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ココロ社

主著は『モテる小説』『忍耐力養成ドリル』『マイナス思考法講座』です。連絡先はkokoroshaアットマークkitty.jp

ソンディ・テスト(2)

kiyokawaさん、素敵な書き込みありがとう!

たしか、ソンディテストって、投影法の一種だったと思うのですが、「無意識の欲望がうんぬん」と言い出すと、本人の自覚とずれた場合にも、「それは意識化されないからです」と言い訳できるというつくりになっているということなので、あんまり気にしなくていいように思います。ちなみに、表情刺激からの感情の読み取りに関しては、文化普遍的な特徴があるというのが定説になっているようなのですが、それでも、「あれが『驚き』のはずがない」と思ったことがあるくらいなので、やはりそれぞれの文化的文脈を考える必要があると思われます。私も外国の方の顔はよほど特徴がない限り、全部同じに見えてしまって、好きも嫌いもありません。少なくとも「意識的」には。

何でもかんでも無意識で説明する系の話は激しく同意。「いやよいやよも好きのうち」って言われたら、「じゃあなんて言ったら本当にいやってわかってくれるのよ!」と言いたくなる。
で、問題の(というかぼくが問題にしたい)「外人の顔でやるのって変じゃない?」という論点だけど、文化普遍的な特徴があるというのは、顔認識細胞が関わってるから、ということなんだろうか。たしか顔を認識する専用の細胞があって、パーツの比率で、大人とか子供とかを判断するとかしないとか、そういうのがあった気がする。だとしたら、生物レベルなので外人の顔でも大丈夫という話もアリなのかもしれない。
まあ、でも「意識的には」外人の表情は読みとりにくい気がする…

あと、日本人でもしソンディテストをやってみたら、
(1)当たる度合いが正しくなる。なぜなら、日本人の文化的文脈に沿って出題されるから正確に投影される。
(2)今より精度が落ちる。日本人の文化的文脈にマッチしすぎて、表情以外の文化的な文脈も入りこんでしまう。たとえば、表情がどうであれ、古館伊知郎に似た人だったりすると*1、表情そのものを読みとる前に、うまい表現みたいなのを言った後の「どうだ」みたいな顔を思い出して、嫌いな顔に挙げてしまう。

(2)の方が有力だという気がしてきたので、日本人ではやらないのかなぁと思った。

*1:この後、蓮舫と書こうとしたのだが、漢字がわからなかったので検索したら、蓮舫先生のブログを発見し、嫌いだと思っていたのに、毎日がんばって生きている姿を行間から読みとって、嫌悪感が和らぎました。なんて単純なんだろう…