ココロ社

主著は『モテる小説』『忍耐力養成ドリル』『マイナス思考法講座』です。連絡先はkokoroshaアットマークkitty.jp

「先日助けていただいたNです」より好きな感じの事件

よくインターネットで「先日助けていただいたN(Nは任意の名詞)です」というネタを見かける。剽窃でないものを見たことがなくて個別に言及したりはしないものの、実際にこんなことがあったらいいのになぁと思いながら笑っている。
しかし、実際に生き物を助けるには、かなりの運が必要である。たとえば、生き物に餌をやるという形で一定の援助はできるけれども、駅前の広場で鳩に給餌している老人が膝の調子がよくない日に休んだとしても鳩が死ぬことはないし、鳩の方も、命拾いしたとまで思っていないはずである。また、鳩の餌への情熱を疑ってしまうこともある。この写真を見ていただきたい。

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寂しげな老人が干しトウモロコシand so onを撒いてしばらくしたあと、老人も鳩も去っていってわたしだけが残されたのであるが、かなりの食べ残しの量である。鳩たちが恩を感じ、「先日ご飯をいただきました鳩です」と老人のもとに現れることは、科学的にも非科学的にも絶対ない。鳩からしてみれば老人に生きがいを供給してやったくらいの気持ちでいるのかもしれない。

 

「先日助けていただいたNです」を実現するためには、やはり、餌を与えるなどではなく、命を落としそうになっているところを救わなければならないのであるが、実現の難度は高い。なぜなら、ある生物が命を落としそうになっているときは、ほかの生物に捕食されそうになっているときのことが多いからである。

ある日、わたしが散歩をしていたら、手負いのカワセミがカラスに繰り返し襲撃されているところだった。放置しておくとカワセミはカラスに食べられてしまう。わたしは反射的にカラスを追い払おうとしたのだが、すぐにその行動が適切ではないことを悟った。たとえばカラスがカワセミ並みにカラフルで愛らしく、カワセミがゴキブリのような外観だったらわたしは同じようにはしていないはずである。結局、カワセミとカラスは食物連鎖に任せることにした。一方を助けることは一方を迫害することと同じなのである。

 

その地味な事件以後の数年間、チャンスは巡ってこなかったのだが、先日、不意にその時がやってきた。気持ち悪いかもしれないけれども、この写真を見ていただきたい。

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真鶴の海岸でこの物体を見かけたが、ふつうの人が見ても汚い雑巾のように見えるかもしれない。しかしわたしは一瞥してそれがアメフラシであると理解した。なぜならアメフラシが大好きだから。幼稚園のころ、父親にアメフラシの図鑑を買ってきてほしいと頼んだほどである。そのとき父親は天気のあれこれみたいな図鑑を買ってきてくれたのだった。わたしは怒らずに天気のあれこれを学んだ。

直前に、保護者ともども善悪の彼岸にお住まいであるとおぼしき小学生たちとすれ違ったのだが、彼らが興味本位にアメフラシを捕らえて、岩の上に放置していたということなのだろう。
そして、わたしをおいてほかに「あ、アメフラシ先生が岩の上で乾いていらっしゃる、これは一大事だ!」などと思う物好きはいないので、アメフラシ先生を救うのはわたししかいない。

小学生たちはわざわざ海から遠い場所にアメフラシ先生を放置していたので、磯に持って行くのは少々面倒だったのだけれども、ちょうど磯には仲間がいたので、この場所に放てば暮らしていけるのではないかと思った。

 

アメフラシ先生について何の説明もしていなかったのにここまで読んでくださっていることに感謝しつつ解説すると、アメフラシ先生は見てのとおりの軟体生物で、ウミウシの近縁なのだけれども、ルーツは貝。形骸化しているが、体に比べると遙かに小さい貝殻が背中に埋まっている。背中の襞に指を差しこむと貝殻の感触があるのだが、文字にするだけでまずいとわかる触れ方であり、わたしは背中を撫でる程度で我慢することが多い。また、窮地に追いこまれると、煙幕の代わりに、紫の液体を放出するので、人類には不評である。

 

アメフラシ先生は、磯に放ってすぐに元の形を取り戻されたので安心した。

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紫の液体がまだ出ていて、足跡がわかる。

 

 後日、「あのとき助けていただいたアメフラシです」と、ベトベトの何かがうちに来たらどうしようかと思ったが、食物連鎖の話でいうと、アメフラシ先生を殺すことでアメフラシ先生が常食としているアオサが救われ、あの小学生たちのところに「あのとき助けていただいたアオサです」とやってきたのかもしれない……などと空想しながらアメフラシ先生の動きを観察していたのだが、ここで不思議なことが起こった。

アメフラシ先生は人類との接触に懲りて岩陰にでも隠れようとするだろうと思っていたのだが、なんと、苦手なはずの陸に上がろうとしてきたのである。驚いて観察していると、ほとんど水の外に出てきてしまった。

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つまり、わたしに向かってきているのだ。後日恩返しにくるのではなくて即座に恩返しにくるとは、人類のみならず軟体生物たちの間でも物事を先延ばしにするのは無能の証であるという風潮があるのかもしれない。

 

以前、助けられたタコが、助けた人のところに寄ってきた動画を見たのだけれど、アメフラシの知能は、タコに遙かに及ばないはずで、この行動は謎に満ちているが、わたしがいる限り、陸に上がったままでいて、また同じ目に遭うのではないかと思ったので、名残惜しいが磯を去ることにした。

 

わたしはそれから時々この写真を見てニヤニヤしている。

 

 

 

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