ココロ社

主著は『モテる小説』『忍耐力養成ドリル』『マイナス思考法講座』です。連絡先はkokoroshaアットマークkitty.jp

実は、伊勢神宮は不変ではない…が、そこがいい。

遅ればせながら、あけましておめでとうございます。新年ということで、地味ですが伊勢神宮特集です(2年半前の夏に行ってきたときの写真なので季節外れ感があって申し訳ないです)。
地味さを補うため、若干センセーショナルなタイトルにしてみましたが、最後に参拝の際のお役立ち情報も書いておきますので、長文が苦手な方は斜め読みでもOKです。


伊勢神宮というと「20年に1回すべてを建て替え、創建以来の純粋な形を守っており、まさにこれこそが日本文化の純粋な形である」というのが一般的に信じられているところだと思います。これが本当だったらすごいことですが、実情はもっとカオスです。ちょっと話がややこしいので、章を立ててお話ししますね。

初めて体系的な図面ができたのが17世紀。遷宮のたび、名匠たちの創意工夫が盛り込まれてきた

伊勢神宮が創建された時期は謎に包まれていますが、だいたい7世紀。それより古いタイプの神社については、後日また記事を書きますね。一定期間ごとに遷宮する習慣が始まったのが持統天皇のときで、もちろん当時は図面を描く習慣はありませんでした。途中、100年以上断絶されていた時期もあるので、記録を辿るのはかなり困難だったでしょう。図面を作るようになったのが17世紀で、磯崎新の『建築における「日本的なもの」』から引用すると、

ここで面白いのは、頭工と禰宜がそれぞれの記録をみせ合い、ときには中をとったとあることで、殆ど推量で復元がなされていった点である。

このへんの雰囲気は想像がつきますよね。会社で意見が二分されたとき、
「えーと日本的でアレですが、中をとって…」
という決め方をすることが今でもありますが、まさにこれは日本の伝統。中を取ったら、みんなの意見を聞いているようで誰の意見も聞いていないことになるのですが、みんな妙に納得してしまいますよね。

この写真は次の遷宮予定地です。今回は「正確に写し取ること」を重視することでしょう。
しかし、図面がなかったころは、さすがに建て替える前の物と同一性は保とうとしたでしょうが、細部についてはよくわからず、よきにはからっていたようで、当然、そのはからい方に名匠たちの個性が自然に発揮されることになります。

最近では、1889年の遷宮時に大幅な設計変更がされている

一言で言うと、1889年の遷宮では、それまで宝殿は正殿の脇にあったのですが、後ろに追いやられ、正殿が単独で立つ形になりました。。十五世紀より前の形式はそうなっていて、「古式に戻す」ということだったようですが、十五世紀以前の伊勢神宮の姿についての記録は断片的なものなので、客観的な「古式」は存在しないので、想像を重ねたようですが、明治期における「日本とはかくあるべし」という考えに沿って、付加されたものもあったと想像されます。
近代になって大幅な設計変更をしなければならなかった理由は、国家神道の正統性、ひいては天皇制の正統性を保証するものとして伊勢神宮が位置づけられたということも大きいでしょう。

撮影はここまでしか許可されていなくて、わかりにくくて申し訳ないですが、この奥にも高い塀があって、屋根しか見えない状態になっています。
昔の塀は今ほど高くなかったようですが、それは、「カジュアルに見えてしまうような神は説得力がない」ということなのだと思います。伊勢神宮の歴史の中で、今の神宮が最も中が見えにくい状態になっていますが、見えなくすることで、神の存在感を際立たせようという意志が働いています。たとえば中世では、神仏習合が甚だしく、 たとえば僧形八幡神坐像などもあったりして、神は見えやすかった。その感覚と比べると全然違います。近代に入って、神の概念も変わってきた、というか、国家宗教とすべく変えられたと考えるのが適切でしょう。天皇の伊勢参拝も、明治天皇から始まりました。それまでは、式年遷宮を始めた持統天皇を除いては、天皇が直接伊勢に行くことはありませんでした。
また、明治期の伊勢神宮は今よりも装飾類が多かったそうです。今のわびさび的な日本文化とのイメージからすると、ちょっと意外な感じがします。今の神宮が、木でできた素朴なものであるという印象が強いですが、「自然と共生するのが日本人のあり方である」という最近のイメージと合致するのは、まめにリニューアルして、今の日本を反映しているからこそなのでしょう。次回の式年遷宮では、テクノロジーを駆使して、寸分違わない伊勢神宮を造るというコンセプトになるのではないでしょうか。「最新の技術で伝統を支える」というのが、今の日本をよく表すのではないかと思います。

「不変ではない、でも、そこがいい」のが伊勢神宮

ぼくが伊勢神宮に興味を持つようになったのは、うろ覚えで申し訳ないですが、浅田彰がジャック=デリダとの対談で、「日本文化のイメージは再検討されなきゃいけない。たとえば伊勢神宮は、20年に1回、まったく同じ形で建て替える。これは形而上学的と言えるんじゃないか」という意味の発言をしていて、デリダも「これはすごい」というリアクションで、ぼくも「これはすごい」と思ったのがきっかけです。恥ずかしながら式年遷宮の話を知ったのはそこだったのですが、まったく同じ形式を続けているのであれば、日本の建築の代表と言ってもいい伊勢神宮が、一つの真理を忠実に再現するという、プラトンのイデア論そのままの世界が、大昔から日本で展開されていたということになり、「日本的である、ということは西洋的である」という結論になりかねません。これが本当なら、「曖昧で多神教的な日本」というイメージが根本から覆され、日本文化の独自性は骨抜きになってしまいますね。
しかし、いろいろ調べてみると、適宜、総意工夫が重ねられ、時には当時の先進国であった中国文化の影響も受け入れていたようです。同じく『建築における〜』から

四周の高欄とそれに連続する階橋の手摺、そこに配されている火焔文様のついた珠玉は明らかに中国伝来のデザインで、いまでも舞楽の舞台などに保持されている。

こういった雑食性、というか、しれっと外国のものを借用しながら「これが純粋な日本」というものを作ってしまうところが、たくましくて素晴らしいと思います。

ちなみに、次回の式年遷宮にはイメージソングが設定されています。


そう、歌っているのは藤井フミヤさんです。「ええー!」って思う人も多いと思いますが、繰り返しますね。時代に応じて変化するのが伊勢神宮の素晴らしいところ…と思うようにしてください。ここにビデオもあるよ!

参考ですが、前に載せたビデオを再掲載。奈良の当麻寺で1000年の伝統を持つ「練供養」も今はこんな感じです。

現場にいたときは「えー」と思ったのですが、今は、これはこれでいいのではないかという気持ちです。

(おまけ1)伊勢神宮の中がわかる「神宮徴古館」はオススメです!

伊勢神宮に行ったけど、中がよく見えなかった」と残念がる人も多いかと思います。まあ、奥までずけずけ入ってしまうと、神さまも何もあったものではないので当然なのですが。しかし20年に1回すべて取り替えられるという、内部の調度品たちはどんな形なのか気になりますよね。それはこの、「神宮徴古館」に保存されているので、ぜひ足を伸ばして行ってみてください。

外宮→内宮で、頻繁にバスが出ていますが、大した距離ではないので、伊勢市駅か宇治山田駅でレンタサイクルを借りて、外宮〜内宮〜宝物館と行くと楽しいですよ。

(おまけ2)伊勢うどんも是非!

また、伊勢市駅前には伊勢うどんの店があるので、立ち寄ってみてください。前に行ったときは、伊勢うどんとサメの焼いたのの定食を食べましたが写真をなくしてしまいました。

これは単品で食べたときのですが、フニャフニャの太いうどんに濃いタレがかけてあって、初めて食べた人はうどん観が変わります。
伊勢以外の地域で伊勢うどんが食べられる店はごくわずかなので、行ったからにはぜひご賞味くださいね!

参考文献

建築における「日本的なもの」

建築における「日本的なもの」

ここでは、「始源を隠しながら反復する」というところに着目して伊勢神宮についての考察がされています。上の記事でかなり参考にしました。
伊勢神宮は再構成されながらも、より「日本的なもの」に収斂していくという話で、目が覚める思いです。「そこまできれいに収斂していくものなのかな」と思う部分もありますが、単に伊勢神宮の話では終わらず、「空虚な中心」の話に接続される議論が展開されています。日本文化について考えるにあたって汎用性ありまくりで必読です。装丁もかっこいいのでぜひ!