東京在住の人でも、「唐木田」という文字列を見たことがない人もいるだろう。小田急線を使っている人は、「唐木田行き」という文字列を見たことがあるかもしれないけれども、そういうのはいいから小田原行きを増やしてくれと思うだけかもしれず、ましてや降りたことのある人は少ないと思う。
わたしも、唐木田に行く前は、住む分には始発駅だから通勤には便利そうだが、観光地ではないと認識していた。しかし、実際に行ってみるとそうではなかった。いや、やはり一般的な意味での観光地にあたらないことはたしかなのだが、ちょっとした非日常的な空間が楽しくて、もう五回ほど散歩に行っている。たとえば幕張に住んでいる人が唐木田に遊びに行くのはあまりおすすめしないが、仙川や調布、成城学園前や新百合ヶ丘などにお住まいの方にとっては、気軽に味わえる異空間である。
もし行くなら、夕方4時ごろがおすすめで、駅を出てからゆっくり歩いても2時間もかからない散歩道である。
ホームに降りる。
近くにある終着駅、京王相模原線の橋本駅は、JR横浜線と接続しているため、ここで行き止まりになっているという感覚がないが、唐木田駅のホームは広く、終着駅特有の開放感がある。
ゆっくり味わうように歩いて改札に向かう。
折り返し乗車禁止の告知に余念がない。終着駅ならではである。
改札を出たところも、終着駅らしい開放感がある。
国道158号線を南下していく。
南下しているのに北上しているような感覚になる風景である。方向感覚に優れた人は、こういうとき、南に進んでいることを実感できたりするのだろうか。
お目当てのひとつ、煙突が見えているが、のちほど舐めるように見るのでご安心いただきたい。
丁寧に刈られていて床屋のパンチパーマを思わせる中央分離帯も見逃せない。
5分ほど歩くと、中世ヨーロッパの城のような奇妙な風格を感じさせる建物が現れた。
多摩市総合……の続きの判読が難しくて興奮する。どんなメンテナンスをするとこんなに汚れるのだろう。多摩市には、パルテノン多摩という謎めいた施設があるが、それに匹敵するほど謎めいた建物である。
細部の老朽化が激しく、実年齢プラス50年の風格を持っている。
中に人がいるのに、なぜか廃墟のように見えてしまう不思議な建物で、ぐるぐると何周もしてしまった。
老人や障碍者の福祉のための施設で、高齢化が著しい多摩市ではますます重要性を増してくる施設と思われる。
首から上の飛び出し具合が愛らしい。
家に飾りたい。
なぜここは突き出ているの?
草はだいたい変なところから生えている。
裏から見ても素敵。なぜこんなデザインにしたのだろう。ここの建築家の他の作品も見たい。
しかし、何周もぐるぐる回って施設内には一歩も入らなかったわたしは傍から見たら単なる不審者だったろう。
福祉センターの外観を満喫したら、ゴルフ場に隣接した遊歩道に入っていく。
この山道からは巨大な煙突がちらちらと見えるのだが、木の枝に阻まれてよく見えない。
ここで十分イライラしておくことで、このあとよく見える位置に来たときの感動が強まるのだからじっくりとイライラしておきたい。こういうときの枝もまた魅力的である。
広場のような場所に出たが、誰もいない。2回に1回くらいの確率で老人が背を丸めて座っていて、何度も来ると、くじ引きしているような気分になってくる。
ここではタンクがちらちら見えるので、同じく焦れておこう。
斜面を登って右折すると、タンクと煙突がよく見える道につながっている。鑑賞するための道では決してないだろうけれど……。
この道は「よこやまの道」と呼ばれている。奈良時代の防人歌で、多摩の横山というくだりがあり、ここから太宰府に赴任することもあったらしい。大阪からは船に乗るとして、多摩から大阪まで歩くのかと思うと気が遠くなる。つまり、渋々ながらも、「東国から手弁当で北九州まで行って国を守って死んでくれ」という命令を聞いていたということだ。1300年以上前に朝廷の威厳がこんな隅にまで及んでいたとは驚きである。
このタンクは東京ガスのタンク。 東京ガス多摩整圧所である。
山道の上から撮っているので望遠レンズがあれば写し放題である。
ガスタンクは、近いところで立川や千歳烏山にしかない、ということは、このタンクで 多摩ニュータウンよりも広範な地域にガスを供給していることになり、そう思うと小さく見える。
ガスタンクに隣接しているのは、多摩清掃工場の煙突。
そして、先ほど降りた唐木田駅は、この地域の清掃工場の建設を許可した住人たちの請願によってできた駅なのだった。かっこいい清掃工場もあれば駅もあるなんて盆と正月が同時に来たような気分かと思うが、それはわたしの主観にすぎず、ノーマルな人間は清掃工場に対してネガティブな印象を持つものかもしれない。
環境を考えてなるべく高いところから煙を出すようにしているのだろう。
とはいえ、池袋の清掃工場が200メートル以上の高さであるのに比べると、こちらは半分の高さしかない。あそこは日本一なので比べるのは気の毒であるが……。
唐木田の魅力は尽きない。清掃工場の隣には小田急線の車庫がある。
フェンスが張り巡らされていて見づらいのだが、顔に網模様がついてもじっと見ていたい。
さらに余裕のある人は、駅を過ぎて、「からきだの道」を歩くのもよいかもしれない。
ゴルフ場に沿うように壁が作られ、その脇の里山の道を歩くことができる。
この壁はあまり高くないが、刑務所の中にいる気分になれていい。
見えているのはゴルフ場。
金網の向こうにシャバ……模範囚としてがんばっていこうと思う瞬間である。
ゴルフが大嫌いな人は、金網の向こうが刑務所だと思って、ムショ暮らしにならないようがんばっていこうと思う瞬間だろう。
そして、道の端には多摩市唯一の湧水池「寺ノ入の湧水」がある。
滲み出てくるようで、どこから出てくるのかはよく見えないが確実に溜まっていることはたしかである。
鴨がいて、スヤァ……と寝ている風だったのでまわりこんでズームしてみると……。
ウルトラ覚醒中で笑ってしまったが鴨的には絶賛警戒中なのだろう。
この池の階段を登っていくと、見晴らしのよい広場に着く。
さあこの絶景を見てくれと言わんばかりの解説パネルだが、不良の示威活動の一環としてボコボコにされている。
そして、実物も木にじゃまされてよく見えないのだった。樹齢三年などならわかるのだが、樹齢二十年の木だったりしたら、見晴らしを売りにするなら切ればいいし、切りたくないなら見晴らしを売りにしなくてもよいのでは、と思ってしまう。
東京にこんな終着駅らしい終着駅があったというのは大きな発見で、他の終着駅にも行ってみたくなっている。
何もない夕方にぶらっと歩くのに最適の地域であり、これからも何度も遊びに行こうと思った。