ココロ社

主著は『モテる小説』『忍耐力養成ドリル』『マイナス思考法講座』です。連絡先はkokoroshaアットマークkitty.jp

モリアオガエルの産卵シーンを目撃するも、男の人生を重ね合わせて絶望してしまった話

モリアオガエルの産卵について知ったのは幼稚園のころで、泡だらけの産卵シーンを自分の目で見たいけれど、それを見るには草木がボウボウに生えていたり泥が底なしに溜まっているような密林を潜り抜け、そのあとは何日も産卵のチャンスを窺って産みそうな場所でキャンプを張ったりせねばならず、きっと無理だろうと思い、その希望は、「産卵シーンが見たい」から「産卵は無理としても、せめて泡でできた卵塊が見たい」という、やや現実的な夢へとダウンサイジングされた。幼稚園児のころのプロ野球選手になりたいという夢が、大学2年あたりには一部上場企業で働きたいという夢にダウンサイジングされることと悲しいほど似ているけれども、一部上場企業で働くことが簡単ではないのと同様、卵塊を見ることもそれなりに難しい。
 
3年前の5月に東京都あきる野市をぶらぶらしていたときのことである。考えなしに武蔵五日市の駅で降りて、地図でお寺を探して、秋川を越えた山のふもとによさそうなお寺があるのを発見し、行ってみた。それが広徳寺で、本堂の佇まいはこのように素晴らしく、都内屈指の名刹といえるだろう。
 

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そして本堂の脇にある池がワイルドで、何かいるのかなと思って池のまわりをうろうろしたら、大変気になる看板を発見した。

 

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看板の指示通りお行儀よくする気マンマンなのはいうまでもなく、「モリアオガエルがいる池ですよ」と書いてあるより、「モリアオガエル等すべてを愛護」の方が、たしかに存在していることを前提にしているようで期待感が高まった。

 
翌年の梅雨の終わりごろ、もしかしたらいるかもしれないと思って行ってみたのだが、ひとつも卵塊はなかった。そもそも、モリアオガエルについての看板が古すぎるので、もう過去の話かなと思って一度は諦めた。まあモリアオガエルの卵を見なかったからといって死ぬわけでなし、そもそも絶対に死にたくないと思っているかというと、それも疑わしいほどであるから、まあいいやと思っていたのだった。
 
 
そしてさらに2年が経ち、Twitterをふと見ると(実際は「ふと見る」という頻度以上に見ているが、「ふと見る」と言いたい)、モリアオガエルが話題になっていた。前回見にいったときは梅雨の終わりごろだったのだが、そもそも季節を間違えていて、梅雨の始まりだったのかもしれない、もしかしたら、いま広徳寺に行けば卵塊くらいは見られるかもと思って行ったら、あっけなく、551の豚まんのようにぶら下がっていたのだった。551だと、たとえば京都駅などでは並ばないと買えないので、卵塊の方がよほど身近である。

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しかしその日は、こともあろうにメインのカメラに電池を入れるのを忘れていたので、ズームもできないコンパクトカメラで撮るしかなかった。卵塊だけで満足なのだが、より大きな写真を撮りたいと思い、翌日にも広徳寺に行った。
あいにくの雨で、きのう電池を忘れていなければよかったと後悔したのだが、行ってみたらきのうよりも卵塊の数が増えていたのである。
 

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白いものもあれば茶色がかったものもある。茶色がかったものは、できてから時間が経ったものかもしれないが、それは局部の色が濃い女性を経験豊富であるとイメージしてしまうのと同種の誤りで、むしろ茶色がかっていたものが白くなっていくのかもしれないし、産卵のときにより気持ちよくなった雌が茶色ががった卵塊をつくるのかもしれない。

 

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アップで見ると汁のようなものが垂れていて、舐めたら酸味と塩味の嫌なハーモニーを体験できそうで震えた。

……などと無駄な思考を巡らせながら雨に濡れたレンズを拭き拭き撮影してまわり、そろそろ帰ろうと思っていたら、視界の端においしそうな草餅のようなものが見えた。
 

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なんと……これはご本尊ではないか……まだ産んでないものの、産卵する態勢であると判断した。この状況でただのお友達ということはなかろう。
 
しかしこの写真を撮って観察を終わりにしてしまったら、この写真を見た人(あなたのことです)に「こういう感じなのに実は友達みたいなのってなんだかオシャレですてきだし、そういうことじゃないの?」と一蹴されそうな気がしたので、産卵の証拠である泡を撮ろうと意地になってしまい、本堂で雨宿りをした。
 

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30分ほどすると雨も止み、さきほどの場所に戻ってみると泡まみれになっていたのであった。

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雄の方が体が小さく、また、人間の交尾でこんなに泡立つことはない(たぶん)。それらを除いては人間のそれに似ている。人間が木に登って交尾することはないけれども(たぶん)、自分と配偶者の体重を支えるための手のたくましさが人間の腕のようで驚いた。

 

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裏から見るといっそう生命のロマンを感じさせてくれる。人間も同様に下から撮ると生命のロマンを感じさせてくれるのかもしれない。
 
 
―ひとしきり撮って満足して、今度こそ帰ろうと思って、念のため池を一周したら、池の中央にもう一組いるのを発見した。しかし、さきほどのつがいと異なり、色が黒い。カエルだから体色を変化させているのだろう。さきほどは葉が多かったので葉を擬態していたが、こちらは枝を擬態しているのかもしれない。複数の固体であっても同じ色に変色しているのが興味深い。「俺はここは葉になっておくべきと思うんだけど」「いやいや、枝じゃないの?」と見解の不一致があって別々の色であるものの身体は正直で次世代をもうけたりすることはないのだろうか。あるいは体色を含めての身体なので、体色を合わせることがセンター試験の足切りのような位置づけなのかもしれない。
 

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そして、よく見たら、もう一匹雄がいる。
 

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人類についてこのようなシーンを見たことが何度かある。男女で話しているときに、空気を読まずわりこんで話しかけてくる男。
 
そして興味本位でさらに待つと、後から来た雄が前からいた雄の肩を抱いていた。

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まるで人間のように見えるし、ここまでくると、雌と交尾したいのか、雄と交尾したいのかわからないし、本人もわからない状態になっているのではないだろうか。

わたしが、かつて大変人気のある女の人とおつきあいしていたときは、「恋人ではないが、何でも言うことを聞いてくれる都合のよい男」のような存在がいたりしたことを思い出した。そんな彼らのことを下賤だとは思わない。自分がその男のようになったりすることも十分に想定できるし、だからこそ意気消沈してしまうのである。
 
実際のモリアオガエルたちは、単純に息をすることの延長のようにこれらの動きをしているのだろう。雄同士で戦って交尾の相手をひとりに絞るのではなく、雌の産卵に合わせて一斉に精の子を放出する方法で優秀な子孫を選別し、残すのである。たしかにその方法の方がより強い子孫を残す結果にはなるだろう。雄の優秀さを競うのではなく、次の世代の素になる精の子自体の優秀さを個別に競った方がたしかに合理的ではある。
 
……と、頭では納得したものの、昆虫などと比べて人類に姿形が似ていて体色も人間寄りのモリアオガエルが肩を組んで精の子を放出しているシーンを人間に重ね合わせてしまって気分が沈んでしまったのだった。人間の場合は、交尾の瞬間に選別が行われるわけではなく、幼少のころから熱心に勉強し、仕事について高収入を得るなどの手段で、競争は間接的に行われるし、勉強は交尾の目的以外にもなされることだけれども、結局のところ同じことではないかと思ってしまったのである。ここで「交尾なんて人生の5%にすぎない」などとわたしは言えない。100%ではないにせよ、70%くらいではある。
 
自分が後からきた雄ならどんな気持ちになっただろう。そこまでして自分の遺伝子を後世に残したいとは思わないし、そうまでしないと遺伝子が引き継がれないような日々是決戦といわんばかりの厳しい「生」に、いかほどの価値があろうか、と思ってしまうに違いない。繁殖の季節が来ても、生きるべきか死ぬべきか……と思案しながら、水中で水草の根をいじくり倒しているうちに、水鳥に食べられて生涯を終えてしまいそうである。
 
性に目覚める前から見たいと思っていたモリアオガエルの産卵。見ることができて幸せだとは思ったが、いざ成人した身で目のあたりにしてみると、自分を重ね合わせてしまってつらい気持ちにもなってしまったのだった。
 
 

日本をオキュパイし続ける『イングリッシュマン・イン・ニューヨーク』

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『イングリッシュマン・イン・ニューヨーク』を聞いた事がある人は多いと思う。むしろ聞いたことがない人はどのような暮らしをしたらこの30年間聞かずに過ごしていられたのか知りたいほどである。もしかしたらハムスターに育てられたから聞いたことがないという方もいらっしゃるかもしれない。歯が生えるまではひまわりの種を何度も喉に詰まらせ生死の境をさまよったりもしたが、成長するにしたがって頬の大きさは並のハムスターの十倍以上に成長。歩くひまわりの種貯蔵庫としてハムスター銀行の頭取に就任するも、まわりのハムスターは数年で死ぬので、ハムスターが生まれるたびに種を貯蔵することの大切さを説くことから始めていた。そんな暮らしなら、音楽を聞く余裕などないだろう。

 
特殊な環境にいる人の話はともかくとして、『イングリッシュマン・イン・ニューヨーク』がなぜかくも空間をoccupyし続けて(≠聴き継がれて)いるのかというと、その圧倒的な無難さゆえである。たしかに、この曲が、コースが3万円のフレンチで流れていたとしても、140円のキャベツ焼き(注:関西を中心に展開されているお好み焼きの具をミニマム化したもので、関西以外ではなぜか相模原市に一店舗のみ存在する)のお店で流れていたとしても、そのことが原因で原因でお店の評価が上がることはないにせよ下がることもないだろう。たとえば同じ80年代のUKの音楽で、フランク・チキンズの『ウィー・アー・ニンジャ』が流れたらどうだろうか。いま思うに、35年前に日本人女性が"We Are Ninja (not geisha)"というタイトルで曲をリリースし、それがUKインディチャートのトップ10にランクインしていたことはエキサイティングな事件だし、今年のレコード・ストア・デイでシングルが待望の再発を果たしたりもしているが、フレンチのコースをいただきながら「あんたも忍者 私も忍者 目つぶし投げて ドロンドロン~」などというフレーズを聞きたいと万人が思うかというとそれはまったく別個の問題である。
 
最初にこの曲がリリースされたのは1988年で日本はまだ昭和で、同じ年のヒット曲は『パラダイス銀河』や『MUGO・ん…色っぽい』で、なんということかと思うかもしれないが、そのときのアメリカでのヒット曲は『ギブ・ユー・アップ』(注:原題が"Never Gonna Give You Up"で邦題が『ギブ・ユー・アップ』なので、意味が正反対である。当時わたしは日本は経済大国だが文化的に大丈夫なのかと思っていたものだが、今は経済大国でもなくなってしまったので別にいいかという気分である)なので安心してほしい。『イングリッシュマン・イン・ニューヨーク』は、アルバム『ナッシング・ライク・ザ・サン』の3枚めのシングルとしてリリースされUS/UKのシングルチャートでは50位以内にも入っていなかった。30年後のいまも流れている音楽であるとはとは誰も予想しなかっただろうが、店でかかるBGMがフュージョンやAORからジャズやボサノヴァへと拡大していくに従って、最適化されたカバーバージョンがつくられてきた。レゲエ版は早くも92年にShineheadがリリースしていて大阪のたこ焼き屋のBGMとして活躍していたし、ボサノヴァ化したカバーも、売れているかどうかは別として飲食店向けの需要があった。また、よりジャズ寄りにしたバージョンは挙げるのが面倒なほど多い。こうなってくると作者であるスティング先生の意図を遥かにこえて、ひとつの生き物としてBGM市場の動向に合わせて自己増殖しているようなものである。
 
しかしこの曲、少なくともオリジナル・バージョンについては、BGMにおさまる音楽ではないように聞こえる。よく言われるのが2分半からの間奏で突然暴力的なドラムが打ち鳴らされるところで、これは英国人のライフスタイルに割りこんでくるニューヨークの象徴であるし、音楽そのものも、アメリカに馴染めない(馴染まない)英国人が、自国の文化を大切にしつつ生きる歌だし、ニューヨーカーがこれを聞いたらうれしい気持ちにはならないかもしれない。児童虐待をテーマにしたスザンヌ・ヴェガの『ルカ』ほどではないにせよ、BGMとして適切とは言いがたいが、『ルカ』が一時期日本の旅番組などのセンスのよいBGMとして使われていたのと同様、マジョリティの雑な感性によって飲食店のBGMにおさめられてしまったのだった。
 
そして客であるわれわれは、『蛍の光』が閉店を意味する記号であるのと同様、『イングリッシュマン・イン・ニューヨーク』が、快いBGMを流すように配慮している飲食店を表す単なる記号として扱えるようになるのだが、そのタイミングを見計らったかのようにリリースされる新しい『イングリッシュマン・イン・ニューヨーク』のカバーバージョンを耳にし、振り出しに戻ってこの曲を記号ではなく音楽として聞くことを強いられる。それは音楽の姿を借りてわれわれの意識をオキュパイしにくる。そこで感じられる違和感は『イングリッシュマン・イン・ニューヨーク』の世界そのままなのであるが、それを楽しむことをわれわれは求められているのかもしれない。
 
もし下校中の児童に声をかけてもお縄を頂戴しない世の中がやってきたら、わたしはラジカセを担いでボリュームを最大に、グラフィックイコライザーの右端と左端を最大にし、校門の脇に立って、腰に負担をかけないように身をくねらせながら彼らの『イングリッシュマン・イン・ニューヨーク』の初体験を根こそぎ奪っていきたいと思っている。遅かれ早かれ聞くことになると思えば、最初の体験は絶対楽しい方がいいに決まっている。彼らは残りの人生の約80年間、その次代のミュージシャンによってカバーされた『イングリッシュマン・イン・ニューヨーク』を耳にするたび、身をくねらせて踊るわたしの姿を思い出してくれるはずなのだ。
 

鬼の伝説で知られる山城、岡山「鬼ノ城」は、下級鬼の気分になれて最高に楽しい

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一般的には観光地が少ないと認識されている岡山だが、実はぜんぜんそんなことはなく、見どころが多すぎて困るくらいですよ……という話。
昨年、総社近辺の巨大古墳を紹介したけれど、今回は鬼が住んでいたという伝説が残っていた山城の話。「鬼ノ城跡」と表現されていることもあり、「跡=何もない」と思っていたのだが、行ってみると跡だらけで見どころ満載。昨年行ったのだけれど、詳細は変わっていないので参考にしていただければと思う。
 

船を漕がず、電車に揺られて鬼の城へ……いい時代になったものです

吉備線は、いまは桃太郎線と言われて正面は日本昔ばなし風の鬼と桃太郎、側面は最近のアニメ風の鬼と桃太郎が描かれていて、老若男女に完璧にアピールしている。

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たとえば吉備津彦命がこの国を平定したことが伝説の源流であると考えるなら、奈良からきた桃太郎が岡山にいた鬼を倒したことになるし、そう考えないにしても、岡山に鬼の城があることにしているのだから、桃太郎よりも鬼を推した方がよいのではないかという気もするし、桃太郎線で描かれている鬼も、かなり好意的なタッチで描かれている。

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岡山で新幹線を降りて、桃太郎線に乗って30分もしないうちに服部駅に着く。
あたりまえだが、東京駅で新幹線を降りて30分しても、こんないい感じにはならない。

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自分が桃太郎だったなら、猿や雉たちと「こいつら役に立つのかな」などと内心思いつつネゴシエーションしてから船に乗ったりしなければならなかったが、現代の観光客は、ふつうにSuicaで行けてしまうのであった。
 

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駅を降りて少し歩けばのどかな田園地帯。
 
ノーマルな感性の持ち主は、ここからタクシーで鬼ノ城まで行くと思われるが、わたしは歩くのが好きなので、徒歩90分コースを選択した。観光と思えばかなりの距離に感じられるが、登山と位置づければ、道も歩きやすく、さほど体力を消耗することもない。
 

途中の砂川公園だけで満足してしまう

徒歩90分の道といっても何もない道を歩くのでははなく、道中はハイキングに近い。

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途中の砂川公園は名前のとおり砂川沿いにある公園で、東京都民が考える「公園」とは違う、広々としてワイルドな佇まい。

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長すぎるウォータースライダーもあり、夏休みには大活躍しているのだろう。
 
この公園だけでも来てよかったと思ってしまうが、このあとの行程も盛りだくさんなので先に進まなくてはならない。
 

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公園の端の分かれ道から右に進む。この道は鬼ノ城方面に行く人しか使わないので、あまり車に出会うこともなく、道路とはいえ、ゆるいハイキングコースのよう。
 
途中で「鬼の釜」という詳細不明の釜を見かけた。

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純朴な人なら、本当に鬼がいたのかもしれないと思うことだろう。実際はじゃんけんで負けた人がイノシシを煮こんだりしていたのだろう。
 

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湧水は積極的に飲んでいく派なのだが、威風堂々としていて気おくれして飲めなかった。
 
夢中で歩きまわっているうちにビジターセンターに到着。

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歩いて鬼ノ城に来ていたのはわたしだけだったので、この駐車場にある車が訪問者のすべてである。日曜の昼に、広大な山城に来ているのがこれだけ……岡山駅では何枚もポスターを見ていたので、それなりに混雑していると思ったのだが、ラッキーを通り越して、ブログでも書いて鬼ノ城のよさをお伝えしなければという使命感を覚えてしまう。
 

ビジターセンターで、鬼ノ城の正体がおよそ把握できる

ビジターセンターでは、鬼ノ城を概観でき、このあとの道中が楽しくなるので素通り厳禁である。

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鬼ノ城は、その名のとおり、鬼が住んでいたという伝説が長年にわたって語り継がれてきていたのだが、実際に学術調査がされたのは1970年代に入ってからで、大和朝廷が防衛のために築いた山城と推定されたのも最近のことである。白村江の戦いでベコベコにやられた大和朝廷は、唐と新羅の連合が日本を侵攻することを警戒し、西日本各地に防衛網を構築した。有名なのが、太宰府近くにある大野城。たしかに唐や新羅方面から日本を攻めるとするなら、本土で最初にターゲットになるのは福岡なので、そこに城を置くのは当然と思われる。
―しかしここは岡山である。海が近く、頂上が周囲を監視するにはよい立地であるとはいえ、それは瀬戸内海で、こんなところにまで城を建てるとは……まさかと思っていたから発見が遅れたのだろうし、当時の朝廷が、どれだけ敗戦に危機感を持っていたのかが想像できる。
 

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この板は想像で作ったもので、当時はどんな文様が描かれていたのかはわからないが、こうであってほしいという気持ちはよくわかるし大好きだ。
 

鬼ノ城のメインビジュアル、西門だけでごはんが何杯でも食べられそう

ビジターセンターを出て10分も歩けば、鬼ノ城のメインビジュアルであるところの西門が見える。

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ポスターなどでよく見かけるのはアップになっているところだけれど、引いてみると、遠くからでも埋もれずによく見える。つまり、この門から外界がよく見渡せるということ。
 

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2階の魔除け的な板がなかったらだいぶん地味になっていたはずで、この復元を手掛けたご担当者様のセンスは素晴らしいというほかない。

 

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西門から城内に入り、城郭をぐるりと回れば、防人の仕事を体験できる。頂上が平坦な山だからという理由でこの山に城が建てられのだが、いうても山であるから、監視業務も楽ではない。
 

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城の内と外を隔てる柵。
柵の姿は想像にすぎないのだが、近世の城壁のような頑丈なものではないことはたしかだろう。
 
この柵に沿って、自分が下っ端の鬼になって警備をしている気分で歩くと楽しい。f:id:kokorosha:20190521215332j:plain

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下界がよく見えるが、昔は妻が田んぼで知らん男と逢っていたりするところを目撃してしまったりしたのかもしれない。そういうことは茂みなどで実施すべきなのだろう。

度重なる干拓によって吉備線沿線を旅していても海に近いという印象はまったくなかったが、雲がちな天気でも瀬戸内海がよく見えて、監視したいならたしかにここだよねと思う。昔はもっと海が近かったからなおさらである。

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結局のところ、この城が唐や新羅の連合に攻め落とされたりすることはなかったのだが、もしそのとき海に船の大群が見えたら絶望したに違いない。
なお、当時、鬼ノ城からもっとも近かった内海の吉備津からは10km強の距離があるので、船を発見しても、たいして軍備や作戦の猶予はなかっただろう。
 
山城というと、山の頂上にぽつんとあるイメージかもしれないが、頂上付近がある程度平坦で、兵站(←地味すぎて気づかないと思うが駄洒落である)を確保できないと城としては意味がない。攻めにくさだけを重視して険しいだけの山を選ぶわけにはいかないのである。
 

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ここは倉庫の礎石。

石の密度が高いので、かなり重量のあるアイテム(ex.武器・穀物)をおさめていたと思われる。

 

f:id:kokorosha:20190521215340j:plain通称「屏風折れの石垣」。

この風景だけを見ると沖縄の何とかグスクに来たようで、ラッキーな気持ちになる。

 
頂上付近に温羅の碑が建ててある。裏には昭和12年とあった。

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この碑が建てられたころは、日本防衛のための山城だったことなどは未解明だったし、仮にそう思っていた人がいたとしても、天皇機関説事件があったような時代なので、さぞかし言いづらかったはず。
 

廃城となってからの信仰の歴史を示す、皇の墓と岩切観音

鬼ノ城近くは、城としての機能を失ったあと、山岳信仰の対象となった。山岳信仰といえば比叡山を思い出すけれども、山城に適するほど見晴らしがよい山は、つまり信仰の対象となるほどよく見える……ということである。

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高い頻度で祠の跡があって心のコンビニエンスストアかよと思ってしまった。
鬼がいたという伝説を信じていたなら、そんな汚らわしい場所で修行して何になるのと思うはずで、とても意外であるが、昔の人は宗教的なpurenessみたいなのには案外無頓着だったのかもしれない。
 
この整然と並べられた岩の中に岩切観音がある。

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岩に直接観音を掘っていて、アニミズムやなぁと思うが、掘られたのは案外新しくて江戸時代。
 

これの大切にされている風の墓標は、近くの岩屋寺を創建した善通大師の墓と推定されている。こちらも原型をよく残していると思ったら南北朝時代のものらしい。

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鬼との関係を妄想してしまう、すばらしい形状の岩

何かひとつの事象が陰謀によるものと感じられたら、その周辺の何もかもがその符牒であるかのように感じられるものだが、この地が鬼の住む土地だと思ったら、この岩も、鬼が運んだ岩にしか見えないに違いない。

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これは「鬼の差し上げ岩」と呼ばれている。

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近くで見ると素晴らしい迫力で、地殻変動の偶然ではなく鬼が持ち上げたものであると思ってしまうのも無理はない。
 
岩の形もなかなかユニークで、拝んでおいた方がいいかもという気にさせる。

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岩の割れ目がそういうふうにしか見えない。歴史的にそういう風に見られてきたのかはわからないが、大事にされているようではある。
 

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さらに進むと現役稼働中の棚田を発見。

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以前、棚田にあるということは、山奥の空気や水がきれいなところで作られたのでおいしい……という話を聞いたことがあり、それから棚田を見ると食欲が増進するようになってしまった。
 

最後に寄りたい驚きのカフェ、「太一や」

ぐるりと一周したあと下山したのだが、途中で謎めいた店の看板を発見。

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しばらく奥に進んでいくと、ごちゃごちゃした古民家にたどり着いた。

 
 
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いわゆるひとつのほっこり系―「ほっこり」の誤用があまり好きでないので「いわゆるひとつの」を挿入しないと気がすまない―の店かと最初は思った。
 

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しかしよく見てみると、プリミティブで雑多な宗教的アイテムが満載で不思議な気分である。和みつつも緊張するというかなんというか……。

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いかにもスパイシーなカレーを供してくれそうなお店だなと思ったら、やはりスパイシーなカレーを供していて、スパイシーなカレーがおいしかった。
 
民家の懐かしさと、理解不能なアイテムたちの違和感が同時にやってきて、不思議な感覚。鬼ノ城からの帰途での感傷を吹っ飛ばす、すばらしい店である。

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開いていたらぜひ行くことをおすすめする。

 
 

夜はライトアップされた岡山城がおすすめ

そういえば、岡山には岡山城もある。

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天守閣以外は夜でも行けるので、鬼ノ城との違いをたしかめるためにも、岡山市内に宿泊する場合はぜひ行ってみてほしい。古代の山城との違いが体感できる。
 
 
鬼ノ城が鬼と関係ないと知ってもなお、見晴らしのすばらしさを含め、くり返し行きたいと思う名所だった。
 

なぜ石立鉄男先生はわかめの出身を聞いたのか

「わかめラーメン」について、35年以上疑問に思っていた案件が解決した(ような気がする)ので共有させていただきたい。
 
わかめラーメン。言わずと知れたエースコック社のロングセラー商品である。

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今も販売され、ラベルにはsince 1983と誇らしげに記してある。乾燥重量にして5グラムにも満たないわかめが健康にもたらす効果はいかほどかと思わなくもないが、安価な具を加えるだけで、当時不健康な食べ物の象徴的存在だったインスタントラーメンのイメージを変えたのはアイデアの勝利と言わざるをえない。
発売から35年を経ているが、有機丸大豆を使ったり、食物繊維を表示したり、健康をイメージさせる施策に余念がないし、健康に無頓着な人にも、優しい味のインスタントラーメンとして一定の支持がある。
本題とは話がそれるが、ゴマを増量してさらにゴマ油を増量するとさらに天国に近づくのでお試しいただきたい。
 

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実際のわかめラーメンは、ビジュアル的においしいと思えるかどうかはさておき、ほぼわかめに覆われている。これも当時としてはエポックメイキングな出来事であった。当時のインスタント麺は、薬味のネギがまばらに浮いていて、紙のような薄さの真円のチャーシューが浮いているのが精一杯。その状況下で、標準的なカップラーメンの価格帯で、「具が多すぎて麺が見えない」という状態を作りだしてしまったのだ。
 
わかめラーメンがヒットした理由は商品のコンセプト以外にもうひとつある。40代以上の人は忘れられないと思うけれども、あの石立鉄男先生が出演するCMである。のちに柳沢慎吾先生により再演されたことから、エースコック社もあのCMが傑作であったと評価していることがわかる。
 
まず軽快な歌に感動する。聞いているだけで元気になりそうである。主演の石立鉄男先生は、当時ごはんをおいしそうに食べるタレントのおそらくナンバーワンだっただろうし、レオタード姿の女性がわかめ状のテープを振り回すというややシュールな演出。わずか15秒の間に、わかめに対する圧倒的にポジティブな情報が詰めこまれていて、わかめにさしたる興味を持たない子供(including わたし)もわかめに興味を持たざるを得なかった。わかめラーメンのCMは、その圧倒的な存在感ゆえに、エースコック社のカップ麺のみならず、わかめ全体について市場にポジティブな評価を与えたと推測するが、それはともかく、最後のセリフがまったく意味不明だった。
 
「おまえはどこのわかめじゃ?」
 
当時の小学生が食卓にわかめが登場するたびに発し、おそらく親はそのたびわかめパッケージに書いてある原産地を読みあげることでその都度対処していたと思われるが、面倒だと思っていたに違いない。そもそも、石立鉄男先生が、わかめラーメンのわかめに人類の言葉でよびかけているのが謎めいている。人間の言葉を解するのは、せいぜい哺乳類の一部であって、「花に話しかけると花がしおれない」というのはただの妄説である。そもそも花が枯れることはライフサイクルの次のステージに移ることでもあるから、万が一、話しかけるという行為が植物に対してポジティブな効果をもたらすことがあったとしても、花が長く咲き続けるという形ではないはずであるし、植物よりもいっそう原始的な藻類であるわかめに話しかけることにいかほどの意味があるのだろうか……。
 
もしかして、「おまえはどこのわかめじゃ?」と聞いているカップはわかめに向けられたものではなく、視聴者に向けられたメッセージかもしれない。たとえば米が魚沼産であったりするように、ブランド感のある産地のものを使っていることをほのめかしているのかもしれない。わたしはしばらくその説を採っていたのだが、実際にわかめラーメンを買ってみても、わかめの産地はどこにも書いていなかったし、そもそも書く義務もないので、話は振り出しに戻った。ここでわたしは20年ほど立ち止まっていたのであった……。
 
このように失意のどん底で毎日を過ごしていたのだが、ある日、いつものようにわかめラーメンのCMを閲覧していたら、ふと、なぜ石立鉄男先生が出ているのだろうという疑問が浮かんできた。原田大二郎先生でもよかったのではないか。コミカルでありつつも男前で、また別のCMになっただろうけれど、すてきなCMができたはずである。あのCMに石立鉄男先生があまりにもマッチしていたため、疑問にすら思ったことはなかったのである。考えながらCMをリピート再生していると、レオタードの女性が振っているわかめ状のリボンがだんだん石田鉄男先生のモジャモジャした髪とオーバーラップして、なるほど、こんな単純なことになぜ気づかなかったのだろうと思った。
CMのディレクターは、おそらく、単においしそうに食べるタレントとして起用されたのではなく、そのヘアスタイルがわかめをイメージさせるから起用されたのである。平常心で見ていればすぐにわかるはずのことに35年経って気づくとは……。おそらく「ひじきラーメン」だったらすぐ気づいたのだろうと思う。
 
そして、わかめ=石立鉄男先生のつながりを発見したら、最後のセリフの謎も一瞬で解決した。
つまり、石立鉄男先生はこのCMにおいてわかめの化身を演じているのであり、ラーメンの中にいるわかめに同じわかめとして話しかけているのである。人間が出ていれば人間の役をしているに違いないという、非常につまらない思いこみのため、なかなか気づくことができなかった。私生活ではケンカが強くて気が短いことで知られていた石立鉄男先生が、わかめ番長を演じ、「お前、何中出身やねん」と聞いているのとまったく同じ感覚で「おまえはどこのわかめじゃ?」と聞いているのである。
 
墓場まで持っていくことになると思っていた謎が解け(たような気がし)て自分でも驚いてしまったが、これで安心してわかめラーメンをいただくことができてよかったと思ったし、わかめラーメンが好きであのCMのセリフの謎が解けなかった人も、これからは穏やかな気持ちでわかめラーメンと向き合ってほしい。
 

「いかがでしたか」とブログの崇高な理念

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「いかがでしたか」という、もともとは不快な意味を持っていないはずのフレーズが、いつしか読む価値のない、読者を苛立たせるコンテンツの代名詞になってしまった。さらに丁寧なはずの「いかがでしたでしょうか」については、その丁寧さとは裏腹に、いっそう腹立たしいと思われている。
いったい、いつからこのような状況になってしまったのだろう。そもそも、無意味な情報を書き連ねるにしても、なぜ最後に読者に質問するのかと不思議に思う人も多いかもしれないが、その謎について記憶をたどってみた。
 
わたしの記憶がたしかならば、オンラインの文章の末尾につく「いかがでしたか」の決まり文句は、ブログの草創期に、ブログの理念とともに誕生していた。
ブログの登場により、読者と作者の関係が大きく変わった。雑誌やホームページを読んだ人は、その文章に対して感想や批評を述べたくなったとしても、読者ハガキに書くか、電子メールをしたためるかくらいしかなく、読者は筆者の主張を受け取る客体にすぎなかったが、00年代前半に現れたweblogは、そこで書かれた記事はパーマリンクにより記事ごとに読者に開かれていて、反論や認識不足などがあれば、自由にコメントを書いたりトラックバックを飛ばすことができ、ブログ世界の中で応答を含めた全体がひとつの記事となる。
その記事の起草者の知識が不十分であったり、主観性の強いものであったとしても、それに伴う反応で最終的には高度な知識が完成するのである。
 
―「ブログ」という言葉が一般に普及しはじめたころ、ある編集者から上記のような話を伺い、インターネットを通して徹頭徹尾自らの主観を垂れ流すことしか考えていなかったわたしはカルチャーショックを受けた。
たとえばハウスミュージックにおいて、時折発生する無意味とも思えるブレイクや、音数の非常に少ない小節などは、単体で聞くと、音楽としての完成度を下げているように聞こえてしまうが、前の曲や次の曲とスムーズに接続するために必要な「間」である。それと同じで、一読して不完全と感じられる文章も、その不完全さゆえに開かれているのかもしれない。オンラインの文章が開かれていることを保証するため、最後の一節に「いかがでしたか」が挿入された。その一言によって、筆者は文章における絶対的な主権者の地位から降り、読者に対して、読者のポジションから発言の主体という立場をとるよう促すのである。
 
長々と書いてしまったが、「いかがでしたか」というフレーズは、かつては、「作者=作品における神」という古典的な作品概念を破壊するための、インターネット時代の文章を飾る輝かしいエンブレムとなるはずであった。しかし、文芸復興が、「ルネッサンス東中野」(注:実在しない)のような、崩壊していないがゆえに復興することもないアパートの名称に使われたりするのと同様、「いかがでしたか」もまた、起草者の書いたものこそが他のブログからの転載であるなど、まったく言及するに及ばないような品質のもので、ただ、情報をもとめて検索した人々を苛立たせる結果となってしまった。
 
いまとなっては、自分も含めて、文章が開かれている状況に耐えられる人がどれほどいるのかと思う。
成功しているのはWikipediaくらいのもので、それにしても、読み手がうれしいだけかもしれない。書き手は記事の完成度を高めるための人柱でしかなく―どんなにすばらしい項目があったとしても、その筆者の名前は憶えていないどころか確認しもしないのが常である―モチベーションは上がらない。
一方でTwitterなどのミニブログでは剽窃が横行し、自分の作品でなくてもいいから神になりたいと思う人の巣窟になってしまったし、ツイートにコメントしただけで怒る人種もいる始末で、開かれた文章どころではない。
 
人類には「いかがでしたか」は早すぎたのかもしれない。
わたしは「いかがでしたか」を見かけるたび、インターネットの理想が潰えてしまったことを想い、せつない気分になるのだった。
 

人類でも惚れてしまう、かっこいい模様のあさりについての報告

先日、あさりのホニャホニャうどんをいただいたときの話。
実際のメニューの名前は、たしか単に「あさりうどん」だったはずだが、あさりの味が薄かったので、あさりとうどんの間に「ホニャホニャ」という緩衝地帯を設けておかないとわたし的におさまりがつかない。そもそも味がしないのに殻だけは一人前につけているところが少々気に入らなかった。漁港のそばで定食とともに供される蟹の味噌汁と概ね同罪で、罪名は「海っぽい気分だけを味わせた罪」。ただひとつだけよいことに、あさりのうちの一匹の模様がまるで水墨画のようだったのだ。
 

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念のため書き添えておくと、あさりの模様のすべてがこのように美しいわけではない。わたしはあさりをいただくときは、ひとつひとつ模様を確認しながらいただくという、人畜無害だが悪趣味な習性を持っているのだが、そのわたしの経験上、ほとんどのあさりの模様は退屈である。

 

念のため白黒にして、より水墨画度を高めさせていただきたい。

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人類においては、風景の入れ墨を背中に施している人はいなくもないが、不良とみなされてあまり異性の評判はよろしくない。それと比べてこのあさりの模様は天然のもので、少なくとも誰かを威嚇しようとする意図はないので、このあさりに金をせびられたり、因縁をつけられることもないのである。ありがたい話である。

 
一説によると、ストレスなどが貝殻の模様に影響を与えることもあるらしい。ストレスがかかると、貝殻が白くなるのか、それとも茶色くなるのかは知らない。人類はストレスを受けると髪が白くなるが、それと同じで白くなるのかもしれない。あるいは、正反対だけれど、人類においては経験の多い人体は経験した部分が早く黒ずむという俗説があるが、貝においてはそれは俗説ではなく、実際に経験を積むと濃い茶色の模様が刻まれるのかもしれない。
 
おもにわたしが感情移入したいというお気持ちからこの貝が雄であると断定するが、彼はよりよい模様を殻に刻むべく、白い模様を入れたいときには、ストレスを与えるため、貝の硬い殻を割るような歯を備えているフグ科の魚のそばに自分から近づいていって、給水管を器用に操りながらダンスを踊り、魚のターゲットになることで生命の危機を感じるように自らを仕向けたのかもしれない。また、茶色い模様を入れたいときには、摂取した栄養のほとんどを精の子の製造に割り当て、盛んに女の貝がいるところで放出し、精の子を引き取ってもらったりしたりしたのかもしれない。あるいは、人間として生まれたかったのに貝に生まれてしまったことそのもののストレスで模様を身につけた可能性もある。いずれにせよ、涙ぐましい努力を何年も続けることで、彼はついに自らの身体に理想的な模様を身につけたに違いない。
 
この模様を完成させた彼はきっと、たいそう女の貝たちにモテたことだろう。砂の上に気になる模様があると思って近づいたら、本体が現れ、彼は模様の説明を始める。お嬢さん、この模様、何の模様か気になったことでしょう。この模様な、ぼくたちがいる海底よりずっとずっと高いところ、陸地という、水のない場所の風景なのですよ。われわれはそこで暮らすことはできないのだけれど、そうであるがゆえに、われわれは陸地の情景に心惹かれてしまうのかもしれません……などと口走り、女の貝が彼の紡ぐ物語に夢中になって卵子が漏れ出した瞬間、彼は急いで精の子を撒き散らし、確実に受精させるのであった。その手口に気づく貝もいれば、気づかずに妊娠してしまう貝もいたようだが、貝の世界では男女平等などの概念は希薄だったし、それを性暴力とみなすアサリもおらず、彼はやりたい放題だった。
 
ある日、彼がいつものように自分の巣で砂に抱かれながら通り過ぎていった女の貝たちの夢の中でまどろんでいたところ、ベッドもろとも鉄のスコップで掬われた。
彼はそれまでの努力も虚しく人間に捕らえられ、不適切な調理方法を経て自らの屍について大した味でないと罵られることとなった。
 
これを非業の死と言わずに何と言おうか。しかし、彼の体に刻まれた圧倒的なスケール感のある模様は、われわれ人類の心に深く刻まれたのである。
 
 

中年女性を揶揄するフォークソングとハンバーグ定食の間で

ラーメン屋などでオリコンのヒットチャートが有線でかかっていることはよくある。音楽にこだわりがないなら無難な音楽をかけてほしいと思うのだが、まさにマジョリティーにとっての「無難な音楽」がオリコンのヒットチャートなのだろうから耐えるしかない。わたしは正確にオリコンのチャートを把握してはいないので、もしかすると店主の心のオリコンチャートの上位にランキングした音楽をかけているのかもしれない。それならそれで、使用料を支払わずに流していることになるため、わたしの心のJASRACが黙っていないはずだが、それはともかく、そのような体験をするたびに、お口に広がるおいしさと内耳に広がるつらさが極まった状態になったらどうなるだろうかと思っていたのだけれど、先日、その暫定的な答えを得た気がしたので報告させていただきたい。

 
仕事が早く終わったある日のこと。まっすぐ帰宅するのも味気ないので、ほとんど降りたことのない駅で下車してみた。よさそうな店を見つけて夕食をいただこうと思ったのだ。その店はビル街にある定食屋で、こういう店はランチタイムには行列ができるが夜はゆっくりできることが多い。実際に入ってみると、お客さんが少なめなのもよかったのだが、入り口からは想像ができないほどゆったりしたつくりで、席と席の間が1メートル近く離れていて、定食屋というよりレストランと呼ぶ方がふさわしいかもしれない。店に入ったとたん「再訪したい」と思ったのだった。メニューは普通だけれど、夕食のあと、コーヒーでも頼んでゆっくり読書できたりしそうだ。ざっとメニューを見て、単価の高いほうがゆっくりする言い訳になるかと思い、いちばん高かったデミグラスソースとチーズのハンバーグ定食を頼んだ。
 
ここで状況は一変する。わたしの注文が終わるのを合図にしたかのように、ポロロンと奥の方からアコースティック・ギターの音が聞こえた。まず奥があったことに驚いた。ふつうの店は奥がないのに奥があるように見せるために鏡を置くなどの工夫をするのに、この店は奥があるのに奥があることをアピールしないとは……。しかもこの臨場感、録音された音ではない。
つまりここは、世にも珍しい、生演奏が聴ける定食屋だったのだ。すぐに演奏は終わり、「どんなのが好きですか、なんでもやりますよ。」という声が聞こえた。少ない客のひとりが、「N」という、愛国的なアティテュードでおなじみのミュージシャンを挙げた。わたしの主観を語ることが許されるとするなら、生では最も聞きたくないとわたしが思っているタイプの演奏で、つまり地獄へのプロローグである。ここで「Nさんの音楽だけはやめてください」と叫ぶわけにもいくまい。ここはNの音楽が好きな人のための専門店かもしれず、それを調べなかったわたしの責任であるし、ここにいるうちはNが大好きであるかのようにふるまわないと失礼にあたる。
 
このように覚悟を決めたのだが、驚くべきことに彼はリクエストには応えず、謎のオリジナルソングを歌い始めた。それが真にNを愛するミュージシャンの態度であると思っていたのかもしれない。一瞬、(個人の感想として)「助かった」と思ったのだが、彼が始めたのは(個人の感想として)助かったとは到底思えない歌だった。歌が意識に流れてくるのを阻止すべく、心の弾道ミサイル迎撃システムを起動したが、実際の弾道ミサイル迎撃システムがそうであるように、インパクトのあるフレーズのすべてを遮断するのは困難だった。
その歌は、あろうことか、サビのところで、「ちょっと年増は遠慮させてください〜」というフレーズを何回も繰り返す歌だったのである。コミカルな歌という位置づけなのだろうけれど、いまこの店は、「年増」の定義に合致する客と店員がいるのに、コミックソングとして聴くことができるかはなはだ疑問である。少なくとも、キッチンに見え隠れしていた「年増」にあたる店員さんは、ハンバーグをこねる手が震えたのではないだろうか。
 
しかも、よく磨かれた鏡に反射されたミュージシャン自身の姿も50を過ぎているように見えた。若気の至りで歌っているのではなく、自分もそれなりに「年増」だというのに、自分だけに選ぶ権利があるかのごとく歌えるなんて、大した自信である。
そもそも、フォークソングというものは、「女は若さこそが命」という保守的なイデオロギーなどに対して異議を唱えたりもする音楽が多いことを考えると、無駄に斬新でもある。
 
……などと考えているうちに、デミグラスソースとチーズのハンバーグ定食がきて、わたしは直ちに食べはじめた。

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ジューシーな肉汁やデミグラスソースやチーズとのマッチング具合などのおいしさ情報が舌から伝わってくるのだが、まったくその情報が心を打たない。

 

よく、「料理は見た目が何割」などという言い方があるが、聴覚情報もおいしさに関与することを自分の口と耳で確かめることができた。飲み終わるころには次の歌の演奏を始めていたのだが、お会計を済ませて「ごちそうさまでした」と言って店を出た。
長居しようとは思えなかったものの、味覚と聴覚が引き裂かれるという得がたい経験をさせてもらったことについては感謝していて、そのあとも何度か引き裂かれに行っている。
 
たとえば有線で日本のヒットチャートをかけているフレンチがもしあれば行ってみたい。「フォアグラとアナゴのソテーの赤ワインソース 季節の野菜を添えて」などをいただきながら聞いたら精神にどのような変調が生じるのか、実際に体験してみたいと思っている。