ココロ社

主著は『モテる小説』『忍耐力養成ドリル』『マイナス思考法講座』です。連絡先はkokoroshaアットマークkitty.jp

モーニング娘(id:jounoさん編)

id:jounoさん、こんにちは。
書くのが遅れて申し訳ないです。


「好き」を言語化することに関して、たぶんぼくとid:jounoさんの間に大きな隔たりがあるのと思います。この点から溝を埋めていけるのかもしれない、と思いました。

「理由があるから好き」というのはたしかに本末転倒ですが、ぼくは、「好きな理由」というものは、それなりに言語化できると思っています(楽天的かもしれませんが)「モーニング娘のどこが好きか教えてください」という問いに、それなりに答え得るはずです。たとえば、カズノコのおいしさについて語ってくださいというと、「歯ごたえが…えーと…」と言いつつ口ごもってしまう他ないですが、モーニング娘の場合は事情が違うのでは?と思っています。モーニング娘が好きな人は特に強く感じているところだと思うのですが、モーニング娘に関しては、それこそおびただしい量のテクストがあり、純粋に好きという人でも、それを避けるのは困難だと思います。「好き」という非言語的なピュアな気持ちが仮にあったとしても、この場合、言語の浸食を受けているに違いないと思います。モーニング娘の場合、その浸食ぶりが突出していると思うし、その意味でもかなり特殊なユニットだと思っています。だから、「好きは言語化できない」という一般論は一度措いてみてもよいのでは、と思います。もしかしたら、「言語化されているというのはわかるが、とはいえ、言語の外にある魅力は広大である」と考えていらっしゃるのなら、そこで決定的に見解の相違があるので、話を進めるのが難しくなってしまいますが…
たとえば、歌詞以外の言語情報についてぼくはまったく知らないのですが、誰がリーダーになるとかメインのボーカルになるとか、ユニットがどう分けられるとかについて、さまざまな物語が語られていたりするわけですよね。一つの理論としてというより物語としてだと思いますが。たぶん、そこに歌詞が絡んでくると、その歌詞が全然違う文脈に置かれ、感動するというメカニズムなのではないでしょうか。
とするなら、それらのテクストの連関を追い、モーニング娘の魅力に迫ることは可能ではないかと、単純にぼくは思ってしまうのです。その、テクストに還元されたモーニング娘が、紋切型センサーに引っかかる場合、好きな人は内部的にどう処理しているんだろうか?と思います。くどい言い方で申し訳ないですが、小説と、音楽や映像の間には、一見大きな隔たりがあるように思えますが、モーニング娘は、限りなく両者が近づいている特殊なアイドルだと思っていて、金井美恵子と同じ土俵に立たせてみることができるのではないかと思い、さらにそこで矛盾が起きるのではないか、と思っているのです。「これは紋切型である」という情報の上に紋切型のテクストを載せるとどうなるか、という話だと考えています。