ココロ社

主著は『モテる小説』『忍耐力養成ドリル』『マイナス思考法講座』です。連絡先はkokoroshaアットマークkitty.jp

モーニング娘(id:hentaiさん、id:type99さん)

id:hentaiさん

わたしの場合、あまりにも紋切り型すぎると逆に愛情がわく、みたいのがあって、つまり、わたしは凡庸すぎてむしろおかしい、みたいになっているものが好きなんだと思います!

ぼく自身もそういう気持ちがあります。「凡庸すぎておかしい」という状況は、ぼくは非凡な状況だと思っています。id:hentaiさんのハロプロ好きの中心がそこにあるかはぼくにはわかりませんが、ぼくは好きというか、笑ってしまうというのに近いと思います。

世界の中心で、愛をさけぶ』がおもしろいと思うのも、やっぱり、愛を語りたいと思うこと自体の凡庸さは否めないが、実際に叫ぶとなれば話は別だ、と考えているからです。

id:hentaiさんが『世界愛』を面白いと思っていたのはちょっと意外に思いました。もてあそぶ対象として用いていたような気がして、おてんば娘だなぁと思いつつ読んでいたのですが。人間には本質的に、過剰な部分があり、それが抱えきれなくなることもしばしばですが、ただ、センスが不自由な人間は、紋切型という、あらかじめ設定された水路に過剰なものを流し込むほかなくて、結局『世界の中心で愛をさけぶ』という、ちょっぴり極端な行動に出てしまうのだと思います。
ぼくはその極端な行動を見て、思わず処しかねて笑ってしまいます。



id:type99さん

あと、僕にとってモーニング娘は言語化された存在、というよりはやはり、物語の存在なのだと思います。もとから強固な物語が用意されているのと同時に、受け取り手による物語の補完が許されている構造です。これが意味の過剰付与とどう違うのか、と問われたらまた説明が難しいんですが、どちらかというと恋愛や宗教よりは思想的なものに近い何かなのかもしれませんね。ただ、モーニング娘に言語化されたものを強く感じるのは、ココロ社さんが言語の人だからなのではないかな、とも思います。
まぁ言語の人間でないとこんなことしてないと思いますが、それにしても言語化の度合いが進んでいるというか。僕がトグサならココロ社さんはバトー、くらいに進んでいる感じ。
完全に余談ですが、「『冷静と情熱の間』を読んでイイ!と思っちゃうような人」は、モーニング娘。よりもELTが好きそうな気がします。

「物語の補完が許されている状況」の甚だしさがモーニング娘の一つの特徴だと思います。ぼくにはその状況を一言で言うと、「つんく緩い→好きな人が意味付与できる余地がたくさんできた」という、もしかしたら大ざっぱかもしれない見方をしています。つんくの緩さが物語の補完を許したと思うのです。
ぼく自身、言語化は徹底してやるべきで、結局言語化し切れなくてヘタレっぽくなってしまったとしてもそれは構わないと思います。というのも、容易に言語化できるものを(半ば意図的に)見落として「言葉を超えた体験:priceless…」と口走ってしまうのが好きではないからです。
余談に反応してアレなのですが、ELT=『冷静と情熱の間』は正しいと思います。広瀬香美と言い換えてもいいのですが、恋愛をしている最中に心の中のBGMとしてELTや広瀬香美が流れている人は結構実在すると思うのですが、もはや仮説すら用意できないほどに理解できません…