ココロ社

主著は『モテる小説』『忍耐力養成ドリル』『マイナス思考法講座』です。連絡先はkokoroshaアットマークkitty.jp

年越しそばを食べる習慣が日本をダメにしている

年越しそばは本当にひどい習慣で、そばだけでなく、日本の食文化って何やねん、とさえ思うこともあります。年越しそばについて考えていると、腹立ちのあまり、坊主憎けりゃ……ではないけれど、どんな天ぷらを見ても、大阪のうどん屋Nの天ぷらうどんのエビ天(たしかにエビの尻尾が天ぷらから顔を出しているのだが、尾だけで身はついておらず、匠の技で衣を盛り上げて揚げ、あたかも身が入っているかのように錯覚させる)のように見えるし、どんな寿司を目にしてもネタが小さくてシャリが多めに見えてしまうし、そもそも仏陀の骨といえども、食べ物を骨に喩えるセンスって衛生的にどうなん?―などと、気のロングなわたしですら、小言の一つも言いたくなってしまいます。


「ねえ、なんで大晦日にはそばを食べるの?」と、白目が真っ白で頭のなかも真っ白なタブラ・ラサであるところのちびっ子に聞かれて、あなたはこう答えたに違いありません。「細く長く生きられますように、という願いを込めて蕎麦を食べるのよ」と。最後の方は聞こえました。長く生きられるように、ですね。長生き、大いに結構です。春先に残念な事件があって、まあ昔から予想されつつも放置されていた件なので、「騙された」などとは言いませんが、長生きが難しいご時世になってきましたから、いっそう強く願わないと長生きはできないでしょうし、年末にそれを願うのは素晴らしいことだと思います。わたしには、その前の部分がよく聞こえなかった。いや、正確に言うなら、きっと聞こえていたのだろうけれど、あなたが信じられないようなことを言うから、「いっそのこと聞いていなかったことにしてしまえ」と思ってしまったのです。わたしにはこう聞こえました。「細く」と。「細く生きる」とは、ちょっと具体性に欠け、このまま話をすすめてしまうと、単にわたしが頭のおかしな人間であるかのような扱いを受けるかもしれませんので、実例をあげて、「太く生きる」ことと比べてみます。

「太く生きる」(futoku ikiru
・そこそこお金を持っていながら「人生の豊かさってお金じゃないよね」と余裕のツイート
・シャワーの赤いところをひねるとすぐお湯が出る
・道端にたけのこの里が落ちていたら迷わず拾って食べる
・好きなものを素直に「好き」と言える


「細く生きる」(hosoku ikiru
・あんまりお金がないが「世の中ゼニやで!」と、関西人でもないのにえげつない話をするときだけ関西弁でツイート
・シャワーの赤いところをひねっても、すぐお湯が出ないので、やけをおこして全開にした瞬間にお湯が出てアチチ……
・道端にたけのこの里が落ちていたら、自分も食べない代わりに他人にも食べさせたくないので原型がなくなるまで踏みつぶす
・好きなものを「嫌いじゃない」「悪くないね」と言ってしまう


「人生には勝ちも負けも存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね」という観点からすると、人生を太さで比較するのはナンセンスと言わざるをえません。しかし、仮に人生というものを太さという物差しではかってみて、太い方がいいか細い方がいいか聞かれたら、せっかくですし太い方を選びますよね。自分から細い方を志願するなんて負け犬根性も甚だしい。平家物語を「滅びの美」とか言って賞賛するセンスと大差ありません。
つまり、世間的に「負け」とされる人生を自らwantするのはどういった了見か。しかもそれが国民的習慣になっているなんて絶句してしまいますが、絶句したままだと、それはそれで寂しくなってブログを書いたりしてしまうほどです。わざわざ年の終わりに「不幸かつ長生きしたい」と願いながらモゾモゾとそばを食べるなんてド変態に他なりません。日本全体で「細く長く」を、毎年、年の終わりに祈念しておきながら、中国に抜かれてびっくり、なんて、どこのコントかと。なお、「細く長く」自体は難しくて、細く生きる人はだいたい短いものですから、泣き面にハチとしか言いようがないです。


こうなってくると、「じゃあ年越しに食べるのはラーメン二郎か」と思う人も多いと思いますが、あれもある意味においては年越しそばと同じくらい負け犬根性満載の食べ物です。何も考えずに「たまに食べたくなるよねー」と思って賞味するのであれば勝ちも負けもありませんし、わたしも何も考えずに3ヶ月に1回くらいは行っていますが、一部の二郎マニアの精神性には問題があります。とくに秘密などありはしないのに、あたかも敷居が高いシステムがあるかのようにでっちあげているからで、「高級な食べ物より、この脂ぎったラーメンにこそ真実があるのだ」という思想の背景にあるのは負け犬根性以外のなにものでもないからです。



以上の話をポジティブにまとめると、充実した人生を願う場合、「濃く長く生きたい」という願いをこめて、年越しは種も仕掛けもない天下一品がおすすめですが、そもそも食べ物に願いをこめるのはナンセンスですし、そんなことをする暇があったら鍋でもつつきながらこの一年を冷静に振りかえって、反省すべきところは反省し、来年どうしたら同じ轍を踏まないですむかについて、家族で議論する方がよっぽど有意義だと思われます。