ココロ社

主著は『モテる小説』『忍耐力養成ドリル』『マイナス思考法講座』です。連絡先はkokoroshaアットマークkitty.jp

近所の適当な川の始まりから終わりまでをたしかめると楽しい

旅行やお出かけができないときは、近所の散歩の範疇でエンジョイすることになる。すぐ思いつくのは公園だけれど、公園もそれなりに人がいて、social distance的にどうなのと思うこともあるし、そもそも、人が少ないことが公園のよさでもあるので、人の多い時期に行ってもあんまり楽しくない。
 
ではどこに行けばよいのか、せっかくだから、今までしてこなかった散歩をしたい、置かれた場所で咲きたい……と思って思いついたのが、近所の適当な川の最初から最後までをたしかめる散歩である。多摩ニュータウンを横断するように流れている乞田川という川を、わたしは毎日のように見ているが、この川がどこから来てどこへ行くのかを見たことがない。川の名前にいくぶん不思議な響きがあるが、この地域はかつて飢餓が多く発生し、領主に田んぼの耕作をさせてほしいと乞うたという説もあるが、モニュメントのようなものはとくにない。
もしかしたら乞田川の終わりは大きな滝のようになっていて、そこが世界の端かもしれない。乞田川の始まりと終わりをたしかめずに、よく今まで生きてこられたな……などと気持ちが高まってきてしまった。
 
以下はあくまで一例で、乞田川のことをまったく知らない人が見ても面白くないはずである。いまから紹介する風景が、自分の近所だったらどこになるだろうと思いながら参考にしていただけると大変ありがたい。
 
乞田川は、唐木田を源流として、多摩センター、永山と流れ、聖蹟桜ヶ丘近くで大栗川に合流し、その大栗川も多摩川に合流する。多摩ニュータウンに住んでいるなら、なんとか散歩でおさまる距離である。
多摩センターと永山の間は桜並木があり、地域のお花見の名所にもなっている。
 

近所の川の源流は概ね源流らしくないものである

そんな乞田川の源流は、唐木田の給水所近辺と言われているが、流れを確認できるのは、唐木田駅近くの鶴巻西公園からである。

 

鶴巻西公園内では小川が横断しており、小川の始まりのような場所もある。

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なるほど、ここが源流なのかぁ~という気分にもなってしまうが、それは気のせいで、この水はさらに上のRPGのセーブポイントのような場所からポンプで送水されている。

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この公園に大自然を求めていくとがっかりするが、多摩ニュータウンならではの公園を見たいのであれば、オススメ度は非常に高い。
 

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これが湧水風小川を生成中のポンプの勇姿。
 
話がそれたが、本当の源流は公園から外に出る殺風景な溝みたいなところから始まる。

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まあ「家から近いから」という理由で選んだ川の始まりなんてこの程度だろう。ここから多摩川に向かって歩いていこう。
 

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上流だと水量が少ないが、このように、近くの雨水を集めて少しずつ流れが太くなってくる。
 
10分ほど歩くと、暗渠になっている中沢川と合流する。
下の写真の手前が中沢川で、右がわれらの乞田川。奥に向かって流れている。

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近くに「落合」という地名があるが、この合流地点を指していたらしい。今の落合は多摩センター駅の近くで、この落ち合っている場所は鶴巻になっているが、そのへんの詳しい経緯までは調べきれなかった。
 
その合流地点から遊歩道が始まる。

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合流地点にはベンチがあり、ここに座って「合流してるなぁ~」と感慨にふけるのもよい。
 
ふと周囲の建物に目を遣ると、きぬた歯科。
マンションにダイレクトに書いてあるのは珍しいのではないだろうか。

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乞田川の鳥は、鴨と鳩とカラスくらいしかいないのだが、no鳥でもいいやと思っているので、鴨が寝ているところなどを撮れてラッキーと思った。

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夢いっぱいのくつろげるゾーンに突入

多摩センターに近づいてくると、桜並木ゾーンに入る。

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そして、より川に近いところを歩くこともでき、何箇所かで川岸に出ることもできる。
 
とくに、多摩センター駅のすぐ北あたりは、蔦が成長しすぎていて壁のようになっていておすすめ。

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このあたりでお弁当などを食べることも不可能ではないのだが、ただ、「一組だけ先客がいる」という状態が多い。何組も人がいるか、まったく無人なら気兼ねしなくていいのだが、一組いるなかで一人で参入するのは、なんとなく気まずいので、実際あまりお弁当を食べたりしたことはない。
 

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そして、この小さな川、よくわからないが一級河川なのであった。
そのわりには名前が消えているが……。
 
多摩センターと永山の中間地点では、流れが緩やかになって、葦が生えている。

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この川で一番好きなところである。
 

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川沿いの遊歩道では、近所の人たちが花を植えていて春~夏はかなり賑やか。
 

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永山に近くなってくると、整備されてきて、高低差が大きなところは魚道のようなものが作られている。
 

f:id:kokorosha:20200429073156j:plainこのあたりは見晴らしもよくて、ニュータウンという語のイメージがしっくりくるが、整備されすぎていて、もうちょっと野放しな感じにしてくれてもいいのにな、とも思う。

 

f:id:kokorosha:20200429073202j:plain子鴨たちが媼にパンの耳を与えられていた。

 

f:id:kokorosha:20200429073214j:plainしかしカラスが登場し、ほとんどすべてを器用に奪っていった。

 

f:id:kokorosha:20200429073208j:plainこの子は収穫なし子……。

 
永山の手前で桜並木はなくなるのだが、そのあとは適宜、ハナミズキなどが植えてあって(源流から歩いていても)飽きない。

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聖蹟桜ヶ丘近くの大栗川との合流地点に近くなってくると、最初見たときと比べるとかなりの川幅になっている。
源流の写真を見ながら、「あの子がこんなに大きくなって……」と感慨にひたるのもいい。

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夢にまで見た大栗川との合流地点

ここが合流地点。

f:id:kokorosha:20200429214011j:plain奥側が大栗川だが、いままで乞田川沿いを歩いてきたせいで乞田川の肩を持ちがち。

「なんか大栗川の水が濁ってるねぇ……」と思ってしまうのであった。
 
乞田川はここで終わり、大栗川になるのだが、せっかくなので多摩川に合流するところまで見届けていこうと思った。

f:id:kokorosha:20200429073244j:plainいい風景かどうかは措いて、大栗川に合流してすばらしい太さに成長していることはたしかである。

 

f:id:kokorosha:20200429073250j:plainこの謎ゾーンは大栗川と多摩川の中洲にあたる。

 

f:id:kokorosha:20200429073256j:plainテトラポッドの墓場のようである。

 

クライマックスに向けて地味な諸施設が姿を現す

さらに先を進むと、多摩川との合流地点。多摩市市立交通公園がある。

f:id:kokorosha:20200429073308j:plainここで交通ルールを学んだりできるらしい。

 

f:id:kokorosha:20200429073302j:plainプロトタイプみたいな信号がかわいらしい。

 
そして、さらに先には野鳥観察小屋がある。

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f:id:kokorosha:20200429073318j:plainじっくり観察してやろう……と思ったのだが、わたしがここに身を隠して観察していても、ほかの人類が外にいるから、意味はなさそうである。この小屋が目的通りに使われたことはないのかもしれない。

 
そして、まだここで多摩川とは合流してはいないので、奥に進む。

f:id:kokorosha:20200429073330j:plain大栗川を見て「大河だなぁ」などと思ってしまったが、多摩川のスケール感に圧倒された。

さんざん整備されてはいるものの、大自然を感じてしまったのだった。
 

f:id:kokorosha:20200429073335j:plain歩いても歩いても先が見えず、本当に合流するのかと思うし、石の大きさがまちまちでで非常に歩きにくい。

 

f:id:kokorosha:20200429073341j:plain大栗川、ここにきて、対岸が粘土むき出しの崖になっていて不気味である。

 
ここが合流地点。

f:id:kokorosha:20200429073347j:plain釣り人がいたのでここで撮影するにとどめた。

もうちょっと近くで見たかったけど……。
 
乞田川というか大栗川の終わりをたしかめて幾分落ち着きを取り戻したので、せっかくなので、大栗川と多摩川の比較をしてみた。比較といっても匂いを嗅ぐだけだが。 

f:id:kokorosha:20200429073324j:plain大栗川はその見た目とは裏腹にほぼ無臭だった。

 

f:id:kokorosha:20200429073353j:plain多摩川はビューティフルな見た目なのに、いかにも処理しました的な匂いがした。

 
それもそのはず、乞田川・大栗川が流れる八王子市、多摩市の下水は、この煙突の先の処理施設で処理され、多摩川に流される。つまり乞田川と大栗川には処理水が流れていない。いっぽう、多摩川はこの時点で処理済みの水が流れてきているので、特有の匂いがする。東京湾と同じ匂い。
 
じゃあこの匂いが嫌かというと、そうではなくて、都会の匂いとして、風情を感じる。
 
 
~~~
 
源流のような場所から約2時間で多摩川との合流地点に着いた。
これで乞田川のすべてを知ったという満足感がある。いちばん近くにある川の始まりから終わりまで見たという体験は、思いのほか日常に魂の平安をもたらしたのだった。
これをお読みになった方も、近所にちょうどいい規模の川があったらぜひ実践してみていただきたい。
 

友達がいない人の特権的エナジードリンク「くさチャイ」の製法と味と効能について

話が長くなるので最初に製法についてまとめておきます。
 
【材料】
牛乳:200cc
砂糖:大さじ4杯
紅茶:10グラム
クローブパウダー:大さじ1杯
シナモンパウダー:大さじ1杯
生姜:20グラム
にんにく:20グラム
 
【製法】
①牛乳・砂糖・紅茶・クローブパウダー・シナモンパウダーを鍋に入れて、弱火で7分温める
②①の間に、生姜とにんにくをすりおろしておく
③生姜とにんにくを鍋に入れて混ぜ、2分温める
④茶こしを通してカップに注ぐ
⑤うへっ……なんだこの飲み物は!

 

~~~ 

 
先月、「海外のセレブの間でバターコーヒーが流行している」という話題がわたしの脳に届けられた。痩せたり集中力がアップしたりするなどの効果があるそうである。集中力は本当かなと思わなくもないが、痩せたら腹の肉が視界の端でチラつくこともなくなるだろうから集中力はおのずとアップするということなのかもしれない。
 
もしかするとあなたは、「先月バターコーヒーを知ったとは、キミはどれだけout of dateなの」と英語まじりにわたしのことを嘲笑するかもしれないが、わたしがバターコーヒーの名を網膜に映したのは2年以上前なので、あなたが思うほどout of dateではないはずだ。ただ、網膜から脳まで到達するのに少々お時間をいただいてしまったことは認めざるをえない。通常の情報なら、網膜から脳に到達するのは一瞬のことだが、そのとき、バターコーヒーを愛飲しているという「海外のセレブ」という文字列に意識を占有されてしまい、バターコーヒーの情報そのものは網膜と脳の間にある踊り場のような場所に放置されていたのである。その踊り場には今もなお、ピェンローやメイソンジャーサラダなどが桐の箱に入って大切に安置されているのだが、それはともかく、「海外のセレブ」といわれて想起するのは、ミック・ジャガー、マイケル・ジャクソン、マドンナ、シルベスター・スタローン……中には他界してバターコーヒーがなくてもわりと大丈夫な状況になっている方もいるほどで、30年間ほどアップデートがかかっていない状況である。これでは、若者は言うまでもなく、中年同士の会話にも支障をきたしてしまう。たとえばミック・ジャガー先生にあらせられましては、73歳でも子を成しているので、まだまだ健康だと推察しているが、「海外のセレブ」の持ち駒がこの30年で増えていないのはたいそう心細い。あとひとりふたり、「海外のセレブ」を銘記しておきたいのだが、それがシャバからいなくなったり天に召されたりするたびに覚え直すのが面倒なので、品行方正かつ若めのセレブがよいと思い、ホーム・アローンに出ていた子役の子はどうだろうと思って「ホーム・アローン 子役 現在」で検索したが、シャバにはいるものの、名前が長くなっていて覚えるのが困難だし、苦労してそれを覚たところで、この先セレブでい続けてくれるのか不安が残った。仕方ないので、わたしの把握しているもうひとりの子役、「レオン 子役 現在」で検索し、「ナタリー・ポートマン」という、少なくともわたしが死ぬまでの間はセレブの地位にいそうな方の名前を覚えた。彼女はもはや子役ではなかったので驚いて、思わず「ナタリー・ポートマン ヌード」で画像検索をしてしまったのだが、その結果報告は措くとして、わたしは「海外のセレブ」と言われたときに、それなりに最近のセレブを想起できるようになったのだった。
このように海外のセレブについて考えていたせいでバターコーヒーそのもののことをすっかり失念していたのだが、満を持してバターコーヒーについて考えてみたいと思ったのが先月の話。せっかく覚えた海外のセレブには失礼かもしれないというか、わたしの把握している海外のセレブが実際にバターコーヒーを飲んでいるかどうかも知らないが、カフェインと油脂が入っていたら、そりゃあいい感じになるに決まってるジャンという感想を持った。
 
そもそも、わたしは長年にわたって、紅茶の不甲斐なさをどげんとせんといけんよ……とニセ宮崎弁で思い続けていた。以前、友人がイタリアに旅行に行ったとき、神父たちが紅茶を片手にトランス状態で語り合っているところを見たという話を聞いたのだが、そういうことである。どういうことかというと、紅茶は本来、優雅でおしゃれな飲み物というよりも、そのカフェインの効能から、ドラッグとしても愛飲されるべきであるということ。しかしながら、ソフトドリンクの中でのドラッグといえば、もっぱらコーヒーであり、紅茶愛好家の方々には、あなたたちやられっぱなしでいいの?と反語を飛ばしたくて飛ばしたくてうずうずしていた。そんなところに届けられたバターコーヒーのお知らせ。弊ブログをご覧になるのが初めての方でも、わたしがどれだけショックを受けた想像がつくはずである。
 
……などと前置きが長くなったが、まとめると、「紅茶をベースにしたドラッグのようなソフトドリンクの開発が急がれている」という話。以前、茶葉の量を限界まで増やしたロイヤルミルクティーを試作してみたのだが、大量のミルクと砂糖を以てしても、渋くて飲用不可だったので諦めたことがあった。少なくとも、茶葉を増やすという方向には限度があることを知った。ここでカフェイン濃度を高めていくことでバターコーヒーを凌駕しようという作戦はほぼ終了してしまった。
 
しかし、そのあと思いついたのが、もともと体があたたまるとか、スパイスでシャッキリするといわれているチャイをKAIZENする形。スパイスはそのまま入れて煮こむより、パウダーをそのまま入れた方が早いし効能があるとすれば煮出したエキスだけでなく、本体もそのまま味わった方がよい。まずこの点を従来のチャイからのKAIZENとする。
 
そして、チャイにバターを足すことも考えたのだが、すでにミルクを足しているので、味としても効能としても重なってしまい、適切でない。
うーん……と思ったが、ふと、ニンニクがあるじゃないか、と思った。ニンニクが甘い味なのはどうなのかと思うかもしれないが、「ニンニクのグラッセ」という、極めてアウトサイド寄りなデザートもなくはないので、試してみる価値はあるだろうと思ったのである。
 
以下、写真をまじえた製法を記させていただく。
 
 
【材料】
牛乳:200cc
砂糖:大さじ4杯
紅茶:10グラム フレーバーティーを使うと、より味がややこしくなるのでおすすめ。先述のとおり、茶葉を増やしすぎると、苦いというより渋くて飲めないので、10グラムが適量だと思う。
クローブパウダー:大さじ1杯
シナモンパウダー:大さじ1杯 これは五香粉に代えても中華風になって楽しい
生姜:20グラム
にんにく:20グラム
 
【製法】
①牛乳・砂糖・紅茶・クローブパウダー・シナモンパウダーを鍋に入れて、弱火で7分温める

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見た目、ややグロテスクだけれど、味もグロテスクなので期待して作っていただきたい。

 
②①の間に、生姜とにんにくをすりおろしておく
 
③生姜とにんにくを鍋に入れて混ぜ、2分温める
ここで、火を止めてから生姜とにんにくを入れてしまうと、いくらなんでも臭すぎるし、生のにんにくは体によくない(実際のところ、生のにんにくを食べすぎておなかを壊して寝こんだ経験あり)ので、友達がいなくてもここは加熱しておきたいところ。
 
④茶こしを通してカップに注ぐ
200ccの牛乳を使っても紅茶に吸われたり蒸発したりで、できあがりは100cc強といったところ。ただし濃厚なので、100cc以上飲みたいという気分にはならないので安心してほしい。
 

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エスプレッソ用のカップやショットグラスがあれば、使ってみると気分が出る。何の気分かはわたしにもわからないが……。
 
飲む前に、まず、目の覚めるような匂いがする。複雑かつ強烈。
飲んだら、口の中がにんにくで満たされる。材料を見たらわかると思うけれども、重量で換算すると、ニンニク10%にはなる清涼飲料である。清涼なわけなかろうが……。
 
味はどうかというと、おいしいことでおなじみのユンケルをさらに豊かにしたような味で、わたしは大好きである。味が濃いので一気に飲めず、ちびちびいただいた。また、インパクトが強すぎて、お茶請けなどはまったく必要ない、というか、飲んでいると喉が乾いてしまうので、むしろ自らが液状のお茶請けとなっているので、口直しにジャスミン茶とともに召しあがるのがよいかもしれない。
飲み終わった直後は、しばらく飲みたくないと思ってしまうのだが、翌日になると、また飲みたくなる不思議な味。何よりも、効能が顕著だった。飲んで2時間くらい経ったら体の疲れが消えており、倦怠感も一掃されていた。20時ごろいただいたのだが、翌日の朝の目覚めがスムーズで、いままでにない感覚である。体の各機能が底上げされているような不思議な感覚になる。そして効果は翌々日にまで持続しているように感じる。
 
ただ、大きな欠点がある。やはり大変臭い。ミルクで煮こんだが、帳消しになってもなお残る圧倒的な腐臭。わたしは友だちがほとんどいないため、どの程度匂っているのかはわからないが、自覚できる程度に臭いということは、第三者が嗅いだら、かなりの悪臭を放っている可能性が高い。翌日誰にも会わないと決まっているときのみ、飲むことを自分に許可しているし、バターコーヒーを出社前に飲むのに比べ、くさチャイは仕事(=人と会う)が終わってからしか飲めないので、仕事上の生産性アップにはまったく寄与しないのであった。
 
 

究極の神道建築はピカピカすぎて、神様がいると思えない

昨年の天皇の代替わりには大して興味はなかったのだが、平成のはじまりのころはネガティブな関心を持ち、それなりに行動していたことを思い出すと、30年という時の長さを想う。それはともかく、あるときFacebookでマイフレンズが載せていた大嘗宮の写真があまりにも不思議だったので拡大して見、それでも気持ちがおさまらなかったので、長時間並ぶことを覚悟しつつ、大嘗宮の公開の最終日に、大嘗宮の様子をたしかめに行ってきた。
 
特に気になっていたのは鳥居である。黒木造という、かなり古い様式で作られているのだが、プレイステーション3(初代でも2でも4でもなく)に出てくる木のように、低ポリゴンの立体にテクスチャーをベタっと貼ったようなビジュアルに感動し、ぜひ実物を……と思ったのである。
 
行ってきたのは公開最終日。大嘗宮は急ごしらえなわりに広大で、列をなして移動する間に、少しずつ有利な場所に移動し、全体をおさめることができた。

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遠くから見ても、曲線は見当たらず、シンプルで、「概念」という印象を受ける建築である。
お目当ての鳥居。

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スマートフォンで人が撮ったのを見ていて、カメラにもよるのかなと思ったが、フルサイズ機で撮ると、いっそうプレイステーション3である。
 
この儀式が古くから続いていることや、造形がたいへんユニークで実物を見ることができてよかったとは思うものの、ここに神がいることなどを説得するための建築がこの佇まいなのか、と驚く。
三浦半島で見た手すりに似ている。

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そして鳥居以外もなかなかプレイステーション3だった。

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vaporwaveみたいだとも言えるかもしれない。

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なお、令和の大嘗祭から茅葺きの屋根が板葺きになった建物やプレハブに変わった建物もあるなど、驚くべき仕様変更が行われていて、数十年でそんなに変わるのなら、いままでもさんざん変わってきたに違いない。
 

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仕様変更のなかった鳥居についても、より原木に近くすれば、木の精の存在感が感じられ、同時にここに神ありと信じることができたかもしれないが、あえて枝が存在しなかったかのように精巧な加工が施されていて、むしろ伝統を感じさせなくしているようにも見えてしまう。
 
伊勢神宮の式年遷宮の様子を見に行ったときも似たような気分になった。

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柱がピカピカで、歴史が感じられない。もちろんこの鳥居そのものは建てられたばかりなので、歴史も何もない。神が大昔からずっとここにいて、20年ごとに住まいが変わるだけだということは承知しているが、新しいところに神がいると信じるのが難しい。
 

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「朽ち果てている場所には神はいない」という考えでそうしているのだろうし、この圧倒的な数の参拝者たちのほとんども、このピカピカの建物の中に神がいると信じ、畏怖したり、何がしかのご利益を期待したりしているのだろうけれど、わたしはただ建物を見に来ただけの異邦人であり、同じ場所にいながらすばらしい断絶が感じられたのだった。
 
なお、新旧で共存しているタイミングを狙って見に行ったので、古い―といっても20年だが―経っている方には神がいるかもしれないという気がしなくもない。

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あるいは、特に有名ではない末社のペンキで塗った鳥居でも、数十年経ってみると風格のようなものが感じられ、神がいそうな気もする。

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自然物の姿を想像させたり時の流れを感じさせたりするものには説得力を感じるが、わたしにとっては、ピカピカした木たちに伝統を感じたり神がいると信じることが難しい。大嘗宮は古代の黒木造で、伊勢神宮に至っては「唯一神明造」という少年ジャンプに出てきそうなくらい絶対的な建物のはずだけれど、組体操大好きペアレンツの感性と同じくらいの隔たりを感じる。組体操大好きペアレンツは同時に、ピカピカした木に神を見出すことができているのかもしれない。
 
わたしは、神道の国、日本に住むものとして必要なトレーニングが足りないのかもしれないと思うが、この違和感も含めて楽しいと思っている。
 
 
 

真冬こそ東京湾……春になる前に行く「ふなばし三番瀬海浜公園」の圧倒的魅力

冬のお出かけといえば、手堅く、博物館や温室のある植物園などに行く……わたしもそう思っていたのだが、晴れた日に行くシーズンオフの東京湾が素晴らしいことを発見し、すっかり魅了されたのでここに報告させていただきたい。
 
ある日、適当に東京湾の地図を見ていたら、地図上で見てもそんなによさそうには見えない地点に絶賛コメントがついていた。
海を満喫できるらしい。その場所は「ふなばし三番瀬海浜公園」である。写真を見る限り、潮干狩りの時期に行くと大変そうなので、冬がよさそうだ……つまり今。
東京ディズニーランドがある舞浜駅から3駅の二俣新町が最寄り駅である。車で行って近くの道路に違法駐車するのが流行のようだが、駅から徒歩だと30分。工業地帯をひたすら直進する感じが楽しいので、個人的にはあっという間だったが、二俣新町駅や船橋駅からバスも出ているようである。
 
駅を降りて東に歩き、信号をひとつ越えたらあとは南下するだけ。信号を越えないまま南下することも可能だが、風景が退屈なので越えておくことをおすすめする。

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落書きがお行儀よくて、進学校の不良ってこんな感じだったよなと思った。
進学校の不良はけっこうモテるので進学校在学中はイライラしていたが、最近は落ち着いている。
 
しかし、ゴミについてはちょっとひどい。

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最初は環境破壊を憂いたりもした。
……が、だんだんゴミを見るのが楽しくなってきくる。
昔のテレビなどがあると、ブブブブラウン管!!!と興奮してしまうのだった。

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テレビに名前が書いてあって、所有権を主張したいほど、かつては魅力的だったのだなぁと感慨にふけってしまう。
 
道路沿いの工場の多くは神戸製鋼関連で、グループの巨大さを感じることができる。
 

f:id:kokorosha:20200207191348j:plainまっすぐすぎて、来た道を振り返ると消失点みたいになっていて笑ってしまう。

 
このルート中で唯一拝めるザ・工場みたいなのは、「日本メラサイト工業」という、コンクリート用の骨材の会社。

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緑と高度に共存していて、これだけでも来てよかったという気分になる。
 
新港大橋は名前のとおりスケールの大きな橋であり、渡るだけで満足感がある。

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このへんで深呼吸すると、いかにも処理された水ですという匂いがする。

 

公園の隣はごみ焼却場で、ただいまアネックスみたいなのが建設中。

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手前がアネックスなのだが、最近は焼却施設にデザイン性みたいなのは不要と思っているのかしら……ぼくは要と思うけど……。
 
公園に到着して、ずんずん海に向かって歩くと、突然視界が開けてくる。

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想像以上のスケール感のある干潟が現れて感動……。
潮干狩りのシーズンに行くと、人が多くて窮屈に感じるはずだが、冬の、さらに午前中だと人がほとんどいない。
 

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あちこちに穴が開いていてアサリなどがいると思われる。
余命おそらく3ヶ月だが、春が来るまで胸いっぱいにプランクトンを吸引するがよい……。
というか、「東京湾」として想像していたよりずっと透明度が高くて戸惑った。
 

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波の跡がなんとも艶めかしい。潮干狩りシーズンだと、ちびっ子たちの足跡がびっしりつくから、きっと今だけの風景である。
 
打ち上げられたクラゲが多数。

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東京湾のもっとも奥の地域になるが、見晴らしは大変よい。

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「見晴らしがよい」の定義が「遠くに煙突やコンビナートが見えること」でごめんな……。湾内なので、おそらく見えて横須賀くらいまでかなと思うけれども、じゅうぶんなスケール感だと思う。


3階建ての展望スペースみたいなところからだと、富士山がよく見える。

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手前にあるのは葛西臨海公園の観覧車。
 
豪華客船みたいなのはないが、豪華積み荷船みたいなのは用意しております。

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部分的に沖縄のようになっているところもあり。

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なお、この上の廃品たちを遠くから見ると、「早く逃げて~」と言いたくなってしまう。

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冬、ここに来る意義は、上記のように、人が少ないこと、雲が少なくていい写真が撮れること……なのだが、もうひとつ重要な意義がある。越冬のために地味な鳥が大集合しているのである。

f:id:kokorosha:20200206202638j:plainオオバンたち。

波打ち際に集合してモリモリ何かを食べていたのだが、まったく何かわからず……。
 

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個人的には「ザ・工業地帯みたいなところでたくましく生きる鳥たち」的な構図が大好きである。

 
 公園の東の端には防波堤があり、絶好の鳥写真スポットになっている。
とくに沖の方には鳥たちがお行儀よく種類別に分かれて留まっていた。

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種類別に分かれる意味があんまりよくわかっていないのだけれど、お互い気に入らない鳥についての愚痴などを言ってスッキリしたりしているのだろうか……。
  
冬の鳥たちは概ねモコモコしていて愛くるしい。
ここにいる中でもっとも可愛らしいのはシロチドリ。(id:achakeymさん、ご指摘ありがとうございます!)

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シギ的なのは単体で見ても愛らしいのだが、集合していると最高である。

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風が吹いているとくちばしを隠すのだが、そこで純度100%のかわいい物体と化すのであった……。

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なお、すべての鳥が可愛らしいとは限らない。
ミヤコドリだけは、くちばしがあざといぐらいに大きくて赤いのでかわいらしさ控えめ。わりかし遠くから越冬のために来てくださっているようなのだが、すなおにwelcomeと言えない。

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くちばしを隠していると多少緩和された感じがあるが、黒っぽくて同じポーズをとっているとファシズムっぽさが醸成されもする。

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シギ的な存在がクラゲを食べていた。

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「食べ放題なのはいいが無だな……」と思ったのか、すぐ立ち去ってしまった。
中華料理のクラゲはおいしいと思うんだけれど、味付けをしていなかったら人類も同じ反応になるのかもしれない。
 

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公園内では、テイクアウトできる軽食の店がある。ケバブ・カレーの店があるのだが、対費用効果を考える集団のようで、冬季はクローズ中。軽食の店は土日祝は開いている。
 
どないしよかなと思って歩いていると、通行人にアピールしているのか、していないのかわからない店を発見。「レザミ」というお店である。

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この屋根、もしかして上空から見てもらうことを想定しているのかしら……だとしたら、すばらしい志である。
 

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「軽食の店で軽く食べない」という特殊な性癖を持っています。
ちなみにナポリタンはレンジでチンする感じではなく、ジュージュー焼いていた。ピザもナポリを想ったりすることはないが、幼き日に食べた味がして、満足度が高い。
ドリンクバーを頼んで、いろんなジュースを吸引した。
 
 
 
わたしはこの公園で3時間ほど過ごした。わかりやすく表現すると中年男性のためのディズニーランドである。
丸一日いられるところではないが、東京駅までは徒歩30分&電車30分なので、昼すぎまでいて、午後は都内で買い物などでもいいかもしれない。日差しを遮るものがないので、冬でも暖かさが感じられた。来年も行くと思う。
 
 
 
 

電子音楽を中心に、2019年に聴いた音楽、ベスト10曲

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いまわたしの家のターンテーブルの上は荷物置きになっていて、だいたいスマートフォン&ヘッドフォンで音楽を聴いていた。
サブスクリプションサービスが音楽コンテンツ売上げの半数を超え、CDがなくなるどころかダウンロード販売も風前の灯……という状態だが、わたしはといえば、相変わらず物理メディアやダウンロードでコンテンツを調達した一年だった。ある程度マイナーなリスナーにとっては、新しいビジネスモデルの恩恵を受けることもあまりないのかもしれない。
 
去年は、Beatportで"Leftfield House&Techno"というジャンルの新譜を片っ端から聴いて、気に入ったものを買ってきたのだが、特に解説が書いてあるわけでなし、ただ音と向きあって自分にとってのよしあしを判断するしかなかった。それだと、第一印象がよいものしか聴かなくなってしまって、必ずしもよいとはいえないので、今年は音楽を耳にするルートを意識的に変更していく必要があると感じている。
 
ただ、そのなかで選んだ10曲は、個人的には絶対おすすめで、なるべく聴けるようにしてみたので聴いてみていただければありがたい。
 
 

◆Vaporwaveを豪快に履き違えたのかもしれない時代遅れの珍作

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I Need U / 2IAC (Childsplay)

まずジャケットにあきれた。このレーベル、どれもフリー素材をそのまま重ねているだけで、よく見たらフリーではない素材も使っていたりして大丈夫かと思う。もしかしたらVaporwaveみたいにしたいが根本的にわかっていないのかなと思ったりもしたのだが、音楽の方は、90年代っぽいハードなテクノのうえに、80年代半ばに一世を風靡するしたStacey Qの"Two Of Hearts"のイントロがサンプリングされている。

 「こんなものを喜んで聴くなんてどうなの」と言われたら何も言い返せないが、2019年にもなってこのような音楽を新譜として聴けることは個人的には大変ありがたい。
 
 

ニューウェーブ臭のするズーク再発盤

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Kwen Pe Ké Pé / Feeling Kréyol  (Strut)
ジャケットを見ただけで名盤とわかるが、オリジナル盤のリリース年は不明で、2018年の暮れにアルバムがStrutから再発。フランス領クアドループの3人組のズークユニットで、同じ地域で有名なのはKassav'で、アルバムのほかの収録曲はそんな感じだけれど、この曲限定で不思議なニューウェイブ臭がする。


Orange Juiceが骨太になった感じで他では絶対聞けない。

 

◆遠くで絶叫しているがダンスミュージック好きには優しいゴシックパンク

Blood Solstice / Gorsedd FM (Clan Destine Records)
カセットとデジタル配信のみのアルバム"NOS WYL"に収録。
ノリノリのドラムと薄暗いギターで始まったと思ったら後半のコーラスで絶叫していて笑ってしまった。こういう音楽はほかにもあるのかもしれないが、ふだんこういうゴシックパンクみたいなのは聞かないのだが、ちょうどこのアルバムはクラブ寄り(?)なので、アンテナに引っかかってきて、出会いに感謝している。
ロックンロールに悪意やら暴力を期待してしまうのは自分が中年になったからで、実際のところ、最近の若者は昔の若者よりもはるかにお行儀がよい、ということは認識しているつもりである。
 

ドトールで今さら出会った、AORのマスターピース

Answering Machine /  Rupert Holmes (MCA)

ドトールですばらしい曲がかかっていると思って検索してみたら1979年リリースのビルボードヒット曲だった。アルバム"Partners In Crime"に収録。あまり聴いたことのないジャンルでの定番に出会うと突然すばらしい品質の音楽を耳にすることになるので強いカルチャーショックを受ける。

この曲、聴けば聴くほどすばらしい。電話をかける音を楽器のように聞かせるし、歌詞のほとんどが留守番電話の定形メッセージ。これがラジオで流れまくっていたと思うとゆかいな気分になる。
 

◆タイトルに尻ごみしてはいけない90's風味の傑作

Windows 85 / Andhim (Superfriends Records)


このユニット、ふだんは今様のテックハウスを作っていて、個人的にはアンテナに引っかからなかったが、ナメたタイトルとジャケットに興味を持って聞いてみたら90年代の、ロックバンドがハウス的なアプローチを始めたころのハウス……といった趣ですごくいい。細部がぬかりなく最初から最後まで最高に楽しい。リミックス盤も出たみたいなのでそこそこ売れたのかなと思うのだけれど、また同じ路線で出してもらえないかと思っている。

 
 

小林麻美先生の最高にセンシャルなアーバンポップ

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飯倉グラフィティー / 小林麻美
聴けるコーナーがなかったので文字だけで判断していただければ幸甚。
日本の歌謡ディスコを思い出したら検索みたいな感じで消極的に漁っているのだが、ふと「そういえば小林麻美先生って『雨音はショパンの調べ』しか知らないが、アルバムに収録されたオリジナル曲はどうなんだろう」と思い、ベスト盤のリストを見ると『板倉グラフィティー』を発見、群馬県の板倉、ぼくも大好き……と思ったら板倉ではなく飯倉で、東京都港区に飯倉という地名があること自体初めて知った。地図を見ると、飯倉にある建物の多くは「東麻布」と名乗っていて、それは東京ディズニーランドが千葉にあるのと同じ現象と思うが、当時は歌のタイトルになる程度にはハイソサエティだったようで、『雨音はショパンの調べ』より、生々しくてセンシャルでよほど名曲だと思う。なお、この曲を含むアルバム『Grey』はすべて作詞はすべて松任谷由実先生が手掛けていて、当時どれだけ期待されていたかが窺い知れる。
 
 

◆ジャケットに尻ごみしてはいけない90's風味の傑作

 Wonky Wonky Wonky / Passarani (Numbers)

2017年のリリースを今さら発見した。指紋に顔を描いていてひどいジャケットだが傑作。年代で表すならこれも90年代なのだが、当時もこういうブラックミュージックにまったく由来しないハウスみたいなものはなかなか出会えず、残念に思っているうちに2000年をとうに過ぎてしまった。
この路線、円熟する前に文化が廃れてしまったが、今後もっと追求していただきたいと思うのだが、どうやら単発でのリリースで、ユニットとしてこの路線を追求するつもりはなさそうで残念。
 
 

◆圧倒的な世界観で今後すべてのリリース必聴

Creation Discoteque / Thunder Tillman (ESP Institute)
構成力抜群の無国籍民族音楽。10分超の長さだけれどあっという間に聞き終わってしまう。
このユニットのことは昨年初めて知ったのだけれど、過去のリリースも抜群によかった。今年出会えたユニットで新しいのはこれくらいだった。
この曲のプロモーションビデオはないが、別の曲で、卓越した音楽性がわかるビデオがあるのでぜひご覧くださいませ。
 
 

◆Red Axes ✕ ベトナム = 最高


Ho Chi Min / Red Axes (!K7)

Red Axes世界の旅シリーズの第2弾のベトナム編。第1弾はアフリカ編で、そちらは手堅すぎてあまり印象に残っておらず、第2弾はアジアのどこかにしておくれ……と思っていたら、期待を遥かに上回っていたので驚いた。ビデオもたいへん楽しい。
ポップミュージックもグローバル化が進展して、どこまでがオリエンタリズムでどこからがポリティカリーコレクトなのかがよくわからないのだが、これはアジアの音楽を本気でダブ化していて最高に気持ちがいい。少なくとも音楽の領域においては欧米はマイノリティの文化を取り入れない限り延命はできないのだから、文化の盗用云々のレベルはとっくに通り過ぎていると思う。
 
 

◆今聞いても圧倒的な情報量に驚くハウス草創期の傑作

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I Am The Dee Jay / Z-Factor feat. Jesse Saunders (P-Vine)
この曲も聴けるコーナーがなかったのでジャケットの写真のみで……。
初めてのハウスミュージックとして知られるJesse Saundersのユニットで、彼の初のアルバム=はじめてのハウスのアルバムの"DANCE PARTY ALBUM"に収録。LP盤としては再発されていたのだけれど、今になって初のCD化、しかも日本リリースで、ハウスの草創期をなるべく高音質で体験したいという矛盾した欲望が芽生えて購入した。
聴いて改めて感じるのは、ハウスミュージックは初期段階でほとんど完成していたということで、特に"I Am The Dee Jay"は、アシッドハウスのようなレゾナンスの効いたベースや、ヒップハウスのような適当なラップが絡み、サビはガラージュのようで、すべての要素が提示されていたという事実を確認することができた。
それぞれの要素はハウスの派生概念として成長していくのだが、すべての要素が詰まったこの曲のコンセプトの強さは抜群で、歴史的資料というだけでなく、頭に残ってしまって、「今ごろ何を聞いてるの」と思いつつ、何度も何度も聴いてしまった。
 
 
 
 
去年は、ジャンルやミュージシャンなどで掘り下げていけるようなタグをうまく見つけられなかったのだが、見つからないのかそもそも存在しないのかはわからないが、努力していい音楽を探していこうと思う。
 
 
 

S・M・Lが紛らわしすぎて疲れ果ててしまった

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タイトル以上の内容を何一つ書かないことを最初に誓っておくけれども、S・M・Lで限界に達した記念として記す。

S・M・Lによる神経衰弱。たかがS・M・Lの話ではないかとふつうの人は思うだろうし、わたしもそう思っていた。S・M・Lを使うのは週に1回か2回なのだから、少々のことには目を瞑っていればいいじゃないかと思って過ごしてきたけれど、もう泣き寝入りはしない。もし泣き寝入りするにしても、就寝前にストレッチをキメて安眠を図りたい。
 
初めてS・M・Lのうちひとつを自らの主体的な意志によって選択し、それを発音したのはおそらく小学5年生のころである。このS・M・Lの体験は、平成生まれの若者の感覚からすると少々遅いのかもしれないが、昭和生まれのS・M・Lの開始年齢としては、むしろ早い方であると確信している。わたしは「ススんでる」小学生だったのである!
昭和生まれの者は、初潮や精通の前ではなく後にS・M・Lの経験がくることが普通である。なぜならアルファベットを習うのは中学校に入ってからだし、S・M・Lという概念を持つ店に小学生だけで入る機会も少なかったからで、中学校にあがる前は、自分が食べる量を把握している保護者が、S・M・Lを本人の代わりに判断してオーダーしていたのだった。
 
はじめてわたしがS・M・Lを選択し発音したのは、1983年の5月ごろと思われる。その、暗黒とはいわないまでも薄暗い歴史が始まったのは大阪・寺田町にある、アメリカ合「州」国からきたハンバーガーチェーンの店からで、そのとき塾で仲よしだったシマダくんと行った。おそらくそのときのわたしは、「いい大学に行ったら毎日こういうお店に行けるのだろうな」と漠然と夢想しながら勉強していたに違いないのだが、実際のところ、いわゆる「いい大学」に行くような成績およびライフスタイルの持ち主は、むしろ「こういうお店」を好まないことはご存知の通りである。シマダくんはそのあと中学受験に失敗したと風の噂で聞いたのだが、おそらく同じ風の噂でわたしもまた中学受験に失敗したことをシマダくんは知ったはずで、わたしがそのあとその失敗を糧としたりしなかったりして何とか暮らしているのと同じく、シマダくんもその底抜けに明るい性格でゆかいな日々を過ごしているに違いない。
わたしはこのハンバーガーショップ以外で食べ物の大きさを選ぶことをすでに経験していたのだが、それはタコ焼き屋で、「8個」「12個」「16個」などと具体的な個数を指定するにとどまり、「S」「M」「L」というアルファベットを介した抽象概念とは大きな隔たりがあったので、私的には、人類が火の利用を覚えたときと同じくらいのインパクトだったことだろう。わたしは小さなことにもくよくよする性格なので、S・M・Lについて、もし小学5年生で、「エル」と発音したのに小さな飲み物がきてしまうなどの挫折をしていたなら、一生その店に行けないと誓ったはずだが、わたしが今この文章をそのハンバーガーチェーンの店で書いているところから推測されるのは、若いころのわたしは、幸運なことに、S・M・Lについてトラウマになるような悲劇に遭遇することはなかったということである。ただしそれは、自然にそうなったのではなくて、わたしや店員の継続的な努力の賜物に他ならない。つまりわたしはS・M・Lを選択するにあたって、口を大きく開けて、「エス」「エム」「エル」の、それぞれ「ス」「ム」「ル」を可能な限り明瞭に発音するよう努め、そのいっぽうで店員は「エ」のあとに来る音が何なのかを全身を耳にして聞き取ってきたからなのだ。
 
そのように、都度、首尾よくS・M・Lを選択しえたのであるが、ファーストフード店や衣料品店などで毎週のようにS・M・Lを選択していくうち、わたしの精神は少しずつ摩耗していった。また、「ユーザーインターフェイス」という概念の浸透により、文字で命令を入力するほかなかったパーソナルコンピューターが、フォルダやファイルを視覚的な比喩で表現するようになり、わかりやすくなってきているのに、相も変わらずS・M・LはS・M・Lであって、これらの3つの音的に似通った記号を聞き分けられるよう明瞭に発音する刑にいまも処せられており、今年で懲役36年目を迎えるのだが、ほとほと疲れた。なぜ、リラックスする時間を提供するはずの喫茶店で、店に入るなり、明瞭な発音をするよう、声の調子を整えたりせねばならないのだろう。
 
―そろそろ刑期を終えたいという気持ちになり、先日、ストレスなく、S・M・Lについて店員と意思疎通する試みをしてみた。わたしは「M」をこよなく愛する中年男性である。LのダイナミズムとSのストイシズムを併せ持つ存在……それが「M」である。関西人の感覚に置きかえてみると、Mは、SとLのミックスである。そんな魅力的なMであるが、わたしはそれを「エム」と呼ぶのをやめてみたのだ。
 
(1)「ミディアム」と発音→意味が通じなくて聞き返され、「エム」と言い直しの刑
S・M・Lと略するのではなく、それぞれ正しく発音すればいいのだろうと思い、「ミディアム」と言ってみたのだが、微妙な間ができてしまい、「エム」と言い直した。考えてみれば、店員は「エのあとにくる音がスかムかルか」に神経を集中させているところに、四次元から「ミディアム」という音波が耳に飛びこんできたら、おそらく立っているのがやっとのはずである。また、「S=スモール」、「L=ラージ」に比べれば、「M」は難しい。「M=ミディアム」は、FBIが何の略なのかと同じくらい難しいのかもしれない。
 
(2)「中くらいのサイズ」と発音→意味が通じなくて聞き返され、「エム」と言い直しの刑
わたしはいくつかのコーヒーショップで、「L」について、店員が「いちばん大きいサイズ」と表現しているのを何度も耳にしたことがある。店も店で考えた結果、「L」のもっともわかりやすい表現として使うようになったのだろう。「S」についても「いちばん小さいサイズ」と表現するのを聞いたことがある。そこから考えると、「M」は、「中くらいのサイズ」なのだが、これも通じなかった。台湾などの外国でも日本語が通じることはあるのに、日本で日本語が通じないというのはショックだったのだけれども、思い返してみると、「中くらいのサイズ」の「くらい」が曖昧でよくなかったのかもしれないと反省した。しかし、単に「チュウ」と発音してしまうと、とそれはそれで聞き返されるような気もするし、「並」などと言ったらなおさらだろう。
 
(3)メニューを指で押さえる→どこを指しているかわからなくて、「エム」と言い直しの刑
「エム」と発音しながら、「M」と書いてあるところを指してみたこともあったが、S・M・Lの間はそれぞれ数ミリの間隔なので指で示しても何の情報にもなりはせず、「エム」の発音に完全に依存する結果となった。
 
結果の出ない試行錯誤は少しずつ人の心を蝕んでいく。週に1回や2回のことであっても、小さなストレスが澱のように心にたまってきて、もうそろそろ限界である。考えてみるとおかしな話で、サイズを指定するための言葉のうち、50%(念のため書き添えておくけれども「エ」のことを言っている)は無駄な言葉なのである。昨今、生産性云々がよく話題にあがるが、これこそ生産性低下の本丸と言えるのではなかろうか。作られた食品は三割が廃棄されるという話を聞いたことがあるが、それと比較にならないほどの無駄であり、早々に「大」「中」「小」へと改善していただき、英語圏にも普及させるくらいの勢いでお願いしたいところである。
 
 
 

岩宿遺跡は、考古学に関係ない中年でも勇気づけられる名所だった

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最高に地味なタイトル画像なのに、弊ブログを見に来てくださってありがとう……。
 
 
日本の遺跡といえば、まず最初に挙がるのは岩宿遺跡。しかし、そこを訪れる人は少ないし、わたしも行ったことがなかった。わたしが岩宿遺跡の存在を知ったのは小学校の社会で、「日本のあけぼの」的な章で初めて日本人の文明の記述として出てくる史実としてだった。東京に暮らして25年経つが、「群馬県岩宿遺跡」と記憶してはいるものの、群馬県のどこにあるのか、そもそも、群馬県はどこからどこまでなのかもはっきり認識しないまま過ごしてきた。
少し昔の話になるが、「そろそろ岩宿遺跡を確かめないといかん」と意を決し有休をとったときの話をしたい。最寄り駅は岩宿駅でたいへんわかりやすく、その名前なら駅から遺跡まで近そうだなと思ったのが、問題なのは都内から岩宿までの道のり。同じ関東だから片道2時間程度なのかなと思っていたが3時間近くかかった。
 
岩宿駅はこじんまりとした駅だが、 大間々駅の名前で1889年開業。

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この電気関係の建物も注記はないけれど、とても可愛らしく、東京にあったらライトアップされていたに違いない。
 
 
岩宿駅の前にはみやげもの屋があり、石器を象った黒くて硬いおせんべいなどが駅前の土産物屋で売っていて……と想像していたのだが、そんなことはなく、いまは電車よりも自家用車を前提としてインフラが構築されている模様。

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駅から徒歩20分ほどで岩宿遺跡に到着。
 

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遺跡は「A地点」と「B地点」などというかっこいい名称で呼ばれており、ぼんやりと散歩をしているだけでも本格的な学術調査をしているような錯覚が得られて気持ちいい。最初に相沢忠洋先生が旧石器時代のものと思われる黒曜石を発見したのがB地点。彼からの知らせを受けて本格的な学術調査が行われ、A地点で粗めて石器が確認された。A地点は稲荷山という小さな山のふもとにある。稲荷山には岩宿稲荷神社がある。由来などは書いていないが、遺跡発見の1946年よりも前からあるように見える。

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もう何も出ないとは思いつつも、ついうつむき加減で捜索しながら歩いてしまう。
 
そして歴史的発見の舞台であるB地点には、岩宿ドームがあり、中には地層が展示してある。

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ローム層=火山灰=灰色のイメージだったのだけど、赤い色が関東ローム層=旧石器時代の地層である。ライトのせいもあり、どの地層も関東ローム層に見えてしまった。絶対考古学者に向いていないと思った。
 
遺跡の発見者である相沢忠洋先生は、発見当時は桐生市に住んでおり、行商の傍ら、赤城山山麓に焦点をしぼり、仕事の傍らで発掘活動に勤しんでいた。のちに岩宿遺跡と呼ばれるこの場所では、当時は崖の断面に土が露出していたのだが、何度か通っていくなかで徐々に謎を解いていったのだった。さきほどのように、表面を見ていても何も見つからないのは当然で、注意を払うべきは断面が露出しているところだったのだ。

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最近になって、石器を発見した瞬間の相沢忠洋先生の像が建立された。このシーンは、彼が以前からここの赤土の層(関東ローム層)から、いくつも細かい石器のような、そうでもないようなアイテムたちを、土器を伴わない形で発見していて、これってもしかして縄文時代よりも前に人が住んでいたことの証拠かも……と、うすうす気づきはじめた中、どうみても人工のものと思われる黒曜石が、崖の断面の赤土の部分から出てきて、推測が確信へと変わった瞬間と思われる。まさに彼はこのとき、この像のように固まってしまったのだろうと想像する。とても素敵な像である。また土の色になっているところも可愛らしい。実際に学術調査が実施され、日本に旧石器時代があると証明されたのはこの発見の3年後であった。

 

このあたりの経緯は自伝『岩宿の発見』に詳しいが、遺跡と関係ない彼の身の上話が大変面白く、半ば遺跡のことはどうでもよくなってしまうほどである。

わたしは遺跡に行ってから読んだのだが、読んでから行ったら何倍も楽しかっただろう。次に行ったときは、『岩宿の発見』という物語に出てくる聖地を巡礼するような気持ちになれると思う。

日本の考古学史上、最大級の発見は、学者ではない行商人が成し遂げた。特に画期的な発見をしたわけでもないが趣味の世界を持つサラリーマンにとっては勇気づけられる話である。

「岩宿」の発見 幻の旧石器を求めて (講談社文庫)

「岩宿」の発見 幻の旧石器を求めて (講談社文庫)

 

 

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近くには「岩宿人の広場」があり、旧石器時代の住居のようすがわかるようなそうでもないような感じである。発見されている中で日本最古といわれる、はさみ山遺跡の住居跡を復元したものがあるが、屋根の材質が違いすぎて、旧石器時代の人の息吹を感じることは困難である。なお、はさみ山遺跡の一部は当時近鉄バファローズに在籍していた梨田昌孝先生の住居兼ビルの建設予定地だった。
竪穴式住居というと、茅葺きの屋根のイメージが強いが、最近では土で覆っているものもあったと推測されている。恐竜に毛が生えていたという話に似ている。
 
 
また、さらに関係が薄まってくるのだが、マンモスの骨の模型で作られた家もある。

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似たものが東京国立博物館にもあるが、こちらは野ざらしになっていて迫力がある。当然ながらこのままだとスースーするので動物の毛皮で覆っていたようだが、骨で家を作るなんてヤンキー的な世界観だなと思わなくもない。丈夫で石より軽い物質といえば骨しかないので、消去法で選ばれたのだろう。あるいは初期の人類はみなヤンキーなのかのもしれない。
 
近くに「岩宿博物館」というモダンな建物がある。

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中では、遺物を並べて、岩宿遺跡の住人の暮らしを推定しているのだが、そもそも遺跡で出土するものが限られているので、興味を惹く展示が難しい。わたしの場合、芸術的価値が見いだせるものでもっとも古いものは土偶で、縄文時代。やはり土を捏ねて作るくらいの創作性がないと芸術性を感じることが難しい。もしかすると旧石器時代の人々の中には石器を必要以上に尖らせる者がいたり、切れ味を犠牲にしても、造形上の好みで、あえて丸い形に仕上げたりる者がいたりしたかもしれない。前者の末裔は、現代において先の尖った靴を好んで履いているに違いないが、残念ながら現代人には打製石器はどれも同じものに見えてしまう。
 
なお、打製石器は思いのほか使いやすかったことをここに記しておきたい。

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細かいコントロールが現代のカッターナイフと同程度に効くのは意外だった。
 
ここにも住居の模型があるのだが、さきほど見た、はさみ山遺跡の住居よりもリッチである。

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狩猟・採集で生活の糧を得ていた旧石器時代の人々は移動を前提とした家を作らざるを得ず、骨組みと毛皮だけの家なら移動が簡単なはずなので、毛皮を屋根代わりに使ったという説には説得力がある。毛皮の服が暖かいのだから、毛皮の家もさぞかし暖かいに違いない。
 
鹿が30頭必要だったとして、それを狩るにはどれくらいかかるのかわからないが、数ヶ月がんばれば達成できただろうと思う、現代において数ヶ月がんばって家が経つということはあり得ず、何十年もローンを組むのが普通である。当時の住にかけるコストはかなり低かったに違いない。
 
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岩宿遺跡の調査によって、日本に旧石器時代があった事実が確認されたのだが、以後、日本のあちこちで見つかることとなる。1951年には、板橋区で黒曜石の石器がローム層中に発見された。同じく切通しの断面から見つかり、茂呂遺跡と呼ばれている。発見者は当時中学生だった瀧澤浩先生で、もし岩宿に切り通しの崖の断面がなかったら、中学生が旧石器時代の存在を発見したとの記述が山川の日本史の教科書などに載っていたかもしれない。それもまた夢のある話だけれど、都内の中学生よりも、仕事の傍ら趣味で研究をしていた苦労人が関東平野の端で旧石器時代の遺跡を初めて発見した世界の方がわたしは好きだ。
一見すると単なる切通しにしか見えないこの場所だが、ただの中年であるわたしにとって、岩宿は最高にロマンチックな聖地であった。