ココロ社

主著は『モテる小説』『忍耐力養成ドリル』『マイナス思考法講座』です。連絡先はkokoroshaアットマークkitty.jp

花キャベツのがんばりも見てあげてください

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東京の桜が満開との報道があったが、そのとき実際に都内で見かけた桜はまだ五分咲きほどだった。
開花宣言のときもそうだが、早めに咲く靖国神社にある桜が標本木になっているから実感とずれてしまう。靖国神社の桜が都内の他の桜より早く開花しているように思えるのは、もしかすると英霊のなせるわざなのかとも思うのだが、だとしたら、それだけ早く散ってしまうので、国体護持という観点では縁起が悪いのではないかと思ったり、桜の花芽形成を早めるほどのテクノロジーを持っているのであれば、他の諸問題の解決にも力を貸していただけないかと思ってしまう。

それはさておき、わたしはいつも、この季節に、花のない時期からわれわれを励まし続けてきた、お世辞にも趣味がよいとは言えないが健気な植物のことを想う。その名は花キャベツ。以前から何度か言及してきたのだが、写真がたまってきたので、ここで花キャベツご本人に代わって紹介しようと思う。

この植物、正式な和名はハボタンだが、おそらく「家事手伝い」や「授かり婚」を名付けた人と同一人物ではないかと推測している。素晴らしい才能だと思うが、ここでわたしの牡丹フォルダを開けて、双方を比較してみよう。

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なるべく花キャベツのよいところを撮って下駄を履かせたつもりだが、花キャベツは、土から直接生えているところが地味。色合いも、葉にしては努力していると思うが、牡丹の華やかさには足元にも及ばない。
やはり、ノーマルな感性の持ち主が見ると、「キャベツに色がついていて花のように見えなくもない」という域を超えてはいないし、本人たちにとっても、牡丹と比較されるのはつらいと思うので、サイレント・マジョリティの声を重視して、「花キャベツ」と呼ばせていただきたいと思う。


見頃は、世間の花があらかた散ってしまった11月ごろからで、この時期に、道路の脇の植えこみに登場する。
冬の植えこみといえばパンジーがあるけれど、寒さがピークになる時期は枯れやすく、そんなときに植えこみで花らしきものを見せてくれるのは花キャベツだけなのだ。
とはいえ、この色合いである。都落ちした貴婦人を思わせ、そんなところで気高くしなくてもいいよとも思うのだが、花キャベツがなかったら道の植えこみは更地だらけになり、吸い殻や空き缶を捨てるところと思われてしまう。その意味で花キャベツはささやかな花状のデザインを提供するだけでなく、窓が割れていないことを示す記号でもあるのだ。

2月になってくると、まず沈丁花が華やかな香りをふりまき、梅や蝋梅も咲きはじめ、人々は春が近いことを感じ、多少お世話になった花キャベツの地味な花状の葉のことは忘却の彼方である。
そして4月になって、桜が咲きはじめると、世間の注目は桜の花に集中する。ふだん昆虫や鉱物や魚類にしか関心がない人も桜の花に夢中である。とはいえ、花見をしている脇を通ると、人々は花見というほど花を見ていないように見えるが……。

ほとんど同じ時期に、花キャベツは花を咲かせている。
ただ、花を咲かせる前にお役御免となって撤去されることがほとんどである。
よく植えこみで「花を大切に」という意味の警告が書いてあるが、大切にしていないのはキミじゃないのかと思う。


花キャベツの花がどのような花なのかご存じの方はいるだろうか。
おそらく、中央に控えめな白い花を咲かせる……と思うはずだ。少なくともわたしはそう思っていた。


しかし実際は違う。
冬に花っぽい葉を広げながらすくすくと育ち、3月の末になると、彼らは突然茎を伸ばし、ブツブツ言いはじめる。「いままでのわたしたちの姿に魅了されていたみなさん……実はこの姿は花ではありません……こう見えて、実は葉だったのです……そして……ジャーン!!!これが、わたしたちの花なんです~~~!!!ほらほら見て見て~~~~!!!」
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どこにそんなポテンシャルがあったのかと驚くほど茎が伸びて、黄色い花を咲かせるのだった。植えこみを作った人としても想定外の高さで、バランスの悪さで植えこみの美観を損ねている。
少し前に咲く菜の花に似すぎていて、ふとわれわれの目についても、「それさっき見たよ」と思うし、かつて花のように見えていた葉は、しおれながら別れ別れになってしまい、くたびれたカンカン娘のようで、哀愁しか感じられない。


しかし、花がない季節に花のような葉をつけて、花の季節には改めて花をつけ、人類を二度楽しませてくれようとしてくれた努力は認めるべきではないかと思うのだ。
多機能を目指した結果、無機能に等しくなってしまっているところは、なんだか日本のお家芸のようで他人事とは思えない。


桜もいいけれど、一瞬でいいので、植えこみでひそかに満開を迎える彼らことも見てあげてほしい。


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