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ココロ社

主著は『モテる小説』『忍耐力養成ドリル』『マイナス思考法講座』です。連絡先はkokoroshaアットマークkitty.jp

語源から物事を説得してくる人って何なの?

こんにちは。ごぶさたしております。
突然ですが、『3年B組金八先生』というドラマがあったのを覚えていらっしゃいますでしょうか。言わずと知れた先生の話です(実は国会中継とかだったらドン引きですよね)。当時、坂本金八役の武田鉄也が30歳だったというのも驚きですが、それよりも何よりも、小学生の時にリアルタイムで見ていて何より驚いたのが「B組」というクラス分けの命名方法。当時、小学生で、組の表現は1組・2組…で、「ああ、東京の中学ってクラスの名前がAとかBとか洋風なんや…まぶしいわ…東京って日本っていうよりアメリカやな」と思ったものです…が、こんな感じで書いていると読者がみるみる脱落して、あなたはそろそろお尻のあたりが痒くなってきて、「お気に入り」に入れている「羞恥心」の中の人のブログに元気をもらいに行ってしまいたくなるかもしれません。ちょっとお待ちくださいませ。考え方を変えることが必要なのです。ご存じない方のために書かせていただきますが、ブログとは、「元気をもらうために読むもの」ではなくて、「元気を吸い取られるために読むもの」なのです!


―と、いつも正気になるために400字程度書かないといけないのは、不純物の多い最初の数秒を紙製の不安定なトレイに入れてはいけないことでお馴染みのKEN尿を彷彿とさせますが、それはともかく、金八先生の話です。
彼が、「人という字は、人と人とが支えあってできている。だから支えあうべき」というようなことを言っていました。たしかに、人と人が支えあって生きていくのは美しいと心の底から思います。年末に救世軍の社会鍋に千円札を何枚か入れたあとは、非常にすがすがしい気持ちになったほどですが(注:そのあと、ラーメン二郎小滝橋通り店に行って、その気持ちは胸騒ぎにも似た膨満感へと変化しました)、しかし、その人と人が支えあって生きていることの根拠として、「人」という漢字の成り立ちから説明するのはいかがなものかと思います。

まず由来そのものが間違っTERU

いかがと思うのの一つ目は、人という字の成り立ちが間違っているという点です。ご存じのとおり、人が横から見たところを模して、「人」という漢字ができているというのが定説であり、ことばの成り立ちによってそのものの本質が決まるという、サルトルの言うペーパーナイフ(日本であんなものは馴染みがないので、「ペーペーナイフ」と揶揄しても誰からも苦情など来ますまい!)のような状況でしたら、「背筋が伸びすぎていると、人間じゃなくて数字の1だから、もっと背中を丸めて手をぶらりと垂れて!もっともっとふてくされて!」という教育を施すのが正しいのです。つまり、金八先生(以下、外人にもわかりやすいよう「gold8」と表現)は、中学生が妊娠したりする話を放映するのではなく、最初から最後まで、農作業や重い荷物運びなどの指導を行うべきであった、というのがわたしの持論です。


バレエを習っていて、背筋がピンと伸びて胸を張っている、クラスで一番かわいい女子などは、ここぞとばかりに「気取ってるんじゃないわよ!」みたいな非難を受け、男子が「そういう言い方はないだろ」とクラスのアイドルの肩を持つことで、ますますムッキーとなったり、あるいは、そのクラスのアイドルに「人」という字を書いてもらい、その「人」の字を穴が開くほど見つめ、クラスのアイドルの裸体を想像してムラムラする優等生…などのシーンなどが楽しめる壮大なドラマになったのではないでしょうか。


また、gold8先生は、人間全体を小さく捉えているように思います。「人」の字は1人分の字なのに、gold8の「支えあっている」だと、「人」で「/」と「\」の二人ということになります。これはひどい…人間を軽く見ていると言えるのではないでしょうか?


―寝言におつきあいいただき、大変恐縮です。じゃあ、由来が合っていればいいのかというと、そうでもないです。

言葉の由来が、常にその言葉の本質であるとは限らない

あともう一点だけ…と、刑事コロンボを気取っても誰も気づかないでしょうけど、たとえば、「スクールの語源はスコレー(=暇)だから、成果を急ぐようなものじゃない!」という言い方をしたとしましょう。「学問というものは、一朝一夕には成果が出るものではない」という話ならまだわかりますが、語源は関係ないだろう…と思います。昔がそうだから今もそうしないといけないのであれば、「昔は人類はみんな裸同然だったからみんな裸同然で生きていこうぜ!」という主張が認められ、美女たちが我先にとクローズをテイクオフしてもいいはずです…が、ここで自分の願望を巧妙に織り交ぜても夢が叶うわけでもないので話を続けます。


要は「詩人みたいな感じにしたい」とか「うまいこと言いたい」と思う人が、このような方法を使い、教育という夢に自分の自己実現願望を重ねているにすぎないのです。ジャイアンのリサイタルより暴力的です。別に彼の肩を持つわけではないですが、タケシゴーダの場合は、半強制ですが、一応チケット制にしている点とか評価できるんじゃないかしら…もし人を説得したいと思うときは、本当に説得したいのか、それともロックミュージシャンになりたい願望を満たしたくてそう言っているのかをよく見極めた方がよいかと思うかもしれません…が、よく考えてみたらここはブログでした!つまり、正論を言う場ではないのです!

申し訳ありませんが、ここからが本題です

ここで言いたいのは、「言葉の成り立ちから説得するのに反対!」などということでは決してありません。
むしろ、「この論法でも説得される人がそれなりにいる」という点に注目していきたい。ちょっとしたサプライズのあとに、いかにもな一般論を混ぜると、ちょっとありがたい言葉のように聞こえてしまうので、「ああ、いいことを言ってカッコつけたいわ〜」と思った時に、この手法を活用するのです。
というわけで、適当に作ってみたので、以下お試しいただければ幸甚です。改行多めだと、より効果的です。

「優」という字は


「やさしい」とも読むけれど


「すぐれる」とも読みます。


単にニコニコしているだけじゃない並はずれた知力


また実効性を持ってこその「優」しさなのです。


気持ちの問題ではなく、その気持ちが実効性を伴って、


人に優しくできるのか、というところまでも考えるべきでしょう。


―優しさとは、頭のよさなのです。


つまり、「物事を説得するのに、ロジカルさなどは必要ない」ということがわかれば、ホットココアを飲んだときのような気分になる…というお話でした!