読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ココロ社

主著は『モテる小説』『忍耐力養成ドリル』『マイナス思考法講座』です。連絡先はkokoroshaアットマークkitty.jp

『シン・ゴジラ』のどこが抜群に面白かったか、わたしの脳内の動きを検証する

※今回に限らず、このブログはいわゆる「ネタバレ」の宝庫です。このブログは、ネタバレに負けない強靭な精神の育成のための専門サイトですので、ご了承のうえ、ともに切磋琢磨できればと思っております。

『シン・ゴジラ』のリアリティ

『シン・ゴジラ』の何が抜群に面白かったかというと、まず、オバマ先生に対して心からゴメンと思ってしまうほどのリアリティである。
わたしは今まで映画を見ているとき、アメリカの大統領に対して切実な申し訳なさを感じたことはなかったし、これからもずっとないと思っていた。なぜなら映画というのは絵空事なので、誰かに対して切実にゴメンと思うことはほとんどないし、ましてやアメリカの大統領に対して映画館の中で小声ですみませんと呟いてしまうというのは、もはや病的な状態であり通院が望ましいが、多忙のためそれは避けたく、オバマ先生へのゴメンについて丁寧に説明をさせていただきたい。

ゴジラが出てきてしばらくし、アメリカの支援が来たときにこの感情がおのずから発生する。わたしたちは現実に、2011年のアメリカのTomodachi Oprationに感激し、今回のゴジラのときも、若干図々しいが、何かのoperationをしてくださると期待しながら見ていたのだが、今回のoperationにオバマ先生が寄越したのは、なんとB-2だったのだ。しかも3機。日本のTomodachiの話をするのにmoneyの話をするのは大変恐縮だけれども、2000億円✕3機である。われわれとしては、使い古したB-52でも十分ありがたかったはずである。70年前に日本中を焼き払ったB-29にちょっと似ているところが若干気まずいけれども、緊急事態なのでそこは我慢するし、軍靴などと言う人がいたら、わたしが黙らせてやると思ったのだが、オバマ先生は、口笛ひとつで、日本の危機のために、1機作るのにスカイツリー5本分のコストがかかるあのB-2を3機も連れてきてくださったのだった。念のため書き添えておくと、設定ではアメリカの大統領はオバマ先生ではないのだけれど、絵空事だとはいえ、ありがたいという気持ちになってしまうのが人情ではないだろうか。

しかし、こともあろうにゴジラは、その空気をまったく読まずに3機まとめて瞬殺してしまった。ゴジラのことを、いくらガッジーラと英語のように発音したところで、日本が育ててきた怪獣であることは間違いないので、「うちのゴジラが粗相してオバマ先生に申し訳ない」という気持ちになってしまうのも当然であり、自分の中にあるナショナリティがあまりにも意外な形で姿を現し、自分の心の中に登場したゴジラ状の思念に驚いてしまった。

そうもこうも、この作品が、怪獣映画の範疇をはるかに超える地点でリアリティを実現しているから、ややこしい気持ちになってしまうのである。石原さとみ先生の英語が不自然、キャラクターが浮いていた、などという、批判になっていない批判が出てくるのも、この作品の尋常ならざるリアリティが裏目に出た結果にすぎない。たとえば、石原さとみ先生演じるアメリカ特使の鼻が亀頭のようになっていて、放射能を検知すると割れ目ちゃんから黄緑色の膿を勢いよく噴射するが、そのことをまったく恥じることなく、キェーーッという奇声とともに謎の鼻水を周囲の人物になすりつけるようなお茶目なキャラクターだったら……誰も文句は言わなかったはずである。
また、作品の細部をとりあげて、リアリティがないという意見も多く目にする。ゴジラを停止させる方法が嘘くさいなどという主張である。落ちついて考えてみると、ゴジラのような巨大生物が登場することそのものが圧倒的なリアリティの欠如になるはずなのだが、そこに触れられないのは、ゴジラが登場すること自体にはリアリティが感じられていることの証左であり、これ以上リアリティを追求するとゴジラが存在できなくなってしまうかもしれない地点にまではリアリティが突きつめられているということでもある。仮に、ゴジラが登場すらしなかったとしても、わたしは楽しく『シン・ゴジラ』を見ることができるだろうと思うけれど。

『シン・ゴジラ』のファンタジー

『シン・ゴジラ』はまた、日本人専用の、緻密に作りこまれたファンタジー映画でもある。
決まらない会議。責任者は不明。出る杭は打つ。前例のないことはしない。仕事の半分は忠誠心の確認作業……など、怪獣が出てこなくても、戦闘状態がなくても、日常的に、ああ、この調子だと日本はますます「やりがい満載の国」に……と思ってしまう諸問題が、映画上では紆余曲折がありながらも見事に解決されていたのである。

太平洋戦争で日本は数々の失態をおかし、結果として300万人以上の命を失った。なぜ日本軍が負けたのかを分析する文献は多数あるが、たとえば、陸軍と海軍で意思統一がされなかったことや、兵器の設計において人命よりも攻撃力を重視したため、熟練したパイロットのほとんどを亡くしてしまったこと、兵器以外の技術開発を軽視した結果、レーダーや暗号解析の技術で決定的に遅れをとり、アメリカ軍は作戦の詳細について日本軍の現場よりよく把握されてしまっていた点などが挙げられる。きわめつけは、何のために戦争をするのかの認識合わせができていなかったため、どこで戦争を終えればよいかもわからなかったという点だけれども、話すと長くなるのでここで詳細は述べない。『シン・ゴジラ』は、巨大災害に対する対処の方法であるという言及がよくなされるが、先の大戦の反省の上にも立っていると思う。あの戦争は、しないに越したことはなかったが、戦争をするにしてもあれはなかった。終戦から10年もしないうちに公開された『ゴジラ』は、傑作であることは疑いようがないが、あの戦争での失敗をなぞるかのようなストーリー展開がされてしまう点で衝撃的でもある。

突如現れたゴジラに、なすすべはあったのになすすべがないように人々はふるまう。ゴジラがくるとわかっているのに豪華な電車を走らせてしまうし、ゴジラに倒されてしまうとわかっていて鉄塔に登ってレポーターが中継を始める。自衛隊を中心に作戦を立てるが、まったく刃が立たず、なすすべがなさすぎて、ついには少女たちが平和を祈る歌を歌い始めたりする始末。天才科学者が発明した「オキシジェン・デストロイヤー」という、大味な兵器により、なんとかゴジラ討伐はできたのだが、その発明者が科学者をこじらせていて、この技術を広めてはいけないと、設計書を焼き、首尾よくゴジラを骨にしたあと、harakiriしてしまう。正確には、海底で、酸素を送るホースを自ら切断するのだが、最後に、生物学者が、これが最後のゴジラとは思えない的なつぶやきをして、じゃあオキシジェンなんとかを葬ったらアカンかったやないの……と不安になってしまったのだけれど、危機に対して再現性のない方法で対処して、何も引き継がれない点や、非合理的な祈りで問題を解決しようとする点、命と引き換えに問題を解決しようとしつつ、実は問題解決にはあまり関心を持っていないという点などの精神が戦中のそれと大差なく、そういう時代―反戦を誓いつつも、反戦とは具体的に何をすることなのかが未解明であった時代―の映画なのだが、その問題についても、『シン・ゴジラ』の随所に回答が用意されている。

『シン・ゴジラ』において、たとえば、ゴジラを停止させる作戦の遂行を支えたのは、日本の無人在来線爆弾や、アメリカの無人機MQ-9である。無人兵器へのこだわりが涙を誘う。現実の日本なら、あるいは日本の映画なら、コントロールするためには人間が運転する必要があるなどと言って、当初は無人の予定だったのに、運転手が静止を振りきって有人で特攻をかける……という展開で涙を誘ったはずだ。作品中、避難計画の進捗の共有にも時間が割かれていて不思議に思うが、それはどうしても必要な時間なのだ。『ゴジラ』では、話を面白くするために、国民が一丸となってゴジラに殺されようとしており、残念なことに、その生命の無駄遣いぶりが太平洋戦争に似てしまってもいたのだが、ようやくここまできたかと思う。
また、ゴジラが多少暴れた結果として政権機能がまるごと吹っ飛んでしまうのだが、翌日から何の問題もなく引き継がれる点にも感激する。東日本大震災のときに、会社の機能が麻痺しかけていたときに、自分が何をしていたかを思い出した人も多かったと思う。量産型の政権が、属人的でない、再現性をもって問題の処理にあたり、目的を成し遂げた。組織の細部の描写がご都合主義だったのかもしれないが、そう感じられることの異常さに気づかなくてはならない。つまりそれは、サラリーマンの日常生活がリアリティの比較対象となってしまう、恐るべき怪獣映画である、ということでもある。

言うまでもなく、実際の日本国は今なお、このようにはふるまえないし、おそらくそのまま朽ちていくだけだ。この映画のよしあしをめぐる議論ですら小競り合いがおきているほどなのだから、意思統一をして危機にあたることなどできるはずもないのだが、ただ、いままで理想を描くことすらできなかったのに、こういう対処の仕方ができたら最高だよね、という2時間の映像を見せてもらったというだけで幸せだった。


ただ、問題がひとつある。この映画は作品そのものが、パニック映画などのフィクションに対しての批評になっている点で、これから素直に映画を楽しめるのか、大いに不安になってしまう。最近、『パシフィック・リム』を見たのだが、見たのが『シン・ゴジラ』の前でよかった。ヒーローとヒロインが抱き合うラストシーンを、「こういうベタベタなのって、ベタベタなところを楽しむのが……いいんだよね」と戸惑いながら見ていたのだが、「ベタベタがあえていいっていう時代でもないでしょ」と今なら素直に思ってしまうだろうし、製作中であるところの『パシフィック・リム2』や、『シン・ゴジラ』から数週間遅れで公開されている『ゴーストバスターズ』を厳しい目で鑑賞するか、あるいは厳しくなりすぎて鑑賞することもしないかもしれないと思うと、寂しい気もするのである。


twitter.com