ココロ社

主著は『モテる小説』『忍耐力養成ドリル』『マイナス思考法講座』です。連絡先はkokoroshaアットマークkitty.jp

写真はもう著作物ではないのだろうか

f:id:kokorosha:20170301213247j:plain

無料なら絶賛されるが、売るとこき下ろされる写真たち

少し前に、インターネットの安達祐実さんのギャラリーの写真がすばらしいと話題になった。アクセスが集中していたが、そういえば、安達祐実さん、同じようなタッチの写真集を出していたような気がする……と思って調べてみたら、その写真を撮った写真家と同じ写真家が撮っていた。しかし、その写真集は、その芸術性というより、もっぱら安達祐実さんのセミヌードが載っていたことで話題になっていたし、Amazonでも酷評する人が多く、ブログの写真への圧倒的賞賛がまるで嘘のようだ。
なぜ、同じ写真の評価にここまで差がついてしまったかというと、ブログの写真を見た人は、「(スマートフォンで無料で流し見するには)素敵な写真」と言い、写真集を買った人は、「(ヌードが見たくて金を出したのに被写体の露出度が足りなくて)よくない写真」と酷評したのだった。芸術性を認めた人がお金を払わず、芸術性を認めない人がお金を出す、という珍妙な状況であるが、写真が芸術的表現としてあまり高い価値が与えられていない状況を象徴している。

著作者すら写真を盜んでしまう始末である

人物写真の多くは、被写体の人気で価値が測られてしまうので、著作物であると捉えられていないのかもしれないが、では、風景や生物が被写体なら、著作物として評価されるのかといえば、これもまた怪しい。任意のライターさんのTwitterを何人か見てみると、報道写真などを、あたりまえのように載せている事例を見つけることができるだろう。自分の文章が剽窃されたと訴えていたライターさんですらそうしているのを見たことがある。自分の書いた文章には著作権があるが、他人が撮った写真には著作権がないと思っているのであった。いわんやアマチュアをや、で、自分の作品が「パクられた」とツイートしている人の過去のツイートを見ると、ほとんどの場合、10ツイートも遡れば、どこかから「拾ってきた」写真を載せていて、どの口で……いや上の口しかないよねと思ってしまう。
著作物を「拾う」ことなどできず、鑑賞するか批評するか剽窃するしかないのだが、写真は、現実のコピーと考えているために「拾う」という行動が可能だと考えられているのである。

写真とは、そもそも著作物ではないように見えてしまうものでもある

写真は著作物であるはずだし、「著作権」という抽象的な概念を媒介せずとも、その写真の構図を描く能力を磨くための努力、撮りに行くための旅費、シャッターチャンスを捉えるまでの待ち時間などのことを考えると、気軽に拾ったり貼ったりはできないはずだ。ただ、カメラマンは透明な存在でないと、見た者がその場にいる気持ちになりづらい。湾岸戦争を象徴する写真のひとつとなった、ドロドロになった鳥の写真。あの写真を撮ったのは誰だかわれわれは知らないし、あの写真を撮った人はほかに何を撮ったのかも知らない。あの写真にカメラマンが写りこんでいたら、写真家の存在を意識することはできたにしても、ここまで湾岸戦争を象徴できなかったことはたしかである。写真に結果として映っているのは現実でしかないので、想像力が足りない人からすると、道端の石ころと同じく、インターネットに落ちているものに見えてしまうのかもしれない。
気軽に剽窃されてしまい、著作権者も自分の写真が盗まれていることに気づきにくく、そもそも、別ジャンルの芸術家にも写真を著作物だとは認めていない人がたくさんいる。
f:id:kokorosha:20170301213248j:plain
カメラがフィルムや印画紙から開放され、好きなだけシャッターを押せるようになったことで、誰もが簡単に鑑賞に堪えうる写真を撮れるようになつた。インターネットによって、誰もが公開できるようになってきたこととも相まって、写真の価値は下落した。しかも、いままで写真家に支払われていたはずのギャランティーは、二束三文の広告収入を得ようとする無数の泥棒の懐に入る。法的には問題があるにもかかわらず、慣習としてこのビジネスモデルが許容されてしまったので、事実上、写真は著作物ではなくなってしまったのだった。
音楽について、著作権管理がうるさいからCDが売れなくなったという説をよく見かけるのに、著作権管理が十分にされていないから写真集の売れ行きが伸びたという話は残念ながら聞いたことがない。

著作物の最底辺と見做された写真たち……写真の精がかわいそうなので写真工業発祥の地に行って写真の精を慰めてきた。
f:id:kokorosha:20170301213246j:plain
写真が工業化された時点でいつかこうなることは予想されていたのかもしれない。「カメラを買って写真を撮って写真屋で現像してもらえば、誰でも写真家になれる」と言われた時代もあっただろう。
なお、この碑は新宿中央公園の片隅にあるので、ヨドバシカメラに寄ったあとに行くと味わい深いかもしれない。


昔はまだ、いいカメラやレンズを買い、作品として写真を撮ろうという前向きな気持ちもあったのだが、いい写真を撮っても盗られるだけだと思うようになり、記録程度の写真でいいやという気持ちになってしまった。
自分にとって、写真が一番やりたいこととでもないのだが、剽窃された写真が人気ツイートになっているのを見るたび、寂しく思う。