ココロ社

主著は『モテる小説』『忍耐力養成ドリル』『マイナス思考法講座』です。連絡先はkokoroshaアットマークkitty.jp

智積院における朝のおつとめ

5時45分に集合、ということで集合場所に行ってみると…ぼくを合わせても合計三人しかいない。尾崎豊に似た20歳くらいの男と、インターネットに詳しそうな20代後半の男。なぜかぼくが最前列になり、岡本(と草履に書いてあった)という20歳くらいのお坊さんについていく。岡本先生は昔不良だったのかもしれない感じで、かつ口下手そうだったので、想定外の質問をしたりして岡本先生を困らせないようにしようと思った。
本堂に着くと、岡本先生が「どうぞ、膝を崩してお座りください」と勧めるも、ぼくはなぜか正座してしまう。と、尾崎豊もインターネットもぼくと同じく正座する。心の中で「ごめん、尾崎豊とインターネット…」と謝罪。さらに、岡本先生は「途中、ご焼香がありますのでその時になったらお知らせしますので…」とおっしゃり、程なく読経が始まる…が、ぼくは生まれてこの方、ご焼香は宮武の祖父の葬儀の時の一度しかない。そのときは「三回、粉(=お香のこと)を入れる」と教わったが、ご焼香一般として三回でいいのか?おつとめとかは一回で、三回したら「葬式とちゃうんやから」と、お坊さん全員からつっこまれるかも…と思い、不安が高まった。その不安に呼応するように足のしびれも増加。このままご焼香に突入してしまうと、間違いなくお香に顔を突っ込んでしまう。パイを投げられたあとみたいに、顔中にお香がビッシリ…これはまずい。そんなことになれば、パイ投げのシーンは一生正視できないかもしれない。そもそも法的には膝を崩してもいいはず。なんか想像してたのと違って棒でぶったりしないみたいだし。21世紀に入って、そういう罰みたいな修行はもうないのかしら…いい時代なのか何なのか…とか思っているうちに、尾崎豊が足を崩した!尾崎キター!さすが尾崎!盗んだバイクで走り出すくらいだから、膝を崩すなんて朝飯前なんだろうなと感心しつつ、すぐ膝を崩すと、インターネットに「尾崎の切り開いた自由の道にただ乗りでつか?」と言われるかもしれないと思い、十分ほど我慢し、あくまでも「そろそろ足を崩すのも悪くないよね?」という雰囲気を醸し出しつつ膝を崩す。そして、しびれがおさまった頃、岡本先生が焼香を始めた!いきなり指名されるかと思ったが助かった。岡本先生の動作をすべて真似、完璧なご焼香を実現。お香の匂いがいっぱいするとうれしいので、ドカドカお香を入れた。終わってから手のにおいを嗅いだら、白檀の匂いがした。で、深呼吸しているうちに、「?」尾崎もインターネットも目を閉じている!読経の間って目を閉じるものだったの?とショックを受ける。それまでは、読経している人を見て、「目を開けて読んでいるからぼくも目を開けないとむしろ失礼。だって目を閉じてるのって寝てるのと同じじゃん。目を閉じるのはサボリの温床となるね!」と思い、目を開けているという判断をしたのだが、読む人が目を開けるのは当たり前…読んでいない人がどうしているかが重要なのだが、目が悪くてよく見えない…悩みつつ、目を開けたり閉じたりしていたが、そんな風にすると、うとしているように見える…空気読めないなと思っていると、ある論理を思いついた。
(1)目を開けるのが正解だった場合→開けていた方がよい。閉じていると寝ていると思われる。
(2)目を閉じるのが正解だった場合→ぼくが目を開けていても誰も気づかない。万一誰かに気づかれたとしても、「目を閉じなさい」と言った瞬間、注意した人も目を開けていたことがばれるので黙っているはず。
ということで、どう転んでも目は開けるべきだという結論が出た頃、読経が終わり、お守りをもらった後、教科書にも出てくる有名な襖絵を早朝からじっくり見ることができたとさ!岡本先生は一つ一つ解説してくださったのだが、あまりにもかむので、心の中で「がんばれ!」と唱えた。ちなみに庭園の池が濁っているのは、長江をイメージしてわざとそうしているらしく、池の底には粘土が入れてあって鯉が泳ぐと濁るような仕掛けらしい。