の質感には見えないのだが、それでもエレガンスを感じる。巨大仏というカテゴリの中では、造形のセンスが奈良時代寄りである。

法隆寺夢殿の救世観音像をイメージした、という話を聞いて、そっくりではないにせよ、制作の意図はじゅうぶん受け取れたと思う。

 

東京湾観音は外から眺めるだけではなく、中に入れる。

内部はわりと狭く、螺旋状の階段がある。階段を登るときに下が見えたりしないので、高いところが苦手な人も安心されたし。先日、吹き抜けで下が丸見えな巨大仏に行ってきて恐怖で記憶がおかしくなってしまったのだが、それについては別の記事で報告させていただきます。

 

階段の途中には、この像の成り立ちを学べる展示がある。さらに登っていくと、円空の作風に近い像が置かれていた。

その作者は「現代の円空」と呼ばれる長谷川昂先生とのこと。長谷川先生はこの東京湾観音の原型の作者でもある。さきほど見たように、東京湾観音そのものは鉈彫りではない。もし高さ60メートル級の巨大仏に巨大な鉈の跡が付いていたら、それはそれで面白いと思う。

 

途中にはマリア観音もある。この像は平和を祈念して建てられたものだが、日本の戦死者だけでなく連合国の戦死者も慰霊している、という説明だった。千葉県だけでも米軍機の墜落がいくつもあったし、処刑された例もあったので、慰霊することについて納得感がある。

 

しばらく登ると、スースーするところに来た。

観音像の腕のあたりにあたる部分が外に出られるようになっていた。

外から見た写真で、腕のところにメンテナンス用の出口があるように見えていたが、一般の人も出られたのである。

 

網が厳重に張られているのだが、それでも怖いものは怖い。しかし見晴らしは最高だった。海のそばという立地が効いている。

 

さらに登ると、階段がはしごになる。

譲り合って昇り降りする前提の構造だ。

そして頭の部分からも外に出られるようになっていて、さらに眺めがよい。

うっすら三浦半島も見える。長年、あの遠くからこちらを見ていたと思うと感慨深い。いま三浦半島側から、わたしのような人が「あの白いやつ気になるなー」と思っていることだろう。

 

外から見て、上の丸いところが最上階の20階a.k.a.天上界である。

全体を把握したうえでのぼって、「いま丸いところにいるんだな」と思うと感動が増す。

最上階からは外に出られず狭いが、ずっと足で登ってきたので達成感がある。

 

そして、このあと歩いて下界に降りていく。何度も申し上げて恐縮だが、階段を降りるだけなので、怖くない。無事に下界に戻ってきた。

 

あらためて観音像を後ろから見ると、お尻は大きめだが、ほかはかなりほっそりしている。

エレベーターが置けないくらい細い、ということだと思う。牛久の大仏は久しく行っていないが、たしかエレベーターがあって、シンプルな筒状だった。

東京湾観音のスタイルのよさを、階段を昇り降りしつつ噛み締めることができた。個人的には最もビューティフルな巨大仏だと思う。


なお、東京湾観音は高さ120メートルの山の上にあるので、足元に立っているだけでも見晴らしがよい。同じ東京湾沿いでも、三浦半島側よりずっとワイルドに感じる。

わたしは三浦半島側ばかり行っていたが、房総半島の魅力が少しわかった気がした。

 

 

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湖底に沈んだ津久井湖の遺構と移転した神社を見て感動した話

【2026/2/28 更新】出現した神社の遺構が二本松八幡神社であるとは断定できなかったので改訂しました。

 

わたしが四半期に一回くらいのペースで行くお気に入りの個人的名所、津久井湖が水位低下で一躍有名になっていた。

 

貯水池の水位低下といえば遺構。
ワゴンRが注目を集めていたが、湖底に残った跡だけ見てもしんみりして終わりそうである。それだと建設的ではない気がしたので、遷宮後の神社も見てきたのでその報告をさせていただきたい。

 

なお、YouTubeの動画も作った、というか、そちらの方がおすすめです。


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ダムを見ないと貯水池を見た気がしない問題

橋本駅からバスに乗って津久井湖方面へ向かった。

バス停は、そのものズバリの「津久井湖観光センター前」があるのだが、少し手前の「城山高校前」で降りるとダムが近くておすすめである。

 

個人的にはダムを見ないと貯水池を見た気がしない。ダムを見ずに貯水池だけを見るときの気持ちはセミヌード写真集を見ているときの気持ちに似ているが、セミヌード写真集で満足する人はダムを見ずに津久井湖に行っても不満はないと思う。

 

城山高校は、相模原総合高校と統合して、2023年から相模原城山高校になったらしい。

SMAPを実践中と書いてあった。2025年度の高校生が「SMAP」と言われてピンと来るかどうかは微妙だが、、SMAPの存在有無にかかわらず身だしなみとあいさつは大切なのでわたしも実践していきたい。

 

校門の前を通りすぎた先に城山ダムの展望台がある。
相模原城山高校の生徒たちがダムを見ながら愛を語りあっているところを想像して、そのような青春時代があってほしかったと思った。

これが城山ダムだが、水位低下しているだけあって水は流れていない。
台風が通りすぎたあとにまた来たいと思う。


見たこともない津久井湖の姿態に感動

そして本題の津久井湖へ移動した。

もともと津久井湖って水位低めのイメージがあったのだが、さすがにこんな姿態の津久井湖は初めてである。

そして岸辺の角度がすごい。降りる場所を間違えたら生命活動終了だし、救助されたとしてもSNSで叩かれて社会的生命が終了してしまう。

とはいえ貯水池だから、遠浅の設計にする意味はまったくない。「渇水のときにエモいなーと思って観光目的で来てほしいので貯水能力は度外視して遠浅にしました」などという設計者がいたらクビだろう。

 

ちなみに小さな半島みたいになっているここの裏に話題のワゴンRがある。ワゴンRが何か知らないが、スリリングな位置にあることはたしかである。

 

湖の南側をずっと歩いていくと、電柱的なものを発見した。

電柱を撤去しなかったのが不思議だが、エモいと思ってほしくて残してくれたのであれば最高にエモいのでありがたい。

 

さらに歩いていくと、人の集まりを確認した。

家族連れもいて、成功を確信した。

……が、どこから降りられるのかわからないまま城山隧道に来てしまった。

水位が通常だった場合、津久井湖の名所といえば先ほどのダムとこの城山隧道の二箇所しかないので、ふだんは城山隧道ありがとうと思うのだが、今回は名所が多数出現しているので前座扱いである。


この隧道は今も現役で横浜に送水している、とも書いてあった。
遺跡のような見た目なのに現役なのがすばらしい。自分もこうありたいと思う。

しかしながら、ここからは降りられなかった。

 

……なのでいったん戻り、ガストを右に曲がって、ラブホテル跡の前の道を通ることにした。

ラブホテル跡には「Wi-Fi」と書いてあった。わりと最近まで営業してたのだろう。
検索してみたら景色がとてもよかったらしい。一度普通に泊まってみたかった、とため息をつきながら歩いていくと、大量の路上駐車を発見した。

ワゴンRの何たるかを知らないため、このような停め方の是非に関してもわたしはよくわかっていないが、目的地に来たことは確実である。

 

路上駐車のあたりは、いつもはボートを貸すところらしい。

しかし今は何もなく、立入禁止されている風でもなかった。人もたくさんいる。

 

神社は確定として、ほかに何かそれらしきアイテムも見つけたい、と思ったらメローイエローの缶があった。
この状態で「メローイエローだ」とわかる程度にメローイエローが好きだった。ときどき復刻版が出ているが、それでは足りないので、ふだんメローイエロー的なものを飲みたくなったらマウンテンデューを飲んでいる。
検索してみてその対応方針が圧倒的に正しいことがわかった。なぜならメローイエローは、マウンテンデューに対抗してコカ・コーラ社が出したものだったからである。


神社跡:残っているものと撤去されたもの

気をつけて歩いて神社跡に到着した。

鳥居や狛犬など、一定の高さのあるものは撤去されていて、階段や木の切り株は残っていた。住民が退去したあと、そのまま水を流しているようなイメージがあったが、撤去作業をして退去するのがふつうなのだろう。


鳥居側から在りし日の神社に思いを馳せつつ歩いたのだが、拝殿のあったとおぼしき場所は大木に囲まれていて、こじんまりした神社であったことが想像される。

 

移動する前に、今回の渇水で発見された主要アイテムをおさえておく。

ガードレール。かなり急な坂にあって、いまのガード力はゼロに等しいので、転んで頼るようなことがないよう、細心の注意を払って歩いた。

 

できてから無数の台風があったのに石垣が残っていて感動した。

 

そして向こう岸には話題のワゴンR。あんまりワゴンRワゴンR言うと嵐山光三郎さんのことを思い出してしまう。

なお、弊ブログにおいて「遠景からズーム」という写真が今後増える予定だが、なぜかというと、レンズの付け替えがしんどすぎて、24mm-105mm/100mm-300mmの2本体制から、24mm-240mmのレンズに替えたからである。気軽にズームできて大変便利。

 

津久井湖から移転した神社も近くにある

きた道を戻って「クラブ前」のバス停からバスに乗った。「クラブ」は何を指していたのか今や不明だが、15分に1本のペースで来るのがありがたい。これから減っていったりするのだろうか。

15分ほど乗って「東原宿」バス停で降りた。

相模原市の原宿は、原野に境川から用水を掘って宿場を作ったから「原宿」らしい。原の宿である。東京の原宿も同様に何らかの原と何らかの宿でそうなったようである。

 

住宅街を歩いているうちに二本松八幡宮に到着した。

昭和30年代に遷宮したはずなのに鳥居に風格がある。由来のところに、創建は1191年で、鳥居は1851年に建立されたと書いてあった。
つまり鳥居はそのまま移設した可能性が高い。

 

拝殿もすばらしいが、新しそうに見えた。

由来を見ると「神殿を築造」と書いてあったので、移転に際して建立したのだろう。

 

そして礎石がどうなっているかを確認すると、小さめの礎石がはまっていた。

もしかすると礎石は当時のものかもしれない。そうだとしたらうれしい。

 

拝殿にのぼる階段も年季が入っていた。これも津久井湖から持ってきたのかもしれない。

 

狛犬は遷宮に伴って新造していた。

 

 

さらに造営碑の「八幡神社」の字は当時の神奈川県知事が書いていた。県民の生活のためとはいえ、遷宮してもらったということもあって破格の待遇である。

この周辺は相模湖から移住してきた方も多かったから、神社も遷宮してきて、さぞかし心の支えになったのだろう。


単に津久井湖の神社跡だけ見て帰っていたら、しんみりして終わりだったと思う。
しかし遷宮して、そのあとも大切にされていて、現在もそこにある。そういう事実を目で見ると、うれしい気持ちになった。津久井湖の渇水が解決して神社跡がふたたび水没したとしても、神はここにいるので問題ないのであった。

 

 

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「コール」のない二郎系ラーメンが快適すぎて戻れる気がしない

わたしの住む多摩ニュータウンは「限界集落」と揶揄されることがある。老人の多い地区に限定したら限界集落と呼べるのかもしれない。大阪で育ったわたしは自分の住んでいる地域を「限界集落」と揶揄されても「話のネタとしておいしいワ」としか思わないので、「限界集落に住んでまんねん」などと自己紹介したいと思っているのだが、多摩ニュータウンのネイティブ住民には大阪の一部の文化にあるような「おいしい」という感覚は理解不能で、あとから来た者がネガティブキャンペーンを精力的に実施しているようにしか感じないということは理解しているので、「多摩ニュータウンに住んでまんねん」と自己紹介するにとどめている。

若者が少なめの多摩ニュータウンに麻辣湯の店はないが、二郎系ラーメンの店ならいくつかある。二郎系というか二郎そのものがあった。しかもラーメン二郎ランキングの上位の常連の野猿街道店である。二郎系ラーメンを食べたいと思ったときに複数の選択肢があるなんて、まるで都会じゃないか!
……などと思いつつ、「ラーメン松木田田」は、その選択肢のひとつではあったが、年に一度行く程度だった。その頻度になってしまったことを説明するには地図が必要である。
これが、かつての松木田田周辺の地図である。

わたしの散歩ルートは野猿街道沿いを歩くか、多摩ニュータウン通り沿いを歩くことが多い。松木田田は2つの通りの間にあるので、わたしにとってよい立地に思えるが、問題はそれぞれの通りの他の店である。

ふたつの通り沿いには「ひとりで入りやすい味の濃い店」が並んでいて、どの方面から行っても、松木田田に行く前にそれらの店に吸い込まれてしまう仕組みになっている。野猿街道の西側はやや手薄に見えるが、歩く頻度が低く、熊本ラーメンの名店、分田上がある。熊本ラーメンは二郎系ラーメンよりも少ないので、このルートを通るときには確実に分田上に吸いこまれてしまうのであった。
また、野猿街道の東側から西へ歩く場合は、まずバーガーキングにあたる。バーガーキングは立川や新宿に行ったときに見かけはするが、せっかくだからそこにしかない店をと思ってチェーン店は選ばないことが多く、わたしが行くバーガーキングといえばほとんどここである。もしバーガーキング気分でなかったとしても、その先にあるのは野猿二郎なので、このルートから松木田田に行く確率はゼロに近い。多摩ニュータウン通りの西側については、もともと王将があったが、さらにパンチョも開店し、二択を迫られてしまうため、松木田田は意識にのぼってこなくなってしまった。多摩ニュータウン通りの東側には天下一品がある。バーガーキングと同様に、わたしが行く天下一品はこの天下一品であった。

 

しかし、この鉄壁の守りが2024年の夏に崩れた。天下一品が閉店してしまったのである。

多摩ニュータウン通りを西に歩くルートで、ついに松木田田への道が開かれたのであった。

 

……といいつつ、道が開かれてからも、そもそも濃いものを食べたいという気持ちが薄れたことや、多摩モノレール通り沿いを散歩することが増えてきたことなどもあり、行ってはいなかったのだが、昨年の秋、久しぶりに行ってきたら状況が大きく変わっていたのだった。

まず、券売機がタッチパネル式のものに変わっていた。それだけではなくて、二郎系でいうところの「コール」が券売機に組みこまれていたのである。

ここで念のため「コール」の説明をしておきたい。二郎系の店では、野菜や脂やニンニクなどを好きなだけ追加することができるのだが、その要望を、食券を出した瞬間に伝えるのではなく、提供される直前に「ニンニク入れますか?」あるいは「トッピングどうしますか?」と聞かれてから、「野菜ニンニク脂」などと言わなくてはならず、それが「コール」と呼ばれている。
最初はそのシステムに戸惑うことはあるかもしれないが、聞かれたらいつものコールをすればよいだけなので、慣れればどうということはないはずである。

ただ、コールが券売機に組み込まれていれば、お店の人が話しかけてくるタイミングを逃すまいと集中している必要がないので、楽でいいじゃんとは思ったのであった。

 

これが昨年秋に行ったときの松木田田のチケットである。コールが組み込まれていることがわかると思う。

なお、「限定」というのは、秋限定のメニュー「麻辣田田」である。

お店によっては限定メニューの頼み方が難しい場合もあるが、松木田田の場合は券売機で選ぶだけである。

このチケットをinputしたらこのラーメンがoutputされた。

二郎系のラーメンに唐辛子は非常によく合う。唐辛子というか、ピーマン系が合う感じがする。パプリカを大量にかけてもおいしいのではないかと思う。

右の飲み物は、オプションの黒烏龍茶とルイボスティー飲み放題。

 

一杯目は単価の高そうな黒烏龍茶にしたが、二杯目はルイボスティーにした。スッキリした感じと二郎系ラーメンのマッチング具合が最高であることを発見した。

 

めでたしめでたし……というところなのだが、この話はそれで終わりではなかった。

後日、別の二郎系のラーメン屋に行ったのだが、それまであたりまえだった「コール」をするのが、わたしにとってストレスフルだったことに気づいたのだ。

食券を買ってテーブルの上に置き、そのあと、まだラーメンを供されていない人の人数を確認し、そこから自分が「ニンニク入れますか?」あるいは「トッピングどうしますか?」と聞かれるタイミングを推測しつつ、時間つぶしにヤフーリアルタイム検索でトレンドを眺める。「見る」のではなく「眺める」。そうでないと自分が「ニンニク入れますか?」あるいは「トッピングどうしますか?」と聞かれたときに速やかに回答できない可能性があるからで、もし特大級の炎上コンテンツを発見したとしても決して深堀りしてはいけない。また、いつもと同じコールだったとしても、いつ聞かれても即答するできるよう、コールの内容を2回ほど脳内でリハーサルを行う。
そして、ついに「ニンニク入れますか?」あるいは「トッピングどうしますか?」と自分の方を向いて聞かれたら、そのタイミングで答えるのだが、「トッピングどうしますか?」ではなく、「ニンニク入れますか?」と聞かれたとしても、ニンニクについてのみ答えてはならない。何を言われようとも、事前に決めておいたコールを発するのである。聞かれたことのみに答えてはならないのだ。

言葉にしてみるとけっこうな頭脳労働である。

思いかえすに、松木田田で食券を置いてからラーメンが来るまでの待ち時間はこんな感じだった。ひとりで行ったけど……。細かく指定しなくてもChatGPTはステレオタイプな画像を作ってくれるんだなと感心した。


そして、あの待ち時間を経験したあと、ふつうの二郎系ラーメンで、「ニンニク入れますか?」あるいは「トッピングどうしますか?」と聞かれるのを待っている時間はこんな感じである。

 

注文にコールが組み込まれる世界を体験してから戻るのはつらい。そしてそんな些細なことがストレスになっていた自分にも絶望してしまった。もしわたしが、「ニンニク入れますか?」あるいは「トッピングどうしますか?」と聞かれてからコールの作成に堂々着手するような客であれば、まったくストレスは感じなかったことだろう。

 

そして先日、「そういえばあのときは限定メニューにしたけど、通常メニューはどんな感じだったかな」と思って松木田田に行ってきた。

やはりノーストレスだった。

コールする強靭な精神を取り戻したいと思いつつ、このパラダイスから抜け出せる感じがしない……。

 

 

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CDシングル折る折らないの話を38年後に蒸しかえす

コンパクトディスクの規格を決めた「第九」という謎めいた音楽

コンパクト・ディスクという光ディスクを通じて音楽が流通していた時代があった。ベートーヴェンの交響曲第9番ニ短調作品125が収まることを基準にしてディスクの直径は12センチと決まったが、わたしは本邦で「第九」と略されている作品を15秒しか聞いたことがない。わたしがまだ民放を見ていたころ、年末になると『1万人の第九』というイベントのチケット販売のCMを見ることになり、そのCMの間の15秒についてのみ把握していたが、15秒が74分の曲のどこにあたるのかは知らないままである。何でも検索すればわかる現代において、知らないということは興味がないということにほとんど等しい。興味がないなりにおそらく73分あたりだと推測していたのだが、そうだとしたらクライマックスの15秒にすら魅了されなかったわたしが最初から第九を聞いたらどうなるか想像もつかない。わたしの音楽的な好みについての話は措くにしても、大晦日に歌うのがいかにも縁起のよろしくない「第九=大苦」であることは謎としか言いようがない。遠い野蛮人の国の文字の読み方など知るはずもない作者が番号をつけたのだから九番であること自体は避けられないにしても、「だいきゅう」と読めばいいはずで、なぜあえて「だいく」と読むのだろうか。実は本邦はいつのまにかご祝儀に9千円を贈ったとしても嫌な顔をされなくなるような世の中へと進化していたのだろうか。そんなはずはないと思うのだけれど、「第九」をめぐる謎についての話がしたいわけではなかった。そもそも謎でもないので、CDに話を戻します。

 

CDシングルの登場

コンパクト・ディスクの登場から間もなくして、レコードのシングル盤にあたるディスクが必要になった。映像を記録することができるCDビデオという規格がすでに存在しており、その内周にある音声収録部と同じ8センチのディスクが流通することになった。コンパクトディスクよりもさらにコンパクトなディスクは初期型のCDプレーヤーは想定しておらず再生が不可能だったので、コンパクトディスクのサイズと同じ12センチに拡張するアダプター(当時300円程度だったが、今や需給バランスが乱れていて1300円前後で売られている)が、CDシングル発売と同時にレコード屋で売られることとなった。今回はレコードとインターネット配信の間にあって微妙な位置づけのCDの中でもさらに微妙な位置づけのCDのパッケージについて話したい。


CDシングルは、ジャケットを折る想定だった

ここに2つのCDシングルがある。

左から88年と96年にそれぞれリリースされたものである。

88年はCDシングルが発売された年。

表には半分のところでミシン目がついていて、下の半分はおよそデザイン性が感じられない。よく見ると上半分の文字をフォントもそのままで、単に並べているだけである。ミシン目のところから切って初めてデザインとして完成するようになっている。

また、裏には折り目がついている。プラスチックのトレイも簡単に折れるようになっている。つまり、店頭での陳列用に縦長にしているが、半分に折ったらコンパクトだし、かつての7インチのレコードを小さくしたようなデザインになって見栄えもしますよ、ということである。

しかし、製作者の意図通りこれを半分にしているユーザーは少数派で、「CDシングルを折ってそうな人が多く住む地域」世界ナンバーワンであるところのOsakaはKawachi Provinceに住んでいたわたしの周囲でも、素直に折っていたのはわたしだけだった。今思いかえすに、完全にわたしの敗北であった。本やレコードの帯を大切にとっておく国の民がCDシングルを2つに割ったりするわけがないのである。当時折らない派を口汚く罵っていたわたしも、この写真を見てわかるように、今ではCDシングル折らない派なのであった。

 

実際にジャケットを折る人は少なかったようである

そこから8年後のCDシングルは、表面にはミシン目はすでについておらず、半分に折らないことを前提としたデザインになってしまった。

無理に半分に折ってしまうと、男性2人組のユニットに見えてしまう。男性2人のユニットといえばペット・ショップ・ボーイズだが、レコードのライナーノーツに「ニール・テナント:ボイス」「クリス・ロウ:ノイズ」と書かれていて、わたしは「ボーカルやキーボードじゃないんだ!」と、中学生なりに新時代の到来を感じたのであった。いまは彼らの音楽を聴くことはなくなってしまったが、彼らがいまも活躍しているという事実は、わたしもまだ生きていてよいのだという気持ちになれるので、音楽を聴かずして励まされていたりもするのだが、それはともかく、このCDは企業とのタイアップをしていたらしく、裏面はおよそ半分が広告スペースになっている。

折り目はないし、無理に折ったとしても広告スペースが少し見えてしまう。わたしは当時はCDシングルを買うとすぐ半分にしていたので、初めてこの構造を見たとき、「ポピュリズム」という概念を理解したのであった。

 

「折らない派」が勝利をおさめたのちも構造はそのまま

なお、トレイの中の半分に折りやすい構造だけは当初のままである。

「CDシングルのトレイが折れやすくなっているのはなぜでしょうか、注意して扱わないといけないので正直うざいです……」と若者に言われたら、「CDシングルのケースは折ることを想定して作られていたんやけども、折らないでそっと扱う派が圧倒的多数だったため、ジャケットとケースのねじれが起きてしまったんじゃ………」と答えようと思っていたのだが、言われないまま長い年月が経ってしまったのでここに書くしかなくなってしまった。若者の多くはCDというメディアに興味を持たなくなっただけでなく、ストリーミング配信によって、「音楽を所有する」という概念すら持たなくなってしまったので、CDシングルのトレイの構造など知る由もないのであった。

 

 

 

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上から2冊目の本を買うのをやめた

かつては率先して2冊目の本を買っていた

本を買うとき、上から1冊目ではなく2冊目を手に取るようになったのはいつからかは覚えていないが、少なくとも小学生のときはすでにそうしていた。本屋に積んである本のいちばん上は立ち読みの対象になるので実質的に古本である。だから、きれいな本を買いたければ2冊目を取ればよい。わたしはそのことを独自に発見したつもりでいたのだが、他の人が同じようにしているのを見かけ、自分だけがそうしているのではないと知った。むしろ、素直にいちばん上の本を買う人の方が少数かもしれない。当時、わたしは自分が神童であると思っており、その根拠のひとつが「本屋で上から2冊目の本を取る」だったので絶望したのだが、いま思うに、あまりにも脆弱な根拠であった。
わたしの神童幻想の舞台となったのが大阪府四條畷市にある「くるみ書店」である。昔から忍ヶ丘駅前で営業していて、2025年現在も営業している。わたしは駅から少し遠くに「ブックランドすばる」という大型書店ができてからはそちらの方に通っていたりもしたが、そちらは2014年に閉店している。くるみ書店の粘り勝ちになるとは思ってもみなかった。個人経営の本屋を駅前で続けるのもかなり大変だと思うが、ありがたい話である。

それはともかく、わたしは神童ではないことが発覚したあとも、心折れることなく2冊目の本を買う暮らしを続けていたのだが、半世紀生きてきて考えが変わり、今はいちばん上にある本を買うことにしている。そしていま、自分が天才であることの根拠のひとつが「本屋でいちばん上にある本を買う」となった。それもまた脆弱な根拠ではあるのだが、少なくとも、自己肯定感が得られ読書生活が豊かになったことは実感できている。

 

「神経質な自分」と向き合うのに疲れてしまった

2冊目を買うという行動は、単体で考えると労力のかかる作業である。あらかじめ購入意思がある本の場合、本の山を見つけ、1冊目を脇に置き、2冊目を手に取って1冊目を元の位置に戻す。これは純然たる作業であって、その行為自体にはなんの喜びもない。そして、その作業が単純であるがゆえに「わたしは神経質な人間であり、他人が読んだ本を購入することすら許容できないのでございます」という自省が浮かぶ。買う気のある本ならまだその程度で済むのだが、立ち読みしているうちに買いたくなった場合はさらに厳しい自問が待っている。どういうことかというと、立ち読みして気に入ったなら、そのままレジに持っていけばよいはずなのに、それをわざわざ脇に置いて、2冊目を手に取り、読んでいた本を元の位置に戻す……という極めて不自然な行動にコミットするのである。単に、きれいな本がほしいというのではなく、1冊目を汚す行為に積極的に加担していて、自意の問題を超えて、うっすらとした迷惑行為に辿り着いてしまっているのである。

そして、これらのリスクをとって2冊目を取ったとしても、それが本当に2冊目である保証はどこにもない。「上から3冊目を買う」という過激派がその書店に潜伏していた場合、過激派は1冊目と2冊目を脇に置いて3冊目を購入することになるが、そんな過激な存在が、1冊目の下に必ず2冊目を置いて原状復帰をしてくれる保証がどこにあるだろうか。そして、過激派への自衛策として、「2冊目が本当に2冊目なのか」を、目を皿のようにして確認し、2冊目が真の意味で新品の本であるといえる状態であると確認できたとして、1冊目を元の位置に戻そうとしたときに、1冊目もまた真の意味で新品の本であるといえる状態であるように見えた場合、そもそも自分がしてきた2冊目を選ぶという行為の無意味さが身にしみてくるはずである。

こうなってくると、本を買うという行為が、愉快な読書のための準備というより、自分の心の闇を覗く行為になってしまって、このようにして買った本を楽しく読むことができるかというと非常に疑わしい。

 

きれいな本だと気軽に手に取れない→そのまま積読コーナーへ

もし、明鏡止水の境地で2冊目の本を購入したとしても、その本はどうなるかというと、なるべく美しい状態を保ちたいという意識が強くなるばかりで、そのまま帰宅して、本棚に入れてしまうだろう。汚してはいけないという気持ちがあれば、ポテトチップスを食べながら気軽に読んだりはできず、本を手に取るハードルが上がってしまう。そうなってくると、読書体験を買うのではなく、本を運搬して家に積む権利を買っただけになってしまう。
そもそも、「早く読みたい。多少汚れていようが構わない」と思うのが読書家としての自然な姿ではないだろうか。昔、『いちげんさん』という映画があって、鈴木保奈美さんが何らかの役で出ていたのだが、帰宅するや否や服を脱ぐのももどかしく行為を始めるというシーンがあり、わたしはスカパー!で録画したBlu-rayを後生大事にし、そのシーンだけを繰り返し見ている。全体としてどのような映画なのかは知らないままなのだが、これを見るたび、読書も同じことで、何冊目の本を選ぶかももどかしく本を購入して読みはじめたいと思うのであった。

 

 

以上の心境の変化により、わたしは1冊目の本を買う人間へと生まれ変わった。

レジに持っていったとき、「カバーはおつけになりますか」と聞かれたとしても、もちろん「大丈夫です」と微笑む。カバーをつけるという行為は1冊目を買う人がすることではないからである。

 

 

 

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