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ココロ社

主著は『モテる小説』『忍耐力養成ドリル』『マイナス思考法講座』です。連絡先はkokoroshaアットマークkitty.jp

モーニング娘について(id:twistedさん編・その2)

暮らし

5/16の日記の(2)についてのid:twistedさんのお話について、もうid:twistedさんご本人も忘れられている頃のような気がしますし、ここも見てないかもしれないですが、だとしたら独り言でもいいので書いてみます。(といいつつ、少しでも多くの人が読んで何か思えるように書くように心がけますが…)


ぼく自身、たぶん入り口の時点でモーニング娘に深入りしないことを選んだせいで、いろいろ見落としているところもあるように思います。id:twistedさんがおっしゃるように「多くの人がモーニング娘。は批評性を持っていると思っている」という状況は見落としています。こんなことを言うとまたアレかもしれませんが、ぼくは志村けんのよさも…サッパリ…なんです…(関西人ですが吉本新喜劇はもっとニガテだし、ひょうきん族が好きでしたね。)もしかしたら「志村けんのよさがわからないのだったらそりゃモーニング娘のよさもわからんよ」と言われるのかもしれませんが。あと、さらに言うと、『絶対文藝時評宣言』以降、ぼくは蓮実っ子でなくなってしまいました。少し横道にそれますが、あの本で中上健次関連の記述が紋切型センサーに引っかかってしまったから、もういいや、と思ったのです。(id:twistedさんとid:crossageさんが取り上げていた『スポーツ批評宣言あるいは運動の擁護』は、興味が出てきたので久々に読んでみようかと思います。要は、「それぞれの紋切型辞典に何を登録するか」というのは個々人に任されている問題だし、言い出しっぺである蓮実の(厳密にはフローベールですが)紋切型辞典が古びた物になってしまう可能性は多分にあったわけで、いくら蓮実っ子といえどもそれは別の話。ぼくは彼の文芸時評の手つきに何やら怪しいものを感じてしまったのです。ありていに言うと、ヤング蓮実(ヤング・フランケンシュタインみたい)だったらそんなことは言わなかっただろうと思います。
ということで「運動」という言葉をうまくid:twistedさんや他の人と共有できなくて申し訳ないというか残念なのですが(これを機会に、せっかくだから共有できるようにしようと思っています)、わかってないなりに図々しく言わせていただくと、なんか、フロイトの「無意識」カントの「物自体」というキーワードが招きがちな「言語化するのが面倒なものは全部これで解決!」っぽい、便利な反面、まだまだ言語化できそうなものを「運動」という言葉に追いやってしまう可能性があるのかもしれないなと思います。モーニング娘が凡庸かどうかというのは、どうやらその「運動」に関わっているようなので(id:screammachineさんの日記でも言及されてましたが)、また別の機会にまとめたいと思います。

モーニング娘。に批評性はあるのか、ないのか、という問題に関しても同様で、例えば『LOVEマシーン』なんて批評性だらけの楽曲です。(ただし、オリジナルメンバーで歌われる場合に限らせてもらいます)中澤が「み・だ・ら〜♪」と歌う時、モーニング娘。の「キャバクラ」という物語は、ほとんどその自らが孕み持つ批評性によって瓦解していると言ってもいいと思います。しかし、「キャバクラ」とかそういう物語で回収され、真に抑圧されてしまうのは、例えばあの曲のイントロ部分で、どう見てもおかしな方向に体を曲げたまま自信たっぷりに静止してしまっている安倍なつみのダンシング・イメージが、まさに「安倍なつみ」そのものを露呈してしまっている様とか、そうした運動性がみなぎるサスペンスの瞬間そのものなのです。そして、批評性という問題は、まずそうした瞬間に対する感受性を共有する人間が、その次の段階で享受し得るあくまで贅沢な、モーニング娘。にまつわる言語ゲームなのです。

モーニング娘が批評的だ」と考えるというか読むことは可能だと思います。しかし、ぼくの認識が間違っているのかもしれませんが、その批評性は、「つんくがアバウトで、コンセプトに沿って物事をきっちり進められないから、多義的な解釈ができるような作りに結果としてなってしまっている」ように思えて仕方ないのです。簡単に言うと、批評的なのはモーニング娘ではなくid:twistedさんだと思うのです。ただモーニング娘の魅力は、「結果として生じた多義性を、情熱的で言語的センスのある読者たちがテクストを紡ぎ、批評的存在にした」というところに依るように思うのです。「モーニング娘がいた」のではなく「モーニング娘は見いだされた」という言い方の方がしっくりくるように思います。もちろん、作者の意図なんて、本当にどうでもよいことで、たとえばDerrick Mayのインタビューを昔読んで、それこそ意気阻喪したのですが、彼の素晴らしい音楽が古式ゆかしい作家的な意図から作られていていることを確認してウンザリしても、彼の作った音楽の価値はまったく落ちることはないと思います。ただ、モーニング娘の場合、その意味付与(この話に限定して言うと、批評性の付与)の過剰さが尋常じゃないと思うし、だから、一見、一聴しても、なんの変哲もないアイドルにしか見えず、そこで、つんくの緩さを批評的に読み替えようという愛情は、ぼくの中ではなかなか沸きにくいように思えます。

ということで、ちょっと外に出て蓮実の本買ってきます。