ココロ社

主著は『モテる小説』『忍耐力養成ドリル』『マイナス思考法講座』です。連絡先はkokoroshaアットマークkitty.jp

「考えない勇気」を持てば、頭がスッキリ!

好奇心が旺盛な人は、目の前にある物事について反射的に考えてしまいます。わたしもそうです。暇でしょうがないときはそれでもいいのですが、いろいろ思案した挙げ句、何も得られなかったということも多いのではないでしょうか。学校で「考えたり、議論することはいいことだ」という刷り込みをされたせいか、考えること、議論していることで、何かやった気がしてしまいますが、やはり考えるべきことと、そうでないことがあるように思えます。
要領のいい人というのは、わりとオンオフがあって、優先順位の低いものについては考えずにさらっと流してしまいますが、今日は、どうやって「考えるべき問題」と「考えてもあまり意味のない問題」を分けるかについて考えていきたいと思います。

たとえば、「超能力によるスプーン曲げ」は本当かどうかという問題だと…

よく、中学生のときに超能力はあるかないかについて話し合っていたものです。スプーン曲げが本当か嘘かについて真剣に議論していたものですが、あの時間を取り戻したい…もしその頃に戻れるのなら、そんな不毛な議論に手を染めるようなことはせず、クラスで三番目くらいにカワイイ子を口説きますね。あのころは無理だったけど、今なら女心も多少はわかってきたと思うので、クラスで一番は無理にしても、三番目くらいならなんとかなるんじゃないでしょうか?―それはさておき、超能力はあるかないかと問われると、つい考え込んでしまいますが、これも大変な時間の無駄遣いといえます。なぜなら、思考の結果がどこにも生かされないからです。超能力でスプーンが曲がろうがどうしようが、明日、英語のテストがあるという事実は動きませんでしたし。

血液型占いプロブレム

血液型占いを信じている人というのが世の中にはいるようなのですが、先日、友人Aと話していて面白かったのは、

A:「○○さんはB型で、悪い意味でマイペースだから、あんまり好きじゃないんだよねー」
ココロ社「じゃあ△△さんはどう?あの人もB型だったと思うけど」
A:「ああ、あの人はいい意味でマイペースなB型なのでいいのよ」


この話をまとめると、「友人Aは自己中心的な人が嫌い」という、ただそれだけのことなのです。その人の性格の良し悪しを考える上で、血液型占いを経由する必要がまったくないのです。これもけっこうな思考の無駄遣いといえます。血液型占いについての話は、だいたい血液型占いという概念を不必要に経由することが多いですね。

結論から逆算して考えることで、考える時間が節約できる

では、こういった時間の無駄遣いをどうすれば減らせるのかということについて、わたしがやっている方法を紹介させていただきますので、参考にしてください。
時間がかかりそうな問題に出会ったら、、ひとまず思考した後の結論をイメージします。「結論は思考した末に出てくるものだ」と一般的には思われがちですが、考えた末に、最初に想像もつかなかったような結論に至ることは稀だし、そんな突飛な結論に至るほどわたしたちは頭がよすぎるわけでも悪すぎるわけでもないので、想定の範囲内の結論でいいのではないかと思います。
たとえば、スプーン曲げの例で考えると、「スプーン曲げは本当」「スプーン曲げはウソ」の2つがありますが、それぞれの結論を踏まえて、自分の行動がどう変わるかについてシミュレーションします。

・「スプーン曲げが本当の場合」→おどろいてから、玉子丼を食べて寝る。
・「スプーン曲げがウソの場合」→なあんだと思って、玉子丼を食べて寝る。


これくらいでしょう。結局、玉子丼を食べて寝るだけの話です。スプーン曲げが本当でもウソでも、日常レベルでは特に変化はないので、気になるかもしれませんが、思い切って、スプーン曲げの真偽について考えないことにした方がお得です。

ニセ科学の最大の問題点も「時間の無駄遣い」にあります

最近よく話題になる「ニセ科学」も、ほとんどがスプーン曲げと同じ話です。以前話題にした『水からの伝言』について考えてみます。要約すると、

水には結晶がある。水にいい言葉をかけるといい結晶ができて、悪い言葉をかけると汚い結晶に変化する。人体のほとんどは水でできている。So人間にいい言葉をかけるとよい子になり、悪い言葉をかけると悪い子になるので、どんどんいい言葉をかけるべき!


この真偽についてはどうでしょう。結論から逆算してみましょう。

・本当だった場合→人に優しくしよう
・ウソだった場合→この件はこの件として、人には優しくするよねー


ということで、この話の真偽について考える必要はまったくないので、この話は世の中に存在する価値がありません。「インチキだからダメだ」という話ではなく、それ以前の問題です。まったく行動を変えることがないから、この話、この世になくてもいいかもね…ということです。
水からの伝言』を読んで、生まれて初めて「人に優しくしよう」と思った人はいないはずです。もともと「人には優しくしよう」と思っていた人が、この本を読んだ驚きをドラマチックに演出したいがために、「昔は冷淡だったけど、この話で目が覚めた」というふうに、「冷たかった過去」を捏造しているだけにすぎません。もう!…昔からいい人だったくせに、素直じゃなさすぎる!

他の分野でも「考えない勇気」を持てば、より思考がスッキリします

ここまでは「なんだ、当たり前の話じゃん」と思われた方が多いと思いますが、インチキくさい話以外でも、思考の結果として、自分の行動に何の変化ももたらさないものがあります。
たとえば、格差社会という問題について、考えるかどうかについて考えるとすると、おそらく、「自己責任」or「社会が悪い」という2つの結論が出てくると思います。まあ、どう考えても「社会が悪い」のが正解かと思いますが、熟考する前に、結論からシミュレーションしてみましょう。

・「自己責任」→自分の努力が足りなかったと反省し、努力して給料のいい仕事を探す
・「社会が悪い」→この世の中は最悪…と思いつつ、しばらく世の中は変わらないので、舌打ちしながら給料のいい仕事を探す


となって、職探しをするという結論はどちらも同じなので、この問題についてあれこれ考えなくてよくなりますね。いろいろ考える必要などなかったわけです。

たとえば、「社会が悪い」という結論に至った場合、「労働運動をする」という選択肢もないわけではないですが、「労働運動をする」という結論が出たとして、自分の体をその結論に従わせる覚悟がないのであれば、「本当は労働運動をすべきなのに、あれこれ考えるだけで行動できない自分」を抱えて、いっそうややこしいことになるので、それなら、別のことを考えた方がいいかもしれません。

行動するために思考することにすれば無駄がない

もちろん、「現状に甘んじろ」という意図で言っているのではありません。あくまでも、「行動するために思考することにすれば無駄がない」ということです。
いずれにせよ、考えるというのは行動の前提になるものであって、考えることそれ自体は、学校では評価されますが、残念ながら、学校以外では特に誰かが評価してくれるものでもないので、考える時間と労力は、行動のために配分するのが幸せかと思います。


ということで、何らかの問いが出されたときに、結論から逆算して、それについて考える必要があるかないかをざっとイメージしておくと、時間の節約になります。社会問題に釣られず、「考えない勇気」を発揮して、浮いた時間は気に入った女の人へのアプローチ方法を考えるとかした方が有益でっせ!



(追記)「その無駄な思考が楽しい」というのは、もちろんそうだし、わたしも無駄な思考は人一倍楽しんでいますが、あくまでそれは趣味なので、楽しく考えればよいと思います。趣味であるはずの思考で悶々として生きるのがいやになったり、言い争いをして、人間関係を悪くしたり…だと、趣味の範囲を逸脱してしまうので、そういうときこそ「考えない勇気」を発揮すべきと思うのです。