ココロ社

主著は『モテる小説』『忍耐力養成ドリル』『マイナス思考法講座』です。連絡先はkokoroshaアットマークkitty.jp

モーニング娘4

今日はここまでかもしれません。特にid:hentaiさんid:farrahさんすみません…

id:type99さん
こんにちは。(結構サイトを見させていただいていたので、こんな形でリンクされるとは…という感じですが…)

id:type99さんがこの話で感じている馬鹿馬鹿しさは、「自分と好みが一致しない人間に対してとやかく言うことの子供っぽさ」でしょうか。「言語化できないものに対して説明せよと迫る野暮ったさ」でしょうか。両方…ですよね。

(1)前者に関して言うと、代表として真っ先に浮かんだのが彼です。で、金井美恵子(を代表とするような批評的言語)とモーニング娘が同居している状況全般がわからないと思っているのです。まったく好みが違う人間に関して何か言っても不毛だし、お互いにとって不幸なので何も言うことはしません。
今回は少し状況が限定されていて、モーニング娘という、言語化されていること甚だしいユニットと、批評的言語が折り合いを付けるのは難しいように感じrられ、その点について話してみると何かわかるのでは?と思ったのです。

kokoroshaさんの理想の友達は、全ての趣味が自分と同一の人なんですかね。なんかそれって……。そんな、中学生の理想の恋愛観じゃないんですから。

「全部一緒になれ」というのはファシズムみたいで、もちろんそういうことは望んでいません。(同様に「モーニング娘」に対して、「好きである」以外の言葉を書くと、いろんなところからリンクされる状況もファシズムみたいでちょっと怖い気がしますが。もちろんこれは状況全般のことで、id:type99さんがどうだとか言う気はないです。真摯な言葉で綴られた上でリンクされるのは、むしろありがたいことです。)たとえばお好み焼きにマヨネーズかけるとかかけないとか、そういうことなら別に何も言いませんが、根本的なところで相違があるのでは?という気がしてしまうからです。少なくとも「お好み焼きのマヨネーズ」に関して、こんなに熱く議論が交わされることはないと思います。モーニング娘は、やはり、好きな人にとってはかなり根本的なものである気がするのです。趣味を超えて、思想に近いといえば言い過ぎでしょうか。そこまで高まっている気がします。そこで相違を発見してしまった場合、非常にモヤモヤしてしまうのです。


(2)後者ですが、何度か繰り返しているとおり、ぼくは、「本当にモーニング娘はまったく言語化されていないのか?」という疑問を持っています。タイトルに即して言わせていただくと「見えているものを見えないことにしているのでは?」という感想を持っています。
逆に、「モーニング娘のよさ」に関して、「見えないもの」と言い切ってしまうのは、今までモーニング娘に関して重ねられてきた言葉たちが報われない気がするのですが…
それらの言葉を重ねればいろいろ出てくるのでは?と思ったりします。
ごく初期からモーニング娘が好きな人を除いては、かなりの量の、モーニング娘に関するテキストを読んだ上でモーニング娘と接することになっていたと思いますが、そこでバイアスがかかって、上戸彩などに比べても、言語的要素が非常に強いと思っています。極端な言い方をすると「モーニング娘を体験するということは言語的な体験である」と思っていて、その意味で、「言語化されているのであれば、なぜ好きかについて語れるのでは?」と思った次第です。
ちなみに、id:type99さんに書いてと迫っているわけではないので、スルーしてもらってまったく構いません。書いていただければもちろん真摯に感想を書かせてもらいますが、「金井美恵子などの批評的言語との折り合いについて」という形で絞っていったら、話が拡散しなくていいかなと思っているので(すでに拡散している気もしますが…)