ココロ社

主著は『モテる小説』『忍耐力養成ドリル』『マイナス思考法講座』です。連絡先はkokoroshaアットマークnifty.comです。

日本丸と北朝鮮の工作船を見ていろいろ想像した話

あなたが、みなとみらいに行ったときにいつも目にして、「へぇ、中に入れるんだ。次行ったときは入ってみよう」と思いつつ通り過ぎ、次に行ったときもまた「へぇ、中に入れるんだ。次行ったときは入ってみよう」と思いつつ通り過ぎ、入る機会がないものといえば日本丸である。

業を煮やしたわたしはあなたに、「今日は、お出かけの主従関係を逆転させて、日本丸を見学するついでにみなとみらいに行こう」と提案したのだった。

 

航海練習船だからかもしれないが、日本丸の中は学校の教室の匂いが充満していた。柔軟剤ファミリーが通り過ぎたときは柔軟剤の匂いに支配されてしまうが、今の学校の教室も一定の柔軟剤チルドレンがいるはずなので、それも含めて「教室の匂い」なのかもしれない。

 

匂い以外についていうと、帆は張っていない状態ではあるがマストなど大変優雅で、「太平洋の白鳥」と呼ばれる理由がわかったが、実際の白鳥の頭をよく見るとだいぶ黄ばんでいるなどして大して優雅でないのと同様、この船にも優雅とはいえないところがあると思ったのは練習生用の部屋を見たときだった。

練習生用の部屋は個室などではなく、4人部屋で、2段ベッド×2である。もしわたしが練習生で、あなたの後輩にあたるのであれば、おそらくわたしが上の段のはずで、あなたは下の段になるはずだ。上の段からは首を伸ばせば海が見えて、高い方が上座かなと思ったのだが、「2段ベッド 上座」で検索して、いろいろなサイトが見つかり、マナー講師のような人もそうでない人も異口同音に「上座は下段」と言っていた。たしかに、寝るたびにはしごを登る人とそのままベッドに飛びこむ人のどちらの社会的立場が上かといえば答えは明らかだろう。あなたは、わたしがベッドの上段でつまらない冗談を言ったりしたらベッドを蹴りあげて反応したりもできる。

 

しかし、最初に部屋割が決まって部屋に入ったとき、中央の感じのよい椅子についてあなたは着目すると思う。ここをただの共有の椅子にするとあまりいいことにはならないと予感する。半年も同じ部屋で過ごしていれば、となりあって椅子に座っているうちに必要以上の親しみを感じることになることが容易に想像がつく。そこであなたは、先手を打って、この椅子を時間制で交代で使うことを提案するのである。他の部屋は考えなしに無秩序に利用した結果、妙な空気が流れてしまう。親しすぎるというだけならよいのだが、誤解に伴う嫉妬が渦巻いて、穏やかな海を航海してるときも精神的には大シケである。いっぽう、あなたの提案によって、われわれの部屋はちょうどよい距離感が保たれることとなった。そこで最もあたりさわりのない話題として重宝されるのは食事のメニューの話なのである。

 

船の上とはいえ、メニューはすばらしく、ふつうにひとり暮らしをしているときよりもはるかに豪華な食事にありつける。しかし、栄養のバランスを考えると、どうしてもほうれん草のおひたしが登場してしまうことがある。他に適切な話題もないので、おひたしをいかに悪く言うかの競争みたいになってしまって、最初のうちは、苦くて無駄にジューシーだから、せめて乾かしてほしい……などのコメントにおさまっていたのだが、航海がはじまって3ヶ月後には完全に煮詰まってしまって、わたしはほうれん草の役になって芝居を打って、人間に命を奪われることは仕方ないとして、せめてバター炒めにしてほしかった、命を奪われるだけでなく、おひたしにされてまずいまずいと言われながら飲みこまれて胃液に溶かされていくのは恥辱の極み……などとあなたに向けて言っているうちに、なんだか悲しくなってしまってわたしは涙が出てくるし、あなたも罪悪感のようなものが芽生えてきて謝ってしまう。そして食べなかったほうれん草のおひたしをポケットに入れて押し花のように部屋の天井に貼って供養するのであった。航海が終わるころには天井のほうれん草は龍になって、われわれが無事に帰港するための守り神のようになったのであった。

 

さまざまなドラマがあったようななかったような日本丸を降りて30分ほど歩くと、まるで船を一隻匿っているかのような建物が見えてくるが、それは北朝鮮の工作船を展示している海上保安資料館横浜annexである。

 

日本丸で航海については習得できたものの、北朝鮮の船が弾を撃ってきたときにどう対処するか、われわれは机上でしか学んでいない。正当防衛であることをじゅうぶんに示すためにふたりでカメラに状況をおさめようとするが、船が揺れてどんどん気持ち悪くなってきて、わたしは日本の領海が侵犯されることよりも胸にわきあがってくるものの対処のことしか考えられない。そんなわたしを尻目にあなたは勇敢にも北朝鮮の船に対して適切な射撃をするが、最終的に北朝鮮の船は自爆して沈んでいくのだった。

あなたは、殺意に満ちた者たちであるとはいえ、自分の手で彼らの命を奪うことにならなかったことに安堵しながら、生還することが絶対になくなってしまった工作員たちの暮らしに思いを馳せる。

日本で入手した缶詰、日本では非常食のようなものかもしれないが、工作員にとってはごちそうだったに違いない。

 

小さな液晶のポケットコンピューターはゲームもできるので、小さな白黒画面でシューティングゲームを楽しんでいたかもしれない。実際にシューティングで命のやりとりをすることになることを意識しながら遊ぶゲームはどんな感じだっただろう。

 

 

日本丸と北朝鮮の工作船、片方だけ見ると心のバランスがおかしくなって仕事に差し障ったりするかもしれないので、いちどに両方見ることができてよかった。

 

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カメラで「元が取れたよ」と自分に言い聞かせることに成功した

たとえばホテルのビュッフェ。小さな区画に区切られた不思議なお皿に和洋さまざまなおかず、スクランブルエッグやサバの味噌煮などを盛っていく。ときには肉じゃがの汁が越境して、隣のカリカリのベーコンが汁っ気たっぷりになることもあるかもしれないが、細かいことを気にしないのであれば、朝食なしプランとの差額1500円の元はたやすく取れるだろうし、がんばり次第では、宿泊費の一部を回収することすら可能である。

 

しかし、カメラの場合はどうだろう。それなりに高価ではあるし、何を以て「元が取れた」とすればよいのかが不明である。カメラ好きの人の多くはそんなことは気にせず趣味に没頭しているのだろうとは思う。
ただ、わたしの場合は違う。「元が取れた」という実感を得ないまま使い続けていくと、「老後の蓄えも大してないくせに高価な機械など買いよって……」と、もうひとりの自分がやかましいので、この際でっちあげでもよいので、「元が取れた」という実感を得ておきたいのである。

 

前置きが長くなったが、GR IIIというデジタルカメラを、日常で持ち歩く用のカメラとして2年ほど前に購入した。正確に書くなら、「GR III Diary Edition」である。色遣いが80年代のPCのようで、気に入っている。

そのときは128,520円した。その前は富士フイルムのX100Fを使っていたのだが壊れてしまったのである。GR IIIのことは気になってはいたが、いかんせん高価なので買う口実がなければ買うわけにはいかないと思っていたところに故障してしまったのである。大義名分が得られたので半笑いで注文した。いまは抽選販売で売られており、中古でも、わたしが買ったときよりも高い値段で売られている。これらを以て「元が取れた」と考えてもよいのだが、感覚的なレベルで「元が取れた」という気持ちになって心の平安が得られた記念にこれを書いている。


昭和のころと比較すれば、1枚撮ってSNSに載せれば元は取れている(と言えなくもない)

インターネットがなかった時代と比較すると、買ってすぐ元が取れる状態と考えることも可能である。たとえば、撮った写真をSNSで見てもらうところまでをカメラのコストと考えるなら以下のような計算も可能だろう。
GR IIIの解像度は6000ピクセル×4000ピクセルなので、四つ切りサイズの印刷に耐えられる。これをSNSに載せ、1000人が見たと試算する。同等のことをインターネットのなかった時代にする場合、写真1200円の写真を1000人に送ることになる。昭和50年代の定形外郵便の料金120円を足すと、1枚プリントして送るのに1320円かかる。これが1000人分なのだから、1枚撮ってSNSに載せるのと同じことを昭和時代にしようと思ったら、それだけで合計132万円かかっていたと考えることもできなくはない。


シンプルに考えて、プリント代と比較するのが適当かもしれない

しかし、インターネットで拡散するところまでを考えて「ボロ儲けですよ」と言われてもリアリティがあまり感じられないので、単純に「デジタルなのでプリント代がかからない」という論法の方が自分の気持ちも納得しそうである。
プリント代は、拡大して見ることもそんなに多くはないので四つ切りではなく1枚50円のL版と換算してみる。
冒頭の128,520円をそのまま50円で割るなら、2,570枚撮れば元が取れたことになるが、デジタルカメラだから無駄にシャッターを押した分くらいは勘案しておかないとリアリティがない。「意味ないかもしれないけど念のため撮っておこう」と思って撮った写真の割合は、だいたい3枚中2枚くらい。本当に見返す写真は10枚に1枚もないように思うが、それを言っていいなら、フィルムカメラの時代に「写ルンです」で撮った写真もほとんど見返していないので、対フィルムカメラの3倍いらん写真を撮っているという状態が適切だと思う。
上記を考えて、歩留まりを33%と考えると、7,788枚撮れば元が取れる計算である。
いま9,189枚撮ったので、元がすでに取れていると見なせるし、そのような実感も得られている。

 

「コレや!」という写真が100枚くらい撮れたらいいんじゃないのという気もしている

もし、多摩動物園からライオンが逃走して多摩モノレール通り沿いを闊歩している写真が撮れるなどした場合は、1枚で元が取れた気分になると思うので、実際は「撮れ高」の累計が一定量に達したら、元が取れた気分になるのかもしれない。気に入っている写真が100枚も撮れたらよいのかなと思う。

カメラの性格上、一般的にいう決定的瞬間であったり絶景を切り取ったりできるわけではないが、GR IIIがなかったら撮れていないかもしれないと思う10枚を紹介したい。おそらく解説なしだとなぜこの写真なのかがわからないと思うので、解説をつけさせていただきたい。

 

(1)稼働中あるいは非稼働中の何らかの工場

津久井湖から相模湖まで歩いているときに見かける工場。ただの散歩と思って歩いていたらちょっといい感じの工場があったときなども安心である。

 

(2)ヒヨドリに葉だけ食い荒らされたブロッコリー畑

近所の畑なのだが、日常に潜む惨劇が撮れてよかった。節操なく食い荒らしているように見えるが、人間にとっての可食部はお好きでないようで、きっちり避けている。

 

(3)「ホテル 野猿」跡

たまたま通りかかって更地になっていたので撮った。

「野猿」という文字列を見ると、とんねるずのユニットである「野猿」の解散を苦に、ふたりの高校生が飛び降りた事件を思い出すが、そのユニット名の由来になった「ホテル野猿」が、名前を変えたあと、さらに更地になったところ。

 

(4)松屋でダブル生野菜になってしまったところ

定食に生野菜がついていたことを認識せずに生野菜をプラスしてしまったのだが、その戸惑いがよく写しとれているように思う。生野菜2セットを食べるとすごい水分量になった。

 

(5)よしもとが多摩ニュータウンに来た

よしもとがパルテノン多摩に来るというニュースを見て、二度と来てくれないだろうという気がしたので見に行ってきた。撮影禁止だろうと思ったが、開演前の説明のときに「いまなら撮ってもいいですよ!」と言われて、慌ててカバンの中を探してGR IIIがあったので撮れた。

 

(6)神社のお供え

美容室に行くまでの道にある神社のお供えを見るのが好きでよく撮っているのだが、このときは白湯と鬼ころし、焼きさつまいも&むき栗という組み合わせで、バンドだったら方向性の違いで即日解散しそうである。

 

(7)晩秋の若葉台

家から若葉台までよく散歩している。若葉台は多摩ニュータウンの中でもニューな方なのだが、ニュータウン外から見た景色が非常に好きな感じ。

 

(8)いい木の幹

買い物に行く途中でいい感じの木を見かけたときにGR IIIが役立っている。

 

(9)おいしそうに撮れて実際おいしかった冷やし刀削麺

新宿の西安で食べた冷やし刀削麺。

 

(10)街中の廃墟

おそらくスナックだと思うけど、散歩中にとつぜん廃墟を見つけたときにもGR IIIは廃墟感を写し取ってくれるので感謝している。いまどうなっているかが気になってGoogle Mapを見たら、取り壊し中になっていた。

 

―こんな感じで、個人的に好きな写真がじゅうぶんに撮れて、元が取れた気がしてきた。高い高いと思っていたら持ち出すのに躊躇してしまうし、いつもリュックの中に入れて気が向いたら撮るというスナップ写真のよさが失われてしまうので、これからは、「すでに元は取ったのだから乱暴に扱ってもよいのだ」という気持ちでGR IIIとつきあっていきたいと思う。


なお、先日GR IVが発表になり、しばらくGR IIIを使い続けようと思ってはいるが、もしGR IIIが故障してしまったら、元は取れたことになってはいるので、ためらいなくGR IVに移行することができるはずである。

 

 

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忙しいと夢が生活の中心になってしまう

たしかにヤクルト1000を飲むと夢をよく見る

ブームは一段落したのかもしれないが、ヤクルト1000がコンビニエンスストアで買えるようになってから、だいたい毎日飲んでいる。もともとよく眠れていたのだが、さらに眠りが安定してきたように感じている。飲むのは朝がよいという説も見かけたが、寝る前に甘いものを飲むことについて大義名分が得られるのもうれしい。最近、糖質オフのものが出て、「余計なことを……」と思ってしまった。大義名分は失われ、甘いものが好きな自分と向き合わざるを得なくなってしまった。
以前から、安眠と引き換えに変な夢を見ることがあるという評判があったが、少なくともわたしには当てはまっている。いままでわたしが見た夢でいちばん気に入っているものを紹介したい。

 

暫定 ベスト of my 夢

東京の東の下町に「いじめ」という駅があった。虐めという意味ではなく、漢字で「井志免」と書く。プラットフォームでの表示ではひらがなで「いじめ」と書かれていて、井志免とルビが振ってあった。イメージはよくないが昔からの地名だから仕方ないと地元の人は言っていた。
駅のガード下には飲食店がひしめいていて、何を食べるかすごく迷った。インド料理店を覗いてみると、客の老人が「ビリヤニにカレーをかけて食べてもいいかねぇ?」と聞いてくるので、食べたいように食べればいいと答え、わたしも次にビリヤニを食べるときはカレーをかけてみようと思った。
さんざん迷ったが、肉の焼ける匂いに導かれて、カウンターのみのステーキハウスで昼食をとることにした。シェフが何枚ものステーキを同時に焼いていて、注文するとすぐ出てきて感動した。シェフひとりでやっているので、隣の人に水を出すときに雑にするものだからわたしのステーキに水がかかった。まあ下町のステーキ屋はこういうことも楽しみのひとつだよなと思っていたら、隣の人が有名な女優さんで、ステーキといっしょに頼んだおにぎりが大きすぎるので半分食べてと言われて、わたしは大変光栄ですと言ってありがたくいただいた。

 

他にも、鹿鳴館に火をつけて灰にする現代アートを見たり、チグリス川とユーフラテス川の間を走る近鉄電車に乗ったりした。楽しい夢が多かったのだが、唯一つらかったのは、火曜日の朝に、金曜日の朝だという夢を見たこと。日付を間違える夢は昔からよく見ていて、ほとんどが、夢では平日の朝で実際は日曜の朝だったというささやかな悪夢。起きてから少し得をしたような気分になる夢だった。金曜の朝だと思って起きたら実際は木曜日の朝で、うっすら失望したことはあったが、金曜日と思ったら実際は火曜日だったというのはさすがにこたえた。夢がポジティブすぎるのも考えものである。

 

多忙とヤクルト1000をかけあわせると人生が夢になる

夢の内容が不思議かつポジティブなのはよいことなのだが、毎日必ず夢を見るようになった。そして仕事は忙しい。その結果、その日一日をふりかえったときのトピックが夢になった。夢は寝ているときに経験したもので、目が覚めたらその記憶はみるみるリアリティを失っていくが、「仕事して寝るだけの現実の暮らし」と、「不思議な世界でのできごとだがリアリティは8割減」のどちらがインパクトが強いかというと、残念ながら後者なのだった。一時は起きてすぐ見た夢をメモしたりしていたが、そうなると完全に人生=夢になってしまって虚しいので、夢の内容は忘れるがままにすることにした。


「後出し夢人間」の気持ちをようやく理解することとなった

SNSで夢について書くときに「夢を見た〜」から書き始めるのではなく、「~という夢を見た」としめくくる人のことを、わたしは「後出し夢人間」と心の中で呼んでいる。ブログ時代で、さんざん驚きの情報を書いが挙げ句に「~という夢を見た」と最後にそれが夢であったと書く人は見かけなかったし、たとえばサザエさんが、両親を失い、独身のまま中年を迎えた磯野サザエの見た幸福な夢だったという回が放送されたりしたら物議を醸すだろうが、140字くらいなら問題ないと思っているのだろう。自分が経験したことが夢であった驚きを共感してもらうために最後に夢であった驚きも含めて伝えたいと思ってそう書くのだろうけれども、少なくとも読者であるわたしにしてみれば、実際に起きたことを期待しているので、最初に「夢だけど」と書いてほしいと思っていた。しかし、生活の中で夢のウエイトが上がってしまうと、少なくとも夢を見たという事実はあったのだから、旅行に行ったことを書くように書きたいと思う気持ちを理解できるようになった。
夢が生活の中心になってくると、もはや生命として活動を維持する意味はないのではないかと考えなくもないが、その問題については先送りしておきたい。

 

 

 

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南関東の「いろんなところから富士山が見える」状況に驚きつづけている

大阪から東京に引っ越して30年以上経つが、じわじわと蓄積されてきた驚きがついに閾値を超えたので筆を執った次第である。正確には「ポメラ DM250を起動してmenuキーを押して新規作成を選んだ」のだが、ポメラを持っていなかったら、さらに驚きが蓄積されていないと、PCを起動して待って海辺の洞窟みたいな写真を見てそろそろ海に行きたいと思って指紋認証してテキストエディタを開いて新規作成したりはしないと思うので、ポメラを買ってよかったと思うが、それはともかく、閾値を超えた驚きとは何かというと、富士山がいろんな場所で見えるという事実についてである。

 

はじめて東京に来て暮らしはじめたのは東中野で、すでにまわりはビルだらけだった。近くに「富士見町」というそのものズバリの地名があったにもかかわらず、建物がなかったころはたしかに富士山が見えただろうけど、小さかっただろうし、今はビルに遮られて見えへんのやろ、と思っていて、試そうともしていなかった。そもそも、富士山を見たいという願望も持っていなかった。若いころは景色を楽しむという概念に乏しいものである。わたしが富士山を見るのは、実家に帰るのに東海道新幹線に乗ったときくらいだった。そのときは、なかなか大きいなぁと思っていたのだが、それでも、線路のすぐそばにあった太陽電池の三日月みたいな建物に比べたら迫力に欠けると思っていたのだった。

 

調布に転居したとき、まわりに高い建物がないマンションの最上階(ただしエレベーターなしで不在がちだったので宅急便の人には申し訳なかったと思う)で、ルーフバルコニーがあったのだが、そこから富士山を見た記憶はない。地図で確認したらバルコニーは見えない方向だった。見えていたはずの味の素スタジアムについても見た記憶がなかったから、仮に富士山が見えていたとしてもそれを見ようとしていたかは疑問である。

 

そのあと短い間だが暮らしていた武蔵小杉のマンションにもまたルーフバルコニーがあったのだが、日当たりが致命的によくて、物干しスペースとしては高性能だったが、その目的にしか使っておらず、富士山が見えるかどうか確認したことはなかった。地図で調べてみると、そのルーフバルコニーからは見えないところにあった。

 

そして多摩市に転居したのだが、40歳半ばで、だいたい日本で行きたいところは旅行したなぁと思って、行くあてもなく近所の遊歩道や、少し遠出して南関東の海沿いなどをじりじり歩きまわっていたら、突然富士山が現れはじめて驚いた。それまでは新幹線から見るものだと思っていたのだが、実際は、南関東なら高い建物が少ないところや高いところに行くと見える頻度が高い。

 

わたしが富士山をよく見る場所は高幡不動のふれあい橋である。

人々がふれあう想定の橋だと思うが、わたしは富士山とのみふれあっている。夕方に見て、そのまま歩いて帰宅するのがルーティンになっている。

 

また、「川にかかる橋で西側が見える」というシチュエーションであれば高頻度で見えることを学習し、多摩川にかかる石田大橋からも見えたりするのかなと思ったら、やはり見える。

これは300mm相当のズームによって得た画像なので、実際はこんなに大きくは見えないが、端とはいえ東京なので、300mm相当のズームをすればこの大きさになるということにも驚いてしまう。

多摩ニュータウン通りを歩いていてふと見えたときには驚いた。映画のシャイニングのどのへんのシーンか忘れたけどそういう感じ。

 

西東京だと23区より富士山に近いし見えて当然ジャンなどと思ったりもしたのだが、葛西臨海公園でも見えた。

ただ海を見たいと思って行っただけなのに思わぬ収穫である。海沿いで西側が見えるところなら見えるということなのだろう。

 

さすがに千葉県になると難しいのではと思ったが、東京湾沿いだと遮るものがないので見える。

これは船橋の三番瀬。海を見たいと思ってきただけなのに富士山まで見えるとは……。

 

さらに千葉市の千葉タワーに行っても富士山がわたしを追いかけてくる。天気のよい日に夜道を歩いていて「月がどこまでも追いかけてくる」と思うのとまったく同じ感覚である。富士山は惑星なのか……。

 

千葉から見えるなら、東海地方であり富士山が属する静岡県なら当然よく見えるはずだが、沼津で富士山がこんなに近くに見えることは知らなかった。

ここまでよく見えるのなら富士山が見えることをもっとアピールすればいいのではと思ったが、沼津でなくてもよく見えるので、深海魚の水族館などに比べて独自性は薄いのかもしれないし、仮に富士山が見えなかったとしても沼津は見どころ満載シティである。

 

話を南関東に戻して……三浦半島を歩いていても、目を凝らすと見えるときがある。

最近は、「かもしれない運転」のように「富士山が見えるかもしれない」という気持ちでお出かけしている。「だろう運転」のように「富士山は見えないだろう」と思っていたら全然見えないと思う。車の免許を持っていないので「かもしれない運転」がどの程度有効なのかは知らないが、「かもしれない散歩」は暮らしを豊かにしてくれているたしかな実感がある。

先述の高幡不動では、これでも富士山を感じることができる体にされてしまった。

 

いっぽう、わたしが育った大阪はどうかというと、伊勢神宮遥拝所のようなものをときどき見かける。

これはなんとなく立ち寄った天王寺近くの寺田町の神社で、当然ながら建物がなかったとしても見えない位置にある。まず生駒山地に遮られるので、奈良すら見えない。つまり、この方角に伊勢神宮があるからimagine……ということである。それはおかしなことでもなんてもなくて、伊勢神宮に行ったとしても神様が見えるわけではなくて、やはりお賽銭を入れるところからimagineである。同じ関西でも、見える地域は限られているものの、三輪山は神そのものがご神体で、富士山は同じような感覚で信仰されているように思う。南関東のあちこちで見える富士山は、わたしたちを見てくれているような感覚があり、わたしは中年になってからその感覚が芽生えてきた。

 

もしかしたら、いじめの件数なども、富士山の見える地域は少なかったりするのかしらと思って検索してみたら、そんな感じでもなかったし、そもそもいじめの件数はその地域が認知数を増やす方針なのか否かによっても大きく異なってくるようなのでなんともいえない。富士山がよく見える地域に住んでいる人は富士山があたりまえだと思っているので、富士山の見えない地域から見える地域に引っ越すと幸福度が向上し、その反対だと幸福度が低下したりするのかもしれない。

 

富士山が見える地域に住むことによって精神にどのような影響がおきるのかはわからなかったが、だいたいどこからでも同じ山が見るという状況は、少なくともわたしを落ち着かせる効果があることがわたしによって実証されている。外から南関東に来た方で、富士山をあまり意識してこなかった人も、「富士山が見えるかもしれない」と思って過ごすと楽しいと思う。

 

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夏のウグイスが精神的にやかましいという話

ウグイスといえば、かわいらしい鳴き声で春の到来を告げる鳥であることはご存知のとおりである。ウグイス的にはべつに人間に春が来たことを知らせたくて鳴いてはいないのだが、人間はウグイスの鳴き声を聞いて春が来たと感じて、勝手にうれしい気持ちになるものである。かつてわたしは旅先でウグイスの鳴き声を聞いて、やっと春がきたと喜んだりしていたものだが、何回か鳴き声を聞いて春の到来を実感してから、その鳴き声は車の走行音などと同様、意識にのぼってこない音になっていた。

 

ウグイスのことをよく知ることになった、というより、いやおうなく知ることになったのは、鳥のうるさい地域に引っ越してきてからのこと。まず、鳥のうるさい地域とはどこかというと、多摩ニュータウンである。それまで暮らしていた東中野や調布、武蔵小杉と比べて鳥がうるさいのは当然としても、わたしの育った大阪の端、四條畷と比べてもうるさい。四條畷は読み方がよくわからないことは言わずもがなであるが、店が少なくて電車の本数も少なく、塾などで大阪市内のクラスメイトに引け目を感じたりもしていたものだが、そんな四條畷よりも多摩ニュータウンは緑が多くて鳥がうるさいことは意外だった。鳥がうるさいわりに駅は4つ(路線の違うものを入れてよいなら7つ!)もあるし、丸善も大判焼のしゃるむもあって、もう10年近く暮らしているのに今も意外性に驚きつづけている。

 

引っ越してきたばかりのときは朝は7時ごろ起きていたのだが、最近は加齢に伴って起床時間が前倒しになって、5時ごろ、ちょうど鳥が鳴きはじめるタイミングで早起きするようになってから、鳥の鳴き声には結構なボリュームがあると感じるようになった。ウグイスは春に鳴いているのだが、毎朝鳴き続け、いつのまにか夏になって、それでも鳴いている。春が来たことは存じあげているので人間としてはもう鳴かなくてもよいが、いったいいつまで鳴くつもりなのかと思っていたのだが、ある日、悲しい情報を目にした。ウグイスはパートナー探しのために鳴く、つまり、夏になるまで鳴いているということはパートナーが見つかっていないのだ……という趣旨の話だった。その話を読んで「ホーホケキョ」が、かわいらしい音楽から、「誰かぼくと交尾しませんか?」というモテない鳥からの生々しいメッセージに聞こえるようになった。わたしは毎朝、「誰かぼくと交尾しませんか?」の声で目を覚ましていて、まさに寝覚めが悪い。そもそも、どんなにモテなくても「誰か」などと言って振り向く雌はいないんやで……ウグイスがそう言っているわけではないと思うけれど。

 

それにしても、わたしの家から聞こえてくるホーホケキョの音自体は、少なくとも人間の感覚で聞くと、音楽的であり、鑑賞に値する。そのウグイスはモテないわけないんじゃないのと思って念のために検索してみると、ウグイスは一夫多妻制で、繁殖期は交尾する相手を探し続け、また、縄張りを知らせるために鳴くこともあるらしい。つまり、「誰かぼくと交尾しませんか?」だけでなく、「ええ男がここにおるで~!」「これ以上近づいたら排除する!」の合計三種類の意味があるということである。「誰かぼくと交尾しませんか?」の悲壮なイメージは薄まったものの、本能むき出しの鳴き声でわたしが朝起こされていることに変わりはない。いままでウグイスはかわいい鳥だと思っていたのに結構なイメージダウンである。夫の定年退職後、一日中家にいる夫に我慢できなくなった妻の話をよく見かけて、それに似ているのかもしれないし似ていないのかもしれないが、音そのものはともかく、精神的にやかましいと思って毎朝目覚めている。飼っている犬や猫の鳴き声から真意を把握しようとするのは大切なことだと思うが、飼ってもいない鳥が発するメッセージを人間が受け取ってもあまり意味はなかった。動物の鳴き声はすてきなBGMとして聞くもので、無用な詮索はすべきではないのかもしれないと思ったのだった。

 

とはいえ、人間も一皮むけば同じようなことで、都度縄張りを主張する必要がないように家にはドアがついていて鍵がされている。人間がマッチングする場合も、単にアプリを使ったり、友人の紹介というシステムがあるというだけである。これらの仕組みを使わないのであれば、道端や職場でホーホケキョ級の会話をしなければならなかったはずである。いっぽう、ウグイスも自分の縄張りが囲われていたらホーホケキョなどと鳴かないだろうし、マッチングアプリがあれば、少なくともアプリに登録するときに渾身のホーホケキョを一度吹きこめばよいだけである。アプリがあってもウグイスの雌は鳴き声を頼りにパートナー選びをするのかはわからないが……。

 

もし自分がウグイスだったら、いまわたしを起こしているウグイスよりもうまく鳴けないと思っている。おそらく楽器がうまい人や、身体能力の高い人がウグイスになったらうまく鳴けるのだろう。わたしがウグイスなら、まったく出会いもなく、毛だらけで食べるところが少ない毛虫を食べて暮らすだけだったのかもしれない。

 

明日からは、ホーホケキョで起こされながら、自分はホーホケキョと鳴かなくてもよいのだ、と、人間に生まれた喜びを噛みしめていこうと思ったのだった。

 

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下戸がノンアルコールビールを飲んで「おつまみ」の概念を理解した話

アルコールが苦手で、飲酒する人の習慣がわからないまま半世紀以上生きてきた。とくにわからなかったのが「おつまみ」という概念である。otsumami……omotenashiの親戚のような語感。おかずでもなく主食でもない謎の存在。非アルコールの領域でこの「おつまみ」に近い概念といえば、おそらく「お茶請け」であるが、わたしは甘い物が好きなので、お茶請けも瞬く間に食べつくしてしまって、お茶請けというより、お菓子を食べてからお茶を飲むというだけである。
さらにわからなかったのが、「お通し」である。「おつまみ」の概念に近いのかもしれないと思っていたが、飲食店への献金のようなものだと認識していた。

 

本邦においてノンアルコールビールが初めて売られたのが1986年であることをわたしは忘れてはいない。宝酒造の「バービカン」で、高校1年生の時に飲んだのだった。他はさておき、味覚についてはノーマルな感性しか持っていなかったので、なんだか苦いという印象以外は何もなかった。大人になってから義務的な飲み会でビールを仕方なく一口飲んだりすることはあったが、苦みはともかく、飲むと眠くなるし、そもそも仕方なく飲んでいたので、おいしい/まずいの概念とは別の存在だった。わたしにとってビールとは「お酒を飲んでいる感」をアピールする道具でしかなく、平成の終わりごろ、そのようなアピールも必要なくなってからは、ビールを口にすることもなくなったのだった。

 

「おつまみ」という概念を理解することなく、わたしは天国に行く(半年前に救世軍の社会鍋に5000円投入したことが根拠)のだろうか……と思っていたのだが、昨年、お好み焼き屋に行ったとき、いっしょに行った人がノンアルコールビールを頼んでいて、おいしいかもしれないと思って頼んで飲んでみたら、おいしかった、というか、「おつまみ」がほしいと思ったのだった。いままで、炭酸水はよく飲んでいて、ペリエをケースで買っていたりした時期もあったが、それをはるかに上回る「甘くなくて爽快な飲み物」の存在に気づいたのである。

 

以上の経緯があって、飲食店に行くと、ノンアルコールビールを頼むことが習慣になっている。勢いでノンアルコールワインも買ったのだが、これもおいしゅうございまして、チーズとノンアルコールワインをセットでエンジョイしている。


そして、どんなおつまみでもよいわけではなく、お酒とおつまみには相性というものがあることも理解した。お寿司屋さんにビールがあることを今までは何も思わなかったのだが、ノンアルコールビールと合わせていただいた結果、生魚の生臭い風味が口いっぱいに広がって、お寿司もビールもおいしくなくなってしまった。生魚は日本酒のおつまみ、というか、そもそも「魚」の語源が「酒菜」なのだからそういうものなのだろう。もしかすると、まったく酔っていない状態だから生臭さに耐えられなかったのかもしれない。酔っているなら平気なのかもしれず、ノンアルコールビール特有の問題なのかもしれない。ノンアルコールの日本酒が普及すればいいのにと思い、Googleの地図でお寿司屋さんのメニューを目を皿のようにして見ている。

 

また、一般的にビールのつまみとして利用されるスナックたちには、ビールと併用することをイメージさせるパッケージが多い。

ノンアルコールビールを飲むまでは、「なんで本体よりもビールの写真の面積が大きいの……スナックとして自立しなさいよ」と思ったりしたのだが、ノンアルコールビールを飲んで食べてからは、そのパッケージが購入の際の目安になっている。これくらい大きく写してくれないと困るね……。

そして90%が「ビールが進む」と回答、というデータが奥ゆかしい。こういうのは97%くらいから出すものだと思っていた。なお、わたしの感想では(ノンアルコール)ビールが2本進みました。

 

夕方に外に何かを食べに行って、最初に「お飲み物は何にします?」と言われ、水というわけにはいかないなと思いながら仕方なくジンジャーエールやウーロン茶をお願いしていて、それもお店にとっての正解からどれくらい近いのかもわからず、宙吊り状態のまま飲んだり食べたりしていたのだが、ノンアルコールビールを頼むという選択肢ができて外食の敷居が一気に下がった。そして、ノンアルコールビールを飲むことによって「お通し」の意味も理解できた。いままではお通しを10秒で食べてウーロン茶を飲んでいたのだが、ノンアルコールビールを飲みながらゆっくり味わえるようになったし、席についてすぐ出てくる料理のありがたさを理解した。

たとえそれが生のキャベツであったとしても大変うれしい。つい最近まで、烏龍茶を飲みながら生のキャベツを食べて串カツが揚がるのを待っていたなんて信じられない。

 

なお、ノンアルコールビール暮らしをするうえで重要だと学んだのは、アルコール入りのビールと間違われないための作戦である。先日、初めて行った店で、メニューを見てノンアルコールビールがあったので、その銘柄(なんとかゼロという名前)で頼んだのだが、出てきた飲み物を飲むとアルコールが入っているような印象を受けた。ひとくちだと確信が持てないのでもう少し飲んだら、体温が上がってきたのがわかる。そこで「なんとかゼロを頼んだのに全然ゼロじゃないのが来てる」と主張しても、わりと飲んだあとなので替えてくれといいづらいし、言った言わないの話になるのは面倒である。言った言わないの話にならないよう、各ビール飲料メーカーはわかりやすい名前をつけているはずなのだが、お店の人の脳内では「何かビール状の飲料を頼んでいる→ビールを出す」という雑なフローチャートができているようだった。以後は、銘柄を知っていたとしても間違われる可能性があるため、わざわざ「ノンアルコールビールはありますか?」と聞いて、銘柄を教えてもらってから「じゃあそれで」と返すことで、お店の人に「この客にはノンアルコールビールを提供しなくてはならない」という情報をインプットするようにしており、それから間違いは起きていない。
このときは、せっかくの機会だし、たまにはアルコール入りのビールを飲んでみようと思って、飲んでいくうちに気分がよくなったのはたしかだが、そのあと数時間が何もせぬままあっという間に過ぎてしまった。時間の無駄遣いになってしまうと思い、アルコールは自分にとってはよろしくないと思ったし、アルコール愛好家は、この時間があっという間にすぎてしまうことも合わせて好きなのだろう。

 

そして、あのころ飲んで特に琴線に触れることもなかったバービカンは今どうしているのだろうと思って検索したら、販売権が宝酒造から日本ビールに移り、名前が「龍馬1865」に変わったとのこと。受験に出ないところは何も覚えなかったので未だに坂本龍馬のことをよく知らない。なんか大事な話をまとめたらしいという記憶はあるので尊敬している。

さっそく1ケース頼んでみたのだが、パッケージから坂本龍馬で驚いた。

そこまで龍馬推しということは実は彼はノンアルコールの草分け的な存在だったりしたのかなと思ったが、検索して、坂本龍馬は酒豪で、下戸だったのは西郷隆盛との情報を得た。あのビジュアルでお酒が苦手だと大変だったのかもしれない。

缶そのものはそこまで龍馬推しではなかった。缶に龍馬の大きな写真が載っていて飲みたいと思うかというとそうでもない感じだから、このパッケージが正解なのだろう。味はあっさりしていて、食事といっしょに飲むと非常にマッチング具合がよろしい。

 

また、中学生の頃からCMでさんざん見て脳内で味のイメージを醸成していたバドワイザーやハイネケンのノンアルコール版を飲んで、これがあのビールの味なのか……と答え合わせをして感動した。バドワイザーは金髪の美女のイメージだったので強烈な穀物臭がクセになる感じなのかなと思ったが想像より爽やかだった。ハイネケンはヨーロッパのおしゃれなビールというイメージで爽快感があるのかなと思ったら、重厚な味だった。海外のビールではヴェリタスブロイがもっとも好みである。日本のビールはどれを飲んでも一定以上の好感が持て、日本人の味覚に合うように作られていることを理解した……つもりだが、これらの「理解した」感じは、セブンイレブンで郊外の民を慰めるために時々提供されるエリックサウスや魯珈のカレーの味を以てお店の味であると理解してしまうことと同じことなのかもしれない。

 

かくしてわたしは、「おつまみ」の意味を50年以上かけて理解することとなった。この調子だと死ぬまでにあといくつ世界の謎を解けるのだろうかと不安に思うが、まずは発見を素直に喜びたい。

 

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蚊のことをペットだと思って飼うと案外かわいかった

2ヶ月くらい前に玄関で蚊が飛んでいるのを認知するとともに殺害を試みたが、荷物をおろす前だったので動きが緩慢すぎて失敗した。運のよいやつだ。しばらく経ってからまた出会ったので、まだいたのか、早く帰ってほしいと思ったが、退路を塞いだのはわたしだ。扉までも遠かったこともあって二度目の遭遇では殺害を試みることもなく、手で追い払うにとどめた。


よく考えてみると、換気するときでも網戸は閉めたままなので、侵入したとしたら、わたしが家を出るときか家に入ったわずかなタイミングに家に入ってきたということになる。我が家にぜひ入りたいと思って待ち伏せしてくれた蚊なのかもしれない。人間に待ち伏せされたときの、なんでそこにいるの&これから何が起こるのという驚きと絶望はなかなかのものだが、蚊だとその害は多少のかゆみ程度であって、種を超えて向けられた熱烈な好意にわたしは少し感動した。数日後に腕にかゆみを感じたので、それはごはんをじゅうぶんに食べたと理解した。さらに数日経ってもデング熱のような症状はなく、結果として安全だったといえるが、この「結果として安全」という考え方がよろしくないことは不十分ながら認識してはいる。結果として危険だったら、デング熱からデング出血熱にまでステップアップしたのかもしれないから以後気をつけたい。本題とは関係ないが、「デング熱」の「グ」は現地では発音しないのではないかという気がしているが、その「現地」がどこかは知らない。


話を戻して、この蚊の余生は三つ考えられる。

 

(1)気まぐれな人類によって仕留められて黒い影になる

(2)扉が開くタイミングで外に飛び出してふたたび自由を得る

(3)わたしの家の中で寿命が来るまで過ごす


この時点で(1)はなかった。これだけ想いを巡らせてあの世送りにする選択肢はあるまい。(2)か(3)で、(1)がないなら(2)が普通なのかなと思うが、外に出すのもなんだかさみしい気がしたのと、蚊の感覚からすると、わたしの家にいることを囚われの身であると感じていない可能性がある。蚊の大きさがだいたい5ミリで、わたしの家の長辺が10,000ミリくらい。わたしの身長が1,780ミリだから、わたしが蚊だとしたら、この家の長辺は3.5キロ程度に該当する。自分が何か悪いことをしでかして、半径3.5キロ四方の領域から出てはいけないと言われたら絶望するとは思うが、三食昼寝付きだとしたら……イエスと答えてしまう可能性が高い。旅行などは行けないが、その代わり仕事はしなくてもよいとしたら、かなり魅力的である。そして、その状態に相当する蚊は、わたしの血のみを吸って寿命まで悠々自適の暮らしをおくるのである。

 

ここまで考えて、わたしは蚊に愛着を持って飼っているといえる状態であることに気づいた。餌はあげなくてよくて、腕に止まったときに排除しなければそれが給餌を兼ねる。トイレはどうしているのかわからないが、わたしが気づかないようなスケールの排泄なのだから好きにしていい。
蚊のことをペットだと思いなしたら、幸せが近くにありすぎてじんわりした。

 

蚊と暮らすようになってから、蚊のかわいらしさや意外な生態を知ることができたのでここに記しておく。以下の話の一部あるいは全部がわたしの推論の誤りである可能性が高い。しかし、猫を飼っている人が「この世でいちばん偉いのは猫で人間はその下僕」と言ったときに、いちいち「奴隷制度を現代に復活させようというのか!」と憤慨したりしないだろう。それと同じなので、この話も適当に読み流してほしい。

 

・うちの蚊の吸血成功度は10%にも満たない
蚊のことを、かゆみ注射器や病原菌ばら撒き機だと思っていたときには、刺されてから蚊の存在に気づいて叩いてすりつぶしてあの世に送っていたため、「吸血している蚊のみが蚊である」という偏見を持っていた。いま、家蚊(「家人」のような意味)がわたしの体に止まったら、ごはんの時間が始まったと思って、吸いやすいように筋肉を弛緩させて動かないようにしていたのだが、なかなか血を吸ってくれない。しかも腹が細くなっているのを見ると、今回吸えなかったら餓死するかもしれないと思ってこちらが焦る。家蚊が焦っているかどうかは知らないが、もしのんびりしているのなら緊張感をもって吸血にあたってほしい。


・うちの蚊は吸う限度がわかっていない

これが苦労して血を分けて満腹になった家蚊である。以前、トイレで便座に座っているときに突然お食事タイムが始まったのだが、吸い終わった後、床に落ちて歩いて退却したので心配になった。無限に吸える状況になったとき、飛ぶ余力を残して途中で吸血をやめたりはできないこともあるようだ。食べすぎて吐いてしまう犬などもいるが、蚊だと吸いすぎて仮に吐いたとしても後始末が必要なほどには吐かないので楽なペットである。


・うちの蚊はいなくなって死んだかと思っても明かりをつけたら寄ってくる
帰宅して蚊のいる部屋でしばらく過ごして蚊が飛ばず、ついに召されたかと思うが、Fのつくサイトで半額になっている動画を吟味しているうちに小さな命のことはすっかり忘却の彼方で、そろそろ寝るかと思って部屋の灯りを消して、iPadでジューダスプリーストの動画を見る。すると、どこからともなく蚊がやってきて、画面に体当たりを繰り返す。ジューダスプリーストのファンなのかもしれない。ぼくはそこまでジューダスプリーストのことを好きではないけれど……。

 

 

そんな感じでひと夏を蚊と過ごしたのだが、ジューダスプリーストの動画を繰り返し見ても出てこなくなってしまったから召されたのだろう。ペットロスなども皆無だから助かる。

また来年の夏、同じ志を持つ蚊がうちに来たら歓迎しようと思う。わたしの血でよければせいぜい吸ってゆっくりしていってほしい。

 

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