ココロ社

主著は『モテる小説』『忍耐力養成ドリル』『マイナス思考法講座』です。連絡先はkokoroshaアットマークkitty.jp

買い物をしたときにレジで何とあいさつするのがよいか

買い物をしたときにレジで何とあいさつすればよいのかについて、少なくともわたしの中で明確な結論が出ましたのでご笑納いただきたい。飲食店での「ごちそうさまでした」に相当するフレーズを編み出すのに苦労したが、結論を出すのにここまで時間をかける必要はまったくなかったと後悔している。ただ「ありがとうございます」と言えばよかったのだ……。

 

はじめてのお遣いの記憶は残っていない

わたしが初めてレジで金品を取引したのはおそらくこの店。

記憶にはないが、母から命ぜられてお遣いに行った可能性が高い。今も昔も人と話すことは好きではないので、わたしが自らの意思で「おつかいにいきたい!」などと言うはずもないのである。お遣いを命ぜられるとき、「品物とおつりをもらったら、ありがとうと言うんだよ」と言い添えられたに違いなく、わたしは「ありがとう」と言ったか、あるいは言えなかったかの二つの可能性がある。

 

思春期からは無言

決して無礼を働きたいと思っていたわけではないが、知らない大人と口をきくのが恥ずかしいという気持ちが勝ってしまってずっと無言だった。ガンダムのブラモデルを買うときもファミコンのディスクシステムの書き換えをお願いするときも学習参考書を買うときも裏本を買うときも無言を貫いた。買う物の種類が変化しても無言であることには変わりなかったが、とくに敵意があるわけではなかったので軽い会釈くらいはしていたはずだ。

 

長すぎる思春期が終わって「どうも」と言いはじめた

思春期の定義を「レジにおいて無言であること」とするのであれば、わたしの思春期は二十代の終わりまで続いた。好きな人といっしょに買い物をしたとき、「どうも」と言っていて、なるほど、それくらいは言うべきだし、なぜ今まで無言だったのだろうと反省し、さすが好きな人だけあって行動がスマートだなとそのとき思ったのだった。

 

「どうも」の長期政権の終焉は前触れもなくやってきた

そして「どうも」時代が30年くらい続いた。安倍晋三内閣・桂太郎内閣・佐藤栄作内閣の期間を足したよりも長い超長期政権だったのだが、ある日とつぜん思ったのである。「どうも」ってそんなに感じよい言葉ではないし、そもそも意味がわからない。「どうも」に変わる一言が必要なのではないかと。わたしに「どうも」のよさを教えてくれた人も、思いかえしてみると、飲食店の店員さんに対してはわりとぞんざいな応対だった。

単にレジの人がお会計だけなら「どうも」で通したのかもしれないが、宅急便の送付をお願いすることもあるし、荷物の引き渡しをお願いすることもあるというのに「どうも」の三文字だと感謝の気持ちとして割に合わないと思うようになってきたのである。
「どうも」のもともとの意味は「どうにも言えないほど」なのだが、どうにも言えないにしても、せめて何に対してどうにも言えないのかくらいははっきりさせた方がよいはずで、「こんにちは」→「ちわ」→「チーッス」と同じくらい、ぞんざいな言い方のように思えてきた。

「どうも」の代案として最初に思いついたのは、そのあとに省略されている「ありがとうございます」で、「どうも=言葉にできな~い」と毎度言うよりも「ありがとうございます」の方がよいように思った。
そこに思い至ったのは半年ほど前なのだが、「ありがとうございます」だとtoo muchで気持ち悪いと思われるかもという気持ちがあった。さらに「ありがとうございます」だったら取引先の人みたいじゃん……でも「ありがとう」だと、「どうも」並みにぞんざいな気もするし、ドゥルッティコラムじゃあるまいし……などと空中にのの字を書いていたりしたのだが、でもtoo muchかどうかなんて気にしていないのでは、日本語非ネイティブの店員も増えてきているので、わかりやすさを重視した方がいいに決まっている、と思いなして、「ありがとうございます」と言うようにしたのだった。

「ありがとうございます」だと店員さんへの感謝の気持ちが伝わる(ような気がする)のだが、その一方で、店員さんのレスポンスが悪いと、どちらが客かわからない感じになってしまう危険性もある。そのときは同じ「ありがとうございます」でもトーンを変えて「ありあとうおざーます」くらいに子音を落として発話することでバランスを取ることにしている。もっとも助かるのは、わたしが「ありがとうございます」と言ったあと、お店の人が「ありがとうございました~!」と返してくれるときで、わたしの発言はたちまち過去のものとなり、ありがとうございます劇場の幕が下りるのであった。

 

かくして「ありがとうございます」政権が樹立されたのだが、この政権はおそらく長期政権と思われるし、わたしが好々爺になったら(どちらかというとそれを望んでもいるのだが)、森羅万象に対してありがとうございますをいう気持ち悪い翁が誕生してしまう。よく行くコンビニエンスストアでは「感謝マン」と呼ばれている可能性がある。しかし、若い皆様におかれましては、森羅万象に文句を言う老人よりは多少はましだとポジティブにとらえていただければ幸甚でございます。

 

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