ココロ社

主著は『モテる小説』『忍耐力養成ドリル』『マイナス思考法講座』です。連絡先はkokoroshaアットマークkitty.jp

「音楽の前に人が立つ」こと

ここ最近、音楽を聞きたいときは、片っ端から試聴してみて気に入ったものを適当に選んで買い、作者が誰であるかなどは特に気にしていない。学生時代に憧れていた音楽に対する接し方に近いと思う。(固有名詞を覚えるのが面倒というのが実は大きいのだけれど)
音楽は音楽以外の何物でもないのだから、作者の物語やら主張やらに耳を傾ける必要はないと思うし、耳を傾けるのなら、音楽は、音を耳に入れる純粋に楽しい行為ではなく、単なるアーチストの自己主張の道具に成り下がってしまうと思う。「俺はここにいる」と言うミュージシャンと、雄弁に自己について語るミュージシャンに自分の生き方を投影してみたりするファン、という構図自体は、別に悪いことだとは思わないけれど、音楽そのものとは無縁の世界だと思う。

Theo ParrishMoodymannに関しては、ぼく自身のなかで、例外的に重要な固有名詞になっているのだけれど、自分の音楽の聴き方と、その固有名詞の偏愛との間で少しギクシャクした感情が生まれてきたような気がする。
今回出たTheo Parrishのアルバムは、通しで聴いてみたが、あんまり好きじゃないのに、彼に関しては「音の前に人が立つ」という状況を受け入れているように思う。もちろん、厳格にMusic is Music.と唱えるのも子供じみているとは思うけれど、聴いてみて「あんまり好きじゃない」と思うものを「でもTheoだしな。まあいいや。」と思っている状況もあんまり好きではない。少なくとも他と同様、きっちり試聴してから買おうと思う。