東京都の建造物で都民を励まし続ける存在といえば東京タワーであるが、東京都民でありながら東京都になじめないアンダーグラウンド都民にとって、あれはまだまだ赤すぎる。
われわれアングラ都民(共犯に仕立てあげてしまい、申し訳ない……)を励ましつづけてきた建造物といえば、府中のパラボラアンテナである。
わたしがこのアンテナを見たのは20年で5回程度に過ぎないのだが、週の半ばに嫌な事件が起きたとき、「逝去したい……でも週末に府中のパラボラアンテナを見たら気分転換になるだろうから逝去はもうちょっと先にとっておこう」と思って過ごし、週末になると逝去の件についてはすっかり忘れて遊び呆ける……という一週間を過ごすことが多く、実際に行くことはなくとも、パラボラアンテナが府中に存在するという事実がわたしを勇気づけてきたのだった。
あのパラボラアンテナ、米軍基地跡にあって、現役ではない。府中市は競馬などで財政が潤い気味だから再開発的なこともしたいのではないかと思っていたのだが、先日、建物の撤去が始まっていたという情報を遅ればせながらキャッチし、最後にたくさん写真をとって、思い残しがないようにせねばと思って現地に向かった。
そして、パラボラアンテナ目当てで府中に行くのも、なんだかはしたない気がする……という謎の恥じらいが脳内で発生したので、近接する多磨霊園で偉人の霊を一網打尽としゃれこもうと思ったのだった。
今回の行程はこれ。京王線東府中駅で降り、米軍基地跡のフェンス沿いに、さまざまな角度から基地跡の姿を記憶に焼きつけ、ナイス寺院を挟んで最後に高台からパラボラアンテナを眺め、我が世の春を謳歌しスッキリして賢者モードになってから偉人たちの墓参りをする……という夢のようなツアーである。ノーマルな人にとっては何もないところを歩き倒すという悪夢のようなプランなのかもしれないが……。
ノーマルな感性のオーナーの皆様におかれましては、企画展が常に充実している府中市美術館の帰りに、軽くパラボラをキメる程度の方がよいかもしれない。
東府中駅を降りて北に歩いていくと、ほどなくして自衛隊の基地が見えてくる。気軽に入れる雰囲気はないのだが、フェンスの向こうに給水塔のような建物が見えるので、ありがたく拝ませていただくことにする。
すごい茶色の汁が中に溜まっていそうで興奮する。
しばらくすると、フェンスに囲まれた廃墟のようなものが見えてくるけれど、これが今回のお目当ての米軍基地跡である。
フェンスの近くに、まだ取り壊されていない建物が残っているので、不審者と思われないよう気をつけながら観察しなくてはならない。具体的にいうと、フェンスに近づいてもいいが、フェンスの跡が顔につかないよう気をつける。
しかしここの木の空気の読まなさがひどい。植物に話しかけるとよく育つという説があるが、たとえ「じゃまだなぁ……」と話しかけてもこのように育つのであれば、植物には言葉がわかったりしないのだろう。
レコードが散乱していたが、何のレコードかはわからなかった。80年代に竹の子族が忍びこんで『怪僧ラスプーチン』を踊ったりしたのではないかと推察する。
ここは国有地という扱いのようである。国有地の前に赤字で何か書いてあったのだろうか。
こういうシチュエーションで気の利いたコメントが言えるセンスを持っていたなら、わたしはハガキ職人として活躍していたかもしれない。
いま、基地跡を囲うフェンスは二重になっている。内側のフェンスはフェンスとしての機能を期待されていないためか、植物と一体化して朽ちている。
基地内の外灯がまだ形を保っているが、わたしの気持ちを忖度したカラスが二羽、外灯にとまってくれたので、感謝しながら撮影した。
フェンスに沿って歩いてみても、なかなかパラボラアンテナの姿は見えない。ただ一周しても30分もかからないので、あれこれ想像しながら歩くと楽しい。観光スポットを自分で探す喜びに震えることだろう。
最初に見えてくるパラボラアンテナの姿は、おそらくこれだ。
この写真だけ切りだしてみたら、ベルリンの壁から見た東ドイツの風景のようである。実際のベルリンの壁はもっと高いからフェンス越しにアンテナが見えたりはしなかったようである。
以前、パラボラアンテナのまわりには、魅力的な建物が林立していたのだが、それらはすでに撤去されていて、パラボラアンテナの思わぬ御開帳となっている。
以前に撮ったパラボラアンテナの姿も合わせて貼っておこう。
ひとしきり取り終わって気持ちが落ち着いたころに、慈恵院が見えてくる。ここは動物の霊をなぐさめる東京では最大級の寺院。
庭園には立ち入れないものの、箱庭感がユニークなので、ぜひ立ち寄ってほしいと思う。
特筆すべきなのがこの建物で、部分的に溶岩で覆われていて、そのまだら具合がハイセンスである。こういう家に住みたいと思ったが、おそらく中は普通なのだろうなと思う。
観音様は猫派のようである。
動物像がにぎやかで、ペットを失ったわけでもないわたしも癒やされた。
特にWELCOMEの子犬はとびきりのがんばりやさんである。
後ろの高級そうな猫を家に置きたい。
驚いたのがこの張り紙で、動物霊園を保健所かなにかと勘違いしている人がそれなりにいるということだろうし、捨てた人は来世では石臼か何かに転生して永遠に回転しながらじっくりと反省してほしい。
さらに基地跡をまわっていると、マイクロウェーブ塔により近づける。
年季が入っていて思わず何枚も写真を撮ってしまうが、現役とのこと。
こんどは、まったく別の角度からパラボラアンテナを眺めてみよう。
浅間山公園を登っていく。ここは広大な公園のわりに人が少なくて、単体でも観光に耐えうる、ありがたい公園である。
一番高いところから西の方角を見ると、パラボラアンテナを横から見ることができる。
街並みと合わせて撮ると、タイムスリップしたのかという気持ちになる。遠くにあるので、望遠レンズが必要。写真を撮らないなら双眼鏡があるといい。
この公園は浅間神社を擁している。創建年月は不詳なのだけれど、小さいながら山の頂上にあるので、神がここにいる感じはする。写真を撮ったときはちょうど例大祭だった。
このあと、ゆっくり下って多磨霊園に向かうのだが、山道を歩いていると、突然視界が開けて、本気度の高いアマチュアカメラマンたちが現れた。何やらお触れのようなものが掲げてある。
一瞬何かと思ったのだが、鳥に人気の水場で、人間がじゃましない限りにおいては撮り放題で、入れ替わり立ち替わり、鳥たちが水浴びをしていた。
イメージ通りの写真を撮るには、おそらく600mmくらいの望遠レンスが必要。これは300mmで、鳥を本気で撮りたいなら望遠レンズを買い足す必要があるように思うが、レンズ沼にははまりたくない。本体沼だけでじゅうぶんである。
浅間山の斜面では最近、謎の大量伐採があったようで、このあとどうする気なのかが気になるので、何年かしたらまた来てみようと思う。
小さな吊り橋を通過し、多磨霊園の26区に向かう。多磨霊園は江戸川乱歩のお墓参りから始めるのがスムーズである。
江戸川乱歩先生の本は、『D坂の殺人事件』を読んだのだが、題名の『D坂』という響きだけで震えあがってしまい、よく覚えていない。ミステリーの基本くらいは押さえておきたいと思って読んだのだが、改めて拝読いたします……と先生にお話しした。
次は長谷川町子先生。フォントが庶民的で感動した。サザエさんがまだ現役で放送しているので、どうにも亡くなった感じがしない。声優さんにR.I.P.と思うことはある。
三島由紀夫先生もこちらに眠っておられる。享年44歳と知って驚いた。あの自決は若さがないとできないと思っていたのだけど……とにかくああいうなくなり方はよろしくないので次は考えていただけないかお願いした。
そしてトリは大好きな田山花袋先生である。
かといって墓石をさすったとしても花袋先生に近づける感じがまったくしない。
裏に何かかいてありそうなくぼみがあったのに、帰宅してPhotoshopでコントラストをいじってみても何も出てこない。
しかし当時植えたであろう木がお墓を囲むように育っている。
花袋先生の撒いた文学の種については、変な汁をかけて育てられてしまったからか、よくわからない実をつけているが……。
訪れた偉人の墓の場所を順にまとめておくと
江戸川乱歩 26区1種17側
三島由紀夫 10区1種13側
長谷川町子 10区1種4側
田山花袋 12区2種31側
なので、参考にしていただければありがたい。
偉人たちの墓参りをしていると、誰だかわからない人のお墓の様子が気になってきた。
定期的に参られて親族によって整備されているお墓を見ると安心するが、草木が生え放題のお墓は奥の院のように見えて、いっそうその霊があらたかに感じられるが、そう感じる人は変態なのかもしれない。
しかしこの多磨霊園のピラミッドと呼びたくなる建築物も無縁墓扱いになっているのは非常にもったいない気がする。
なお、ここの管理者不在の墓については、小池百合子先生がちゃんとしろと命じているのでちゃんとしなければならない。
また、個人の在りし日の姿がよくわかるタイプのお墓もいくつか見つけた。
お金があるならこれにした方が絶対よいと思うのだが、調べてみると台座なども含めると200万円近くするようで、子孫に自分の存在を伝えるのもなかなか難しい。
また、材質によってはひびが入りやすく、いたずらにケンカが強そうに見えてしまうので注意が必要である。
ただ、銅像ができたとしても、痕跡が一切奪われてしまったままのものもある。
この銅像の主が不憫に思うのだが、この扱いからして、かなりの偉人のはずである。誰なの~~!
霊園のメインストリートには噴水塔without水がある。
アールデコのようでエロチック。何周も回ってしまった。
多磨霊園を出て、多磨霊園の駅へと歩く。この通りは、古くからの石材店が並んでいて、城下町のような風情がある。ただ立ち寄っても何も買うものがないのだが……。
ふと目を遣ると魅力的なお寺。染屋不動尊は1653年にこの地に鎮座し、小さいながら宝物殿には、旧国宝、現重要文化財の阿弥陀如来立像が安置されている。こんなさりげなく置いてるのか……。毎年文化の日には御開帳らしいので忘れずに行きたいと思う。
この旅の終わりに立ち寄ったのは街中華の極み、『珍華』。
16時に着いたのに、このあと何組ものお客さんで賑わっていた。お客さんが来ないと思ってひとりでテーブル席に陣取ってしまったが、次回はカウンター席に座るようにしようと思った。
店内は落ち着きすぎるほど落ち着いていて、一心不乱にフルートを吹く少女たちのレリーフがいかしている。
上のパイオニアのAVセレクターか何かの機械のデザインが、まるで初期のローランドのシンセサイザー、Jupitar-8やTR-808のようなデザインで、もしかして同じデザイナーなのかと思った。さらに上にはダブルデッキのカセットプレイヤーで、料理を注文する前からごちそうさまと言いたくなるほどの満足感である。
壁には表彰状がいくつも貼ってあったが、よく見ると、料理コンテストの賞状ではなく、青色申告制度の普及に努めたことへの感謝状だった。マスターのお人柄が伝わってくる。
頼んだのは、あんかけチャーハンで、ザ・昭和中華の味で期待を裏切らない。
ずいぶん遠くに来た気がしたのだが、40分後には新宿にいて、不思議な気分である。
近場なのに非日常を感じられて大変ありがたい。