日曜の朝…なんだかいろいろやりきれなくなって、日光東照宮を見に、日帰りで行ってきました。日光東照宮といえば、かつてブルーノ・タウトが『日本美の再発見』で「IKAMONO」と酷評したことでおなじみですが、どれだけ嘘くさいのかというのも興味ありまくりです。
▲天海大僧正の像がお出迎え…しかし、ドラゴンボールとかに出てきそうなチープな像。眉毛の造形の仕方とか、もうちょっと考えてもよかったのでは?
▲噂どおりきらびやかで圧倒されました。これを「IKAMONO」と切り捨ててしまうのはいかがなものかと…桂離宮などのシンプルで、モダニズムからも解釈可能であるようなものだけを日本文化と称するのは共感しかねる、ましてやわびさびこそ日本なりとか言う香具師は頭が(以下略)とか思いながら接近。外壁はにぎやかな動物たちが浮き上がっていて圧巻!
▲そういえば…「眠り猫」って国宝だったけど…こんなおざなりな扱いでいいの?と思って近づいて見てみたら…けっこうどうでもいい感じ。外国人を引き連れている日本人たちも、紹介に苦慮している様子…「ディス…イズ…フェイマス…オー!スモール…スモール・キャット…」思ったよりスモールだという認識はぼくも同じです。精巧な感じもしないんだよなぁ…なんで国宝なんだろう?たとえば、法隆寺の百済観音像は、わざわざ安置する場所を新しく建設したり、渡岸寺の十一面観音像も、金なさそうなのにリニューアルしてたりするのに比べて、あまりにもほったらかし…不細工な芸能人が増えてきているのと呼応しているのかもしれません。隣の家のおじいさんが床の間に飾ってそうな親近感…
▲それを言うんだったら、こっちを国宝にした方がいいと思います。こっちの方がかわいい。「眠り猫」に対抗して「跳ねすぎ兎」です。草食動物に似つかわしくない躍動感が国宝級だと思います。
▲東照宮のすごさは建物だけではない。お坊さんたちの守銭奴ぶりに、すがすがしさすら覚えます。説明してくれるのはいいですが、最後に必ず長々と商品の説明を始める。しかもそれが大事で、聞き逃すことは許さんぞと言わんばかり。寺社の拝金主義はココロ社が幼少のみぎりに植えつけられたピューリタニズムと大変相性がよろしくないことは有名ですが…とりあえずよしとします。写真は数珠売りつけ中…ぼくは香木が入ったお守りを買った。なぜ神社に香木…
▲ちなみに有名なサール3匹はこのような人気ぶり…一人だけ携帯を横にしていました。他の人は工夫が足りないように思います。ゆとり教育の成果でしょうか。とか書いていると、写真も相まって、なんだか「物事を斜めから見るインチキブロガー」という印象を与えかねないので弁明しておきますが、この写真を撮ったあと、人を押しのけて最前列に躍り出て、心ゆくまで撮影しましたとさ…
▲東照宮を出て30分くらい歩くと、大谷川(けっこう清流でいい感じ)の川岸に「並(ならび)地蔵」があります。昔から、「数えるたびに数が違う」という話で、何だかミステリアスですが、そんなに数は多くないので、ちゃんと数えれば揃うはず。これも江戸時代のゆとり教育の成果だと思います。
▲並地蔵の近くにあるが、あんまり並んでいない地蔵たちはおざなりな扱いを受けていて、中には発毛されているお地蔵さんも…
▲これはいいことなのか悪いことなのかわからなかったのですが、とりあえず脱毛してあげました。まずヤンキー風に横からモガモガと…で、ツルッツルに!これを生きている人にすれば、殺されてしまうところですね。