ココロ社

主著は『モテる小説』『忍耐力養成ドリル』『マイナス思考法講座』です。連絡先はkokoroshaアットマークkitty.jp

東京から30分の都会の禁足地「八幡の藪知らず」 その異様な風景

この世には、絶対に立ち入ってはならない場所がある。
有名なところだと久高島のフボー御嶽。

f:id:kokorosha:20171128203142j:plain

むかし行ったことがあるけれど、最高の聖域とされており、このように絶対的に禁止されていた。看板が新しいことは、いまもなお、強く禁止していることを雄弁に物語っている。誰かが見張っていたりするわけではないし、わたしが神を信じることがあったとしても、少なくともここにいるとされる神ではないと思うのだけれど、住人の「入ってほしくない」という気持ちをないがしろにはできないので入らなかった。強烈に禁止されると、それだけで興奮してしまう。
 
 
現代において、米軍基地や原子力発電所など、国家の安全のために立ち入りが禁止されている区域はともかく、宗教的な理由や言い伝えなどによって立ち入ってはならない地域はほとんどない……はずなのだが、東京から30分、都営新宿線の終着駅の本八幡、JR総武本線の本八幡、あるいは京成八幡のすぐ近くに「八幡の藪知らず」という場所があるという情報をいまさらながらキャッチしたので行ってきた。
東京あるいは千葉育ちなら、超常現象に興味を持ちはじめる小学校高学年あたりにこの名を耳にするのだろうと思うのだけれど、大人になってから上京したので、ここ以外にも、東京の皆があたりまえに知っている興味深い場所の存在を知らないことがあるのかもしれない。実はお台場にヌーディストビーチがあったり……など。ないと思うけれど。
 
 
本八幡は、京王線の沿線住人がゆっくり千葉に行きたいと思ったときには都営新宿線~京成線の乗り換えで使う駅なので、何度か降りたことはあった。しかも、駅名になっているのだからさぞかし大きな神社なのだろうと思って、葛飾八幡宮に行ったこともあった。そのすぐ近くなのにまったく気づかなくて恥ずかしい。
 
 
なお、葛飾八幡宮は晩秋のころ行くと銀杏がいい感じなのでセットでおすすめ。おまけのように言及してしまったけれど、樹齢1200年ともいわれ、国の天然記念物である。

f:id:kokorosha:20171128203125j:plain

f:id:kokorosha:20171128203140j:plain

f:id:kokorosha:20171128203141j:plain

f:id:kokorosha:20171128203126j:plain

銀杏の木の向こうにタワーマンションが見える。
こんな都会の中に禁足地があるとはつくづく驚きである。都会の中でどうやって聖域は保たれているのだろう、あるいは破綻しているとしたら、どのような姿なのだろうか。
 

f:id:kokorosha:20171128203117j:plain

葛飾八幡宮の参道は京成本線によって分断されているが、地図を見ると、随神門を避けるようにして線路が敷かれている。分断するなりに配慮はしていたのかもしれない。線路を超えて、一の鳥居をすぎると、すぐそばに「八幡の藪知らず」がある。
 
 
地図を見たとき、どうやって全景をおさめようかと思っていたのだが、上から撮ってくださいと言わんばかりの不自然な歩道橋があり、感謝しながら撮影した。
f:id:kokorosha:20171128203139j:plain

f:id:kokorosha:20171128203128j:plain

八幡の藪知らずは、住居や駐車場に囲まれていて、駐車場からよく見える。
駐車場には受付の人がいたけれど、禁足地の隣にいることによる緊張感のようなものはとくに感じられない。
f:id:kokorosha:20171128203129j:plain
 
 
向かいの道から見ると、その異様さがよくわかる。

f:id:kokorosha:20171128203124j:plain

この場所だけ竹が密集しているのである。
 
藪は入れないよう囲われていて、藪の正面は不知森神社という神社になっている。

f:id:kokorosha:20171128203131j:plain

「安政」と書いてあるから、江戸時代の最後の10年ほどである。時代名を言われてさらさらっと西暦が出てくるようなオッサンになりたい。
 

f:id:kokorosha:20171128203130j:plain

f:id:kokorosha:20171128203137j:plain

f:id:kokorosha:20171128203134j:plain

お供え物は毎日されているように見える。

f:id:kokorosha:20171128203135j:plain

こういうところのお米、おいしそうに見えるが、キリスト教の聖餐式のぶどうジュースもふだんよりおいしく感じられるのだが、そのことと同じことだろう。
 
 
上を見あげるとうっそうと暗い。

f:id:kokorosha:20171128203121j:plain

f:id:kokorosha:20171128203123j:plain

 

 

f:id:kokorosha:20171128203133j:plain

かつてはさまざまな樹木が生えていたらしく、禁足地であれば、それなりに巨木に育っていたはずだけれど、これだけ竹が多いと、ほかの木が倒れたあとは成長の速い竹に変わってしまい、他の木は生えにくいのだろう。
 
中をよく観察してみると、枯れている竹も多い。

f:id:kokorosha:20171128203136j:plain

f:id:kokorosha:20171128203122j:plain

f:id:kokorosha:20171128203132j:plain


「自然を守ろう」と書いてあるが、竹以外の木も多く生えていることを「自然」と名付けるなら、すでに自然は過去のものになっている。自然を守った結果、人間が期待する自然の姿と大きく異なってしまうことはよくあることで、荒れはてた自然でもいいっすかねーとこれを描いたお子様に聞いてみたいところであるけれども、知らんがなと返されるだけだろう。
 

f:id:kokorosha:20171128203120j:plain

そして、少ないながら、ここにゴミを捨てる人もいる。麦茶のペットボトルを捨てた人は、マナーが悪いとは思うけれど、祟りなどを恐れないのだろうという点においては尊敬する。
 
 
おそらくそれを切らないと倒木が電線を切ったり、通行のじゃまになったりするから、目に余るものは切っているようである。
f:id:kokorosha:20171128203138j:plain

f:id:kokorosha:20171128203119j:plain

切られたとおぼしき竹が積まれている。
つまり誰かは中に入って竹を切ったりしていたのであるが、あまり深く考えないことにする。
 

f:id:kokorosha:20171128205215j:plain

パネルでは、この禁足地になぜ入ってはいけないのかが判然としないことについて正直に述べられていてエキサイティングなのだが、なかには神隠しにあったなどという説もあったようである。青木ヶ原樹海などならともかく、この一辺20メートルにも満たない狭い土地の中で神隠しがあったと思いなし、その伝説を維持し続けたというのは驚くべきことだと思う。昔は向こうが見えないほどに木が密集していたのだろう。
 
長い年月が経って、「入ってはならない」という結論だけが残り、根拠がはっきりしないまま守られているというのは滑稽に見えるけれど、おそらく、身近な例でいうと、いじめられっ子がいじめられるに至った原因がなくなったあとも雰囲気でいじめられてしまう現象や、差別されている人の差別される理由(大義名分)がはっきりしないことと同じである。この風景は、ユーモラスであると同時に、恐ろしくもある。
 
 
なお、この藪の向かいでは新しい市川市役所が建設中。できあがったら、さらにこの藪の異様さが際立つに違いない。

f:id:kokorosha:20171129185627j:plain

この不思議なたたずまいはほかでは見ることができないので、ぜひ行ってみていただきたいと思う。