せっかく春になったのだから、仏像が歩いているところを見たい―人間として、ごく自然な気持ちである。
仏像は立っているだけではなんだか物足りない気がするし、漠然と物足りなさを感じているうちに、それが、立ちつくしているだけで、この人は本当にわたしを救う気があるのだろうかという不信感へと変化しはじめたころ、カルト宗教の勧誘が心の隙間を狙ってやってきて、断り切れず入信してしまうかもしれない。信者の多いカルト宗教ならまだ救いがあるが、ケーキなどの甘いものは汚れた食べ物なので食べるときは必ず酢をかけて清めなさい、などといった教義を掲げる宗教に入信することになってしまったらそこで人生は終わりだし、しかも酢をかけることは来世への輝かしいステップにすぎないと思いこんだりしているのかもしれず、つまり、「動く仏を見る」という行為は、観光というよりも危機管理に近いのかもしれない。
―とはいえ、わたしは特に仏教を信じていたりはしないのだが、毎年5月14日(2019年からは4月14日)に、奈良の當麻寺で行われる「練供養」の様子をお伝えしていきたいと思う。写真は2014年のものだが、今年ももうすぐなので、休みが取れそうな人や、あるいはずっと休みの人のために見どころを紹介したい。
練供養とは、25菩薩のお迎えを受けて、生身のまま極楽浄土へ旅立つさまを表した、西暦1005年から続いているとされる儀式。極楽浄土シミュレーターとして知られる平等院鳳凰堂は1053年だから、極楽浄土の表現としては半世紀近く先駆けていることになる。
この儀式の主役であるところの中将姫は、26歳のときに一晩で曼荼羅を描いたとされており、それがこの寺の本尊となっている。享年29歳で、775年没。当時の平均寿命は30歳そこそこなので、7世代ほどを経て気持ちの高まりや伝説のミックスを経て、極楽浄土を具現化する格好の人物として抜擢されたのかもしれない。
なお、津村順天堂の創業者の実家には、中将姫直伝とされる薬湯の製法があったことから、ご家庭でバスクリンに浸かりながら「中将姫……」と想いを馳せるとクナイプよりも安価に同様の効果が得られるのではないかと思う。
16時開始だからといって16時に行ってはならない
練供養は16時に始まるのだが、14時半には到着し、場所を確保しておくことが望ましい。當麻寺には見どころがたくさんあるが、それは別の機会にするか、午前中に済ませておくなどするのがよいと思う。
練供養の迫力のある写真が撮りたいのであれば、来迎橋のそばに陣取ることになる。いちおう、舞台には手を触れてはならないとの放送が流れているが、その放送が耳に届いていないか、届いていても実行に移すのが困難な人もいる。
高齢の方が多いため、気温が上がりすぎるとお客様の中で入滅される方がいらっしゃるかもしれないと思って妙なスリルを感じる。
アニマルを持参している場合は、来迎橋の下の日蔭で休ませるのが安全なようだ。
練供養は當麻寺以外でも行われているが、ここの練供養がオリジナルだと言われていて、およそ千年の伝統を誇る。
しかし細部の演出などに重々しい伝統を感じさせないところが面白いのだ。
冒頭でさりげなく現世に戻ってくる中将姫
中将姫が25菩薩に迎えられて入滅するシーンを再現するためには、いったん現世に戻ってくる必要があるため、冒頭で籠に揺られて来迎橋を渡ることになる。
中将姫は、練供養の登場人物の中で唯一、生身の人間が演じていない。中将姫のお面をかぶって歩くのはちょっと面白すぎるから駄目だということなのかもしれない。そのせいか注目度も高くなくて、主役はダンスする菩薩たちに移ってしまったかのようである。
現世に戻って来るやいなやお迎えがくるというせわしない設定が好きなのだが、これは最近始まったのか、昔からそうだったのだろうか。
そのあと、何らかのご利益があるとされる紙片が撒かれる。
当然、奪い合うことになるのだが、「図々しくしたもの勝ち」みたいなのって宗教的に大丈夫なの?といつも思ってしまう。
弱肉強食の世界に嫌気が差して宗教に入信したとしても、競争から逃れることはできないのだろうか……。
お待ちかねの25菩薩の登場
そんな寂しい気分を一掃するかのように、イカ状の烏帽子を身につけたDJがブースに入る。
「YoYo中将姫は滅茶苦茶皺くちゃ継母のいじめを耐え抜き修行に励んだから生きたまま入滅お前らも修行したら生きたまま入滅も夢じゃないmake your dreams come true」的な意味と推測されるお経を唱え始めると、菩薩たちがそろそろと迎えにくる。
ポロリも見逃せない
わたしが小学生のとき、スター水泳大会という謎のテレビ番組があり、時々水着が脱げてしまうタレントがいたのだが、これがいわゆる「やらせ」であることを知ったのはずっとあとの話である。
それはそうと、練供養でポロリが発生することがある。急遽メンテナンスが発生する。
こういうときの菩薩の顔はもちろん固定のはずなのだけど、なんとなく困惑しているように見えてしまう。
これこそ仏像の造形の面白さで、どんなポーズをとっていてもその表情がふさわしいように見えてしまうのだった。
祭りのハイライト、観世音菩薩と大勢至菩薩の共演
最後に観世音菩薩と大勢至菩薩がダンスしながら登場。観世音菩薩は蓮華座で、大勢至菩薩はガッチリと合掌して、中将姫を救済する。こんな頼もしいダンスなんて他にあるだろうか?
お迎えのメンバーがすべてこの世に着いてしばらくしたら、今度は中将姫が入滅するために、来迎橋を渡って本堂(曼荼羅堂)に向かう。
そして25菩薩も後に続く。
一部の悪質な撮り鉄的なマインドの主がここにも……
よく剃れた髭である。
……などと思ったら、
菩薩の一人が謎のポーズ……
またしてもポロリが発生していたのだった。
エンディングに一抹の不安を覚えてしまうところも含めて必見の行事である
最後に、おそらく中将姫グッドラック&シーユーネクストイヤーという趣旨のお経を唱えるなか、中将姫はおとなしく帰っていくのだが、このときに流れる音楽は喜多郎先生の『絲綢之路』。
NHKのドキュメンタリー、シルクロードのテーマソングとして知られるが、千年続く中で最も長くても三十五年はこの音楽で中将姫が見送られていることを考えると、その三十倍以上の時の流れをさかのぼるとどんな行事だったのだろうかと思うと胸がときめく。
9年前に撮っていたものを再掲する。
若いころは、伝統行事が現代風に超解釈されているのを見かけると嫌な気持ちになっていたものだけれど、最近はそれを楽しめるようになってきた。
練供養が終わるのはだいたい17時半くらい。
1時間半の極楽浄土ショーだが、あっという間に終わってしまうし、写真を見ているとまた行きたくなってしまうのだった。
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