ココロ社

主著は『モテる小説』『忍耐力養成ドリル』『マイナス思考法講座』です。連絡先はkokoroshaアットマークkitty.jp

性格が暗いので咲き終わったひまわりを鑑賞した

日に日に秋の気配が濃くなりつつあるというのに今さらひまわりの話なんて意味あるのと思われた方もいらっしゃるかもしれないが、少なくともスーパーの肉についているパセリの写真のフィルム程度の意味は有していると確信している。ひまわりは咲き終わってからがいいという話。

 

「ひまわりガーデン武蔵村山」が今年の8月14日をもって閉園になるとわたしが知ったのは、8月10日の夜のことである。あわてて確認してみると、開園したのは7月の最後の週。以前、同じ場所で春に開催されていた菜の花ガーデンに行ったことがあり、夏になったら行くぞと思ったまま存在を忘れていて、7月は町田市・小山田の蓮に夢中だった。

蓮は個体によって咲くタイミングにばらつきがあるがゆえに、咲いた花の影で出番を待つ蕾などが鑑賞できて非常によい。たしかに陰気なオッサンからしてみたら蓮>>>ひまわりなのだから仕方ない。蓮のことは漢字で書くが、ひまわりのことを「向日葵」と書くことには強い抵抗がある。当て字は好きではないし、当ててある字もキラキラしていて見るだけで胃がもたれる。しかし、ひまわりガーデン武蔵村山が今年で最後なら絶対行かないと絶対後悔するだろうと思ったので、仕事を終えて寝て起きて11日の朝に行ってきたのだった。

 

ひまわりガーデン武蔵村山は、多摩モノレールの上北台駅から徒歩15分程度のところにある。この場所はもともとは団地を取り壊したあとの空き地で、空き地を空き地のままにしておくと不法投棄があったりしてよろしくないという理由で、ひまわりや菜の花を植えはじめたのだった。

病弱な子のために土地を持っていた親が元気になるよう願いを込めてひまわりの種を植え……などという感動的なお話ではないが、よく考えてみたらこれを書いている時点ですでにない施設なので、ひまわりの話に集中したい。

 

以前、ひまわり園のようなものを見たのは、立川の昭和記念公園で、咲き誇るひまわりの姿に圧倒され、ひまわり園はnot for meかもしれないと思っていたのだが、この日見たひまわりはあのときと違った。端的に言って、わたしが情報をキャッチするのが遅かったため、多くのひまわりが咲き終わっていたのだった。

昭和記念公園のひまわり園の10倍の規模のひまわりのほとんどが頭を垂れている。期待していたものとはまったく違ったのだが、むしろこの風景の方が好ましいと思ったし、うなだれがちなわたしは共感してしまう。花ひとつが人ひとりだとしたらこんなに多くの援軍が……と思った。何の軍か知らんけど。


そして、まだ咲いている花たちも、頭が下がっているので覗きこむようにして見ることになる。

無数のひまわりを覗きこんでいるうちに過去の記憶が脳裏をよぎった。難しい感じの人と難しい関係になると、往来に人目もはばからず立ちつくす難しい人を覗きこんで宥めたりすることになるが、まさに同じ動作であって、咲き終わったひまわりを鑑賞するとき、一般的な花を鑑賞しているときの気持ちとまったく異なるところにあると感じた。

 

まだ咲き誇っているひまわりも2割ほどあった。



1.5~2メートルのところに人間の頭くらいの大きさの花をつけるので、人間に見立てずにはいられない。

「ひまわりのような人」というと、アグネス・ラム先生を想起してしまう。おそらく平成生まれにとっても同じような「ひまわりのような人」がいるはずだが、それは誰だろう……綾瀬はるか先生だろうか?そうでもないのだろうか?綾瀬はるか先生もああ見えて、ひとり旅に出て、東尋坊の電話ボックスに入って張り紙やビラを見るなどしているのだろうか。

 

風にそよぐ花びらは髪のように見え、風吹ジュン先生を想起する。

 

突然変異的に2.5メートルくらいの高さに育っているものもいる。背は高いのにつけている花は小さい。はじめて大谷翔平先生を見たときの感動を思い出した。

 

そして、筒状花が思わせぶりに失われている個体もあり、ここまでくると人との相違点を挙げることが難しい。

 

会場内には幸せいっぱいのファミリーがいて、さらに咲いているひまわりがセレブリティに見えてしまって気持ちに余裕がなくなってきたので、咲き終わったひまわりたちのコーナーに逃避しよう。

 

咲き終わったひまわりのコーナーを歩いていると、「もう終わってるね、もっと早くくればよかったね」という声が聞こえてきた。たしかに平均的な感受性の持ち主からすると、ひまわりの本質は花にあり、その花びらが枯れて花が垂れていると「終わっている」のかもしれないが、ひまわりの立場からすると、首尾よく受粉を終えて、種が順調に育っているから花が垂れているのである。もしこれが人間ならどうだろう。この状態にある人間に対して「もう終わってるね」などと表現するものがいたら、1万RTされて、その1万RTのうちの8割超がコメントつきのRTになるに違いない。花が咲き終わっていることが植物そのものの終わりと考えるのは一面的なものの見方なのかもしれない。

 

……などと思考を巡らせながら写真を撮っていると、いつのまにか10時になっていた。10時とは、村山ホープ軒の開店時間である。

10時10分に行ったらすでに満席で少し並んだのだが、開店前から並ぶ猛者たちは食べるスピードも素晴らしいので、5分も並ばずにニンニクチャーシュー麺にありつけた。

豚骨の強烈なスープにもちもちした麺……無数のラーメン屋がひしめきあう現代にあっても印象深いラーメンだが、1975年の創業当時の衝撃は絶大だっただろうと思う。

 

かくして「東村山ひまわりガーデン」は公開を終了したのだが、同じ場所の「東村山菜の花ガーデン」は来年の春に最後の公開があるようなので、菜の花が咲き乱れて、好きとも嫌いともいえない独特の臭気を放っているのを体験したい方はぜひ行ってみてほしい。

 

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茶畑をそんな目で見たことがなかったがwokeになったので東京狭山茶の茶畑を見に行った

われわれにとって煎茶は水に準ずるあたりまえの存在であって、好き嫌いの対象ではない。

 

もしあなたが港町を歩いている途中でウニの養殖場を見かけたりしたら、キャベツをもりもり食べているウニをうっとりと眺め、「これを割ったら橙色の濃厚なおいしいやつがびっしり詰まっているに違いない」などと想像することだろう。なお、「キャベツをもりもり」というのは、最近インターネットから仕入れた知識で、駆除対象でおいしさ控えめのムラサキウニに、同じく廃棄対象のキャベツを食べさせたら、海藻を与えたときより臭みがなくて味がよくなるとの話だった。わたしはそのニュースを見て、窓際族であるところの自分が他の窓際族の構成員とコラボレーションしたら業績が劇的にアップする企画を思いついたりするのだろうか、いや、ない……などと思ったのだが、それはともかく、ウニが養殖されているところを見たならば、何らかの感慨のようなものが少なからずあるはずである。

 

いっぽう、煎茶はどうだろう。茶畑を見て、「この先端をつまんで取って、蒸して乾かして……」などと想像して涎が止まらなくなったりしたら変質者とまではいえないにしても、かなりの少数派ではある。まだ、みっしりと栗が詰まったおまんじゅうが和菓子屋に陳列してあったら「煎茶といっしょにこれを食べたら……」と想像して涎が止まらなくなる程度であればまだ理解が得られやすい。煎茶が脇役であるなら、ノーマルな感性の持ち主の理解が得られるが、残念ながら主役たり得ない。わたしもつい最近までは、煎茶はあたりまえの存在であったから、旅先で茶畑を見たとしても、茶畑があるなとしか思わなかったし、チャノキ(Camellia sinensis)とそうでない木の区別があまりついておらず、単なる植えこみのツバキの若葉が「実はお茶なんです」と自己紹介されたら、ツバキみたいなお茶だな、まあツバキ科だからあり得るかと思ってしまう。

 

そんな平均的な煎茶ライフをおくっていたわたしだったが、紅茶や、より煎茶に近い龍井茶などと比べても、すばらしい点がたくさんあるということに今さらながら気づいた。まず、抽出時間が圧倒的に短い。紅茶を1杯抽出する間に煎茶なら3杯抽出できる。抽出したあとの鮮やかな緑色はどんなお茶よりも美しい。また、日本があらゆる視点から見て没落してきているため、今や中国のお茶と比較してもリーズナブルに感じられる値段であって、いろんなお茶を飲んできたが、素敵なお茶が身近にあったということに今さらながら気づいた次第である。

 

そうなってくると、今まで適当に通り過ぎることが多かった茶畑に積極的に行きたいという気持ちになってきた。おいしい煎茶が育成されている様子をじっくり見て、煎茶を飲むときに思い出す。また楽しからずや……。「煎茶≒水」と考えているあなたにとっては実感がわいてこないと思うのでわかりやすいたとえにすると、どこかの回転するお寿司屋さんでウニの軍艦巻きを食べるときに、ウニがキャベツを食べているところや、海苔が海中に刺してある竹にまとわりついて大きくなっているところを想像したら、まるで回転していないお寿司屋さんの軍艦巻きのように感じられる……ということである。

 

そして、わたしの住む多摩ニュータウンから最も近い茶どころといえば東京狭山茶でおなじみの瑞穂町。狭山茶の算出量がもっとも多いのは埼玉県入間市だが、なるべく自分の家に近い茶畑を見てお茶を買って、「うちの近所でこんなにおいしいお茶が……」と感動したいと思って、新茶が売られはじめたころ、八王子から八高線に乗って箱根ヶ崎駅で降りたのだった。

 

駅を降りてしばらくしたらこの看板があった。たしかにお茶はおいしいのに飲んで咎められることがなくて本当に最高だよね……。

 

坂をのぼっていくと狭山神社がある。

長い階段を登った先には拝殿だけでなく、摂社やら記念碑が配置してあり、周辺の歴史を知るには登るべき階段なのである。

 

こぎれいな拝殿。

「機神社」は、メカニカルな名前に心惹かれるが、この地域の名産の村山大島紬の神社。


そして、ひとことでいうと狭山茶foreverというような意味の文言を記した記念碑がある。

この地域でのお茶の栽培が本格化したのは江戸時代に入ってからで、この記念碑も明治11年と記してあった。

 

狭山には「色は静岡 香りは宇治よ 味は狭山でとどめさす」という茶摘み歌があるらしい。もし、京都大学の校歌に「官僚は東大、ノーベル賞は京大」のような歌詞があったら東大のことをそこまで意識しなくても……と思うに違いない。

さらに東京狭山茶への想いをたしかにするため、瑞穂町郷土資料館を訪問した。

ここでは煎茶の製造工程について実際に使われた道具を展示して説明しているのだが、最初に目に飛びこんできたのは、そこらへんのふるさと館みたいなところの端っこにわりと邪魔そうな感じで置いてあることでおなじみの唐箕。

米を作るときの専門ツールかと思っていたが煎茶を作るときにも使われていたとは……冬季オリンピック、スピードスケートのメダリストである橋本聖子選手が自転車で夏のオリンピックに出たのを見たときと同じくらいの驚きと感動である。

 

そしてこの箱の上で茶葉を撚っていたようなのだが、箱に貼ってある紙に書いてある文字が気になった。工事現場のクレーンに「積み荷の下に入るな!」と書いてあるが、茶葉を撚るにあたって必要な態度などについて書いてあるのかもしれないが、鏡文字がだいぶ苦手なので早々に解釈を諦めてしまった。

 

神社にも行って、資料も見て、準備万端となったので、いよいよ茶畑を見て、お茶を買う。

 

先述のとおり、わたしはチャノキを正確に見分けられる自信がない。

たとえばここに来るまでの間にあった墓地に盛大に植えてあったものたちは「墓地でお茶を栽培することはない」という文脈からこれがチャノキではないとわかるのだが、文脈なしでただ生えていたら野生のチャノキと思ってしまいそうで、だから、ここにチャノキ以外のものが生えているはずがないという文脈がほしくて、瑞穂町まで来たのである。

わたしが見たかったのはまさにこの風景。

お茶屋さんの前に明らかに栽培しているふうの植物たちがあるなら、これは2万パーセント茶畑なので、安心して観察できる。

思っていたよりも樹高が低くて驚いたが、これは、有名人を間近で見たら思ったよりも小さかったという問題、個人的には多摩センターに演説に来ていた生稲晃子先生に感じたものが最新なのだが、お茶への思い入れが強すぎて、心の中のチャノキの樹高が高くなりすぎたことによるに違いない。

 

新茶を摘みおわったあと、さっそく柔らかい若葉が生えてきている。
わたしがこのあと買って飲むお茶はこういう感じの葉からできているのかと思うと愛おしくてたまらない……。

 

お茶屋さんはいろいろあるが、茶畑と店が合体している感じのお店なら「あそこの茶葉がこのお茶に入っている」と思い出しながら飲めるので最高。

なお、今回寄ったのは「藤本園」というお店。作るところと売るところが一体化していて約束の地である。

新茶と、せっかくだから紅茶も買った。シンプルなパッケージよりも、このようにシールが貼ってあるほうがいい気分。

 

なお、周辺を歩くと他にも茶畑があるので見て回りたい。

特殊な扇風機のようなものがあって不思議に思ったのだが、これは地表からちょっと高いところにある暖かい空気を茶畑に送りこむための機械らしい。

こんな小さな扇風機で地表の温度を変えることができるなんてすばらしい……そして、江戸時代にはそのような仕組みはなかったから、おそらく今飲んでいるお茶の方が昔飲まれていたお茶よりもおいしいのだろうなと思う。

 

収穫されすぎた茶畑を見かけたのだが、機械で収穫しているのだなというのがわかってかえって安心した。茶葉を見てからだと、これを手作業で摘むなんて、茶摘み体験ならいいけど茶畑の端から端まで手で摘んでいたら申し訳ない気持ちになってしまう。

id:sociologiaさんからのご指摘で、茶畑の若返りをはかる「台切り更新」であることを知りました。ありがとうございます~!)

茶畑の地面は枯れた茶葉に覆われていた。

烏龍茶にビジュアルが似ているから、もしかして成分は近いのかなと思って嗅いでみたら、ただの枯葉だった。

 

そして、茶畑のむこうにはショッピングモール、しかも名前が「MALL」で申し分ない。東京じゃないみたいな感じが最高潮に達している。

なお、お店自体は2月末で閉店したらしい。

 

帰宅してさっそく新茶をいただいた。

実際に栽培されるところを見たから茶葉がいとおしく感じられる……これにお湯をかけてもいいの?

わたしは渋いお茶が好きではないので、やや低め、70度で抽出する。いつも色が薄いかなと思うのだが、すばらしい旨味である。桜の花が案外白いのと同じで、記憶している煎茶の色は実際の色と異なるのかもしれない。これとごはんだけでお茶漬けとして食べられるのではないかとすら思う。

 

一番高いのを買ったが、すぐ飲んでしまったので、来年の新茶の季節にはたくさん買って半年くらい持たせるようにしたいと思っている。まる1年分用意することも消費期限的には問題ないが、年じゅう新茶を飲むと堕落してしまいそうだから最長でも半年だろう。

 

wokeなみなさまにおかれましても、お近くの茶畑に行って興奮していただきたいと思う。

 

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自分の椅子が低いことに40年近く気づかなかったという話

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きょうは椅子が低すぎたことに気づいた話をしたいが、特筆すべきドラマなどは特になくて申し訳ない。
 

椅子が低すぎたことが発覚したのはキーボードの傾斜問題が発端だった

先日、「キーボードの傾斜は実は意味がない」という趣旨の記事を見かけた。そんなはずはなかろう、わたしはキーボードを使い始めて40年近く経つが、キーボードに傾斜をつけることの意義をよく知っている。初めて使ったパソコン、シャープのX1 turboのキーボードにもチルトスタンドがついていて、わたしはそれをビンッビンに立ててディズニーランドとは似ても似つかない世界を冒険する『デゼニランド』などのゲームを満喫していた。80年代前半のパソコンは入力機器としてマウスが使われていないこともあり、ゲームも英語で直接コマンドを打ちこんで進めるものが多かった。しかも開発する者も遊ぶ者も英語ネイティブではないから、プレイヤーは正しい英語ではなく製作者の頭の中にある英語を推測しながら打ち込むという高度なゲームプレイを強いられており、解かねばならない謎は何重にもなっていたのである。有名な事例では、棺桶の穴に十字架をはめるときに「ATTACH CROSS」と入力しなければ次に進めない……などというものもあり、そうでなくてもゲームで遊ぶにも打鍵は避けられなかったのだが、苦しい打鍵生活の支えになっていたのがチルトスタンドで、なんだか打ちにくいと思って確認したらチルトスタンドが寝ていたということもあったくらいだから、キーボードに傾斜は絶対必要だと認識していたのである。チルトスタンドが上がっている状態が本来の状態で、持ち運びのときにチルトスタンドを収納すると認識していた。「キーボードに傾斜をつけることには意味がない」とは、ほとんど「人間が生きることには意味がない」と同じではないのか、といった虚しい反論が脳裏をよぎったのだが、人間工学から見ても優位性はなくて、むしろ手首に負担がかかるるなどと書いてあった。この40年近く、キーボードに角度をつけることによって感じてきた打ちやすさが気のせいなはずなかろう……と思ったのだが、記事は、角度をつけないと打ちにくいと思っている人は椅子が低すぎる可能性がありますという趣旨の言葉で締めくくられていて、まさか……しかし念のため、と思って椅子を上げてみたら、キーボードの傾斜には意味がないことを即座に理解したのだった。キーボードに傾斜をつけなくても、qやpやdeleteなどの辺境系のキーにも難なくアクセスができた。そしてキーボードの打ちやすさだけでなく、作業に集中できる姿勢になっていた。わたしは40年近く何をしていたのだ……。
 

自転車のサドルは上げるのに椅子を下げるのは変態である

かくして、わたしは椅子の高さを間違い続けていたことを瞬時に体で理解したのだが、頭でも理解したいと思い、「椅子 高さ 計算」で検索した。わたしはずっと、椅子の適正な高さは、使う人の身長に反比例するのではないかと想定していた。計算式で表現するなら「4000/身長(cm)」のようなイメージだったが、実際の数値は「身長(cm)÷4+1(cm)」などだった。1を足すものとないものがあったりの違いはあったが、身長の高さに反比例しているものはなかった。高さが変えられない机とペアで使っていたとしても、椅子の高さを最低にするのはさすがにバランスが悪い。
よく考えてみたら、レンタサイクルなどで自転車に乗るとき、当たり前のようにサドルを上げていた。中学生のときに遊びでサドルを最低にしたことがあったが、足腰にかかる負荷が尋常でなく、トレーニングになるのではないかと思ったほどだ。また、証明写真を撮るときも船を急速旋回させるように椅子を回して上げていた。なぜ腰掛けるもののなかで椅子だけが例外になると思ったのだろうか……。
 

椅子を低くしたいという心理は、寝たいという気持ちの現れである

人(突然の主語の巨大化)が椅子を低くしてしまうのはなぜか。それはずばり寝たいからである。
椅子を低くし、姿勢を低くして背もたれに最大限もたれると、座っていながらにして限りなく寝ている状態に近づく。たとえオフィスで失敗が絶対に許されない仕事をしていたとしても姿勢だけは寝ているに等しくなる。これは「仕事をせず寝ていたい」という気持ちと、「そうはいっても仕事はせねばならない」という相矛盾したふたつの気持ちが壮絶な争いを繰り広げたのち、かりそめの休戦協定を結んだ形なのである。


ただしそれは義務を遂行している瞬間にのみ当てはまる話であって、義務から解き放たれたあとに起きていることを積極的に選択して椅子に座る者が、あえて椅子を低くしたりソファなどの座面の低い椅子を選ぶ意味はないはずである。ソファで映画を見ながらいつの間にか寝ているといった生活も悪くはないように思えるが、実際そうしてしまったとき、起きてからどこまで見ていたのか探りつつ映画を少しずつ逆再生したりしているうちに映画への興味が失われてしまったりして、睡眠を経て澄みわたった意識の中で、これはほんとうに自分がしたかったことなのか……と自問するのが関の山。眠いのであれば謎の折衷案など用意せずにそのまま寝ればよいし、睡眠以外の何かをしたいのに眠いというのであれば、寝てからにすればいいはずだ。

読書も同じで、本を斜めに立てかける書見台というものを買ってみたが、椅子を低くしたときに見やすくなる仕組みで、やはり「読書したくないし寝たい」という欲望と「読書をやめてしまったら単に小汚いオッサンになってしまう*1」という強迫観念の間に出現した謎の器具が書見台なのである。本当に読書をしたいのであれば両手で本を持って書籍に対峙すべきだろう。


寝るのか起きるのか。その二者択一の中のわずかでも迷いが生じると椅子が低くなってしまい、その結果として生活が乱れてしまうので、われわれは鉄の意思で椅子を高くせねばならないのである。

 
 

*1:読書しすぎると、いっそう小汚いオッサンになってしまう……という説もあります

「白身魚のフライ」という変態性満載のごちそうを見つめなおす

いまから白身魚のフライが好きという話をしたいし、エビやアジのフライにしか興味がない方はこっち(どっち?)に来てほしい。ただ白身魚のフライについての意外な情報のようなものはこれを読み進めたところでどこにも書いていないので申し訳ない……。
 

「白身魚」という名の魚はいない

「雑草という草はありません」。昭和天皇のお言葉である。ナマズの研究でおなじみの秋篠宮皇嗣殿下におかせられましては「白身魚という名の魚はありません」と仰せられたかどうかは把握していないが、秋篠宮皇嗣殿下は白身魚と名付けられた料理を召しあがったことはないに違いなく(念のため検索はしてみた)、そもそも白身魚という概念をご存じないかもしれない。ナマズは白身でおいしいのだが、白身魚のフライはスケトウダラ・ナイルパーチ・ホキ・パンガシウス(名前が怖くない順に書いたら受け入れてもらいやすいと思って……)などといろいろである。お弁当屋さんでは100円台で売られていることから推測して、少なくともフグやヒラメが使われていないことはたしかである。たとえば鮭のフライを「赤身魚のフライ」とは言わないし、アジのフライを「青魚のフライ」と言うこともない。出自を隠したいと思ったときに「白身魚」というふんわりした呼び方が使われるのである。たしかに、味のよしあしは別として、「パンガシウスフライのタルタルソース」などという料理が供されるようなことがあれば、ムムッ……もしかして帰れという意味なのか……などと考えこんでしまうことだろう。
 

正体不明の魚の身を紡錘形にするセンスがすばらしい

一様に香ばしい衣に包まれた謎の魚たちは食べ物であると同時に工業製品のようでもある(注:おいしくないとかダメだとかそういうニュアンスは特にない)が、単純に生産効率だけを考えれば、四角形や二等辺三角形にすれば輸送用のダンボールを白身魚のフライで満たすことができるはずで、実際、マクドナルドのフィレオフィッシュの白身魚のフライは正方形。ケンタッキーフライドチキンでときどき姿を現して姿を消す幻の魚ことフィッシュフライも、長方形もしくは台形で、それがかつて魚であったことを彷彿とさせる要素は何もない。
いっぽう、海の幸が得意ではない定食屋や弁当屋で扱っている「白身魚のフライ」と呼ばれるフライの多くは紡錘形である。白身魚は任意の形に加工できるし、単価が安いので運送コストは少しでも安くしたいはずだ。それなのにあえて魚を思わせる紡錘形にしてある。たとえばこれがホキだとしたら1匹あたり何個も作れるはずで、あえて謎の小魚を作っていることになる。経済的合理性をあえて捨てて、想像上の魚を作るという夢を選んだのだとわたしは考える。
 

紡錘形の白身魚フライの素晴らしいたたずまい

ここからはわたしが通り過ぎていった白身魚の紡錘形のフライの思い出の写真たちのコーナー。
 

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これは団地の中にあるそば屋の定食の一部として供された白身魚のフライ。そばがメインの店だし850円のランチなので、お店でさばいたアジのフライなどは期待していないし、むしろこれ目当てでよく頼んでいる。

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ひとり席がないから早い時間に行ってさっと食べて帰っているが、本当は毎日ここで食べたいくらいだ。
 

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こちらはお弁当屋さんでオプションになっている白身魚。1つ120円である。安いので2個お願いすることが多い。このお弁当屋さんはすごいボリュームでたとえばサイコロステーキ定食を頼んだらザ・工業製品みたいなのの焼いたんが出てくるけれど、そんなところも含めて好きな店で、いつも感謝している。
 
全国規模の店だとCoCo壱番屋でフィッシュカレーを頼むと出てくる。

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大きいのがひとつくるとイメージしていたがふたつ。ふたつ並んでいるだけで兄弟かなと思ってしまうが同じ魚の別の部位である可能性の方がはるかに高い。いままで紹介したものと比べるとボリュームがかなり小さい。その分かわいらしくもあり、手作りのような雰囲気さえ漂わせているが、工業製品のような感じにしてほしい人にとっては物足りないかもしれない。
 

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上記のお弁当屋で買ったものを食べながらふと見たら生前の姿がちらりと見えた。想像より原型をとどめていて驚いた。キミはどこの海から来たのかな……。すごい深海からお越しくださっている可能性もあって多少申し訳ない気分もある。
 

白身魚のフライは、「究極フレンドリーな魚状のごちそう」である

正体不明の一匹の魚が分割され、新しい魚の形になる。死してもなお、生前の姿とは異なる形で魚を表現しているというかさせられている白身魚のフライ……これは新しい魚の姿であり、人類にとっては新種の生き物のような存在。人類にとっては邪魔者でしかなかったうろこや骨はなく、油で揚げられて豚も裸足で逃げだす(蹄があるから靴を履いているようなものかもしれないが)カロリーを身につけている。この紡錘形の仮想生物を愛さずにはおれない……。
 
などと気持ち悪いことを考えながら、今日も白身魚のフライをありがたくいただくのだった。
 

東京・稲城の「ありがた山」 その驚くべき光景

「ありがた山」と呼ばれている山がある。そのスピリッチャルな響きで、舌の奥に苦いものが走るかもしれないが、今から書く文および写真がそれ以上の驚きをもたらすことを保証する。その山の名前は、豊島区駒込にあった大量の無縁仏が昭和10年代に運びこまれたことに由来する。石仏を運ぶときに「ありがたや、ありがたや」と唱えたようである。
 
無縁仏が結集している地はそこまで珍しい光景ではない。よく知られた事例だと、当尾や高野山などにあり、山奥の風景にふさわしい佇まいなのだが、同じ風景が東京の、しかもさほど山奥でもないところにあった。当尾や高野山は鉄道の最寄り駅からバスでけっこうな時間がかけてずんずん登っていくが、ありがた山は京王読売ランド駅から徒歩10分のところ。最初に訪れたとき、新宿駅からだと30分少々でこんなところがあるとは信じられなかった。
 
ありがた山の存在を知ったのは、京王相模原線に乗っていて見えていた、若葉台~よみうりランド間に謎の丘からである。

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通勤電車でここにさしかかるにつけ、「この山を超えたら何があるのだろう」と思っていたのだが、その気持ちは週末を迎えるとどこかに飛んでいってしまって海沿いの地域や博物館に赴いていた。つまりその気持ちは、好奇心を装った現実逃避の感情に過ぎなかったのである。
 
 
この、「解消するほどには関心が持てなかったあの丘の向こう」問題であるが、不要不急の外出が制限され、通勤電車でしか移動しなくなってしまい、無意識下でゆっくり熟成されてきた疑問が一挙にガスを放出し、わたしの好奇心が爆発に至(り、周囲に異様な臭気のガスを放っ)たのであった。
実際に行ってみると想像以上だったのでこの報告に至る。
 
京王よみうりランド駅を降り、北側、つまりよみうりランドと同じ方面に出て、妙覚寺に向かって坂を登っていく。
妙覚寺の脇の道を登っていくとありがた山に着くのだが、途中の空き地が開発中なのが見える。

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石塔を避けて開発をするようで、仕上がったらどうなるのだろうかと好奇心に駆られる。
 
住宅地の奥に社があり、チラ見しているだけでも満足感がある。

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あっという間にありがた山の麓らしき場所に到着。

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麓には有縁なる仏様たちがいて、登っていくうちに無縁になってくるようなのであるが、もしかするとありがた山の麓と思っている場所は、山に含まれていないのかもしれない。そいて有縁仏のいるところもcoming soonになっているところが目立つ。開発の関係で、新規の仏様は募集していないのかもしれない。
 
 
まだ頂上からはほど遠いが、若葉台方面がよく見えるし電車も見える。

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古墳は見晴らしのよい場所につくられることが多いが、豪な族でなかったとしても、見晴らしのよい場所で眠れるに越したことはない。
ここから京王線が見えるということは、京王線からもここが見えていることを意味していて、たしかに記憶を辿ってみると、何度かお墓のようなものを見ていたのかもしれない。
 

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有縁ゾーンを抜けると、またしばらくcoming soonになって、さらに登っていくと、無縁仏4000柱のあるところに着く。
 

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映画の撮影などでも使われていたらしいのだが、都心近くにこんなに不思議な場所があったとは知らなかった。
 

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地蔵堂兼手水舎のようなところがある。
 

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カップがあるところを見ると、飲める水だったのかもしれないが、今は濁っている。

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これは開発の影響なのか、単純に天候の問題で水が少なめで滞留しているのかはわからない……と思いながら、リュックに入れていた南アルプスの天然水を飲んだ。
 
 
ありがた山の頂上へは、無縁仏のある斜面の真ん中を歩けば最短距離なのだが、なんとなく失礼な気がして、脇道から登ってみることにした。
 
しかし脇道は蜘蛛の巣だらけで、あまり人が来ていないことを物語っている。わたしのあとからきたもう一組は、下から見て満足して帰って行ったようだった。
 

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途中に朽ちかけのお堂を発見。物置なのかもしれないがいい感じである。
 
蜘蛛の巣をかきわけて頂上らしき場所についた。
きたところを振り返ってみると、壮観である。
 
京王線から中央線の東京西部がさらによく見える。遠くに見えるのはおそらく小金井あたりで、やはり中央線沿線は西の方に来てもけっこうな都会だな……。

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そして眼下に見える無縁仏たちの圧迫感……。あたりまえだけれど、これだけの方がそれぞれ亡くなって、親族や親しい人が魂の平安を祈って墓石を作ってきたという事実に圧倒される。

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「武蔵国五字ヶ峯 一丁」とあった。これがこの山のかつての名前だったのかもしれない。

考えなしにここにきてしまったのだが、驚いたことに、この山の向こうでは大規模な開発がされていたのだった。

 

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しかも、ありがた山で聖域とされている場所だけは(少なくとも今は)丁寧に除かれている。

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結界のように置かれた板碑を超えたら、土と重機の世界。コントラストに圧倒された。通勤中に、呑気に「あの丘の向こうはなんじゃろか」と思っていたが、ここまで大規模に山が削られていようとはまったく想像が及ばなかった。
下から見て満足して帰った人はこの風景を見ずに帰ってしまったのか、仁和寺にある法師のような話だなと思った。この風景は本尊というわけでもないし、見たら後悔したのかもしれないけれど……。
 
 

帰宅して、風景を見返していると、「開発している側からはどう見えているんだろうか(注:物理的な意味で)」という気持ちが日に日に強まり、2ヶ月後、隣駅の稲城側からありがた山方面に向かった。

住宅街を奥に進んでいくと、行き止まりになっていて、削られた山が見える。

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住宅街のすぐそばで開発、という風景は、人によっては殺伐としていると思うのかもしれないが、わたしの育ったところも同じ感じだったので、むしろ、ふるさとを感じるほどである。

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工事の囲いに沿ってさらに登って振り返ると、ありがた山が見えた。

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板碑が結界のように見えるのは変わらず。

 

開発が終わったら、それなりに自然な感じに仕上がるのだろうけれど、このときの写真と見比べてみたいと思う。

 

ありがた山の風景も、ここまで驚きに満ちた風景をたたえているのは、わずかな間かもしれない。現に、この近くに洞窟があったのだが、危険なのでCLOSEDになってしまっている。

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これからは、ちょっと気になる場所があったら、すぐに行ってみようと思ったのだった。
 
 
◆ココロ社 Twitter(ブログの更新状況など)
 

近所でいちばん高いところに行ってみると楽しい

ここ2ヶ月程度、外出といえば近所への散歩しか選択肢はなかったはずである。
この間に近所の気になるところはすべて網羅して、緊急事態の終わりにあたっては、「遠出できない暮らしも悪くなかったな……」と感慨に耽っていたはずである……が、わたしは行き残した場所があって悶々としていたのだった。自分の家の半径3キロメートルの中で未知の領域がいまだ残されていることを遺憾と言わずして何と言おうか。京都の東寺には毎年のように行っているが、住んでいる多摩市で未踏の地がいくつもあるという矛盾……。
行かずとも、苦労して訪れるほどの価値はないと高をくくっていたが、安倍晋三先生や小池百合子先生から「無理して近場で済ませなくてもいいよ、好きなところに行くといい」などと言われたら、かえって気になってしまう。
 
今回のターゲットは「自分の住む市内の最高地点」である。読んでくださっているみなさまの市区の最高地点はさまざまだと思うが、それが高いかどうかは楽しさとは別で、たとえば東京都港区の最高地点はたかだか25.7mにすぎないが、その最高地点の風景や意味について考えると、日本有数の最高地点だといえるだろうし、「○○市 最高地点」で検索して、唯一解が得られないところもあり、これはこれで冒険のしがいがあるので、もし自分の住んでいるところの最高地点について考えたことがないという方はこの機会にぜひ調べて行ってみてほしい。
 
そしてわたしの住んでいる多摩市の最高地点だが、調べる前に想像していたところとは違った。多摩センターと永山の間のどこかで、すでに何度も行っている場所に違いないと思って地形図を見たら、それよりも高いところがあったのだった。本丸は聖蹟桜ヶ丘と永山の間、多摩市のページに「天王森公園」との記述があったが、地図上で検索しても東村山市の天王森公園しか出てこない。さらに検索してみると、八坂神社の近くにあるという。また汎用性の鬼みたいな神社名……とりあえずこれを目印にして行ってみればわかると思って行ってきたのだった。
 
市内なので徒歩で行ったのだが、いきなり核心に触れてしまうと感動しすぎて号泣してしまう恐れがあったため、東に進んでから、以前、SUUMOタウンでも紹介した、稲城市の最高地点を経由して行くことにした。
 
稲城市の最高地点は、多摩市の最高地点から10分もしないところにあるのだが、見晴らしがいいなと思うだけで、そこが稲城市の最高地点であると明示しているわけではない。

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このゆるい木陰の休憩所のようなところが最高地点で、ここで休憩している人は皆、ここが最高地点だと気づいていないふうである。いや、もしかすると、最高地点であると知っていながら、恥ずかしがり屋なため、その感動が外に漏れないよう、唇を噛んでいるのかもしれない。
 
この地点から少し降りると見晴らしのよいゾーンがある。

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並んでいるのは若葉台パークヒルズ。見ていると住みたくなるのだが、わたしはいつもここで若葉台パークヒルズの物件情報を検索して眺めて満足し、まあでも今の賃貸暮らしもいいじゃないなどと思いつつ、若葉台方面に向かっていたのだった。
 
この先にわが故郷(まだ5年ほどしか住んでいないが)の最高地点が待ち受けていようとは……。
 

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みはらし緑地を降りた道の向こう側は多摩市。このふたつの給水塔が多摩市にあってくれてうれしいと思っている。稲城にはかっこいいトンネルがあるので十分でしょうと思うのである。
 
尾根幹線道路の上を通る橋から見ると、多摩市の守護神のような風格が感じられる。

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……というか、多摩市、改めて見ると緑が多すぎてちょっと驚いた。港区の人が見たら卒倒するのかもしれない。
 
橋を渡って少し歩くと右手に八坂神社。

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さほど高くなかったとしても、最高地点はやはり神社とmixされていてほしいよね……。
 

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神社だけではなく、多摩市天然記念物のスダジイも鎮座していて、大した高さでもないのに神様がいてくれてありがとう……と思う。
 

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天王森公園の名前に若干のインパクトありと思っていたが、やはり明治天皇が訪れた場所らしい。このあたり一帯は御狩場だったことは有名な話。明治天皇が来ただけで「聖蹟」と呼ばれる感覚は、そのよしあしはさておき、今からすると理解不能である。
 

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社殿は簡素だが、左手にブランコがある。

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ブランコ側から社殿を眺める。
神社とセットのブランコは最高だが、大人が乗っていいブランコには見えなかったので見るだけである。
 
 

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また、湿り気の多い中、ワカメ状のものが土の上でよく育っていて、「多摩市の頂点には何もかもがある!」と思ったのだった。
 

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最高地点の標識があり、三角点まで用意されていて感動した。なお、三角点なのに四角い理由は「三角点 なぜ四角」で検索すると得られる。
富士山の3776mなどからすると比べ物にもならない161mだが、最高地点を盛りたててくれるさまざまなアイテムがあり、もっと早く来ておけばよかったと思った。
 
なお、モサモサ感重視のため、見晴らしはさほどよろしくないのだが、失望するには及ばない。すぐ近くに「てっぺん坂」という、少年向けの漫画に出てきそうな名前を冠した坂があり、その坂の上から見ると、それなりの満足感が得られた。

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お住まいの地域の最高地点のよしあしは運次第だけれど、もし、あなたが、自分の住んでいる市区の最高地点がどこか即答できない状態なのであれば、ぜひ調べて行ってみてほしい。ワカメみたいなのが盛大に生えているかもしれないから……。
 

近所の適当な川の始まりから終わりまでをたしかめると楽しい

旅行やお出かけができないときは、近所の散歩の範疇でエンジョイすることになる。すぐ思いつくのは公園だけれど、公園もそれなりに人がいて、social distance的にどうなのと思うこともあるし、そもそも、人が少ないことが公園のよさでもあるので、人の多い時期に行ってもあんまり楽しくない。
 
ではどこに行けばよいのか、せっかくだから、今までしてこなかった散歩をしたい、置かれた場所で咲きたい……と思って思いついたのが、近所の適当な川の最初から最後までをたしかめる散歩である。多摩ニュータウンを横断するように流れている乞田川という川を、わたしは毎日のように見ているが、この川がどこから来てどこへ行くのかを見たことがない。川の名前にいくぶん不思議な響きがあるが、この地域はかつて飢餓が多く発生し、領主に田んぼの耕作をさせてほしいと乞うたという説もあるが、モニュメントのようなものはとくにない。
もしかしたら乞田川の終わりは大きな滝のようになっていて、そこが世界の端かもしれない。乞田川の始まりと終わりをたしかめずに、よく今まで生きてこられたな……などと気持ちが高まってきてしまった。
 
以下はあくまで一例で、乞田川のことをまったく知らない人が見ても面白くないはずである。いまから紹介する風景が、自分の近所だったらどこになるだろうと思いながら参考にしていただけると大変ありがたい。
 
乞田川は、唐木田を源流として、多摩センター、永山と流れ、聖蹟桜ヶ丘近くで大栗川に合流し、その大栗川も多摩川に合流する。多摩ニュータウンに住んでいるなら、なんとか散歩でおさまる距離である。
多摩センターと永山の間は桜並木があり、地域のお花見の名所にもなっている。
 

近所の川の源流は概ね源流らしくないものである

そんな乞田川の源流は、唐木田の給水所近辺と言われているが、流れを確認できるのは、唐木田駅近くの鶴巻西公園からである。

 

鶴巻西公園内では小川が横断しており、小川の始まりのような場所もある。

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なるほど、ここが源流なのかぁ~という気分にもなってしまうが、それは気のせいで、この水はさらに上のRPGのセーブポイントのような場所からポンプで送水されている。

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この公園に大自然を求めていくとがっかりするが、多摩ニュータウンならではの公園を見たいのであれば、オススメ度は非常に高い。
 

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これが湧水風小川を生成中のポンプの勇姿。
 
話がそれたが、本当の源流は公園から外に出る殺風景な溝みたいなところから始まる。

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まあ「家から近いから」という理由で選んだ川の始まりなんてこの程度だろう。ここから多摩川に向かって歩いていこう。
 

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上流だと水量が少ないが、このように、近くの雨水を集めて少しずつ流れが太くなってくる。
 
10分ほど歩くと、暗渠になっている中沢川と合流する。
下の写真の手前が中沢川で、右がわれらの乞田川。奥に向かって流れている。

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近くに「落合」という地名があるが、この合流地点を指していたらしい。今の落合は多摩センター駅の近くで、この落ち合っている場所は鶴巻になっているが、そのへんの詳しい経緯までは調べきれなかった。
 
その合流地点から遊歩道が始まる。

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合流地点にはベンチがあり、ここに座って「合流してるなぁ~」と感慨にふけるのもよい。
 
ふと周囲の建物に目を遣ると、きぬた歯科。
マンションにダイレクトに書いてあるのは珍しいのではないだろうか。

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乞田川の鳥は、鴨と鳩とカラスくらいしかいないのだが、no鳥でもいいやと思っているので、鴨が寝ているところなどを撮れてラッキーと思った。

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夢いっぱいのくつろげるゾーンに突入

多摩センターに近づいてくると、桜並木ゾーンに入る。

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そして、より川に近いところを歩くこともでき、何箇所かで川岸に出ることもできる。
 
とくに、多摩センター駅のすぐ北あたりは、蔦が成長しすぎていて壁のようになっていておすすめ。

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このあたりでお弁当などを食べることも不可能ではないのだが、ただ、「一組だけ先客がいる」という状態が多い。何組も人がいるか、まったく無人なら気兼ねしなくていいのだが、一組いるなかで一人で参入するのは、なんとなく気まずいので、実際あまりお弁当を食べたりしたことはない。
 

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そして、この小さな川、よくわからないが一級河川なのであった。
そのわりには名前が消えているが……。
 
多摩センターと永山の中間地点では、流れが緩やかになって、葦が生えている。

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この川で一番好きなところである。
 

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川沿いの遊歩道では、近所の人たちが花を植えていて春~夏はかなり賑やか。
 

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永山に近くなってくると、整備されてきて、高低差が大きなところは魚道のようなものが作られている。
 

f:id:kokorosha:20200429073156j:plainこのあたりは見晴らしもよくて、ニュータウンという語のイメージがしっくりくるが、整備されすぎていて、もうちょっと野放しな感じにしてくれてもいいのにな、とも思う。

 

f:id:kokorosha:20200429073202j:plain子鴨たちが媼にパンの耳を与えられていた。

 

f:id:kokorosha:20200429073214j:plainしかしカラスが登場し、ほとんどすべてを器用に奪っていった。

 

f:id:kokorosha:20200429073208j:plainこの子は収穫なし子……。

 
永山の手前で桜並木はなくなるのだが、そのあとは適宜、ハナミズキなどが植えてあって(源流から歩いていても)飽きない。

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聖蹟桜ヶ丘近くの大栗川との合流地点に近くなってくると、最初見たときと比べるとかなりの川幅になっている。
源流の写真を見ながら、「あの子がこんなに大きくなって……」と感慨にひたるのもいい。

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夢にまで見た大栗川との合流地点

ここが合流地点。

f:id:kokorosha:20200429214011j:plain奥側が大栗川だが、いままで乞田川沿いを歩いてきたせいで乞田川の肩を持ちがち。

「なんか大栗川の水が濁ってるねぇ……」と思ってしまうのであった。
 
乞田川はここで終わり、大栗川になるのだが、せっかくなので多摩川に合流するところまで見届けていこうと思った。

f:id:kokorosha:20200429073244j:plainいい風景かどうかは措いて、大栗川に合流してすばらしい太さに成長していることはたしかである。

 

f:id:kokorosha:20200429073250j:plainこの謎ゾーンは大栗川と多摩川の中洲にあたる。

 

f:id:kokorosha:20200429073256j:plainテトラポッドの墓場のようである。

 

クライマックスに向けて地味な諸施設が姿を現す

さらに先を進むと、多摩川との合流地点。多摩市市立交通公園がある。

f:id:kokorosha:20200429073308j:plainここで交通ルールを学んだりできるらしい。

 

f:id:kokorosha:20200429073302j:plainプロトタイプみたいな信号がかわいらしい。

 
そして、さらに先には野鳥観察小屋がある。

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f:id:kokorosha:20200429073318j:plainじっくり観察してやろう……と思ったのだが、わたしがここに身を隠して観察していても、ほかの人類が外にいるから、意味はなさそうである。この小屋が目的通りに使われたことはないのかもしれない。

 
そして、まだここで多摩川とは合流してはいないので、奥に進む。

f:id:kokorosha:20200429073330j:plain大栗川を見て「大河だなぁ」などと思ってしまったが、多摩川のスケール感に圧倒された。

さんざん整備されてはいるものの、大自然を感じてしまったのだった。
 

f:id:kokorosha:20200429073335j:plain歩いても歩いても先が見えず、本当に合流するのかと思うし、石の大きさがまちまちでで非常に歩きにくい。

 

f:id:kokorosha:20200429073341j:plain大栗川、ここにきて、対岸が粘土むき出しの崖になっていて不気味である。

 
ここが合流地点。

f:id:kokorosha:20200429073347j:plain釣り人がいたのでここで撮影するにとどめた。

もうちょっと近くで見たかったけど……。
 
乞田川というか大栗川の終わりをたしかめて幾分落ち着きを取り戻したので、せっかくなので、大栗川と多摩川の比較をしてみた。比較といっても匂いを嗅ぐだけだが。 

f:id:kokorosha:20200429073324j:plain大栗川はその見た目とは裏腹にほぼ無臭だった。

 

f:id:kokorosha:20200429073353j:plain多摩川はビューティフルな見た目なのに、いかにも処理しました的な匂いがした。

 
それもそのはず、乞田川・大栗川が流れる八王子市、多摩市の下水は、この煙突の先の処理施設で処理され、多摩川に流される。つまり乞田川と大栗川には処理水が流れていない。いっぽう、多摩川はこの時点で処理済みの水が流れてきているので、特有の匂いがする。東京湾と同じ匂い。
 
じゃあこの匂いが嫌かというと、そうではなくて、都会の匂いとして、風情を感じる。
 
 
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源流のような場所から約2時間で多摩川との合流地点に着いた。
これで乞田川のすべてを知ったという満足感がある。いちばん近くにある川の始まりから終わりまで見たという体験は、思いのほか日常に魂の平安をもたらしたのだった。
これをお読みになった方も、近所にちょうどいい規模の川があったらぜひ実践してみていただきたい。