ココロ社

主著は『モテる小説』『忍耐力養成ドリル』『マイナス思考法講座』です。連絡先はkokoroshaアットマークkitty.jp

「立川=飛行機の町」と思いたい一心で、一式双発高等練習機を見てきた

東京にきて30年以上経ったが、立川によく行くようになったのは7~8年ほど前、多摩ニュータウンに引っ越してからのこと。東中野に住んでいたころは、買い物といえば新宿や渋谷だったので、立川に行くきっかけがなかった。立川という町のことをよく知らず、「駅の近くに大きな公園がある」程度のイメージしかなくて、その公園の由来もよく知らなかった。高度成長期に多摩丘陵を切り拓いて作ったのだろうと思っていて、立川飛行場の跡地だったと気づいたのも最近のことだった。


立川駅から北には、空き地がちらほらあって、それらも昭和記念公園と同じく飛行場や軍需工場の跡地だった。終戦後も米軍に接収されていて、返還されたのが昭和52年のこと。『宇宙戦艦ヤマト』の映画が公開されてブームになったころで、返還後も最近まで空き地になっていたところもある。

 

立川駅の近くは、飛行場のあった町でありながら、その歴史を明示することはなく、駅前に飛行機の小さなオブジェがある程度。

 

立川駅のオブジェといえば、わたしの中ではちょっといい感じのブロンズ像やら木人である。

北口デッキのアーチ、昔は空色だったと聞く。部材の保護のために塗替えたようだけれど、市民に意見を募集してこの色になったらしく、市民の中でも「立川=飛行場のあった町」というイメージは希薄なのかもしれない。

 

いっぽうで駅から北に少し歩くと歴史の痕跡が感じられる。


立川飛行機を前身とする立飛ホールディングスが2020年に開業したグリーンスプリングスのカスケードは滑走路をイメージして作られたらしく、飛行機を思わせるオブジェがさりげなく配置されている。

人気の少ない夕方などに行くとくつろげてよいのだが、ぜいたくを言わせてもらえるなら、もっとダイレクトに昭和史を感じたい……より具体的には飛行機工場の雰囲気を色濃く残す立飛ホールディングスの敷地内に入ってみたい……とかねてから思っていた。

 

 

この写真は5年ほど前に「入りたいよぉ……」と思いながら外から撮った写真。

イカした給水塔もあって、いつか入りたいと思っている。

 

チャンスは突然到来した。かつて立川飛行機が作っていた一式双発高等練習機が、わずか数日だが公開されるとのニュースがChoromeのトップページのおすすめに出てきた。すばらしいおすすめの精度である……しかも最後の一般公開とのこと。
悔いのないよう、隅々まで撮影してきたのでご覧いただければ幸甚である。

 

入口で簡単なチェックを済ませれば、あこがれの立飛ホールディングスの敷地内。

いつも外から眺めていた工場が間近にあって、それだけでも感激である。

 

中は広々としている。ここなら飛行機が作りやすかろう。

 

この表示などは米軍接収時代に書かれて、返還後、せっかくだからと思って消していないのだと推測してロマンを感じ取ったのだが、実際のところはどうなのかは知らない。


一式双発高等練習機は1941年に採用された多目的練習機で、1,342機生産されたが、国内に現存するのはこの機体のみ。エンジントラブルで十和田湖に不時着して水没していたものが2012年に引き揚げられたのだった。

入口を入ったところに模型があった。

模型のおかげでこのあとの断片たちの理解が捗った。

 

本体の前に部品コーナーがあり、飛行機の構造がまったくわからなかったので、つまみがMoogみたいだな……などと大雑把な感想を抱いた。

 

 

これが見ての通り機首部分。

ガラスはほぼそのままの姿。

 

プロペラはぐにゃりと曲がっていて衝撃の強さを物語っている。もともと曲がりやすい構造なのかもしれないが……。

 

側面。70年間水没していたといっても、沈んでいたのが淡水湖だったからか、肝心なところの塗がかなり残っている。日光にさらされた看板などで、「犬の糞禁止!」などのメッセージの大事な部分が赤字だったために、「犬の糞!」と読めてしまって犬の糞を賛美しているように見えてしまう現象とは正反対である。

 


会場の年齢層は高めで、特に高齢の男性は機体にべったり張り付くようにしてご覧になっている方が多かった。戦争のころの思い出を重ねているのかな……と思ったが、よく考えてみれば、物心がついたときが戦争中だったのは、どんなに若くても80歳で、70代ならむしろ『戦争を知らない子供たち』を反戦コンサートで歌っていた世代のはずである。わたしも歳を重ねる中で、「老人=戦争体験者」のイメージをアップデートできないでいる、『戦争を知らない子供たち』を知らない子供たち、あるいは、『戦争を知らない子供たち』を聞かずして若者を非難する歌であると早とちりして憤慨する子供たちなのである……。

 

機体の中も覗き放題だった。

 

ボロボロなので戦争の悲惨さetc.などと連想しがちだが、この件に限っていえば練習機が不時着して水没したので、悲惨さを感じたいのであれば腐食することについて感じるのが正しい。

 

多目的練習機なので、射撃や写真撮影などの訓練もできるよう、運転席まわりのスペースも戦闘機と比べるとゆったりしている。もし相性最悪の教官ー―叩きあげで、何をしても「帝大を出ているのにこんな簡単なこともできないのか!」などと言ってくる教官を想像し、それとこれとは別だというのを理解していただきたいと思った―についたりしてもなんとかやり過ごせそうな気がした。

 

尾部のランプに突然生々しさを感じてしまった。そのまま点灯しそうに見える。

 

また、一式双発機だけでなく、戦後に立川飛行機が製造した機体もグリーンスプリングスに展示してあった。

R-53型軽飛行機。

高所恐怖症なのでこんなスースーしたのは乗れない。戦後の飛行機だが戦争の恐ろしさを重ねて恐怖してしまった。

 

立飛のロゴが最高。

 

これはR-HM型で、操縦席に乗ることができたので、親子連れに混じって並んで乗れた。小型だけれどシートの座り心地はなかなかよろしく、戦後を感じた。

 


今回の体験で、「立川=飛行機の町」という記憶が強化されて、IKEAに行くだけでもワクワクするに違いない。まあIKEAはふつうに行ってもワクワクするけど……。

以前から入ってみたかった立飛ホールディングスの敷地内に入れたことだけでもお釣りがくる大変有意義な体験だった。飛行機の公開は大変なのはわかるので、たとえば「特に何もないけど出入り自由」みたいなイベントがあったらいいのに……とも思った。

 

 

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