クジラの死骸ハンターことココロ社です。
土曜日は仕事で22時まで働いた。翌日起きたのは8時で、まだ雨が降っていたので、11時くらいには晴れているかなと思って長めの二度寝をキメようとしたが眠れない。二度寝が寝苦しいという意味不明な状況の中で、iPadでTwitterをベロベロにスクロールしていたら、誰かが、小田原にクジラの死骸が漂着しているニュースについてコメントしていて、2時間後には小田原のひとつ手前の鴨宮という駅にいた。
日曜だけ休みであるという事象だけを取り出すと、ぼくはややかわいそうなサラリーマンなのだが、職場で人間関係にトラブルがあるわけでもなし、しかも今週は木曜が祝日だったはずだ。おへそのあたりに意識を集中させ、土曜日に出社したときの記憶と、木曜日に休んだときの記憶を置きかえれば、ふだんの週末と変わりないはずなのだが、疲労が蓄積されており、それもままならない。日曜だけしか休みがなかったらとしたら、クジラのなきがらを間近で見て匂いを嗅いだり、死を悼むふりをしてクジラを撫で回し、クジラの感触をこの手で味わったり、そういうレベルのことをしないと、人生がペイしないだろう。
なぜ鴫宮で降りたかというと、どこかの新聞で「小田原市の酒匂(さかわ)4丁目付近」と書いてあり、調べてみると、鴫宮で降りて30分ほど歩けばクジラの亡骸とご対面できそうだったからなのだけれど、酒匂とは変わった地名である。近くに酒匂川という川があり、「逆川」が訛ったという説や、神酒を川に注いでも匂いがしばらく消えなかったという説があるが、昔の住人が酒臭かったなどの身も蓋もない語源を想像してしまった。
駅の南口から南下し、左に曲がればクジラの亡骸である。
隣の小田原と違って、高い建物がないので開放感がある。
駅前ビルも家庭的でよい。
有害図書を入れる箱が小さいというのも、この地域が無害なコンテンツであふれている安全CITYであることを雄弁に物語っている。
ところで今の有害図書ってなんだろう。教育勅語とかかな?
嵐のあとだったので、自転車が倒れていた。
庄やの看板が倒れていると、反射的に「一揆?」と思ってしまう。
ラー○ンショップ。このチェーン店、ほかでも見た気がするのだが、まだ行ってないのでいつか行きたいと思っている。ただ「うまい」と書いてあって、正面から挑まれている気がしてしまい、つい気後れしてしまう。
街路樹の上部がもれなく切断されており、組織的な犯罪の可能性を感じる。
日本語と英語とポルトガル語で住人以外のゴミ捨てを拒絶中。
この簡素な旅館は4000円以内で泊まれるので、なんとなく泊まってしまいたい気持ちになる。
金曜の夜に会社から直行して土日をここで過ごしてみたい。
ほどなくして海に着いたが、波が荒い。この程度で「波が荒い」などと表現すると日本海側の人に鼻で笑われてしまいそうだけど……。
この時、すでに、クジラは流されているのではないかと思っていたので、クジラの亡骸に会えなくても楽しいと思えるようにがんばろうと奮起していたのである!
そして、にわか雨が降りそうな気配だったのだけれど、まったく降らなかったので、そこもまたラッキーであり、クジラの亡骸に出会えないという結果に終わったとしても、落胆すべきではないのである。
防波堤にはストリート的なアートが描かれている。
これは21世紀の人類が当時の叫びを綴ったもので、解読すると「新卒で就職活動に失敗し、ブラック企業に入ってしまったが、社会人経験がないのに、どうやってブラック企業を見分けろというのか!」という訴えが書かれていて、至極もっともである。「志望企業+ブラック」で検索するとか……といっても、ホワイト企業のブラック部門などもあるので、気が抜けないのは新卒採用も中途採用も変わらないのかもしれない。
テトラポッドもすっかり風景になじんでしまっていて、少し寂しいので、往年のテトラポッドに匹敵する自然を破壊している感じの防波オブジェの開発が期待される。
なんとなくこの防潮扉の防潮性が心配になってしまうカットである。
「→ORENOKOTOMITEYO←」と書いてあったが、どこの言葉かわからなかったのでついに解読できず。
このアートにはスプレーをするネズミが描かれていて、メタフィクション風味。
これを描いたとき、アーティストは自我というものに目覚めたのかもしれない。
海岸漂着物でよく見かけるのがクロックスの靴とペットボトルで、だいたいセットで見つかるのだが、結婚でもしているのだろうかと思ってしまう。
この海岸で戸惑ったのは、ゆるい立ち入り禁止である。立ち入り禁止されているように見えないのだが、想定の最大限禁止されていると仮定すると、わたしはここで撮影することが望ましいようだ。
波しぶきがあがりすぎて、雲と同じように見えてしまい、かえって迫力が感じられなくて残念である。
しかし、人も少なく、クジラが漂着していたはずの場所にいっても何もない。
反対側からやってきた人に「クジラいました?」と聞かれて、クジラ目当てでここに来たと思われたのが心外だったが、どう考えてもクジラ目当てでここに来ているので仕方ない。「青く変色したエロ本見ました?」などと聞かれるよりずっと幸せなはずだ。しかし、「クジラいました?」と聞いてくるということで、この先歩いてもNo Kujira,No Lifeであることが決まってしまった。
そしてわたしは「こんなに波が荒いんだったらクジラの死骸が流されてしまうのも無理はないよね!」と自分を納得させるために、荒々しい波画像の撮影にいそしむのだった……。
この波の残りの泡、よく見ると気持ち悪くて、たぶんクジラの死骸もこんな感じだろうと思うことにした。
海岸線上に横浜方面へとずんずん東進してくと、いつしか出口がなくなっているように思って不安になるかもしれないが、奥の方にテレビゲームのダンジョンの出口のようなあしらいの出口があり、ホッとする。
出た先は荒れ放題の公園で、机はあるが椅子がないというブラックな公園であるが、いい味。
ちょっといい歴史的建造物やワンルームなどを見ながら歩くと、ほどなくして国府津駅に到着。国鉄ライクな見かけに感激した。
このあとは上野東京ラインに乗れば都内に帰還できる。クジラを見られなかったのは残念だが、人間に傷つけられて死んだあと、さらに人間により解剖されるより、オオグソクムシのディナーになった方がクジラ的にもましじゃないかなと思った。あるいは海に戻ったショックで息を吹き返すなどして、地獄から戻ってきたクジラとしてクジラ界で一目置かれたらいいなと思う。