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ココロ社

主著は『モテる小説』『忍耐力養成ドリル』『マイナス思考法講座』です。連絡先はkokoroshaアットマークkitty.jp

モーニング娘4

id:hentaiさん、遅くなって申し訳ないです。id:farrahさんid:twistedさんすみません。明日にはコメントします。至らない点が多くて申し訳ないです。
お答えするのが遅すぎることになるので、読んでスルーでもOKです。

 正直、ココロ社さんの文章には、二点において「外国人が選挙権がなかったりする」かのような差別性が感じられました。まず、一番最初の文章での、言ってしまえば「誰か娘。ファンだとわかるとガッカリする」というようなくだりは、ココロ社さんは娘。を<悪い>と思っているのではなく<わからない>だけだ、という一番最初の更新時点で想像しうる前提を元に考えれば、単純に、人間を趣味によってカテゴライズする行為に見えました。

 けれど、その後の更新によって、ココロ社さんによってなされた主張は、娘が<わからない>というより、娘。は<悪い(=批評的問題点がある)>というものになってきたように思います。つまり、娘。やSMAPに批評性がない・凡庸だということまで言うなら、それは、単なる<わからない>という表明だけではとどまらない、批判となってしまうと思います。けれど、ココロ社さんの文章では娘。やSMAPが批評性がないことが自明のこととして扱われてしまっていて、では具体的にどこが悪いのか、というところの説明がなされていないのです。そういった決め付けが、差別的なのでは? と思いました。娘。がわからない、といえる空気がない、ということはないと思います。わからない、というだけだったらここまでの騒ぎにならなかったと思います。もう「酢豚のパインが好きか嫌いか」という問題でもなくなってしまっていると思います。この議論に関して一番わたしが問題だと感じたのは、娘。と金井の共存よりも、その背後に隠れていた<嫌い>が<批評>と連関してしまうことに関することでした。長々と、そしてコメント欄でこっそりと、もうしわけありません……。日記でもいろいろ書いてるので、書いている場所がぐちゃぐちゃしてしまいさらに申し訳ない……。

全然申し訳ないことはないです。
ぼくには誠実さがちょっと欠けていたと思います。すべて自明自明と思っているところがあったように思います。具体的に、共有できているものがほとんどない前提でお話しした方がかえってスムーズかもしれませんね。



(1)まず、ぼくの「差別的」発言について

人間を趣味によってカテゴライズする行為は、差別というか、単なる一個人の主観でひとくくりにしているわけですから、これを差別と呼ぶのは難しい気がします。たぶん「乱暴な物言い」くらいのものかなと思います。ぼく個人のカテゴライズにより、社会的な抑圧がそのカテゴライズによって行われるわけではないと思うからです。
 その上でさらに語らせてもらうと、差別でないとしても「たかが趣味で全人格を決める乱暴さ」が問題である、というのであれば、それも少し違うように思っています。少なくとも、これは過大評価にあたるのかもしれませんが、モーニング娘が好きというのは、牛乳よりも豆乳が好き(注:ぼくのことです)という「趣味嗜好」のレベルではなく、「身体を貫く思想」に近いように思えます。だから、その人が、自分の思っていた人間と違うということでガッカリするのです。ぼく自身、豆乳の不味さについて口を極めて罵っているサイトがあったとしても、「今さら牛乳に戻れるかい」と思ってスルーしてしまうと思うのですが、ぼく自身、モーニング娘に関して口を極めて罵っているわけでもないのに、さまざまな人が言及(肯定的であれ、否定的であれ)しているというのは「身体を貫く思想」と呼んでいいくらい、その人に根ざしたものであると考えています。少なくとも、理解できないにしろ、「人一人の身体を貫くことができるらしい」と認識しているという点においては、ぼくは「モーニング娘は偉大な存在である」と思っているのかもしれません。

(2)モーニング娘が凡庸かどうかについて

(1)は、さほど自分では乱暴と思っていなかったのですが、この問題についてはちょっと乱暴だと思いました。id:hentaiさんの乱暴センサーたるや…と思いますね。それは措くとして、ぼくの仮説では、反応してくれる人は「モーニング娘は凡庸だ。でも、それを含めて好きなんだ」という話が返ってくるのではなかろうかと踏んでいました。それは残念ながら、ぼくの妄想にすぎなかったようですが、「モーニング娘は非凡である」あるいは「凡庸とかそういう
言語でくくることができない存在」という認識の方が近いとするならば、ぼくにとってはやっぱり不思議です。不思議というのが、ニュートラルを装う、悪意に満ちた欺瞞的な物言いであるというのであれば、いまだにぼくの目には凡庸なものに見えていますと言わせてください。ちなみに「悪い」とは思っていません。それはid:hentaiさんも了解してくださっていると思いますが。

「歌詞がすべてじゃない」というのを認めた上で、「でも歌詞も一部だと思う」という立場で、昔から気になっていたタイトルの曲に具体的に言及しようと思います。今まで具体的に物を言わなかったのが問題だとは思うので。考え方として「歌詞だけ見てるからおまえは楽しめないのだ」という意見があるかもしれませんが、歌詞以外に言語化できるもの、たとえば、本人たちの言動などで「こういうのがイイ」というのがあれば、ぼくも納得するように思います。ぼくが想定しているよりも非言語的要素が大きいのかもしれません。ただ、ぼくはモーニング娘に関してはさまざまなことが語られていて、好きな人はそれを丁寧に読んでいるだろうし、そこでかなりバイアスがかかっているのでは、と思っています。その意味で、繰り返しますが、モーニング娘は他のアイドルなどに比べて言語化が進んでいると思うのです。

だから、すぐに「言葉にできないすばらしさがモーニング娘にはあるのだ」という言い方をするのではなく、もう少し言葉にした方がいいのでは?と感じています。面倒だから、誰かにそれを迫ろうとは思いませんけど。
ちなみに、id:hentaiさんは、言語化してはいけないという原理主義者(そこまで言い切られると、すがすがしいのでもう何も言えなくて、じゃましてすみませんと思います)だそうですが、そんな原理主義者にはモーニングにまつわる
言説や、彼女ら自身の言語がどう映るのか、知りたい気もします。

と、前置きが長くなりましたがちょっと引用して考えてみます。なんかネチネチした感じになって申し訳ないです。

愛あらば IT'S ALL RIGHT
得意なことよりも
好きなことが良い
その場の勝利よりも
本当にすごくなろう

「恋」は時に苦しい
「愛する」って尊い
全てを重んじて
太陽を浴びよう


「愛あらば」ですが、まず格助詞がありません。現代語訳すると「愛があれば」になるのでしょうけれど、古文みたいになっています。そして、「仮定形+ば」ではなくて、古文の「未然形+ば」になっています。どちらも仮定条件ですが、なぜ「あれば」ではなく「あらば」と、古文みたいになっているのか?うがった見方かもしれませんが、「愛があれば」よりも重みのある感じを出したいのかなと思います。ぼくはこの表現が、ときどき見かける「〜しませう」に似たものに感じられます。そして、古文的な言い回しの後に英語が入るところでコントラストができあがっていますが、ぼく自身、このコントラストが美しいように思えないのです。

 次に「得意(=社会的に役立つ)」なことよりも「好きなこと」が大事であると言っています。社会的に評価されることよりも、自分が楽しむことが大切、というスタンスだと思います。たとえば偏差値を上げることよりも、自分が好きな勉強をしよう、昇級とか出世とかを気にするのではなく、自分のやりたい仕事をしようという考えだと思います。その言葉自体には同意しますが、こういう言い方で説教をしてくる友達を思い出してしまいました。

 さらに、「勝利」よりも「本当にすごくなろう」と言っていますが、これは、大事なのは勝ち負けではないという話だというふうに捉えました。ぼく自身、大事なのは勝負ではないと思っていますが、先生がいいそうなことだなと思ってしまいます。

 あと、恋よりも愛が大切という話です。恋と愛をそれぞれ定義しないまま、愛の無償な感じを賞賛しているように読めます。


 という具合に感じてしまって、その後に入れないというのが実情です。
今歌詞についてあれやこれや言ったことはごくごく一部の問題なのかもしれませんが、ぼくはその後に入る気になかなかなれませんでした。どう聞いて、どう感じたらいいのか、コツみたいなものがあるのでしょうか。あと、音がいっしょになるとまた違った効果が出てくるという話もあると思います。
 ぼくの見方がうがっているのかもしれませんね。あと、この歌詞は実は好きな人が少ないという可能性もありますが。