ココロ社

主著は『モテる小説』『忍耐力養成ドリル』『マイナス思考法講座』です。連絡先はkokoroshaアットマークkitty.jp

『トイレの神様』が素晴らしすぎて耳から汁が出そうです


トイレの神様』という歌が売れていますね。紅白歌合戦ではフルコーラスで歌われたそうですが、それよりも、紅白歌合戦って、「歌合戦」というくらいなのに、戦いの緊張感みたいなものがないんじゃないかと思います。何というか、「首を獲って干し首にしたる!!!」みたいな気迫がなくて、ただ男女が交互に歌ってるだけのような。もっと全日本的に緊張感があったほうがいいように思います。たとえばよく話題になる「デートって全部男がおごらないといけないの?」という話にひっかけて、「紅組が勝ったら次の年は毎回男がおごる、白組が勝ったら次の年は毎回ワリカン」という法律を作ったらいいと思うのですが、こういうことを言ったら、「なんで白組が勝ったらワリカン?女がおごるべきで、男女平等じゃない」と反論されそうなので脱線もほどほどにしておきます。あと、「今年はワリカンの年で、法に触れるんだけど、キミのことが好きだから、おごりにさせてもらうね」みたいな口説きのテクニックが横行しそうな気配です。


―『トイレの神様』を全部聞いてしまうと、あまりにも刺激的で翌日の仕事に差し障るのではないかという気がするので聞いてはいないのですが、歌詞を検索してみたらすごい歌詞でびっくりしました。引用するとJAS山RAC之助さんがいらっしゃるかもしれないので控えますが、何がすごいかというと、

(1)「トイレに神様がいる」という、理解可能なレベルでの意外性
(2)ちょうどいい距離感のおばあちゃんの存在
(3)『トイレの神様』という歌なのにトイレの描写をほとんどしていない
(4)単なる苦行を、神様を使って意味があるように感じさせるテクニック

というところです。
この箇条書きを見ただけだと、この記事は『トイレの神様』を批判しているような反骨精神満載の記事に読めてしまうかもしれませんが、『トイレの神様』を批判する暇があったら、わたしは議会制民主主義を批判したい!それはともかく、この歌がダメかというと、そんなことはなくて、真の意味でダメなのはわたしです。なぜなら家にアイロンがなくて、毎朝、物干しざおから直接シャツを取って着たりしているからで、そんなわたしからすると、『トイレの神様』はとてもよく考えられた歌だと思うのです。
以下、詳細を考察していきたいと思います。



(1)「トイレに神様がいる」という、理解可能なレベルでの意外性
ノーマルな感性を持っている人間にとって「塩バニラ」の発見は、驚天動地の出来事だったと思います。「甘いものに辛いものをプラスするなんて!!!」という驚きです。あるものを「A」とすると、「A」と真逆の要素「−A」が合わさったときに驚きが発生します。(なお、たとえば「A」に対して「あ」を合わせることで感激するのは、アブノーマルな感覚の持ち主であり、しまいにはわたしのようになってしまいますのでご注意ください)
「トイレにきれいな神様って!!!真逆な組み合わせが意外すぎる!!!」と、ノーマルな感性をお持ちの方は驚きます。キャバクラ嬢がガールズバーに鞍替えするドラマはないですが、キャバクラ嬢が先生になるドラマはありますよね。「トイレにカマドウマ」あるいは「天国の神様」という歌だったらノーマルな感覚の人は買いませんが、「トイレ」と「神様」という組み合わせはノーマルな人の財布の紐をゆるゆるにするのです。



(2)ちょうどいい距離感のおばあちゃんの存在
たとえばお母さんが「トイレには神様がおるんやで」とか言ってたら、「トイレ掃除させたくてそんなウソを…」と思ってしまいますし、きっと、トイレに神様がいるというファンタジックな話をした舌の根も乾かぬうちに「ところで期末テスト1週間前だが…」みたいな話をするに違いないので、登場人物としては不適切です。まあトイレ掃除をすすめる人と期末テストの勉強をすすめる人だったら後者の方が愛情があるんでしょうけれど、えてして本当の愛情は伝わらずじまいに終わるものです。
また、近所のオッサンが「トイレには神様がおるんやで」と近所のちびっこに言っていたら不審者情報として警察に通報され、学校の朝礼で、担任の先生が、「最近、トイレには神様がおるんやで、と声をかけるオッサンが出没しているようなので気をつけてください。それでは、今日のトイレ掃除の当番は鈴木くん。トイレには神様がいるので、寒いけど素手で掃除しようね…」などとなってしまいます。
なお、おばあちゃんは余命が短い生き物で、この歌に限らず「いい話」のときは「やさしくてすぐ死ぬ」存在として使われることが多いので、悲しいお話が苦手の方は、おばあちゃんが登場した時点で、きっと亡くなって泣いてしまうので、耳をふさぐなどの対処が必要になります。お見知りおきくださいませ。



(3)『トイレの神様』という歌なのにトイレの描写をほとんどしていない
言うまでもないことですが、トイレに神様はいません。そもそもトイレ以外の場所でも神様がいるかどうか怪しいところです。キリスト教とイスラム教の神様は言ってることがちょっと違ったりしますし、仏教に至っては絶対者の存在がいないわけですから。そこまで考えるときりがなくなって明日の仕事に差し障るので控えますが、トイレに神様がいないことを暴露したい場合はどうするか、というと、トイレの描写をします。なぜならトイレにある汚い便器についてあれこれ語ることによって、「トイレに神様がいるとか言われたけど、便器の陰毛を手で撮っているうちに、正気にかえってしまって、もしかしたらトイレに神様はいないんじゃあ…という気がしてきた」となってしまうと非常にまずいですよね。
神社でもそうですが、神様のいる場所っていうのはあんまり見えなくされています。なぜかというと神様のいる場所がよく見えてしまうと、「実は神様がいないんじゃぁ…」と思ってしまうからで、この歌のすばらしいところは『トイレの神様』と言っておきながら、トイレの描写は「トイレを掃除した」くらいにとどめているところです。


たしかに、わたしが『トイレの神様』っていうタイトルの歌を作ってください的な話をもらったら、何も考えずに

トイレの神様

知っとるけ〜?
トイレには男前の神様がおるんやで〜
トイレを掃除したら男前になれるんやで〜
かといって話術が全然ない男前やと
「期待はずれ」って言われてしまうから
落語のCDとか買って聞くんやで〜


そうそう
トイレ掃除の方法やけれども〜
薄茶色の石みたいなのが便器についてるときがあるよね Oh Yeah!
あれは尿に含まれるカルシウム分が結晶になったものやで〜 Wonderful!
単なる臭い水と思っていたけど、けっこういろんなものが含まれてるね〜 
その石は硬いものでこすると取れるけど
ヤスリを激しくかけたりすると 表面に凹凸ができて
うんこちゃんがこびりつきやすくなるから要注意♪


…みたいな歌詞で歌ってしまうことでしょうね。だってトイレの話をしているんだから、歌っていて役に立つような歌にしたいと思うのが人情というもので、実用性を重んじるなら、薄茶色の石について触れなければ不誠実と言えるでしょうけれど、語ってガッカリすることも多いので、「肝心なことはむしろ語らないようにする」ことも大事なのです。



(4)単なる苦行を、神様を使って意味があるように感じさせるテクニック
トイレ掃除は、あまり人が好きではないことの一つです。「汚いけど必要だから」という気持ちでするのが普通ですが、トイレに神様がいて、掃除をするといいことがあると信じさせることができたら、喜んでトイレ掃除をしてくれる、都合のよい人間が誕生するのです。
これはこの『トイレの神様』だけではなくて、素手でトイレ掃除をさせる学校なども同じなのですが、不幸せな境遇に身を置いていると、「適切な努力をすれば、報われる確率が高い」という事実を積極的に誤解して、「あらゆる苦労は、その度合いに応じて幸せを生む」という思想をもってしまいます。なぜそうなるかというと、好むと好まざるとにかかわらず苦労が降ってくる状況下では、人生をポジティブに解釈しようとすると「ああ、これは修行なんだ!この苦労の先には素晴らしい世界があるんだ!」と思いこむほか正気を保つすべはないからです。しかし、必要以上にポジティブシンキングが進行すると、「トイレを掃除すれば美人になれる」という説すら「勉強すれば成績が伸びる」と同じレベルで信じられるようになってしまうのです。
こうなりたくはない、と思いますが、裏を返すと、人に嫌なことをしてもらいたい場合、「これは嫌なことかもしれないけど、やると幸せになれるから」と話を持っていけば話がスムーズにまとまる、というのは覚えておいてもいいかもしれませんね。どうしても説明がつかない場合は、『トイレの神様』のように神を持ち出すことをおすすめします。


また、注目しておきたいのが、そもそも、トイレの神様を信仰してトイレ掃除をするメリットとしておばあちゃんから提示されていた「美人になる」というのが、歌の最後には「気立てのよいお嫁さん」になっているところ。
たしかに美人を目指してええ歳になるまでトイレ掃除に励んでいたりしたら…そしてそれを合コンの場で意地悪な友だちにバラされたりした日には目もあてられませんが、いつのまにか目的が「心の美人」になっていて、いい感じの結びになっています。
たしかにトイレ掃除をしたら目をパッチリにしてくれる神様だと、ちょっと下品で感じ悪いし、それって神様の皮をかぶった高須クリニック的な方かもしれません。

ちなみに、トイレ掃除をすると手が荒れ、学力低下にもつながるので気をつけてください。

このように、『トイレの神様』は素敵な歌なのですが、ひとつだけ注意しておきたいのが、「トイレを磨いてもとくにいいことはない」という事実。たとえばトイレ掃除をすると、トイレ掃除をしなかったときより手が荒れます。クレンザーで磨いたりすると爪が白くなったりもして、このおばあちゃんは大変いい人であることが歌詞の行間からにじみ出てはいるのですが、残念ながら美しくなることはありません。また、トイレ掃除は学力の低下にもつながるのでほどほどにした方がいいです。1時間トイレ掃除をした場合と、1時間英単語の勉強をした場合を比較すると誰でもわかるとは思いますし、それすらわからない人は、勉強の才能よりも、他の分野での才能に賭けた方がお得です。

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とかくつらいことをすると、その分報われるような錯覚をもってしまいますが、報われるかどうかは苦労の質によりますので、うまく生きていきたいのであれば、やはりここは正気に戻るしかないようですね〜。


トイレ掃除もいいですが、何か見返りを求めるのではなく、あくまで趣味にとどめておいた方がよさそうです。