ココロ社

主著は『モテる小説』『忍耐力養成ドリル』『マイナス思考法講座』です。連絡先はkokoroshaアットマークkitty.jp

友達がいない人の特権的エナジードリンク「くさチャイ」の製法と味と効能について

話が長くなるので最初に製法についてまとめておきます。
 
【材料】
牛乳:200cc
砂糖:大さじ4杯
紅茶:10グラム
クローブパウダー:大さじ1杯
シナモンパウダー:大さじ1杯
生姜:20グラム
にんにく:20グラム
 
【製法】
①牛乳・砂糖・紅茶・クローブパウダー・シナモンパウダーを鍋に入れて、弱火で7分温める
②①の間に、生姜とにんにくをすりおろしておく
③生姜とにんにくを鍋に入れて混ぜ、2分温める
④茶こしを通してカップに注ぐ
⑤うへっ……なんだこの飲み物は!

 

~~~ 

 
先月、「海外のセレブの間でバターコーヒーが流行している」という話題がわたしの脳に届けられた。痩せたり集中力がアップしたりするなどの効果があるそうである。集中力は本当かなと思わなくもないが、痩せたら腹の肉が視界の端でチラつくこともなくなるだろうから集中力はおのずとアップするということなのかもしれない。
 
もしかするとあなたは、「先月バターコーヒーを知ったとは、キミはどれだけout of dateなの」と英語まじりにわたしのことを嘲笑するかもしれないが、わたしがバターコーヒーの名を網膜に映したのは2年以上前なので、あなたが思うほどout of dateではないはずだ。ただ、網膜から脳まで到達するのに少々お時間をいただいてしまったことは認めざるをえない。通常の情報なら、網膜から脳に到達するのは一瞬のことだが、そのとき、バターコーヒーを愛飲しているという「海外のセレブ」という文字列に意識を占有されてしまい、バターコーヒーの情報そのものは網膜と脳の間にある踊り場のような場所に放置されていたのである。その踊り場には今もなお、ピェンローやメイソンジャーサラダなどが桐の箱に入って大切に安置されているのだが、それはともかく、「海外のセレブ」といわれて想起するのは、ミック・ジャガー、マイケル・ジャクソン、マドンナ、シルベスター・スタローン……中には他界してバターコーヒーがなくてもわりと大丈夫な状況になっている方もいるほどで、30年間ほどアップデートがかかっていない状況である。これでは、若者は言うまでもなく、中年同士の会話にも支障をきたしてしまう。たとえばミック・ジャガー先生にあらせられましては、73歳でも子を成しているので、まだまだ健康だと推察しているが、「海外のセレブ」の持ち駒がこの30年で増えていないのはたいそう心細い。あとひとりふたり、「海外のセレブ」を銘記しておきたいのだが、それがシャバからいなくなったり天に召されたりするたびに覚え直すのが面倒なので、品行方正かつ若めのセレブがよいと思い、ホーム・アローンに出ていた子役の子はどうだろうと思って「ホーム・アローン 子役 現在」で検索したが、シャバにはいるものの、名前が長くなっていて覚えるのが困難だし、苦労してそれを覚たところで、この先セレブでい続けてくれるのか不安が残った。仕方ないので、わたしの把握しているもうひとりの子役、「レオン 子役 現在」で検索し、「ナタリー・ポートマン」という、少なくともわたしが死ぬまでの間はセレブの地位にいそうな方の名前を覚えた。彼女はもはや子役ではなかったので驚いて、思わず「ナタリー・ポートマン ヌード」で画像検索をしてしまったのだが、その結果報告は措くとして、わたしは「海外のセレブ」と言われたときに、それなりに最近のセレブを想起できるようになったのだった。
このように海外のセレブについて考えていたせいでバターコーヒーそのもののことをすっかり失念していたのだが、満を持してバターコーヒーについて考えてみたいと思ったのが先月の話。せっかく覚えた海外のセレブには失礼かもしれないというか、わたしの把握している海外のセレブが実際にバターコーヒーを飲んでいるかどうかも知らないが、カフェインと油脂が入っていたら、そりゃあいい感じになるに決まってるジャンという感想を持った。
 
そもそも、わたしは長年にわたって、紅茶の不甲斐なさをどげんとせんといけんよ……とニセ宮崎弁で思い続けていた。以前、友人がイタリアに旅行に行ったとき、神父たちが紅茶を片手にトランス状態で語り合っているところを見たという話を聞いたのだが、そういうことである。どういうことかというと、紅茶は本来、優雅でおしゃれな飲み物というよりも、そのカフェインの効能から、ドラッグとしても愛飲されるべきであるということ。しかしながら、ソフトドリンクの中でのドラッグといえば、もっぱらコーヒーであり、紅茶愛好家の方々には、あなたたちやられっぱなしでいいの?と反語を飛ばしたくて飛ばしたくてうずうずしていた。そんなところに届けられたバターコーヒーのお知らせ。弊ブログをご覧になるのが初めての方でも、わたしがどれだけショックを受けた想像がつくはずである。
 
……などと前置きが長くなったが、まとめると、「紅茶をベースにしたドラッグのようなソフトドリンクの開発が急がれている」という話。以前、茶葉の量を限界まで増やしたロイヤルミルクティーを試作してみたのだが、大量のミルクと砂糖を以てしても、渋くて飲用不可だったので諦めたことがあった。少なくとも、茶葉を増やすという方向には限度があることを知った。ここでカフェイン濃度を高めていくことでバターコーヒーを凌駕しようという作戦はほぼ終了してしまった。
 
しかし、そのあと思いついたのが、もともと体があたたまるとか、スパイスでシャッキリするといわれているチャイをKAIZENする形。スパイスはそのまま入れて煮こむより、パウダーをそのまま入れた方が早いし効能があるとすれば煮出したエキスだけでなく、本体もそのまま味わった方がよい。まずこの点を従来のチャイからのKAIZENとする。
 
そして、チャイにバターを足すことも考えたのだが、すでにミルクを足しているので、味としても効能としても重なってしまい、適切でない。
うーん……と思ったが、ふと、ニンニクがあるじゃないか、と思った。ニンニクが甘い味なのはどうなのかと思うかもしれないが、「ニンニクのグラッセ」という、極めてアウトサイド寄りなデザートもなくはないので、試してみる価値はあるだろうと思ったのである。
 
以下、写真をまじえた製法を記させていただく。
 
 
【材料】
牛乳:200cc
砂糖:大さじ4杯
紅茶:10グラム フレーバーティーを使うと、より味がややこしくなるのでおすすめ。先述のとおり、茶葉を増やしすぎると、苦いというより渋くて飲めないので、10グラムが適量だと思う。
クローブパウダー:大さじ1杯
シナモンパウダー:大さじ1杯 これは五香粉に代えても中華風になって楽しい
生姜:20グラム
にんにく:20グラム
 
【製法】
①牛乳・砂糖・紅茶・クローブパウダー・シナモンパウダーを鍋に入れて、弱火で7分温める

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見た目、ややグロテスクだけれど、味もグロテスクなので期待して作っていただきたい。

 
②①の間に、生姜とにんにくをすりおろしておく
 
③生姜とにんにくを鍋に入れて混ぜ、2分温める
ここで、火を止めてから生姜とにんにくを入れてしまうと、いくらなんでも臭すぎるし、生のにんにくは体によくない(実際のところ、生のにんにくを食べすぎておなかを壊して寝こんだ経験あり)ので、友達がいなくてもここは加熱しておきたいところ。
 
④茶こしを通してカップに注ぐ
200ccの牛乳を使っても紅茶に吸われたり蒸発したりで、できあがりは100cc強といったところ。ただし濃厚なので、100cc以上飲みたいという気分にはならないので安心してほしい。
 

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エスプレッソ用のカップやショットグラスがあれば、使ってみると気分が出る。何の気分かはわたしにもわからないが……。
 
飲む前に、まず、目の覚めるような匂いがする。複雑かつ強烈。
飲んだら、口の中がにんにくで満たされる。材料を見たらわかると思うけれども、重量で換算すると、ニンニク10%にはなる清涼飲料である。清涼なわけなかろうが……。
 
味はどうかというと、おいしいことでおなじみのユンケルをさらに豊かにしたような味で、わたしは大好きである。味が濃いので一気に飲めず、ちびちびいただいた。また、インパクトが強すぎて、お茶請けなどはまったく必要ない、というか、飲んでいると喉が乾いてしまうので、むしろ自らが液状のお茶請けとなっているので、口直しにジャスミン茶とともに召しあがるのがよいかもしれない。
飲み終わった直後は、しばらく飲みたくないと思ってしまうのだが、翌日になると、また飲みたくなる不思議な味。何よりも、効能が顕著だった。飲んで2時間くらい経ったら体の疲れが消えており、倦怠感も一掃されていた。20時ごろいただいたのだが、翌日の朝の目覚めがスムーズで、いままでにない感覚である。体の各機能が底上げされているような不思議な感覚になる。そして効果は翌々日にまで持続しているように感じる。
 
ただ、大きな欠点がある。やはり大変臭い。ミルクで煮こんだが、帳消しになってもなお残る圧倒的な腐臭。わたしは友だちがほとんどいないため、どの程度匂っているのかはわからないが、自覚できる程度に臭いということは、第三者が嗅いだら、かなりの悪臭を放っている可能性が高い。翌日誰にも会わないと決まっているときのみ、飲むことを自分に許可しているし、バターコーヒーを出社前に飲むのに比べ、くさチャイは仕事(=人と会う)が終わってからしか飲めないので、仕事上の生産性アップにはまったく寄与しないのであった。
 
 

究極の神道建築はピカピカすぎて、神様がいると思えない

昨年の天皇の代替わりには大して興味はなかったのだが、平成のはじまりのころはネガティブな関心を持ち、それなりに行動していたことを思い出すと、30年という時の長さを想う。それはともかく、あるときFacebookでマイフレンズが載せていた大嘗宮の写真があまりにも不思議だったので拡大して見、それでも気持ちがおさまらなかったので、長時間並ぶことを覚悟しつつ、大嘗宮の公開の最終日に、大嘗宮の様子をたしかめに行ってきた。
 
特に気になっていたのは鳥居である。黒木造という、かなり古い様式で作られているのだが、プレイステーション3(初代でも2でも4でもなく)に出てくる木のように、低ポリゴンの立体にテクスチャーをベタっと貼ったようなビジュアルに感動し、ぜひ実物を……と思ったのである。
 
行ってきたのは公開最終日。大嘗宮は急ごしらえなわりに広大で、列をなして移動する間に、少しずつ有利な場所に移動し、全体をおさめることができた。

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遠くから見ても、曲線は見当たらず、シンプルで、「概念」という印象を受ける建築である。
お目当ての鳥居。

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スマートフォンで人が撮ったのを見ていて、カメラにもよるのかなと思ったが、フルサイズ機で撮ると、いっそうプレイステーション3である。
 
この儀式が古くから続いていることや、造形がたいへんユニークで実物を見ることができてよかったとは思うものの、ここに神がいることなどを説得するための建築がこの佇まいなのか、と驚く。
三浦半島で見た手すりに似ている。

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そして鳥居以外もなかなかプレイステーション3だった。

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vaporwaveみたいだとも言えるかもしれない。

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なお、令和の大嘗祭から茅葺きの屋根が板葺きになった建物やプレハブに変わった建物もあるなど、驚くべき仕様変更が行われていて、数十年でそんなに変わるのなら、いままでもさんざん変わってきたに違いない。
 

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仕様変更のなかった鳥居についても、より原木に近くすれば、木の精の存在感が感じられ、同時にここに神ありと信じることができたかもしれないが、あえて枝が存在しなかったかのように精巧な加工が施されていて、むしろ伝統を感じさせなくしているようにも見えてしまう。
 
伊勢神宮の式年遷宮の様子を見に行ったときも似たような気分になった。

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柱がピカピカで、歴史が感じられない。もちろんこの鳥居そのものは建てられたばかりなので、歴史も何もない。神が大昔からずっとここにいて、20年ごとに住まいが変わるだけだということは承知しているが、新しいところに神がいると信じるのが難しい。
 

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「朽ち果てている場所には神はいない」という考えでそうしているのだろうし、この圧倒的な数の参拝者たちのほとんども、このピカピカの建物の中に神がいると信じ、畏怖したり、何がしかのご利益を期待したりしているのだろうけれど、わたしはただ建物を見に来ただけの異邦人であり、同じ場所にいながらすばらしい断絶が感じられたのだった。
 
なお、新旧で共存しているタイミングを狙って見に行ったので、古い―といっても20年だが―経っている方には神がいるかもしれないという気がしなくもない。

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あるいは、特に有名ではない末社のペンキで塗った鳥居でも、数十年経ってみると風格のようなものが感じられ、神がいそうな気もする。

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自然物の姿を想像させたり時の流れを感じさせたりするものには説得力を感じるが、わたしにとっては、ピカピカした木たちに伝統を感じたり神がいると信じることが難しい。大嘗宮は古代の黒木造で、伊勢神宮に至っては「唯一神明造」という少年ジャンプに出てきそうなくらい絶対的な建物のはずだけれど、組体操大好きペアレンツの感性と同じくらいの隔たりを感じる。組体操大好きペアレンツは同時に、ピカピカした木に神を見出すことができているのかもしれない。
 
わたしは、神道の国、日本に住むものとして必要なトレーニングが足りないのかもしれないと思うが、この違和感も含めて楽しいと思っている。
 
 
 

真冬こそ東京湾……春になる前に行く「ふなばし三番瀬海浜公園」の圧倒的魅力

冬のお出かけといえば、手堅く、博物館や温室のある植物園などに行く……わたしもそう思っていたのだが、晴れた日に行くシーズンオフの東京湾が素晴らしいことを発見し、すっかり魅了されたのでここに報告させていただきたい。
 
ある日、適当に東京湾の地図を見ていたら、地図上で見てもそんなによさそうには見えない地点に絶賛コメントがついていた。
海を満喫できるらしい。その場所は「ふなばし三番瀬海浜公園」である。写真を見る限り、潮干狩りの時期に行くと大変そうなので、冬がよさそうだ……つまり今。
東京ディズニーランドがある舞浜駅から3駅の二俣新町が最寄り駅である。車で行って近くの道路に違法駐車するのが流行のようだが、駅から徒歩だと30分。工業地帯をひたすら直進する感じが楽しいので、個人的にはあっという間だったが、二俣新町駅や船橋駅からバスも出ているようである。
 
駅を降りて東に歩き、信号をひとつ越えたらあとは南下するだけ。信号を越えないまま南下することも可能だが、風景が退屈なので越えておくことをおすすめする。

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落書きがお行儀よくて、進学校の不良ってこんな感じだったよなと思った。
進学校の不良はけっこうモテるので進学校在学中はイライラしていたが、最近は落ち着いている。
 
しかし、ゴミについてはちょっとひどい。

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最初は環境破壊を憂いたりもした。
……が、だんだんゴミを見るのが楽しくなってきくる。
昔のテレビなどがあると、ブブブブラウン管!!!と興奮してしまうのだった。

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テレビに名前が書いてあって、所有権を主張したいほど、かつては魅力的だったのだなぁと感慨にふけってしまう。
 
道路沿いの工場の多くは神戸製鋼関連で、グループの巨大さを感じることができる。
 

f:id:kokorosha:20200207191348j:plainまっすぐすぎて、来た道を振り返ると消失点みたいになっていて笑ってしまう。

 
このルート中で唯一拝めるザ・工場みたいなのは、「日本メラサイト工業」という、コンクリート用の骨材の会社。

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緑と高度に共存していて、これだけでも来てよかったという気分になる。
 
新港大橋は名前のとおりスケールの大きな橋であり、渡るだけで満足感がある。

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このへんで深呼吸すると、いかにも処理された水ですという匂いがする。

 

公園の隣はごみ焼却場で、ただいまアネックスみたいなのが建設中。

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手前がアネックスなのだが、最近は焼却施設にデザイン性みたいなのは不要と思っているのかしら……ぼくは要と思うけど……。
 
公園に到着して、ずんずん海に向かって歩くと、突然視界が開けてくる。

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想像以上のスケール感のある干潟が現れて感動……。
潮干狩りのシーズンに行くと、人が多くて窮屈に感じるはずだが、冬の、さらに午前中だと人がほとんどいない。
 

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あちこちに穴が開いていてアサリなどがいると思われる。
余命おそらく3ヶ月だが、春が来るまで胸いっぱいにプランクトンを吸引するがよい……。
というか、「東京湾」として想像していたよりずっと透明度が高くて戸惑った。
 

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波の跡がなんとも艶めかしい。潮干狩りシーズンだと、ちびっ子たちの足跡がびっしりつくから、きっと今だけの風景である。
 
打ち上げられたクラゲが多数。

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東京湾のもっとも奥の地域になるが、見晴らしは大変よい。

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「見晴らしがよい」の定義が「遠くに煙突やコンビナートが見えること」でごめんな……。湾内なので、おそらく見えて横須賀くらいまでかなと思うけれども、じゅうぶんなスケール感だと思う。


3階建ての展望スペースみたいなところからだと、富士山がよく見える。

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手前にあるのは葛西臨海公園の観覧車。
 
豪華客船みたいなのはないが、豪華積み荷船みたいなのは用意しております。

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部分的に沖縄のようになっているところもあり。

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なお、この上の廃品たちを遠くから見ると、「早く逃げて~」と言いたくなってしまう。

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冬、ここに来る意義は、上記のように、人が少ないこと、雲が少なくていい写真が撮れること……なのだが、もうひとつ重要な意義がある。越冬のために地味な鳥が大集合しているのである。

f:id:kokorosha:20200206202638j:plainオオバンたち。

波打ち際に集合してモリモリ何かを食べていたのだが、まったく何かわからず……。
 

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個人的には「ザ・工業地帯みたいなところでたくましく生きる鳥たち」的な構図が大好きである。

 
 公園の東の端には防波堤があり、絶好の鳥写真スポットになっている。
とくに沖の方には鳥たちがお行儀よく種類別に分かれて留まっていた。

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種類別に分かれる意味があんまりよくわかっていないのだけれど、お互い気に入らない鳥についての愚痴などを言ってスッキリしたりしているのだろうか……。
  
冬の鳥たちは概ねモコモコしていて愛くるしい。
ここにいる中でもっとも可愛らしいのはシロチドリ。(id:achakeymさん、ご指摘ありがとうございます!)

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シギ的なのは単体で見ても愛らしいのだが、集合していると最高である。

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風が吹いているとくちばしを隠すのだが、そこで純度100%のかわいい物体と化すのであった……。

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なお、すべての鳥が可愛らしいとは限らない。
ミヤコドリだけは、くちばしがあざといぐらいに大きくて赤いのでかわいらしさ控えめ。わりかし遠くから越冬のために来てくださっているようなのだが、すなおにwelcomeと言えない。

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くちばしを隠していると多少緩和された感じがあるが、黒っぽくて同じポーズをとっているとファシズムっぽさが醸成されもする。

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シギ的な存在がクラゲを食べていた。

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「食べ放題なのはいいが無だな……」と思ったのか、すぐ立ち去ってしまった。
中華料理のクラゲはおいしいと思うんだけれど、味付けをしていなかったら人類も同じ反応になるのかもしれない。
 

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公園内では、テイクアウトできる軽食の店がある。ケバブ・カレーの店があるのだが、対費用効果を考える集団のようで、冬季はクローズ中。軽食の店は土日祝は開いている。
 
どないしよかなと思って歩いていると、通行人にアピールしているのか、していないのかわからない店を発見。「レザミ」というお店である。

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この屋根、もしかして上空から見てもらうことを想定しているのかしら……だとしたら、すばらしい志である。
 

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「軽食の店で軽く食べない」という特殊な性癖を持っています。
ちなみにナポリタンはレンジでチンする感じではなく、ジュージュー焼いていた。ピザもナポリを想ったりすることはないが、幼き日に食べた味がして、満足度が高い。
ドリンクバーを頼んで、いろんなジュースを吸引した。
 
 
 
わたしはこの公園で3時間ほど過ごした。わかりやすく表現すると中年男性のためのディズニーランドである。
丸一日いられるところではないが、東京駅までは徒歩30分&電車30分なので、昼すぎまでいて、午後は都内で買い物などでもいいかもしれない。日差しを遮るものがないので、冬でも暖かさが感じられた。来年も行くと思う。
 
 
 
 

電子音楽を中心に、2019年に聴いた音楽、ベスト10曲

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いまわたしの家のターンテーブルの上は荷物置きになっていて、だいたいスマートフォン&ヘッドフォンで音楽を聴いていた。
サブスクリプションサービスが音楽コンテンツ売上げの半数を超え、CDがなくなるどころかダウンロード販売も風前の灯……という状態だが、わたしはといえば、相変わらず物理メディアやダウンロードでコンテンツを調達した一年だった。ある程度マイナーなリスナーにとっては、新しいビジネスモデルの恩恵を受けることもあまりないのかもしれない。
 
去年は、Beatportで"Leftfield House&Techno"というジャンルの新譜を片っ端から聴いて、気に入ったものを買ってきたのだが、特に解説が書いてあるわけでなし、ただ音と向きあって自分にとってのよしあしを判断するしかなかった。それだと、第一印象がよいものしか聴かなくなってしまって、必ずしもよいとはいえないので、今年は音楽を耳にするルートを意識的に変更していく必要があると感じている。
 
ただ、そのなかで選んだ10曲は、個人的には絶対おすすめで、なるべく聴けるようにしてみたので聴いてみていただければありがたい。
 
 

◆Vaporwaveを豪快に履き違えたのかもしれない時代遅れの珍作

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I Need U / 2IAC (Childsplay)

まずジャケットにあきれた。このレーベル、どれもフリー素材をそのまま重ねているだけで、よく見たらフリーではない素材も使っていたりして大丈夫かと思う。もしかしたらVaporwaveみたいにしたいが根本的にわかっていないのかなと思ったりもしたのだが、音楽の方は、90年代っぽいハードなテクノのうえに、80年代半ばに一世を風靡するしたStacey Qの"Two Of Hearts"のイントロがサンプリングされている。

 「こんなものを喜んで聴くなんてどうなの」と言われたら何も言い返せないが、2019年にもなってこのような音楽を新譜として聴けることは個人的には大変ありがたい。
 
 

ニューウェーブ臭のするズーク再発盤

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Kwen Pe Ké Pé / Feeling Kréyol  (Strut)
ジャケットを見ただけで名盤とわかるが、オリジナル盤のリリース年は不明で、2018年の暮れにアルバムがStrutから再発。フランス領クアドループの3人組のズークユニットで、同じ地域で有名なのはKassav'で、アルバムのほかの収録曲はそんな感じだけれど、この曲限定で不思議なニューウェイブ臭がする。


Orange Juiceが骨太になった感じで他では絶対聞けない。

 

◆遠くで絶叫しているがダンスミュージック好きには優しいゴシックパンク

Blood Solstice / Gorsedd FM (Clan Destine Records)
カセットとデジタル配信のみのアルバム"NOS WYL"に収録。
ノリノリのドラムと薄暗いギターで始まったと思ったら後半のコーラスで絶叫していて笑ってしまった。こういう音楽はほかにもあるのかもしれないが、ふだんこういうゴシックパンクみたいなのは聞かないのだが、ちょうどこのアルバムはクラブ寄り(?)なので、アンテナに引っかかってきて、出会いに感謝している。
ロックンロールに悪意やら暴力を期待してしまうのは自分が中年になったからで、実際のところ、最近の若者は昔の若者よりもはるかにお行儀がよい、ということは認識しているつもりである。
 

ドトールで今さら出会った、AORのマスターピース

Answering Machine /  Rupert Holmes (MCA)

ドトールですばらしい曲がかかっていると思って検索してみたら1979年リリースのビルボードヒット曲だった。アルバム"Partners In Crime"に収録。あまり聴いたことのないジャンルでの定番に出会うと突然すばらしい品質の音楽を耳にすることになるので強いカルチャーショックを受ける。

この曲、聴けば聴くほどすばらしい。電話をかける音を楽器のように聞かせるし、歌詞のほとんどが留守番電話の定形メッセージ。これがラジオで流れまくっていたと思うとゆかいな気分になる。
 

◆タイトルに尻ごみしてはいけない90's風味の傑作

Windows 85 / Andhim (Superfriends Records)


このユニット、ふだんは今様のテックハウスを作っていて、個人的にはアンテナに引っかからなかったが、ナメたタイトルとジャケットに興味を持って聞いてみたら90年代の、ロックバンドがハウス的なアプローチを始めたころのハウス……といった趣ですごくいい。細部がぬかりなく最初から最後まで最高に楽しい。リミックス盤も出たみたいなのでそこそこ売れたのかなと思うのだけれど、また同じ路線で出してもらえないかと思っている。

 
 

小林麻美先生の最高にセンシャルなアーバンポップ

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飯倉グラフィティー / 小林麻美
聴けるコーナーがなかったので文字だけで判断していただければ幸甚。
日本の歌謡ディスコを思い出したら検索みたいな感じで消極的に漁っているのだが、ふと「そういえば小林麻美先生って『雨音はショパンの調べ』しか知らないが、アルバムに収録されたオリジナル曲はどうなんだろう」と思い、ベスト盤のリストを見ると『板倉グラフィティー』を発見、群馬県の板倉、ぼくも大好き……と思ったら板倉ではなく飯倉で、東京都港区に飯倉という地名があること自体初めて知った。地図を見ると、飯倉にある建物の多くは「東麻布」と名乗っていて、それは東京ディズニーランドが千葉にあるのと同じ現象と思うが、当時は歌のタイトルになる程度にはハイソサエティだったようで、『雨音はショパンの調べ』より、生々しくてセンシャルでよほど名曲だと思う。なお、この曲を含むアルバム『Grey』はすべて作詞はすべて松任谷由実先生が手掛けていて、当時どれだけ期待されていたかが窺い知れる。
 
 

◆ジャケットに尻ごみしてはいけない90's風味の傑作

 Wonky Wonky Wonky / Passarani (Numbers)

2017年のリリースを今さら発見した。指紋に顔を描いていてひどいジャケットだが傑作。年代で表すならこれも90年代なのだが、当時もこういうブラックミュージックにまったく由来しないハウスみたいなものはなかなか出会えず、残念に思っているうちに2000年をとうに過ぎてしまった。
この路線、円熟する前に文化が廃れてしまったが、今後もっと追求していただきたいと思うのだが、どうやら単発でのリリースで、ユニットとしてこの路線を追求するつもりはなさそうで残念。
 
 

◆圧倒的な世界観で今後すべてのリリース必聴

Creation Discoteque / Thunder Tillman (ESP Institute)
構成力抜群の無国籍民族音楽。10分超の長さだけれどあっという間に聞き終わってしまう。
このユニットのことは昨年初めて知ったのだけれど、過去のリリースも抜群によかった。今年出会えたユニットで新しいのはこれくらいだった。
この曲のプロモーションビデオはないが、別の曲で、卓越した音楽性がわかるビデオがあるのでぜひご覧くださいませ。
 
 

◆Red Axes ✕ ベトナム = 最高


Ho Chi Min / Red Axes (!K7)

Red Axes世界の旅シリーズの第2弾のベトナム編。第1弾はアフリカ編で、そちらは手堅すぎてあまり印象に残っておらず、第2弾はアジアのどこかにしておくれ……と思っていたら、期待を遥かに上回っていたので驚いた。ビデオもたいへん楽しい。
ポップミュージックもグローバル化が進展して、どこまでがオリエンタリズムでどこからがポリティカリーコレクトなのかがよくわからないのだが、これはアジアの音楽を本気でダブ化していて最高に気持ちがいい。少なくとも音楽の領域においては欧米はマイノリティの文化を取り入れない限り延命はできないのだから、文化の盗用云々のレベルはとっくに通り過ぎていると思う。
 
 

◆今聞いても圧倒的な情報量に驚くハウス草創期の傑作

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I Am The Dee Jay / Z-Factor feat. Jesse Saunders (P-Vine)
この曲も聴けるコーナーがなかったのでジャケットの写真のみで……。
初めてのハウスミュージックとして知られるJesse Saundersのユニットで、彼の初のアルバム=はじめてのハウスのアルバムの"DANCE PARTY ALBUM"に収録。LP盤としては再発されていたのだけれど、今になって初のCD化、しかも日本リリースで、ハウスの草創期をなるべく高音質で体験したいという矛盾した欲望が芽生えて購入した。
聴いて改めて感じるのは、ハウスミュージックは初期段階でほとんど完成していたということで、特に"I Am The Dee Jay"は、アシッドハウスのようなレゾナンスの効いたベースや、ヒップハウスのような適当なラップが絡み、サビはガラージュのようで、すべての要素が提示されていたという事実を確認することができた。
それぞれの要素はハウスの派生概念として成長していくのだが、すべての要素が詰まったこの曲のコンセプトの強さは抜群で、歴史的資料というだけでなく、頭に残ってしまって、「今ごろ何を聞いてるの」と思いつつ、何度も何度も聴いてしまった。
 
 
 
 
去年は、ジャンルやミュージシャンなどで掘り下げていけるようなタグをうまく見つけられなかったのだが、見つからないのかそもそも存在しないのかはわからないが、努力していい音楽を探していこうと思う。
 
 
 

S・M・Lが紛らわしすぎて疲れ果ててしまった

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タイトル以上の内容を何一つ書かないことを最初に誓っておくけれども、S・M・Lで限界に達した記念として記す。

S・M・Lによる神経衰弱。たかがS・M・Lの話ではないかとふつうの人は思うだろうし、わたしもそう思っていた。S・M・Lを使うのは週に1回か2回なのだから、少々のことには目を瞑っていればいいじゃないかと思って過ごしてきたけれど、もう泣き寝入りはしない。もし泣き寝入りするにしても、就寝前にストレッチをキメて安眠を図りたい。
 
初めてS・M・Lのうちひとつを自らの主体的な意志によって選択し、それを発音したのはおそらく小学5年生のころである。このS・M・Lの体験は、平成生まれの若者の感覚からすると少々遅いのかもしれないが、昭和生まれのS・M・Lの開始年齢としては、むしろ早い方であると確信している。わたしは「ススんでる」小学生だったのである!
昭和生まれの者は、初潮や精通の前ではなく後にS・M・Lの経験がくることが普通である。なぜならアルファベットを習うのは中学校に入ってからだし、S・M・Lという概念を持つ店に小学生だけで入る機会も少なかったからで、中学校にあがる前は、自分が食べる量を把握している保護者が、S・M・Lを本人の代わりに判断してオーダーしていたのだった。
 
はじめてわたしがS・M・Lを選択し発音したのは、1983年の5月ごろと思われる。その、暗黒とはいわないまでも薄暗い歴史が始まったのは大阪・寺田町にある、アメリカ合「州」国からきたハンバーガーチェーンの店からで、そのとき塾で仲よしだったシマダくんと行った。おそらくそのときのわたしは、「いい大学に行ったら毎日こういうお店に行けるのだろうな」と漠然と夢想しながら勉強していたに違いないのだが、実際のところ、いわゆる「いい大学」に行くような成績およびライフスタイルの持ち主は、むしろ「こういうお店」を好まないことはご存知の通りである。シマダくんはそのあと中学受験に失敗したと風の噂で聞いたのだが、おそらく同じ風の噂でわたしもまた中学受験に失敗したことをシマダくんは知ったはずで、わたしがそのあとその失敗を糧としたりしなかったりして何とか暮らしているのと同じく、シマダくんもその底抜けに明るい性格でゆかいな日々を過ごしているに違いない。
わたしはこのハンバーガーショップ以外で食べ物の大きさを選ぶことをすでに経験していたのだが、それはタコ焼き屋で、「8個」「12個」「16個」などと具体的な個数を指定するにとどまり、「S」「M」「L」というアルファベットを介した抽象概念とは大きな隔たりがあったので、私的には、人類が火の利用を覚えたときと同じくらいのインパクトだったことだろう。わたしは小さなことにもくよくよする性格なので、S・M・Lについて、もし小学5年生で、「エル」と発音したのに小さな飲み物がきてしまうなどの挫折をしていたなら、一生その店に行けないと誓ったはずだが、わたしが今この文章をそのハンバーガーチェーンの店で書いているところから推測されるのは、若いころのわたしは、幸運なことに、S・M・Lについてトラウマになるような悲劇に遭遇することはなかったということである。ただしそれは、自然にそうなったのではなくて、わたしや店員の継続的な努力の賜物に他ならない。つまりわたしはS・M・Lを選択するにあたって、口を大きく開けて、「エス」「エム」「エル」の、それぞれ「ス」「ム」「ル」を可能な限り明瞭に発音するよう努め、そのいっぽうで店員は「エ」のあとに来る音が何なのかを全身を耳にして聞き取ってきたからなのだ。
 
そのように、都度、首尾よくS・M・Lを選択しえたのであるが、ファーストフード店や衣料品店などで毎週のようにS・M・Lを選択していくうち、わたしの精神は少しずつ摩耗していった。また、「ユーザーインターフェイス」という概念の浸透により、文字で命令を入力するほかなかったパーソナルコンピューターが、フォルダやファイルを視覚的な比喩で表現するようになり、わかりやすくなってきているのに、相も変わらずS・M・LはS・M・Lであって、これらの3つの音的に似通った記号を聞き分けられるよう明瞭に発音する刑にいまも処せられており、今年で懲役36年目を迎えるのだが、ほとほと疲れた。なぜ、リラックスする時間を提供するはずの喫茶店で、店に入るなり、明瞭な発音をするよう、声の調子を整えたりせねばならないのだろう。
 
―そろそろ刑期を終えたいという気持ちになり、先日、ストレスなく、S・M・Lについて店員と意思疎通する試みをしてみた。わたしは「M」をこよなく愛する中年男性である。LのダイナミズムとSのストイシズムを併せ持つ存在……それが「M」である。関西人の感覚に置きかえてみると、Mは、SとLのミックスである。そんな魅力的なMであるが、わたしはそれを「エム」と呼ぶのをやめてみたのだ。
 
(1)「ミディアム」と発音→意味が通じなくて聞き返され、「エム」と言い直しの刑
S・M・Lと略するのではなく、それぞれ正しく発音すればいいのだろうと思い、「ミディアム」と言ってみたのだが、微妙な間ができてしまい、「エム」と言い直した。考えてみれば、店員は「エのあとにくる音がスかムかルか」に神経を集中させているところに、四次元から「ミディアム」という音波が耳に飛びこんできたら、おそらく立っているのがやっとのはずである。また、「S=スモール」、「L=ラージ」に比べれば、「M」は難しい。「M=ミディアム」は、FBIが何の略なのかと同じくらい難しいのかもしれない。
 
(2)「中くらいのサイズ」と発音→意味が通じなくて聞き返され、「エム」と言い直しの刑
わたしはいくつかのコーヒーショップで、「L」について、店員が「いちばん大きいサイズ」と表現しているのを何度も耳にしたことがある。店も店で考えた結果、「L」のもっともわかりやすい表現として使うようになったのだろう。「S」についても「いちばん小さいサイズ」と表現するのを聞いたことがある。そこから考えると、「M」は、「中くらいのサイズ」なのだが、これも通じなかった。台湾などの外国でも日本語が通じることはあるのに、日本で日本語が通じないというのはショックだったのだけれども、思い返してみると、「中くらいのサイズ」の「くらい」が曖昧でよくなかったのかもしれないと反省した。しかし、単に「チュウ」と発音してしまうと、とそれはそれで聞き返されるような気もするし、「並」などと言ったらなおさらだろう。
 
(3)メニューを指で押さえる→どこを指しているかわからなくて、「エム」と言い直しの刑
「エム」と発音しながら、「M」と書いてあるところを指してみたこともあったが、S・M・Lの間はそれぞれ数ミリの間隔なので指で示しても何の情報にもなりはせず、「エム」の発音に完全に依存する結果となった。
 
結果の出ない試行錯誤は少しずつ人の心を蝕んでいく。週に1回や2回のことであっても、小さなストレスが澱のように心にたまってきて、もうそろそろ限界である。考えてみるとおかしな話で、サイズを指定するための言葉のうち、50%(念のため書き添えておくけれども「エ」のことを言っている)は無駄な言葉なのである。昨今、生産性云々がよく話題にあがるが、これこそ生産性低下の本丸と言えるのではなかろうか。作られた食品は三割が廃棄されるという話を聞いたことがあるが、それと比較にならないほどの無駄であり、早々に「大」「中」「小」へと改善していただき、英語圏にも普及させるくらいの勢いでお願いしたいところである。
 
 
 

岩宿遺跡は、考古学に関係ない中年でも勇気づけられる名所だった

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最高に地味なタイトル画像なのに、弊ブログを見に来てくださってありがとう……。
 
 
日本の遺跡といえば、まず最初に挙がるのは岩宿遺跡。しかし、そこを訪れる人は少ないし、わたしも行ったことがなかった。わたしが岩宿遺跡の存在を知ったのは小学校の社会で、「日本のあけぼの」的な章で初めて日本人の文明の記述として出てくる史実としてだった。東京に暮らして25年経つが、「群馬県岩宿遺跡」と記憶してはいるものの、群馬県のどこにあるのか、そもそも、群馬県はどこからどこまでなのかもはっきり認識しないまま過ごしてきた。
少し昔の話になるが、「そろそろ岩宿遺跡を確かめないといかん」と意を決し有休をとったときの話をしたい。最寄り駅は岩宿駅でたいへんわかりやすく、その名前なら駅から遺跡まで近そうだなと思ったのが、問題なのは都内から岩宿までの道のり。同じ関東だから片道2時間程度なのかなと思っていたが3時間近くかかった。
 
岩宿駅はこじんまりとした駅だが、 大間々駅の名前で1889年開業。

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この電気関係の建物も注記はないけれど、とても可愛らしく、東京にあったらライトアップされていたに違いない。
 
 
岩宿駅の前にはみやげもの屋があり、石器を象った黒くて硬いおせんべいなどが駅前の土産物屋で売っていて……と想像していたのだが、そんなことはなく、いまは電車よりも自家用車を前提としてインフラが構築されている模様。

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駅から徒歩20分ほどで岩宿遺跡に到着。
 

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遺跡は「A地点」と「B地点」などというかっこいい名称で呼ばれており、ぼんやりと散歩をしているだけでも本格的な学術調査をしているような錯覚が得られて気持ちいい。最初に相沢忠洋先生が旧石器時代のものと思われる黒曜石を発見したのがB地点。彼からの知らせを受けて本格的な学術調査が行われ、A地点で粗めて石器が確認された。A地点は稲荷山という小さな山のふもとにある。稲荷山には岩宿稲荷神社がある。由来などは書いていないが、遺跡発見の1946年よりも前からあるように見える。

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もう何も出ないとは思いつつも、ついうつむき加減で捜索しながら歩いてしまう。
 
そして歴史的発見の舞台であるB地点には、岩宿ドームがあり、中には地層が展示してある。

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ローム層=火山灰=灰色のイメージだったのだけど、赤い色が関東ローム層=旧石器時代の地層である。ライトのせいもあり、どの地層も関東ローム層に見えてしまった。絶対考古学者に向いていないと思った。
 
遺跡の発見者である相沢忠洋先生は、発見当時は桐生市に住んでおり、行商の傍ら、赤城山山麓に焦点をしぼり、仕事の傍らで発掘活動に勤しんでいた。のちに岩宿遺跡と呼ばれるこの場所では、当時は崖の断面に土が露出していたのだが、何度か通っていくなかで徐々に謎を解いていったのだった。さきほどのように、表面を見ていても何も見つからないのは当然で、注意を払うべきは断面が露出しているところだったのだ。

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最近になって、石器を発見した瞬間の相沢忠洋先生の像が建立された。このシーンは、彼が以前からここの赤土の層(関東ローム層)から、いくつも細かい石器のような、そうでもないようなアイテムたちを、土器を伴わない形で発見していて、これってもしかして縄文時代よりも前に人が住んでいたことの証拠かも……と、うすうす気づきはじめた中、どうみても人工のものと思われる黒曜石が、崖の断面の赤土の部分から出てきて、推測が確信へと変わった瞬間と思われる。まさに彼はこのとき、この像のように固まってしまったのだろうと想像する。とても素敵な像である。また土の色になっているところも可愛らしい。実際に学術調査が実施され、日本に旧石器時代があると証明されたのはこの発見の3年後であった。

 

このあたりの経緯は自伝『岩宿の発見』に詳しいが、遺跡と関係ない彼の身の上話が大変面白く、半ば遺跡のことはどうでもよくなってしまうほどである。

わたしは遺跡に行ってから読んだのだが、読んでから行ったら何倍も楽しかっただろう。次に行ったときは、『岩宿の発見』という物語に出てくる聖地を巡礼するような気持ちになれると思う。

日本の考古学史上、最大級の発見は、学者ではない行商人が成し遂げた。特に画期的な発見をしたわけでもないが趣味の世界を持つサラリーマンにとっては勇気づけられる話である。

「岩宿」の発見 幻の旧石器を求めて (講談社文庫)

「岩宿」の発見 幻の旧石器を求めて (講談社文庫)

 

 

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近くには「岩宿人の広場」があり、旧石器時代の住居のようすがわかるようなそうでもないような感じである。発見されている中で日本最古といわれる、はさみ山遺跡の住居跡を復元したものがあるが、屋根の材質が違いすぎて、旧石器時代の人の息吹を感じることは困難である。なお、はさみ山遺跡の一部は当時近鉄バファローズに在籍していた梨田昌孝先生の住居兼ビルの建設予定地だった。
竪穴式住居というと、茅葺きの屋根のイメージが強いが、最近では土で覆っているものもあったと推測されている。恐竜に毛が生えていたという話に似ている。
 
 
また、さらに関係が薄まってくるのだが、マンモスの骨の模型で作られた家もある。

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似たものが東京国立博物館にもあるが、こちらは野ざらしになっていて迫力がある。当然ながらこのままだとスースーするので動物の毛皮で覆っていたようだが、骨で家を作るなんてヤンキー的な世界観だなと思わなくもない。丈夫で石より軽い物質といえば骨しかないので、消去法で選ばれたのだろう。あるいは初期の人類はみなヤンキーなのかのもしれない。
 
近くに「岩宿博物館」というモダンな建物がある。

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中では、遺物を並べて、岩宿遺跡の住人の暮らしを推定しているのだが、そもそも遺跡で出土するものが限られているので、興味を惹く展示が難しい。わたしの場合、芸術的価値が見いだせるものでもっとも古いものは土偶で、縄文時代。やはり土を捏ねて作るくらいの創作性がないと芸術性を感じることが難しい。もしかすると旧石器時代の人々の中には石器を必要以上に尖らせる者がいたり、切れ味を犠牲にしても、造形上の好みで、あえて丸い形に仕上げたりる者がいたりしたかもしれない。前者の末裔は、現代において先の尖った靴を好んで履いているに違いないが、残念ながら現代人には打製石器はどれも同じものに見えてしまう。
 
なお、打製石器は思いのほか使いやすかったことをここに記しておきたい。

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細かいコントロールが現代のカッターナイフと同程度に効くのは意外だった。
 
ここにも住居の模型があるのだが、さきほど見た、はさみ山遺跡の住居よりもリッチである。

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狩猟・採集で生活の糧を得ていた旧石器時代の人々は移動を前提とした家を作らざるを得ず、骨組みと毛皮だけの家なら移動が簡単なはずなので、毛皮を屋根代わりに使ったという説には説得力がある。毛皮の服が暖かいのだから、毛皮の家もさぞかし暖かいに違いない。
 
鹿が30頭必要だったとして、それを狩るにはどれくらいかかるのかわからないが、数ヶ月がんばれば達成できただろうと思う、現代において数ヶ月がんばって家が経つということはあり得ず、何十年もローンを組むのが普通である。当時の住にかけるコストはかなり低かったに違いない。
 
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岩宿遺跡の調査によって、日本に旧石器時代があった事実が確認されたのだが、以後、日本のあちこちで見つかることとなる。1951年には、板橋区で黒曜石の石器がローム層中に発見された。同じく切通しの断面から見つかり、茂呂遺跡と呼ばれている。発見者は当時中学生だった瀧澤浩先生で、もし岩宿に切り通しの崖の断面がなかったら、中学生が旧石器時代の存在を発見したとの記述が山川の日本史の教科書などに載っていたかもしれない。それもまた夢のある話だけれど、都内の中学生よりも、仕事の傍ら趣味で研究をしていた苦労人が関東平野の端で旧石器時代の遺跡を初めて発見した世界の方がわたしは好きだ。
一見すると単なる切通しにしか見えないこの場所だが、ただの中年であるわたしにとって、岩宿は最高にロマンチックな聖地であった。
 
 
 

花が摘みたくて摘みたくて困ってしまった話

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百合ヶ丘で降りてみようと思ったが、どうせなら新しい方がいいと思って新百合ヶ丘で降りた。大きな目をした色白の人がたくさんいる街だと毎度のことながら思った。この町の住人は自分の写真を撮るときに写真を整形する必要がないのかもしれない。
駅から5分ほど南下したあたりで、ふと、わたしの体が花を摘みたい状況にあることに気づいた。もともとわたしは花を摘むことがさほど嫌いでもなく、純粋に花を摘みたいときだけ花を摘むというより、気分転換として花を摘んでいたりもしてきた。花を摘みたいという気持ちが頂点に達してから花を摘むようにすると、本当に花を摘みたいと思ったときに即座に花を摘む場所に行けないかもしれないという強迫観念もある。ただ、いまの状況について考えると、「花を摘みたい」という気持ちは、その強さが頂点に達するはるか前に感じられる気持ちにすぎず、1時間以内に花を摘むことが望ましいが、いますぐ花を摘まないと悲劇が訪れるという気持ちではないと誤認したのである。そして、わたしの目の前に緑道の入り口が現れた。石碑に、「この付近は細長い沢で……」などと書かれていて、ポジティブに解釈すると、わたしが好きないわゆるひとつの暗渠のようにも読めなくもない。元暗渠・現緑道の果てはどうなっているのか。突然川が登場し、蟹がひしめき、アオサギがそれをつつく……という地味な桃源郷のような世界があるのかもしれない。好奇心が、花を摘みたい気持ちに勝ってしまい、緑道を進むことにしたのである。
 

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緑道を歩く人はいなかった。わたしは椎の木に絡まるみすぼらしい葛や、その葛をよすがにして羽化したセミの抜け殻を見ながら、セミの多くは抜け殻だけが残って自らの死骸は先に形を失ってしまうんだろうな、などと思いながら、ゆっくりと道を下った。そのときも、花を摘みたいという気持ちは徐々にリアリティを増してきたのだが、その増加は無視できるほどのカーブで、遠くから見たらただの直線にすぎず、ここで引きかえすのはタイミングが悪すぎると思い、さらに下ってしまったのだった。
 
花を摘むことより優先した緑道の終わりは、期待とは裏腹に管理社会を思わせるたたずまいであり、自然と意識が花を摘むことにフォーカスされてきた。

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緑道の終わりには上りの階段があり、もしかしたら登った先に別の楽園があるかもしれないと思ったのだが、10段ほどの階段をのぼると交差点があった。

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そこで引き返して駅に戻り、花を摘めばよかったのだが、緑道を越えた先に楽園がなくて焦ったわたしを、交差点の青信号がせっかくだから渡れと誘ってきた。渡った先に何もないことはわかっていたのだが、せっかくの青信号だからと渡ってしまったのだった。その先は上り坂になっていて、一歩前に進むごとに、等比級数的に花を摘みたいという気持ちが高まってきた。わたしの見立てだと、その気持ちはゆっくりと下りのカーブを描くはずだった。グラフにするとこのような違いがある。
 

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 落ちついて考えてみよう。わたしはいま、おそらく昔は谷底となっていたところに立っている。そして、公的に花を摘む場所であると認められている場所は高台にあたる駅付近にあり、どのようなルートを経ようと、何らかの坂をのぼることは避けられない。
実際のところ、上り坂をのぼるにつれて花を摘みたくなる気持ちが強まる傾向があるのかについては寡聞にして知らない。もしそれが真実なら、エベレストに登山するときの準備のほとんどが花を摘みたいと思わないようにするための準備になってしまうだろうし、そんな話は聞いたことがないので、一概に「登ると花を摘みたくなる」とは言えないはずである。ただ、一般論として「登ると必ず花を摘みたくなる」が「偽」だったとしても、わたしのいまの、「花を摘みたい」という切実な気持ちは変わらず、何の慰めにもならない。これが厳然たる事実である。花が摘みたい。とても摘みたい。ぜひ摘みたい。可及的すみやかに摘みたい。
 
―ここまで気持ちが高まって、やっとわたしはそれまで来た道をそのまま引きかえす決断をした。花を摘みたいとはいえ、あと10分程度ならがまんできそうで、ここで駅からさらに遠ざかり、公園、しかも花が摘める公園を探すような賭けをするべきではないと思った。わたしはいつも人生の岐路において、それなりに苦労するが確実にリターンが得られる道を選んできた。参考書でも「速習」などのタイトルがついたものではなく、「詳解」などのタイトルを好んだ。職業も、華やかではないが確実に暮らしていける道を選んだつもりだ。このたびの進路選択についても、手堅くそのまま引き返すのが、わたしらしい生き方である。わたしは花を摘みたいという気持ちが軽減される方法を探りながら引きかえした。
 
まず試したのは、ベルトを緩めることで、ひとつ緩めると、花が摘みたい気持ちが有意に減った。しかしそれは、「いままで感じてきた花を摘みたいという気持ちは、ベルトを強く締めすぎたことなどの外的要因による一時的な感覚にすぎないのかもしれない」という淡い期待を打ち砕きもしたのである。いまさらながら、実際に花を摘まないことには、花を摘みたいという気持ちから逃れることはできないことがわかった。
そして次に試したのは、花を茂みの奥に戻すことである。もちろん、いまわたしが摘もうとしている花は茂みからは一歩も外に出ていないが、茂みのすぐそばにあると、いつ茂みから出てくるかわからない。茂みの奥に戻すのはそれなりに体力を要するのだが、茂みの奥に置けば置くほど、花を摘みたいという気持ちもなくなる。いままでの人生でわずか数回ではあるが、実際に茂みの奥に置こうと努力した結果、茂みの遥か奥のおそらく沼地のようなところに置くことに成功し、花を摘みたいという気持ちが完全に消えたことがあった。それは花を摘みたいという気持ちがいまほど切実ではなかったからこそできたことであることは理解していたものの、ある程度の支援にはなるはずである。ただし、茂みの奥に戻そうと熱中するあまり、花を摘むべき場所への到着が遅れることはあっては元も子もない。
 
わたしは内股気味に早足で坂をのぼり、ショッピングセンターに辿り着いた。ただし、そのショッピングセンターは「センター」と呼んでよいほど中央集権化がなされてはいない自由なセンターで、センターの事務局が、センターの付属設備として花を摘める場所を置いているかどうか、かなり疑わしかった。
センターの脇に思わせぶりな階段があった。中央集権化がなされているセンターであれば、階段を下りた先に、真夏でも暗くて冷たい、不思議な安堵感のある場所で花を摘むことができるかもしれない。しかし、そうだったとしても、中途半端な権力集中の結果、花を摘む場所はなんとか設置できたものの、いつしか花を摘むための用具を補充できなくなってしまった、という事例は事欠かない。わたしはいま、花を摘むための用具はまったく用意していない。そのような生活態度はいかがなものかと思ったたが、そんなことは花を摘んだあとにゆっくり自省すればよいことだ。今考えるべきは、花を摘むことであり、花を摘みたいという気持ちもそろそろ限界に達していた。
 
このショッピングセンターから信号を渡ると、大規模かつ比較的モダンな3階建てくらいのスーパーがあるので、そこで花を摘むことに賭け、ショッピングセンターで花を摘むことは諦めることにした。そのスーパーが花を摘む施設を備えていることは確実なのだが、入館するやいなや花が摘めるかどうかは疑問であった。このような建物では、1階に男性用の花を摘む場所が確実にあるとはいえない。わたしの経験からすると、2階以上の商業施設の場合、1階にあるのは女性用のみで、2階は女性用・男性用、3階は女性用のみで、男性向けの花を摘む場所は偶数階のみであることが多い。可及的速やかに花を摘みたいと思っているわたしに、エスカレーターを探して2階に行き、花を摘む場所を探し、大きな花を摘む場所がすべて埋まっていたら待つことになり、その間に花を摘みたいという気持ちが限界に達してしまう可能性もなくはない。ただ、このスーパーに花を摘む場所があることは確実であり、このあと、確実に花を摘める場所を探して歩きまわるよりも、確実に花を摘める場所で花を摘むための手続きに時間をかける方が得策であると考え、スーパーに足を踏み入れた。
 
スーパーに入るやいなや、わたしは恐ろしいほど低温の冷気に包まれ、花を摘みたいという気持ちは急激に高まった。花を摘みたくなってからずっと―といっても15分ほどだが―炎天下を内股で歩いていたわたしは、花を摘みたいという気持ちと気温の相関関係について、まったくの無関心でいたということに気づいた。
スーパーに入る前のわたしが、花を摘む100秒前だったとしよう。それは内股で歩いたり、花をを茂みの奥に置くために力を込めるなどの不断の努力により、少しずつ稼いできた、なけなしの100秒だったのだが、冷気に包まれたらその100秒は、たちまち30秒ほどになってしまったのである。これで花を摘む場所が2階にあったら、花を摘むべき場所でないところで花を摘んでしまうことになる。
 しかしわたしは運がよく、わたしは1階に男性用の花を摘む場所がある旨の表示をすぐに見つけた。途中でその表示がうやむやにされないよう、天井をなるべく広く見るようにして、花を摘む場所に最短距離で歩き、男性用の花を摘む場所の入口に辿りついた。その場所は狭くはなく、それなりの人数で花を摘めそうに見えたが、わたしいままでの経験から、花を摘む直前に起きる混乱についてよく知っていた。
 
花を摘みたいという気持ちは、摘むまでの時間に概ね換算できるといってよいが、そこでいくら時間を稼いでいたとしても、「今すぐに花が摘める」と気が緩んだ瞬間、残り時間とほとんど関係なく、体が勝手に花を摘む動きをとりはじめることはご存知のとおりである。現代の日本において、「気の緩みによって犯罪を起こしてしまった」という供述をよく聞くけれども、精神主義的にすぎると思う。犯罪の原因は、悪意であり、その悪意を漏らしてしまう精神的物理的構造により、犯罪が起きる。しかし、少なくとも、花を摘みたいという気持ちを我慢する行為において「気の緩み」は確実に存在する。まもなく花が摘めると思った瞬間、花を摘むべき場所の直前の花を摘むべき場所でないところで花を摘んでしまうという事案で、わたしも過去何度もその危機に見舞われていた。そこでわたしが学習したのは、気が緩まないよう、「まだわたしは花を摘むべき場所からは遠くにいる」という嘘を自分の体に信じこませることであり、花を摘むべき場所に来るまでは、花を茂みの少しでも奥に置こうとする努力を続けなくてはならない。それどころか、花を摘むという行為と花を茂みの奥に置こうとする努力を同時にするくらいの気持ちでないと、適切な場所で花を摘むことはままならないのである。
 
その端を摘む場所には花を摘むための部屋が2か所あり、両方ともすぐ摘める状態だった。わたしは手前にある方に入り、花を摘むことにした。花を摘みながら、いま花を摘める場所が2か所も空いていたら、運を無駄遣いしてしまい、次に大きな花を摘みたくなったとき、空きがないという状態になりはしないか、などと思ったりした。
 
 花を摘みおえて、ふだん自分が日常的にしている花を摘むという行為は、実はこんなに爽快なものだったのか、と驚いた。温度が2度ほど下がったように思えるし、視界が開けたように感じられる。せかせかと歩く人たちに、もっとゆっくり生きていきましょうやと、アドバイスしたい気持ちになった。
 
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わたしは花を摘みたくなった話をこのように落ち着いて、まったく花を摘みたいとは思わない状態で書いているが、たとえば道端などで花を摘んでしまった場合、どこにも書くことはできなかっただろうし、恥ずかしくて新百合ヶ丘駅近辺に行くことができなくなってしまったことだろう。新宿から江の島や鎌倉に行こうとすると、かならず新百合ヶ丘を通過してしまうので、そんな要地が鬼門になってしまうなら、いっそのこと千葉にでも引っ越しすべきだと思う。そして千葉で、「しかるべき場所で花を摘む」ということだけを心掛けてつつましやかに暮らすのである。なんなら腕に刺青を彫ってもよいのかもしれない。

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今回は首尾よく花を摘むことができたのであるが、これから外出する際には、突然花が摘みたくならないよう注意が必要であるし、この文を最後まで読んでくださったあなたも、このわたしの体験を他山の石としていただきたいと願っている。