ココロ社

主著は『モテる小説』『忍耐力養成ドリル』『マイナス思考法講座』です。連絡先はkokoroshaアットマークkitty.jp

あらかじめ斬られた線に沿って世相を斬る


これは去年の今ごろの写真です。この人物の懐かしさについてはともかくとして、ごらんいただいてわかるとおり、この案山子は案山子本来の役割、すなわち人に似せることで、小さな米泥棒たちを寄せつけない、という役割をもはや担ってはいません。米を奪わせておきながらこの案山子の作者は政治家の批判をしたかったのでしょう。


丹精込めて育てた米の一粒一粒に名前をつけてみようとしたが、一粒目が色白で「シロ」とつけてみたら、ぜんぶシロになってしまい、「おお、シロたちよ。カラスやスズメにさらわれ放題ですまんね。しかし、わしが、シロたちを犠牲にして金権政治に一石を投じたから、きっと金権政治は終焉をむかえ、心の政治の時代が到来するんやで……そしたら、カラスもスズメも、米は人間様が丹精込めて育てたものだから横取りするのをやめよう、っていう気持ちになるやろね。そして、そのときには、シロたちよ、きみたちはとっくにカラスやスズメに消化されて糞になっているだろうけど、土の養分となったきみたちは、新しい世代の礎となるんやで。つまりはお国のために死んでくれっちゅう話やけど、悪い話やないやろ?」


この批判の手法は一見幼稚に見えます。「政治とカネ」というテーマは小学生でも思いつくことができるはずです。しかし、当り前ですが、政治についての批判は個別の政策についてなされるべきで、現にまともな企業の中で何か問題が起こったときは、個人の批判ではなく、その仕事の進め方への批判がされるものです。政治家を批判するために「政治家は汚れている」、などの情緒的な言葉でしか政治家を非難できないというのであれば、むしろ問題になるのは国民の教育レベルの低さです。たとえばこの写真を国民の学力低下象徴として、高性能のプリンターで、何度ひっぱたいても折れないパネルに印刷して国会で紹介することもできるでしょう。


―みなさん、ごらんください。これは小学生が作った案山子ではありません。なんと、80歳近くのおじいさんが作ったものなのです。彼の人生の卒業制作は、政治家への批判にもならない批判だったのです。みなさん、はたして日本は、こんな国でいいのでしょうか。わたしはいま不信感に満ちあふれているので解説をさせていただきますが、いま、『いいのでしょうか』と質問したように聞こえた方もいらっしゃるかもしれません。これは、言わずもがなかもしれませんが、「反語」という修辞技法で、『よくない』と強く言いたいときにあえて疑問の形にして、みなさまの心に強く問いかけ訴えているのであります―


この政治家はしかし、「案山子」を「あんやまこ」と読んでしまったため、このような稚拙な風刺イラストが新聞に載ることとなってしまいました。

漢字の読みは瑣末な問題とはいえ、足元をすくわれるので気をつけたいものですね……。