ココロ社

主著は『モテる小説』『忍耐力養成ドリル』『マイナス思考法講座』です。連絡先はkokoroshaアットマークkitty.jp

『仙境異聞』(平田篤胤)の現代語訳

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国家神道成立の背景にある本居宣長平田篤胤あたりの著作を読んでおきたい(もっと具体的に言うと、我田引水ぶりを確認したい)が、ちょっと面倒…でもこれは面白そう。

今から約180年前の江戸。幼い頃から不思議な能力を持っていた寅吉は、あるとき奇妙な老人に山へと連れ去られ、天狗の修行をするよう命じられる。
 数年後、再び江戸に現れた寅吉は天狗小僧の異名を取って一大センセーションを巻き起こす。その噂を耳にした異端の国学者平田篤胤(本居宣長の弟子)はかねてから興味を持っていた幽界(神々の住まう世界)の事情を窺うために寅吉を自宅に住まわせ、長期間にわたる詳細なインタビューを行った。

ざっと読んでみたけど、いろいろ笑った。適当に引用してみる。
平田先生の著作なので、もちろん、神道のプロバガンダに徹し、「神道イケテル、仏教イケテヌ」を連発するのだけれど、その観点に着目したい。象徴的なのが、僧侶との会話シーン。

進み出て『この印相はどう結ぶ』『あの印相はどう』と問うので、山(天狗の山)で見聞きしたとおりにいわれるままに結んで見せてやると、自分も知っていたかのような顔つきで頷いている。摩利支天の印相を問われたとき、ちょっとからかってやろうとわざと違う形を結んでやるとそれでも頷くので、やはり知ったかぶりだと悟った。

世間であなた方が結ぶ印相は、真の形を知らない僧たちが次々に誤って伝えたものだ。真の形のとおりに結ぶ僧や修験者はひとりも見たことがない。みな形が異なり、どれが真の印相だか区別が付かないはずだ。

つまり、「神道の方が、仏法の教えをより正しく知っている」という話。神道はもともと体系だった教義がないので、トップダウンに教義を示して「仏教はアカン」と言うことはできず、仏教のモノサシの上で自らの正当性を語っているところが面白い。

また、大部分を占めるのが、奇跡に関する話と、天狗の山でのしきたりに関して。

「しめ縄の形はこちらでしているように、七五三になうのか」

 寅吉が答えた。

「そうではない。刈った稲を籾の付いたまま図のように(※省略)ない、垂を付けて引張る。神事が済むと、籾を米にして食べる」

など、教義がないのに儀礼の話がえんえんと…「規則だから守れ」と言う、知能控えめの体育教師みたいで面白い。
ちなみに、キリスト教に関しても少し言及があって、

「外国で×のようなもの、あるいは人を磔(はりつけ)にかけた図、あるいは女性が小さな子供を抱いた図などを崇め奉る国はなかったか」

 寅吉が答えた。

「どこだったか、とても寒い国で見事な筒袖の衣服を着た国に少しの間行ったことがある。そこの人々はそのような類の本尊を各自が持ち歩いていた。師はそのようなものを見るたびに唾を吐いておられたのでその理由をお尋ねしたところ、

『これは切支丹という邪法の本尊だ。日本では堅く禁制であるゆえに唾を吐いたまでだ』

 と、仰っておられた」

と、「日本ではダメだからダメ」という話。なんともキュートなやりとり。