ココロ社

主著は『モテる小説』『忍耐力養成ドリル』『マイナス思考法講座』です。連絡先はkokoroshaアットマークkitty.jp

おいしくもまずくもない店の見分け方

記事のタイトルをご覧になったあなたは、「おいしい店の見分け方ならともかく、おいしくもまずくもない店を見分けてどうするんだ?ド変態とちゃうか」と思ったことだろう。ド変態とのご指摘については残念ながら反論できる材料を持っていないのだが、おいしくもまずくもない店という存在は実はかなり重要であり、あなたもあなたで、おそらく、おいしくもまずくもない店について、独自のノウハウを無意識に集積中のはずである。改めて、おいしくもまずくもない店を知ることのメリットと、その判別方法について考えてみよう。


「おいしくもまずくもない店」を知ることのメリット

(1)おいしくもまずくもない店は、すぐに入れ、リスクもない優良店である

見知らぬ土地にいて、空腹だが店を選ぶのが面倒で、「何でもいいからとりあえず食べたい」と思ったとしよう。考えなしに入った店で、豚の臓物のシロップ漬けなどが供されたら、これは食べたいものとは違うと思うはずだ。口中に広がる生臭くて甘い味わいに吐き気を催すが、マスターは「サービスで量を増やしておいたよ」と笑顔で言うので残すわけにもいかない。そこであなたは気づく。「何でもいい」というのは「おいしいものであることは必須条件ではないにせよ、まずいものだけは食べたくない」という意味で「何でもいい」と思ったのだ。これからは、人に「何食べる?」と聞かれても、「何でもいいよ」と、リベラルを装いながら店の選択の仕事を丸投げしたりはしない、と……。
おいしくもまずくもない店は、おいしすぎないので予約でいっぱいになることはない。しかも、まずくもないために安心して入れるのである。

(2)おいしくもまずくもない店は、値段がリーズナブルである

おいしい店はそれなりの値段がする、ということは広く知られているが、実はまずい店もいい値段であることが多い。味のアウトプットが満足にできない店は、価格の付け方にもバランス感覚を欠いている。「味に自信がないから安くしておこう」などと思う殊勝さがあれば、そもそもまずい料理を提供しない。また、客が来ない分を、顧客単価を上げることで生存している店もある。
その一方で、おいしくもまずくもない店は、先述の気軽さと、こなれた価格で生き延びているのだ。

(3)おいしくもまずくもない店は、気が進まない相手と食事をするとき都合がよい

好きでも嫌いでもない相手と食事するとき、せめておいしい店にして時間の無駄遣いを補填したいという出来心が発生する場合があるが、相手に楽しんでいると勘違いされたら面倒である。気が乗らない相手と二度三度とお付き合いしてしまうと、さらなる時間の無駄遣いを招くことになる。かといって豚の臓物のシロップ漬けを供する店に案内してしまうと失礼にあたってしまう。
失礼にならない店を選ぶ時間も面倒なので、こんなときは、手近なおいしくもまずくもない店を知っておくと便利なのである。

(4)おいしくもまずくもない店は、心のバランスを保ちたいときによい

金曜や土曜の夜においしいものを食べる…… 不亦楽乎。しかし、月曜や火曜はどうだろう。わたしは恐ろしくてほとんど試みたことがない。「世の中にはこんなおいしいものがあるのに、わたしは明日からも仕事をしなければならない」と思って希死念慮でビンビンになってしまうからである。翌日に仕事がある日の夜に寄りたい店は、やはり、人生に絶望することのないような、おいしくもまずくもない店であってほしいのである。


おいしくもまずくもない店の特徴

以下、わたしのおいしくもまずくもない店の遍歴から抽出した特徴を列挙させていただく。

(1)最近オープンしたのに老舗を装っている

誹謗中傷をしているわけではなく、おいしくもまずくもないと言っているだけだから名誉毀損になりはしないのだろうけれども、たまに行く店なので明かさずにおく。最近躍進中のこのチェーン店の看板のアップである。
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開店して1年も経っていないのにこの有様。
わたしはたまたま、この店のオープン直前の状況を見たことがあるが、オープン時にすでにこれらの傷はついていた。マリア様が処女でイエス・キリストを産んだという伝説とは正反対で、開店する前から海千山千なのだった。あざとさに唖然としてしまうが、このような店は、料理についても同じ程度にあざとさを発揮してくれるので、まずいゾーンを越えることはないのである。

(2)原材料を売る店の名前がついている

「~水産」「~牧場」「~製麺所」などは、鮮度が高いことを示したり専門性を際立てたりするための月並みな表現であり、そのようなアイデアを採用する店はアイデンティティを確立できていないことも多いのだが、少なくとも最低限のトレンドを取り入れる能力は持っているため、おいしくない料理を出すこともない。
ただ、この手法は流通しすぎたため、まずい店を展開しようという意欲に満ちた資本家にも気づかれてしまった。このことをもって「おいしくもまずくもない」と必ずしもいえなくなってきたし、これからは、おいしくない店の特徴になってくるのかもしれない。

(3)がんこな職人がいそうな名前である

老舗を装う手段として古めかしい名前をつけることが多いが、古いだけでは不適切で、頑固な職人か、あるいは武士などをイメージさせるネーミングが、おいしくもまずくもない店になるためには必要である。
たとえば「丁稚奉公」のような名前の店はやめたほうがよい。「がんこ寿司」はあっても「言いなり寿司」がないのと同じ理由である。実際は、ネタをもっと厚くなどリクエストできるのだから「言いなり寿司」の方も悪くないはずなのに……。もし、「益荒男漁港」という名前の店が実在したとしたなら……確実においしくもまずくもない店になるはずである。
なお、本当においしい店は、オーソドックスな名前をつけていることが多く、おいしくない店と見分けがつかないものである。

(4)メニューが手書きである

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手作り感を出すためにメニューが手書きであるのも、おいしくもまずくもない店の特徴である。「手作り=おいしい」という雑な観念は批判すべきであるが、観念を持たずにメニューを作っている店より、はるかにおいしいはずである。
また、筆字のフォントで印字した方が楽なのに、あえて手書きにし、メニューを作るのに手間をかける店は、調理も同じく丁寧である。

(5)流行のメニューがある

まずい店はメニューが不変であるか、謎のアイデアに満ちあふれているかのどちらかであり、おいしい店は自分で流行を作ることができる。謎のアイデアで驚いたのは、トコブシをカレーで煮て冷やしたものを出してきた寿司屋であり、そのときのガッツ石松似のマスターの得意げな顔が忘れられない。いっぽう、店先のメニューに「ローストビーフ丼」などがある店は、おいしくもまずくもない店の王道だといえるだろう。


おいしくもまずくもない店……それは不確かなことこの上ない人生において、数少ない確かな存在であり、大事にしていきたい存在なのである。