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ココロ社

主著は『モテる小説』『忍耐力養成ドリル』『マイナス思考法講座』です。連絡先はkokoroshaアットマークkitty.jp

30年ぶりに食べた、思い出のラーメンの味

この前の三連休、奈良をうろうろしてきましたが、やはり、連休の最後の日、というのは重要な役割を果たしていると実感した次第です。たとえるなら、現実界と霊界を結ぶ間、みたいな感じです。霊界に行ったきりだと、翌日の仕事の辛さが身にしみるので、休日とはいえ、若干楽しくない要素を積極的に取り入れつつ、翌日の朝に発狂しないよう、心のバランスを徐々に整える。休みのようで休みでない、いや、どう考えても休みなのですが、そんな中間的な日にふさわしいのは、明日香でも斑鳩でもない、大阪の町めぐりなのではないか、と思いたち、京橋から京阪電車の準急だか急行だかに乗ってみました。


まず、大和田駅で降り、「一作ラーメン」を食べに行きました。この一作という店は、前にも取り上げましたが、天下一品に似ていながら、天下一品よりくどいとされている店です。ただ、もし一作ラーメンが天下一品よりも有名であったら、天下一品が、「一作ラーメンよりくどい」という称号をもらったに違いない、という感じのくどさです。もともとは天下一品を名乗っていたようなのですが、裁判に負けて名称変更をしたようです。天下一品の木村社長は「勝訴」っていうのをべロンと誇らしげに広げたのかどうなのかが気になるところですが―なにせ、どんぶりに「明日もお待ちしてます」と刻むくらいの益荒男ですから―ちょうど、王将が分裂して、王将と大阪王将になったのと同様とお考えください。



ラーメンは相変わらず、甘くて濃くて、よかったです。澱がスープの中で舞っていて、焚火をしているようで、この茶色い粒粒が鳥の内臓なのかなぁと思うとおいしさ倍増です。東京の人は、二言目にはラーメン二郎ラーメン二郎言うものだから、ちょっと肩身が狭かったのですが、そんな二郎ファンと戦う養分を得た気がしました。


腹ごしらえが終わったので、意気揚々と大和田駅に戻り、京阪電車に乗りました。
最近、携帯をドコモに変えて、というか出戻って、わりと満足しているのですが、気になるのは社名。「docomo混雑」という、ネガティブな言葉を連想させます。ぼくなら「docodemo」という名称にしたいかも…と前から言っているのですが、まず会社はおろか、業種も全然違うので、ぼくがdocomoの社長になって


発表:NTTドコモは、より皆さんに役立っていただきたいという気持ちを込めて…『NTドコデモ』に社名変更します。なお、『ドコデモ』が長いので、バランスをとって、NTTはNTに縮めました。すべて合理化のこの時代に、Tは二つもいりません…


―などと発表できるのはいつのことやら…それはいいとして、i-modeで、5年ぶりくらいに、「千林 春日軒」で検索してみたのです。すると…なんと!地図付きで春日軒が出たんです!!…と言っても、何が驚きなのかわからないと思うのですが、5年前は0件で、これは、やっぱり春日軒は閉店しちゃったか、あるいはi-modeがまだまだ、イノシシでたとえるとウリボーなのかはわからない、というか、前者であると判明するとガッカリすると思ったので、そこは詳しくつっこまないようにしていたのです。ちょうど、誰も「舎利って本当にお釈迦様の骨なの?」って聞かないのと同じだと思うのですが、ひとまず春日軒について説明させていただきます。


「春日軒」とは
大阪・千林にあるとされる。
三十年前食べたきりの、当時、これ以上この世にうまいものはないと思っていたラーメン屋疑惑を、ぼくからかけられている店


なぜそれが「疑惑」かというと、ぼくはこのラーメン屋の名前を「カスガイケン」と呼んでいたからです。祖母が「カスガイケン」と呼んでいたからそう呼んでいたと記憶しているのですが、今思うに、「春日井軒」というのはちょっとトゥーマッチな名称なのではないか、ちょうどさっきの「docodemo」ばりのくどさがかもし出されています。検索してみてもそんな店はありませんが、「春日」という名前は、道を歩いていても、たまに見かけたりします。第一、おいしいラーメンを出すほどに常識が備わっている店主が「春日井軒」と名付けるわけがないでしょう。


そのあたりを論拠として、あの店、実は「春日軒」であった、というのが、ここ十年あまりの試行錯誤の末にぼくが得た結論です。祖母が「カスガイケン」と呼んでいたのは謎として残りますが、おそらく建てつけの悪いドアをイーっと開けながら「針医者の後にカスガ」「イー」「ケンに行こうか」とでも言ったというのが正解ではないでしょうか。
ぼくの記憶では、祖母は、針医者に行く時にぼくを連れて行き、帰りに「春日軒(仮)」に連れて行ったことになっていますが、どうもそのあたりの記憶も怪しい。ただ、ラーメン屋に立ち寄るまでの経緯が明らかになったからといって、ラーメンの味が変わるわけではないので、それについては措きます。


名前が仮に春日軒だったとして、その名前で検索しても、それらしき店が出てこなかったということで、まあ、なくなっているんだろうなーと諦めたのが、たぶん5年ほど前。そこで、「昔のラーメンより今のラーメンの方が絶対おいしい。なぜなら、昔のヨーロッパ人たちは、肉に胡椒をかけることを知らなかった。そういうのと同じで、ラーメンの味も、日々不可逆的に発展しているんじゃなかろうか」という、わりかしまっとうな考えでもって、この春日軒への思いを封じ込めてきたのですが、一作ラーメンで満腹になって気が緩んでしまったこともあり、つい検索してしまったのです。すると、地図付きで出てきて仰天!しかも、地図が示す位置は、ぼくの記憶と見事に合致しています。



ということで、千林で降りて、アーケードを久しぶりに歩きます。
千林、と言っても、関西以外の人が聞いてもピンと来ないと思うのですが、東京で言うと、たぶん、蒲田あたりとお考えいただければ適切かと思います。まあ、蒲田と言ったら言ったで、関西の人にとってみれば、「蒲田ってどこやねん」という気持ちかもしれませんが、『蒲田行進曲』の蒲田です。残念ながら、千林には『千林行進曲』のようなものはなくて、今から作るとしても、途中で歌うべき内容がなくなってしまい、一つの地名ではやっていけず、つい、隣の滝井の話をしてしまうかもしれませんが、それはともかく、千林に来たので千林に集中すべきでした。



角を曲がって細い路地を歩くと、たちまち春日軒が登場。ここまで読んでくださった人は、「待ってました!」という気持ちでしたらぼくは書き手としてとても幸せですが、当事者のぼくはといえば、ちょっと駅から歩いて、迷わずに到着したので、申し訳ないですが、フーンという気持ちも拭えません。


ここで自動ドアをくぐったその瞬間、老婆が出てきて「大きくなったね」と言ってくれることを少し期待したのですが、中にいたのは四十代後半くらいの中年女性。「こんなに大きくなりました」的なことを言ってみたかったのですが、たぶんこの店でパートして数年という感じでしょうから、黙って席につき、チャーハンセットを頼みました。まあ満腹でしたが、久しぶりに来て単品はマナー違反だろうという気がしたのです。



頼むと同時に差し出されたのがスポーツ新聞。このオプションは7歳のころはありませんでした。30年前のオプションは、熱さ緩和用の小さな、変なキャラクターが描きこまれたお椀でした。大きくなったなぁという実感する瞬間です。
肝心のラーメンですが、見た目からあっさり感が伝わってくると思います。



いくぶん緊張しながら麺を口に運びました。大した味じゃなかったらどうしよう、と思ったのですが、大変おいしかった。スープよりも麺に着目するのは、ここのラーメンに無言の教育を受けたせいだと思いますが、正しい教育だったように思えます。味についての記憶はかなり鮮明に残るといいますが、まったく変わらない味です。素晴らしい味と素晴らしい記憶力。自分とラーメンを誉めたたえながら、あっという間に平らげてしまいました。念のためですが、「失ってしまった大切な何かがここにある」とはみじんも思いませんでした。失って困るようなものは、失わないように指さし確認しているので、ご安心ください。


ふと脇に目を遣ると、「伝統のラーメン、気品あふれる味」というような意味のことが書いてあるポスターが貼ってあって、ああ、30年も経つと本当に老舗の風格が漂うなぁと思いました。
当たり前ですが、ぼくが祖母に連れられて来ていたころは、伝統も何もなかった。あったのは自家製のおいしい麺と、それを引き立てる、あっさりしたスープだけでした。


家に帰ってから検索してみると、大阪駅前第一ビル、第二ビルにも同じ名前の店があり、ぼくの行った春日軒は「春日軒 千林店」という名前でした。
つまり、「千林で開業し、梅田で支店を持つほどになった」ということでしょうか。実際のところ、どうなのかについて調べることは不可能ではないかとは思うのですが、フーンと思うような結果しか得られないでしょうから調べません。


「事実は小説より奇なり」という言葉は、想像力がないことにコンプレックスを持っている人が「小説なんか読むより、実際の事件の方がずっと面白い」という、強がりから口にしてしまう台詞というより、むしろ、小説を書くものの想像力の欠如を表す言葉と考える方が前向きかとは思うのですが、37歳のぼくにとってみれば、現実というものは、どうにも退屈なものに思えてしかたないのです。