ココロ社

主著は『モテる小説』『忍耐力養成ドリル』『マイナス思考法講座』です。連絡先はkokoroshaアットマークkitty.jp

金木犀の臭いが苦手なので三嶋大社に決着をつけに行った

金木犀の臭いが苦手な理由はひとつではなくて、幼きころに好きだったため、木に顔をつっこんで何度も深呼吸しているうちに気持ち悪くなってしまったことが最初の記憶で、乗り物酔いをしやすい方で、バスやタクシーの芳香剤の香りによって酔ったときの気持ち悪い感覚が誘起されることもあるし、秋の始まりを認めたくないという気持ちもあって、解決が難しい。
ただ、桂花烏龍茶は常備するほど好きではあるので、「生理的に無理」ということではないと思っているし、そもそも「生理的に無理」という表現が生理的に無理……。

 

あと何回この臭いと対決することになるかはわからないが、金木犀の臭いが苦手な自分をなんとかしたいという気持ちがあり、金木犀に対してのよくない記憶を一掃し、はじめましてという気持ちで金木犀とつきあいなおすため、10月1日に三島に向かった。

 

三島はひかりで行けば東京駅からは30分程度だが、新幹線を使わず多摩ニュータウンから行っても2時間程度しかかからないので、日帰りでちょっと遠出するなら最適だが、今回は金木犀と決着をつけるためなので利便性などはどうでもよく、たとえば博多からだと羽田まで飛行機で行ってからひかりで戻れば4時間かかるが、もし博多にお住まいの方で同様に金木犀と決着とつけたいとお考えの方は三島に来るべきである。なぜなら三嶋大社にある金木犀が樹齢1200年の御神木だからで、この神をたしかめることで、今後の金木犀とのつきあい方が決まるのだから、片道4時間はむしろ近いと思うはずである。また、三島ではあちこちで富士山の雪解け水が湧いていて楽しく、駅を出たところで地味な噴水を目にして、来てよかったと思うはず。

 

三島駅から三嶋大社までは歩いて15分程度だが、地図での最短距離だと三島のよさを十分には享受できない。白滝公園を経由して行けば、湧水の流れにそって三嶋大社まで行ける。

たとえば三島には2時間しかいられないという特殊な事情が発生したとしても、駅~白滝公園~三嶋大社のルートを辿れば濃縮された三島体験ができる。

梅花藻の花がいくつか咲いていた。ピークは8月なので望外の喜び。そして鳴いているセミもいたので三島は常夏なのかもしれない。

 

三嶋大社の大鳥居。三嶋大社の金木犀は2キロ先まで薫っていたらしいが、この時点では特に薫っていない。

 

神池。水がきれいといっても、池のように水が停滞しているところは澄んではいないこともある。

 

地図を見ずに、金木犀の香りを頼りにして御神木にたどり着きたいと思ったのだが、早々に諦めて本殿の方向に向かった。御神木なのだから本殿に近いところに植えてあるはずである。

 

神門をくぐると、右手にあった。

思ったよりもごちゃごちゃしている。わたしの想像の中では、ブロッコリーを限りなく大きくしたような木が1本だけ生えているイメージだったが、集団になっているようである。解説を読んだところ、中央にある木が樹齢1200年の御神木で、まわりの木は御神木を苗木とした後継らしい。

 

ご紹介が遅れましたが、本殿は重要文化財でございます。

 

御神木に話を戻すと、大部分がしだれているが、枝はたくましく上に向かって花を咲かせていて感動した。

 

―とはいえ、樹齢1200年だけあって老朽化が著しく、後継を作ったのは正解だろう。先端が沖ノ鳥島のようになっている。

 

また、根本もなかなかスリリングで、御神木だけあって魂だけで咲いているのかもしれないとすら思う。

 

後継が何本もあって、Xデーがきたときにどのようにするか興味がある。御神木群みたいにするのだとは思うが、そうなるとどれを拝んでよいのかわからなくなる。八百万も神がいるのだから3~4神が同じところにいる金木犀だったとしても問題はなさそう。

近づいて見てみると薄い黄色で上品な印象である。それもそもはず、天然記念物として登録された名前は「三嶋大社の金木犀」なのだが、学名はウスギモクセイ(薄黄木犀)で別の種なのだった。


「薄い黄色で上品な印象」と書いてしまうと、「色が濃いとふしだらなのか!」という反論が来そうだが(来そうにないが)、人体の色素と植物の色素は分けて考えたいと思っている。そして、香りは金木犀とほぼ同じだが、きつい印象はない。近づいて深呼吸してもむせ返ったり頭痛がしたりせず、ほどよい香りである。

しかし、ふだん接している金木犀と、御神木の金木犀が別の種だとわかると、「薄黄木犀の香りはよいが、金木犀の香りは下品。俺は本物がわかる」などと思ってしまい、三島まできて、金木犀への憎悪が淡黄色のエコーチェンバーの中で偏見が悪化しかねない……が、心頭滅却して、金木犀もまた神様のようなものだと思いなすことにした。

 

かくして、40年以上にわたるわたしの金木犀への嫌悪感は和らいだ。「気持ちが悪くなるときにセットになって登場する臭い」という記憶を、樹齢1200年の御神木の香りに塗り替えることができたような気がする。

 

秋の到来を穏やかな気持ちで迎えられるようになってよかった。金木犀の香りが嫌いな方におかれましては、来年9月下旬~10月上旬の三島行きをおすすめいたします。

 

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西東京民の私は立川のIKEAでザリガニを食べてスウェーデンに想いをはせる

東京都多摩市に住んでいるが、ここ2年で仕事以外で都心に行くことがほとんどなくなってしまった。それより前から徐々に店頭での買い物から通販に移行していたのだが、疫病が蔓延するようになってから、ホットスポットであるところの23区へのハードルが格段に高まってしまった。買い物などをする場合でも、23区まで行かずに、西東京の中核都市、立川・町田・八王子などで済ませている。実際に測ってみると、新宿や渋谷に出るのと5~10分程度しか変わらないのだが、混雑の度合いが違うので立川でいいや……と思う。そして、立川「で」いいやの気持ちは、いつしか、立川「が」いいやの気持ちに変化した。都民以外にはわかりにくいかもしれないが、立川・町田・八王子は、それぞれ地方の県庁所在地くらいの規模があるので、そこになかったら通販で買おう、新宿や渋谷だと必ず納得のいく買い物ができるという保証もないし、と思うのである。

 

いつしか、わたしは東京都民から西東京民になった。仕事を除いて東西方向に移動することはほとんどなく、南北に半径10キロ圏内で暮らしている。リモートワークで出社の機会も減ってしまったので、移動のスケールだけでいうと近世以前のような感覚である。ときどき23区のキラキラした思い出が脳裏をかすめる。キラキラしたといってもウズベキスタンの、ラーメンとパスタの中間のようなラグメンのお店や、パオの中にあって羊の肉の塊をかじるモンゴル料理店などだが、そんな尖ったお店は多摩市では受け入れられない。多摩市の外国人比率が高まったらチャンスはあるかもしれないが、日本はまだ外国人から見て住みたいと思える場所なのか非常に疑問だが、それはともかく、夏になると思い出すのが赤坂のレストランストックホルムのスモーガスボード……要はスウェーデン料理の食べ放題で、ザリガニの季節に合わせて行ったのだが、サーモンのマリネがおいしすぎてサーモン食べ放題にしてしまったのだった。ザリガニも、「けっこうおいしい」と思ったのだが、時が経ちすぎて記憶の中にも「けっこうおいしい」の文字情報だけしか残っていない。そろそろどんな味だったかをたしかめたかったが、お店は閉店になってしまっていたし、仮に開店していたとしても、もう赤坂はわたしにとっては別の国である……。

 

そんな中で、IKEAでザリガニ料理を期間限定で供しているという情報をキャッチした。西東京民のわたしにとってIKEAといえば立川。そして、長崎ちゃんぽんを食べたいと思ったらリンガーハットであり、たこ焼きを食べたいと思ったら銀だこ、ハンバーガーを食べたいと思ったらバーガーキングであるのと同様、スウェーデン料理を食べたいと思ったらIKEAが最適解になる。たとえば、同じくIKEAがある地域にお住まいの方も同じ感覚だと推測している。

 

立川のIKEAの本当の最寄り駅は多摩都市モノレールの高松駅なのだが、街の発展を実感しながらIKEAに向かいたいと思ったので、少し遠い立川北駅で降りた。

IKEAのレストランの混雑ぶりが想像できなかったので、念のため16時に到着するようにはかった。

 

ここは以前は空き地で、ヤギが除草に従事していた。ヤギは過剰な期待さえしなければかわいらしいのだが、いっぽうでこんな広大な空き地大丈夫なのと思っていた。やはり大丈夫ではないと思われていたようで、グリーンスプリングスという未来の複合施設が作られた。

 

これは5年前、ヤギが帰ってしまったときの写真。このときはわたしもネンネだったので、巨大商業施設ができるなんて想像していなかった……。

 

駅から10分ほど歩いてIKEAに到着。グリーンスプリングスが空き地だったころは、かなり遠くから見えていて、歩みを進めるごとに大きくなってきて、IKEAどこまで大きくなるのよ!と思っていたのが懐かしい……。

 

せっかくIKEAに来たので棚も見ていくかと思っていたのだが、先にザリガニを食べてからと思ったので、入口からすぐレストランに行けるショートカットを利用した。

行くのが久しぶりすぎてシステムを完全に忘れてしまったので、若い男女の後ろについていくことにした。システムは簡単で、皿の上に好きなものを載せて、最後にお会計をすればいいだけでだった。しかし知ったかぶりして恥をかくよりは慎重に行動した方がいいのだ。


そして若い男女はケーキをとっていて、喫茶店として利用したいのだな、まあそれが普通だなと思ったのだが、その「普通」から遠く隔たったところにいるザリガニは……ない。立川にはザリガニは早いと思われているのかな、横浜はススンでいるイメージがあるけど、港北のIKEAはザリガニ一色なのかな、などと思っていたが、よく見ると2皿だけあった。急いでトレイに載せた。誰も続くものはいなかったが……。そしておまけたちも添えてお会計を済ませて着席。

 

毎回思うのだが、IKEAのトレイは満腹になるまで食べる想定ではないように思える。たしかに食べすぎたあとに家具を見ても全部ベッドに見えてしまうので、買い物の途中の軽食という位置づけなのだろう。あるいは単にスウェーデン人が少食なのかもしれない。

今回も魅惑のアイテムがトレイからはみ出て、席に運ぶまで大変緊張した。これを毎回繰り返していると、いつか床にぶちまけてしまう……と思うのだが、数年に1回くらいのペースなので、危険性が高くても試行回数が少ないので何も起きないだろうとは思う。

 

まずは定番のサーモンのマリネと5年ぶりに親交を温めあった。いつも1分と持たずに食べきってしまうのだが、改めて写真を見るとディルがまぶしてあって、おいしさの秘密はこれね………と思った。右上のソースにもディルがまぶしてあって天国である。

 

スウェーデンミートボールも健在であることを確認。甘いジャムとクリームソースをつけて食べる。相変わらずおいしかったが、スウェーデンのオッサンはジャムだけをたっぷりミートボールにつけて食べるのかもしれないと思ってそうしてみたら、あまりにも未来的な味がしてついていけなかったので、すべて混ぜて食べるのがよいのだと悟った。スウェーデンの人が実際にどう食べているのか、多摩市民のわたしは知る由もない。

 

今回の目的のザリガニは記憶していたよりも赤くてチャーミング。肩を寄せ合って人間においしく食べてもらうのを待っているように見えるが、完全な妄想である。

 

身を取り出そうとして軽く頭を引っぱると、いとも簡単に味わいゾーンが登場。ザリガニのネガティブなイメージから、身を取り出しにくいというイメージだったのだが、IKEA用に特別な訓練を積んだザリガニなのかもしれない。

一匹が小さいのでボリューム感はないが、ロブスターを凝縮したような味で、臭みもなく、4つではまったく足りなかった。10年ぶりくらいにいただいたが、記憶をはるかに上回る味だった。前回いただいたときは考え事でもしていたのかもしれない。

 

IKEAのレストランは炭水化物を欲したときはパンで補完するしかないと思っていたのだが、単品でライスを供していた。過去の写真を辿ってみたら昔から供していたようで、前回は妙なプライドが邪魔をしてライスを頼まなかったようだった。しかし、ザリガニにはごはんだし、ここはストックホルムではなく立川である。

 

IKEAのサイトには30匹のプレートもある旨の告知があったが、西東京にはザリガニプレートは早すぎると思われているのかもしれないし、注文する人が少ないのでリクエストがあったら準備する方針なのかもしれない。ザリガニだけで食い倒れてみたくなったので、来年のザリガニ祭りのときには恥をしのんでリクエストしてみようと思う。ひとりで行って、みんなの代表で注文しているような芝居をはさみつつ……。

 

都心に行けば、さらに本場に近い、すばらしいスウェーデン料理がいただけるに違いないと思う。いつか行ってみたいと憧れているのだが、どっぷり西東京に染まってしまったので、今回の食事も大満足だったし、スウェーデンと思ったら立川に行けばよい、という認識が深まるばかりなのであった。

 

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幻の梨「稲城」を買う小規模な冒険

大阪の実家を出てから梨をほとんど食べなくなってしまった。高校生のころまでは、わたしは自分のことを梨大好きマンだと思っていたのだが、ふりかえってみると、皮を剥かれて八等分されて楊枝が添えられた梨が秋の始まりとともに食後に自動的に出てくるのが好きなのであって、単に王様のように振る舞いたかったというだけではないか。自分の稼いだお金で梨を買い、皮を剥いて八等分して楊枝を添えてまで梨が食べたいとは思わず、ごく稀に人から梨をもらったときだけ皮をピーラーで剥いてそのままかじりついて、梨もいいよねと思うのは、「梨大好き」とはいえないので、上京して早々に梨大好きマンの看板を下ろしたのだった。

 

そのままわたしは数年に1回、人に与えられた梨のみで暮らし続けるのかと思っていたのだが、先日よみうりランドの近くに梨の園―「梨園」と書くと別の意味になるかもと思ってこう書くのだが、むしろ別の意味の方が後なのだから、別の意味の方が遠慮して「梨の園」というべきではないのかと思わなくもないが―があって、ひっそりと生育している梨を見て、食べたいという気持ちが芽生えてきた。

 

しかし「稲城 梨 販売」で検索してみると、予約販売のページにたどりつき、今年は6月の異常な高温により梨の生育がよくないので予約を締め切らせていただきますという記述があって自分の認識の甘さを思い知った。そして、「稲城」という品種の梨があることも知った。わたしの認識では、二十世紀などのブランドを栽培していると思っていたが、稲城では梨を300年前から栽培していたらしく、当然ながら品種改良が重ねられて、稲城ならではの味がするに違いない。市場には出回らず、「幻の梨」と呼ばれているらしい。どの程度の幻なのは不明だが、「幻の手羽先」を食べたとき、幻と言いたくなる気持ちはわかると思ったので、わたしの幻の感度は非常に鋭敏であり、幻の梨もぜひ食べてみたい。食べたくなる情報と容易に食べられないという情報を同時に得て引き裂かれてしまったのだった。

 

当初は、散歩がてらにふと梨販売所を見かけて、もう秋だねぇ、いくつか買っていくかなと思って買うようなイメージだったが、少なくとも、家を出るときに「今日は梨を買うのです」という決意をもっていなければ梨にありつけないと悟って、作戦実行の日を9月3日(土)と定めた。「稲城」が売られるタイミングは9月上旬までなのでギリギリである。


事前に地図で稲城近辺を「梨 販売所」で調べてみたのだが、営業時間が不明瞭だったり、店先の写真でシャッターが下ろされていたりしてよくわからなかった。


ほかにインターネットで見つけた情報を総合すると

 

・車で買いに来る人が多い
・午前中に売り切れることが多い
・大きな通り沿いの店→奥まったところの店の順に売り切れる

 

で、具体的にどのお店で売られているのかなどの詳細は行ってみないとわからないと思って、ひとまず稲城駅に向かった。

 

稲城駅を降りたのは13時すぎ。午前中に行ければよかったのだが、詰め物が取れて歯医者に行ったらついでに歯石を取りましょうと言われて取ってもらっていたらいい時間になってしまった。

いつもの稲城駅の風景で、梨シーズンならではの看板や幟などはない。この風景から梨が結びつかない。なお、後述する稲城長沼駅はなかなかの梨感である。

 

駅を降りてから東に進んだところが最も販売所が多いようだったが、行ってみて成果が得られなかった場合、住宅街しかなく、そのまま虚しく来た道を戻るほかない。販売所がありそうで、かつ、梨が買えなかった場合も楽しい散歩をしたことになりそうな、稲城長沼駅~多摩川まで歩いて、そのルート上の梨販売所で買うというのがバランスがよいと思ったのだった。

 

稲城駅を出て稲城長沼駅方面に少し歩くと、稲城商店街にさしかかる。

風でよく見えなかったりぐるぐる巻きになっていたりもするが、梨のキャラクターと「ペアリーロード」とあるので、梨販売所が並んでいるはず……と思ったのだが、見当たらないし、そもそも商店も少なめである。

 

不安になっていると明治・大正・昭和の忠魂碑が並ぶ公園があった。

公園といっても忠魂碑で面積を使いきっている。

 

稲城長沼駅にかなり近づいたところで梨の園を発見。

順調に生育しているようだが、販売所は閉まっていて、川村あや先生の連絡所を兼ねている風味だった。
梨販売所と政治家の連絡所の関係について、わたしはよく把握していないのだが、以前、多摩ニュータウン通り沿いにあった梨販売所が、いつの間にか政治家の事務所に変わっていた。廃業した梨の販売所は政治家の事務所として利用されがちだと思っていたのだが、廃業していなくても、梨のシーズン以外に使い道がないので政治家の連絡所として使われているという仮説が生まれた。


そして稲城長沼駅が見えてきた。ここまで収穫ゼロである。

駅のデザインは梨と関係あるような、ないようなデザインである。砂漠の中でこの駅が見えたら「梨……」と思うかもしれない。

 

そして有名なスコープドッグ。

わたしの中で『装甲騎兵ボトムズ』と『太陽の牙 ダグラム』の記憶が混じりあっていて、「地味だけど面白いロボットアニメ」という印象である。

 

そしてガンダムとザクもいる。

 

しかし、今回はなんといっても梨のキャラクターに注目してしまう。

小学生のころ、大興奮してガンダムを見ていたときに、いきなり梨のキャラクターが登場したら激怒したと思うのだが、今となっては「えーい、もっと梨を映せ!」と思う。
稲城長沼駅を降りるとこの人化した梨が迎えてくれるのだが、稲城駅ではここまで手厚くはしてくれなかった。

 

そして、稲城市観光協会が運営している「いなぎ発信基地 ペアテラス」で、梨を扱っているといういいニュースと、今日はもう買えないという悪いニュースを同時に得、またしても引き裂かれた。

 

この町では消防団のシャッターまで梨だというのに、わたしは梨を手にしていない。

それはともかく、火を消してくれそうなキャラクターなのは素晴らしいよね……。

 

今日はもう買えないかも……でもまあ多摩川でも見たら気分がスッキリするだろうと思って多摩川方面に向かったのだが、ものの数分もしないうちに、梨の販売所を発見した。まだ売っている風味だったので3個入りのをお願いしたら600円だった。1個600円ではなくて3個で600円……なぜかと尋ねると、ちょっと小さいからということだった。主観的にはじゅうぶんな大きさだった。

 

少なくともこれで手ぶらで帰ることはなくなったが、せっかく多摩川の近くまで来たので、多摩川を見ながら梨を食べたい……と思って歩いていたら、梨販売所が次々と姿を表した。

ここは無人販売をしているようだが、すでになし……絵が可愛い。

 

ここも丁重に梨がなしであることをお知らせ。

 

やはりこういうところから取水しているのかしら。東京じゃないみたいでいいね……。

 

「いちょう並木通り」なる、大きめの通りに出たらさらに状況は好転した。意味ありげに路上駐車されているところがある。もしかして……と思ったら、まだ売っていた。いちばん高いと思われる3個で1500円のパックが残り3つで、迷わず購入。

慌てて店に入って買ったので、店を出てから写真を撮ったのだが、押ナントカ園……読めない。Golgle Map上では「押園」と書いてあって、読めない字は飛ばすのがいちばんよね……と思ったが、ラベルを見たら「ヤマキ園」とあった。つまり「押ナントカ園」は「押ヤマキ園」だったのだが、今度は「押」がわからず、検索してみたら「矢ヤマキ園」も出てきて、謎が解けた気がした。「押ヤマキ園」は、「稲城市押立のヤマキ園」で、「矢ヤマキ園」は、「稲城市矢野口のヤマキ園」で、ヤマキ園同士で区別をつけているのだろう。そして、どちらも発音上では「ヤマキエン」であり、つまりこの文脈において「押」「矢」は、knifeやknightやknitやknockにおける「k」と同じ、サイレントなのかもしれないしそうでもないのかもしれない。

 

お店の名前に拘泥してしまったが、梨の旅は、多摩川沿いのどこかで座って多摩川を見ながら梨をいただくだけば終わりである。

合計梨6個をリュックに詰めて多摩川沿いに来てみたのだが、ただ草がぼうぼうに生えているだけで、川を見ながら食べている感じにはなりそうもなかった。

多摩川の向こうに変電所が見えた。nuclearは全然関係ないはずなのにすごいnuclear感……。

 

シーズンオフにつき閉鎖中のプールの前のベンチに座ることにした。とくに風景がよいというわけではない。

 

こちらが本日の収穫。

薄い本などだと「本日の収穫」と言いやすいが、作物だと、言葉本来の意味の「収穫」がちらついて、「収穫したわけではなくて単に買っただけだろうが……」ともう一人の自分が言ってくる。

最初に買った3個600円(左)は、お店の人の言うほど小さくはなかった。ひとまずこちらを食べてみようと思って、ベンチでいただいたが、甘くてジューシーだった。手がベトベトになるのは想定していたが、ズボンも濡れた。梨の中心に迫るにつれて甘くなくなってきたのだが、3個600円という価格を考えれば破格の味である。来年も普段遣いの梨として入手しておきたいと思う。

 

帰宅して、急いで冷やして、3個1500円のオフィシャル感のある方もいただいたのだが、これは徹頭徹尾甘くてジューシーで、価格の差について理解した。


「稲城 梨 特徴」で検索してもジューシーである旨の記述くらいしかないが、誰もが先日凶弾に倒れた元総理大臣と同じ感想を抱くということであり、わたしもそうだった。ほかの梨で感じられるささやかな酸味も皆無で、ただひたすらにジューシーなのである。


わたしは彼がこの世を去ったあと、彼のジューシー発言集を見ながら、殺めることなんてなかったけれども、それはそれとしてジューシー以外に言い方はあるんじゃないのと思っていたのだが、ジューシーな果物を口にしたら、人は「ジューシー」としか言えないのだ。彼に供された果物は常に一級のものばかりだから「ジューシー」としか言えないようなものばかりに違いなく、少なくとも彼のジューシー発言に限っては正当なものであったと実感したのだった。これからもジューシーなフルーツに出会っていきたいし、来年は少なくとも2回は「稲城」を味わいたい。

 

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性格が暗いので咲き終わったひまわりを鑑賞した

日に日に秋の気配が濃くなりつつあるというのに今さらひまわりの話なんて意味あるのと思われた方もいらっしゃるかもしれないが、少なくともスーパーの肉についているパセリの写真のフィルム程度の意味は有していると確信している。ひまわりは咲き終わってからがいいという話。

 

「ひまわりガーデン武蔵村山」が今年の8月14日をもって閉園になるとわたしが知ったのは、8月10日の夜のことである。あわてて確認してみると、開園したのは7月の最後の週。以前、同じ場所で春に開催されていた菜の花ガーデンに行ったことがあり、夏になったら行くぞと思ったまま存在を忘れていて、7月は町田市・小山田の蓮に夢中だった。

蓮は個体によって咲くタイミングにばらつきがあるがゆえに、咲いた花の影で出番を待つ蕾などが鑑賞できて非常によい。たしかに陰気なオッサンからしてみたら蓮>>>ひまわりなのだから仕方ない。蓮のことは漢字で書くが、ひまわりのことを「向日葵」と書くことには強い抵抗がある。当て字は好きではないし、当ててある字もキラキラしていて見るだけで胃がもたれる。しかし、ひまわりガーデン武蔵村山が今年で最後なら絶対行かないと絶対後悔するだろうと思ったので、仕事を終えて寝て起きて11日の朝に行ってきたのだった。

 

ひまわりガーデン武蔵村山は、多摩モノレールの上北台駅から徒歩15分程度のところにある。この場所はもともとは団地を取り壊したあとの空き地で、空き地を空き地のままにしておくと不法投棄があったりしてよろしくないという理由で、ひまわりや菜の花を植えはじめたのだった。

病弱な子のために土地を持っていた親が元気になるよう願いを込めてひまわりの種を植え……などという感動的なお話ではないが、よく考えてみたらこれを書いている時点ですでにない施設なので、ひまわりの話に集中したい。

 

以前、ひまわり園のようなものを見たのは、立川の昭和記念公園で、咲き誇るひまわりの姿に圧倒され、ひまわり園はnot for meかもしれないと思っていたのだが、この日見たひまわりはあのときと違った。端的に言って、わたしが情報をキャッチするのが遅かったため、多くのひまわりが咲き終わっていたのだった。

昭和記念公園のひまわり園の10倍の規模のひまわりのほとんどが頭を垂れている。期待していたものとはまったく違ったのだが、むしろこの風景の方が好ましいと思ったし、うなだれがちなわたしは共感してしまう。花ひとつが人ひとりだとしたらこんなに多くの援軍が……と思った。何の軍か知らんけど。


そして、まだ咲いている花たちも、頭が下がっているので覗きこむようにして見ることになる。

無数のひまわりを覗きこんでいるうちに過去の記憶が脳裏をよぎった。難しい感じの人と難しい関係になると、往来に人目もはばからず立ちつくす難しい人を覗きこんで宥めたりすることになるが、まさに同じ動作であって、咲き終わったひまわりを鑑賞するとき、一般的な花を鑑賞しているときの気持ちとまったく異なるところにあると感じた。

 

まだ咲き誇っているひまわりも2割ほどあった。



1.5~2メートルのところに人間の頭くらいの大きさの花をつけるので、人間に見立てずにはいられない。

「ひまわりのような人」というと、アグネス・ラム先生を想起してしまう。おそらく平成生まれにとっても同じような「ひまわりのような人」がいるはずだが、それは誰だろう……綾瀬はるか先生だろうか?そうでもないのだろうか?綾瀬はるか先生もああ見えて、ひとり旅に出て、東尋坊の電話ボックスに入って張り紙やビラを見るなどしているのだろうか。

 

風にそよぐ花びらは髪のように見え、風吹ジュン先生を想起する。

 

突然変異的に2.5メートルくらいの高さに育っているものもいる。背は高いのにつけている花は小さい。はじめて大谷翔平先生を見たときの感動を思い出した。

 

そして、筒状花が思わせぶりに失われている個体もあり、ここまでくると人との相違点を挙げることが難しい。

 

会場内には幸せいっぱいのファミリーがいて、さらに咲いているひまわりがセレブリティに見えてしまって気持ちに余裕がなくなってきたので、咲き終わったひまわりたちのコーナーに逃避しよう。

 

咲き終わったひまわりのコーナーを歩いていると、「もう終わってるね、もっと早くくればよかったね」という声が聞こえてきた。たしかに平均的な感受性の持ち主からすると、ひまわりの本質は花にあり、その花びらが枯れて花が垂れていると「終わっている」のかもしれないが、ひまわりの立場からすると、首尾よく受粉を終えて、種が順調に育っているから花が垂れているのである。もしこれが人間ならどうだろう。この状態にある人間に対して「もう終わってるね」などと表現するものがいたら、1万RTされて、その1万RTのうちの8割超がコメントつきのRTになるに違いない。花が咲き終わっていることが植物そのものの終わりと考えるのは一面的なものの見方なのかもしれない。

 

……などと思考を巡らせながら写真を撮っていると、いつのまにか10時になっていた。10時とは、村山ホープ軒の開店時間である。

10時10分に行ったらすでに満席で少し並んだのだが、開店前から並ぶ猛者たちは食べるスピードも素晴らしいので、5分も並ばずにニンニクチャーシュー麺にありつけた。

豚骨の強烈なスープにもちもちした麺……無数のラーメン屋がひしめきあう現代にあっても印象深いラーメンだが、1975年の創業当時の衝撃は絶大だっただろうと思う。

 

かくして「東村山ひまわりガーデン」は公開を終了したのだが、同じ場所の「東村山菜の花ガーデン」は来年の春に最後の公開があるようなので、菜の花が咲き乱れて、好きとも嫌いともいえない独特の臭気を放っているのを体験したい方はぜひ行ってみてほしい。

 

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茶畑をそんな目で見たことがなかったがwokeになったので東京狭山茶の茶畑を見に行った

われわれにとって煎茶は水に準ずるあたりまえの存在であって、好き嫌いの対象ではない。

 

もしあなたが港町を歩いている途中でウニの養殖場を見かけたりしたら、キャベツをもりもり食べているウニをうっとりと眺め、「これを割ったら橙色の濃厚なおいしいやつがびっしり詰まっているに違いない」などと想像することだろう。なお、「キャベツをもりもり」というのは、最近インターネットから仕入れた知識で、駆除対象でおいしさ控えめのムラサキウニに、同じく廃棄対象のキャベツを食べさせたら、海藻を与えたときより臭みがなくて味がよくなるとの話だった。わたしはそのニュースを見て、窓際族であるところの自分が他の窓際族の構成員とコラボレーションしたら業績が劇的にアップする企画を思いついたりするのだろうか、いや、ない……などと思ったのだが、それはともかく、ウニが養殖されているところを見たならば、何らかの感慨のようなものが少なからずあるはずである。

 

いっぽう、煎茶はどうだろう。茶畑を見て、「この先端をつまんで取って、蒸して乾かして……」などと想像して涎が止まらなくなったりしたら変質者とまではいえないにしても、かなりの少数派ではある。まだ、みっしりと栗が詰まったおまんじゅうが和菓子屋に陳列してあったら「煎茶といっしょにこれを食べたら……」と想像して涎が止まらなくなる程度であればまだ理解が得られやすい。煎茶が脇役であるなら、ノーマルな感性の持ち主の理解が得られるが、残念ながら主役たり得ない。わたしもつい最近までは、煎茶はあたりまえの存在であったから、旅先で茶畑を見たとしても、茶畑があるなとしか思わなかったし、チャノキ(Camellia sinensis)とそうでない木の区別があまりついておらず、単なる植えこみのツバキの若葉が「実はお茶なんです」と自己紹介されたら、ツバキみたいなお茶だな、まあツバキ科だからあり得るかと思ってしまう。

 

そんな平均的な煎茶ライフをおくっていたわたしだったが、紅茶や、より煎茶に近い龍井茶などと比べても、すばらしい点がたくさんあるということに今さらながら気づいた。まず、抽出時間が圧倒的に短い。紅茶を1杯抽出する間に煎茶なら3杯抽出できる。抽出したあとの鮮やかな緑色はどんなお茶よりも美しい。また、日本があらゆる視点から見て没落してきているため、今や中国のお茶と比較してもリーズナブルに感じられる値段であって、いろんなお茶を飲んできたが、素敵なお茶が身近にあったということに今さらながら気づいた次第である。

 

そうなってくると、今まで適当に通り過ぎることが多かった茶畑に積極的に行きたいという気持ちになってきた。おいしい煎茶が育成されている様子をじっくり見て、煎茶を飲むときに思い出す。また楽しからずや……。「煎茶≒水」と考えているあなたにとっては実感がわいてこないと思うのでわかりやすいたとえにすると、どこかの回転するお寿司屋さんでウニの軍艦巻きを食べるときに、ウニがキャベツを食べているところや、海苔が海中に刺してある竹にまとわりついて大きくなっているところを想像したら、まるで回転していないお寿司屋さんの軍艦巻きのように感じられる……ということである。

 

そして、わたしの住む多摩ニュータウンから最も近い茶どころといえば東京狭山茶でおなじみの瑞穂町。狭山茶の算出量がもっとも多いのは埼玉県入間市だが、なるべく自分の家に近い茶畑を見てお茶を買って、「うちの近所でこんなにおいしいお茶が……」と感動したいと思って、新茶が売られはじめたころ、八王子から八高線に乗って箱根ヶ崎駅で降りたのだった。

 

駅を降りてしばらくしたらこの看板があった。たしかにお茶はおいしいのに飲んで咎められることがなくて本当に最高だよね……。

 

坂をのぼっていくと狭山神社がある。

長い階段を登った先には拝殿だけでなく、摂社やら記念碑が配置してあり、周辺の歴史を知るには登るべき階段なのである。

 

こぎれいな拝殿。

「機神社」は、メカニカルな名前に心惹かれるが、この地域の名産の村山大島紬の神社。


そして、ひとことでいうと狭山茶foreverというような意味の文言を記した記念碑がある。

この地域でのお茶の栽培が本格化したのは江戸時代に入ってからで、この記念碑も明治11年と記してあった。

 

狭山には「色は静岡 香りは宇治よ 味は狭山でとどめさす」という茶摘み歌があるらしい。もし、京都大学の校歌に「官僚は東大、ノーベル賞は京大」のような歌詞があったら東大のことをそこまで意識しなくても……と思うに違いない。

さらに東京狭山茶への想いをたしかにするため、瑞穂町郷土資料館を訪問した。

ここでは煎茶の製造工程について実際に使われた道具を展示して説明しているのだが、最初に目に飛びこんできたのは、そこらへんのふるさと館みたいなところの端っこにわりと邪魔そうな感じで置いてあることでおなじみの唐箕。

米を作るときの専門ツールかと思っていたが煎茶を作るときにも使われていたとは……冬季オリンピック、スピードスケートのメダリストである橋本聖子選手が自転車で夏のオリンピックに出たのを見たときと同じくらいの驚きと感動である。

 

そしてこの箱の上で茶葉を撚っていたようなのだが、箱に貼ってある紙に書いてある文字が気になった。工事現場のクレーンに「積み荷の下に入るな!」と書いてあるが、茶葉を撚るにあたって必要な態度などについて書いてあるのかもしれないが、鏡文字がだいぶ苦手なので早々に解釈を諦めてしまった。

 

神社にも行って、資料も見て、準備万端となったので、いよいよ茶畑を見て、お茶を買う。

 

先述のとおり、わたしはチャノキを正確に見分けられる自信がない。

たとえばここに来るまでの間にあった墓地に盛大に植えてあったものたちは「墓地でお茶を栽培することはない」という文脈からこれがチャノキではないとわかるのだが、文脈なしでただ生えていたら野生のチャノキと思ってしまいそうで、だから、ここにチャノキ以外のものが生えているはずがないという文脈がほしくて、瑞穂町まで来たのである。

わたしが見たかったのはまさにこの風景。

お茶屋さんの前に明らかに栽培しているふうの植物たちがあるなら、これは2万パーセント茶畑なので、安心して観察できる。

思っていたよりも樹高が低くて驚いたが、これは、有名人を間近で見たら思ったよりも小さかったという問題、個人的には多摩センターに演説に来ていた生稲晃子先生に感じたものが最新なのだが、お茶への思い入れが強すぎて、心の中のチャノキの樹高が高くなりすぎたことによるに違いない。

 

新茶を摘みおわったあと、さっそく柔らかい若葉が生えてきている。
わたしがこのあと買って飲むお茶はこういう感じの葉からできているのかと思うと愛おしくてたまらない……。

 

お茶屋さんはいろいろあるが、茶畑と店が合体している感じのお店なら「あそこの茶葉がこのお茶に入っている」と思い出しながら飲めるので最高。

なお、今回寄ったのは「藤本園」というお店。作るところと売るところが一体化していて約束の地である。

新茶と、せっかくだから紅茶も買った。シンプルなパッケージよりも、このようにシールが貼ってあるほうがいい気分。

 

なお、周辺を歩くと他にも茶畑があるので見て回りたい。

特殊な扇風機のようなものがあって不思議に思ったのだが、これは地表からちょっと高いところにある暖かい空気を茶畑に送りこむための機械らしい。

こんな小さな扇風機で地表の温度を変えることができるなんてすばらしい……そして、江戸時代にはそのような仕組みはなかったから、おそらく今飲んでいるお茶の方が昔飲まれていたお茶よりもおいしいのだろうなと思う。

 

収穫されすぎた茶畑を見かけたのだが、機械で収穫しているのだなというのがわかってかえって安心した。茶葉を見てからだと、これを手作業で摘むなんて、茶摘み体験ならいいけど茶畑の端から端まで手で摘んでいたら申し訳ない気持ちになってしまう。

id:sociologiaさんからのご指摘で、茶畑の若返りをはかる「台切り更新」であることを知りました。ありがとうございます~!)

茶畑の地面は枯れた茶葉に覆われていた。

烏龍茶にビジュアルが似ているから、もしかして成分は近いのかなと思って嗅いでみたら、ただの枯葉だった。

 

そして、茶畑のむこうにはショッピングモール、しかも名前が「MALL」で申し分ない。東京じゃないみたいな感じが最高潮に達している。

なお、お店自体は2月末で閉店したらしい。

 

帰宅してさっそく新茶をいただいた。

実際に栽培されるところを見たから茶葉がいとおしく感じられる……これにお湯をかけてもいいの?

わたしは渋いお茶が好きではないので、やや低め、70度で抽出する。いつも色が薄いかなと思うのだが、すばらしい旨味である。桜の花が案外白いのと同じで、記憶している煎茶の色は実際の色と異なるのかもしれない。これとごはんだけでお茶漬けとして食べられるのではないかとすら思う。

 

一番高いのを買ったが、すぐ飲んでしまったので、来年の新茶の季節にはたくさん買って半年くらい持たせるようにしたいと思っている。まる1年分用意することも消費期限的には問題ないが、年じゅう新茶を飲むと堕落してしまいそうだから最長でも半年だろう。

 

wokeなみなさまにおかれましても、お近くの茶畑に行って興奮していただきたいと思う。

 

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自分の椅子が低いことに40年近く気づかなかったという話

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きょうは椅子が低すぎたことに気づいた話をしたいが、特筆すべきドラマなどは特になくて申し訳ない。
 

椅子が低すぎたことが発覚したのはキーボードの傾斜問題が発端だった

先日、「キーボードの傾斜は実は意味がない」という趣旨の記事を見かけた。そんなはずはなかろう、わたしはキーボードを使い始めて40年近く経つが、キーボードに傾斜をつけることの意義をよく知っている。初めて使ったパソコン、シャープのX1 turboのキーボードにもチルトスタンドがついていて、わたしはそれをビンッビンに立ててディズニーランドとは似ても似つかない世界を冒険する『デゼニランド』などのゲームを満喫していた。80年代前半のパソコンは入力機器としてマウスが使われていないこともあり、ゲームも英語で直接コマンドを打ちこんで進めるものが多かった。しかも開発する者も遊ぶ者も英語ネイティブではないから、プレイヤーは正しい英語ではなく製作者の頭の中にある英語を推測しながら打ち込むという高度なゲームプレイを強いられており、解かねばならない謎は何重にもなっていたのである。有名な事例では、棺桶の穴に十字架をはめるときに「ATTACH CROSS」と入力しなければ次に進めない……などというものもあり、そうでなくてもゲームで遊ぶにも打鍵は避けられなかったのだが、苦しい打鍵生活の支えになっていたのがチルトスタンドで、なんだか打ちにくいと思って確認したらチルトスタンドが寝ていたということもあったくらいだから、キーボードに傾斜は絶対必要だと認識していたのである。チルトスタンドが上がっている状態が本来の状態で、持ち運びのときにチルトスタンドを収納すると認識していた。「キーボードに傾斜をつけることには意味がない」とは、ほとんど「人間が生きることには意味がない」と同じではないのか、といった虚しい反論が脳裏をよぎったのだが、人間工学から見ても優位性はなくて、むしろ手首に負担がかかるるなどと書いてあった。この40年近く、キーボードに角度をつけることによって感じてきた打ちやすさが気のせいなはずなかろう……と思ったのだが、記事は、角度をつけないと打ちにくいと思っている人は椅子が低すぎる可能性がありますという趣旨の言葉で締めくくられていて、まさか……しかし念のため、と思って椅子を上げてみたら、キーボードの傾斜には意味がないことを即座に理解したのだった。キーボードに傾斜をつけなくても、qやpやdeleteなどの辺境系のキーにも難なくアクセスができた。そしてキーボードの打ちやすさだけでなく、作業に集中できる姿勢になっていた。わたしは40年近く何をしていたのだ……。
 

自転車のサドルは上げるのに椅子を下げるのは変態である

かくして、わたしは椅子の高さを間違い続けていたことを瞬時に体で理解したのだが、頭でも理解したいと思い、「椅子 高さ 計算」で検索した。わたしはずっと、椅子の適正な高さは、使う人の身長に反比例するのではないかと想定していた。計算式で表現するなら「4000/身長(cm)」のようなイメージだったが、実際の数値は「身長(cm)÷4+1(cm)」などだった。1を足すものとないものがあったりの違いはあったが、身長の高さに反比例しているものはなかった。高さが変えられない机とペアで使っていたとしても、椅子の高さを最低にするのはさすがにバランスが悪い。
よく考えてみたら、レンタサイクルなどで自転車に乗るとき、当たり前のようにサドルを上げていた。中学生のときに遊びでサドルを最低にしたことがあったが、足腰にかかる負荷が尋常でなく、トレーニングになるのではないかと思ったほどだ。また、証明写真を撮るときも船を急速旋回させるように椅子を回して上げていた。なぜ腰掛けるもののなかで椅子だけが例外になると思ったのだろうか……。
 

椅子を低くしたいという心理は、寝たいという気持ちの現れである

人(突然の主語の巨大化)が椅子を低くしてしまうのはなぜか。それはずばり寝たいからである。
椅子を低くし、姿勢を低くして背もたれに最大限もたれると、座っていながらにして限りなく寝ている状態に近づく。たとえオフィスで失敗が絶対に許されない仕事をしていたとしても姿勢だけは寝ているに等しくなる。これは「仕事をせず寝ていたい」という気持ちと、「そうはいっても仕事はせねばならない」という相矛盾したふたつの気持ちが壮絶な争いを繰り広げたのち、かりそめの休戦協定を結んだ形なのである。


ただしそれは義務を遂行している瞬間にのみ当てはまる話であって、義務から解き放たれたあとに起きていることを積極的に選択して椅子に座る者が、あえて椅子を低くしたりソファなどの座面の低い椅子を選ぶ意味はないはずである。ソファで映画を見ながらいつの間にか寝ているといった生活も悪くはないように思えるが、実際そうしてしまったとき、起きてからどこまで見ていたのか探りつつ映画を少しずつ逆再生したりしているうちに映画への興味が失われてしまったりして、睡眠を経て澄みわたった意識の中で、これはほんとうに自分がしたかったことなのか……と自問するのが関の山。眠いのであれば謎の折衷案など用意せずにそのまま寝ればよいし、睡眠以外の何かをしたいのに眠いというのであれば、寝てからにすればいいはずだ。

読書も同じで、本を斜めに立てかける書見台というものを買ってみたが、椅子を低くしたときに見やすくなる仕組みで、やはり「読書したくないし寝たい」という欲望と「読書をやめてしまったら単に小汚いオッサンになってしまう*1」という強迫観念の間に出現した謎の器具が書見台なのである。本当に読書をしたいのであれば両手で本を持って書籍に対峙すべきだろう。


寝るのか起きるのか。その二者択一の中のわずかでも迷いが生じると椅子が低くなってしまい、その結果として生活が乱れてしまうので、われわれは鉄の意思で椅子を高くせねばならないのである。

 
 

*1:読書しすぎると、いっそう小汚いオッサンになってしまう……という説もあります

「白身魚のフライ」という変態性満載のごちそうを見つめなおす

いまから白身魚のフライが好きという話をしたいし、エビやアジのフライにしか興味がない方はこっち(どっち?)に来てほしい。ただ白身魚のフライについての意外な情報のようなものはこれを読み進めたところでどこにも書いていないので申し訳ない……。
 

「白身魚」という名の魚はいない

「雑草という草はありません」。昭和天皇のお言葉である。ナマズの研究でおなじみの秋篠宮皇嗣殿下におかせられましては「白身魚という名の魚はありません」と仰せられたかどうかは把握していないが、秋篠宮皇嗣殿下は白身魚と名付けられた料理を召しあがったことはないに違いなく(念のため検索はしてみた)、そもそも白身魚という概念をご存じないかもしれない。ナマズは白身でおいしいのだが、白身魚のフライはスケトウダラ・ナイルパーチ・ホキ・パンガシウス(名前が怖くない順に書いたら受け入れてもらいやすいと思って……)などといろいろである。お弁当屋さんでは100円台で売られていることから推測して、少なくともフグやヒラメが使われていないことはたしかである。たとえば鮭のフライを「赤身魚のフライ」とは言わないし、アジのフライを「青魚のフライ」と言うこともない。出自を隠したいと思ったときに「白身魚」というふんわりした呼び方が使われるのである。たしかに、味のよしあしは別として、「パンガシウスフライのタルタルソース」などという料理が供されるようなことがあれば、ムムッ……もしかして帰れという意味なのか……などと考えこんでしまうことだろう。
 

正体不明の魚の身を紡錘形にするセンスがすばらしい

一様に香ばしい衣に包まれた謎の魚たちは食べ物であると同時に工業製品のようでもある(注:おいしくないとかダメだとかそういうニュアンスは特にない)が、単純に生産効率だけを考えれば、四角形や二等辺三角形にすれば輸送用のダンボールを白身魚のフライで満たすことができるはずで、実際、マクドナルドのフィレオフィッシュの白身魚のフライは正方形。ケンタッキーフライドチキンでときどき姿を現して姿を消す幻の魚ことフィッシュフライも、長方形もしくは台形で、それがかつて魚であったことを彷彿とさせる要素は何もない。
いっぽう、海の幸が得意ではない定食屋や弁当屋で扱っている「白身魚のフライ」と呼ばれるフライの多くは紡錘形である。白身魚は任意の形に加工できるし、単価が安いので運送コストは少しでも安くしたいはずだ。それなのにあえて魚を思わせる紡錘形にしてある。たとえばこれがホキだとしたら1匹あたり何個も作れるはずで、あえて謎の小魚を作っていることになる。経済的合理性をあえて捨てて、想像上の魚を作るという夢を選んだのだとわたしは考える。
 

紡錘形の白身魚フライの素晴らしいたたずまい

ここからはわたしが通り過ぎていった白身魚の紡錘形のフライの思い出の写真たちのコーナー。
 

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これは団地の中にあるそば屋の定食の一部として供された白身魚のフライ。そばがメインの店だし850円のランチなので、お店でさばいたアジのフライなどは期待していないし、むしろこれ目当てでよく頼んでいる。

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ひとり席がないから早い時間に行ってさっと食べて帰っているが、本当は毎日ここで食べたいくらいだ。
 

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こちらはお弁当屋さんでオプションになっている白身魚。1つ120円である。安いので2個お願いすることが多い。このお弁当屋さんはすごいボリュームでたとえばサイコロステーキ定食を頼んだらザ・工業製品みたいなのの焼いたんが出てくるけれど、そんなところも含めて好きな店で、いつも感謝している。
 
全国規模の店だとCoCo壱番屋でフィッシュカレーを頼むと出てくる。

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大きいのがひとつくるとイメージしていたがふたつ。ふたつ並んでいるだけで兄弟かなと思ってしまうが同じ魚の別の部位である可能性の方がはるかに高い。いままで紹介したものと比べるとボリュームがかなり小さい。その分かわいらしくもあり、手作りのような雰囲気さえ漂わせているが、工業製品のような感じにしてほしい人にとっては物足りないかもしれない。
 

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上記のお弁当屋で買ったものを食べながらふと見たら生前の姿がちらりと見えた。想像より原型をとどめていて驚いた。キミはどこの海から来たのかな……。すごい深海からお越しくださっている可能性もあって多少申し訳ない気分もある。
 

白身魚のフライは、「究極フレンドリーな魚状のごちそう」である

正体不明の一匹の魚が分割され、新しい魚の形になる。死してもなお、生前の姿とは異なる形で魚を表現しているというかさせられている白身魚のフライ……これは新しい魚の姿であり、人類にとっては新種の生き物のような存在。人類にとっては邪魔者でしかなかったうろこや骨はなく、油で揚げられて豚も裸足で逃げだす(蹄があるから靴を履いているようなものかもしれないが)カロリーを身につけている。この紡錘形の仮想生物を愛さずにはおれない……。
 
などと気持ち悪いことを考えながら、今日も白身魚のフライをありがたくいただくのだった。