ココロ社

主著は『モテる小説』『忍耐力養成ドリル』『マイナス思考法講座』です。連絡先はkokoroshaアットマークkitty.jp

モーニング娘(id:crossageさん編)

id:crossageさん
こんにちは。なんかいつも見てるサイトに自分が出ていたので本当に驚きました。
「ある朝、テレビをつけたら自分が映っていた」というのと、ほとんど同じ驚きです。
テレビといえば、それよりも驚いた経験をしたことがあって、朝起きてテレビをつけたら、いきなり友達が警察に連行されているシーンが映っていたことがありました。政治犯だったから扱いは丁寧だったようですが…ビックリです!

何かを凡庸であると思うことは、凡庸の比較項としての「非凡」を暗に想定しているということですよね。ではその「非凡」って何なのでしょうか? 批評性があること? そこがまず「わからない」。ここから先は下衆の勘繰りと思ってください、そのこだわりからは、「モーニング娘。の良さがわからない」という意思表示ではなく、「モーニング娘。は凡庸であるということをそれが好きな人たちに認めさせたい」という欲望、あるいは「自分の好きな人が、なぜあんな凡庸なものを好きなのか分からない」という疑問、しか見えないのです。〈凡庸か非凡か〉、そんな窮屈な(というか退屈な)基準しか用意されていないのでしょうか。

うーん…想定しているのかな…いや、なんかイデアの話みたいな感じがします。「これは三角形であるとかないとか判断できるということは、真なる三角形のイデアがある」的な。
凡庸・非凡という対立項を立てて考えた「非凡」って、ほとんど何も言っていないに等しい結果になるような気がするので、ぼくがうーんと考えて「えーこれです」と言ったとしてもid:crossageさんは「ハァ?」って思うに違いないと思います。id:crossageさん自身が数行あとで窮屈な(というか退屈な)基準と言われていますが、まさにその通りです。
で、話を進めて「凡庸なもの」を単純化して言うと、言われた回数が多いほど凡庸なものになると思います。だとすると、非凡という対概念なくして凡庸であるかどうかは判断できるのではないでしょうか?…とかなんとか言って巧妙に言い逃れ、真意をひた隠しにして逃げているイメージをid:crossageさんに与えてしまっているかもしれず、id:crossageさんはウォーターベッドの端を噛みながら「ココロ社は平成のソフィストなり!」と寝言を言い、朝、水浸しになってしまうおそれがあるので「下衆の勘繰り」についても答えさせていただきますね。凡庸であることを認めさせたいという欲望は…どうでしょう。ないと思います。「自分の好きな人が、なぜあんな凡庸なものを好きなのか分からない」というしょうもない疑問が近いと思います。(あと、「言いにくいことを言ったらどうなるか」身をもって確かめたかったというのもあります…冒険好きなもので…)ただ、そのしょうもない疑問が思わぬ結果をもたらしてしまうのかもしれないという期待も捨ててはいません。そもそも、スタンドアローンなテクストなんてあり得ないわけで、コミュニケーションを繰り返す中で、絶対お互いが変容していくと思います。と、いうことで、id:crossageさんを退屈させないためにも、ぼくが考えた「新・モーニング娘」のコンセプトを明日あたりお見せします。