ココロ社

主著は『モテる小説』『忍耐力養成ドリル』『マイナス思考法講座』です。連絡先はkokoroshaアットマークkitty.jp

平泉の鳳凰堂跡でトンボが何かしていた

こんにちは。更新頻度がすっかり落ちてしまいましたが、旅日記を書かせていただきたく思います。
今回は岩手県の平泉。3回くらいにわたって書こうと思いますが、写真は減らし気味に、文章を多めにしてみようと思います。「平泉」で検索したら、わたしの撮った写真よりいい写真がたくさんあるでしょうし……。


平泉駅からちょっと歩くと、無量光院跡があります。平等院鳳凰堂ばりの極楽浄土を体現した世界があったらしいのですが、今あるのは思わせぶりな窪みばかりです。まず、ここに無量光院があったことを空想し、そして、その無量光院から極楽浄土に想いをはせる。あまりにも難しすぎて、なんなら、無量光院を経由せず、直接、極楽浄土を空想してしまった方が楽でよいのではないか―という、ずぼらな気持ちになってしまいます。

ただ、わたしにとっては、極楽浄土がどういうところかよく知らないというのも大きな問題です。楽しいところであるというのは知っているのですが、おいしいものがいっぱいあったり、素敵な女の人が大挙して押し寄せてきたり、というところではないはずで、その意味では楽しくないような気がします。食欲や性欲は、仏教では「煩悩」というに違いなく―煩悩にも明るくないのですが、108つあるということは知っていて、さすがに人間の3大欲求くらいはおさえているはずだと思います―極楽浄土が煩悩を濃縮したような世界であるはずがないことは明らかです。極楽浄土の何たるかを正確に理解する前から極楽浄土不要論を唱えてしまいたくなったのですが、とても愉快な昆虫たちを見つけて、ああ、よかったなぁと思ったのです。


これは何をしているところかわからない、というか、正確に言うと、知っていたけど忘れました。なお、こういうとき、「知らない」と言わず、「忘れた」と口にしてしまう人がいますが、もうちょっと余裕があった方がいい、ということは知っています。女の人はそういうところををよく見ていますし、そういうところをよく見ない女の人のことを、わたしは女の人として扱いたくない―などと、突然偉そうになってしまいましたが、それくらい気持ちが昂るのがこの光景です。雄か雌かのどちらかのお尻が、雄か雌かどちらかの頭にくっついている。お尻は性器のある場所であると考えるのが妥当ではないかと思いますが、頭に性器があるわけがないから、これはセックスではない、というのが、わたしの見解です。人類の場合、性器みたいな顔の人がいますが、それはあくまでも比喩であって、実際、目から精液が出たりしたら困ってしまいます。感動して涙を流していると思ったら射精していました、というのでは百年の恋も醒めてしまいます。どれだけ食生活が無茶苦茶でも、涙が糸を引くことはありませんからね。
そして、トンボたちは合体するだけでは飽き足らず、お尻を水面に叩きつけていました。これも不可解です。好きな人といると、ついつい昔の思い出話をしてしまいたくなるものですが、トンボたちもまた、ヤゴだった時代のことを思い出すのでしょうか。「俺はヤゴだったころは、自分の倍くらいもある魚を毎日のように捕まえていたものだよ」「私がヤゴだったときは、羽化したら結婚しようっていろんなヤゴに言われた。中にはどうみてもオタマジャクシだろうという、フニャフニャの、自称ヤゴみたいなのにもね」というような会話をしているのかもしれません。


当然ながら、「トンボ セックス 疑惑」などで検索すれば、このトンボが何をしていたのかについて、すべて結論が出てしまいますが、結論が出たとたん、想像する権利や語る権利を失ってしまいます。つまり、物事を知れば知るほど、語る言葉を失ってしまう。それはとても悲しいことです。人一倍の好奇心を持っている人は人一倍、人にお話を伝えるのが好きであるはずなのに、その好奇心ゆえに、望まない結果を招くことになる。それに気付いてからというもの、わたしはあまり科学的な本を読まなくなりました。世界の成り立ちについて知る必要はないし、知らない方がむしろいいくらいだと思っています。わたしはこの光景について、知らないのをいいことに、いつかまた別の言葉で語るはずです。


あまりにもトンボを見すぎてしまったせいで、ここは平泉であることを忘れてしまいそうでした。これだけだったら高尾山でも変わらないですからね。高尾山がつまらないという意味ではないですが、高尾山が面白いという意味でもありません。あまりにも人が多すぎて、行く気がしなくなってしまいました。見えるのは人の頭ばかりで、人の頭というのは、ぼんやり見ていると山みたいに見えるのです。



―などと思いながら、中尊寺へと向かう国道を歩きます。門前町のようでいて、ショッピングモールが出てきそうな地方の国道でもあります。もうちょっと門前町っぽくした方がよいのかも、とも思いましたが、平泉駅から中尊寺まで歩く人は少なくて、バスで行く人が多いため、道中に何か作っても人が来ないんでしょうね。門前町っぽさを求める気持ちは、単なる旅行者の感傷にすぎないので、あたかも満足しているかのような顔をして歩くのが礼儀なのかもしれません。



そうそう、途中で稲刈鎌を売っている店を発見したのですが、「稲刈嫌」に見えてしまってびっくりしました。農具がすべてネガティブなネーミングだったら、日本の農業が危ないところでした。しかし、江戸時代にあった農具の千把こきの異名、「後家倒し」はちょっと悲しいです。便利すぎて後家さんがいらなくなる、という意味らしいのですが、後家倒しを購入した家を見た後家さんは、「姥捨て山に連れていかれるかも…」という不安を抱えながら生きることになってしまい、大変よろしくないです。「後家楽」みたいなネーミングの方がよかったかもしれません。とはいえ、教科書に載っている史実について、今さら代案を出したところで、誰も得なんてしませんが……。

ということでまた次回。読者の皆さまはいつもより放置された気分になったでしょうけれど、新しいものは常に苦痛とともにやってくるものなので我慢していただければ幸甚です。
―とはいえ、次回はもうちょっとキャッチーな記事を書くので見捨てないでくださいね。

Twitter小説始めました

2冊連続ビジネス書を出したショックで小説に熱中したいお年頃、ということでtwitterで140字くらいの小説を書いてます。だいたい毎日1回更新だからあんまりうざったくなくておすすめです。
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