ココロ社

主著は『モテる小説』『忍耐力養成ドリル』『マイナス思考法講座』です。連絡先はkokoroshaアットマークkitty.jp

宗派が乱立する半熟ゆで卵の製法を統一。簡単&短時間&失敗なく半熟卵を作る方法と、ゆで時間と仕上がりの比較写真

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ココロ社のクッキングコーナーを始めようと思うが、まず半熟ゆで卵の作り方について書きたいと思う。
たかが半熟ゆで卵といえども、その製法にはいくつかの宗派がある。たっぷりのお湯でゆでる宗派もあれば、少量のお湯で蒸す宗派もあり、後者が最近のトレンドのように見える。
それぞれの製法の妥当性を卵20個以上をゆでて検証し、短時間ででき、手間もかからず、安定して作る方法を確立したので報告させていただきたい。
失敗作も含めてスタッフ(=自分)がおいしくいただいたため、正直言って、しばらく卵を見たくない気持ちになってしまったのだが……。
最初に試行錯誤の末の結論としてのレシピを記しておき、なぜこの結論に至ったかについては、それぞれの宗派の言い分と合わせてその後に記しておく。

【準備するもの】

たまご…1~5個(常温ではなく、冷蔵庫にあるもの)
水…100cc


【製法】

(1)鍋に100ccの水を入れて強火で沸騰させる
(2)沸騰したら火を止めて、可能な限り静かに鍋の底にたまごを置く
(3)鍋に蓋をして中火にし、7分間ゆでる(何分ゆでるとどうなるかの比較は本文を参照)
(4)鍋にそのまま水を入れて1分間水を流し続ける
(5)水の中で剥く


・熱が回せればお湯は少なくても問題ない
「1リットルの水に卵4つ」と「5リットルの水に卵1つ」と「100ccの水に卵1つで蓋はしない」と「100ccの水に卵4つで蓋をする」で比較した。結果は「5リットルの水に卵1つ」がやや柔らかく、「100ccの水に卵1つで蓋はしない」は、一部に熱が回らず白身が固まらない状態になった。水の量が多いと、強めに加熱しないと、かえって水の量が少ないときより水温が下がってしまうので、たっぷりのお湯でゆでるのは得策ではないと思われる。また、水の量が少ないときは蓋をしていないと、鍋の中の温度を保つことができない。


・水を100ccより減らすのはハイリスクローリターンである
蓋をして蒸す流派では、極端に水の量を少なくしているものもある。たしかに、水の量は少ないほど、調理時間が短縮できるのだが、最低限のリスク回避策は講じておきたい。卵ができるまでに水が蒸発してしまったら惨事が起きてしまうので、保険として100cc用意した。この量なら、沸かすまで1分もかからない。
なお、中火で100ccの水を温めて、完全に蒸発するのがおよそ10分である。


・ゆで時間を計測しやすいよう、お湯から卵をゆでる
理論的には、急激に熱するよりも徐々に熱した方が殻が割れにくいのかもしれないが、水からゆでる場合、もとの水温の温度差が夏と冬で20度近く異なり、夏と冬で別のゆで時間を設定しなくてはいけないので面倒である。また、常に冷蔵庫から出した卵をゆでるのも同じ理由である。夏と冬の常温にはやはり20度近くの開きがあるからだ。


・割れた卵のリカバリーは困難。割れていない卵を割れないよう扱うしかない
蒸すのではなくゆでる宗派では、割れた場合のリスク回避として塩を入れることが多い。
塩分濃度を高くしておけば、塩がタンパク質の凝固を促進するため、殻から外部に白身が露出しないからである。実際、かなり大きな割れ目を作ってみたが、被害はこの程度でおさまる。
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では、ひびの入った卵を、ゆでるのではなく蒸したときはどうなるかというと、どんなに塩を入れてもこの有様。
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「黄身ってこんなに自由な形で固まれるんだな」と感動した。

―つまり、割れた卵をどうしてもゆで卵にしないといけない必然性のある人に限っては「塩水でゆでる」という道を選択すればよく、割れていない卵を使えるのであれば、やはり蒸す方が時間短縮になる。
また、お湯が沸いているところに卵を置くとき、やけどをしたくないからと、乱暴に置いてしまいがちである。卵を落ち着いて鍋に置くために、いったん火を止める工程を入れている。


・1円節約したいなら余熱を使う手があるが、手間と時間がかかる
蒸す派は、途中で火を止めて、余熱で調理し、ガス代の節約することをすすめるのだが、余熱だから温度がさがり、加熱し続けたよりも数分時間がかかる。これで節約できるガス代は1円前後。
また、加熱する→余熱で蒸らす→水をかけるの3ステップの手間を取るよりも、加熱する→水をかけるの2ステップの方が楽でもあるので、余熱を入れないことにする。


・エッグパンチと、「水の中で剥く」はおよそ同じ効果
卵の殻を楽に剥くためにエッグパンチという文明の利器がある。
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寂しいので、愛用中の無印のキッチンタイマーにも友情出演していただいた。
ダイソーなどで売っていて、裏に磁石がついていてホスピタリティ満載のスグレモノ……なのであるが、このエッグパンチでなぜ剥きやすくなるのかというと、小さな穴を通じて中の二酸化炭素を逃がすことができ、殻と卵の間に空洞ができる……という仕掛けらしいのだけれど、水の中で卵を剥いたときの剥きやすさとさほど変わりはないように思われた。卵の内側にある膜の剥きやすさについては、水の中で剥くかどうかの方が剥きやすさに大きく関与しているのではないかと感じたので、結局使っていない。


・時間とゆで度合いの比較
ネットでよく見かけるゆで時間の比較写真だが、断面を上から撮影しているので、黄身がどれくらいの硬さなのかが想像しづらい。それだけではない。真上から撮ったヌード写真を見て満足する人間はどれくらいいるのだろうか……。
そこで、皿に載せて切った直後の様子を写真に撮った。なお、熱を十分に回せるという前提なら、水の量や卵の量の多寡を問わず、この結果になる。


【5分ゆでた(蒸した)卵先生、生涯最初で最後の晴れ舞台】
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黄身がほぼ液体だが決して生ではなく(「粗にして野だが卑ではない」に似た言い方)、加熱した黄身のうまみは感じられる。



【6分ゆでた(蒸した)卵先生、生涯最初で最後の晴れ舞台】
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黄身の外周が少し固まってきて、中心部も少しとろりとしてきたが、黄身のこってり感がもうちょっとあったら最高だなと思った。


【7分ゆでた(蒸した)卵先生、生涯最初で最後の晴れ舞台】
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これは袈裟を着ているラーメン屋の半熟たまごくらいで、袈裟を着るメンタリティは好きではないものの、コスチュームがない(≒プロモーションに無頓着である)店と比較すると、平均値としてはおいしいのではないかと思っている。


【8分ゆでた(蒸した)卵先生、生涯最初で最後の晴れ舞台】
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これは袈裟を着ていないラーメン屋の半熟卵。黄身は最低限固まっていてほしいと思う人はこの時間がよいと思うが、個人的には黄身の周辺が若干パサついているところが不満。


【9分ゆでた(蒸した)卵先生、生涯最初で最後の晴れ舞台】
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ここまでくると、黄身が固まってくるばかりでなく、白身が固すぎるように思うのだが、昔はこれくらいを「半熟」と呼んでいたような気がする。



わたしはここで「7分」を選択したが、この写真を目安にしてお好みのゆで加減を発見していただければ幸甚である。


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「ダサピンク現象」は、男女の問題ではなく文化的差異の問題である


はてな界隈でのみ話題になっている話はなるべく扱わないというのがこのブログの方針である。はてなユーザー以外の人にも読んでもらいたいからで、はてな界隈で話題になっている話を扱いたい場合は、より一般論として読めるようにテーマを変えて書くようにしている。
ただ先日、ピンク色のプロダクトが多く見当たるという一般的な事象について記事を書いたときに、あくまでもその一部として「ダサピンク現象」について言及しただけで、もう書かない方がいいなどというご意見を頂戴した。つまり、もっと書いてほしいと思っているのに、それが素直に言えないのである。
今回は、そんな愛くるしい方々の熱いリクエストにお答えし、心をこめて「ダサピンク現象」についての考察をしていきたい。

「ダサピンク現象」の定義とその具体的な事例

はてな界隈で話題になっている「ダサピンク現象」は、どのように定義されているかをまとめておこう。
「ダサピンク現象」とは

「女性ってピンクが好きなんでしょ?」「女性ってかわいいのが好きなんでしょ?」「女性って恋愛要素入ってるのが好きなんでしょ?」など、男性の、女性蔑視的な思いこみから作られた「女性向け」プロダクトが世にあふれている現象

としておくと適切だろうか。「ピンク」というのは象徴的な事例にすぎず、ピンク色でなくても、男性の女性蔑視を含んだ思いこみから作られているかどうかが最大のポイントである。男性の思いこみから作られていないものや、男性向けの黒ずくめのプロダクトについても「ダサピンク現象」に含むのであれば、そもそも男女の話は関係なく、マーケティング一般の話でしかない。単純に「ダサ現象」と呼べばよい現象になる。「ダサ現象」については、「たしかに、マーケティングをしないと的外れなものができるよね」と思うだけで、それ以上の感想はない。それをわざわざ、「ダサピンク現象」と名づけるのはミスリードにすぎないので、ここでは扱わない。

定義を確認したところで、「ダサピンク現象」の事例を挙げてみよう。
下記のような、「女性ってピンクが好きなんでしょ?」「女性ってかわいいのが好きなんでしょ?」「女性って恋愛要素入ってるのが好きなんでしょ?」的なバイアスによるものがあげられる。

・自動車:女性に受け入れやすい、丸い、かわいいフォルム
・ノートパソコン:商品名が「○○キッス」
・ノートパソコン:女性が好きそうな、星占いのソフトがインストールされている
・体温計:機能だけでなく、デザインも女性向けにピンク色をあしらってパッケージも花柄に
・美容家電:ふつうの家電は角張っているが、女性向けに丸みを帯びたデザインを採用

念のため書き添えておくが、わたしはこれらを「ダサ」いと思っているわけではない。一部の人が使う「ダサピンク現象」の定義を具現化したものが、これらのプロダクトだろうと言っているのである。
これらのプロダクトが、実際どのように作られていくのか、実態に沿って考えていこう。

プロダクトを「ダサピンク」にしている人が仮にいるとすれば、社員やデザイナーである

プロダクトを作る際、さまざまな色がある中で、どの色にするかを絞らなくてはならない。ピンク色のものを作るとしても、ピンク色にも好みがあるからと5色のピンク色のプロダクトを出すわけにはいかず、ボリュームゾーンにあるピンク色1つを選択せざるを得ない。デザインについても同様である。その選択の結果が気に入らない人は、なぜこの色(あるいはデザイン)を選んだのかと疑問に思うかもしれないが、それは単純に、「マーケティングの結果として一番売れそうだから」である。プロダクトについて決定権を持つ人たちは「ここで俺の女性への偏見を十分に反映させたダサいプロダクトを作って会社を潰したるで!」などとは決して思っておらず、マーケティングが雑なときもなくはないにせよ、「多数派の女性に受け入れられたい」と思っているはずである。

プロダクトについての決定権を持つ管理職はプロダクトの細部にまで指示を出す暇もスキルも持ちあわせていない。「ダサピンク現象」の存在を主張する人は、管理職がどの色のプロダクトを作るか、CMYKの値をあーでもないこーでもないと考えて、「どっちがCでどっちがMだったかすぐ忘れちゃうんだよなー」などと独りごちたり、DICのカラーチャートを指に唾をべったりつけながらめくったりしているとでも思っているのだろうか。実際、プロダクトの色やデザインについての管理職の関与の度合いは、「女性向けの企画を持ってきて」と命じ、それが女性向けかどうかをデータを見て決める程度で、細かく言う管理職でも、せいぜい「ピンク色にしてほしい」と指定するくらいだろう。「CMYKは0/70/6/0にしなさい」などと細かい色指定をするはずもない。ピンク色にしていれば管理職が満足するのだから、社員やデザイナーは、より多くの女性に好まれるピンク色を調べてプロダクトに反映させることで帳尻を合わせることができるし、上司も顧客も満足するはずなのである。上司が、わざわざ「ダサくして」と依頼しない限り、現場がデザインの溝を埋めにいくものだ。
「ダサピンク現象」の実際にあった例として、『「ピンク=女性向け」?』というツイートのまとめ記事がよく参照される。ここで語られている事例については、「そのおっさん(デザイン業)」と書かれていているところから考えると、自分の得意分野だと張り切って細かく的外れな指図をしてしまったのだろうし、そもそも、発端となった人も、自分が推すデザインを「ニッチでも確実に需要があるとこは攻めるべき」と言っているのだから、ニッチであることは自覚しているようである。単に、ニッチな市場を狙うのは仮にローリスクであったとしてもローリターンだから事業としてはやる意義が薄いと考えていたのかもしれない。

プロダクトにセンスが感じられるか否かは、細部の色やデザインをどうするかに大きく依存するが、そこには外注先のデザイナーや、それをチェックする社員の関与度が大きい。「ダサピンク」は会議室ではなく、現場で起きているのである。「ダサピンク」なプロダクトがあるとしたら、その主犯は社員やデザイナーであり、そこに若い女性が一定数含まれていることは言うまでもない。

「ダサピンク現象」は、実は男女の話とはあまり関係がない

「ダサピンクと感じられるプロダクトの背景には常に、男性管理職の女性蔑視を含んだバイアスが反映されている」という説について、誰にでもわかる反証を挙げるなら、ただ単に「女性が開発したプロダクトにもダサピンクと感じられるものがある」ことを示せばよいはずである。
実はこの記事内ですでに反証を示している。今回「ダサピンク現象」の事例としてわたしが挙げたプロダクトは、すべて、女性チームが開発した事例である。また、冒頭の写真も同様である。男性管理職が云々というのが、偏見にすぎないことがおわかりいただけたのではないかと思うし、それでもなお、男性管理職のみが「ダサピンク」なプロダクト作りに邁進していると言いたいのであれば、個別に「ダサピンク」だと思う事例について、どのようなプロセスで開発されたのか、すべてが男性管理職によるゴリ押しで作られたのかを調べてみるとよい。また、そのプロダクトの売れ行きを確認してみるとよい。
「まさかこんなに自分の気分にフィットしないものを同じ性別である女性が作るわけがないし、女性に売れるわけがない」と思う女の人もいるかもしれないが、文化的差異はときに性差よりも広がりを持つことがあることは周知の通りである。

「女性ってかわいいのが好きなんでしょ?」という偏見を批判するのであれば、「男性って女性の意見を聞かずにゴリ押しするんでしょ?」という判断が偏見でないかどうか、十分に検討すべきだったはずだ。的外れな子供向けのプロダクトがあったとして「きっとこれは子供のいない管理職が決裁したのだろう」などと書いたら問題になるはずだ。いかに的外れであるかの話に集中すればよいのであって、その管理職の性別などのバックグラウンドについて言及するべきではないのは言うまでもない。

「ダサピンク」が目につくのは、それが人気だからである

先ほど挙げた、女性チームが作ったプロダクトは、実際のところ、市場に受け入れられているものもある。そもそも、「ダサピンク=女性に売れない」のであれば、「ダサピンク」なプロダクトは市場原理によってあっさりと駆逐されているはずだし、もし女性のニーズにアンマッチなものが一時的に目につくことがあっても、市場原理に任せておけば、その発案者もろとも消えていくはずなのだ。もし、「ダサピンク」なプロダクトが頻繁に目につくのであれば、それらはセールス的に成功をおさめているということになるはずだ。まさか、オッサンのファンタジーのために、赤字覚悟で売れないデザインのものを無理に作り続けていたり、的を得ないデザインの製作費のために、「オッサン慰労費」という、特別な勘定科目があったりするとでも言うのだろうか。
つまり「ダサピンク」なプロダクトが街にあふれているのはなぜかというと、それが「ダサ」くないからか、あるいは、多数派が「ダサ」いかのどちらかである。

「ダサピンク」=女性の最大公約数の具現化だから、一部の人には「ダサ」に見えてしまう

長々と書いてきたが、「ダサピンク」と言われているものの実態は何なのかというと、「女性の嗜好の最大公約数を具現化したもの」なのである。それは大量生産のプロダクトの宿命であり、平均的な女性の感性から(優劣ではなく、単純に距離が)遠くにいる人にとっては「ダサ」く見えてしまうのは当然のことなのだ。以前も書いたが、自分のタイムラインに「ダサピンク」が好きな人が見当たらないのは、自分のタイムラインにEXILEのファンが見当たらないのと同じ現象にすぎない。
女性の好みが細分化される傾向があるというなら、いっそう「ダサ」いと思う人も多くなってしまうだろう。選ばれた1つのピンク色について、「このピンクは薄すぎる」という人がいたかと思えば、「このピンクは濃すぎる」という人もいて、「いやいやピンクは好きじゃないから」という人もいて、「わたしは別にデザイン性は気にしないし…」という人も出てくる……という状況が起きているのである。


以上、「ダサピンク現象」を語るにあたって、男性/女性という対立軸が適切ではないことを示してきた。「ダサピンク現象」が問題であるとするなら、文化的差異を軸に話をすすめなくてはならない。その詳細について語るには、いわゆる「マイルドヤンキー」論なども参照せねばならないが、また回を改めて書こうと思う。


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衰退しつつある産業がやりがちな「お説教広告」について

テクノロジーの進化が、かつて栄華を極めていた巨大企業のビジネスモデルを成り立たなくさせてしまうことがある。たとえば郵便。物流はなくてはならないが、信書について考えてみると、手紙を出すメリットはほとんどない。手書きだと温かみがあるような気がするが、別にLINEで暖かいメッセージをクリエイトすることは可能であるし、手書きの手紙をもらったら手書きで返さなくてはいけないような気がして、むしろありがた迷惑という気もしなくもない。手書きで手紙を書くのなら、往復ハガキで、返事も書いておいてほしいし、それが本当の礼儀というものではないだろうか……などと妄言を吐きたくなってしまうほどに信書の電子化は不可避であり、ドル箱であったところの年賀状もまた、衰退の一途を辿っている。


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先月の話だが、電車を降りたら不意打ちに遭った。
つまりこれは、「年賀状を出して、ちゃんとした大人になりなさい」という意味である。しかも、高齢のタレントさんに言われるならスケールの小さな遺言だなと思うだけだが、若いタレントさんに言われていて、「若者でも年賀状を出すのにあなたときたら……」と言われたような気持ちになってしまった。たしかにわたしは「あなたときたら……」と言われるようなオッサンなのかもしれない。ジャケットはかろうじて持っているが肩パッドが入っていない。「Tポイントカードお持ちですか?」と聞かれても、Tポイントカードが丸出しになっている財布を見せながら「大丈夫です」と答えてしまう。しかし、電車を降りるときくらいお説教プレイは控えていただかないと、電車とホームの間に足がはさまってしまい、そのショックで失禁して「助けて!やっぱり助けに来ないで!」というアンビバレントな気持ちになってしまう危険性があるのだ。


また、撤収してしまった某書店の女性向け文庫本フェア、「本当は女子にこんな文庫を読んで欲しいのだ」が、ソフトな口調ながらお説教プレイじみていて、女性差別の問題でもあるのだが、これもまた、かつて栄華を極めていた文庫本が売れなくなってきたからという背景があるからだった。


いまとなっては顧客にとってメリットが目減りしてしまった商品やサービス。顧客に「これを買うとこんないいことがありますよ」と訴求することができなくなってきたら、道徳や教養や伝統という実態のない概念を持ち出したくなってしまい、ついついお説教じみてしまうのかもしれない。しかもかつては栄華を極め、殿様気分が抜けていなければなおのことであるが、顧客を不快な気持ちにしてしまったら元も子もない。


なお、このあと発生しそうなお説教広告を考えたので、ビジネスモデルに不安を抱えていらっしゃる企業のご担当者様におかれましては参考にしていただきたいと思う。

・書店「ネットを見るより本を読むのが大人だよね」
・電話会社「メールよりやっぱり直接通話するのが礼儀だよね」
・旅行会社「写真を撮るより風景にひたるのが人間らしいよね」
・百貨店「安物買いの銭失いって知ってます?」


今回のようなお説教広告を目にして、わたしはひとりのサラリーマンとして、「お客様は神様ではないにせよ、下僕でもないし、そもそも仕事中に性的な戯れをしてはいけない」という、当たり前の教訓を得、ズボンのチャックが締まっているかを改めて確認したのだった。


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STAP細胞、EM菌、アベノミクス……キラリと無駄に光ったネーミング

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【忙しい人のためのまとめ】
「STAP細胞」という呼び名はコツコツ実験して発見した成果であるような印象を与え、「EM菌」という名前は、科学的根拠があるように聞こえる。「アベノミクス」は、世界的な経済政策であるかのような印象を与えることに成功した。ネーミングさえうまくいけば、不正をごまかすことすらできてしまうので学ぶべき点も多い……それはそうと、お忙しいところお目通しいただき、感謝しております。


割烹着で実験をして世紀の大発見……と思いきや、そうでもなかったことでおなじみのSTAP細胞。
最初にこの発見がNETSU造かもしれないという疑惑が出たときには、えーそれってミソジニーじゃないの?オッサンが発見していたら誰も疑わなかったと思う……などと思っていたが、実際は違っていたので反省した。匿名のブログでも、女の人が書いていて文章が面白いと「本当に女の人が書いてるの?」と言われる現象に似ていると思ったのだ。
わたしは情報が不十分なとき、ポリティカリーなコレクトネスを重んじていったん判断をしてみるのだが、最終的にそれがコレクトではないときがあるから生きるのはなかなか難しい。ただ、経験上、最初にポリティカリーにコレクトな判断をした方が最終的に正しくなる確率は高い。少なくともポリティカリーにはコレクトであるのだし、あえてポリティカリーにインコレクトな判断をする理由はないなと思っている。

「STAP」という響きのもつコツコツ感

閑話休題。この「STAP」という略称に注目してみよう。これは単純に"Stimulus-Triggered Acquisition of Pluripotency"の略で、特に略した人のセンスが発揮されてはいないのだが、結果として、「若い女性が割烹着で大発見」というストーリーを支えていたと思う。偶然にも「STEP」に字面が似ていて、かわいらしい研究者がコツコツと実験して見つけた風味に聞こえ、ポジティブ教徒も大満足。見事なハマり具合である。ただし見事なハメ具合でもあったのだが……。
たとえばこれが「LAZI細胞」のような名前だったら、lazyや、naziなど、ネガティブなイメージを想起させ、もう少し周囲も冷静になれたのかもしれない。

なお、STAP細胞と比較されていたiPS細胞は、小文字の「i」で始まるところから、アップル社の商品を思わせる名前で未来を感じさせる。実際に山中さんはそれを意識してiをあえて小文字にしていたそうで、科学に興味がない人を意識して命名するとは、超絶すばらしい研究者であると同時に超絶すばらしい営業マンである。

科学的に見えるネーミングが光るEM菌

いじめがなくなるなどの四次元的な効能があることでおなじみのEM菌。もし「INCH菌」のような名前だったとしたら「これはインチキだな」と気づき、親子で川に珍妙な団子を放り込み、それをFacebookなどで紹介し、恥をさらすとともに水を汚すこともなかったのかもしれない。ES細胞を想起させるネーミングセンスが機能している例といえる。念のため書き添えておくと、ESは"Embryonic Stem"の略で、EMは"Effective Microorganisms"の略。ESとは何の関連性もないし、ゆるい呼称である。「役に立つ微生物たち」……Rolling Stones並みにロックンロールである。使うことでささやかな自己満足に浸れるという意味においては、"Microorganisms"ではなくて"Microorgasm"にした方が適切ではないかと思うのだが、そもそもEM菌という概念そのものが不適切であることは言うまでもない。

「アベノミクス」批判の失敗

アベノミクスは、80年代に行われたレーガン大統領の「レーガノミクス」をもじったもの。第一次安部内閣のときから言われていたらしい。元ネタのレーガノミクスはいわゆる「双子の赤字」を産んだ。つまり、自分から「アベノミクス」などと名乗ってしまったら、腕まくりをして(あるいは省エネスーツを最初から着て)「今から壮絶な失敗をしまっせ」と宣言しているようなものであり、そのネーミングセンスは大丈夫なのかと思ったのだけれど、まず、経済政策に名前をつけたことで、前政権が経済政策をしていなかったような印象を与えることができたという点で成功した。また、レーガノミクスをはじめとして、過去に取られた海外での政策について平均的な日本人が記憶しているものはといえば、学校で習うニューディール政策くらいのものであり、レーガノミクスを覚えていた人も、どのような政策だったのかは忘れていたことだろう。「日本人の名前+英語」で、国際的な雰囲気も漂っていて、最近流行の「日本のここがスゴイ」的な文脈に見事なまでのハマり具合である。
批判的な立場を取っているはずのメディアですら、批判する際に「アベノミクス」という言葉を多用し、結果として、「景気がよくなった気があまりしないけれど、まあノーミクスよりアベノミクスかなぁ……」という空気を醸成する手助けをしたのだった。

「アベノミクス」に反対する人たちもまた、「アベノミクス」なる体系的かつ効果的な経済政策が存在することを証明し宣伝することに加担していたことは皮肉でしかない。レーガノミクスなら、あのときお父ちゃんの方のブッシュが"Voodoo Economy"と呼んでいて、この呼び方もポリティカリーにコレクトなのかどうなのかと思うが、根拠の薄い政策という意図を汲んで、「ニセ経済」とでも呼んでおけばよかったものを、せいぜい「アホノミクス」などと、個人を感情的に中傷しているように聞こえるキーワードを作ることしかできなかった(「アホと言う人こそがアホ」と大阪のちびっこは教わるものだ)のだから、本当はミスターアベのことが好きなのではないかもしれない。実はミスターアベおよび自民党をなんとかしたいと思っているのであれば、代案となる経済政策に、少なくともレーガノミクスをもじる程度に気の利いた経済政策の名前をつける必要があるだろう。


胃にもたれる例ばかり見てきたが、このように、何かを成功させたいと思ったときには、名前をつけるかどうかを含めネーミングについて真剣に考えるべきであり、うまくいったあかつきには、正当性がないものをも正当にであるかのように見せることさえできるのであった。
一般的になにかものを作るときに、まずコンセプトを固めることから始め、コンセプトが固まったらネーミングを考える。たとえば本を作るときもタイトルは後の方で決めることが多い。しかし、適切な名前が捻出できなければ、コンセプトがよかったとしても世に出す意味はあまりないのかもしれない。

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「宝くじを買う人は愚か者」説の真偽を確かめ、ついに最終結論を得た

宝くじ研究家(研究しすぎた結果、買わなくなるほどの本物の研究家)のココロ社より愛をこめて……
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「宝くじは愚者の税金だ」という言葉を知っているにもかかわらず、わたしは何度か宝くじを買ったことがある。そのうちの少なくとも一回は、どうせ当たらないのだから、当選したかどうかを確認するのは時間の無駄と思って、確認しないまま捨ててしまったので、その意味で、まさにわたしは愚者税を払ったのかもしれない。しかし、愚かであるというハンディキャップを持ちながら健気に生きているのだから、そこを評価してもらい、むしろ賢者から税金を取ってわたしのような愚者に再配分した方がよいのでは、と思ったが、よく考えてみると、それは世に普通に存在するZEIーKINそのものではないか……ということに気づくのにも時間がかかってしまったので、わたしは筋金入りの愚者なのかもしれない。

―そんな感傷はさておき、「宝くじは愚者の税金」論を語る人の多くが、その根拠に、期待値が低いことを挙げている。宝くじ当選金の期待値は1枚につき150円程度で、それに1枚300円を費やすのは愚かである云々……。

「期待値の定義を確認する」という遊びをしよう

「期待値」という言葉は中学数学で習う概念で、「その試行の結果の平均値」である。たとえば、サイコロを振ったときに出る目の期待値は3.5である。しかし、一般的に「期待値」とは「ある事象が起こってほしいと願う強さの度合い」を示すことが多い。ぼくは「期待値が上がる」などと、無理に数学的表現を使うのではなく、単純に「期待する」などと表現すれば事足りると思ってもいるのだが、細かい人と言われるのも癪なので、誰かが「『今度飲みに行きましょう』って言ったら『行きましょう』と返事されたので、ついつい期待値が上がってしまうものだよねぇー?」と問いかけられたとしても、「それで本当に期・待・値が上げられるなら絶対ノーベル賞がもらえるよ」などと嫌味を言ったりはしない。空気を読んで、「よっぽど嫌いでない限り『行きましょう』と答えるよ。このあと日程を調整するときに『忙しい』を連発されるかもしれないけど」と答えることだろう。

話を宝くじに戻すと、宝くじの当選金の期待値は1枚あたり約150円であるといわれている。つまり1枚当たり150円を捨てていることになるのだが、期待値だけを基準にして行動するのであれば、人生における期待値は家も持てず仕事に苦しみ……なので、頭のいい人は大学を出たあたりでさっさと首を吊るものであり、生きている者は全員愚か者だ、ということになってしまうが、そうしていない人の方が多い。つまり期待値の多寡は行動のキーにならないこともあるのである。

憂鬱になるようなたとえは措いておき、より宝くじに近いケースを考えてみよう。
200円で販売されているシベリアンハスキーが共食いしている図柄のチケットがあったとして、

(1)じゃんけんに勝ったら250円もらえるが、負けたら何ももらえない、シベリアンハスキーが共食いしている図柄のチケット
(2)8桁以下の数字のうちから1つ選び、値が一致すると20億円もらえるが、一致しなければ何ももらえない、シベリアンハスキーが共食いしている図柄のチケット

のどちらかを買わねばならない。もし買わなかった人は、誘拐して耳にスピーカーを埋め込む手術を施され、日本の歴代総理大臣の喘ぎ声を絶え間なく流し続けるぞ(ただし初代総理大臣伊藤博文~11代総理大臣桂太郎の喘ぎ声は、音声が残っていないため、写真からコンピューターで計算して出力したもので代用)、と脅迫されたらどうするだろうか。(1)の当たり金額の期待値は125円で、(2)の当たり金額の期待値は20円。単純に期待値の大小で決めるのであれば、(1)を選ぶはずだが、この条件なら(1)を選ぶ人は少ないはずだ。つまり、確率が低くても、当選した時の金額が大きければそのくじに魅力を感じることもある。
その意味で、宝くじを買う人が言う「買わなきゃ当たらない」が、それなりに妥当ではあるのだった。

なお、宝くじの当選と交通事故を比較する人のことは好きだが、変態だと思う

なお、この話とは直接関係ないが、宝くじの当選確率の低さを「交通事故よりも低い」と表現する人がいるが、そのたとえを持ち出すことは不適切であると指摘しておく。たしかに、1年のうちに、交通事故で死ぬ確率は、4500人/127080000人で、交通事故の方が確率が高いし、感覚的にとらえても、交通事故で亡くなった知人の1人や2人はいることを考えると、宝くじの1等の当選確率は極めて低いので、言っていること自体は正しいのだが、不幸な事柄である交通事故と幸福な事柄である宝くじの当選の確率を比較し、不幸なことが起こる確率の方が高いことを示しても、気が滅入るだけではないだろうか。

それでもなお、わたしは宝くじを買わないだろう

以上、「期待値が低いから、宝くじを買うべきでない」説に欠点があることを横道にそれながら考えてきたが、それでもなお、わたしはもう宝くじを買わないと思う。
理由は簡単で、「宝くじのようなものを毎日無料で引いているから」だ。

人は、無意識にさまざまな試行を行っている。ざっと考えただけでも下記のような試行があるだろう。

・ある日、会社の社長が料亭で食べたふぐの白子に元気で紐に似た寄生虫がいて、白子が好きな社長はそれを丸呑みした。会社で社長とすれ違ったとたん、社長の脳を新居とした寄生虫が口蓋の神経に触れ、はからずも「キミよく頑張ってるね。お小遣いとして7億円あげよう」と社長が発音することに……「まあ自分の意志でないような気もするが、言ってしまったものは仕方ない」と渋々7億円を給与振込口座に振り込んだとさ。


・話があると言われて実家に帰ったら、玄関を開けた途端にガソリン臭にむっとした。もしかしたら一家心中のお誘いだったのか?とヒヤリとし、まあ自分自身人生うまくいってるわけでもないし、一家で同時に絶命するなら寂しくないからいいのかも……などと思いながら話を聞いてみると、家の庭から石油が噴出しているとのこと。本格的な採掘を依頼したら小規模ながら油田があったとのことで、その先お金に困ることはなかったとさ。


・漬物をよく見たらキリストの像が……ただちに冷凍してオークションに出したら1億円の値がついたのだが、そのオークションの落札画面を薄目で見たら、これもまたキリストの像に見える!そのスクリーンショットをテレビ局に売るとともに出演もしたのだが、出演しているシーンもまた薄目で見たらキリストの像に……と、永遠にキリスト像に見えるループに嵌まってしまい、けっきょく自分自身がキリストの再来であると噂されるようになって無限の富を得ることとなったとさ。


・山道を歩いているときに猛烈な便意に襲われ、これはたまらんと思って林の中に入って用を足したら、足元に、お寺のマークに似ているがなんとなく逆な感じの胸騒ぎのするマークが……もしやと思って掘ったら、マジックで「ヒトラー私物 開けるな」と書いてある金庫で、間違いなくナチスの財宝。7億円相当の中身を全額手に入れる権利を法的に得たものの、これをそのまま受け取って悠悠自適というのは倫理的にどうなの……と思っていたら、みのもんた氏や板東英二氏が、「権利は主張すべきだし、財宝を受け取ることを恥じてはならない」と番組で援護してくれたので、世間から後ろ指を指されることなく大金を手にすることができたとさ。


・雨の日に近所を歩いていたら、びしょびしょになった柴犬を発見。柴犬って毛足が短いから、濡れたときのみすぼらしさは大したことないなー、ヨークシャテリアとか体積が半分になっていて即保護しようと思うけど……などと頭では思いながらも身体は正直で、柴犬を持ち帰って飼うことになった。ある日、家に帰ってきたら犬がレシートを持って手としっぽで数字を表現しようとしている風で、その数字はなんと各レシートの合計金額と合致!計算ができる犬であり、特に平均的には頑固であるとされる柴犬だったものだからテレビにひっぱりだこで、たちまち犬はスターになり、大金を手に入れたとさ。


ネタが尽きたのでこのあたりでやめにしておくが、このような事象が起きるくじをわれわれは毎日引いているはずで、ただ、毎回当選していないからくじを引いていること自体に気づかないだけなのだ。もちろんこれらの事象が起きる確率は極めて低く、起きることはないと断言してもいいくらいだ。まさに宝くじが当たったかのような話である。

以上のように考えて、「宝くじを買う人は愚か者ではなく、お金持ちである」という結論を得た。
わたしは、毎日無料で宝くじ状のものを引いているのに、それに加えてわざわざお金を出して宝くじを買う必要はないのでは、と思い至って、宝くじを買うのをやめるのに成功したのだった。
しかし、今日もさまざまな宝くじ状のものを引いて外れたと思うが、早く何か当たってほしいと思う。
わたしは先進国に生まれる宝くじに当選しただけで終わってしまうのだろうか。そう考えるとまあいいやという気もするが。

「なぜ女性向けのプロダクトにはピンク色が多いのか」という怒りにも似た疑問について考える

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男のわりにはピンク色が好きだが、特に自分がジェンダー的なバイアスから自由に生きてきたなどと主張しようと思ってはいないことでおなじみのココロ社です。

女性向けに作られた製品が、考えなしに適当なピンク色にされているように思えることがあるし、インターネットでも定期的に話題になっている。最近では、「ダサピンク」問題と呼ぶ人もいる。たしかに家電量販店などの調理家電や美容家電のコーナーに行くとピンク色の家電が多いのは事実である。
これらの製品、とくに家電などは、中年男性がデザインの決定に深く関与しているというイメージが強いこともあってか、「どうせ女の人はピンクが好きなんでしょ」という傲慢な感覚のもとに作られたような気がしてしまうし、勢い余ってそこにジェンダーの問題を見出すこともあるかもしれない。
「男性向けにミントの香りのものが多い」というのも同じ問題といえるかもしれないが、この手の大雑把に作られているように見える製品の多くは、マーケティング的には実は正解であったりするのだから世の中はややこしい。


今回は「女性=ピンク色」問題について絞って考える。
この問題については、それが合理的だといえるいくつかの背景があるのだった。

実際のところ、ピンク色は女性に人気の色である

女性にピンク色が人気であることを疑う余地はない。「女性 好きな色 アンケート」などで検索してみるといい。ピンクについで人気なのは黒や青で、こちらは性別が関係なく好かれている色であり、女性しか挙げない色と考えると、圧倒的な人気であると考えてよい。
自分や自分のまわりにピンク色が好きな人が少ないと、お仕着せの色であるかのように思うかもしれないが、それはただ単に同じ人種で固まっているというだけのこと。わたしのまわりにEXILEのファンは一人もいないが、それはわたしがEXILEが好きな人と人種が違うことを意味しているだけで、EXILEのファンが絶滅したのではない。
「女だからってピンクが好きだと思うなよ!」という主張をする人が一定数いて、その主張自体は正しい。ただ、全員ではないにせよ、女性に人気のある色であることもたしかなのである。ピンク色以外の色を好きな人を考慮して、オレンジとレッドとパープルなどを作ってそれぞれの色について生産管理をし、その甲斐なく各色に微妙な在庫を抱えるくらいなら、「とりあえずピンク一色で。『ピンク=女』という価値観が嫌いな女性は、そのはっきりした主張からすると、白か黒が好きなのではないか」などと大雑把に考えて、白と黒とピンクを作って、ピンクの在庫のみを抱える方が、楽だし収益もあがるのである。

女の人が生まれつきピンク色が好きなのかどうかについては、男が生まれつき黒が好きなのかどうなのかの話と同様、ここではさほど重要ではない。仮にそれが、幼児期に刷りこまれた嗜好だったとしても「こんな悪趣味な色のお召し物を主体的に身に着けてしまうほど男性社会に飼いならされてしまうなんて……かわいそうに!」などと憐れむのはお門違いなのであった。
いっぽう、嫌いな色として上位に挙がるのもピンク色なので、「こんなにもわたしが嫌いなピンク色が人気だなんて嘘に決まっている」と思ってしまう人がいるのも無理はない。

ピンク色は背景に使いやすい便利な色である

こんな色遣いのスマートフォンのアプリがあったら制作者の感性を疑うだろう。
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読みにくいと感じたに違いないが、パソコンやスマートフォンなど、テキストを読ませるものの場合、背景に使えるのは薄い色で、ボタンなど操作ができる部分は濃い色にするという暗黙のルールがあり、それを破るとこのように使う気の失せるデザインになってしまうのだった。
また、キティちゃんなどのキャラクターの画像を検索してみると、背景にピンク色がよく使われていることがわかるだろう。背景が赤や緑だったらキティちゃんの存在が消えてしまう。
色の濃さを考慮に入れなかったとしても人気の色であるピンクは、さらに薄い色というジャンルで絞れば、唯一といっていいほどの人気で、むしろ背景をピンク色にしない手はないと言ってもいいほどだ。

家電のデザインにおいても、多くの部屋の壁紙と合わせて白にするのが無難といえるが、真っ白にしてしまうと単調な印象を与えるし、かといってアクセントに赤や青を入れてしまうと目立ちすぎてしまうので、無難にピンクにしておきますか、と考えるのも無理はない。濃い色を使えないシーンで使える便利な色がピンク色なのである。


デザイン性が求められない製品には適当な色がついている

たとえばカバンが好みのデザインでなければ買わない人はほとんどだろうけれど、かかとの角質を削るヤスリが好みのデザインでないからといって買うのをやめる人は少ない。ピンク色のバッグを持っていない人も、かかとの角質を削るヤスリのザラザラした面はピンク色である確率は高いし、ここがピンクだからかかとの角質を削るのをやめます、わたしかかとはカサカサでいいの、その方が冬らしくて楽しいじゃないの、などと言う女の人はいないだろう。かかとの角質について考えるのが面倒だという理由でかかとの角質を削らない人はいるだろうけれど。
いっぽう、かかとの角質を削るヤスリを有名なデザイナーに作ってもらっても、大して売れないというのも事実。かかとの角質を削るヤスリは持ちやすさや、仕上がりがツルツルになることが求められるのだ。色を差別化のポイントにしても仕方のないところで、「とりあえずピンク」にしても、それが原因で売り上げが落ちることはないのである。
ある製品がピンク色であることが気になるピンク色嫌いの女の人は、その製品にデザイン性を求めているから不快なのであって、「家電売り場でドライヤーを見に行ったらピンク色ばかりで腹が立った」と思いながら、ピンク色のかかとを削るヤスリで角質を削って足をピカピカにするのであるし、同様に、「掃除機売り場に行ったらピンク色ばかりで腹が立った」と思いながら、ピンク色のドライヤーで髪を乾かし、そのあとピンク色のかかとを削るヤスリで角質を削って足をピカピカにしたりする人もいるだろう。



ピンク色はとくにジェンダー的なイメージが強く、嫌いな人はその色に光の波長以上のものを見出しがちだ。「ピンク映画」のような言い方に象徴されるように、それは必ずしも的外れではないと思うのだけれど、ピンク色を好きな女の人は騙されているわけではないし、ピンク色は製品を作るうえで使いやすい色なのだった。


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埼玉にある世界最大級の地下放水路「首都圏外郭放水路」の地下神殿では、柱を御神体と思うしかないのだ。

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首都圏外郭放水路が作られたのは今から12年前。近辺の川の水があふれたとき、地下の水槽に流しこんで貯め、ポンプで江戸川に放水することで周辺の洪水被害を防ぐ、という仕組みである。
この放水路には東京ドーム10杯分の調整実績がある。10杯分が多いのか少ないのか感覚が麻痺してよくわからないけれど、わたしは気が弱く、東京ドームに喩えられたら反射的に巨大だと思うことにしているので、東京ドーム3杯分と言われても驚いてみせることが可能である。
近年、大雨・洪水の被害が増えてきているが、この放水路の管轄内の冠水がなくなり、被害を免れた規模は1兆4000億円にものぼる。
建設費は2300億円とのことだから、ペイするにもほどがある。ただ、税金といえば無駄遣いというイメージがメディアにより刷りこまれており、税金を無駄遣いしていないと少々がっかりしてしまう。無意識に、「無駄遣いしてこそ施設の巨大さが身にしみる」と期待しているのだと思う。


この放水路の中核をなす調圧水槽は、おそらく柱が大きいという理由から、勢い余って「東洋のパルテノン」と呼ばれることもある。
日本しか知らないのに東洋東洋と口にするのは昭和脳のなせるわざであるが、その話は別の機会にするとして、一般的に「東洋のパルテノン」というと、韓国の世界遺産である宗廟だし、日本においては、ブルーノ・タウトが伊勢神宮をそう呼んでおり、到底太刀打ちできる見込みがない。「地下神殿」がより一般的な愛称であるが、適切かと思う。

予約する場合は高度な計画性が要求される

地下神殿のなかは、ふだん見学をする場合、事前予約が必要。桂離宮のようである。
予約はここからできるのだけれど、予約を取るのは至難の業。1か月後のXデーに有休取得が確実にできる人のみに許されるので、難度はかなり高い。
ただ、毎年11月に予約なしで入れる日があることを銘記しておくと、行楽シーズンに手持無沙汰になったときに幸せになれる。季節の変わり目を越え、希死念慮が落ち着く時期であり、それを記念あるいは祈念して開催されているに違いないのだ。
放水路があるのは埼玉の春日部市。
大宮から東武野田線に乗ればよい……と思って駅に降りたが、いつの間にか、「東武アーバンパークライン」という名前に変わり果てていて、乗っていいのかどうなのか戸惑ってしまう。
このような路線名称の変更をすると叩かれるのが世の常だが、仮に自分が、あまりお金をかけずに沿線のイメージを変えてくれと言われたら、「では名前をアーバンパークラインなどとするのはどうでしょう」と言ってしまうと思うので、とても責める気にはなれない。
そんなややこしさを秘めたアーバンパークラインに揺られて30分で南桜井駅に到着。
見る者を緊張させる看板に出迎えられたのだった。
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駅からは、特別公開日の2日だけひっきりなしに運行されている150円のシャトルバスに乗ればすぐ着く。
なお、徒歩だと40分かかり、わたしも歩いたことがあるが、より強く、地下神殿に辿り着いたという実感が得られる。
ただ、「尿を限界まで我慢すると、放出したときに気持ちがいい」というのと実質的にしていることは変わらず、そのような盛り上げ方はいかがなものかという気持ちにもなったこともたしかであり、やはりバスがあるときは素直にバスに乗るのがよいのかもしれない。



行くのは二回目なので、前置きは抜きにして、さっそく地下の調圧水槽に入る。
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この階段をひたすら降りていくと目的の調圧水槽である。
―とはいえ、冒頭に写真を載せたので、読者のみなさまにおかれましては、まったく緊張感なく文に目を滑らせていらっしゃるに違いない。せっかくだから、ここで10年前に行ったときの写真を紹介させてもらいたい。
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当時は三洋電機のXactiという名のデジカメを愛用していた。当時としては、小さいサイズなのに高解像度の動画も撮れて使える有能なパートナーだったのだ。いまXactiを作っていたチームは株式会社ザクティとして新しいスタートを切っているのだけれど、あのときのような素晴らしい製品を待ち望んでいる。
白黒写真の時代は世界がモノクロームだったかのように錯覚してしまうが、解像度の低い時代の写真を見ると、繊細さを欠いた世界にいたかのように錯覚してしまう。
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「何もない」こととの戦い

パルテノンに話を戻すと、パルテノン神殿の内部にはかつて部屋があり、アテナ像が祭られていた。また、伊勢神宮にはご存知のように正殿の中に八咫鏡がある。見た人はほとんどいないというが、参拝者はそこにあることを確信しながら拝む。しかし、この地下神殿は神殿ではないので何もない。
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調圧水槽の中では交代でフルートを演奏していて、そこそこの人だかりができていたのだが、とくに神を思わせる音楽を演奏してはいなかった。集っていた人々は、やはりフルートを演奏するときに、美しい音を出すことと引き換えに下唇を前に突き出し、普段の顔と違うユーモラスな表情になるのを確認したいと思っていたのだろうか。
―そうではなくて、神も含めて何もないところであるから、ついそこにあるフルートに中心を見出し、引き寄せられてしまうのである。それもまた、何もなかったときの安定剤として悪い選択ではないのだけれど、わたしは柱をご神体と思って意識を集中させることでこの空虚さを乗り越えたのだった。
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よく見ると柱のひとつひとつに表情がある。つまり何もなくはない。
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コンクリートというと、すぐざらついたブロックを思い浮かべるのだが、丁寧に作ったコンクリートは光沢をたたえている。つまり何もなくはない。
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この薄暗い先に何かがあるので、何もなくはないのだ。
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今年、この柱は6回稼働して泥水に浸された。水かさを示す跡が、まるで水着の跡のようで煽情的である。
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気づいてもらえなかったら癪だから言うけれど、魚眼レンズで撮ると床と天井が同時に写ってダイナミックやろ……。


―このような鑑賞法では気がふれてしまうという人は、水が流れこんでくる第1立坑の先に何かがあると見なすのがよいだろう。階段が見えるが、全貌は明らかでなく、まるで伊勢神宮の内宮に参拝したときのような気分になる。
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ポンプ室の消火装置は赤く色づいて食べごろである

特別公開日は、特別にポンプ室の公開も行われている。
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「1号機」「3号機」などと書いてあるだけで背筋が伸びてしまう世の中に誰がしたのか……。
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ポンプのまわりを取り囲むようにチューリップ状の愛くるしい装置がついているが、これは消化装置。

そして、物理法則に果敢に抗い、ポンプでくみ上げた水は、外にある排水口から流れ出ていくのだった。
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わたしが近所に住んでいたら、台風の日などに絶対に様子を見に行ってしまっていると思うのだが、近所に住んでいる人はよく我慢しているなと思う。忍耐力townである。

外には、この施設を世に知らしめるための「龍Q館」という、『阿Q正伝』を思わせる施設があり、首都圏外郭放水路がどのようなものかが理解できるようになっている。
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最初にこの施設を訪れて、自分が今から見るものは何かを把握するのもよいかもしれない。
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大雨のとき以外は使われていない指令室。何とかマンの撮影などにも使われるらしい。
席と席の間が離れているのでネットサーフィンが可能である。

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なお、春日部市育ちの故・臼井儀人先生のサインは特別な場所に飾ってある。
この際、龍の字が違うというのは大した問題ではないのである。ケンカが弱そうな龍の字。


彩龍の川まつりでマジョリティに出会った

この特別公開は、いつの年からか、『彩龍の川まつり』に組みこまれていて、外では埼玉マジョリティによる芸能、略してマジョ芸が繰り広げられていた。
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日本と中国を足して二で割ったようなダンサブルな音楽に合わせて踊り、木製のノイズジェネレータをタイミングよく鳴らす。まさにわたしは日本人であり、この国に生まれてヨカッタ……と思う瞬間である。
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人が目の形に集合しており、その一致団結ぶりにスイミーを想起してしまう。
もしここに宇宙人が来襲しても、「地球人は事前調査よりも大きかった」と宇宙におけるtwitterに書き残すなどして侵略を諦めるに違いない。
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白色を基調にしたゆるキャラを見かけると、「汚れなどは大丈夫だろうか」と心配してしまう。



埼玉のポスターにはよく、「彩の国 さいたま」と書いてある。わたしはずっと「あやのくに さいたま」と呼んでいたが、「さいのくに さいたま」と読むのが正しい。なぜ「彩」なのかは、単純に音が同じだからという理由らしい。タモリ先生による「ださいたま」キャンペーンの向こうを張ってつけられた名称なのだが、埼玉県の人でタモリ許さない的なことを口にする人をあまり見ないので、彩の国の人たちは心が広いなぁといつも思う。