ココロ社

主著は『モテる小説』『忍耐力養成ドリル』『マイナス思考法講座』です。連絡先はkokoroshaアットマークkitty.jp

究極の神道建築はピカピカすぎて、神様がいると思えない

昨年の天皇の代替わりには大して興味はなかったのだが、平成のはじまりのころはネガティブな関心を持ち、それなりに行動していたことを思い出すと、30年という時の長さを想う。それはともかく、あるときFacebookでマイフレンズが載せていた大嘗宮の写真があまりにも不思議だったので拡大して見、それでも気持ちがおさまらなかったので、長時間並ぶことを覚悟しつつ、大嘗宮の公開の最終日に、大嘗宮の様子をたしかめに行ってきた。
 
特に気になっていたのは鳥居である。黒木造という、かなり古い様式で作られているのだが、プレイステーション3(初代でも2でも4でもなく)に出てくる木のように、低ポリゴンの立体にテクスチャーをベタっと貼ったようなビジュアルに感動し、ぜひ実物を……と思ったのである。
 
行ってきたのは公開最終日。大嘗宮は急ごしらえなわりに広大で、列をなして移動する間に、少しずつ有利な場所に移動し、全体をおさめることができた。

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遠くから見ても、曲線は見当たらず、シンプルで、「概念」という印象を受ける建築である。
お目当ての鳥居。

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スマートフォンで人が撮ったのを見ていて、カメラにもよるのかなと思ったが、フルサイズ機で撮ると、いっそうプレイステーション3である。
 
この儀式が古くから続いていることや、造形がたいへんユニークで実物を見ることができてよかったとは思うものの、ここに神がいることなどを説得するための建築がこの佇まいなのか、と驚く。
三浦半島で見た手すりに似ている。

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そして鳥居以外もなかなかプレイステーション3だった。

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vaporwaveみたいだとも言えるかもしれない。

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なお、令和の大嘗祭から茅葺きの屋根が板葺きになった建物やプレハブに変わった建物もあるなど、驚くべき仕様変更が行われていて、数十年でそんなに変わるのなら、いままでもさんざん変わってきたに違いない。
 

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仕様変更のなかった鳥居についても、より原木に近くすれば、木の精の存在感が感じられ、同時にここに神ありと信じることができたかもしれないが、あえて枝が存在しなかったかのように精巧な加工が施されていて、むしろ伝統を感じさせなくしているようにも見えてしまう。
 
伊勢神宮の式年遷宮の様子を見に行ったときも似たような気分になった。

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柱がピカピカで、歴史が感じられない。もちろんこの鳥居そのものは建てられたばかりなので、歴史も何もない。神が大昔からずっとここにいて、20年ごとに住まいが変わるだけだということは承知しているが、新しいところに神がいると信じるのが難しい。
 

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「朽ち果てている場所には神はいない」という考えでそうしているのだろうし、この圧倒的な数の参拝者たちのほとんども、このピカピカの建物の中に神がいると信じ、畏怖したり、何がしかのご利益を期待したりしているのだろうけれど、わたしはただ建物を見に来ただけの異邦人であり、同じ場所にいながらすばらしい断絶が感じられたのだった。
 
なお、新旧で共存しているタイミングを狙って見に行ったので、古い―といっても20年だが―経っている方には神がいるかもしれないという気がしなくもない。

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あるいは、特に有名ではない末社のペンキで塗った鳥居でも、数十年経ってみると風格のようなものが感じられ、神がいそうな気もする。

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自然物の姿を想像させたり時の流れを感じさせたりするものには説得力を感じるが、わたしにとっては、ピカピカした木たちに伝統を感じたり神がいると信じることが難しい。大嘗宮は古代の黒木造で、伊勢神宮に至っては「唯一神明造」という少年ジャンプに出てきそうなくらい絶対的な建物のはずだけれど、組体操大好きペアレンツの感性と同じくらいの隔たりを感じる。組体操大好きペアレンツは同時に、ピカピカした木に神を見出すことができているのかもしれない。
 
わたしは、神道の国、日本に住むものとして必要なトレーニングが足りないのかもしれないと思うが、この違和感も含めて楽しいと思っている。