ココロ社

主著は『モテる小説』『忍耐力養成ドリル』『マイナス思考法講座』です。連絡先はkokoroshaアットマークkitty.jp

どうでもいい問題について多数決を取ると無茶苦茶な結果が出るので、気をつけて生きて死にたい

某細胞を作ったと主張するX保方ユニットリーダーの話。
一部の人にとっては予想外であるところの、彼女への賛同者が多い件について、彼女の「女子力」がその原因であるかのように言う人が多くて、そうなのかなと思う。
女の涙が云々……サイコパス云々……と言いたくなる気持ちもわかるけれども、今回の話は結局のところ、「平均的な国民にとって、細胞の話には興味が持てない」ところに事の発端がある。SAIBO…それは自分の身体を構成する存在でありながらも、どうでもよい気がしてしまう不思議にキュートな存在なのである。

日本の報道が特別下品に見えてしまう罠

時計を、X保方ユニットリーダーがまだホワイトなユニットリーダーだったころに巻き戻してみよう。
たとえば、下記のリンクで、イギリスのBBCの報道と日本の朝日新聞の報道を見比べてみると、イギリスの報道は発表された内容がどんな意義をもつかについて説明している一方で、日本では、その研究者の人となりについて粘っこく報道しているように見えてしまう。

・Stem cell 'major discovery' claimed
・泣き明かした夜も STAP細胞作製、理研の小保方さん

これだけを取り出すと、日本のマスコミはダメだという結論になりそうで、実際そのような趣旨の記事がかなり賛同を集めていた。
しかし、ちょっと待ってほしい。もう1組を読んで比較してみよう。

・Stem cell researcher Dr Haruko Obokata on 'breakthrough'
・新しい万能細胞作製に成功 iPS細胞より簡易 理研

BBCでは、発見の意義についても語ってはいるが、「A young researcher」などと言っているし、映像を見ていても、日本の女性でノーベル賞を授与された人はいない、など、X保方ユニットリーダー自身の話も報道しており、イギリスの方が下品に思える。

なぜこのような差が生まれたかというと、最初の一組は、イギリスの第一報と、日本の第二報を並べたもので、あとの一組は、イギリスの第二報と日本の第一報を並べたもの。第一報と第二報同士をそれぞれ比較してみると、日英の報道は似ている。

たとえばBBCの記者が、某細胞についてさらに書けと命ぜられていたら、若い女性研究者の話はしたから、それまでの、pillowがtearsでwetになった話でもしておくかと思うだろう。決して街の人にインタビューをして万能細胞ができた件についてどう思うか聞いたりはしない。聞くまでもなく、"Ohimesama-saibou? What?"という反応になるに違いないからだ。そもそも、ダイアナさんはなぜ亡くなったんでしたっけという話で、別にイギリスが悪いという話をする気はないけれど、国を問わず、書くことがなくなってくると、だんだん本質と関係なくて下品な方向に向かってしまうものだし、下品なニュースを見たいと思っている人もまた、国を問わずいるものだ。日本のマスコミは、感謝もされず、濡れ衣を着せられてかわいそうな気もする。日ごろからうっすらと恨まれていたから、どうでもいい問題をきっかけに的外れな批判を受けてしまったのだろう。
もし、これが南京事件の話であったなら、朝日新聞の人でなくても、「ちょっと待ってほしい」といって各国の報道を比較していたに違いなかっただろうに。

記者会見で露呈した庶民の細胞ヘイト

そして、これらの報道のあと、X保方ユニットリーダーがかなりのおてんばであったことが徐々に明らかになり、X保方ユニットリーダーが記者会見を行うこととなった。
この記者会見を見て、「マスコミに責められながらも毅然とした態度ですばらしい」「彼女は嘘をついていない」など、賛同する人が意外に多く、もしかしたら多数派なのかもという気すらしてしまうほどである。
なぜああなったかというと、やはり、「細胞の話なんてどうでもいい」と思っている人が多かったからだろう。人はどうでもいいが興味を惹かれてしまった問題について語るとき、非常に安易な結論を下す。ネットのもめごとを見てしまったとき、「どっちもどっち」とコメントして、物事を俯瞰的に見る秀才の気分を味わいたくなるのと同じ現象である。発表に興味を持っていない人があの記者会見を見たなら、なんやらマスコミが女の人をいじめているように見えるのも無理はない。

たとえばこの話、仮に吉高由里子似のZ保方ユニットリーダーが、竹島の領有権をめぐる古文書を大量に保有していたと主張し、記者会見で涙ながらに語ったらどんな反応だっただろうか。

「竹島が韓国の領土であることは、わたしの所有する200の古文書が証明していますっ!」
「その古文書を見たいというご意見があれば、お見せしますっ!」
「古文書は信頼できる歴史学者に管理してもらっていますが、それが誰かは言えませんっ!」

このような主張を聞いて、「Z保方ユニットリーダーの言うことも聞いてあげてよ」と言う人はほとんどいないだろうけれど、荒唐無稽とも思える主張をし、証拠があると言いつつ証拠を出さないという点で、Z保方ユニットリーダーとX保方ユニットリーダーでは変わりはない。国民的にそれなりに関心が持たれている領土問題に関しての話であれば、Z保方ユニットリーダーは、「悪気があるから証拠を見せないのだ」と言われるだろうし、悪気がなかったことを証明できたとしたら、今度は「悪気の有無の問題ではない」という、きわめてまともな論調になるはずだ。

あるかないかわからない、むしろあったらいいかもしれない、程度の気分であるところの細胞について、何やらひたむきに「ある」と言っている、ひたむきでおっちょこちょいで少々破天荒な(実際はまったくそんなことはないと思うけれど)X保方ユニットリーダー。彼女を責めたてるのは、平均的なサラリーマンよりもずっと年収が多く、よくわからないがクリエイティブな感じの楽しそうな仕事をしている人たち、しかも下品な質問をしながら庶民の意見を代弁しているかのような傲慢な態度。細胞に興味がなければ、X保方ユニットリーダーの肩を持つ方が自然なのかもしれない。

常日頃から問題意識をお持ちだが少々統計学を苦手とする人たちで、たとえば男嫌いがひどい人であれば、「オッサンたちがあの記者会見でコロッと騙された。結局、かわいいは正義なんだ」などと言うだろうし、女嫌いがひどい人なら「女性はX保方ユニットリーダーの狡猾さを見抜き嫉妬し嫌悪している。つまり女の敵は女!」などという盲説を唱えはじめるだろう。



進化した人類であるところのわれわれとしては、そのような落とし穴を華麗に飛び越えていきたいところだが、自分の身を振り返ってみると、自分が主張したい話の多くは、他人にとってはどうでもいい話にすぎないという点にくれぐれも注意したい。人にとってはどうでもいい話をするからこそ、話の内容の妥当性よりも、X保方ユニットリーダーのように「よくわからんが、真摯に訴えているんだから正しいのでは?」と思わせる態度がとても重要になってくるのだ。