ココロ社です。久しぶりの更新で緊張しちゃう……。
7月の話。山口近辺に行くことがあって、話題の角島大橋に行ってみるのはどうだろうと思って調べてみると、おなじ山口の人が「沖縄みたい!」という感想を書いているのを見かけた。そんな近いところに喩えてうれしいのだろうか、どうしても喩えたいというなら、外国に喩えればもっと楽しかろうと思ったのだが、では具体的にどこに喩えたらよいのか、わたしにもわからない。
調べてみたら、羽田空港から那覇空港に行くのと、山口宇部空港から那覇空港に行くのでは、30分程度しか変わらない。東京の人がもつ沖縄ファンタジーと山口の人がもつ沖縄ファンタジーは案外同質のものかもしれない。
道路や橋のように、単に必要に応じて作っただけの建造物でも、お、これはいわゆるひとつの文化系かも、これはエグザイルが好きな人が好きそうだな、など、文化圏の違いのようなものを感じることがある。角島大橋は、青い海、本州最長ランクの橋と、どことなくエグザイルが好きそうな人が好きそうな風景であって、給水塔などに心をときめかせてしまうマイナー文化系のわたしにとっては、単に風景と向き合うというだけでなく、異文化に触れることでもあると思う。
角島大橋という、BGMとしてはエグザイルがふさわしい橋に対して、わたしは、駅から歩くという誤ったアプローチをあえてすることにした。
特牛(こっとい)駅からバスを借りるか、あるいは下関でレンタカーを借りて回るのが常識であることは知っているが、わたしが降りた駅は山陰本線の阿川駅。
運賃は、決済方式において電車がバス状になっているので、車中で払う仕組みになっている。
ここから歩いておよそ90分。山を突っ切る最短距離だともう少し早く着くのだろうけれど、 退屈そうなので、海沿いの道を歩くことにした。
阿川八幡宮は誰もいなくて、ついついゆっくりしたくなる
ほどよく寂れた寺社を挟んでいかないと歩けない病気にかかっているため、ちょっと寄り道をして、鎌倉時代に建立されたという、阿川八幡宮を訪れた。
本来ならもっと南にあるはずのイヌマキが群生していて、ここが北限となっているようだ。
前言撤回で申し訳ないが、「沖縄みたい!」で愉快な気持ちになる。宮崎の青島神社を思いだした。
イヌマキは、鼻の濡れた従順な生き物とは姿かたちはほど遠い。
『犬菟玖波集』の「犬」と同じく、英語で言うならtinyの意味。
「マキ」は杉の古名で、つまりは「ショボい杉」である。
ショボくてもぼくは好きやで……。
念のため金次郎も撮っておいた。
この金次郎は、衣服の柔らかさや端正な顔だちなど、かなりできがよい。
「二宮金次郎」で検索をしてみると、よりこの像のよさが実感できると思う。
この出来栄えなら、金次郎を目指そうと思った人も多かろう。
何もない道こそ、イマジネーションの発揮しどころである
とくに名所らしい名所のない人気のない県道をひたすら歩くのだが、好奇心さえあれば、どこでも名所なのである。
たとえばこの廃工場のようなところはアウトサイダーアートの趣がある。
かなり精力的に立ち入り禁止を禁止しておられる工房があり、かえって入ってみたいという好奇心をそそられてしまったが、やはり入ってはいけないのである。
ここは養鶏場。調べてみると、ここで生産された卵は、直営店で、食べログ3.5点のスイーツへと変化を遂げている模様である。
鳥インフルエンザにかかってしまったら廃業になりかねないので、外部の訪問者にはかなり気を遣っているようだ。誰もいなかったが、咳をしないよう気をつけて通過した。
かつては無粋の象徴だったかもしれないトタン屋根も、いまや風情が感じられる。
海に出ると、元食料品店と思しき店の壁に、「原発絶対反対」と書いてあった。
反対運動が成功をおさめたから消したのか、成功も失敗も関係なく、ただ書いたものが色褪せたのかはわからないが、原子力発電所が建設されなかったことはたしかである。
原発のない港。
(あるかないかについて述べただけであって、ここでよしあしについて価値判断はしない)
海沿いに歩いていくと、島と橋が見えてきた。これがあの角島大橋である。
角島大橋は、観光ガイドの写真のことを忘れて楽しみたい
観光サイトなどで見る写真は、青い空、エメラルドグリーンの海で、よい条件で撮影されたか、撮影のあと加工しているかに違いなく、実物と対峙したときにがっかりする可能性が高い。だから、あまり期待しすぎないように……と言い聞かせながら歩いてきたので、ちょうどよい大きさの感動が得られたのだった。
なお、この橋はノーマルな感性の方は自動車で通過するが、わたしは駅から橋までを歩いたので、橋そのものも当然ながら歩いて渡りたいと思った。
橋の全長は1780メートルあって、この橋を渡れば、その満足感で、しばらく橋なしで暮らしていけそうである。
観光サイトでは、長い橋とエメラルドグリーンの海に目を奪われるが、歩いてみてわかったのが、角島に近い側がかなり急な坂になっていて、非常にスリリングであるということ。
特に上り坂のピークからは先が見えなくて足が震える。そして足が震えると轢かれてペシャンコになる確率が上がる。
この小島は鳩島と呼ばれているが、たとえ事実として鳩が集まることがあったとしても、鳩はたいていのところに集まるので、他の名前を検討していただきたかった。
戦時遺跡はあるものの、歴史は控えめな島である
橋を渡り切ったあとも道は続くので、メインストリートと思しき道を歩いていく。
途中、戦時中に作られた砲台跡があるが、とくに誰も気に掛ける様子はないし、草が生え放題である。
向かいに弾薬庫として使われていたらしい穴がある。ここで遊んではいけませんと書いてあるので厳守しなければならない。
わたしは中に入って調査をするだけであって、決して遊んでいるわけではない。
中は活用法が不明だが、平和的なアイテムが置かれていた。
ジャパニーズリーサルウエポンのTAKE=YARIの可能性もなくはないけれど……。
関係ないが、TERIYAKIとTAKEYARIは似ている。
ほどなくすると、また海岸を通ることになる。
波が高かったので、7月の休日だったのに、遊泳禁止になっていた。
エグザイルが好きな人はこの島には泳ぎに来るのだろうから残念に思っていたのかもしれないが、遊泳禁止になっていたので写真は撮りやすかった。
しかしながら、はからずも遊泳禁止のフォントが泳ぐことの楽しさを全身で表現しており、もっと禁欲的なフォントでないとフラストレーションがたまってしまうのではないかと思われた。
とくに注意書きがないわりに気合の入った縄で飾られた道祖神的なサムシング。
大規模に立ち小便を禁止しているなぁと思って見たら、不法投棄禁止と書いてあった。
鳥居を描くとせいぜい立小便しか禁止できないが、木で鳥居を組み立てるとそれはもう神社であり、不法投棄をも防止できるのだ。
青空に赤いトタン屋根。コントラストが最高!
青空に青いバケツ。同系色で最高!
住んでいる人にとってはどうでもよい風景なのだろうけれども、見とれてしまう。
博物館があったので入ってみた。
地理的には、朝鮮との通信で栄えたことを示す遺跡が出てきてもよいように思うが、展示してあったのが、大陸から漂着した木の仏像くらい。
そしこれらを返さなくても怒られないのだろうか。
「返さなくてもいいですよね」と念のため聞いたら、「じゃあ返して」と言われそうな気がするので、わたしが担当だったら絶対に聞かないが……。
島の近くで見つかった新種のクジラ「ツノシマクジラ」の骨格標本が吊り下げてあるが、これはレプリカ。
本物は東京国立科学博物館にあるようで、都民としてなんとなくゴメンという気持ちになった。
この種のゴメンは旅行すると2回に1回くらいのペースで感じるゴメンである。
しかしこのクジラ、見つかったのが15年ほど前。
おそらくそれまでも何度も見つかっていたが、ちょっと個性的やねぇくらいにしか思わない人が多かったに違いない。
何か見たら「新種」と思うくらい無鉄砲な方が、新種を見つけやすいのかもしれない。
お!
これは教会でございますね。
この地にもキリスト教が伝来し、島民に愛されてきたのだろうか……牧師が島のちびっこにパンケーキを焼いたりして「キリスト教=幸福」のイメージを流布したりしたのだろうか……などと思ったが、なんのことはない。
映画の撮影で使ったセットを残しているらしく、中はトイレである。
一言でまとめると、トイレの神様である。
朝鮮からの特使がワンクッション置くには最高に島だと思うのに、ここまで歴史が見えないとは、実は何か隠しているのでは……とう疑念すら生まれてきたが、何かあるなら糸電話か何かでご教示くだされば幸いである。
海岸に降りて、念のため海岸漂着物を確認した。
大体こんな感じで、韓国からやってきたアイテムが多くて、日本海側やなぁとしみじみする。
なかで怪しい物体を発見。
不発弾か何かに見える。外側は朽ち果てているのに中の銅線はきのうにでも引かれたように見える。
外はカリカリでもなかはしっとりしていて、銀だこのたこ焼きのことを思いだしてしまった。
日本に2つしかない、無塗装の灯台
なお、近代になってから、この島に灯台ができた。
お雇い外国人のリチャード・ヘンリー・ブラントンによる設計。和歌山の友ヶ島のこじんまりした灯台も彼が設計している。
そんな彼も今はシロアリの親分みたいにツルツルのテカテカである。
色がついていなくて完成途上のようにも見えるが、もともと無塗装で、このような灯台は国内で2例しかなく、珍しい灯台なのである。
白く塗られた灯台よりも威厳が感じられる。煉瓦の規則的な継ぎ目が蛇のようで不気味なかっこよさがある。
お小遣いが足りなくて塗料なしで組み立てたガンダムのプラモデルもこんな感じだったかも。
灯台の中に入り、展望することもできるが、このブログの筆者は高所恐怖症であり、高所にて十分な写真が撮れないという欠点をもっていることをご了承いただきたい。
帰りはバスに乗り、橋を渡って、特牛(こっとい)駅で降りる。
バスから見て、坂のところで歩行者がヌッと出てきたら驚くだろうなと思ったが、わたしはスマートなので、ヌッと出てくる感じにはならないと確信している。
特牛駅は一見、廃駅に見えて、電車が来ないのではないかと思ってしまうが大丈夫。
駅員はおらず、駅員室も空になっていて、招き猫が虚しいが、決済方式がバスと同じなので無人でも問題ないのだった。
しかし、いい風情の駅で、バスを降りてから電車が来るまでの間に空き時間が確保できれば、待合室などでぼんやりできてよい。
歩き回った疲れが古びた木の椅子を伝って抜け落ちていくようだ。
車体のデザインは無骨だけれど、色がオレンジ色だと可愛らしい。
なんだか懐かしい色と形だなと思って調べてみたら、わたしの家の沿線だった片町線でも使っていたらしい。
木津とかそこらへんでこれに乗ったかな。
角島大橋、エグザイルを聞きながら、バスや車で行くのが常識的かもしれない。
しかし、ゆっくり歩きまわるとさらに楽しめるので、まる一日歩く予定で行くとよいのではないかと思う。
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