ココロ社

主著は『モテる小説』『忍耐力養成ドリル』『マイナス思考法講座』です。連絡先はkokoroshaアットマークkitty.jp

Alexander Robotnick JAPAN TOUR 2004 "Invasion Of The ITALO-ROBOT"@代官山UNIT


楽しかったです。10時半に行ったら、もうDr.Nishimura(写真)が回してた。相変わらず素敵な選曲。スムーズなミックスで音のバランスがすごくよくて、もうこれだけで満足。次はいつかなぁ…西村さんは初めて会ったときから「一生ついていこう」と思った(本人にとってははなはだ迷惑な話)がその思いを新たにした。
ふと声をかけられたのだけど、この前Agehaに行って、ひょんなことから言葉を交わした人で、あーこの前はどうもとか言っていたら、Dr.NishimuraといっしょにやってるDiscosessionの清水さんで、恐縮してしまった。大阪では回すみたいなんだけど、見たかったなぁ…

Alexander Robotnickが出てきたのは3時過ぎ。一言で言うと「ハードディスクでmix垂れ流し&時々カラオケ&時々変な動き」なんだけど、イタロディスコの生き証人50歳が2004年の日本でクネクネしているというだけで非常に楽しかった。何やらミキサーをいじってた、が、ノブをいじってても音が全然変わらない。EQじゃなくてフィルターのカットオフか何かかな?と思ってみてたら、フィルターを開ける方向に回しているのに、出ている音はむしろ閉じている…逆やん!っていうか、手持ち無沙汰だから関係ないツマミを回しただけやん!とか思ったのだが、それはそれ。


上の写真は、御大、マイクを取り出し、代表曲Problemes d'Amourを歌うの図。完全にカラオケ。この後、Dance Boy Danceも歌った。この曲は本当にデトロイト、特にJuan Atkinsあたりと直結していて、デトロイトテクノの材料ってここらへんで既に揃っていたのだなぁーと思った。

以下は紹介文。

1981年、AVIDAのメンバーとしてイタリアの音楽シーンにデビュー。1983年に ALEXANDER ROBOTNICKの名でソロ・プロジェクトを始動し、ファースト・シングル「Problemes d'Amour」をリリースする。まさにエレクトロ・ディスコ・ミュージックの原点であ るこの曲は、MAURIZIOを一躍インターナショナルな存在へ と押し上げる。その後数年の間に、ALEXANDER ROBOTNICK名儀でのリリースをはじ め、GINA & FLEXIX、NAIF ORCHESTRA、MASSIMO BARSOTTI D.J.など、多くのアーティストのプロデュースを手掛ける。それらの曲はニューヨー ク、シカゴやデトロイトのアンダーグラウンド・パーティやラジオで 頻繁にオン・エアーされ、後にシカゴ・ハウスやデトロイト・テクノが誕生するため の直接的なルーツとなったと言っても過言ではない。90年代にはワールド・ミュージックのフィールドへ活動の場を移すが、その間も彼の曲は「カルト・トラックス」として在り続け、様々なアーティストに影響を与える。そし て、2000年頃から熱を帯びはじめたイタロ・ディスコ・リヴァイバルに呼応するかの ごとく、再びダンス・ミュージック・シーンにカムバックする。あわ せてライブアクト/DJも再開し、現在進行形でワールド・ツアーを遂行中。齢50歳の 若者は、ラップトップとMIDIキーボードとマイクを抱えて世界中 を飛びまわり、今なおエレクトロなディスコ魂を燃焼し続けている。

10時半から5時までずっとフロアにいて、疲れたので帰ろうとしたら声をかけられました。id:yuta344さんたちでした。写真を載せておいてよかった…いつか会えるかなと思っていたので。「背景が黒い日記=怖い人かも」と思っていたら、全然そんなことはなくて、本当に好青年でした。ミックスCDをもらって、家に帰って聞いたのだけど、イイ!オープニングが、ぼくの激しく好きなMysteries of The World / M.F.S.B.だったし!本当にいろんなジャンルが違和感なく共存していてビックリしました。