ココロ社

主著は『モテる小説』『忍耐力養成ドリル』『マイナス思考法講座』です。連絡先はkokoroshaアットマークkitty.jp

百舌鳥・古市古墳群、ガッカリ名所どころか、脳から汁が出るくらい楽しい

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トップの写真からして茶色くて地味なのに、よくぞ弊ブログにお越しくださいました。広告を入れていないことが唯一のウリの弊ブログですが、ゆっくりしていってください……。
 
百舌鳥・古市古墳群が世界遺産に登録されたということで大変めでたいのだが、世界最大の古墳の世界遺産登録が、たとえば石見銀山よりも後に登録されるのは順番がおかしいのではないかと思った人も少なくないだろう。石見銀山はそれ自体観光地としては最高で、世界遺産に登録されていることそれ自体には何の疑問も抱いてはいないが、古代につくられた世界最大の古墳の方が今になって登録されたことに、わたしもあまり納得できてはいない。当然ながら、ピラミッドは世界遺産がはじまってすぐに登録されている。しかしあれは、大仙陵古墳よりも小さい古墳である……。
 
……などと、何も知らぬかのように装ってみたのだが、百舌鳥古市古墳群の登録が遅かった原因について、実際はなんとなく納得している。それは大仙陵古墳が、古墳の高さではなく、長さで勝負して「最大」と称しているからである。その違和感は女性のバストを例にして考えてみると、一瞬のうちに理解できる。高さではなく、直径でバストを表現されたらどう思うだろうか?グラビアに「Fカップの誘惑」ではなく、「直径20センチメートルの誘惑」などと書いてあったら……(注:わたくし個人は「バストのサイズは女性の魅力のうちごくわずかしか占めていない」という立場である)
 
少なくともピラミッドの雄大さというのは、高さに起因するところが大きいので、その点で勝っていなかったらどうにも消化不良であり、世界遺産振興組合の人も、世界遺産決定会議で、「直径20センチメートルの誘惑とか言われても微妙だよね、もちろんバストのサイズは女性自身の魅力のうちごくわずかしか占めていないという立場だけど……」などと議論していたに違いないのである。
 
前置きが長くなって申し訳ない。検索でこのページに来た方におかれましては、食べログで店のレビューを見ようと思ったら冒頭がレビュアーのポエムだったときと同等の「知らんがな」感が醸成されてしまったと思うのだが、そこは、書き手の承認欲求を満たすことと引き換えに情報が得られるのだとご理解いただければ大変ありがたい。
 
この春に丸一日かけて巡ってきた古墳を順に紹介しようと思うが、おそらく一日で百舌鳥・古市古墳群を満喫するなら、この組み合わせがベストではないかと自負している。古墳の特徴と、なぜその古墳を、この順番で見る必要があるのかについての簡単なまとめをしておく。
 
 
盾塚古墳公園…ごく小さな古墳だが、いきなり大きな古墳を見ると感動しすぎて呼吸困難に陥ってしまうため、雑な扱いを受けている古墳から見始めるべきだから
 
古室山古墳…全長150メートルの前方後円墳で、トップ10にはるかに及ばない大きさだが、このあと見る古墳は宮内庁の管理下にあり、墓の中に入ることができず、ここで前方後円墳の様子を全身で体感しておく必要があるから
 
応神天皇陵…全国2位の長さであり、2位である感動と1位に届かない残念な気持ちを同時に味わうため
 
白鳥稜古墳…ナニワの内田裕也みたいな翁におすすめの古墳を聞いたら「ヤマトタケルの墓があるで」と勧められたので
 
履中天皇陵…全国3位の長さであり、大仙陵古墳を見る前に一度クールダウンしておくため
 
七観山古墳…小規模ながら、当時の墳丘のたたずまいが確認できるため
 
大仙陵古墳…大仙陵古墳を見るべき理由なんて言わせないで……。
 
昨年、岡山・総社市の古墳群についての記事を書いたが、合わせて行くと、日本の古墳の1位~4位までを見たことになり、かつ総社の造山古墳は立ち入れる墓の中でおそらく世界最大でもあり、「古墳に詳しい」と胸を張って言える(かもしれないので)、百舌鳥・古市古墳群をご覧になった方におかれましては、総社市にも行かれることを強くおすすめする。
 
今回の行程を地図にしてみたので参考にしたり苦笑したりしてほしい。
百舌鳥ゾーンと古市ゾーンで距離があるのだが、2日に分けてしまうと自分自身に引いてしまう可能性があるので、中のプランを多少間引きしてでも1日におさめるべき……というのがわたしの見解である。

(1)盾塚古墳公園 (2)古室山古墳 (3)応神天皇稜 (4)白鳥陵古墳 (5)履中天皇陵 (6)七観山古墳 (7)平和塔 (8)堺市博物館 (9)大仙陵古墳
 
今回の旅のはじまりは、道明寺駅からはじめる。道明寺といえばピンク色のおいしいアレを想起するが、わたしはあれが大好きなので、また別の回で扱いたいと思う。今回は古墳の話に集中したい。
 
 

古墳の旅は、公園なのか古墳なのか、よくわからないところから始めたい

古墳というと、立入禁止になっていて、鳥居があって、奥はうっそうと茂っていて……というイメージがあるかもしれないし、これから巡回する古墳たちは日本屈指の古墳だから、まさにそのイメージ通りなのだが、この盾塚古墳は、小ぶりの円墳で、古墳のうえで遊ぼうと思えば遊べる公園になっている。

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しかし、どんなに飼いならされても古墳は古墳。なだらかな丘になっていて、サッカーや野球などをするには難しい。かといって、お弁当を食べるような見晴らしのよさでもないし、公園を偽装するのは難しいようだ。

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このサイズ感を記憶して大仙陵古墳に臨めば「スイカに塩をかけるとより甘さが際立つ」のと同じ効果が得られるに違いない。
 

小室山古墳は、立ち入り可能な古墳として近辺で最大なので立ち入り必須

続いて全長150メートルという、トップクラスではないものの、近辺で立ち入れる古墳の中で最大級の古墳に行きあたった。

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墳丘からの眺めは立入禁止の天皇陵では絶対に味わえないので、この後円部から登って外界を見下ろし、為政者の気分を存分に味わいたい。休日でもほとんど人がいないのでゆっくりしようと思えば好きなだけゆっくりできる。その後、赤面山古墳・大鳥塚古墳・誉田丸山古墳を経由して(というか、最短距離を歩くと古墳の連続になってしまう)応神天皇陵の前方部の遥拝所に達する。
 
 

旅の前半で、全国2位の応神天皇陵を体感できる喜びよ……

応神天皇陵は、いままで見てきた古墳と異なり、天皇陵なので宮内庁の管轄になる。

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拝礼所までの道も整備されており、植えこみたちもかつての高校球児を思わせる。(最近見ていないので今の高校球児がどうだか知らない)
 

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どの天皇陵も鳥居がいつも美しいと思っていたのだが、この鳥居をよく見たら、鳥が止まらないように鉄線が張ってあった。鳥居と言いながら鳥が留まれないのはなぜ……階段の踊り場で踊っていないのと同じ原理なのかもしれない。

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鳥居ができたのは実は近代からではないかと睨んでいたのだが、そのへんの疑惑を晴らすべくパネルが用意されていた。

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遅くとも室町時代には鳥居が設置されていたようである。たしかに、武家が活躍していた時期も、征夷大将軍の称号は天皇の勅令によって与えられるものだから、ないがしろにするわけにはいかなかったのだろう。
ほんとうに絵通りだったとると、草木はまめに刈っていたということになり、いまもそうすれば、より天皇陵としての存在感が際立つと思う。
 
 
 

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休んでもいいけれど座ってはいけない的な謎の高さのベンチ。
 

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外堀には花や作物が植えられていて楽しい気分になる。
 
写真を撮りまくっていたら、ナニワの内田裕也と呼ばれている確率99%の翁が現れ、「何撮ってますのん?」と聞いてきた。不審者と思われているのかな、たしかに不審であることは認めるけれども、少なくてもあんたよりは不審度は低いはずでっせ……と思ったのだが、「もちろん古墳ですよ」と答え、それだけだと楽しくないので、「このあたりでおすすめの古墳あります?」と聞いたら、少し間を置いて、「あっちにヤマトタケルの墓があるよ」と教えてくれたのである。もともと予定に入れていなかったのだが、ヤマトタケルの墓を見ないで帰るわけにはいかんやろというのは、わたしと彼との共通認識であったのだが、「どうやっていったら近いですかね~?」とノリノリで聞いたら、「うーん……わからへん」と言ったので、まあ地元の人だからといって詳しいわけではないよねと思い、Map界の立花隆ことGoogle Mapで調べてそのまま徒歩にて向かった。
 

ナニワの内田裕也のイチ推し、白鳥稜古墳

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ヤマトタケルの墓とされる白鳥稜古墳だが、5~6世紀の墓なので、ヤマトタケルの没年とまったく合わないところが最高にチャーミングである。白鳥となったヤマトタケルがこの地に降りたという伝説が残っているうえに、明治政府がここがヤマトタケルの墓だと決め、羽曳野市という名前の由来にもなっていたりもするので、史実などはもはやどうでもよいという気分になってしまう。
 
 

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そして堀には白鳥になりきれないことと引き換えにお肉はおいしそうな鴨たちがくつろいでいた。
 

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宮内庁もここを「日本武尊白鳥稜」と呼んでいるが、ここがヤマトタケルの墓であると信じるには神武天皇陵が神武天皇の墓であることを信じるのと同程度のイマジネーションが必要。
 

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なお、拝礼所の両脇は民家で固められていてエキサイティングである。
 
 
そして、本丸であるところの仁徳天皇陵に行くため、近鉄南大阪線で一旦天王寺まで戻ってから堺へ向かう。最寄り駅は三国ヶ丘駅だが、上野芝で降りるのがポイントである。なぜなら、日本第3位であり、世界第3位でもある履中天皇陵古墳もついでに見ておきたいからである。
 

巨大なのに影が薄い、悲運の古墳……それは履中天皇陵古墳

日本第3位であるはずの履中天皇陵、観光客はかなり少ない。やはり日本第1位であり、世界第1位であるところの大仙陵古墳に近すぎるのでインパクトが感じられないのだろう。もし履中天皇陵が神奈川県秦野市や千葉県茂原市にあったとしたら、どれだけ賑わったことだろう。そして履中天皇陵は大仙陵古墳よりもあとにできたのだが、自分の墓が「単体で見たら大きいはずなのに大仙陵古墳のそばにあるせいで微妙……」みたいな評価になることくらいわかっていただろうに、なぜこんな近くに……などと思いながら前方部へと向かう。
 

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鳥居までの参道は整備されていて、微妙などと思ってしまったことを申し訳なく思う。

 
なお、鳥居はリニューアルされたようである。

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上のツルツル感のあるところだけで鳥が来ないようにできるのかは謎である。
 

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そして、堀の端から見ると、古墳の大きさがよくわかる。巨大古墳で、地面からの景色を撮ろうと思ったらここに勝る場所はないと思う。大仙陵古墳はここまで見晴らしがよいわけではないので、ここで記憶に焼きつけておきたい。
 
 
小規模ながら当時の墳丘の様子がわかる七観山古墳も外せない
 
また、近くに、復元された七観山古墳がそばにあるので、ぜひ登っておきたい。

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メカニックなあしらいに見えるかもしれないけれども、大仙陵古墳も、今の草木が茂っている状態ではなく、葺石がびっしり敷きつめてあったはずで、往時のインパクトは絶大だっただろう。
 

平和の塔の登れなさがせつない

そして百舌鳥・古市古墳群の最終章である大仙陵古墳に向かうのだが、気になる塔を発見。

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給水塔かなと思って近づいてみると平和の塔だった。

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同じ平和祈念の塔でも近くのPLのタワーとはまったく設計思想が異なる。

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窓状のものがついているが、中には入れない。もともと塔とはそういうものであり、仮に塔の中に入れたらより世界平和実現への意志が固まるかというと、そんなことはないから、これでいいのだと思う。

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扉のそっけなさが好きである。
 

大仙陵古墳の前にイマジネーション蓄積用の博物館がある

古墳の前には堺市博物館があって、この古墳群の何たるかを学ぶことができる。三国ヶ丘駅から歩くと、古墳を見てから博物館を見ることになるのだが、映画でいうとネタバレであるから、「博物館→大仙陵古墳」のルートをおすすめする。
 

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堺市職員の手にかかればピラミッドや始皇帝陵は透明な存在にすぎない。
 

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大仙陵古墳の石棺のレプリカが展示してある。
この姿を記憶に焼きつけてあとで遥拝所に向かおう。
 
ほかにも副葬品などの展示があり、緑のモサモサ~ッとした中にこれらがあったんだと想像することで緑のモサモサ~ッの見え方が大きく異なってくるはずであるし、知識のないまま緑のモサモサ~ッツを見ても「生えてるな」としか思えないのでご注意いただきたい。
 
古墳のイマージュで脳内を完全に満たされていて頭がお留守になっていたが、よく考えてみてれば堺といえば鉄砲。

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そして、この最大規模の火縄銃、飛距離が1.6kmと驚きである。戦国時代から地道にこの銃を作っていたら太平洋戦争で米英に一矢報いることができたかもしれない……などという無駄な想像をしてしまったが、戦艦大和の主砲の飛距離が40km超で、結局沈んでしまったことを考えると、むしろこの思想の延長線上で考えていたからよくなかったのかもしれない。

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細部が余すところなくヤンキーで、その歴史の厚さに感動する。
 

大仙陵古墳は、墓というよりひとつの街である

わたしが小学生のときは「仁徳天皇陵」と呼ばれていたが、中学生のときにはすでに「大仙古墳」で習っていた。その背景には、天皇陵なのかどうのなのかという迷いがあるのかもしれないが、だとしたら本当の仁徳天皇の墓はどこにあるのだろう。仁徳天皇が死に際に「狭いところの方が落ち着くかも」などと口走り、忖度まつりのあと、当初予定の大規模な前方後円墳ではなく、手足を折って小型の甕棺墓などに入れてしまったという可能性はないだろうか……そんなことは絶対ないだろうけれども、誰かの墓であり、それが世界で一番の面積であることは真実である。
 
さすがに遥拝所のスケールは他の古墳をはるかにしのぐ。

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そして(いるかどうか知らないが)仁徳天皇の存在が遠く感じられる。

外周は約3kmで、前方部の端から見ると先が霞んで見える。

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堀への立ち入りは禁止されているが、絶対に立ち入ってほしくないという気持ちがフェンスを水面に突っこませたのであった。

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柵のあしらいにも歴史が感じられて楽しい。

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堀から流れる水は樋の谷から土居川へと流れる。いまはすぐ暗渠になるのだけれど、水遊びができるようになっている。古墳とか水遊びとか忙しいねぇ……。

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いまでもここから30分歩けば大阪湾にたどり着くけれど、古代なら海沿いといってよいほど海に近い。舟で堺を訪れた諸国の人々は、巨大建造物を目の当たりにしてさぞかし驚いたに違いない。
 
大阪女子大の大仙キャンパスが2007年までここにあった。

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大阪女子大自体が大阪府立大に統合されて名前は消え、昭和史の1ページとなった。
 
世界遺産といいつつ、周囲はラブホテルがあったりするところも最高である。

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車でラブホテルに入ったことはないのだが、ナンバーが見えないようにするのって江戸しぐさっぽくて素敵だと思う。でも近所の人が我慢できずに近場でキメていたら車種でバレてしまうのではないだろうか。
 
そして、三国ケ丘駅近くの歩道橋で、少し古墳を展望できはするけれども、ほんとうに少しである。

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この「ミユキ御苑」は、いわゆるひとつの連れこみ宿の跡なのだが、おそらく大仙陵古墳への道しるべになっているために本体を失っても存在することを許されていると推測される。
 

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ブラウン管の大型テレビが廃棄してるのを見ると、旅行っていいなと思う。捨てられた側としてはたまらんだろう。
 
 
「古墳にはそんなに興味があるわけではないが世界一のものには興味がある」という方なら、先述のように三国ヶ丘駅で降りて、大仙陵古墳のみを見て、ただちに大阪に戻って新世界の喫茶ドレミでホットケーキ(どうやったらあんなに香ばしく仕上がるのだろう)を食べるというのも悪くない。ゆっくり歩いて堀にいる鴨を見てフーンと思ったりするすると、およそ1時間で駅に戻ってくることができる。
 
 
 
古墳というと、上空から撮った写真が印象に残って、いざ行ってみると「ただ広いだけだな」と思ってしまいがちなのだが、それは下調べやイマジネーションが不足しているだけの話。うんざりするほどの広さであることを体感するだけでも、一生の思い出になるので、ぜひ行ってみていただきたい。わたしは「一回は体験しておきたい」と思いつつ、東京から何回も訪れている。