ココロ社

主著は『モテる小説』『忍耐力養成ドリル』『マイナス思考法講座』です。連絡先はkokoroshaアットマークkitty.jp

モーニング娘のよさがわからない

今さら言うことじゃないけれど、そして、言っていいのかわからないけれど、モーニング娘のよさがわかりません。

サイトを巡回していて、小説や評論について書いてあったり、日常の出来事について、ぼくにピッタリな言語感覚で綴っていたりして「あ!この人、趣味合いそう!話面白そう!こんな素敵な人にメールを飛ばす機会を与えてくれて、神様ありがとう!」と思ったりすることがあるのですが、読み進めてみると、モーニング娘について書いてあり、「うーん…そうなんだ…ちょっと遠く感じてしまったなぁ…」と思うことが時々あります。

たとえば、『冷静と情熱のあいだに』がイイ、と思っている人がモーニング娘だったら、それはそれでバランスが取れているというか、ぼくとは違う星の住人だな、と思うのですが、金井美恵子とかスティーブ・エリクソンとかが好きでモーニング娘も好きという人の気持ちがわからない。(←ちょっと極端な例ですが)ぼくの感覚だと矛盾しているように思えてしまいます。『柔らかい土を踏んで、』と、『恋愛レボリューション21』(←古くてすみません)が、どうやって頭の中で矛盾せず同居しているのだろう?と思います。最初からわかりあえない人種ならともかく、モーニング娘以外は全部わかりあえそうな勢いのときもあるので、ますます混乱します。
「実は歌詞とかがすごいのでは?」と思って、字幕をジーっと見てみたのですが、普通の、アイドルが歌っているような感じの歌詞だと思っただけでした。

意味を過剰付与するゲームの一環として捉えられているのでしょうか。たとえば、昔に小泉今日子とかがされていたような、モーニング娘を「読む」的な感覚の(ぼくの中ではこの説がもっとも有力)。だとしたら、もっと渋いところ、裕木奈江とかの方が有効な気がします。あるいは、山瀬まみのアイドル時代にあえてスポットを当ててみるとかの方が、意味付与のしがいもあると思います。皮肉でもなんでもなくて、ぼくが、何か芸能人に関して「過剰に読んでみろ」と言われたら、そうすると思います。