われわれにとって煎茶は水に準ずるあたりまえの存在であって、好き嫌いの対象ではない。
もしあなたが港町を歩いている途中でウニの養殖場を見かけたりしたら、キャベツをもりもり食べているウニをうっとりと眺め、「これを割ったら橙色の濃厚なおいしいやつがびっしり詰まっているに違いない」などと想像することだろう。なお、「キャベツをもりもり」というのは、最近インターネットから仕入れた知識で、駆除対象でおいしさ控えめのムラサキウニに、同じく廃棄対象のキャベツを食べさせたら、海藻を与えたときより臭みがなくて味がよくなるとの話だった。わたしはそのニュースを見て、窓際族であるところの自分が他の窓際族の構成員とコラボレーションしたら業績が劇的にアップする企画を思いついたりするのだろうか、いや、ない……などと思ったのだが、それはともかく、ウニが養殖されているところを見たならば、何らかの感慨のようなものが少なからずあるはずである。
いっぽう、煎茶はどうだろう。茶畑を見て、「この先端をつまんで取って、蒸して乾かして……」などと想像して涎が止まらなくなったりしたら変質者とまではいえないにしても、かなりの少数派ではある。まだ、みっしりと栗が詰まったおまんじゅうが和菓子屋に陳列してあったら「煎茶といっしょにこれを食べたら……」と想像して涎が止まらなくなる程度であればまだ理解が得られやすい。煎茶が脇役であるなら、ノーマルな感性の持ち主の理解が得られるが、残念ながら主役たり得ない。わたしもつい最近までは、煎茶はあたりまえの存在であったから、旅先で茶畑を見たとしても、茶畑があるなとしか思わなかったし、チャノキ(Camellia sinensis)とそうでない木の区別があまりついておらず、単なる植えこみのツバキの若葉が「実はお茶なんです」と自己紹介されたら、ツバキみたいなお茶だな、まあツバキ科だからあり得るかと思ってしまう。
そんな平均的な煎茶ライフをおくっていたわたしだったが、紅茶や、より煎茶に近い龍井茶などと比べても、すばらしい点がたくさんあるということに今さらながら気づいた。まず、抽出時間が圧倒的に短い。紅茶を1杯抽出する間に煎茶なら3杯抽出できる。抽出したあとの鮮やかな緑色はどんなお茶よりも美しい。また、日本があらゆる視点から見て没落してきているため、今や中国のお茶と比較してもリーズナブルに感じられる値段であって、いろんなお茶を飲んできたが、素敵なお茶が身近にあったということに今さらながら気づいた次第である。
そうなってくると、今まで適当に通り過ぎることが多かった茶畑に積極的に行きたいという気持ちになってきた。おいしい煎茶が育成されている様子をじっくり見て、煎茶を飲むときに思い出す。また楽しからずや……。「煎茶≒水」と考えているあなたにとっては実感がわいてこないと思うのでわかりやすいたとえにすると、どこかの回転するお寿司屋さんでウニの軍艦巻きを食べるときに、ウニがキャベツを食べているところや、海苔が海中に刺してある竹にまとわりついて大きくなっているところを想像したら、まるで回転していないお寿司屋さんの軍艦巻きのように感じられる……ということである。
そして、わたしの住む多摩ニュータウンから最も近い茶どころといえば東京狭山茶でおなじみの瑞穂町。狭山茶の算出量がもっとも多いのは埼玉県入間市だが、なるべく自分の家に近い茶畑を見てお茶を買って、「うちの近所でこんなにおいしいお茶が……」と感動したいと思って、新茶が売られはじめたころ、八王子から八高線に乗って箱根ヶ崎駅で降りたのだった。
駅を降りてしばらくしたらこの看板があった。たしかにお茶はおいしいのに飲んで咎められることがなくて本当に最高だよね……。
坂をのぼっていくと狭山神社がある。
長い階段を登った先には拝殿だけでなく、摂社やら記念碑が配置してあり、周辺の歴史を知るには登るべき階段なのである。
こぎれいな拝殿。
「機神社」は、メカニカルな名前に心惹かれるが、この地域の名産の村山大島紬の神社。
そして、ひとことでいうと狭山茶foreverというような意味の文言を記した記念碑がある。
この地域でのお茶の栽培が本格化したのは江戸時代に入ってからで、この記念碑も明治11年と記してあった。
狭山には「色は静岡 香りは宇治よ 味は狭山でとどめさす」という茶摘み歌があるらしい。もし、京都大学の校歌に「官僚は東大、ノーベル賞は京大」のような歌詞があったら東大のことをそこまで意識しなくても……と思うに違いない。
さらに東京狭山茶への想いをたしかにするため、瑞穂町郷土資料館を訪問した。
ここでは煎茶の製造工程について実際に使われた道具を展示して説明しているのだが、最初に目に飛びこんできたのは、そこらへんのふるさと館みたいなところの端っこにわりと邪魔そうな感じで置いてあることでおなじみの唐箕。
米を作るときの専門ツールかと思っていたが煎茶を作るときにも使われていたとは……冬季オリンピック、スピードスケートのメダリストである橋本聖子選手が自転車で夏のオリンピックに出たのを見たときと同じくらいの驚きと感動である。
そしてこの箱の上で茶葉を撚っていたようなのだが、箱に貼ってある紙に書いてある文字が気になった。工事現場のクレーンに「積み荷の下に入るな!」と書いてあるが、茶葉を撚るにあたって必要な態度などについて書いてあるのかもしれないが、鏡文字がだいぶ苦手なので早々に解釈を諦めてしまった。
神社にも行って、資料も見て、準備万端となったので、いよいよ茶畑を見て、お茶を買う。
先述のとおり、わたしはチャノキを正確に見分けられる自信がない。
たとえばここに来るまでの間にあった墓地に盛大に植えてあったものたちは「墓地でお茶を栽培することはない」という文脈からこれがチャノキではないとわかるのだが、文脈なしでただ生えていたら野生のチャノキと思ってしまいそうで、だから、ここにチャノキ以外のものが生えているはずがないという文脈がほしくて、瑞穂町まで来たのである。
わたしが見たかったのはまさにこの風景。
お茶屋さんの前に明らかに栽培しているふうの植物たちがあるなら、これは2万パーセント茶畑なので、安心して観察できる。
思っていたよりも樹高が低くて驚いたが、これは、有名人を間近で見たら思ったよりも小さかったという問題、個人的には多摩センターに演説に来ていた生稲晃子先生に感じたものが最新なのだが、お茶への思い入れが強すぎて、心の中のチャノキの樹高が高くなりすぎたことによるに違いない。
新茶を摘みおわったあと、さっそく柔らかい若葉が生えてきている。
わたしがこのあと買って飲むお茶はこういう感じの葉からできているのかと思うと愛おしくてたまらない……。
お茶屋さんはいろいろあるが、茶畑と店が合体している感じのお店なら「あそこの茶葉がこのお茶に入っている」と思い出しながら飲めるので最高。
なお、今回寄ったのは「藤本園」というお店。作るところと売るところが一体化していて約束の地である。
新茶と、せっかくだから紅茶も買った。シンプルなパッケージよりも、このようにシールが貼ってあるほうがいい気分。
なお、周辺を歩くと他にも茶畑があるので見て回りたい。
特殊な扇風機のようなものがあって不思議に思ったのだが、これは地表からちょっと高いところにある暖かい空気を茶畑に送りこむための機械らしい。
こんな小さな扇風機で地表の温度を変えることができるなんてすばらしい……そして、江戸時代にはそのような仕組みはなかったから、おそらく今飲んでいるお茶の方が昔飲まれていたお茶よりもおいしいのだろうなと思う。
収穫されすぎた茶畑を見かけたのだが、機械で収穫しているのだなというのがわかってかえって安心した。茶葉を見てからだと、これを手作業で摘むなんて、茶摘み体験ならいいけど茶畑の端から端まで手で摘んでいたら申し訳ない気持ちになってしまう。
(id:sociologiaさんからのご指摘で、茶畑の若返りをはかる「台切り更新」であることを知りました。ありがとうございます~!)
茶畑の地面は枯れた茶葉に覆われていた。
烏龍茶にビジュアルが似ているから、もしかして成分は近いのかなと思って嗅いでみたら、ただの枯葉だった。
そして、茶畑のむこうにはショッピングモール、しかも名前が「MALL」で申し分ない。東京じゃないみたいな感じが最高潮に達している。
なお、お店自体は2月末で閉店したらしい。
帰宅してさっそく新茶をいただいた。
実際に栽培されるところを見たから茶葉がいとおしく感じられる……これにお湯をかけてもいいの?
わたしは渋いお茶が好きではないので、やや低め、70度で抽出する。いつも色が薄いかなと思うのだが、すばらしい旨味である。桜の花が案外白いのと同じで、記憶している煎茶の色は実際の色と異なるのかもしれない。これとごはんだけでお茶漬けとして食べられるのではないかとすら思う。
一番高いのを買ったが、すぐ飲んでしまったので、来年の新茶の季節にはたくさん買って半年くらい持たせるようにしたいと思っている。まる1年分用意することも消費期限的には問題ないが、年じゅう新茶を飲むと堕落してしまいそうだから最長でも半年だろう。
wokeなみなさまにおかれましても、お近くの茶畑に行って興奮していただきたいと思う。