ココロ社

主著は『モテる小説』『忍耐力養成ドリル』『マイナス思考法講座』です。連絡先はkokoroshaアットマークkitty.jp

【作り話】ヒッチハイクで日本縦断を試みた小学生の話

小学4年生の大翔くんの、Twitterで実況しながらヒッチハイクで日本を縦断する計画は青森駅から始まった。
 縦断と称するなら、宗谷岬からとはいわないまでも札幌などから始めるべきだったが、北海道は熊がいて危ないから青森からにしなさいと父親に言われ、青森駅から出発することになったのだった。熊に遭遇する確率よりもペドフィリアに遭遇する確率の方が高いのだから、ヒッチハイクで日本縦断すること自体についても止めればよかったのかもしれないが、父親は父親で、使っていない部屋の電気が灯っていることについて口うるさく注意して家を出、その足で競馬場に行って部屋の電気代に換算して数年分を使い果たして帰宅するなどしていたことから考えると、大翔くんの行動を部分的であっても止めることができたというだけでも上出来だったのかもしれない。
 

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大翔くんの最初のツイートは写真を添えるわけでもなく、ただ「行ってきますぅ!」としか書いていなかったから、誰の注目も浴びることはなかった。発達途上の彼の知能のほとんどは「ぅ」を入力することに費やされ、大翔くんは自分が打ちこんだ「ぅ」の小ささに満足した。彼のプロフィールには「みんな見てるかな?」としか書いておらず、見ている人を「みんな」と定義するのであればみんな見ていたことになるのかもしれないが、たまたま見かけた人でも、それが小学生の(ほぼ)日本縦断計画の最初のツイートだとはわかるはずもなかった。大翔くんは親と話すときも親が知らないクラスメイトの話を注釈なしで始めてしまうので、ツイートをするときも、第三者にわかるように表現するという発想がなかったのだが、それも小学4年生なので無理はない。
 
その後も彼は、「宮城 ずんだもち」など、地名と食べた名物をツイートするのがせいぜいだったが、ヒッチハイクを始めて5日後に栃木県を通過したとき、彼が撮った腕の怪我の写真が尻に見え、画像を探している大人たちに見つかったのがきっかけで、彼が小学生であること、ヒッチハイクで日本を縦断しようとしていることが知られるようになった。しかし大翔くんは平均的な小学4年生の語彙力しか持ち持ちあわせておらず、ヒッチハイクの楽しさを伝えるようなツイートはできなかった。退屈していた大人たちは大翔くんの女性経験を聞き出そうとし、大翔くんは正直に、上級生の女の子に無理やりキスされたことを告白したのだが、大人たちの一部は返り討ちに遭ったような気持ちになった。ツイートを見ていた大翔くんの父親は、その件がいじめにあたるのではないかと懸念したのだが、やはりそこでもヒッチハイクそのものの実施については懸念は持たなかったのだった。
 
ツイートに異変があったのは、彼が西日本にさしかかってきたときだった。これからXに行きますとツイートしたとたん、それまで大翔くんの下半身についての質問に終始していたフォロワーたちから、Xはガラがよくないから行かない方がよい、わざわざ危ないXを通らないようにしても日本縦断できるんじゃないの、などのリプライが殺到した。
それを見て怒ったのはXの住人。東京都民に悪口を言われたと早合点し、東京の方がよほど危険であると統計とともに反論し、それに対して東京都民も、やはり田舎には陰湿な風土があるなどと反撃を始めて、大翔くんのツイートにはXと東京の戦争がぶら下がっていった。
 
Xは大翔くんの父親の出身地でもあった。父親はX出身であることについて誇りを持っているつもりはなかったが、大翔くんがXにさしかかってきたときは嬉しい気持ちになったし、小学校の運動会で、地域に伝わる河内音頭を逆回転させたような伝統的な踊りをした思い出が頭をよぎったりもしたので、Xが誹謗中傷されることに耐えられなくなって大翔くんに電話し、ヒッチハイクをやめて帰ってくるように言ったのだった。
 
大翔くんは志半ばで帰ることになった。新幹線で帰途についたが、近くの席の後期中年群の、あんな子供がひとりで新幹線に乗っているなんてどうなのかしら、親の顔が見てみたい……などのヒソヒソ話を耳にし、居心地が悪くなって寝たふりをしたら本当に寝てしまい、新横浜で降りるべきところを品川で降りる羽目になってしまったのだった。(了)