ココロ社

主著は『モテる小説』『忍耐力養成ドリル』『マイナス思考法講座』です。連絡先はkokoroshaアットマークkitty.jp

「海の京都」宮津の化粧地蔵にカルチャーショックを受けた

たとえば東京都民が本州を離れて沖縄の離島を旅すれば、建築がまったく本州のそれと異なり、同じ日本語圏なのに本州の文化とはぜんぜん違う異国に来たときのような感動を覚えるはずだが、本州を旅するときはどうだろう。沖縄でのような異文化との出会いは想定しないはずだ。細部は異なれど、東京と同じ文化圏だと思って行動しているはずだけれど、先日、京都北部の宮津で異文化に接して感動したので記念に書いておきたい。

 

参考情報として、わたしがふだん散歩で眺めている多摩市の貝取神社のお地蔵さん。

多摩ニュータウン開発のときに近辺の神社から合祀されたらしいのだが、お地蔵さんもそうなのかは知らない。近くに17世紀のお地蔵さんがあって、それは鎌倉街道沿いにあったものを動かしたらしく、もしかしたら彼らの出自もそうなのかもしれない。

マスクにも年季が感じられるようになったが、疫病が終息したら外したりするのだろうか。それとも意図的に外すことはなく、千切れたり飛ばされたりしたものからマスクなしになるのだろうか……。

 

雨よけのあるものもございます。

 


真ん中の赤いところがよくわからないと思うので寄ってみます。

つまり、頭の先しかないお地蔵さんに帽子を編んだ優しい人が近所にいるということ……多摩ニュータウン最高!

 

 

最高だったので話がそれてしまった。

京都から西舞鶴(ここの話も後日書きます)を経由して宮津に行ったのだが、道傍の祠に目を遣ると、中がなんだかカラフルである。

「ええい、ガンダムを映せ!」と思いながら(注:つまんないと思ったかもしれないですが、この台詞が大好きなので我慢してください)近づいてみると……

 

お地蔵さんに彩色している様子だがよく見えない。

そして、背後に字が書いてあり、昔からあるお地蔵さんの上に彩色しているようだ。

 

これも、「ええい、ガンダムを映せ!」案件であるが、彩色がよりガンダム寄りであり、ガンダムを見せてあげようという配慮が感じられなくもない。

 

 

最初に見かけたときは、地方でときどき見かけるインディーズのお寺で、敷地内にあったお地蔵さんを超解釈で塗ったりしたのかしらと思って写した。スペインのキリストの絵みたいな感じでエキサイティングだと感激したのだが、さらに町を歩いていると……。

ぜんぶ塗ってあるじゃん!(大阪出身だけれど、こういうときは「じゃん」を使いたくなる)

 

鈍感なわたしも、さすがにこれはこの地方特有の文化なのかもしれないと気づいて、「宮津 地蔵 色付け」で検索したらすぐ出てきた。「化粧地蔵」といって、どれもピカピカなのは、毎年地蔵盆のころに、地域のお子様たちがお色直しをしているからだった。なんて楽しい行事なのでしょう。

 

これはビルができる前からあってビルを建てるときに配慮した風で感動的。

 

これだけ多く卍があったら1つくらいは誰かが間違えて外国人がびっくりする感じの記号になりそうなものだが、描く前に「卍を描くときは全集中の呼吸やで!」などと教えこんだのかもしれない。

 

そして、自由に塗っていいはずなのに、顔は白が多くて、バイアスがかかっている。これもあと50年くらいしたら茶色が増えてきたりするのかしら……。

 

こちらは色遣いにおいて最も独創性があったのだが、首から下について、やはりガンダムを映せと思ってしまった。

 


事前に把握できていればたくさん見ることができたはずだけど、「宮津 名所」でこの愉快なお地蔵さんが出てくるはずもなく……ただ、異文化との出会いが突然だったおかげでいっそう感動したので、よい体験ができたと思う。これからも旅行中はキョロキョロしながら歩いていこうと思ったのだった。

 

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「公園の中に謎の現代アート」みたいなのが(質を問わず)好き

風景の中にアートが潜んでいるみたいなのが好きなのだが、アートにあまり詳しくないのでどこに潜んでいるかよく知らない。知っていたら知っていたで、驚きがなくて興ざめしてしまうかもしれないので、このままでもいいのかなと思っている。

 

以前、太宰府天満宮に行ったとき、浮殿の中に運よく金属の塊があって、一瞬戸惑ったものの、出会えてよかったと思った。

神道にピュアなイメージを抱いている人にとっては好きな風景ではないのかもしれないけれど、神社の建物の中に金属のひとつやふたつあってもいっそうマジカルな気分になってよいのではないかと思う。

 

近所でも、ここまで凝っていなくてもよいので、こういうの感じのものを見たいと思っていたのだが、昨年、近所―といっても徒歩30分程度だが―の原峰公園に愉快なオブジェが置いてあるのを発見して楽しかったことを思い出し、今年も見たいと思って先日行ってきた。詳細はここにあるが、2022年は10/4から11/23までやっている。

 

多摩市内の公園は、里山を少し整備しているものが多く、平地があまりないのが特徴で、あまりにも平地がなさすぎる場合は「緑地」という名前で呼ばれている。原峰公園は、限りなく緑地寄りの公園で、永山駅から歩いていくと公園の入口とは思えないような入口がある。古くからある門ではないが、歴史を感じさせるたたずまいで大変思わせぶりで最高。

 

狭い道を歩いているとシャイニングみたいだなと思うが、モサモサしすぎていると追い詰められている感じはしない。とはいえ日常から非日常へ抜けるトンネルを歩いている気分になる。

 

トンネルを抜けると、いつもは朽ちた空間があって、立入禁止の札やテープがあるはずなのだが、立入禁止にしては表示が多すぎる……と思って近づいたら、これが立入禁止のメッセージはないと理解した。

 

近くにはギリギリのベンチがある。

純粋に悲しいお知らせである……。なんなら、この張り紙に美を見出したっていいんだぜ……と自分に言い聞かせる。

 

多摩市と川崎市の境界あたりでも以前同じような展示をしていて、そのときにも木に布をぶらさげているのを見た。屋外の自然のなかのアートだと定番のようなものかもしれない。

 

昆虫と人間の共生について考えさせてくれる作品……と思ったらマジなやつだった。

最近「スズメバチがいるから立入禁止」みたいなのをよく見かけるようになったのだが、スズメバチが増えているのか、増えてはいないが、怪しい中年男性みたいな存在の絶対数が減って、相対的にスズメバチに意識がフォーカスするようになってきたのかはわからない。

 

そして木を縛ったりするのも見かけたことがあるが、こういうのがないと寂しいと思うので、来年以降も二番煎じでもなんでもいいので木を縛って「いつもの木がこんなになって……」という予定調和的な困惑を与えてほしい。

 

これもアイデアは非常にシンプルだが、存在感があってすてきなので、来年も同じ展示をお願いしたい。

 

そしてこれは遠くから見たら生えているように見える。

……が、近づくと切り株のまわりを囲むように葉が植えられていて感動した。切り株の寂しい感じが一掃されていた。

 

また、祈りを捧げたくなるようなオブジェもあって、通年でここにあったらいいと思った。

 

木にグロテスクな加工がされていてアール・ブリュットみたいやな……と思ったら椎茸の原木だった。生えてきたらより素晴らしい造形になるに違いない。

 

公園の中に、おそらく昔からある神社が囲われて入れなくなっているのだが、鳥居が色鮮でアートと見分けがつかない。

 

これは完全にどこまでがアートなのかわからなかった。三角コーンは接近を禁止するためのものに見える。

しかし、近づくとケーヨーデイツーのシールが思わせぶりに貼ってあって、木のオブジェと対照させるためのオブジェなのかもしれない。

 

ここを斜面ではなく公園にしているのは橋と池であるが、池も容赦なく謎のオブジェに占拠されていて胸のすく思いである。

 

橋は、少なくとも今はそのまま進んでもスズメバチ出現ゾーンで通行禁止になっているので引き返すほかない。

この橋自体、経年劣化でそろそろ再築が望ましいが、いまや行って戻るだけの機能しかもたない橋の補修に多摩市は公費を使ってくれるだろうか……こういうときのために、わたしはふるさと納税を我慢していて、多摩中央公園近辺のリニューアルが順調なことを喜んでもいる。

 

また、ここにはむかし武家屋敷があったらしい。このことをもって心霊スポットとみなされてもいるのだが、人がそんなに多くないのがこのせいだとしたらありがたい。


遊べる展示もあった。

押しこむと泡が出てくるのだが、「押しこむ」と「泡が出る」の因果関係について、頭では理解していても視覚化されるとちょっとした魔法のように思えた。

 

いちばんびっくりしたのはこれで、遠くから見ると宙に浮いているように見えた。

 

これは作品ではなくてバリケード……のはず。

なぜ長方形のところだけ錆びていないのだろうと思って触ってみたら、透明なテープが貼ってあって、保護されていたから酸化を免れたと理解した。

 

どこまでが日常の風景でどこまでがアートなのかがわからなくなってくるが、美しいと思うものは何なのか、アートとアートでないものたちから問いかけられているような気分になった。われわれが鑑賞者なのか生活者なのかもわからない。強いて言うなら生活の中に鑑賞が含まれていて、鑑賞という行為も必ずしも一方的に見つめるだけではなく、相互的なものだと思う。

 

よく見ると安全上問題があるものもあって、「子供が怪我をしたらどうするんだ」などと野暮なことを言いはじめたらたちまち終了してしまうかもしれないが、長く続けてほしいし他でも見たいと思っている。

 

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「立川=飛行機の町」と思いたい一心で、一式双発高等練習機を見てきた

東京にきて30年以上経ったが、立川によく行くようになったのは7~8年ほど前、多摩ニュータウンに引っ越してからのこと。東中野に住んでいたころは、買い物といえば新宿や渋谷だったので、立川に行くきっかけがなかった。立川という町のことをよく知らず、「駅の近くに大きな公園がある」程度のイメージしかなくて、その公園の由来もよく知らなかった。高度成長期に多摩丘陵を切り拓いて作ったのだろうと思っていて、立川飛行場の跡地だったと気づいたのも最近のことだった。


立川駅から北には、空き地がちらほらあって、それらも昭和記念公園と同じく飛行場や軍需工場の跡地だった。終戦後も米軍に接収されていて、返還されたのが昭和52年のこと。『宇宙戦艦ヤマト』の映画が公開されてブームになったころで、返還後も最近まで空き地になっていたところもある。

 

立川駅の近くは、飛行場のあった町でありながら、その歴史を明示することはなく、駅前に飛行機の小さなオブジェがある程度。

 

立川駅のオブジェといえば、わたしの中ではちょっといい感じのブロンズ像やら木人である。

北口デッキのアーチ、昔は空色だったと聞く。部材の保護のために塗替えたようだけれど、市民に意見を募集してこの色になったらしく、市民の中でも「立川=飛行場のあった町」というイメージは希薄なのかもしれない。

 

いっぽうで駅から北に少し歩くと歴史の痕跡が感じられる。


立川飛行機を前身とする立飛ホールディングスが2020年に開業したグリーンスプリングスのカスケードは滑走路をイメージして作られたらしく、飛行機を思わせるオブジェがさりげなく配置されている。

人気の少ない夕方などに行くとくつろげてよいのだが、ぜいたくを言わせてもらえるなら、もっとダイレクトに昭和史を感じたい……より具体的には飛行機工場の雰囲気を色濃く残す立飛ホールディングスの敷地内に入ってみたい……とかねてから思っていた。

 

 

この写真は5年ほど前に「入りたいよぉ……」と思いながら外から撮った写真。

イカした給水塔もあって、いつか入りたいと思っている。

 

チャンスは突然到来した。かつて立川飛行機が作っていた一式双発高等練習機が、わずか数日だが公開されるとのニュースがChoromeのトップページのおすすめに出てきた。すばらしいおすすめの精度である……しかも最後の一般公開とのこと。
悔いのないよう、隅々まで撮影してきたのでご覧いただければ幸甚である。

 

入口で簡単なチェックを済ませれば、あこがれの立飛ホールディングスの敷地内。

いつも外から眺めていた工場が間近にあって、それだけでも感激である。

 

中は広々としている。ここなら飛行機が作りやすかろう。

 

この表示などは米軍接収時代に書かれて、返還後、せっかくだからと思って消していないのだと推測してロマンを感じ取ったのだが、実際のところはどうなのかは知らない。


一式双発高等練習機は1941年に採用された多目的練習機で、1,342機生産されたが、国内に現存するのはこの機体のみ。エンジントラブルで十和田湖に不時着して水没していたものが2012年に引き揚げられたのだった。

入口を入ったところに模型があった。

模型のおかげでこのあとの断片たちの理解が捗った。

 

本体の前に部品コーナーがあり、飛行機の構造がまったくわからなかったので、つまみがMoogみたいだな……などと大雑把な感想を抱いた。

 

 

これが見ての通り機首部分。

ガラスはほぼそのままの姿。

 

プロペラはぐにゃりと曲がっていて衝撃の強さを物語っている。もともと曲がりやすい構造なのかもしれないが……。

 

側面。70年間水没していたといっても、沈んでいたのが淡水湖だったからか、肝心なところの塗がかなり残っている。日光にさらされた看板などで、「犬の糞禁止!」などのメッセージの大事な部分が赤字だったために、「犬の糞!」と読めてしまって犬の糞を賛美しているように見えてしまう現象とは正反対である。

 


会場の年齢層は高めで、特に高齢の男性は機体にべったり張り付くようにしてご覧になっている方が多かった。戦争のころの思い出を重ねているのかな……と思ったが、よく考えてみれば、物心がついたときが戦争中だったのは、どんなに若くても80歳で、70代ならむしろ『戦争を知らない子供たち』を反戦コンサートで歌っていた世代のはずである。わたしも歳を重ねる中で、「老人=戦争体験者」のイメージをアップデートできないでいる、『戦争を知らない子供たち』を知らない子供たち、あるいは、『戦争を知らない子供たち』を聞かずして若者を非難する歌であると早とちりして憤慨する子供たちなのである……。

 

機体の中も覗き放題だった。

 

ボロボロなので戦争の悲惨さetc.などと連想しがちだが、この件に限っていえば練習機が不時着して水没したので、悲惨さを感じたいのであれば腐食することについて感じるのが正しい。

 

多目的練習機なので、射撃や写真撮影などの訓練もできるよう、運転席まわりのスペースも戦闘機と比べるとゆったりしている。もし相性最悪の教官ー―叩きあげで、何をしても「帝大を出ているのにこんな簡単なこともできないのか!」などと言ってくる教官を想像し、それとこれとは別だというのを理解していただきたいと思った―についたりしてもなんとかやり過ごせそうな気がした。

 

尾部のランプに突然生々しさを感じてしまった。そのまま点灯しそうに見える。

 

また、一式双発機だけでなく、戦後に立川飛行機が製造した機体もグリーンスプリングスに展示してあった。

R-53型軽飛行機。

高所恐怖症なのでこんなスースーしたのは乗れない。戦後の飛行機だが戦争の恐ろしさを重ねて恐怖してしまった。

 

立飛のロゴが最高。

 

これはR-HM型で、操縦席に乗ることができたので、親子連れに混じって並んで乗れた。小型だけれどシートの座り心地はなかなかよろしく、戦後を感じた。

 


今回の体験で、「立川=飛行機の町」という記憶が強化されて、IKEAに行くだけでもワクワクするに違いない。まあIKEAはふつうに行ってもワクワクするけど……。

以前から入ってみたかった立飛ホールディングスの敷地内に入れたことだけでもお釣りがくる大変有意義な体験だった。飛行機の公開は大変なのはわかるので、たとえば「特に何もないけど出入り自由」みたいなイベントがあったらいいのに……とも思った。

 

 

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下戸で漫画音痴が調布のジャクソンホールに行って10年のモヤモヤを一掃した話

セルフうどん店でカレーうどんを食べながら、「いつも同じ店でごはんを食べる人は老化で前頭葉機能が低下している」という主旨の記事を見て、あまりにも当てはまりすぎて認めるのがつらかったので、反射的にサバサバしている女の漫画を読んでしまった。サバサバしている女の漫画は広告でもよく見かけるが、「サバサバ」で検索しても上位に出てくる。擬態語がひとつの漫画に占拠されるさまはなんともエキサイティングである。その漫画は、「女の敵は女だ」から始まるので、こちらはこちらでつらかったのだが、それはともかく、たしかに、新しい店に行くのがおっくうという気持ちはわたしの中にある。そしてその気持ちがわたしの暮らしを貧しいものにしているという強い自覚もあった。なので、しばらくカレーうどんは控えて、なるべく行ったことのない店に行こうと誓ったのだった。

 

わたしにとって「行ったことのない店」の筆頭は調布にある有名なバー、ジャクソンホールである。このお店ほどわたしにとって近くて遠い店はなかった。わたしはかつて調布市に暮らしていて、調布の天神通りを抜けたところに有名なバーがあること、その店は『NANA』という有名な漫画に登場し、特にハンバーガーが名物であるという情報をキャッチしていた。お店のすぐそばに通っていた美容室があり、引っ越してからも月1回はこの店の前を通っていた。行ってみたいという気持ちと、行くのは今ではないという強い気持ちがあって、行きそこねたまま引っ越してしまい、お店の存在を知ってから10年以上、行かずじまいだった。行かなかった理由はふたつあった。

 

【懸案事項①】お店のたてつけとしてはバーなのに下戸がハンバーガー目当てで入ってもよいのだろうか
バーといえば、ふつうはビールやら何やら(下戸なのでアルコール類の知識が乏しく「ビールやら何やら」という漠然とした言い方しかできないことをお許しください)を楽しむのが主で、おつまみのようなもの(これも漠然としていて申し訳ない)を伴い、ハンバーガーが名物になっているバーであれば、〆としてハンバーガーをいただく(またしても下戸なのでアルコール愛好者の気持ちを想像できず、よく言われる「飲んだあとの〆のラーメンは最高」みたいな感じで「飲んだあとの〆のハンバーガーは最高」と認識されているのではないかと推測してみました)……という流れだと推測しているのだが、もしそれが正しければ、お店に入るなりハンバーガーを頼むような客は歓迎されないのかもしれない。そもそも利益率の高いビールやら何やらを頼まないというのもいかがなものか……と思っていたのである。


【懸案事項②】『NANA』にある程度詳しくなってから行った方がよいのではないか
そして、この店は『NANA』という作品とともに語られることが多いが、残念なことにわたしは『NANA』を読んだことがない。作中に「へえ、あんたもナナって言うんだ」というセリフがあると聞いたことがあるが、実際はそんなセリフはないという説も聞いたことがある。真偽はどちらでもよいのだが、わたしの名前はいちいち同じ名前かどうかを気にしてはいられないくらい多い名前なので、『NANA』のように、同じ名前であることがきっかけで物語が動きはじめたりはしない。読んだことがないので『NANA』も実は物語が動きはじめていないという可能性もあるが……もしかしたらふたりのNANAがたこ焼きパーティーをして、タコ以外の具を入れてもおいしいことを発見してfin……という物語なのかもしれないが、それはともかく、『NANA』を読んでから、「これが、NANAの中肉中背の方がこよなく愛していたというジャクソンホールのハンバーガーか……」などと感慨にふけりながらハンバーガーを食べた方が楽しいはずで、つまり『NANA』を読破しないことにはジャクソンホールには行けないということになる。しかし、『NANA』は21巻もあり、週末がなくなってしまうほどのボリュームで、全巻買うとジャクソンホールに何回か行けるほどの出費になる。漫画喫茶に籠もって読む手もなくはないが、ジャクソンホールのハンバーガーに想いを馳せつつ山盛りポテトを食べてしまったら認知的不協和が起きること間違いなしだ……。


これらの懸案に対して決定的な解決策が出せないまま、ジャクソンホールのことを考えすぎて、ジャクソンホールに行った記憶が捏造されつつあった。ちょうど人工知能が描く絵のように、遠目に見るとそれっぽいが近づいて見ると細部のあちこちに違和感を覚える部分がある絵……こうなってしまっては実際に行ってみて記憶に補正をかけないと、人工知能が描くバーの領土が拡張され、布多天神社や、はては深大寺や三鷹駅に至るまで記憶が変形していき、ついには世界そのものの認知が歪みきってしまう懸念すらある……これはまずいと思って調布に急行したのだった。

 

布多天神社側から見たジャクソンホール。情報量が多い。

そして、ランチタイムに開いているということは、アルコールを飲まない人も想定しているのだろうと思うことにし、開店直後に入った。

カウンターに案内されて安心した。

 

4人テーブルに案内されてしばらくするとお客さんがたくさん来て、場所を専有してしまって申し訳ありませんという気持ちにならなくてすむから安心感がある。
西部劇の視聴経験が浅いため、このテーブルがそれっぽいテーブルなのか、このお店独自のテーブルなのかわからなかったが、来てよかったと思った。布多天神社のすぐそばに異世界があったのだ。

メニューはいろいろハンバーガーがあったが、迷わず「プレミアムジャクソンバーガー」とポテトとドリンクのセットを選んだ。そして、初めてジャクソンホールに来たこの佳き日にこれだけで帰るのはもったいないので、久しく食べていないフィッシュ・アンド・チップスもお願いしたが、お店の人にポテトポテトになるがよいかという主旨のご確認をいただいた。むしろ望むところだったが、確認してくださるとはありがたい。西部劇に出てくる店で「フィッシュ・アンド・チップスにもポテトがつくことになりますがよろしかったでしょうか」などと聞かれることはないだろうし、そもそもフィッシュ・アンド・チップスはイギリスだし……などと考えている間にハンバーガーができあがった。

 

すばらしいビジュアル。わたしが漫画家だったら、やはりいい感じでジャクソンホールを漫画の中で登場さたいと思ったことだろう。
バンズが見てわかるとおり香ばしくて甘い。肉はハンバーグというよりもハンブルグステーキと呼びたくなる粗挽き感で贅沢な気分である。『NANA』の登場人物は読んだことがないなりに10代後半から20代前半と推測してみたが、同じ年齢のわたしは、こんなすてきなお店に行ったことはほとんどなく、わたしが『NANA』の登場人物なら、1巻まるごとジャクソンホールの巻になっていたと思う。

 

続いてフィッシュ・アンド・チップス登場。

思ったより平べったくて意外に思ったが、一口食べてみて魚のおいしさに感動した。フィッシュ・アンド・チップスのフィッシュには鱈が使われるものだが、おそらく甘鯛だと思う。フィッシュ・アンド・チップスはもともと大好きだがそのフィッシュが甘鯛になったらもう……サイドメニューでこんなに感動してもいいのかしら……。

 

あっという間に食べつくしてしまったが、素敵な空間とおいしい料理……やはり気になる店には入っておくべきと強く思ったし、わたしの前頭葉の機能が大して損なわれていないということも証明されて安堵したのであった。

 

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日本陸軍の火薬工場とU.S.A.を少し確認できる「稲城フェスティバル」

稲城に日本陸軍の火薬工場(造兵廠火工廠板橋製造所多摩分工場)の遺跡があると知ったのは多摩ニュータウンに引っ越してきてからのことで、はるばる猿島まで行かなくても旧日本軍の遺跡が見られてよいと思ったが、いまは米軍のレクリエーション施設になっていて入れないと知り、がっかりしたのだった。


話は横道にそれるが、「レクリエーション」という言葉は小中学生のときによく聞いた。遠足や宿泊研修の時間割に「レクリエーション」と書いてあって、その語の指し示すところについての説明は一切なかったものの、しりとりなどの退屈なゲームをさせられることが多く、真剣に遊ばないと先生に怒られることもあり、「レクリエーション=退屈な遊びを無理やりさせられること」と理解していた。re-creationのことだと知るのはずっとあとのことであるが、語義通りre-creationするのであれば、より強烈な刺激が必要になってくるので、野球拳やランバダなどが適切ではなかろうか……それはともかく、米軍のレクリエーション施設が年に1回だけ公開されるという話を聞きつけて稲城に急行(注:稲城駅には急行電車は止まらない)したのである。

 

ノーマルな感覚の持ち主であれば南武線の南多摩駅から歩くところだが、わたしは稲城駅からの徒歩30分のコースを選んだ。わたしが住んでいるのは多摩ニュータウンのなかでも初期に開発されたところなので、稲城のニュー(といっても30年前くらいにはなるが)なタウンにはまた違った魅力を感じている。

 

少し遠回りして城山公園に入ると見晴らしがよい。

遠くに多摩川にかかる是政橋があるが、今回は多摩川の西側(わたしは「こっち側」と呼んでいる)なので渡ることはない。


例年は真夏のころに行われていた祭りであるが、今年は3年ぶりの開催で、10月2日に開催された。

3年ぶりということもあり、入場の行列は200メートル以上あった。

 

30分ほど並んだが、Twitterを見ていたらあっという間で、そのことにうっすらと自己嫌悪を感じて発熱した気がしたが、それでも体温検査はセーフで、荷物検査も難なくクリアした。

 

入ってみると、意外なことに米軍施設であることを感じさせる要素は多くなかった。わずかな米軍要素にはカメラを持った人が群がって、ひとつも撮り逃がすまいとしていた。わたしは注意力が散漫なのでいくつか取り逃したと思う。

 

貴重なのはこの地図。

驚きのあまりぶれてしまったが、気を取りなおして脇をしめて撮影。

 

稲城フェスティバルで開放されるのは、この施設のなかで黄色い枠のところだけである。

 

右側はゴルフ場になっているが、左側は火薬工場だったときの施設をそのまま生かしていると推測される。「Shogun Cabin」「Samurai Cabin」の名を見て、敗戦国であることを実感するが、問題があるとも思わない。

 

しかし、この地図を見て感慨に耽っている場合ではなかったのである。敗戦国であることを実感することは思想信条の自由であるから問題ないのだが、フードコーナーの行列がみるみる長くなっていたのだった。わたしが慌てて並んだころには、行列はフードコーナーの隣のソフトボールのグラウンドを半周ほどに達していた。

そして入場するときの行列よりも目的がはっきりしている(食料の調達)ので、待ち遠しさがひとしおである。

 

並んでいる間、道路を挟んで向こう側のリサイクルセンターを眺めていた。真ん中のがれきがマジカルな仕掛けによって右側の砂山になるようだ。

 

テントの近くまで来ると「本物をサンプルにしているからラップの中が曇ってよく見えないやつ」があった。本物をサンプルにしているからラップの中が曇ってよく見えないやつ大好き!

右下が、全員が狙っているステーキなのだが、わたしの5組くらい前で終了……3年ぶりの開催で来場者数が読めなかったようだ。検索しても、以前はここまで行列が長くはなかったようなので、来年以降また行こうと思った。

 

わたしが得たのはハンバーガーwithポテトチップス、ホットドッグwithドリトス、そして水。

 

水が飲みたかったわけではなく、早々に他の飲み物が売り切れてしまったからであるがジャングルの中で泥水を飲みながら進軍するのに比べればミネラルウォーターをいただけるというだけで御の字である。

 

すごいアジア感のある名前と思ってラベルを見たら韓国産だった。同盟国じゃん!最近韓国を同盟国と実感することが少なかったので同盟を確認するような気持ちで飲んだ。

 

ハンバーガーとホットドッグは驚くほどシンプルな姿で、そういうものだ、ピクルスやケチャップなんて甘えにすぎない……と思って食べた。ランチにスナック菓子を食べる雑な感じもわたしのU.S.A.のイメージと合致する。最高じゃんと思ってあっという間に食べつくしたが、ほどなくして、ピクルスやケチャップのコーナーがあって、そこでオプションを調達すべきだったことを知った。いい仕組みで、次回伺うときは必ずや大量のピクルスを……と思ったのだが、もし日本にこのあと食料が配給制になるような悲劇が起きたとして、わたしは満足に食事にありつけるのだろうか……と不安になった。

 

満腹中枢を無理やり黙らせることに成功し、正気にかえったので、ふたたび施設内を歩くことにした。

policeを和訳するとこうなるんや……。

 

稲城フェスティバルは、ピクニックエリアにある野外ステージでの主に和洋折衷的な演奏で、必要なエリア以外は立入禁止になっている。

 

この祭りの中で見える旧日本軍施設は、地図上で「202」「207」と書かれている建物。

これが202。物置のような外観である。

 

テニスコートの向こうにちらりと見えるのは207。

これも倉庫のように見えるが、今はここでアメリカンジョークを言いながら着替えたりしているのかもしれない。

いつか「Shogun Cabin」「Samurai Cabin」でクラブイベントが行われることを願っている。

 

入口には子供用のゴルフ場があり、おそらく稲城フェスティバルの中で最もU.S.A.らしさを感じられるゾーンである。

 

 

そういえば志村けん先生はコロナで亡くなったね……。

 

ミッキーとジェリーがフュージョンした感じ。

 

昔のプレイステーションの海外のゲームの3Dモデルってこんな感じのが多かったよね……こんな細かいところに共感してくれる人がいるか知らんけど……。

 

「日本軍の火薬工場がわりとそのままの姿で米軍のレクリエーション施設になっている」という状況はそんなにないので、行けてスッキリした。並んでいる時間と中にいる時間がだいたい同じくらいだったが、来年はそのへんもバランスが取れるだろうし、また行きたいと思った。

 

ただひとつ、心残りだったステーキへの執着が数日後にターリー屋に行ったときに暴発した。サーロインステーキお肉ダブルキーマライス定食を頼んでスッキリした。

 

多摩ニュータウンにきてくれないだろうか。若葉台なんかピッタリだと思うのだけれど……。

 

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金木犀の臭いが苦手なので三嶋大社に決着をつけに行った

金木犀の臭いが苦手な理由はひとつではなくて、幼きころに好きだったため、木に顔をつっこんで何度も深呼吸しているうちに気持ち悪くなってしまったことが最初の記憶で、乗り物酔いをしやすい方で、バスやタクシーの芳香剤の香りによって酔ったときの気持ち悪い感覚が誘起されることもあるし、秋の始まりを認めたくないという気持ちもあって、解決が難しい。
ただ、桂花烏龍茶は常備するほど好きではあるので、「生理的に無理」ということではないと思っているし、そもそも「生理的に無理」という表現が生理的に無理……。

 

あと何回この臭いと対決することになるかはわからないが、金木犀の臭いが苦手な自分をなんとかしたいという気持ちがあり、金木犀に対してのよくない記憶を一掃し、はじめましてという気持ちで金木犀とつきあいなおすため、10月1日に三島に向かった。

 

三島はひかりで行けば東京駅からは30分程度だが、新幹線を使わず多摩ニュータウンから行っても2時間程度しかかからないので、日帰りでちょっと遠出するなら最適だが、今回は金木犀と決着をつけるためなので利便性などはどうでもよく、たとえば博多からだと羽田まで飛行機で行ってからひかりで戻れば4時間かかるが、もし博多にお住まいの方で同様に金木犀と決着とつけたいとお考えの方は三島に来るべきである。なぜなら三嶋大社にある金木犀が樹齢1200年の御神木だからで、この神をたしかめることで、今後の金木犀とのつきあい方が決まるのだから、片道4時間はむしろ近いと思うはずである。また、三島ではあちこちで富士山の雪解け水が湧いていて楽しく、駅を出たところで地味な噴水を目にして、来てよかったと思うはず。

 

三島駅から三嶋大社までは歩いて15分程度だが、地図での最短距離だと三島のよさを十分には享受できない。白滝公園を経由して行けば、湧水の流れにそって三嶋大社まで行ける。

たとえば三島には2時間しかいられないという特殊な事情が発生したとしても、駅~白滝公園~三嶋大社のルートを辿れば濃縮された三島体験ができる。

梅花藻の花がいくつか咲いていた。ピークは8月なので望外の喜び。そして鳴いているセミもいたので三島は常夏なのかもしれない。

 

三嶋大社の大鳥居。三嶋大社の金木犀は2キロ先まで薫っていたらしいが、この時点では特に薫っていない。

 

神池。水がきれいといっても、池のように水が停滞しているところは澄んではいないこともある。

 

地図を見ずに、金木犀の香りを頼りにして御神木にたどり着きたいと思ったのだが、早々に諦めて本殿の方向に向かった。御神木なのだから本殿に近いところに植えてあるはずである。

 

神門をくぐると、右手にあった。

思ったよりもごちゃごちゃしている。わたしの想像の中では、ブロッコリーを限りなく大きくしたような木が1本だけ生えているイメージだったが、集団になっているようである。解説を読んだところ、中央にある木が樹齢1200年の御神木で、まわりの木は御神木を苗木とした後継らしい。

 

ご紹介が遅れましたが、本殿は重要文化財でございます。

 

御神木に話を戻すと、大部分がしだれているが、枝はたくましく上に向かって花を咲かせていて感動した。

 

―とはいえ、樹齢1200年だけあって老朽化が著しく、後継を作ったのは正解だろう。先端が沖ノ鳥島のようになっている。

 

また、根本もなかなかスリリングで、御神木だけあって魂だけで咲いているのかもしれないとすら思う。

 

後継が何本もあって、Xデーがきたときにどのようにするか興味がある。御神木群みたいにするのだとは思うが、そうなるとどれを拝んでよいのかわからなくなる。八百万も神がいるのだから3~4神が同じところにいる金木犀だったとしても問題はなさそう。

近づいて見てみると薄い黄色で上品な印象である。それもそもはず、天然記念物として登録された名前は「三嶋大社の金木犀」なのだが、学名はウスギモクセイ(薄黄木犀)で別の種なのだった。


「薄い黄色で上品な印象」と書いてしまうと、「色が濃いとふしだらなのか!」という反論が来そうだが(来そうにないが)、人体の色素と植物の色素は分けて考えたいと思っている。そして、香りは金木犀とほぼ同じだが、きつい印象はない。近づいて深呼吸してもむせ返ったり頭痛がしたりせず、ほどよい香りである。

しかし、ふだん接している金木犀と、御神木の金木犀が別の種だとわかると、「薄黄木犀の香りはよいが、金木犀の香りは下品。俺は本物がわかる」などと思ってしまい、三島まできて、金木犀への憎悪が淡黄色のエコーチェンバーの中で偏見が悪化しかねない……が、心頭滅却して、金木犀もまた神様のようなものだと思いなすことにした。

 

かくして、40年以上にわたるわたしの金木犀への嫌悪感は和らいだ。「気持ちが悪くなるときにセットになって登場する臭い」という記憶を、樹齢1200年の御神木の香りに塗り替えることができたような気がする。

 

秋の到来を穏やかな気持ちで迎えられるようになってよかった。金木犀の香りが嫌いな方におかれましては、来年9月下旬~10月上旬の三島行きをおすすめいたします。

 

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西東京民の私は立川のIKEAでザリガニを食べてスウェーデンに想いをはせる

東京都多摩市に住んでいるが、ここ2年で仕事以外で都心に行くことがほとんどなくなってしまった。それより前から徐々に店頭での買い物から通販に移行していたのだが、疫病が蔓延するようになってから、ホットスポットであるところの23区へのハードルが格段に高まってしまった。買い物などをする場合でも、23区まで行かずに、西東京の中核都市、立川・町田・八王子などで済ませている。実際に測ってみると、新宿や渋谷に出るのと5~10分程度しか変わらないのだが、混雑の度合いが違うので立川でいいや……と思う。そして、立川「で」いいやの気持ちは、いつしか、立川「が」いいやの気持ちに変化した。都民以外にはわかりにくいかもしれないが、立川・町田・八王子は、それぞれ地方の県庁所在地くらいの規模があるので、そこになかったら通販で買おう、新宿や渋谷だと必ず納得のいく買い物ができるという保証もないし、と思うのである。

 

いつしか、わたしは東京都民から西東京民になった。仕事を除いて東西方向に移動することはほとんどなく、南北に半径10キロ圏内で暮らしている。リモートワークで出社の機会も減ってしまったので、移動のスケールだけでいうと近世以前のような感覚である。ときどき23区のキラキラした思い出が脳裏をかすめる。キラキラしたといってもウズベキスタンの、ラーメンとパスタの中間のようなラグメンのお店や、パオの中にあって羊の肉の塊をかじるモンゴル料理店などだが、そんな尖ったお店は多摩市では受け入れられない。多摩市の外国人比率が高まったらチャンスはあるかもしれないが、日本はまだ外国人から見て住みたいと思える場所なのか非常に疑問だが、それはともかく、夏になると思い出すのが赤坂のレストランストックホルムのスモーガスボード……要はスウェーデン料理の食べ放題で、ザリガニの季節に合わせて行ったのだが、サーモンのマリネがおいしすぎてサーモン食べ放題にしてしまったのだった。ザリガニも、「けっこうおいしい」と思ったのだが、時が経ちすぎて記憶の中にも「けっこうおいしい」の文字情報だけしか残っていない。そろそろどんな味だったかをたしかめたかったが、お店は閉店になってしまっていたし、仮に開店していたとしても、もう赤坂はわたしにとっては別の国である……。

 

そんな中で、IKEAでザリガニ料理を期間限定で供しているという情報をキャッチした。西東京民のわたしにとってIKEAといえば立川。そして、長崎ちゃんぽんを食べたいと思ったらリンガーハットであり、たこ焼きを食べたいと思ったら銀だこ、ハンバーガーを食べたいと思ったらバーガーキングであるのと同様、スウェーデン料理を食べたいと思ったらIKEAが最適解になる。たとえば、同じくIKEAがある地域にお住まいの方も同じ感覚だと推測している。

 

立川のIKEAの本当の最寄り駅は多摩都市モノレールの高松駅なのだが、街の発展を実感しながらIKEAに向かいたいと思ったので、少し遠い立川北駅で降りた。

IKEAのレストランの混雑ぶりが想像できなかったので、念のため16時に到着するようにはかった。

 

ここは以前は空き地で、ヤギが除草に従事していた。ヤギは過剰な期待さえしなければかわいらしいのだが、いっぽうでこんな広大な空き地大丈夫なのと思っていた。やはり大丈夫ではないと思われていたようで、グリーンスプリングスという未来の複合施設が作られた。

 

これは5年前、ヤギが帰ってしまったときの写真。このときはわたしもネンネだったので、巨大商業施設ができるなんて想像していなかった……。

 

駅から10分ほど歩いてIKEAに到着。グリーンスプリングスが空き地だったころは、かなり遠くから見えていて、歩みを進めるごとに大きくなってきて、IKEAどこまで大きくなるのよ!と思っていたのが懐かしい……。

 

せっかくIKEAに来たので棚も見ていくかと思っていたのだが、先にザリガニを食べてからと思ったので、入口からすぐレストランに行けるショートカットを利用した。

行くのが久しぶりすぎてシステムを完全に忘れてしまったので、若い男女の後ろについていくことにした。システムは簡単で、皿の上に好きなものを載せて、最後にお会計をすればいいだけでだった。しかし知ったかぶりして恥をかくよりは慎重に行動した方がいいのだ。


そして若い男女はケーキをとっていて、喫茶店として利用したいのだな、まあそれが普通だなと思ったのだが、その「普通」から遠く隔たったところにいるザリガニは……ない。立川にはザリガニは早いと思われているのかな、横浜はススンでいるイメージがあるけど、港北のIKEAはザリガニ一色なのかな、などと思っていたが、よく見ると2皿だけあった。急いでトレイに載せた。誰も続くものはいなかったが……。そしておまけたちも添えてお会計を済ませて着席。

 

毎回思うのだが、IKEAのトレイは満腹になるまで食べる想定ではないように思える。たしかに食べすぎたあとに家具を見ても全部ベッドに見えてしまうので、買い物の途中の軽食という位置づけなのだろう。あるいは単にスウェーデン人が少食なのかもしれない。

今回も魅惑のアイテムがトレイからはみ出て、席に運ぶまで大変緊張した。これを毎回繰り返していると、いつか床にぶちまけてしまう……と思うのだが、数年に1回くらいのペースなので、危険性が高くても試行回数が少ないので何も起きないだろうとは思う。

 

まずは定番のサーモンのマリネと5年ぶりに親交を温めあった。いつも1分と持たずに食べきってしまうのだが、改めて写真を見るとディルがまぶしてあって、おいしさの秘密はこれね………と思った。右上のソースにもディルがまぶしてあって天国である。

 

スウェーデンミートボールも健在であることを確認。甘いジャムとクリームソースをつけて食べる。相変わらずおいしかったが、スウェーデンのオッサンはジャムだけをたっぷりミートボールにつけて食べるのかもしれないと思ってそうしてみたら、あまりにも未来的な味がしてついていけなかったので、すべて混ぜて食べるのがよいのだと悟った。スウェーデンの人が実際にどう食べているのか、多摩市民のわたしは知る由もない。

 

今回の目的のザリガニは記憶していたよりも赤くてチャーミング。肩を寄せ合って人間においしく食べてもらうのを待っているように見えるが、完全な妄想である。

 

身を取り出そうとして軽く頭を引っぱると、いとも簡単に味わいゾーンが登場。ザリガニのネガティブなイメージから、身を取り出しにくいというイメージだったのだが、IKEA用に特別な訓練を積んだザリガニなのかもしれない。

一匹が小さいのでボリューム感はないが、ロブスターを凝縮したような味で、臭みもなく、4つではまったく足りなかった。10年ぶりくらいにいただいたが、記憶をはるかに上回る味だった。前回いただいたときは考え事でもしていたのかもしれない。

 

IKEAのレストランは炭水化物を欲したときはパンで補完するしかないと思っていたのだが、単品でライスを供していた。過去の写真を辿ってみたら昔から供していたようで、前回は妙なプライドが邪魔をしてライスを頼まなかったようだった。しかし、ザリガニにはごはんだし、ここはストックホルムではなく立川である。

 

IKEAのサイトには30匹のプレートもある旨の告知があったが、西東京にはザリガニプレートは早すぎると思われているのかもしれないし、注文する人が少ないのでリクエストがあったら準備する方針なのかもしれない。ザリガニだけで食い倒れてみたくなったので、来年のザリガニ祭りのときには恥をしのんでリクエストしてみようと思う。ひとりで行って、みんなの代表で注文しているような芝居をはさみつつ……。

 

都心に行けば、さらに本場に近い、すばらしいスウェーデン料理がいただけるに違いないと思う。いつか行ってみたいと憧れているのだが、どっぷり西東京に染まってしまったので、今回の食事も大満足だったし、スウェーデンと思ったら立川に行けばよい、という認識が深まるばかりなのであった。

 

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