フリーハグより、ラブハック的な技術が必要!
街角で見知らぬ人が抱き合うフリーハグ。最近話題になっていますが、「気持ち悪い」と考えている方は多いと思います。その不快感を言葉にすると以下のような感じでしょうか。
・フリーセックスよりも間接的な感じがするから逆に湿ったエロスを感じてキモい(飲み会で酔った勢いで頭をなでられたりする感じに近い)
・「ハグ」という言葉の語感があんまり日本にない感じで違和感。というか、ダサい
・国産ではなかなか流通しないのに、外国から来た運動ならすんなり受け入れてしまうという、黒船来襲以来の日本人の西洋への劣等感が垣間見えて鬱になる
・「無根拠に肯定しあう」という、ゆとり的相田みつを的「馬鹿の居直り」が不愉快
・「オシャレな運動」が「おしゃれなヌード」と同じく不愉快。ホワイトバンド同様、「来年の今頃は絶対抱き合ってないだろ」と言いたくなる
ぼくも、こういった意見には同意しますが、よくよく考えてみると、半径1クリック内でも見受けられる「フリーバッシング」に比べればずっと素敵なのではないかと思います。ねたみ・ひがみ・そねみ、出る杭は壊れるまで打つ…ブログとかインターネットが発展するボトルネックになっているのは、技術的な問題というよりも精神的な問題であるように思います。(「ボトルネックは精神にある」という話は回を改めてします)
ただ、フリーバッシングよりもずっと健康的だとはいえ、やっぱりこのフリーハグを実践しようという気にはなれません。こういった愛情的なサムシングは、イベントとかお祭りではなくて、日常の動作に落としていかないとあまり意味がないように思います。そのときはいいかもしれない。でも「抱きしめあった」という漠然とした実感だけで人は生きていけるのか、という話です。これではせっかくの愛情が無駄遣いになっちゃう!本来、イベントとしてではなく、日常の動作の中に愛情を込めていくことは、それなりに骨の折れることですが、日々の生活の中で、お互い、「自分が必要とされている」という実感が得られている状態がベストなのではないかと思います。
ただし、これを実現するにはそれなりに頭を使うことが必要になります。歯の浮くようなお世辞を言われても気持ち悪いだけですし、押しつけがましい愛情もかえって不快…ということで、必要なのは「抱き合う」という効能不明の愛情ではなく、ましてやストーキングという一方的な愛情の発露でもなく、相手に幸せをもたらすよう、周到に計算されたラブハックというわけです。エーリッヒ・フロムみたいですが、「愛とは技術である」ということだと思います。
たとえば、ごく当たり前のことですが、「いいと思ったことは黙っていないで相手や周囲に知らせる」というのは、抱きしめるよりも有効な一つの方法でしょう。ソーシャルブックマークとかソーシャルネットワークは、人と人をつなぐことができる素晴らしい仕組みなのに、無言で見ているのはもったいないと思います。たとえば、あんまり有名でないけどすごくセンスのいいサイトがあったとしたら、半径1クリック内にちゃんと分かる形で伝えれば、書いている人はいろんな人に読んでもらえるようになるし、まわりの読み手も楽しい気持ちになれるし、いいことづくめです。もちろんこれは、オフラインでも有効だと思います。単純な話ですが、実効性のある愛を実践していくのが大事だと思います。