ココロ社

主著は『モテる小説』『忍耐力養成ドリル』『マイナス思考法講座』です。連絡先はkokoroshaアットマークkitty.jp

家系ラーメンをたしかめた話

家系ラーメンのマインドシェアが低いという個人的問題

家系ラーメンのわたしのマインド中のシェアが低いことが、常々わたしの中で問題視されてきたのだが、その理由はふたつあった。
 
そもそも、立ち位置が定まっていないように見える。脂ぎっていることがアイデンティティなのかしらと思うが、そうでもなさそうである。わたし自身、脂ぎったものを食べたいと思ったときにはラーメン二郎→なければラーメン二郎にインスパイアされた店→なければ家系ラーメンという行動を取る。海苔やほうれん草がのっていることで、コンセプトのいっそうのゆらぎが感じとれ、和風にしたいの、それとも健康的なラーメンということにしたいの、などと、物言わぬ家系ラーメンに語りかけたくなってしまうのである。
しかも、世間では、家系ラーメンが、脂ぎった食事の代表のように扱われている点に違和感を覚え、わたしの心はますます家系ラーメンから離れていった。「ダイエット中だから家系ラーメンはがまんします」という発言があちこちで見られるが、それは「(ラーメン二郎や天下一品はくどいので、ダイエット中かどうかの如何を問わず食べることはないが)ダイエット中だから家系ラーメンはがまんします」という意味なのだろうか、と勘繰ってしまう始末である。
 
また、店の名乗りにも問題があると思っていた。横浜家系ラーメンの店は、発祥であるところの「吉村家」と特に関係がなくても「家系」と名乗っている店が多くある。その現象は、ラーメン二郎と比較してみると異常さが際立つ。客が「この店は二郎系だね」と言うことはあっても、店が自分から「二郎系の店です」と名乗ることはない。「郎郎郎」と書いて「サブロウ」と読ませるのがせいぜいである。商標権の侵害の問題を持ちだすまでもなく、普通は系列を名乗ったりはしないものだろう。さらに、名乗るのがよりによって「家」で、わたしだけでなく、個人主義者であるはずの弊ブログの読者のみなさまもまた、ラーメンという個人の食べ物にファミリーを持ち出す精神性に違和感を覚えているに違いない。むしろここでみなさまの気持ちを代弁しているくらいの気持ちで書いている。
 
―とはいえ、首都圏において、中途半端な場所で中途半端な時間に脂分の濃いものを食したいと思ったとき、筆で描いた「横浜家系」という文字列が輝いて見えて、消極的な選択の結果としてそこで腹を満たしてしまうこともある。
 

やはり本家を訪ねるしかないと決意する

「家系」と称したさまざまなお店に、再訪はしないにしても合計十回は立ち寄り、本物を知らないまま「家系」のキャリアを積み、「家系=おいしくもまずくもないラーメン」と定義し、上京したころに持っていた「横浜=おしゃれcity」のイメージも、すっかり「横浜=脂・海苔・ほうれん草city」の印象に塗り替えられてしまったのだったが、それはいくらなんでも吉村家や横浜に失礼ではないか……と思い、「吉村家 待ち時間」などと検索して、「行列を見て想像したよりは並ばない」との解に勇気をもらって、横浜まで行ってきた。
 
着いたのは日曜の14時である。ノーマルな人間は昼食を終え、ジャム入りの紅茶でも飲んでいる時間である。しかし吉村家のゲストにはティータイムなどという概念は存在しない。先に券を買うのがルールと聞いたので、事前の調査に基づいてチャーシュー麺のチケットを購入。ホープ軒と同じくプラスチックのチケットだった。
 
わたしは非常に親切なので、戸惑ういちげんさんに、「列の最後尾はこちらです、券を買って並びます」と何度か説明した。この獅子奮迅の活躍するわたしが案内されている人々と同じくいちげんさんであるとは、誰も気づかなかったはずである。
 

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しばらく、炎上中のサイトなどを見て過ごす。40分程度並んだらチケットの提示を求められ、ほどなくして着席することができた。
 
着席したら5分程度でチャーシュー麺がやってきた。

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まず、家系ラーメンというか家ラーメンの本体もまた、ほかのラーメンと同様スープであると考え、スープからいただいた。
いままでいただいてきた家系ラーメンのスープをハイレベルにした味で、これまで「横浜家系」で味わってきたスープから、家系ラーメンのスープのイデアのような存在を空想していたのだけれど、まさにその味だった。
写真の奥に各種の薬味が用意されているのが写っているが、思い描いていた家系のイメージと異なる。麺の硬さなどは指定できても、味そのものの印象が大きく変わるようなしょうがやごまが置いてあるのは意外だった。もっと唯我独尊な感じをイメージしていたのだが、客の好みに合わせてくれるようだ。
 
続いて麺をいただいたが、ふつうだと感じた。しかしこれを「ふつう」と感じられるのは、吉村家が苦闘のすえ作りあげてきた「ふつう」である。労働において交通費が会社支給が「ふつう」なのと同じ「ふつう」であって、意識することはあまりないが、大変ありがたい「ふつう」なのである。先日行った家系ラーメンの店に、麺は吉村家と同じ製麺所のものを使っている店があり、その店と同じ味だったが、スープとの関係性において、麺の魅力が最大限に引き出されているように思った。
 

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ここまでの体験であれば、「さすが吉村家のラーメンはおいしいなぁ」という感想のみだったのだが、驚いたのはあまり期待していなかったチャーシューである。これに度肝を抜かれた。いままで食べてきたチャーシューのどれよりもジューシーであり、しかも、すみずみから微かにスモーキーな香りがする。たしかにスープもまろやかで素晴らしいと思ったのだが、あくまでも想像の範疇ではあったのだけれど、このチャーシュー、単体で3000円分くらい食べてみたい。いきなりチャーシューしたい。イベリコ豚のホニャララみたいなのも足元にも及ばない味で、チャーシューを口にしたとたん、チャーシュー麺が、チャーシューwithスープに見えてきたのである。
 
なお、海苔とほうれんそうは、箸休めとして利用するもので、それ単体としての味のよさを求めるものではなないと理解した。
 

心の相互ブロック 

わたしの隣にいた夫婦と思しき中年男女のペアのうち、女性が、一口食べて「なるほどね~」と冷めた調子で言った。まず、40分並ぶほどの情熱がありながら、ラーメンを食べるのではなく評論しにきた的なスタンスを取るところが気に入らない。夫が、「いっしょに吉村家に行かなければ抗議の意味でソープに行くから!」などと脅迫して、渋々ついてきたという事情があったのかもしれないし、もしそうだったとしても吉村家の如何を問わず夫は別途ソープに行くだろうと予測されるが、そこで、「おいしい、並んだ甲斐があったね」などのコメントはできなかったのだろうか。もし、何がしかの納得が得られた結果「なるほどね~」と発音するに至ったとしても、「納得のおいしさだよね」などと言ってほしかったのだが、なるほどねオバサンもまた、わたしのように無言で並んで目を潤ませながら無言で食べるオッサンのことは嫌いだろうし、つまり心の相互ブロックのようなものである。
 

チャーシューを求める旅が始まった

家系ラーメンをたしかめることによって「本物の家系ラーメンはチャーシューが抜群においしい」という偏った知見を得たわたしは、「ラーメンの本体はチャーシュー」というイデオロギーにひとりでに染まり、わたしのチャーシューを求める旅が始まったのである。
 
翌日に新宿の「満来」に行ってきた。
 

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吉村家とは全く異なる路線だが、チャーシューのボリューム感と柔らかさが最高。ラーメン二郎の豚肉を限りなく高級化したらこうなるという味だった。
 

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また行きたいと思っているし、わたしのチャーシューの旅は果てしなく続くに違いない。
 
最後まで読んでくださったみなさまにおかれましても、気になる食べ物があったら、その源流をたしかめてみるといいと思う。想像以上の新たな発見があるはずである。
 
 

百舌鳥・古市古墳群、ガッカリ名所どころか、脳から汁が出るくらい楽しい

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トップの写真からして茶色くて地味なのに、よくぞ弊ブログにお越しくださいました。広告を入れていないことが唯一のウリの弊ブログですが、ゆっくりしていってください……。
 
百舌鳥・古市古墳群が世界遺産に登録されたということで大変めでたいのだが、世界最大の古墳の世界遺産登録が、たとえば石見銀山よりも後に登録されるのは順番がおかしいのではないかと思った人も少なくないだろう。石見銀山はそれ自体観光地としては最高で、世界遺産に登録されていることそれ自体には何の疑問も抱いてはいないが、古代につくられた世界最大の古墳の方が今になって登録されたことに、わたしもあまり納得できてはいない。当然ながら、ピラミッドは世界遺産がはじまってすぐに登録されている。しかしあれは、大仙陵古墳よりも小さい古墳である……。
 
……などと、何も知らぬかのように装ってみたのだが、百舌鳥古市古墳群の登録が遅かった原因について、実際はなんとなく納得している。それは大仙陵古墳が、古墳の高さではなく、長さで勝負して「最大」と称しているからである。その違和感は女性のバストを例にして考えてみると、一瞬のうちに理解できる。高さではなく、直径でバストを表現されたらどう思うだろうか?グラビアに「Fカップの誘惑」ではなく、「直径20センチメートルの誘惑」などと書いてあったら……(注:わたくし個人は「バストのサイズは女性の魅力のうちごくわずかしか占めていない」という立場である)
 
少なくともピラミッドの雄大さというのは、高さに起因するところが大きいので、その点で勝っていなかったらどうにも消化不良であり、世界遺産振興組合の人も、世界遺産決定会議で、「直径20センチメートルの誘惑とか言われても微妙だよね、もちろんバストのサイズは女性自身の魅力のうちごくわずかしか占めていないという立場だけど……」などと議論していたに違いないのである。
 
前置きが長くなって申し訳ない。検索でこのページに来た方におかれましては、食べログで店のレビューを見ようと思ったら冒頭がレビュアーのポエムだったときと同等の「知らんがな」感が醸成されてしまったと思うのだが、そこは、書き手の承認欲求を満たすことと引き換えに情報が得られるのだとご理解いただければ大変ありがたい。
 
この春に丸一日かけて巡ってきた古墳を順に紹介しようと思うが、おそらく一日で百舌鳥・古市古墳群を満喫するなら、この組み合わせがベストではないかと自負している。古墳の特徴と、なぜその古墳を、この順番で見る必要があるのかについての簡単なまとめをしておく。
 
 
盾塚古墳公園…ごく小さな古墳だが、いきなり大きな古墳を見ると感動しすぎて呼吸困難に陥ってしまうため、雑な扱いを受けている古墳から見始めるべきだから
 
古室山古墳…全長150メートルの前方後円墳で、トップ10にはるかに及ばない大きさだが、このあと見る古墳は宮内庁の管理下にあり、墓の中に入ることができず、ここで前方後円墳の様子を全身で体感しておく必要があるから
 
応神天皇陵…全国2位の長さであり、2位である感動と1位に届かない残念な気持ちを同時に味わうため
 
白鳥稜古墳…ナニワの内田裕也みたいな翁におすすめの古墳を聞いたら「ヤマトタケルの墓があるで」と勧められたので
 
履中天皇陵…全国3位の長さであり、大仙陵古墳を見る前に一度クールダウンしておくため
 
七観山古墳…小規模ながら、当時の墳丘のたたずまいが確認できるため
 
大仙陵古墳…大仙陵古墳を見るべき理由なんて言わせないで……。
 
昨年、岡山・総社市の古墳群についての記事を書いたが、合わせて行くと、日本の古墳の1位~4位までを見たことになり、かつ総社の造山古墳は立ち入れる墓の中でおそらく世界最大でもあり、「古墳に詳しい」と胸を張って言える(かもしれないので)、百舌鳥・古市古墳群をご覧になった方におかれましては、総社市にも行かれることを強くおすすめする。
 
今回の行程を地図にしてみたので参考にしたり苦笑したりしてほしい。
百舌鳥ゾーンと古市ゾーンで距離があるのだが、2日に分けてしまうと自分自身に引いてしまう可能性があるので、中のプランを多少間引きしてでも1日におさめるべき……というのがわたしの見解である。

(1)盾塚古墳公園 (2)古室山古墳 (3)応神天皇稜 (4)白鳥陵古墳 (5)履中天皇陵 (6)七観山古墳 (7)平和塔 (8)堺市博物館 (9)大仙陵古墳
 
今回の旅のはじまりは、道明寺駅からはじめる。道明寺といえばピンク色のおいしいアレを想起するが、わたしはあれが大好きなので、また別の回で扱いたいと思う。今回は古墳の話に集中したい。
 
 

古墳の旅は、公園なのか古墳なのか、よくわからないところから始めたい

古墳というと、立入禁止になっていて、鳥居があって、奥はうっそうと茂っていて……というイメージがあるかもしれないし、これから巡回する古墳たちは日本屈指の古墳だから、まさにそのイメージ通りなのだが、この盾塚古墳は、小ぶりの円墳で、古墳のうえで遊ぼうと思えば遊べる公園になっている。

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しかし、どんなに飼いならされても古墳は古墳。なだらかな丘になっていて、サッカーや野球などをするには難しい。かといって、お弁当を食べるような見晴らしのよさでもないし、公園を偽装するのは難しいようだ。

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このサイズ感を記憶して大仙陵古墳に臨めば「スイカに塩をかけるとより甘さが際立つ」のと同じ効果が得られるに違いない。
 

小室山古墳は、立ち入り可能な古墳として近辺で最大なので立ち入り必須

続いて全長150メートルという、トップクラスではないものの、近辺で立ち入れる古墳の中で最大級の古墳に行きあたった。

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墳丘からの眺めは立入禁止の天皇陵では絶対に味わえないので、この後円部から登って外界を見下ろし、為政者の気分を存分に味わいたい。休日でもほとんど人がいないのでゆっくりしようと思えば好きなだけゆっくりできる。その後、赤面山古墳・大鳥塚古墳・誉田丸山古墳を経由して(というか、最短距離を歩くと古墳の連続になってしまう)応神天皇陵の前方部の遥拝所に達する。
 
 

旅の前半で、全国2位の応神天皇陵を体感できる喜びよ……

応神天皇陵は、いままで見てきた古墳と異なり、天皇陵なので宮内庁の管轄になる。

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拝礼所までの道も整備されており、植えこみたちもかつての高校球児を思わせる。(最近見ていないので今の高校球児がどうだか知らない)
 

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どの天皇陵も鳥居がいつも美しいと思っていたのだが、この鳥居をよく見たら、鳥が止まらないように鉄線が張ってあった。鳥居と言いながら鳥が留まれないのはなぜ……階段の踊り場で踊っていないのと同じ原理なのかもしれない。

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鳥居ができたのは実は近代からではないかと睨んでいたのだが、そのへんの疑惑を晴らすべくパネルが用意されていた。

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遅くとも室町時代には鳥居が設置されていたようである。たしかに、武家が活躍していた時期も、征夷大将軍の称号は天皇の勅令によって与えられるものだから、ないがしろにするわけにはいかなかったのだろう。
ほんとうに絵通りだったとると、草木はまめに刈っていたということになり、いまもそうすれば、より天皇陵としての存在感が際立つと思う。
 
 
 

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休んでもいいけれど座ってはいけない的な謎の高さのベンチ。
 

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外堀には花や作物が植えられていて楽しい気分になる。
 
写真を撮りまくっていたら、ナニワの内田裕也と呼ばれている確率99%の翁が現れ、「何撮ってますのん?」と聞いてきた。不審者と思われているのかな、たしかに不審であることは認めるけれども、少なくてもあんたよりは不審度は低いはずでっせ……と思ったのだが、「もちろん古墳ですよ」と答え、それだけだと楽しくないので、「このあたりでおすすめの古墳あります?」と聞いたら、少し間を置いて、「あっちにヤマトタケルの墓があるよ」と教えてくれたのである。もともと予定に入れていなかったのだが、ヤマトタケルの墓を見ないで帰るわけにはいかんやろというのは、わたしと彼との共通認識であったのだが、「どうやっていったら近いですかね~?」とノリノリで聞いたら、「うーん……わからへん」と言ったので、まあ地元の人だからといって詳しいわけではないよねと思い、Map界の立花隆ことGoogle Mapで調べてそのまま徒歩にて向かった。
 

ナニワの内田裕也のイチ推し、白鳥稜古墳

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ヤマトタケルの墓とされる白鳥稜古墳だが、5~6世紀の墓なので、ヤマトタケルの没年とまったく合わないところが最高にチャーミングである。白鳥となったヤマトタケルがこの地に降りたという伝説が残っているうえに、明治政府がここがヤマトタケルの墓だと決め、羽曳野市という名前の由来にもなっていたりもするので、史実などはもはやどうでもよいという気分になってしまう。
 
 

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そして堀には白鳥になりきれないことと引き換えにお肉はおいしそうな鴨たちがくつろいでいた。
 

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宮内庁もここを「日本武尊白鳥稜」と呼んでいるが、ここがヤマトタケルの墓であると信じるには神武天皇陵が神武天皇の墓であることを信じるのと同程度のイマジネーションが必要。
 

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なお、拝礼所の両脇は民家で固められていてエキサイティングである。
 
 
そして、本丸であるところの仁徳天皇陵に行くため、近鉄南大阪線で一旦天王寺まで戻ってから堺へ向かう。最寄り駅は三国ヶ丘駅だが、上野芝で降りるのがポイントである。なぜなら、日本第3位であり、世界第3位でもある履中天皇陵古墳もついでに見ておきたいからである。
 

巨大なのに影が薄い、悲運の古墳……それは履中天皇陵古墳

日本第3位であるはずの履中天皇陵、観光客はかなり少ない。やはり日本第1位であり、世界第1位であるところの大仙陵古墳に近すぎるのでインパクトが感じられないのだろう。もし履中天皇陵が神奈川県秦野市や千葉県茂原市にあったとしたら、どれだけ賑わったことだろう。そして履中天皇陵は大仙陵古墳よりもあとにできたのだが、自分の墓が「単体で見たら大きいはずなのに大仙陵古墳のそばにあるせいで微妙……」みたいな評価になることくらいわかっていただろうに、なぜこんな近くに……などと思いながら前方部へと向かう。
 

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鳥居までの参道は整備されていて、微妙などと思ってしまったことを申し訳なく思う。

 
なお、鳥居はリニューアルされたようである。

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上のツルツル感のあるところだけで鳥が来ないようにできるのかは謎である。
 

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そして、堀の端から見ると、古墳の大きさがよくわかる。巨大古墳で、地面からの景色を撮ろうと思ったらここに勝る場所はないと思う。大仙陵古墳はここまで見晴らしがよいわけではないので、ここで記憶に焼きつけておきたい。
 
 
小規模ながら当時の墳丘の様子がわかる七観山古墳も外せない
 
また、近くに、復元された七観山古墳がそばにあるので、ぜひ登っておきたい。

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メカニックなあしらいに見えるかもしれないけれども、大仙陵古墳も、今の草木が茂っている状態ではなく、葺石がびっしり敷きつめてあったはずで、往時のインパクトは絶大だっただろう。
 

平和の塔の登れなさがせつない

そして百舌鳥・古市古墳群の最終章である大仙陵古墳に向かうのだが、気になる塔を発見。

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給水塔かなと思って近づいてみると平和の塔だった。

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同じ平和祈念の塔でも近くのPLのタワーとはまったく設計思想が異なる。

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窓状のものがついているが、中には入れない。もともと塔とはそういうものであり、仮に塔の中に入れたらより世界平和実現への意志が固まるかというと、そんなことはないから、これでいいのだと思う。

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扉のそっけなさが好きである。
 

大仙陵古墳の前にイマジネーション蓄積用の博物館がある

古墳の前には堺市博物館があって、この古墳群の何たるかを学ぶことができる。三国ヶ丘駅から歩くと、古墳を見てから博物館を見ることになるのだが、映画でいうとネタバレであるから、「博物館→大仙陵古墳」のルートをおすすめする。
 

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堺市職員の手にかかればピラミッドや始皇帝陵は透明な存在にすぎない。
 

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大仙陵古墳の石棺のレプリカが展示してある。
この姿を記憶に焼きつけてあとで遥拝所に向かおう。
 
ほかにも副葬品などの展示があり、緑のモサモサ~ッとした中にこれらがあったんだと想像することで緑のモサモサ~ッの見え方が大きく異なってくるはずであるし、知識のないまま緑のモサモサ~ッツを見ても「生えてるな」としか思えないのでご注意いただきたい。
 
古墳のイマージュで脳内を完全に満たされていて頭がお留守になっていたが、よく考えてみてれば堺といえば鉄砲。

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そして、この最大規模の火縄銃、飛距離が1.6kmと驚きである。戦国時代から地道にこの銃を作っていたら太平洋戦争で米英に一矢報いることができたかもしれない……などという無駄な想像をしてしまったが、戦艦大和の主砲の飛距離が40km超で、結局沈んでしまったことを考えると、むしろこの思想の延長線上で考えていたからよくなかったのかもしれない。

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細部が余すところなくヤンキーで、その歴史の厚さに感動する。
 

大仙陵古墳は、墓というよりひとつの街である

わたしが小学生のときは「仁徳天皇陵」と呼ばれていたが、中学生のときにはすでに「大仙古墳」で習っていた。その背景には、天皇陵なのかどうのなのかという迷いがあるのかもしれないが、だとしたら本当の仁徳天皇の墓はどこにあるのだろう。仁徳天皇が死に際に「狭いところの方が落ち着くかも」などと口走り、忖度まつりのあと、当初予定の大規模な前方後円墳ではなく、手足を折って小型の甕棺墓などに入れてしまったという可能性はないだろうか……そんなことは絶対ないだろうけれども、誰かの墓であり、それが世界で一番の面積であることは真実である。
 
さすがに遥拝所のスケールは他の古墳をはるかにしのぐ。

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そして(いるかどうか知らないが)仁徳天皇の存在が遠く感じられる。

外周は約3kmで、前方部の端から見ると先が霞んで見える。

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堀への立ち入りは禁止されているが、絶対に立ち入ってほしくないという気持ちがフェンスを水面に突っこませたのであった。

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柵のあしらいにも歴史が感じられて楽しい。

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堀から流れる水は樋の谷から土居川へと流れる。いまはすぐ暗渠になるのだけれど、水遊びができるようになっている。古墳とか水遊びとか忙しいねぇ……。

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いまでもここから30分歩けば大阪湾にたどり着くけれど、古代なら海沿いといってよいほど海に近い。舟で堺を訪れた諸国の人々は、巨大建造物を目の当たりにしてさぞかし驚いたに違いない。
 
大阪女子大の大仙キャンパスが2007年までここにあった。

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大阪女子大自体が大阪府立大に統合されて名前は消え、昭和史の1ページとなった。
 
世界遺産といいつつ、周囲はラブホテルがあったりするところも最高である。

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車でラブホテルに入ったことはないのだが、ナンバーが見えないようにするのって江戸しぐさっぽくて素敵だと思う。でも近所の人が我慢できずに近場でキメていたら車種でバレてしまうのではないだろうか。
 
そして、三国ケ丘駅近くの歩道橋で、少し古墳を展望できはするけれども、ほんとうに少しである。

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この「ミユキ御苑」は、いわゆるひとつの連れこみ宿の跡なのだが、おそらく大仙陵古墳への道しるべになっているために本体を失っても存在することを許されていると推測される。
 

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ブラウン管の大型テレビが廃棄してるのを見ると、旅行っていいなと思う。捨てられた側としてはたまらんだろう。
 
 
「古墳にはそんなに興味があるわけではないが世界一のものには興味がある」という方なら、先述のように三国ヶ丘駅で降りて、大仙陵古墳のみを見て、ただちに大阪に戻って新世界の喫茶ドレミでホットケーキ(どうやったらあんなに香ばしく仕上がるのだろう)を食べるというのも悪くない。ゆっくり歩いて堀にいる鴨を見てフーンと思ったりするすると、およそ1時間で駅に戻ってくることができる。
 
 
 
古墳というと、上空から撮った写真が印象に残って、いざ行ってみると「ただ広いだけだな」と思ってしまいがちなのだが、それは下調べやイマジネーションが不足しているだけの話。うんざりするほどの広さであることを体感するだけでも、一生の思い出になるので、ぜひ行ってみていただきたい。わたしは「一回は体験しておきたい」と思いつつ、東京から何回も訪れている。
 
 
 
 

モリアオガエルの産卵シーンを目撃するも、男の人生を重ね合わせて絶望してしまった話

モリアオガエルの産卵について知ったのは幼稚園のころで、泡だらけの産卵シーンを自分の目で見たいけれど、それを見るには草木がボウボウに生えていたり泥が底なしに溜まっているような密林を潜り抜け、そのあとは何日も産卵のチャンスを窺って産みそうな場所でキャンプを張ったりせねばならず、きっと無理だろうと思い、その希望は、「産卵シーンが見たい」から「産卵は無理としても、せめて泡でできた卵塊が見たい」という、やや現実的な夢へとダウンサイジングされた。幼稚園児のころのプロ野球選手になりたいという夢が、大学2年あたりには一部上場企業で働きたいという夢にダウンサイジングされることと悲しいほど似ているけれども、一部上場企業で働くことが簡単ではないのと同様、卵塊を見ることもそれなりに難しい。
 
3年前の5月に東京都あきる野市をぶらぶらしていたときのことである。考えなしに武蔵五日市の駅で降りて、地図でお寺を探して、秋川を越えた山のふもとによさそうなお寺があるのを発見し、行ってみた。それが広徳寺で、本堂の佇まいはこのように素晴らしく、都内屈指の名刹といえるだろう。
 

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そして本堂の脇にある池がワイルドで、何かいるのかなと思って池のまわりをうろうろしたら、大変気になる看板を発見した。

 

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看板の指示通りお行儀よくする気マンマンなのはいうまでもなく、「モリアオガエルがいる池ですよ」と書いてあるより、「モリアオガエル等すべてを愛護」の方が、たしかに存在していることを前提にしているようで期待感が高まった。

 
翌年の梅雨の終わりごろ、もしかしたらいるかもしれないと思って行ってみたのだが、ひとつも卵塊はなかった。そもそも、モリアオガエルについての看板が古すぎるので、もう過去の話かなと思って一度は諦めた。まあモリアオガエルの卵を見なかったからといって死ぬわけでなし、そもそも絶対に死にたくないと思っているかというと、それも疑わしいほどであるから、まあいいやと思っていたのだった。
 
 
そしてさらに2年が経ち、Twitterをふと見ると(実際は「ふと見る」という頻度以上に見ているが、「ふと見る」と言いたい)、モリアオガエルが話題になっていた。前回見にいったときは梅雨の終わりごろだったのだが、そもそも季節を間違えていて、梅雨の始まりだったのかもしれない、もしかしたら、いま広徳寺に行けば卵塊くらいは見られるかもと思って行ったら、あっけなく、551の豚まんのようにぶら下がっていたのだった。551だと、たとえば京都駅などでは並ばないと買えないので、卵塊の方がよほど身近である。

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しかしその日は、こともあろうにメインのカメラに電池を入れるのを忘れていたので、ズームもできないコンパクトカメラで撮るしかなかった。卵塊だけで満足なのだが、より大きな写真を撮りたいと思い、翌日にも広徳寺に行った。
あいにくの雨で、きのう電池を忘れていなければよかったと後悔したのだが、行ってみたらきのうよりも卵塊の数が増えていたのである。
 

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白いものもあれば茶色がかったものもある。茶色がかったものは、できてから時間が経ったものかもしれないが、それは局部の色が濃い女性を経験豊富であるとイメージしてしまうのと同種の誤りで、むしろ茶色がかっていたものが白くなっていくのかもしれないし、産卵のときにより気持ちよくなった雌が茶色ががった卵塊をつくるのかもしれない。

 

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アップで見ると汁のようなものが垂れていて、舐めたら酸味と塩味の嫌なハーモニーを体験できそうで震えた。

……などと無駄な思考を巡らせながら雨に濡れたレンズを拭き拭き撮影してまわり、そろそろ帰ろうと思っていたら、視界の端においしそうな草餅のようなものが見えた。
 

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なんと……これはご本尊ではないか……まだ産んでないものの、産卵する態勢であると判断した。この状況でただのお友達ということはなかろう。
 
しかしこの写真を撮って観察を終わりにしてしまったら、この写真を見た人(あなたのことです)に「こういう感じなのに実は友達みたいなのってなんだかオシャレですてきだし、そういうことじゃないの?」と一蹴されそうな気がしたので、産卵の証拠である泡を撮ろうと意地になってしまい、本堂で雨宿りをした。
 

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30分ほどすると雨も止み、さきほどの場所に戻ってみると泡まみれになっていたのであった。

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雄の方が体が小さく、また、人間の交尾でこんなに泡立つことはない(たぶん)。それらを除いては人間のそれに似ている。人間が木に登って交尾することはないけれども(たぶん)、自分と配偶者の体重を支えるための手のたくましさが人間の腕のようで驚いた。

 

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裏から見るといっそう生命のロマンを感じさせてくれる。人間も同様に下から撮ると生命のロマンを感じさせてくれるのかもしれない。
 
 
―ひとしきり撮って満足して、今度こそ帰ろうと思って、念のため池を一周したら、池の中央にもう一組いるのを発見した。しかし、さきほどのつがいと異なり、色が黒い。カエルだから体色を変化させているのだろう。さきほどは葉が多かったので葉を擬態していたが、こちらは枝を擬態しているのかもしれない。複数の固体であっても同じ色に変色しているのが興味深い。「俺はここは葉になっておくべきと思うんだけど」「いやいや、枝じゃないの?」と見解の不一致があって別々の色であるものの身体は正直で次世代をもうけたりすることはないのだろうか。あるいは体色を含めての身体なので、体色を合わせることがセンター試験の足切りのような位置づけなのかもしれない。
 

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そして、よく見たら、もう一匹雄がいる。
 

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人類についてこのようなシーンを見たことが何度かある。男女で話しているときに、空気を読まずわりこんで話しかけてくる男。
 
そして興味本位でさらに待つと、後から来た雄が前からいた雄の肩を抱いていた。

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まるで人間のように見えるし、ここまでくると、雌と交尾したいのか、雄と交尾したいのかわからないし、本人もわからない状態になっているのではないだろうか。

わたしが、かつて大変人気のある女の人とおつきあいしていたときは、「恋人ではないが、何でも言うことを聞いてくれる都合のよい男」のような存在がいたりしたことを思い出した。そんな彼らのことを下賤だとは思わない。自分がその男のようになったりすることも十分に想定できるし、だからこそ意気消沈してしまうのである。
 
実際のモリアオガエルたちは、単純に息をすることの延長のようにこれらの動きをしているのだろう。雄同士で戦って交尾の相手をひとりに絞るのではなく、雌の産卵に合わせて一斉に精の子を放出する方法で優秀な子孫を選別し、残すのである。たしかにその方法の方がより強い子孫を残す結果にはなるだろう。雄の優秀さを競うのではなく、次の世代の素になる精の子自体の優秀さを個別に競った方がたしかに合理的ではある。
 
……と、頭では納得したものの、昆虫などと比べて人類に姿形が似ていて体色も人間寄りのモリアオガエルが肩を組んで精の子を放出しているシーンを人間に重ね合わせてしまって気分が沈んでしまったのだった。人間の場合は、交尾の瞬間に選別が行われるわけではなく、幼少のころから熱心に勉強し、仕事について高収入を得るなどの手段で、競争は間接的に行われるし、勉強は交尾の目的以外にもなされることだけれども、結局のところ同じことではないかと思ってしまったのである。ここで「交尾なんて人生の5%にすぎない」などとわたしは言えない。100%ではないにせよ、70%くらいではある。
 
自分が後からきた雄ならどんな気持ちになっただろう。そこまでして自分の遺伝子を後世に残したいとは思わないし、そうまでしないと遺伝子が引き継がれないような日々是決戦といわんばかりの厳しい「生」に、いかほどの価値があろうか、と思ってしまうに違いない。繁殖の季節が来ても、生きるべきか死ぬべきか……と思案しながら、水中で水草の根をいじくり倒しているうちに、水鳥に食べられて生涯を終えてしまいそうである。
 
性に目覚める前から見たいと思っていたモリアオガエルの産卵。見ることができて幸せだとは思ったが、いざ成人した身で目のあたりにしてみると、自分を重ね合わせてしまってつらい気持ちにもなってしまったのだった。
 
 

日本をオキュパイし続ける『イングリッシュマン・イン・ニューヨーク』

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『イングリッシュマン・イン・ニューヨーク』を聞いた事がある人は多いと思う。むしろ聞いたことがない人はどのような暮らしをしたらこの30年間聞かずに過ごしていられたのか知りたいほどである。もしかしたらハムスターに育てられたから聞いたことがないという方もいらっしゃるかもしれない。歯が生えるまではひまわりの種を何度も喉に詰まらせ生死の境をさまよったりもしたが、成長するにしたがって頬の大きさは並のハムスターの十倍以上に成長。歩くひまわりの種貯蔵庫としてハムスター銀行の頭取に就任するも、まわりのハムスターは数年で死ぬので、ハムスターが生まれるたびに種を貯蔵することの大切さを説くことから始めていた。そんな暮らしなら、音楽を聞く余裕などないだろう。

 
特殊な環境にいる人の話はともかくとして、『イングリッシュマン・イン・ニューヨーク』がなぜかくも空間をoccupyし続けて(≠聴き継がれて)いるのかというと、その圧倒的な無難さゆえである。たしかに、この曲が、コースが3万円のフレンチで流れていたとしても、140円のキャベツ焼き(注:関西を中心に展開されているお好み焼きの具をミニマム化したもので、関西以外ではなぜか相模原市に一店舗のみ存在する)のお店で流れていたとしても、そのことが原因で原因でお店の評価が上がることはないにせよ下がることもないだろう。たとえば同じ80年代のUKの音楽で、フランク・チキンズの『ウィー・アー・ニンジャ』が流れたらどうだろうか。いま思うに、35年前に日本人女性が"We Are Ninja (not geisha)"というタイトルで曲をリリースし、それがUKインディチャートのトップ10にランクインしていたことはエキサイティングな事件だし、今年のレコード・ストア・デイでシングルが待望の再発を果たしたりもしているが、フレンチのコースをいただきながら「あんたも忍者 私も忍者 目つぶし投げて ドロンドロン~」などというフレーズを聞きたいと万人が思うかというとそれはまったく別個の問題である。
 
最初にこの曲がリリースされたのは1988年で日本はまだ昭和で、同じ年のヒット曲は『パラダイス銀河』や『MUGO・ん…色っぽい』で、なんということかと思うかもしれないが、そのときのアメリカでのヒット曲は『ギブ・ユー・アップ』(注:原題が"Never Gonna Give You Up"で邦題が『ギブ・ユー・アップ』なので、意味が正反対である。当時わたしは日本は経済大国だが文化的に大丈夫なのかと思っていたものだが、今は経済大国でもなくなってしまったので別にいいかという気分である)なので安心してほしい。『イングリッシュマン・イン・ニューヨーク』は、アルバム『ナッシング・ライク・ザ・サン』の3枚めのシングルとしてリリースされUS/UKのシングルチャートでは50位以内にも入っていなかった。30年後のいまも流れている音楽であるとはとは誰も予想しなかっただろうが、店でかかるBGMがフュージョンやAORからジャズやボサノヴァへと拡大していくに従って、最適化されたカバーバージョンがつくられてきた。レゲエ版は早くも92年にShineheadがリリースしていて大阪のたこ焼き屋のBGMとして活躍していたし、ボサノヴァ化したカバーも、売れているかどうかは別として飲食店向けの需要があった。また、よりジャズ寄りにしたバージョンは挙げるのが面倒なほど多い。こうなってくると作者であるスティング先生の意図を遥かにこえて、ひとつの生き物としてBGM市場の動向に合わせて自己増殖しているようなものである。
 
しかしこの曲、少なくともオリジナル・バージョンについては、BGMにおさまる音楽ではないように聞こえる。よく言われるのが2分半からの間奏で突然暴力的なドラムが打ち鳴らされるところで、これは英国人のライフスタイルに割りこんでくるニューヨークの象徴であるし、音楽そのものも、アメリカに馴染めない(馴染まない)英国人が、自国の文化を大切にしつつ生きる歌だし、ニューヨーカーがこれを聞いたらうれしい気持ちにはならないかもしれない。児童虐待をテーマにしたスザンヌ・ヴェガの『ルカ』ほどではないにせよ、BGMとして適切とは言いがたいが、『ルカ』が一時期日本の旅番組などのセンスのよいBGMとして使われていたのと同様、マジョリティの雑な感性によって飲食店のBGMにおさめられてしまったのだった。
 
そして客であるわれわれは、『蛍の光』が閉店を意味する記号であるのと同様、『イングリッシュマン・イン・ニューヨーク』が、快いBGMを流すように配慮している飲食店を表す単なる記号として扱えるようになるのだが、そのタイミングを見計らったかのようにリリースされる新しい『イングリッシュマン・イン・ニューヨーク』のカバーバージョンを耳にし、振り出しに戻ってこの曲を記号ではなく音楽として聞くことを強いられる。それは音楽の姿を借りてわれわれの意識をオキュパイしにくる。そこで感じられる違和感は『イングリッシュマン・イン・ニューヨーク』の世界そのままなのであるが、それを楽しむことをわれわれは求められているのかもしれない。
 
もし下校中の児童に声をかけてもお縄を頂戴しない世の中がやってきたら、わたしはラジカセを担いでボリュームを最大に、グラフィックイコライザーの右端と左端を最大にし、校門の脇に立って、腰に負担をかけないように身をくねらせながら彼らの『イングリッシュマン・イン・ニューヨーク』の初体験を根こそぎ奪っていきたいと思っている。遅かれ早かれ聞くことになると思えば、最初の体験は絶対楽しい方がいいに決まっている。彼らは残りの人生の約80年間、その次代のミュージシャンによってカバーされた『イングリッシュマン・イン・ニューヨーク』を耳にするたび、身をくねらせて踊るわたしの姿を思い出してくれるはずなのだ。
 

鬼の伝説で知られる山城、岡山「鬼ノ城」は、下級鬼の気分になれて最高に楽しい

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一般的には観光地が少ないと認識されている岡山だが、実はぜんぜんそんなことはなく、見どころが多すぎて困るくらいですよ……という話。
昨年、総社近辺の巨大古墳を紹介したけれど、今回は鬼が住んでいたという伝説が残っていた山城の話。「鬼ノ城跡」と表現されていることもあり、「跡=何もない」と思っていたのだが、行ってみると跡だらけで見どころ満載。昨年行ったのだけれど、詳細は変わっていないので参考にしていただければと思う。
 

船を漕がず、電車に揺られて鬼の城へ……いい時代になったものです

吉備線は、いまは桃太郎線と言われて正面は日本昔ばなし風の鬼と桃太郎、側面は最近のアニメ風の鬼と桃太郎が描かれていて、老若男女に完璧にアピールしている。

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たとえば吉備津彦命がこの国を平定したことが伝説の源流であると考えるなら、奈良からきた桃太郎が岡山にいた鬼を倒したことになるし、そう考えないにしても、岡山に鬼の城があることにしているのだから、桃太郎よりも鬼を推した方がよいのではないかという気もするし、桃太郎線で描かれている鬼も、かなり好意的なタッチで描かれている。

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岡山で新幹線を降りて、桃太郎線に乗って30分もしないうちに服部駅に着く。
あたりまえだが、東京駅で新幹線を降りて30分しても、こんないい感じにはならない。

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自分が桃太郎だったなら、猿や雉たちと「こいつら役に立つのかな」などと内心思いつつネゴシエーションしてから船に乗ったりしなければならなかったが、現代の観光客は、ふつうにSuicaで行けてしまうのであった。
 

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駅を降りて少し歩けばのどかな田園地帯。
 
ノーマルな感性の持ち主は、ここからタクシーで鬼ノ城まで行くと思われるが、わたしは歩くのが好きなので、徒歩90分コースを選択した。観光と思えばかなりの距離に感じられるが、登山と位置づければ、道も歩きやすく、さほど体力を消耗することもない。
 

途中の砂川公園だけで満足してしまう

徒歩90分の道といっても何もない道を歩くのでははなく、道中はハイキングに近い。

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途中の砂川公園は名前のとおり砂川沿いにある公園で、東京都民が考える「公園」とは違う、広々としてワイルドな佇まい。

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長すぎるウォータースライダーもあり、夏休みには大活躍しているのだろう。
 
この公園だけでも来てよかったと思ってしまうが、このあとの行程も盛りだくさんなので先に進まなくてはならない。
 

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公園の端の分かれ道から右に進む。この道は鬼ノ城方面に行く人しか使わないので、あまり車に出会うこともなく、道路とはいえ、ゆるいハイキングコースのよう。
 
途中で「鬼の釜」という詳細不明の釜を見かけた。

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純朴な人なら、本当に鬼がいたのかもしれないと思うことだろう。実際はじゃんけんで負けた人がイノシシを煮こんだりしていたのだろう。
 

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湧水は積極的に飲んでいく派なのだが、威風堂々としていて気おくれして飲めなかった。
 
夢中で歩きまわっているうちにビジターセンターに到着。

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歩いて鬼ノ城に来ていたのはわたしだけだったので、この駐車場にある車が訪問者のすべてである。日曜の昼に、広大な山城に来ているのがこれだけ……岡山駅では何枚もポスターを見ていたので、それなりに混雑していると思ったのだが、ラッキーを通り越して、ブログでも書いて鬼ノ城のよさをお伝えしなければという使命感を覚えてしまう。
 

ビジターセンターで、鬼ノ城の正体がおよそ把握できる

ビジターセンターでは、鬼ノ城を概観でき、このあとの道中が楽しくなるので素通り厳禁である。

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鬼ノ城は、その名のとおり、鬼が住んでいたという伝説が長年にわたって語り継がれてきていたのだが、実際に学術調査がされたのは1970年代に入ってからで、大和朝廷が防衛のために築いた山城と推定されたのも最近のことである。白村江の戦いでベコベコにやられた大和朝廷は、唐と新羅の連合が日本を侵攻することを警戒し、西日本各地に防衛網を構築した。有名なのが、太宰府近くにある大野城。たしかに唐や新羅方面から日本を攻めるとするなら、本土で最初にターゲットになるのは福岡なので、そこに城を置くのは当然と思われる。
―しかしここは岡山である。海が近く、頂上が周囲を監視するにはよい立地であるとはいえ、それは瀬戸内海で、こんなところにまで城を建てるとは……まさかと思っていたから発見が遅れたのだろうし、当時の朝廷が、どれだけ敗戦に危機感を持っていたのかが想像できる。
 

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この板は想像で作ったもので、当時はどんな文様が描かれていたのかはわからないが、こうであってほしいという気持ちはよくわかるし大好きだ。
 

鬼ノ城のメインビジュアル、西門だけでごはんが何杯でも食べられそう

ビジターセンターを出て10分も歩けば、鬼ノ城のメインビジュアルであるところの西門が見える。

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ポスターなどでよく見かけるのはアップになっているところだけれど、引いてみると、遠くからでも埋もれずによく見える。つまり、この門から外界がよく見渡せるということ。
 

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2階の魔除け的な板がなかったらだいぶん地味になっていたはずで、この復元を手掛けたご担当者様のセンスは素晴らしいというほかない。

 

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西門から城内に入り、城郭をぐるりと回れば、防人の仕事を体験できる。頂上が平坦な山だからという理由でこの山に城が建てられのだが、いうても山であるから、監視業務も楽ではない。
 

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城の内と外を隔てる柵。
柵の姿は想像にすぎないのだが、近世の城壁のような頑丈なものではないことはたしかだろう。
 
この柵に沿って、自分が下っ端の鬼になって警備をしている気分で歩くと楽しい。f:id:kokorosha:20190521215332j:plain

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下界がよく見えるが、昔は妻が田んぼで知らん男と逢っていたりするところを目撃してしまったりしたのかもしれない。そういうことは茂みなどで実施すべきなのだろう。

度重なる干拓によって吉備線沿線を旅していても海に近いという印象はまったくなかったが、雲がちな天気でも瀬戸内海がよく見えて、監視したいならたしかにここだよねと思う。昔はもっと海が近かったからなおさらである。

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結局のところ、この城が唐や新羅の連合に攻め落とされたりすることはなかったのだが、もしそのとき海に船の大群が見えたら絶望したに違いない。
なお、当時、鬼ノ城からもっとも近かった内海の吉備津からは10km強の距離があるので、船を発見しても、たいして軍備や作戦の猶予はなかっただろう。
 
山城というと、山の頂上にぽつんとあるイメージかもしれないが、頂上付近がある程度平坦で、兵站(←地味すぎて気づかないと思うが駄洒落である)を確保できないと城としては意味がない。攻めにくさだけを重視して険しいだけの山を選ぶわけにはいかないのである。
 

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ここは倉庫の礎石。

石の密度が高いので、かなり重量のあるアイテム(ex.武器・穀物)をおさめていたと思われる。

 

f:id:kokorosha:20190521215340j:plain通称「屏風折れの石垣」。

この風景だけを見ると沖縄の何とかグスクに来たようで、ラッキーな気持ちになる。

 
頂上付近に温羅の碑が建ててある。裏には昭和12年とあった。

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この碑が建てられたころは、日本防衛のための山城だったことなどは未解明だったし、仮にそう思っていた人がいたとしても、天皇機関説事件があったような時代なので、さぞかし言いづらかったはず。
 

廃城となってからの信仰の歴史を示す、皇の墓と岩切観音

鬼ノ城近くは、城としての機能を失ったあと、山岳信仰の対象となった。山岳信仰といえば比叡山を思い出すけれども、山城に適するほど見晴らしがよい山は、つまり信仰の対象となるほどよく見える……ということである。

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高い頻度で祠の跡があって心のコンビニエンスストアかよと思ってしまった。
鬼がいたという伝説を信じていたなら、そんな汚らわしい場所で修行して何になるのと思うはずで、とても意外であるが、昔の人は宗教的なpurenessみたいなのには案外無頓着だったのかもしれない。
 
この整然と並べられた岩の中に岩切観音がある。

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岩に直接観音を掘っていて、アニミズムやなぁと思うが、掘られたのは案外新しくて江戸時代。
 

これの大切にされている風の墓標は、近くの岩屋寺を創建した善通大師の墓と推定されている。こちらも原型をよく残していると思ったら南北朝時代のものらしい。

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鬼との関係を妄想してしまう、すばらしい形状の岩

何かひとつの事象が陰謀によるものと感じられたら、その周辺の何もかもがその符牒であるかのように感じられるものだが、この地が鬼の住む土地だと思ったら、この岩も、鬼が運んだ岩にしか見えないに違いない。

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これは「鬼の差し上げ岩」と呼ばれている。

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近くで見ると素晴らしい迫力で、地殻変動の偶然ではなく鬼が持ち上げたものであると思ってしまうのも無理はない。
 
岩の形もなかなかユニークで、拝んでおいた方がいいかもという気にさせる。

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岩の割れ目がそういうふうにしか見えない。歴史的にそういう風に見られてきたのかはわからないが、大事にされているようではある。
 

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さらに進むと現役稼働中の棚田を発見。

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以前、棚田にあるということは、山奥の空気や水がきれいなところで作られたのでおいしい……という話を聞いたことがあり、それから棚田を見ると食欲が増進するようになってしまった。
 

最後に寄りたい驚きのカフェ、「太一や」

ぐるりと一周したあと下山したのだが、途中で謎めいた店の看板を発見。

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しばらく奥に進んでいくと、ごちゃごちゃした古民家にたどり着いた。

 
 
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いわゆるひとつのほっこり系―「ほっこり」の誤用があまり好きでないので「いわゆるひとつの」を挿入しないと気がすまない―の店かと最初は思った。
 

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しかしよく見てみると、プリミティブで雑多な宗教的アイテムが満載で不思議な気分である。和みつつも緊張するというかなんというか……。

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いかにもスパイシーなカレーを供してくれそうなお店だなと思ったら、やはりスパイシーなカレーを供していて、スパイシーなカレーがおいしかった。
 
民家の懐かしさと、理解不能なアイテムたちの違和感が同時にやってきて、不思議な感覚。鬼ノ城からの帰途での感傷を吹っ飛ばす、すばらしい店である。

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開いていたらぜひ行くことをおすすめする。

 
 

夜はライトアップされた岡山城がおすすめ

そういえば、岡山には岡山城もある。

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天守閣以外は夜でも行けるので、鬼ノ城との違いをたしかめるためにも、岡山市内に宿泊する場合はぜひ行ってみてほしい。古代の山城との違いが体感できる。
 
 
鬼ノ城が鬼と関係ないと知ってもなお、見晴らしのすばらしさを含め、くり返し行きたいと思う名所だった。
 

なぜ石立鉄男先生はわかめの出身を聞いたのか

「わかめラーメン」について、35年以上疑問に思っていた案件が解決した(ような気がする)ので共有させていただきたい。
 
わかめラーメン。言わずと知れたエースコック社のロングセラー商品である。

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今も販売され、ラベルにはsince 1983と誇らしげに記してある。乾燥重量にして5グラムにも満たないわかめが健康にもたらす効果はいかほどかと思わなくもないが、安価な具を加えるだけで、当時不健康な食べ物の象徴的存在だったインスタントラーメンのイメージを変えたのはアイデアの勝利と言わざるをえない。
発売から35年を経ているが、有機丸大豆を使ったり、食物繊維を表示したり、健康をイメージさせる施策に余念がないし、健康に無頓着な人にも、優しい味のインスタントラーメンとして一定の支持がある。
本題とは話がそれるが、ゴマを増量してさらにゴマ油を増量するとさらに天国に近づくのでお試しいただきたい。
 

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実際のわかめラーメンは、ビジュアル的においしいと思えるかどうかはさておき、ほぼわかめに覆われている。これも当時としてはエポックメイキングな出来事であった。当時のインスタント麺は、薬味のネギがまばらに浮いていて、紙のような薄さの真円のチャーシューが浮いているのが精一杯。その状況下で、標準的なカップラーメンの価格帯で、「具が多すぎて麺が見えない」という状態を作りだしてしまったのだ。
 
わかめラーメンがヒットした理由は商品のコンセプト以外にもうひとつある。40代以上の人は忘れられないと思うけれども、あの石立鉄男先生が出演するCMである。のちに柳沢慎吾先生により再演されたことから、エースコック社もあのCMが傑作であったと評価していることがわかる。
 
まず軽快な歌に感動する。聞いているだけで元気になりそうである。主演の石立鉄男先生は、当時ごはんをおいしそうに食べるタレントのおそらくナンバーワンだっただろうし、レオタード姿の女性がわかめ状のテープを振り回すというややシュールな演出。わずか15秒の間に、わかめに対する圧倒的にポジティブな情報が詰めこまれていて、わかめにさしたる興味を持たない子供(including わたし)もわかめに興味を持たざるを得なかった。わかめラーメンのCMは、その圧倒的な存在感ゆえに、エースコック社のカップ麺のみならず、わかめ全体について市場にポジティブな評価を与えたと推測するが、それはともかく、最後のセリフがまったく意味不明だった。
 
「おまえはどこのわかめじゃ?」
 
当時の小学生が食卓にわかめが登場するたびに発し、おそらく親はそのたびわかめパッケージに書いてある原産地を読みあげることでその都度対処していたと思われるが、面倒だと思っていたに違いない。そもそも、石立鉄男先生が、わかめラーメンのわかめに人類の言葉でよびかけているのが謎めいている。人間の言葉を解するのは、せいぜい哺乳類の一部であって、「花に話しかけると花がしおれない」というのはただの妄説である。そもそも花が枯れることはライフサイクルの次のステージに移ることでもあるから、万が一、話しかけるという行為が植物に対してポジティブな効果をもたらすことがあったとしても、花が長く咲き続けるという形ではないはずであるし、植物よりもいっそう原始的な藻類であるわかめに話しかけることにいかほどの意味があるのだろうか……。
 
もしかして、「おまえはどこのわかめじゃ?」と聞いているカップはわかめに向けられたものではなく、視聴者に向けられたメッセージかもしれない。たとえば米が魚沼産であったりするように、ブランド感のある産地のものを使っていることをほのめかしているのかもしれない。わたしはしばらくその説を採っていたのだが、実際にわかめラーメンを買ってみても、わかめの産地はどこにも書いていなかったし、そもそも書く義務もないので、話は振り出しに戻った。ここでわたしは20年ほど立ち止まっていたのであった……。
 
このように失意のどん底で毎日を過ごしていたのだが、ある日、いつものようにわかめラーメンのCMを閲覧していたら、ふと、なぜ石立鉄男先生が出ているのだろうという疑問が浮かんできた。原田大二郎先生でもよかったのではないか。コミカルでありつつも男前で、また別のCMになっただろうけれど、すてきなCMができたはずである。あのCMに石立鉄男先生があまりにもマッチしていたため、疑問にすら思ったことはなかったのである。考えながらCMをリピート再生していると、レオタードの女性が振っているわかめ状のリボンがだんだん石田鉄男先生のモジャモジャした髪とオーバーラップして、なるほど、こんな単純なことになぜ気づかなかったのだろうと思った。
CMのディレクターは、おそらく、単においしそうに食べるタレントとして起用されたのではなく、そのヘアスタイルがわかめをイメージさせるから起用されたのである。平常心で見ていればすぐにわかるはずのことに35年経って気づくとは……。おそらく「ひじきラーメン」だったらすぐ気づいたのだろうと思う。
 
そして、わかめ=石立鉄男先生のつながりを発見したら、最後のセリフの謎も一瞬で解決した。
つまり、石立鉄男先生はこのCMにおいてわかめの化身を演じているのであり、ラーメンの中にいるわかめに同じわかめとして話しかけているのである。人間が出ていれば人間の役をしているに違いないという、非常につまらない思いこみのため、なかなか気づくことができなかった。私生活ではケンカが強くて気が短いことで知られていた石立鉄男先生が、わかめ番長を演じ、「お前、何中出身やねん」と聞いているのとまったく同じ感覚で「おまえはどこのわかめじゃ?」と聞いているのである。
 
墓場まで持っていくことになると思っていた謎が解け(たような気がし)て自分でも驚いてしまったが、これで安心してわかめラーメンをいただくことができてよかったと思ったし、わかめラーメンが好きであのCMのセリフの謎が解けなかった人も、これからは穏やかな気持ちでわかめラーメンと向き合ってほしい。
 

「いかがでしたか」とブログの崇高な理念

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「いかがでしたか」という、もともとは不快な意味を持っていないはずのフレーズが、いつしか読む価値のない、読者を苛立たせるコンテンツの代名詞になってしまった。さらに丁寧なはずの「いかがでしたでしょうか」については、その丁寧さとは裏腹に、いっそう腹立たしいと思われている。
いったい、いつからこのような状況になってしまったのだろう。そもそも、無意味な情報を書き連ねるにしても、なぜ最後に読者に質問するのかと不思議に思う人も多いかもしれないが、その謎について記憶をたどってみた。
 
わたしの記憶がたしかならば、オンラインの文章の末尾につく「いかがでしたか」の決まり文句は、ブログの草創期に、ブログの理念とともに誕生していた。
ブログの登場により、読者と作者の関係が大きく変わった。雑誌やホームページを読んだ人は、その文章に対して感想や批評を述べたくなったとしても、読者ハガキに書くか、電子メールをしたためるかくらいしかなく、読者は筆者の主張を受け取る客体にすぎなかったが、00年代前半に現れたweblogは、そこで書かれた記事はパーマリンクにより記事ごとに読者に開かれていて、反論や認識不足などがあれば、自由にコメントを書いたりトラックバックを飛ばすことができ、ブログ世界の中で応答を含めた全体がひとつの記事となる。
その記事の起草者の知識が不十分であったり、主観性の強いものであったとしても、それに伴う反応で最終的には高度な知識が完成するのである。
 
―「ブログ」という言葉が一般に普及しはじめたころ、ある編集者から上記のような話を伺い、インターネットを通して徹頭徹尾自らの主観を垂れ流すことしか考えていなかったわたしはカルチャーショックを受けた。
たとえばハウスミュージックにおいて、時折発生する無意味とも思えるブレイクや、音数の非常に少ない小節などは、単体で聞くと、音楽としての完成度を下げているように聞こえてしまうが、前の曲や次の曲とスムーズに接続するために必要な「間」である。それと同じで、一読して不完全と感じられる文章も、その不完全さゆえに開かれているのかもしれない。オンラインの文章が開かれていることを保証するため、最後の一節に「いかがでしたか」が挿入された。その一言によって、筆者は文章における絶対的な主権者の地位から降り、読者に対して、読者のポジションから発言の主体という立場をとるよう促すのである。
 
長々と書いてしまったが、「いかがでしたか」というフレーズは、かつては、「作者=作品における神」という古典的な作品概念を破壊するための、インターネット時代の文章を飾る輝かしいエンブレムとなるはずであった。しかし、文芸復興が、「ルネッサンス東中野」(注:実在しない)のような、崩壊していないがゆえに復興することもないアパートの名称に使われたりするのと同様、「いかがでしたか」もまた、起草者の書いたものこそが他のブログからの転載であるなど、まったく言及するに及ばないような品質のもので、ただ、情報をもとめて検索した人々を苛立たせる結果となってしまった。
 
いまとなっては、自分も含めて、文章が開かれている状況に耐えられる人がどれほどいるのかと思う。
成功しているのはWikipediaくらいのもので、それにしても、読み手がうれしいだけかもしれない。書き手は記事の完成度を高めるための人柱でしかなく―どんなにすばらしい項目があったとしても、その筆者の名前は憶えていないどころか確認しもしないのが常である―モチベーションは上がらない。
一方でTwitterなどのミニブログでは剽窃が横行し、自分の作品でなくてもいいから神になりたいと思う人の巣窟になってしまったし、ツイートにコメントしただけで怒る人種もいる始末で、開かれた文章どころではない。
 
人類には「いかがでしたか」は早すぎたのかもしれない。
わたしは「いかがでしたか」を見かけるたび、インターネットの理想が潰えてしまったことを想い、せつない気分になるのだった。